十一章 第7話 求婚のお断り
「アクセラ=ラナ=オルクス、この俺の妻になれ!」
ある水曜の放課後、ポーションを買いに行くエレナと別れて寮へ帰ろうとしていると俺は見も知らぬ三年生に呼び出された。そして校舎からやや離れた建物の合間の空白地帯に連れていかれての第一声がこれである。
今日は来客の予定があるのにな。
そんなことを思いながら俺はさっと視線を巡らせる。場所そのものは特に何があるわけでもないが、三方を囲む壁の際に葉牡丹が沢山植えられていて、クリーム色の大きな葉を八重の花のように魅せている。シチュエーションを無視するなら落ち着いていて素敵な場所だろう。
「ふん、感動で言葉もないか」
呆れて言葉もない俺を前に三年生の男は鼻を鳴らす。身長はレイルより頭一つ高く、体の厚みもかつてのメルケ先生に迫る。大男だ。俺からすれば山のような。面構えは傲岸不遜、自分は何よりも偉いと考えている顔だ。あと明確にこちらを見下した目をしている。それなりに戦える体つきをしているが、女子をこんな袋小路に連れ込んで自分が入り口側に陣取るあたり性格の方は知れているな。
「圧倒されるのも当然だ。オルクスのようなゴミクズとは違う、俺の家は本物の武門だからな。お前も武人の端くれならば光栄に思うことだろう」
凄い言い様だ。勲二等を貰ってからちょくちょく来るこの手の輩だが、大抵は次男以降で自分の派閥を築くためにはえり好みしてられない奴、残りは家自体が傾いているタイプ。しっかりした家柄の出で野心もないが、家からの命令で粉をかけに来ましたよという人も極稀にいるかな。で、大多数の逆転狙い組と斜陽組には一定数こういう「オルクスから抜け出させてやるからお前の力を寄越せ」みたいな勘違い野郎が混じっている。
「おい、なんとか言ったらどうだ。この俺がオルクスから抜け出させてやると言うのだぞ。感謝と忠誠の言葉とともに膝を折るのが礼儀ではないか!」
まんま言ったよこいつ。
確かに俺はオルクスの悪名は嫌いだが、領地と家はとても好きなのだ。こうも露骨に蔑まれるとイラッと来るのだが……なんだろう、懐かしさがあってちょっと面白いなと思ってしまう面もある。入学したばかりの頃はクラスでもコレと似たような否定の視線ばかり向けられていたなと。最近はまったくないものだから、つい。
「聞いているのか!」
俺が色々と考えていると男は苛立ったように吼えた。
気が短いのは減点だなぁ。男の時点で倍率ゼロだけど。
とはいえ放っておいても勝手に帰ってはくれないだろうし、この後大事な予定があるのだ。仕方なく俺は視線を上に向けて三年生を見返す。
「まず、誰?」
「……な、なに?」
目をカッと見開いて慄いた様子だが、むしろ何百人もいる三年生の顔を俺が覚えていると思っていたのか。ぶっちゃけ二年生のファティエナ先輩しか上級生は覚えていないぞ。
「お、俺はハイデアス子爵家のコンスタンだぞ!?魔導騎士団の副団長を務めるハイデアス子爵の嫡男の!騎士学校との交流試合で優勝!去年の遠征企画団体得点で学年トップの班長!社交界で魔鉄の若騎士と呼ばれる、ハイデアス家のコンスタンだぞ!?」
そう言われたって魔導騎士団の副団長どころか団長が誰かも知らない。ハイデアス子爵も、騎士学校とウチが交流試合をしていることも、遠征企画での得点がどれだけ重要なのかも、社交界での二つ名の意味も、何一つとして分からないし実感がない。こちとら地方出身で、遠征企画は初回があの騒動で、社交界デビューはこれからなのだ。
あれ、でも嫡子?しかもそう落ち目でもなさそうな家の?
