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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十一章 祝福の編
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十一章 第8話 Bランク

 少々トラブルもありつつ終えたBランク査定から三日後の昼下がり、俺たちの部屋をギルド事務官のカレムが尋ねて来た。


「おめでとうございます!Bランクへの昇格が受理されました!」


 応接室に通されるなりいつものやや高い声で彼女はそう宣言し、我がことのように喜んでくれた。


「ここまで六年弱、ようやく、ようやく高位冒険者を名乗れるランクですね!あ、あんなに小さかったお嬢様たちが、高位冒険者なんて、私、私っ!!」


「ちょ、カレムさん!そんな、泣かないでくださいよ!」


 彼女は俺たちが故郷でギルドへ登録をしたとき、最初に応対してくれた事務官でもある。カレムにとっては初めて担当した冒険者がBランクまで昇格したわけだ。その感動は一塩のようで目元には涙が浮かび、エレナもつられて涙ぐんでいる。初心者だったあの頃は色々とお互いに失敗をやらかして迷惑をかけたり、逆にミスをカバーしたりしたものだ。

 ……いや、俺はさすがにそんな初級でミスしてないか。エレナとカレムのミスり合いだな。


「長かったような、短かったような」


「ぐすっ。そうですね、登録から六年は早いと思います」


 俺の感慨にカレムは鼻声でこくこくと首を振る。とりあえずポケットからハンカチを出して渡した。


「ああっ、すみません、ありがとうございます。後で洗って返します。で、でも実質Cランクから六年ですから、そう見るとやや遅いかもしませんね」


 普通はCランクに上がるまでにも時間がかかる。そこから六年もかけてBランクになっていたらすぐに引退が見えてきてしまう。肉体が資本である以上、老境に至っても現役で戦い続けられる冒険者は多くないのだ。


「今日は新しいギルドカードをお持ちしました」


 カレムは鞄から小さな木箱を二つ取り出して見せる。蓋を外せばそこには銀色の金属片が納められていた。俺たちが今持っている銅色の物と同じデザインの、そう、ギルドカードである。


「引き継ぎは?」


「装置、持ってきましたから」


 ソファの上に置いていた大きな肩掛け鞄から黒い箱を取り出すカレム。それはギルドへの登録や更新に使用する魔道具だ。たしかにギリギリ持ち歩けるサイズと重さだが、なんで呼びつけずにこちらへ来たんだろうか。と、その疑問はすぐに氷解した。


「それからこっちはお祝いです。ギルドではなく、私個人からですけどね」


 彼女は鞄から更にガラス瓶と木箱を出してテーブルに置く。木箱の方はかなりしっかり冷却してあるのか、天板の表面がさっと白くなった。蓋には花を啄むハチドリの焼き印が押してある。


「ハチドリ亭のクレームブリュレです!」


「ハチドリ亭って、あのハチドリ亭ですか!?」


「そのハチドリ亭です!」


 エレナとカレムのテンションが一気に跳ね上がる。

 どのハチドリ亭だよ。


「知らないの!?富裕街で今人気のお菓子屋さんで、すっごい長蛇の列ができるところなんだよ!しかも持ち帰りのハードルが高くって、学院だと手に入らないの!」


「そんなに凄いお菓子……いいの?」


「あ、そこまで高い物ではないので、気にしないでくださいね!滅茶苦茶並びましたけどね、うちの人が」


 え、あ、うん。カレムの旦那さん、ありがとう。

 長い付き合いで今初めてカレムが人妻だという実感が湧いた。


「でも通い箱が魔道具だから、お店の信頼がないと貸してくれないんですよね?」


 言われてみれば一見ただの木の箱だが自ら結構な冷気を放っている。そういう魔道具なのだろう。


「まあギルドの事務官って結構あちこち行きますからねー。それにうちの人の担当冒険者があのお店の御主人に何度か依頼を貰ってまして」


 その言葉で俺はすっかり忘れていたコトを思い出した。そういえば高位冒険者になると担当事務官が固定化されるんだった。


「お二人の担当は卒業まで私ですので、改めてよろしくお願いしますね。あ、カードをお願いします」


「ん」


 箱の上に水晶玉が埋め込まれたような魔道具の下に銅色のギルドカードを差し込む。すっかり付き合いの長くなってしまったCランクカードは表面に微細な傷がこれでもかと付いている。


