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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十一章 祝福の編
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十一章 第6話 遠征企画のその後

 その日、授業が終わると俺、エレナ、レイル、アベルはネンスと連れ立ってブルーバード寮の応接室へと向かった。わざわざAクラスの教室まで俺を尋ねてきた上級生が三人ほどいたが、これは俺が復学してからよくある光景だ。王子殿下をダシに全てお引き取り願う。

 便利だなぁ、ネンス。


「お前、今何を考えている?」


「ネンス、便利だなって」


 応接室の椅子に腰を落とし、使用人が人数分の飲み物を配って出て行くと早々に鋭い視線を飛ばしてくるネンス。率直に答えながら俺は黒いレースの長手袋に覆われた左手でレモネードに口をつけた。さすがに爽やかな香りが寒々しく感じられる時期になってきたな、と思いながら。


「私は王子だぞ、便利使いするな」


 気分を害したように唇を尖らせるが、彼が本心では一種の申し訳なさを感じていることを俺は知っている。遠征企画での戦功に惹かれて今まで顔も見たことのない上級生がこぞって俺やエレナとの縁を結ぼうとしてくるのだが……彼はそれを自らの責任のように感じているのだ。

 馬鹿だね。トワリは端から俺狙いだったし、戦功を表彰したのは国の決定だ。こっちも損ばっかりじゃなかったしね。


「でも実際、ここしばらくは毎日大変そうですね」


 アベルが苦笑する。勲一等のエレナと勲二等の俺だというのに、上級生はこぞって俺の方に粉をかけてくるからだ。それは俺が落としやすい相手だと思われているからに他ならない。貴族なら少し調べただけで俺と父が仲良しこよしとは言えないことくらい分かるし、オルクスに不満があるなら引き抜きは容易いと思われていることだろう。対してエレナは俺の侍女であり乳兄弟、俺から切り離して取り込むのは難しい。それも俺さえなんとかすれば付いて来る可能性大と捉えれば、二重三重にまず攻略すべきが誰かは明白だ。


「へぇ。で、どういう話が多いんだ?」


「……」


「痛っ!!おま、蹴るなよ!?」


 レイルがいらんことを聞くので思わず足が出た。


「な、なんでだよ!?Bランクになるんだぞ、幾らで釣ろうとしてるのかは知りてーじゃねえか!ただでさえ専属契約っていやあ、冒険者にとって一つ落ち着く先だろ!?」


「レイル……お前はなんというか、いや、馬鹿だとは思っていたが」


「レイル、殿下の護衛依頼を受けている冒険者に横から専属契約を持ってくる貴族なんていませんよ。少しは考えましょうよ……」


 その通り。俺は政治から遠く権力も失ったオルクス家の人間で、かつ家との繋がりが極めて希薄だとすぐに分かる立場だからこそネンスの護衛をしていても話が軽くて済むのだ。これが野心溢れる新興派閥にでも引き抜かれて見ろ、一気にきな臭くなってくる。


「ああ、そういうことか。けどよ、それだったら引き抜きって」


「婚姻」


「……」


「……」


「……」


 能天気な馬鹿が首を傾げれば、その質問にかぶせるようにエレナが応える。冷たくドライな声で端的に。俺もネンスもアベルも背筋に伝った寒気に口を閉じる。

 レイル?馬鹿は見捨てた。


「こ、婚姻?」


 物心ついた頃から婚約者のいる身のくせに、婚姻というワードに驚いたような顔をする元凶にして貧乏クジ男。いや、小さい頃からマリアという婚約者がいたせいで逆に馴染がないのか、政略結婚に。一応彼も幼少期にマリアの素っ裸を見てしまったという一種政治的な理由で婚約に至った経緯があるはずだが……。