「春が来れば正規騎士団へ入ることが決っている、選ばれしこの学院の生徒の中でもトップクラスのエリート!それがこの俺、コンスタンだ!いくら田舎者のオルクスといえど、学院に通うのならば常識だぞ!」
俺がなんとなく引っ掛かりを覚えて首を傾げている間も男は怒声をあげる。ちなみに選ばれし生徒は貴族の家臣や商人の家から試験を受けて入っている者だけで、貴族は原則として全員が入学する。
まあ、いいけどさ。
「ん、申し訳ない。でもネンスの護衛に差し障るから……」
「は!頭の足らん奴だ」
いつもの断り文句の半ばで子爵令息殿は鼻を鳴らす。それから「これだから田舎貴族は」と吐き捨てた。
「いくら王子殿下と言えどこれは我がハイデアス子爵家とお前の間の個人的な話だぞ?両者が婚姻の合意をすればいくら王家でも口は出せまい!」
頭が足らんのはどっちだ。自国の王家がどれだけ強い発言力を持っているのか理解してないのか。レイル以上に脳筋だ。レイルから顔の良さと性根の真っ直ぐさと正義の心と修羅場の経験を取り払ったような男だ。肉しか残らん。
っと、ダメダメ。
聖刻をやってからエクセルに引っ張られるのか、時々極めて冒険者らしい言葉遣いが飛び出しそうになる。戒めておかねば。
「どちらせよ私に結婚の意思はない。私は当面、冒険者として自由にやっていくつもり」
「意思だと?勘違いするなよ!」
キッパリ言って横を通り抜けようと踏み出した俺に対しコンスタンは遮るように動く。そして怒りと同量の蔑みを込めた目で上から見下ろしてきた。
「自らの主君に背き、血を汚したオルクスを!この俺が!そして栄えあるハイデアス家が!受け入れてやると言っているのだぞ!?お前の意思を聞いているのではない!」
血に背いた、か。
たしかにその非難は間違っていない。親父殿はオルクス家始まって以来の主であるレグムント家を裏切り、その敵対派閥に突如鞍替えをした男だ。その先は彼の知るところではないが、俺とトレイスも父に反旗を翻して元鞘に収まろうと画策している。
なかなかどうしてその通りだ。裏切りの血族と言われても仕方ない。でも、なんとなく癪に障るな。
「なんだ、気分を害したとでも言うのか?」
薄っすら眉と眉の間に刻まれた線に目ざとく反応してか、コンスタンはその口元を醜く歪めた。高圧的な物言いから単純に態度がデカいだけかと思っていたが、どうやらもっと下卑たモノが秘められているとみた。
怒声で相手を圧倒しようとするクセがあるな。嗜虐癖か?貴族が持っていて欲しくない性癖ナンバーワンだな。
「アクセラ=ラナ=オルクス、立場を考えた方がいいぞ?我がハイデアスの目に留まる今回の武勲は褒めてやるが、癇癪を起こしてこの俺とやり合うのは……フン、止めておけ!傲慢が過ぎるというものだ。その綺麗な顔に傷がついても勿体ない。後々の楽しみが減るからな!」
男はそう嗤ってして腰に吊るされた得物の柄をトンと叩いてみせた。今の今まで気が付いていなかったが、どうやら学院内で帯剣する許可をこいつは持っているようだ。剣というか、メイスだったが。
……あ、そろそろ時間がヤバイかもしれない。
俺は上着の内ポケットから懐中時計を取り出して文字盤を見た。時計に慣れる訓練と称して時間を指定されているのだが……あと一時間。着替えて装備を確認することを考えたらそろそろ拙い。
「そもそも何を悩む?お前自身は傷物。家もどうせ没落を待つだけの身ではないか!」
男はレースの長手袋に包まれた左腕を一瞥して蔑むが、こちとらCランクになったときから背中に傷がある身だ。今さらそう言われてもまったく気にならない。ただ。
「没落なんてさせない」
時計をネンスの言いつけ通りそっと閉じてから応える。初の反論らしい反論にコンスタンの眉が跳ね上がった。
「させない!?はっ、あの程度の武勲で失った名声が戻るとでも言うか!」
「オルクスはトレイスが、弟が継ぐ大切な家。没落は、絶対にさせない。絶対に」
