十一章 第4話 べっ甲色の輝き
「アクセラちゃーん、お使いしてきたよ!」
エレナが汗を浮かべて病室へ飛び込んでくる。満面の笑みに俺は小さく微笑み返して手椅子を示す。バタバタと走って来た彼女はまるで忠犬のようにそこへ座った。
「はい!」
冒険用の鞄から取り出したのは布の包。中身はナイフが数本だが、その見た目は……ぶっちゃけ汚かった。握りから刃先まで金属の線を焼き付けてあるのだ。刀身にも加熱による変色が見られる。
「親方さんすっごい渋ってたよ」
「だろうね」
鍛冶屋にしてみれば安物とはいえ完成したナイフに実用を無視した加工を施すというのは破壊活動以外の何物でもない。しかし魔道具の試作品を作るということはそういうことなので、手間賃に割増料金をそこそこ積んでやってもらった次第である。半年の付き合いでそこそこの上客としての地位を築いてきたからこその無茶だ。
「これでいけるね!」
「ん」
頷いて短剣を一つ握る。これは昨日の夕方エレナが思いついたことを試すための物だ。
「使ったのは?」
「オリバーさんの所で譲ってもらったやつだから、品質はすごくいいよ」
溶接されている金属線は大型魔法杖の表面に引かれている導線用の魔法金属だ。使用者の手と杖の芯材であるダンジョンクリスタルを繋ぐことで魔力の伝達を向上させる目的で用いられる。雷嵐の賢者たるレメナ爺さんが紹介してくれた杖職人オリバー=ナイン氏の材となれば伝達効率は抜群だろう。エレナのキュリオシティにも使われているから、俺も少し触れたことがある。
「ん、始めようか」
エレナが頷く。この実験は杖の導線でナイフを包み、均等に魔力を行きわたらせることで一気に聖刻を進めてしまおうというものである。上手く行けばいいが。
「3、2、1……っ!」
魔力を流し込む。神眼と魔眼が見つめる中、導線を紫の輝きが駆け抜けていく。聖巫装からの魔力刃を形成、それを内側に向けて魔力を封じるための器とする。ナイフの全体に美しい輝きが行きわたった。しばらくはこのまま魔力を籠めるだけだ。キャパが近づくまではガンガン流し込んでいいと分かったのは楽でいい。
「……ん」
内側に込められた魔力が一定に達する。例えば平らな布に横から力を加えた時、表面には歪な皺が寄る。まさにそれとそっくりな魔力の歪みがナイフの周囲へ現出し始めた。これまで通り、その歪みが弾ける前に押しつぶして均してしまう。
「!!」
瞬間、反響が生じた。それも複数の歪みを同時に叩き潰したことでいくつもの魔力が波となって複雑にぶつかり始めたのだ。
「そりゃそうだよね……」
エレナは一人納得の呟きを漏らしているが、俺はそれどころではない。流入経路を増やせば生じる歪みも波も反響も増える。そんなことは当たり前だ。しかしそれを全て計算して抑え込み、相殺していく作業は途方もない。池の縁で何羽も水鳥がバタバタやっているような波紋の狂騒なのだから。
「全力でやるっ」
柄を両手で握って額に当てる。目を閉じ、意識の全てを自分の魔力に向ける。それはまるで五月雨の湖にあって雨粒の弾ける様子を全て把握するような行為だ。しかし視界に頼れば脳が混乱して手に負えなくなるだろう。一気に魔力へ行きわたる俺の意識がそのまま未整理の情報を濁流のように返してくる。乱れそうになる意識を抑え、無数の歪みを瞬時に叩き潰し、波を強引に相殺していく。
「あ、来たよ!」
エレナの声が聞こえた。きっとナイフの表面に紫の輝きがメキメキと筋を刻んでいるのだろう。まるで悪魔の憑依による痕跡を思わせる魔力の模様が。しかしその貴色の痕跡こそが聖刻と呼んでいる状態そのもの。つまり聖属性に寄って物質の性質が変質した状態なのだ。あとはこの導線から内部へ向けて侵食する痕跡が金属の魔法的耐久度を超えないうちに終わってくれることを期待するばかり……。
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………痛っ」