「あれか、最近ちょくちょくやってる決闘騒ぎ!」


 そう、それだ。断った相手が逆切れして決闘を申し込んでくる事態が時折発生している。


「アベル」


 俺は手早く黙らせるために昔ながらのレイル始末係を短く呼んだ。


「あー、その、レイル。求婚しておいて断られ、逆上して決闘を申し込むなんて貴族の風上にも置けない連中ですが、それでもそこそこに家柄がある人達です。あんまりこの話題を出すとアクセラさんが吹聴したと勘違いされかねませんし、気分を害した彼らから必要以上のちょっかいを出されるのも鬱陶しいですからね。ここはオチがついてアクセラさんが面白おかしく話してくれるまで待つのが友人の度量というものですよ」


「……アベル」


 物凄く早口でそんなことを言いだすレイル係。

 おい、面白おかしくなんて語れないぞ……。


「え、あぁ、まあ困ってるわけじゃねえならいいんだけどよ……」


 当のレイルは貴族らしい面倒くさい香りのするあれやこれやを捲し立てられてなんだか狐に化かされたような顔になっている。だがまあ、最後に残るのが心配というあたり、彼の優しさがよく出ている。愛すべき馬鹿だ。


「……ネンスくん、早く本題に入らない?」


「あ、ああ。そうだな」


 冷たさの中に確かな苛立ちを感じさせる彼女の提案にネンスはさっと乗っかった。


「今日集まってもらったのは前々から伝えていた通り、トワリの反乱についての戦後処理がかなり固まってきたからだ。かなりの影響が出ているが……」


 その内容にまだ微妙な顔をしていたレイルを含め俺たちはそろって姿勢を正した。基本的に外界と隔絶している学院にあっても後始末の話はある程度耳に入ってくる。それほどまでに貴族社会に走った激震は凄まじかった。だがこうして確実なルートから得られる情報は大切だ。色々と尾ひれ背びれがついているからな、噂話は。


「当然と言えば当然ですがね。なにせトワリ家はここ数年社交界に現れていなかったとはいえ、建国以来続く領地持ちの大侯爵。血統、領地、物流に軍事とトワリ家がなくなることで生じる影響が小さいはずありません」


「アベルの言う通りだ。その領地だが、暫定的にザムロ公爵が代官を置いて治めることになる。税収に関して等色々な話があるが……その辺りは割愛するとしよう」


「ん、そうして」


 細々とした政治の処理まで聞いても仕方がない。


「ただし物価や治安はやや不安定になるだろうな。あそこは食料生産の多い方ではなかったが、救援物資で需要が増すのは必至だ。かなりの犠牲者が出ただけに他領へ移りたいという民も多い」


 あれほどの惨劇だ、地元民からすれば土地そのものに忌まわしい思いが付きまとってしまうのだろう。


「どこまで受け入れるかは周辺の領主とザムロ家で調整していくことになるが、下手をすれば盗賊が増えることになる」


 重苦しいため息がこぼれた。領主の乱心で故郷を失った民が食い詰めて盗賊になり、近隣の貴族の手で討たれる。民に言わせれば貴族の失態だが、貴族に言わせれば隣領の領主の所業など知るところではない。また自領の民を守ることも大切な仕事だ。


「更に北方の不安定化が懸念されている。元から政治力も軍事力もない保身ばかりの連中だ、そこへ難民と化したトワリ領の民が流れ込めばややこしい事になるだろう」


「親愛なる隣国はどうなんですか?」


「北のか?今のところは一切のアクションがない。我々が弱ってなどいないことを示す目的で騎士団の視察を北方へ差し向けたそうだから、しばらくは大丈夫だろう」


「うちの親父だな。先々週から出かけてる。睨みを利かせに行ってるってのは聞いてねえけど」


 鬼首の異名をとるフォートリン伯爵を送ったのか。それは相手も最大限の警戒をしてくれること間違いなしだ。


「まあ、この辺りは我々が憂いても仕方ない。残念ながらと言うべきか、ありがたい事にと言うべきかは微妙なところだがな。さて、国内の話を続けよう。各々の実家にも通達が回っているかと思うが、「昏き太陽」を名乗る異経典信者(セクト)の捜査はそこそこ順調に進んでいる」