「これは?」


 こちらの感慨など無視してカードを食ってしまった魔道具の口をしばらく見てから、カレムの持って来たボトルに目を向ける。


「国産最高峰、ソフィラワインの貴腐ワインです!ノンヴィンテージですが口当たりの優しいものを選んでおきました。お誕生日のプレゼントも兼ねて、十五歳が来たら二人で楽しんで下さい」


 満面の笑みから察するにカレムは結構飲む方だな。いいことだ。もうすぐ解禁だが、飲み始めたばっかりの子供たちに囲まれて、美味い酒が飲めるのか少し心配だったところだ。


「え、誕生日覚えててくれたんですか!?ありがとうございます!」


「いやぁ、それがですね、冬の寒い時期ってところまでは覚えてたんですけど……最後の一押しが思い出せなかったんで、登録情報を見ちゃいました。あはは」


 駄目だろ、それは。

 そう思ったが飲み込んだ。


「ありがと。うれしい」


 エレナの手がボトルに伸びる。白ワインにしては濃い色の液体をじっと見て首をかしげている。


「貴腐ワインってことは甘いんですか?」


「すっごく甘いです。なのでお酒というよりアルコールの入ったお菓子ですね。アクセラお嬢様、手をお願いします」


 魔道具の水晶に手をのせる。吸い付くような妙な感触と共に魔力を採取される。

 貴腐ワインは枝にあるまま特定のカビにやられて水分が飛んだ貴腐葡萄で作るデザートワインだ。水分が制限されて育った果実は総じて猛烈に甘い。酒が初めてのエレナにはいいかもしれない。糖度の高いシャコンマンダリンで作るシャコートという酒が前世の好物だった俺としては、甘い酒はむしろ好ましいくらいだしな。


「あ、でもソフィラの貴腐ワインはアルコール度数かなり高いですから、もし強かったらお料理に使ってくださいね」


 それは確かに要注意だ。


「ノンヴィンテージって最近とれた葡萄のお酒ですよね?」


「ううん、年式が書いてないだけ」


「そうなの?」


 エレナが小首をかしげる。彼女の勘違いはよくあるパターンだ。というか俺も前世は結構なおじさんになるまで知らなかったしな。


「アクセラお嬢様は意外なところで物知りですよね、昔っから。確かにその通りです、葡萄の年数が書いてあるのがヴィンテージ、いくつか混ぜたりしていて書いていないのがノンヴィンテージですね。年数のあるもので長く寝かせたワインはオールドヴィンテージといいます」


「あ、そうなんだ?」


「オールドヴィンテージもいいんですけど、初めてのお酒には向かないんですよ。お酒の味に詳しくなってから飲んだ方が絶対にお得です!」


「ん」


 カレムの主張に俺も頷く。終生甘い酒が好きだった俺だが、大抵の初心者は甘口を好む。よく寝かせたワインはあまり甘くないし、なによりややこしい味をしているものだ。慣れていないとひたすら重いと感じたりする。


「エレナお嬢様、手を」


 独特の色に魔道具の明かりを映すボトル。その曲線をじっと見ている間にエレナの方の処理も終わる。


「はい、これでお二人は名実ともにBランク、高位冒険者の仲間入りです!」


 その言葉とともに差し出された銀色のカード。Bランクの冒険者カード。傷一つないそれを改めてみると胸の奥に複雑な感情が湧いてきた。それこそオールドヴィンテージのような、しかしもっと苦みのきついものが。