「……っ」
目を見て一言一句を言い含めるように言う。魔力を軽く纏っての威圧にコンスタンの肩が小さく跳ね、次いで顔が真っ赤に染まる。自らもスキルに威圧系を持つ以上、今何をされたかは察したのだろう。彼は怒りに震えて数度口を開いては閉じを繰り返し、それから噛みつきそうな形相で口を開く。
「フ、フン!弟が継ぐだと!?お前の弟がなぁ!!さぞかし」
「黙った方がいい」
「……ッ」
聞くに堪えない言葉が飛び出してくる前に、俺は背伸びして彼の唇へ指を当てた。先ほどより強い魔力で体を活性化させながら。余剰魔力が紫と飴色の雷になってピリピリと手足に伝播し、筋肉がゆっくりと目覚めて行く。
「私の可愛い弟の悪口は言わない方がいい。その綺麗な顔に傷がついたら勿体ない、でしょ?」
「っ!!」
一瞬血の気が引いていた顔に再びの怒りで色が戻る。一歩前へ踏み出そうとする巨体の脇をするりと抜けて俺は袋小路から脱出した。
「!?」
コンスタンは目を白黒させてからはっと振り返る。まるで自分の肉体の影に溶けたように消失し、突然背後へ湧いて出たように見えたことだろう。
「私はもう行く。ギルドの人間を待たせているから」
「ま、待て!」
「待たない。でも来たいならどうぞ」
表情に乏しい顔へ明確な侮蔑の微笑みを浮かべてみせ、俺は『獣歩』で建物を伝って一気に屋上まで逃げる。眼下ではまだ何か吠え立てているようだが関係ない。俺はブルーアイリス寮へ急ぐのだった。
~❖~
「で、煽り倒してきましたと。アクセラちゃんさあ……」
一時間後、小闘技場にて事の成り行きを説明した俺は焦げ跡の残る石のリングの上で正座させられていた。額に青筋を浮かべたエレナの命令で。
「どうして復学してからこっち、週に一回は決闘騒ぎ起こしてるのかな?毎回毎回、申請書を書くわたしの身にもなってくれる?あとヴィア先生たちも暇じゃないんだからね?」
「あー……あはは、まあ元気があるのはいいことですよね」
ミニマム小柄なうちの担任がちょっと疲れた様子で微笑む。ちょっと申し訳ない。
「全然いいわよ。むしろアクセラさんは呆れるくらい強いから見てて楽しいわ!」
大口を開けてワッハッハと笑うフローネ先生、戦闘学の先生でヴィア先生の学生時代の先輩だそうだ。大雑把で快活、なんというかレイルっぽいタイプ。
「……」
二人に対してコンスタンの担任は面白くなさそうな顔をして観客席に座っていた。俺たちが客と合流してここに到着するや否や、彼はコンスタンからの決闘の申込みを携えてやってきたのだ。
しかしまあ、凄い不機嫌面だな。
分からなくはない。これまで俺を巡る決闘騒ぎになったのはCクラス以下の生徒だったのに、ここにきて学院の最優たる3-Aが巻き込まれた。俺に思うところがあるというよりはコンスタンに対して、何を馬鹿なことにうつつを抜かしているのかと苛立っているのだろう。いくら学院の中のことは学外に持ち出さない不文律があるとはいえ、三年生の冬であまり派手にやらかすと以降の人生に影響しかねないから。
「先生たちは甘いです!」
「まあまあ、エレナくん。よいのではないかね。喧嘩は冒険者の華、私もむしろ楽しませてもらうとしよう」
大変に怒り心頭でいらっしゃるエレナを燕尾服に身を包んだ老人が止めてくれる。俺としてもまさかあれだけ圧をかけられて直後に突撃してくるとは思わなかっただけに、恐縮するばかりだ。熱さが喉元すぎて記憶から無くなるまで数日はかかると思っていた。
「ありがと、マスター・フェネス。オンザも助かる」
「おう、構わんぜ」
三枚立てのモヒカン大男は凶悪なツラに微笑みを浮かべた。彼は基本的にマスター・フェネスがヨシと言えばヨシということなのだろう。冒険者には珍しい忠義者だ。ちなみにそんな彼はファーストコンタクトこそ女教師二人から山賊と間違われてしょげていたが、今は互いに委縮した様子もなく朗らかに雑談などしている。