 悪魔が封入された短剣を売りさばき、魔獣を派遣し、マレシスの死とトワリの反乱という二つの事件に裏から関与していた邪教の一種「昏き太陽」。トワリからその存在を教えられた俺は包み隠さず王家に報告したのだが、その情報は貴族たちへの通達として直ちに王宮から発布された。協力の禁止を厳命し、情報の提供を呼びかけ、可能なら捕縛を依頼するという内容で。


「やはり結構な家がそうとは知らず金輪屋(こんりんや)を名乗る「昏き太陽」所属の商人と付き合いを持っていたようだ」


 積極的に協力すれば温情のある判断が下されると王宮は行動をもって示している。その甲斐あって名乗り出る者は少なくないそうだ。そうかもしれないがハッキリとは分からない、といった相談も多いのだとか。


「中には到底許し得ない者もいるがな」


 名乗り出てくる連中の多くは領地にある神聖ディストハイム帝国時代の遺跡の調査や中身の入手を条件に、入手困難な物品や禁止されている魔道具などを買っていた。しかし一部には領民を売り渡していた痕跡がある者や、暗殺の依頼をしていた者もいたという。さすがにそういう連中のほとんどは自首してきたわけではなく、捜査や密告で見つかった類だが。


「想定以上に広く食い込まれていたのは頭の痛い話だが、トワリほど腐っていたケースはまだない。そこは不幸中の幸いだな」


「本当に不幸中の、ですけどね」


 アベルが深く嘆息する。情報を扱うことで大貴族の地位を確立してきた彼のトライラント伯爵家としては、金輪屋との取引の全貌やその危険性について把握していなかったという事実は痛い。独自の暗部を持ってはいるものの諜報についてトライラントを頼っているらしい王家としても由々しき事態だ。気付きもしないうちに背中を蛆に食い破られていたような話だからな。想像するだけで反吐が出る。


「続いてもう一つの秘密組織、「琥珀の歯車」についてだが……こちらは難しいな」


 湖楽を始めとする禁止薬物の製造販売を手掛けていた連中だな。おそらく俺とエレナ、レイルが戦った異様な盗賊「燃える斧」の裏にいたオネエの魔法使いもその一味だ。


「情報がないの?」


 エレナの問いかけにネンスは首を振る。


「名前を辿って一つの情報は出てきた。ジントハイム公国に存在する組織ではないか、ということだが」


 ジントハイムは南方の国境を接する我らが物騒な隣人であり、長年どことも国交を持っていない鎖国状態の国家だ。エクセルの盟友の娘が広めたもう一つの技術体系を信奉している、俺と因縁のある土地でもある。


「アクセラを通じて得られた情報でも南方の訛りがあるとあったな?」


 盗賊の裏にいた魔法使いたちは確かに南のアクセントを持っていた。そう報告したのは他ならぬ俺だ。ユーレントハイムの上流階級に生まれて外に出たことのない彼らと比べ、俺は前世を通じて世界中を旅した経験がある。確証としては七割といったところか。それでも俺は首を振って見せた。


「本当に訛ってるのかは分からないけど」


「そこだ」


 ツイっとネンスはグラスの縁をなぞる。


「どこだよ」


「レイルは少しくらい頭を鍛えたらどうだ……はぁ」


 頭痛を堪えるように眉間を抑えるネンス。彼は視線をレイルに合わせて言葉を補いつつその先を説明した。


「いいか。我々が得た情報でも、本当にジントハイムの組織なのか確証が得られなかった。そう言った名前の組織があるらしい、というところまでだ。つまり本当はないかもしれない。あるいは騙っているだけで実態は別の組織かもしれない。そう考えた場合、訛りがあるというのは別の国や国内の組織による偽装工作という可能性も考えられる」