 色々と、重いな。

 これで冒険者としての振る舞いが直接的にカレムの評価を左右することになる。高位冒険者が不祥事を起こせば所属ギルドの評判にだって影響するだろう。それにBランクといえば、夏前にはネンスやレイル、そしてマレシスの一つの目標となっていたものだ。


「アクセラお嬢様?」


 一瞬躊躇った俺を見てカレムが首をかしげる。


「……ん、なんでもない」


 俺は銀のカードを手に取った。それはCランクのカードと何も変わらず、とても軽い金属片だった。


「寮の玄関まで送る」


 少しだけ雑談をしたあと、カレムはまだ仕事があるからと言って席を立った。エレナのクッキーがたくさん詰め込まれたハチドリ亭の冷却箱と、道具類の入った肩掛けを担いで。


「そ、そんな!申し訳ないですよ!」


「いいよね、エレナ」


「うん!こんなに素敵なもの色々貰っちゃったしね」


 恐縮する事務官を言いくるめ、少しだけ待ってもらって制服の上着とスカートだけ身に着けた。ブラウスも本当は学院指定のがあるが、まあよくよく観察でもしない限りバレないだろう。


「それでは、最初の依頼を見に来られるのを楽しみにしていますね!」


「ん」


 ブルーアイリス寮の扉を出たところで俺たちは改めて挨拶を交わし、カレムはくるりと踵を返してギルドのフロアがある校舎へと帰っていった。


「う、んーん……っ」


 背伸びをしてから空を見れば、まだ夕方には時間があるようで日は高かった。自然と浮かぶ涙を拭ってからエレナを見る。


「制服着たし、お茶でも行く?」


「そうだね、Bランク昇進のお祝いに……」


 貰ったばかりのクレームブリュレはデザートにしておいた方がいいだろうと思っての提案だったが、エレナがそれを承諾するより前に気になるものが見えた。せっせと走ってくる線の細い淡金糸頭の少女、マリアだ。俺たちの中で一番お淑やかな彼女が走ってくるのは……いや、珍しくはないか。よくレイルめがけて走っているし、彼女はお嬢様というより子犬だな。


「エ、エレナ、ちゃん!」


「マリアちゃん?どうしたの、そんなに慌てて」


「そ、その、よかったら、こ、氷魔法で、その、お手伝い、お願いできない、かな?」


「?」


 俺たちはそろって首をかしげる。するとマリアはいつも通りゆっくりと、しかしやや焦った様子で事の次第を話してくれた。まあ、単純な話なのだが。

 マリアは今日、友人のご令嬢数人とお菓子を作る予定だったそうだ。発起人の持つレシピにそって素材や道具、場所を確保していった。けれど肝心の言い出しっぺがレシピの重要な工程を見落としており、そこまで作業が進んでからそのことが露見したのだという。


「氷水で急冷する工程?たしかに準備してないと大変だね……」


 もう秋も終わって冬が来るという時期だ。さすがに各寮の厨房や実験室には氷もあるだろうが、あらかじめ予約しておかないと大量には使えない。夏だったらたくさんあって使い放題なんだが。


「その、前に教えて、くれたでしょ?エ、エレナちゃんの、氷結の……」


「その恥ずかしい名前を呼ぶのはやめようね!?」


 氷結のエレナ。ケイサルの冒険者が酒のノリで勝手につけたあだ名で、詳細を省くと彼らの飲み物を氷魔法でキンキンに冷やしてあげていたことから付いたものだ。アベル経由で友人にもバレたその話をマリアはしっかり覚えていたようで、こうして探しに来たらしい。


「食べ物を冷たく保つのは、たしかにエレナの得意分野」


「そんな得意分野を開拓したつもりはないけど……どうしよ?」


 適任であることは間違いない。それに他ならぬマリアの頼みだしな。


「ん、行ってあげるといい。お茶はまた別の日でいいし」


「あ、ご、ご予定、あった……?」


 優美な眉がハの字になる。


「大丈夫。氷魔法はエレナしか使えない。行ってあげて」


「うーん……まあいっか」


 わずかに悩んだ様子だったが、すぐに快諾するエレナ。杖は身に着けていないが普通に魔法を使う分には彼女にそんなものは必要ない。というかトワリとの戦闘で自分がいかに杖と目に頼っていたかを痛感したとかで、最近は杖なしの鍛錬に入れあげているくらいだ。