オンザの会話力って異常に高いよな……先生たちが武闘派なせいもあるかもだけど。
「エレナも、すぐ終わらせるから」
ぷっくり膨らんだ頬っぺたを立ち上がってむにむにする。彼女が怒っているのは確かに書類仕事を丸投げしたことや先約の相手に迷惑をかけたこともあるだろうが、主に自分が知らないところで俺が路地裏に連れ込まれて口説かれていた点なのだ。
「ういやつめ」
モチモチの頬をむにってからハニーブロンドを優しく梳いてやる。人前であんまり髪の毛を掻きまわすのはよくないしな。
「むぅ!どういう目線で言ってるの、それ!」
怒ってますよアピールが大変可愛らしい。オンザとギルマスと先生の視線が生暖かいことに耐えさえすればこれも楽しいひと時だ。胸の内でチクチクしていた感情がお茶に投げ入れた角砂糖のように溶けてしまう。
「ああ、だが一点気を付けたまえよ」
ふとマスター・フェネスがリングの反対側へ視線を向けて言う。
「どうやらお相手は相当に怒り狂っているようだ」
その視線の先を見れば、そこには魔鉄に金の装飾を施した全身鎧を纏ったコンスタンの姿が。左手に巨大なカイトシールド、右手に俺の頭ほどもあるメイス、メットのフェイスガードは上げているのでギラギラと光る瞳がここからでもよく見えた。
「負けるとは微塵も思っていないが、オンザとの連戦になることは忘れないで欲しい。あくまで今日のメインイベントはBランク昇格試験だからね。そのためにわざわざ学院まで足を運んだのだ」
そう、今日はBランク昇格試験なのだ。原則として学外に出られない俺たちのためにギルマスが態々お出ましくださっている状態。それなのに待たせるわ決闘を捻じ込むわ、本当に申し訳ない。
なお、エレナの方はリングに焦げ目がついていることから察しがつくようにもう終わっている。試験官はなんとマスター・フェネスその人。マザー・ドウィエラと同じで戦えるクチだったらしい。
「アクセラちゃん、手早くね」
「ん、もちろん」
最後に一回エレナの髪を軽く撫でてから俺は振り向く。外野は審判のフローネ先生以外、コンスタンの担任がいる観客席まで移動。その後、闘技場の結界が張り巡らされた。これでよほど絶叫しないかぎり外に声は届かない。
「来てやったぞ、アクセラ=ラナ=オルクス!」
「ん、どうも。来ていらなかったけど。で、可愛い顔の見納めは済んだ?」
「キサマァ……俺が勝った後はッ」
コンスタンの顔が怒りと屈辱に歪む。しかし俺はその口上を手で遮った。
「結婚の話をちょっとだけ考えてあげる。私が勝てば貸一つにしてもらおうかな」
我ながらとても優しい条件だ。俺はエレナの可愛い嫉妬が見れて少し気分がいい。
「ふ、府抜けたツラを!今に見ていろ!?お前を絶対に屈服させて、泣いて許しを請うまで教育してやる!」
こんなので大丈夫か、魔導騎士団副団長の倅。思っていた以上に嗜虐性癖が強いぞ。
そんな他人事な感想を抱きつつ自分の装備を整える。刀も鎧もまだ届いていないので両刃剣と簡素な鉄のライトアーマーだ。見た目は駆け出し冒険者のごとしだが、最近すっかり贔屓にしているグスタフ親方の黒釜工房製。弟子のダンカンの数打ちだが品質はいい。
「ルールは攻撃魔法以外全てありよ。命を奪うような攻撃は禁止とし、危険だと思った場合は止めに入るわ。いいわね!」
リングの端からフローネ先生が叫び、俺たちは揃って頷く。
「では始め!」
先生の号令を受けて俺は剣を鞘から引き抜いた。シンプルな鋼色の十字剣を左下段に下げて相手の出方を見る。
「見ろ、我がスキルを!『騎士』内包スキル『大盾術』グレートウォール!!」
開幕一番、カイトシールドの先端をリングに突き立てて固定したコンスタンは大声でスキル名を叫ぶ。神秘的な陰りを帯びた魔鉄製の大盾は赤く輝き、横幅にして1.5倍の光のシールドがその表面に生まれた。『騎士』系スキル同士なら左右で連結させ、長大な防壁を生み出せるという基本の技だ。叫ぶこと自体に意味があるかは知らないが。