「関係ねえだろ。また出て来たらそれがどこの誰だろうがぶっ潰す。ユーレントハイムの人間を危険に晒すなら国籍も目的も関係なしだ!」


 まあ、そういう考え方もある。

 などと俺が納得しているとネンスに鋭い視線を向けられた。


「お前は一兵卒ではない、上位の騎士を目指す人間だ。そこのソレと同じ能天気さでいてもらっては困るからな」


 そこのソレこと俺はレイルと互いに見合って、バツが悪くなり視線を逸らした。


「まあまあ、残りの二年ちょっとで学べばいいんですよ。それに根本の対策はおいておいて、実際の気構えとしては間違っていないと思います。なにせ情報がありませんからね、あの国。南の訛りがあるからジントハイムの組織だ、と決めつけるのは実際危険でしょうし」


「もし本当は北方の組織とかだったら……混乱して対応が遅れるよね」


「ん、そういうこと」


 はからずもネンスの理屈に従ったところレイルの言い分が正しいという。王子は苦い顔をしてグラスの中身を干した。


「はあ、まあいいだろう。次が最後だ。これは完全な国外の話になるが、ガイラテイン聖王国から捜査協力の打診があった」


 マレシスの死、メルケ先生の異端落ち、そしてトワリの反乱。立て続けに発生した悪魔・悪神がらみの事件を創世教会の総本山は重く受け止めたらしい。ロンドハイムでも例の短剣かは分からないが突如結界の内側に悪魔が現れる事件があったそうだし、本腰を入れて対応をするつもりなのだろう。


「具体的な派遣内容は?」


「それなりの数の聖騎士と神官の一団が派遣されてくる」


 調査に必須な神官だけでなく実行戦力たる聖騎士まで出してくるか。ネンスは先ほどそれを協力の打診と言ったが、実質拒否権などないことは明白だ。それを同じく察したのだろう、レイルが眉間に深いしわを寄せた。


「強制捜査ということになるのでしょうか?」


「いや、そこまでではない。基本的には聖王国も創世教会も他国の主権を尊重する組織体制だからな」


 視線を険しくするアベル。聖騎士を連れてくるということは独自に力を振るうつもりがあると思われても仕方あるまい。一方でネンスの言うことも一理ある。ガイラテインと創世教会は人類の盟主のような立場にあるが、基本的には強権を振りかざすことなくやんわりとバランサーの役割に徹してきた歴史がある。したがってそのあたりのデリケートな国内感情も弁えているだろう……というのが王子殿下と国の上層部の共通した認識らしい。


「レイル、騎士の家系としては腹が立つのも分かるが、来る前からそう敵視するのは止せ」


「敵視はしてねえよ」


「酷い渋面になっているぞ」


「気には食わねぇな」


「私もレイルに一票」


 腕を組んで不満をありありと匂わすレイル。その肩を俺が持つと口にすればネンスとアベルからは驚きの混じった視線が飛んできた。


「ガイラテインは人類の盟主にふさわしい、高潔で懐の深い国。でも悪神絡みになると強硬。もちろん必要だからそうしているのは分かる。ただ懸念材料は懸念材料」


 彼らが盟主として君臨するのは、善なる神々の代行者として悪神や悪魔、魔獣といった存在から人類を守護する役割を担っているからだ。というよりも逆か。人類守護のためにできるだけ強固な協力体制を敷くべく、各国に理解のあるよき盟主という立場をとってきたのだ。


「もう悪魔絡みの事件がないとは言えない。その時、聖騎士と神官がユーレントハイムに配慮してくれるとは思えない」


 そうした事態になれば彼らは躊躇いなく独断専行し、その聖なる刃を存分に振るうだろう。


「まあ、被害度外視なんて言わないだけマシではあるけどね」


 エレナの言葉に俺は頷く。人類の敵を倒すためには犠牲はつきものなのだ……とか言い出さない真っ当な「正義」である点はやはり疑う余地がない。国家レベルの視点を捨てれば悪い存在ではないのだ。少なくとも民は救われる。面子は潰れるが。