「その、ご、ごめんね?」


「ん、気にしない。行ってらっしゃい」


 エレナとしきりに謝るマリアに手を振って見送る。

 さて、時間が空いてしまった。

 そう俺が思うと同時、まるで狙いすましたように後ろから声をかけてくる少女が。


「あら、アクセラさん。お暇になったのなら(わたくし)のお茶に付き合って頂けますわよね」


「……アレニカ?」


 振り向くと寮の階段のたもと、邪魔にならない位置に陣取ったストロベリーブロンドの友人がいた。

 いや、タイミング狙っていたんだな、その位置取りは。


 ~❖~


「ホットココアとストレートティーでございます」


「ん、ありがと」


「ありがとうございますわ」


 商店街のいつもの喫茶店、二人の前に湯気の立つカップが一つずつとお茶請けのクッキーが置かれる。さすがにもう寒いのでテラス席じゃないが、ちょうど空いている時間だったのか誰もいない二階席をとることができた。なんとなく貸し切りの気分だ。

 前までのアレニカなら店員に礼など言っただろうか?いやまあ、普通に言っていたかもしれないが……。

 そんなことを思いながらお茶に口をつける。


「い、いきなり誘ってご迷惑じゃなかったかしら……?」


 自分も一口ココアを飲んでからアレニカはそう謝った。第一声の高圧的な雰囲気とは打って変わって、なんだか燃料の切れかけた魔導具の灯りのような低調さである。


「そ、そんな顔しないでくださいまし。前の私、あんな感じだったでしょう?」


「あそこまでではなかった」


「そ、そうだったかしら」


 なんとも奇妙なやり取りに首をかしげてみせると、彼女は困ったような笑みを浮かべて言った。あの事件の前、自分が学院でどう振る舞っていたかよく分からなくなってしまったのだと。

 サロンを纏めるお嬢様。そのアイデンティティが崩壊して、セルフイメージが取り戻せなくなっていたのか。

 遠征企画の間は最初の二日ほどしか話せていないが、それでも少し弱っているなと思わされるくらいだった。それがここまで自分で自分を見失っているのは、学院という環境に戻ってきたから。まだいつになるかは未定だが、一カ月以内に彼女も復学することだろう。目前に迫ったその予定が彼女をやや焦らせているのだ。


「元のアレニカに戻る必要もない」


「簡単に言いますわね」


「言うは易し、行うは(かた)し。でもそれを(むずか)し気に言うのはもっと難しい。言われたことが難しい事だと理解しているなら、それでいいと思う」


「そう、なのかしら。なんだか煙に巻かれている気がするけれど」


 首を傾げる彼女。俺は肩を竦めてお茶を啜る。


「元に戻るのが難しいって、自分が変わってしまったって、ちゃんと理解しているのは偉い。自分の現在地が分からない旅人が、目的地にたどり着けないのと同じ。まずは足元を見定めて、それから落ち着く場所を探すのが正道だよ」


 そこまで言ってから俺は自嘲の笑みを浮かべた。自分の現在地が分からなくなっているのは、むしろ俺の方ではないか。エレナの顔を思い出しながらそんな風に思う。


「落ち着く場所……」


 繰り返すアレニカにそれ以上の言葉はかけなかった。結局のところ何を選ぶかは彼女次第であり、俺はエレナほど事情に深く立ち入るつもりはない。それに俺くらいの距離の人間も居た方がいいだろう。親しい人間には、親しいからこそ言えないことがあるものだ。