いったいどれくらいやっていただろうか。雑然とした魔力の歪みを叩き潰すうちに麻痺してきた肉の体の感覚に鈍い痛みが走った。頭と鼻の奥の嫌な疼痛。手に触れた冷たい感触に目を開くと焦ったようなエレナの顔がすぐそこにあった。
「アクセラちゃん!」
「……ん」
「ん、じゃないよ!全然聞こえてないから焦ったんだけど!?」
どうやら没入する間に聴覚までシャットアウトしていたらしい。体感ではまだ十数秒だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
「あれ」
鼻水が垂れるような感覚に指で触ると鼻血が出ていた。
「頭痛くない?魔法の処理能力オーバーだから少し休んだら大丈夫だと思うけど……はい、拭いて」
渡されたハンカチで血を拭きとる。すぐさまエレナの水魔法が飛んできて残りも洗い去られる。それからおもむろに手元のナイフを見て俺は仰天した。ナイフは歪な導線を除いて全体が若紫色の輝きを帯びていたのだ。
「エ、エレナ!これ……」
「あー、うん。まあ、振ってみなよ」
いやに冷静なその言葉に俺は首を傾げながら、言われた通りシャカシャカと振ってみる。
「……シャカシャカ?」
もう一度振ってみる。マラカスみたいにシャカシャカ音がする。いや、さすがにもっと詰った鈍い音だけど。なんにせよ内側に空洞があって、そこに砂でも詰めてあるような雰囲気だ。
「内側が灰化してる?」
俺が問うとエレナは頷く
「そうなるかぁ……」
「なるみたいだね」
ナイフの材質が流し込まれた大量の魔力に耐えかねると、痕跡が刻まれるのとは違う変質をしてしまう。火をつけなくても高温にさらされた木材が炭化したり灰化したりするのと同じように、灰状の物質になって崩壊してしまうのだ。今回は外側を上手く聖刻することに成功したわけだが、芯に至るまでに限界が訪れたというわけだ。
「一応、鑑定してみて」
言われて『技術者:刀鍛冶』の内包スキル『目利き』を使う。
<ミスリルのナイフ:変質>
等級は普通。材質はミスリル。長さや拵えは標準。副武器として人気のあるシンプルなナイフ。強度重視だが材質がよいため切れ味もそこそこ。鍛冶師ディベットの数打ち品。使徒アクセラによって全体に加工がされ表面の強度と切れ味が上がっている。芯が消失しているため強度は低下。鑑定不能の情報が混入。
色々時になる記述があるが、それは聖刻というスキルシステム外の処理のせいだろう。
しかし芯が消失して強度低下か。
「んー……ゴミ」
シャッシャッともう二度ほどナイフを振って俺はガックリ肩を落とした。
~★~
更に数日が経過した。あの手この手と実験内容を変え、時折医者に怒られながら俺たちは三歩進んで二歩下がるを繰り返している。とはいえ差し引き一歩は進んでいるわけで、それなりに知見は得られていた。
「あの歪みって」
エレナが俺のベッドの端っこで膝を抱えて横たわりながら、ふと思い浮かぶ疑問を口にする。俺は背中を合わせて同じように丸まりながら耳をそちらに向けた。
「そもそも何?」
「エレナ、疲れてる?」
身を翻してぐだっとした彼女の方へ向き直り、その柔らかなお腹に顎を乗せた。
「にゃわっ」
大型犬のような姿勢で少女にもたれかかりながらその顔色を窺う。眉に皺が寄って何かを頑張って演算していることが分かる。しかしそれはもう何度も確認しきていたことだ。
「いや、色とか潰したときの波とか、色々気になってたけどさ」
俺の頭をわしゃわしゃとおざなりにかき混ぜながら彼女は言葉を続ける。
「そもそもあの歪みって圧が高まりすぎてできるんだよね……?」
「ん」
「あれ、そのまま破裂させるとどうなるの?」
「どうって……」
沈黙が下りる。たとえばこれが圧力鍋だったとして、破裂は大惨事だろう。そう思って発生しないよう細心の注意を払ってきた。しかし考えて見れば鍋は外側の魔力刃、烈紫刃がそれに当たるわけで、魔力の歪みは……なんだ?