「だけどよ、それじゃあ舐められるだろ」


 レイルの端的な指摘もそのとおり。ガイラテインが弁えていなかったとして、直接的な害はない。だが独断専行を許した姿を見て諸外国はユーレントハイムを軽んじるだろう。そういうとき、自国ならどうだったかと考えてこちらの立場を汲んでくれる国は多くない。特にうちの場合、北はド馬鹿で南は秘密主義の鎖国野郎だ。絶対に足元を見られる。そうなれば外交軋轢が生まれ、経済にせよ武力にせよ衝突が生まれることになる。


「ま、まあ、もともと王都近郊にできた新しい暫定ダンジョンの確認もあったそうですし。そちらで派遣する予定だった神官に騎士を少し付けるだけだと思えばいいじゃないですか」


 どこに「少し聖騎士がついてくるだけ」の調査があるかという当然の問いは、分かっていて割って入ったアベルの意図を汲んで誰もが飲み込んだ。捜査協力がどこまでこちらの面目を立てたものになるかは率いてやってくる人物次第になるし、その後の手綱を握るのは国や騎士団のお歴々だ。ここでああだこうだと言い立てても仕方がない。


「そういえば「ハリクスの地下墓所」だっけか、どうなりそうなんだ?」


「調査次第だな、こればかりは。私個人としては亡者の洞窟など早々に浄化して閉じてもらいたいが」


 かつてユーレントハイム建国以前にこの地を収めていたハリクス辺境伯なる人物が弄び殺した女性たちの墓。それがCランク暫定ダンジョン「ハリクスの地下墓所」の原型だ。最奥には冥界神の祭壇を不死神のそれに作り替えたものがあり、俺たちが引きずり込まれたときには義憤から異端に落ちた不死王ことネクロリッチが居た。


「今出てきてるアンデッドって誰の何なんだ?ネクロリッチが召喚した残党とかか?」


「違うよ」


 赤い頭が傾けば、今度はエレナが説明役を買って出る。


「アンデッドがいると魔力や空間が歪むのは知ってる?」


「そりゃあな。冒険者になる前に勉強した」


 そうだった、そういうところはこの男、勉強が苦にならないんだった。


「高位のアンデッドがいたり、たくさん集まってたりすると場が不安定なまま固定されちゃうんだよね。しかもダンジョンはとんでもない量の魔力が溜まって散らなくなった場所でしょ?」


「あー……ダンジョン全体がアンデッドの生まれやすい変な魔力のまま固まるってことか」


 レイルは馬鹿だが地頭が悪いわけじゃない。すぐにその結論に至る。


「そうそう。死霊魔法がずっと働いてるようなものだから、死体がなくてもスケルトン系が湧いちゃうんだよね。もちろん死体があればもっと簡単に湧いてくるし、重症を負うと憑り殺されたりもするんだって」


 アンデッドが生まれ、場が狂い、さらに上位のアンデッドが生まれる。負の連鎖だ。それが管理できる範囲を逸脱していると今回の調査で判断されれば、聖属性の儀式魔法をバカスカ打ち込んで無理やり浄化することになる。


「暫定のうちに一度行こうぜ。アンデッド戦は経験しておきてーし」


「私は「深き底からの門」に行きたい」


 レイルの提案に頷きつつも俺は別のダンジョンの名前を出す。王都からしばらく行ったところにあるダンジョン「深き底からの門」は、名前以外にも俺たちの故郷ケイサルにあるAランクダンジョン「深き底への(きざはし)」と多くの共通点を持っているが、査定はCランクだ。そこまで高くない。そのくせ未踏破地区が多く、素材として旨味のある魔物も多い。