「ん、今日は何の相談?」


「……その、相談というわけではないんですけれど」


 言いづらそうに言葉を探すアレニカ。俺は黙って先を待つ。クッキーを一枚二枚摘まみながら。


「冒険者って、どんな感じなのかしら……と、ちょっと気になりましたの」


 しばらくして彼女はおずおずとそう訊ねた。俺は内心、なるほどなと思いながらもう一口お茶を飲む。これが俺ではなくエレナならただ淡々と説明して終わり、とはいかないだろう。心配もするし、誘うのであれ遠ざけるのであれ、何かしら干渉するような姿勢におのずとなる。対して俺は、アレニカを心配こそしているが、その選択に関わろうとは思っていない。

 早速俺の立ち位置ならでは、というところか。


「ん、仕事としてはハイリスク、ハイリターン。面白いけど何が起きても自己責任。たとえば」


 俺は幾つか、自分たちや周囲の冒険者、あるいは前世で体験した出来事の中から一般的な冒険者らしいエピソードを語って聞かせた。武勇伝染みたもの、本当に死ぬかと思った苦い記憶、徒労ばかりで稼ぎにならなかった依頼……色々な話を。


「自由だけはある。その自由を使いこなせるか、持て余すかは人それぞれ」


「使いこなすか、持て余すか……」


 俺の言葉を小さく繰り返すアレニカ。彼女がそんなことを聞いてきた理由はなんとなく察しが付く。自分の今の立場を考えて、彼女なりに今後の身の振り方を模索しているのだろう。かつてのように貴族として、令嬢として、自分に求められているロールを考えて手枷足枷を付けた範囲ではなく、本当に広い選択肢を見つめて。

 ならもう一言だけ添えておいてあげようか。干渉するつもりはないけど、助けを求められたら応じてあげたいとは思ってるし。


「身分を隠して登録したいなら、私かエレナを同伴させた方がいい。ギルドの学院出張所には昔馴染がいるから話を通しやすい。下ギルドのギルマスにも貸があるし」


「あ、その、私は……」


 慌てるアレニカを指一つ立てて抑える。


「今後、いくつかの身分が必要になる時だって来るかもしれない。意外とそういう貴族は多いし、あくまで保険としてもいい」


「そうですの?」


「そう。だから学院も殊更、学生が冒険者の資格を取ったことを親には報告しない」


 選択に関与しないとは言ったが、ただ知らないものは選びようがない。それに本当に保険にするため資格を取っておくのも悪くない。いつだってバックアッププランを用意しておくことが重要だ。冒険者にとっても、貴族にとっても。

 あとは髪を魔法薬で染めたり、フードで隠したり、偽名を使ったり……ちょっとした工夫で意外と素性はバレにくくなるしな。時間が稼げればどこへなりとも行ってしまえる。

 とまあ、そこまで言うと過干渉なので口を噤んでおく。


「そう言うものかしら」


「そう」


 すっかり温くなった紅茶の残りを呑み干す。彼女は他にも聞きたそうな顔をしていたが踏ん切りがつかないようで、数度口を開け閉めしただけで結局は言葉にしなかった。俺と彼女の距離感だからこそ、どこか不穏な物を含んだ質問ができる。しかしその距離感があるからこそ頼り切れない。

 アレニカは人を頼るの、下手そうだしな。


 それからはしばらくエレナと彼女が最近、放課後にやっている魔導銃の訓練について話した。アレニカはずば抜けた射撃のセンスを持っているらしいが、基礎的な体力や筋力は平均的な貴族の少女。その部分を補うためにも必死にトレーニングをしているらしい。


「最近はどうにも体重が……」


 呟きながら彼女は自分の腕を触った。服越しなので詳しくは分からないが、きっと夏前よりは随分と逞しくなっていることだろう。あの大きさの装備を担いで走り回れるように鍛錬したら当然だ。そして筋肉は重たい。