「見るがいい、この勇壮にして清廉なスキルの光を!俺のグレートウォールは一年どもの薄っぺらい盾とは違う、たとえ闘牛型の魔物に突撃を喰らっても揺るぎすらしないだろう!お前のその数打ちのチャチな剣で貫けると思うか?」
そう豪語するだけあって中々厚みのあるグレートウォールだ。『大盾術』のレベルは5くらいだろうか。
でもマレシスが昔見せてくれたやつより薄い。あと盾を引き付けて構え過ぎだ。
「哀れなものだな、アクセラ!ナイフ一つ振り回せれば名乗れる冒険者と、厳しい訓練の果てにスキルを『騎士』のジョブまで昇華しなくては戸口にも立てない騎士!元来その強さの土台は雲泥の差……少し考えれば分かりそうな物だというのにな?」
馬鹿にしたように鼻を鳴らし、俺とエレナ、それから観客席にいる面白モヒカン男を見るコンスタン。確かに彼の言う通り、入り口のハードルでは圧倒的な差があるのも事実だ。しかしそのナイフ一本からAランクダンジョンを攻略するほどの猛者へ成長していくのも冒険者。実戦経験の密度で言えば騎士の方が低くなってしまう現実を彼は理解していない。
少し考えれば分かりそうなものだというのに、な。
「どうだ、格の違いが分かったか。今お前が謝ると言うのなら、俺はこれ以上の力を振るわずに済むのだがなぁ?」
ねっとりとした笑みだ。気持ち悪い。
「分かっているのだぞ、お前のスキルが人に見せられない類のものであることは」
「?」
「だからこそ頑なにスキルの力を否定する。そして一人で戦いたがる」
ああ、そう言う解釈をしたのか。
核心を突いたように朗々と見当違いを語るコンスタンに俺は一人納得した。彼の父は魔導騎士団の副団長、当然俺が王宮に協力して作成された調書全てに目を通せる立場にある。ハイデアス子爵は勲二等という名目ではなくそっちを読んで粉をかけるようコンスタンに命じたのではないか。
で、息子の方はそれを誇張の入ったものと思っているわけだ。
「おい、剣を下げろ。それともまだやろうと言うのか?分からん女だ!」
うん、明らかに俺の実力を侮っているな。
そろそろ後がつかえていることだしカタを付けることにしよう。視界の端でマスター・フェネスがちらりと時計の魔道具を見ていたことだし、コイツ全然攻撃してこないし。
「お前は確かに素晴らしい戦功を上げているが、それはいずれも知能の足りない魔獣や文弱の反乱侯爵相手のこと。魔物ごとき、この俺も数知れず屠ってきている!それでもなお、俺のような本物の騎士と打ち合えるなどと驕っているなら」
斬。
「その思い上りをこのメイスで打ち砕いてやろう!いいか、俺の鎧もメイスもバメル工房の最高級魔鉄製だ。お前の安物の鎧など一撃で砕け、その貧相な体にも無残な傷が刻まれることになるのだ!まあ、それはそれで面白い趣向かもしれんが……その時お前はどうやって俺に懇願するのか、今から見ものだな!!」
長広舌を打ち続ける騎士様だが、闘技場の空気はもう変わっている。鈍い男だ。
「さて、そろそろ上級生としてお前を教育して」
「いつまで喋ってるの?」
「……お前が降参するまでの短い間だ。これから従う相手のことをよく知っておいた方がお前も」
「降参するまで?永遠に喋るつもり?」
気持ちのいい演説を遮られて青筋を浮かべるセンパイは、更に重ねられる暴言にまた顔を赤くする。しかし俺は構うことなく空いた手で指さして訊ねた。
「光、消えてるけど。気付いてる?」
「……?」
赤い顔に疑問が浮かぶ。
「……!?」
すぐにそれは驚愕に変わった。グレートウォールの青い輝きはいつの間にか消えていた。
「な、なにをした!これは……もしや幻術系のスキルか!?」
喋りに夢中になってそんなことも気づかないとは、阿呆の極みだ。そんなことで一体何の魔物を数知れず屠って来たのだろう。Eランクのアンブラスタハウンドか?