「なんだ、藪から棒に」


「ダンジョンの話をしていたから、お金を稼ぎたくなってきた」


「また出た、アクセラちゃんの金の亡者モード」


 エレナがげんなりした声でつぶやく。しかしその通り、前世がド貧乏だった俺はとかく手持ちがなくなると金策に奔走したくなるという悪癖があるのだ。たしか学院に入学してすぐのころにも一度発症したことがある。


「お前、反乱鎮圧の金は……そうか、装備の買い直しに使ったのか」


「ん。半分は領地に送ったけど」


 冒険者の武器防具は仕事道具だが、それが依頼で壊れても基本的には持ち出しになる。だから魔獣ヴェルナーキ戦でダメになった鎧や消費アイテム、鞄、ブーツにベルトは全て揃え直し。結構かかった。あと聖刻の実験に買ったナイフ類と魔石、クリスタルだな。それから自分の体に聖刻を施した時のとんでもない食料消費もデカかった。腹が減るんだ、あれをやると。とまあ、そんなわけでかなりの額をもらったにもかかわらず、手元に残した全体の半分にも及ぶ金はそれらの出費で消し飛んだ。


「いずれにせよガイラテインの客が到着するのは冬の舞踏会直前だ。あと一月はあるからな、行く機会くらいは作れるだろうさ」


「……冬の舞踏会」


 ぽつりとそのワードを俺は繰り返す。


「おう、そういえばアクセラ、お前引っ張りだこだけど誰と踊るか決め痛ってぇ!!」


 バカがいらぬ口を聞こうとしたので黙らせたが、エレナからは何とも言えない微笑みを向けられてしまった。


「アベルは?例の縁で踊る相手には困らないんじゃない?」


「勘弁してくださいよ……」


 辟易としたような、それでいてどこか照れたように額へ触れる少年。そこにはもう生々しさのなくなって久しい3cmほどの傷痕が残っている。森演習だった俺たちと違い、まず領都で過ごす予定だった彼は黒い騎士の軍団に追い立てられてジッタまで逃げたクチだが、そのときにできた傷だ。


「あー、痛かった……しかしアベルもさぁ、急転回する馬車の中で頭打ってリタイアってのは、ちょっと鍛えた方がいいんじゃねえか?」


「う……ぼ、僕は頭脳労働が仕事だからいいんですよ」


「それにしても限度があるだろ」


 呆れた様子で自分のグラスを呷るレイル。もう足はいいらしい。頑丈なことだ。当のアベルはというと、自分でも思う所があったのか首を縮めて口を尖らせていた。


「でもほら、同じ馬車の女の子を庇っての怪我でしょ?名誉の負傷だよね」


 エレナがさっとフォローを入れる。俺の言った例の件というのもそれだ。


「我こそは庇われた女子生徒だと言うご令嬢が、今何人だったかな?」


「殿下……ネンス君までからかわないでください。それと七人です」


 格好いいのか悪いのか判別のつかないアベルの負傷だが、どうも痛打の衝撃で馬車に同席していた女子生徒の顔と名前が思い出せないのだとか。班で分かれて出発したはずだが、どうやら何度か交流の目的で席替えをしていたらしい。しかもたまたま同席者はもう一人しかおらず、そのもう一人の女子は面白がってアベルに真実を教えてくれないのだとか。


「ヴィオレッタさんだったっけ?」


「ヴィオレッタ……ロイツ男爵令嬢か?」


 ネンスの知っている生徒だったらしい。アベルはというと、苦笑いのようなものを浮かべている。しかしそれはどこか楽しんでいるような印象も受ける表情だった。


「どんな娘?」


「ヴィオレッタ嬢自身はあまり知らないが、ロイツ男爵はザムロ公爵の領地で辣腕を振るっていた騎士団長の一人だな」


「公爵領で毎年やってる剣術大会でも五位以内常連だったらしいぜ。親父が引き抜きたかった、引き抜きたかったってぼやいてるうちの一人だな」


 フォートリン伯爵、そんなぼやきを家でこぼしているのか。


「過去形ってことはもう亡くなってる人なの?」


「そうですね。お父上もお母上も、ヴィオレッタさんがまだ本当に幼い頃に亡くなっているようです。それ以来、公爵閣下とも縁のあるキッケス子爵家で育てられたとか……調べたわけではなく、向こうが教えてくれた情報ですが」