「まあ、元のアレニカに戻れなくてもいいんじゃないかな」


「そこでその台詞は腹立ちますわね……!」


 ワザとだ。ケンケンしてる方がアレニカはいいと思う。


「でも筋肉は必要。体重は数値でしかない。土台がしっかりした体は見ていて美しい」


 俺は左手を二の腕まで包む黒い長手袋を外して見せる。火傷と裂傷が複雑に絡み合ってのたうつ蛇か雷のように見える傷痕。それが手の甲から肘まで走っているが、それはあくまで表皮の模様にすぎない。傷痕と肌の白を内側から押し上げる鋼の糸を束ねたような筋肉の隆起を、自画自賛になるが、俺は美しいと思う。


「アクセラさんは、その、傷は……」


「ん、気にしない。背中に前から傷はあったし。それに私の未熟の証だから」


 長手袋をしているのも、学院や貴族社会でやっていく上での配慮でしかない。


「それより、ほら」


 アレニカの前に腕を出す。彼女は恐る恐るそれを指でつつき、また驚いた顔をした。


「硬い……」


「力入れてるから」


 指をゆっくり動かせば連動して腕の筋肉も形を変える。人体は極めて精緻に組み合わされ、調整された機構だ。その機能を高めるように鍛えて行けば、当然のように美しくなる。


「たしかに、凄く綺麗ですわね」


 しばらく俺の筋肉と腱が動く姿を見てから彼女はそう言った。

 そうだろう、そうだろう。

 彼女も体重なんて誰にも見えないステータスのような数字を見るのではなく、肉体の本質を見て原始的な美しさを追い求めればいいのだ。そうすればおのずと強くなる。俺の前世の友人には一人、Sランク冒険者でありながら自分を美容研究家でダンサーだと名乗っていた男がいた。真面目過ぎて狂ってしまったが、たしかにその肉体は美しかった。あの理論には俺やシュトラウスも引きつつ感心したものだ。


「……ごめん、話がそれた」


「あ、いえ。私も無遠慮に触って失礼しましたわ」


 空いたカップを回収しに来た店員が何とも言えない目で俺たちを見てきたので、慌てて手袋をつけ直す。うかつにエレナにでも見られたらまた拗ねられかねない。


「そ、そういえば。エレナはどうしてる?アレニカに稽古つけるだけ?」


「いえ、彼女も彼女で色々試していますわよ」


 アレニカに魔導銃を鍛える傍ら、エレナは銃の調整と並行して自分も魔眼の慣らしを続けているのだとか。二人は最初に共律の魔眼の効果を体験した間柄だからか、スムーズに感覚の共有や視点の入れ替えができるのだという。流入する感情や感覚の制御も最近ではかなりできるようになったとのことだが……。

 なんというか、そこまで詳しい進捗は俺も聞かされてないな。


「……」


 なんだか少しもやっとした感覚に自分の胸を触る。薄く柔らかいものの奥で脈打つ心臓は至って冷静なままだ。


「ところで、その……私が聞くことでもないかもしれませんけど」


「?」


 ココアを飲んでから口元をさっとハンカチで拭いたアレニカ。彼女は視線をややそらしながらこれまでで一番歯切れの悪い切り出し方をした。


「その、エレナとはどうなったんですの?」


 意外な質問に手を当てたままだった心臓が大きく跳ねた。


「……どこまで知ってるの?」


「基本的には全部、ですわね」


 遠征企画の最中、ネンスへの想いを秘めたまま戦うアレニカにエレナが発破をかけたのだそうな。そのやり取りでうちの相棒の想いもまた、彼女の知るところとなったのだと言う。とはいえそれがなくても繰り返し魔眼で同調の実験をしている仲、お互いの恋愛事情も何もかもほとんど筒抜けになっていておかしくはない。


「受け入れるつもりがないんですの?」


「ん、君も割と簡単に言う」


「そこはお互いさまですわよ」


 それだけ心配してくれているのだろう。俺とエレナの間には特別な繋がりがいくつもあるが、お互いにそれだけが人間関係というわけでもない。たとえば俺がメルケ先生に抱いていたシンパシーのようなものが、彼女たちの間にもあるのだ。