「姑息な手を!だが我が不屈の盾は何度でも蘇る、グレートウォール!!」
雄叫びをもう一度。しかし青い光は欠片も灯らなかった。
頭に血が上って気付いていないのだとしたら、コイツ戦場に出た瞬間に死ぬぞ。死んだことにも気付かないまま。
「盾、見てみれば?」
俺の親切な指摘にギョッとしてコンスタンは体に引き付けて持っていた盾を離した。
「ヒュ……ッ」
変な声が彼の喉から漏れた。足元から胸元まであった巨大な盾は、上から三割ほどのところ、ちょうど家紋らしき黄金の象嵌のど真ん中で綺麗な断面を見せている。下の七割は豪奢な鉄板と化してリングに刺さっていた。
「なっ!?ど、どうやって、そんな、我がハイデアス家の由緒ある家紋が、何故だ!?何がどうなって……!そ、そうか、客席の冒険者……あいつに何かさせたのだな!」
「?」
よく分からない結論に至ったものだ。
「お前はスキルを使うどころか一歩も動いていないではないか!それがなぜ俺の盾を、このハイデアス家の盾を壊せるというのだ!」
フルプレートに身を包んであんな巨大な盾を引き付けていたら、全体が見えないのは当たり前だ。半分以上を失って重さの変化に気づかなかったのは筋力の強化スキルをかけているせいか、あるいは嗜虐の興奮に狂っていたか。どちらにせよ俺のせいではない。
「スキルは使ってない。一歩も動いてない」
ため息交じりに馬鹿真面目な答えをくれてやる。
「でも腕は振った」
「……は?」
コンスタンの顔が面白い表情になった。
「魔力刃を伸ばして、そこまで切った」
「……馬鹿な」
「ん、ゆっくりやる」
唖然とする甲冑男の前で魔力を腕と足腰へ流す。手足から放電するように聖刻のスパークが弾け、烈紫刃の輝きが下段の剣を彩る。
「そ、それがお前のスキルか!」
「違う」
下段から腕の力だけで剣をゆっくり上に振り抜く瞬間、烈紫刃に魔力を注ぎ足す。音もなく伸びた魔力刃は斬撃の軌道に沿ってカイトシールドの右半分を容易く切断。上段に至る頃には輝きは消え、再び下段まで下げれば元通り。ガランと音を立ててシールドの断片はリングを打った。
「お、俺の盾が、そんな、簡単に……」
「今のは魔力を使った技術。あれを素早くやるだけ」
「ば、馬鹿にしているのか!素早く!?見えない速度で!?不可能だ!!」
「ふっ」
斬。
ガラン。
「ヒッ」
カイトシールドの左半分が落ちる。コンスタンの手にはシールドの握り手とその部分の鉄板だけが残った。まるで漆喰職人の小手だ。俺は頭上に掲げた剣をこれ見よがしに振って見せる。ほら、見えたかい?とばかりに。
「じゃあ、終わらせようか」
一歩前に踏み出す。コンスタンが一歩後退った。
「ま、待て!お前、俺を、そんな物で攻撃、攻撃されたらっ」
「死ぬ、ね。降参すればいい」
「降参などできるわけないだろう!?」
足が震えて鎧をガチャガチャ言わせているくせに、降参という言葉を聞くと彼は左官小手を投げ捨てて叫び返して来た。
「こ、これだけの耳目の前で、ハイデアスの名を汚すような真似ができるわけないだろう!俺は栄えある魔導騎士団副団長の嫡子だぞ!?そんな、そんなことを知られれば、俺はお仕舞だ……そ、そうだ、ここは勝ちを譲れ、いや、譲ってくれ!そうすれば俺はお前になんだって便宜を図ってやろう!」
また頭の高い面倒事を言いだしたものだ。
ただなぁ、ここで叩き潰したところでなんのメリットもないし……。
「んー、書面にしてくれるなら」
「書面!?か、形に残せと言うのか!」
目を剥くコンスタンに俺は頷く。
「私もギルマスが見てる。勝ちを譲って、事情を説明するなと言われると困る。それなりの報酬は貰わないと」