 たしか貴族社会では死んだ友人の子供を育てるのは名誉な行いとされるはず。よそに引き取られたということは生家はもうないのだろうが、そういう事情でロイツの名を名乗れているわけだ。本人にとってそれがいいことかどうかは知らないが。


「キッケス子爵といえば東海岸の方だな」


「ええ、東海諸島との玄関口です。彼女自身、かなり東海諸島の訛りがあって性格もそれらしいカンジですよ」


 東海諸島は珍しい海産物や海棲魔物素材を主力にした海運業で成り立つ群島国家だ。前世も今も実際に接したことはないが、陽気で豪放磊落な民族だと聞く。それから訛りが独特で非常に喧しいとも。


「本当に東海諸島の人間を相手にしているカンジです……疲れますよ」


 やはりうんざりしているようには見えない口調。レイルのようなタイプをいつも相手にしているから耐性があるのか、意外とその陽気な東海諸島のノリが癖になっているのか。なんにしても、アベルは馬車のことで集まってくる女性に辟易としているようなので、ヴィオレッタ嬢からの情報収集が上手くいくことを祈るばかりだ。


「あ、そろそろ帰らないと」


 ひとしきり全員が納得して深く頷いたときだった。ふとエレナがそう言った。早苗色の視線は壁の小窓に向けられている。たしかに鮮やかなオレンジ色が少しずつ褪せ始めていた。


「そうだな。あまり遅くまで男子寮で留めるのもよくないだろう」


 ネンスが椅子の足を鳴らして立ち上がれば、俺たちも全員それに倣う。今年は物騒な話が多かったので日暮れまでに帰ることが推奨されているのだ。


「ん、一つ忘れる所だった」


「なんだ?」


 首を傾げるネンスに俺は小さな魔石を渡す。魔力を失って灰色になった、親指の先ほどのやつだ。光にかざすと内側に脈動する若紫があり、実は聖刻が施してある。


「テレクライオウルの魔石。通話の魔道具みたいに魔力を込めれば私に伝わる」


「何?それは凄いな……」


 聖刻の実験は全身の処理が終わっても続けているが、なぜか梟系の魔物の素材だけ俺に馴染んでいなくても聖刻できたのだ。金属も布も他の種類の魔石も駄目だったのに。これは離れた地点にいる仲間と魔力で交信するテレクライオウルの魔石を聖刻し、エレナに魔道具としての術式記述と調節を頼んだ物になる。


「頭が痛くなるから、必要なときだけ使って。あと学院の端から端くらいしか届かない。壊れたらエレナに言って」


「壊さないように言っておいてもらえないかな!?ネンスくんも、壊さないでね!」


「ははは、分かった。気を付けるとしよう。ではまた進展があれば報告する」


 そこで一度言葉を区切った彼は少し考えるような仕草見せてからこう言った。


「それとアクセラは暫定ダンジョンに行く許可を取っておいてくれ。必要なら教導依頼という形にしてもいい。私もアンデッドとの戦闘は経験しておきたいからな」


 遠征企画以来すっかり強くなることに対して具体的かつ積極的になった友人に、俺はニッと歯を見せて笑い返した。脳裏に浮かぶは冒険者ギルドの学院出張所に詰める旧知の事務官の顔。


「ん、カレムに相談してみる」


「頼む。あと牙を見せるな、怖い」


 率直なご意見に感謝を込めて頬をつねり上げておいた。


~予告~

路地裏に連れ込まれるアクセラ。

要件は……結婚の申込!?

次回、求婚のお断り

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