「お二人とも創世教徒じゃありませんでしょ?」


 アレニカの質問に俺は頷く。ミアの創世教会は同性愛を他の全ての愛情と等しく素晴らしいものと扱っているが、同性婚となると信者に対してこれを禁じている。禁じているという言い方が強すぎるのであれば、儀式を執り行わないというのが正しいか。

 政治的、実生活的な結婚と宗教的な結婚は意味が違う。各教会、神殿が行う結婚の儀式はそれぞれに意味があり、条件があるのだ。創世教会の結婚は子供を成す関係であると示す儀式だ。だから子供の出来ない間柄には儀式を執り行うことはできない。同性だけでなく、決して子供のできない組み合わせの獣人、出産に耐えられない年齢や体質でも断られる。


「ん、技術神の聖典に結婚の記述はない。頼まれれば神官はそれっぽい式をして、普通の祝福を与えてお仕舞。強いて言うなら予算次第で披露宴が青天井に豪華になる?」


 同性で宗教的にも結婚したいという場合は火焔神殿が好まれる。情熱と愛の証明として一定以上、心の熱量を示すことができれば三親等以内だろうが爺と幼女だろうが結婚の儀式を執り行ってくれるのだ。

 ロマンチックととるか下世話ととるかは微妙なラインだが、恋愛神トーニヒカの神殿も男女問わずよく選ばれる。結婚期間中は愛も性もパートナーにだけ捧げるという宣誓が儀式の中核であり、離婚してしまえば後腐れなくお互いフリーになれる。まあ、こちらは性質上、年齢や血縁の制限があるが。


「周囲の目が気になるんですの?」


「それは、あんまり?」


 そもそもこれまでの人生で周囲の目をまともに気にしたことがない。そういう機能はついていないのだ、俺の魂には。


「なら自分の気持ちに自信がありませんの?」


 あれ、なんか俺が告白を受け入れたいけど躊躇っている前提で話が進んでないか?


「アクセラさんに私のアドバイスが必要とは思えないですけど……でもエレナさんのお話を聞いているとかなり朴念仁のようですし」


「んむ、だいぶ失礼……」


「あら、男女の機微に聡いつもりなんですの?」


「……聡いか朴念仁かの二択なら、まあ、後者」


 俺は苦い笑みを頬に浮かべ、クッキーを一気に口に投げ入れてバリバリ咀嚼し、残りのお茶で嚥下する。


「そうでしょうね。変な自己認識を持っていなくてよかったですわ。では、一つだけ」


 すっかりタコとマメのできた指を一本立てて言うアレニカ。


「頷いている自分と首を振っている自分、それぞれの主張に名前を付けてみるといいですわよ。そうすれば自分にとってのハードルが何なのか、見えてきますもの」


「なるほど」


 シンプルだがそれだけにいい方法だ。自分の悩みを無視したり言いくるめたりすることに長けてしまったジジイには、一周巡って新鮮味すら感じさせる。


「見えてきても見えないふりをするほど、臆病ではありませんでしょ?」


 最後の言葉の後ろには「私と違って」という自嘲が透けて見えたが、俺はありがたくアドバイスを受け取るだけにしておいた。


「ここは私が持ちますわ。相談に乗っていただいたお礼と思ってくださいまし」


 同じくクッキーとココアの残りを、俺よりはるかに上品に片づけたアレニカは立ち上がった。ちょっと金欠気味の俺はそれもありがたく享受することにする。彼女のアドバイスには納得と同時に釈然としないものを感じながら、俺はとりあえず考えるのを止めた。


「太っ腹。鍛錬の成果?」


「引っ叩きますわよ!!」


 やっぱりケンケンしてる方がらしくて(・・・・)いいな。


~予告~

ある日持ち込まれる小さな荷物。

それは内通者ホランから秘密の手紙で……。

次回、隠された倉庫

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