「ぐ……ならば条件を変えよう!お前には弟がいるのだろう?その弟のために色々と協力してやれる!俺が声をかければ二年や一年でも動く奴は大勢いる!俺が卒業してからも、お前の弟はそれで安泰だ!お前が学院を空けている時だって、誰もオルクスだからと絡んだりしない!どうだ!?」
「それはいいかも。でも、書面は必須。口約束は信用できない」
「書面に残すことはできない!分からんのか、その書面があることがどれほどのリスクかということを!!俺は由緒ある子爵家の嫡男だぞ、信用ならばそれで十分だろう!?」
俺は視線を審判のフローネ先生に向ける。彼女は凄まじく微妙な顔をしながらもなにも言わない。特にルールで禁止されているわけでもないし、わざわざ聞こえていないであろう観客席にも分かるように仲裁することではないと思っているのだろう。
「先生は聞いてるけど?」
「学院の一教師など我がハイデアス家の権勢で黙らせればいいことだ!」
あ、先生の額に青筋が。
「何をキョロキョロしている!お前の大事な弟を保護してやると言っているのだ!お前の大切なものだろう!黙って頷けばいいんだ、それで全て解決する!!」
そして、勢い余った男はそれを口にしてしまった。
「それとも逆がいいのか!お前の留守中、弟がどうなってもいいと言うのか!?俺が逆の命令を出せばっ、お前の弟の学院生活が惨めなものに」
「抜かせ、クソガキ」
「なるんだずっヴぱ……ッ」
全身に流し込んだ魔力で紫とべっ甲色のスパークを箒星の尾のように瞬かせながら、俺は踏み込み一つでコンスタンの胸へ飛び込んだ。靴底から。まだ何か言っていた男の口から音が飛び散る。全力の踏み込みから決めたドロップキック。新調した冒険者用の金属補強入りブーツの紐が弾け、コンスタンの金属鎧の威圧的で豪奢なカーブが反転し、後ろへ急発進した彼の体から小気味のいい音が一斉に聞こえた。小枝を纏めて折ったような、小気味のいい音が。
「ふっ」
着地の瞬間、もう一度踏み込む。肉の魔弾のように飛び去るコンスタンに追いついた俺はそのネックガードを掴み、石畳をベタ踏みして減速。推進力を回転運動で操り、体を引き戻し、大きく弧を描いて逆方向へ叩き下ろした。
「ヴぁぎょッ!!」
コンスタンが突き立った場所から強化魔法の施された床板が放射状にひび割れる。一拍の後に倒立状態から倒れた男のヘルメットは、頭頂部が平らになってまるでバケツのようだ。中の顔は急激な後ろへの加速で目が零れ落ちそうなくらい飛び出し、二度目の衝撃で鼻血を吹き出していた。
「アクセラさん!?」
ようやくフローネ先生の静止が飛ぶ。俺はそれを無視して剣を振った。軽い音がしてメイスが二つになる。
「げほ、げほげひゅッ、や、やめ、ひ、やめへ……ッ」
頭鎧の額に爪先を乗せて力をかける。上げられていたフェイスガードがひしゃげ、その縁が顔に突き刺さった。
「痛ぅうう!?」
絶叫する男の頭を踏んだまま俺は腰を折り、その目を真鍮色に染まった神眼で見下ろしながら囁く。
「俺の弟に指一本触れようとしてみろ、お前のイチモツを縦に十回刻んでやる」
「ひ、ひぃいい!ああ、ば、化け、バケモノ!ひぃ、ひひゅ、あ、ああああ!!」
神眼を間近で見た圧力からか半狂乱になるコンスタン。俺はそっと足をどけた。
「先生、私の勝ちでいい?」
駆け寄って来たフローネ先生にそう訊ねる。彼女は緩急についていけないといった顔になり、さっと床に臥せった男を見て息があることを確かめ、数度頷いてから声を張り上げた。
「勝者、アクセラ!」
それを聞いて胸部と額が俺の小さなブーツの靴底形に陥没した鎧の中で、コンスタンは血と鼻水と涙でドロドロの顔をわずかに安堵させた。
バン!