「どうなるんだろう」
「分かんないでしょ!?」
「うわっ」
エレナは身を起こして叫ぶ。俺は跳ね除けられてベッドの上をころころと転がり反対サイドまでいく。
「でね、その上でわたしちょっと思ったんだけど、もし破裂することで外に魔力が吹き出すだけだったら?」
魔力が外に吹き出すということは込める際にロスが発生するということではないだろうか。あと烈紫刃に破断が生じる。
「ん、でも魔力刃は瞬時に自己修復するか……」
実物の刃物と違い魔力刃の類は壊れた端から魔力を補えば修繕され、元の形を常に維持するものだ。そうなると溜まった魔力は烈紫刃に破断が生じた瞬間だけ吹き出すことになる。
「何かに似てない?」
「ホコリタケ?」
「そうじゃなくて」
「ん……圧力弁?」
圧が高まって弾け、その瞬間に魔力が外へ吹き出し、すぐさま塞がってくれる。たしかに圧力鍋の上の弁だ。
ふむ、ふむふむふむ……圧力弁か。
「もしそう歪みが圧力弁として振る舞うなら素材が限界を迎えて壊れる前に圧が抜けて、本当の限界まで魔力が行きわたるんじゃないかな?」
そう簡単にいくだろうか、という疑問は色濃く残る。しかしこれまで試してこなかった内容ではあるし、なんにせよ弾けるまで放置した場合という実験データは合った方がいいだろう。
「やってみよ」
さすがに圧力を爆発するまで放置するのに病室の中というのはヤバイので、先生に散歩と断って治癒院の裏手に出る。他の患者の目に突かない木陰に二人で逃げ込み『完全隠蔽』をかけて準備は完了だ
「よし、じゃあ始めようか」
「ん」
俺の目が真鍮色に変わり、エレナの目の早苗色が内から光を帯びる。烈紫刃を展開して魔力を込める。破裂させるつもりなので最初から全速力だ。待つことしばし、紫の輝きに包まれたミスリルナイフの表面には高まる魔力の圧に呼応するように歪みが生じ始めた。まるで砂糖が焦げていくように色が変わり始め、飴色を経てべっ甲色の亀裂じみた鈍い輝きへと至る。そのまま魔力を込め続けると亀裂は一気に開き……
パチッ
音を立ててべっ甲色のスパークがナイフの表面に走った。
「今の!」
「待って、そっちも気になるけどナイフの魔力!」
言われて散りかけた意識をまとめ上げる。ナイフに刻まれた痕跡は……明らかに太くなっていた。
「また歪み始めたよ!」
「このまま弾けさせる」
ガンガン魔力を込め続ける。魔力の偏重による歪みはすぐに限界へ達してべっ甲色の雷光を飛ばした。その雷光が駆け抜けるのとほぼ同時にぐっと痕跡も成長する。金属の紫部分が増えた。つまり聖刻付与が進んだのだと、仮定の上での結論だが、そう判断できた。
「これ、行けそうじゃない!?」
「ん、いい感じ!」
興奮に包まれる俺たち。そのままナイフに魔力を流し込み続けること数十秒、バチバチと弾けるスパークはその量を増していき、比例して貴色に染まった地金も広がっていく。このまま聖刻は完成するかと思われたときだった。
「あっ」
最後の最後で灰化が発生した。まだ染まっていなかった金属が色を失い崩れていく。手の中に残ったのは灰を被った繊維質なナイフ形の何か。しゃぶりつくしたマンゴーの芯とか、あとは昔海辺に行ったときに見たイカの白くなった甲だろうか、似ているのは。言うまでもなく聖刻が終わっていた部分である。
「まあ、かなり残った」