「……ッ!!」
一瞬の隙をついて頭の真横を踏み鳴らしてやった。コンスタンの目がゆっくりと裏返り、激しい水音とともにむっと嫌な臭いが立ち込める。
「ちょっと、アクセラさん!」
「攻撃はしてない。ちょっと勝利の足踏みをしただけ」
「聞いたことないわよそんな習慣!」
呆れたような、咎めるような目で俺を見るフローネ先生だが、これくらいは仕方ない。舐めた真似をすれば醜態を晒すことになると、この悪い頭に叩き込んでやらなくては。
「やってくれたわね」
じょばじょばと言う音を聞きながら先生が顔を歪めた。
「フローネ先生、いいことに目を向けましょう」
「あるかしらねぇ!?この状況にいい事、あるかしらねぇ!?後始末が目白押しよぉ!そもそも、最後のコイツのアレ!決闘の場での家族への恫喝なんてこの貴族の学院が許すと思う!?連絡とか処罰とか色々大変すぎるわよ!!」
「それは私のせいじゃない。あと八百長はスルーした」
「事前に八百長を組むのはさすがに禁止よ!でも高位貴族に勝ちを譲って安心を得たい子だっているもの、結果の調整くらいは逃げ道として容認してるの!」
なるほど。
「数日は座敷牢ね……貴女も調書確定だから、そこは承知しておいて。うぅ、運びたくない。警備呼ぼうかしら……」
その後、激怒する3-Aの担任と殺したんじゃないかと焦っていたヴィア先生に説明をして納得してもらい、警備担当を待ち、コンスタンを運び出し、リングを清掃してもらい、ようやくBランク試験を受けるまでに二時間かかった。
~❖~
「そこまで!」
すっかり日の落ちてしまった頃、マスター・フェネスの号令で俺とオンザは距離を取って武器を下げた。
「ふぅ、はー……ふぅ、はー……」
「ぜぇ、ぜぇ、ふぅ、ぜぇ、はぁ」
闘技場に二人の息だけが聞こえる時間が数秒続いた。
「アクセラくん、お見事だ。Aランクを除いてオンザをここまで追い込んだのは君が初めてではないかな?オンザも久々によい戦いができただろう」
「ん、どうも」
「は、はは……悪い冗談はよしてくだせえよ、ギルマス。あっちは軽く息が上がった程度、こっちは酸欠一歩手前、負ける前に止めてくださっただけの話でさ」
巨大な鉄鞭、いわゆる鞭ではなく硬鞭という刃の付いていない鉄板のような打撃武器だが、それを支えになんとか立ったまま答えるオンザ。彼は革とミスリル銀の鎧に身を包み、頭には特徴的な三列のモヒカンをそのまま通せる穴の開いた特注のメットを被った珍妙な姿。だがさすがに歴戦だけあってそれでも貫禄というものが漂っていた。
「ん、でもオンザは強かった」
事情があってBランクに留まっているのだろうか。明らかに個人の戦闘力は俺たちを教導してくれた「夜明けの風」リーダーの戦士ガックスより上だ。
「それで得意な武器じゃねえって言うんだから、どうなってやがんだほんと」
悪態をつきながらさっぱりとした笑みを浮かべ、オンザはベルトからポーションを出して飲んだ。大男の感想が途切れたのを見計らってエレナがタオルと手袋を持って来てくれる。魔法で水を出してもらってからざっと腕と顔を拭き、肘まである黒い長手袋を左手に纏う。
「マスター・フェネス、Bランク昇格は大丈夫そう?」
「もちろんだとも。あとは知識の試験だが冒険者にそこまで高い教養は求められない。学院から太鼓判を貰えればそれでお仕舞だろうて」
学院は貴族の為の高等教育機関だからな。たとえ定期テストで十五点をとっても外の世界では……いや十五点はさすがに馬鹿扱いだな。
「ん。お願い、ヴィア先生」
「先生、わたしの分もお願いします!」
「わかりました」
ヴィア先生は微笑みを浮かべて頷いてくれた。
「残る魔物や薬草、ダンジョンについての専門知識については学院出張所で受けられるよう手配しておくとしよう」
俺たちと同郷のカレムが試験官になるのはどうなのかと思わなくもないが、ギルマス自身が問題にしていないのならいいのだろうか。
「そうだ、それからなにやら要請を出していたね。暫定ダンジョンへの訓練目的での侵入許可願いだったか」
思いのほかオンザとの戦闘が長引いてしまったこともあり、ギルマスは話しながらも帰り支度を手早くしながらそう言った。
「ん、レイル=ベル=フォートリンからの教導依頼の一環」
「あとシネンシス殿下からも頼まれてます」
俺たちの返答に彼は数度頷いた。
「なるほど、対アンデッド戦の教導というわけかね。たしかに得難い経験だろう」
仕立てのいいコートを羽織り、手にステッキ、肩にマフラー、そして最後に中折れ帽をかぶって完璧な冬の紳士の出来上がりだ。
「よかろう、私の方で許可しておく。ただし必ず入る前と後で下ギルドの受付か学院出張所にて報告を行うように」
あっさりと暫定ダンジョンでの活動に承諾し、そのまま老人は颯爽と熊男を連れて帰っていった。そうして妙に長い放課後の戦いはようやく幕を下ろしたのであった。
~予告~
灰狼の魔獣と戦った日から六年。
ついに「雪花兎」は次のステージへ。
次回、Bランク