「ほぼナイフだね!最初の頃みたいな棒切れじゃなくてそれっぽい形が残ってるし!」
ナイフだった物をエレナに手渡す。彼女はそれを矯めつ眇めつ見回しながら首をまた傾げた。
「でも聖属性って現象化するっけ?それとも聖属性じゃなかったのかな……べっ甲色だものね」
一度だけ聖属性が感情に刺激されて現象化したことはある。トワリ前侯爵がマレシスの死について言及した際に激高し、それが刃のイメージに沿って彼の頬を切ったのだ。あれはあの男の瘴気と反発していたし、おそらく聖属性だと思うんだが。
「その一回だけじゃなんとも言えないしなぁ。魔力込めてみてよ」
エレナの非常に軽い依頼で神の力をボロナイフに注ぎ込む。紫の金属はケバのように見える鋭い先端の一つ一つまで聖なる力を蓄えるように輝きだし、感覚が繋がったような独特の手応えを感じさせた。
「ん、やっぱり聖刻されてる」
「じゃあまあ、現象化はあとでいいや」
一旦置いておくものが増えた。しかし発生する珍現象を発生した順に探っていては永遠に目的の研究が進まない。何度も言っているとおり、そういうものだ。
「でもやっぱり圧力の話は大正解だったね!」
「もしかすると、あのスパークが内側に波として出て、素材の耐久値を削ってたのかも」
一回一回があれだけ元気に破裂していたわけで、二回三回とその力を内側に目がけて放出していれば鉄の組成が破壊されてもおかしくはない。普通に魔法攻撃だ。そうなりうるだけの圧を魔力に対してかけていた。
「そうだね。そこら辺は将来的に突き詰めて行きたいところかな」
生体に施すとしたらあのスパークをどこまで無力化できるかと、実際のダメージがどれくらいあるかは把握しておかないと。ボロボロナイフモドキを俺の手から奪い取ってじぃっと見つめるエレナ。
「じゃあこれで最後のピースが揃ったね」
「ん?」
彼女はとても明るい声で言った。
「だってさ……アクセラちゃんの魔力に馴染んだ紅兎を、残留しやすい聖属性で、一気に魔鉄化するのと同じようにしたら聖刻できるっていうのが当初の見立てでしょ?」
「ん」
俺のというよりは、俺とバロンの見立てだろうか。あの時は詳しく考える余裕もなかったので、実は結構適当に推測だけを並べていた感がある。しかしエレナはその雑な予想がおおむね正しかったというのだ。
「量の話は合ってたよね。今回は量を減らすためにすごく圧をかけてるだけで」
「ん」
一言で圧力と言っているが、Aランクダンジョンの中にある小規模な魔力溜まりくらいの量をぎゅっとこのサイズに込めている。純粋なエネルギーとして言えば最上級魔法で二発分くらいだろうか。
「残留しやすいからかは分からないけど、聖属性だけで痕跡は聖刻になったよね」
「ん」
他の属性ではダメだった。これは俺の闇属性でもエレナの氷属性でも駄目だったことからほぼ確実だ。惜しむらくは別の神官魔法の使い手に実験を頼めないことだが、そもそもスキルに頼らず魔力をナイフへ込めていく技はこの二人しか会得していない。たとえエベレア司教でも無理ではなかろうか。
「アクセラちゃんの魔力に馴染んだ物で実験して成功したら、たぶん聖刻の基礎理論は実証終わるんじゃないかな」
たしかに今回の結果はまさしくあと一歩。その一歩に俺の魔力と対象物が馴染んでいるかどうかが関係しているというのは、そう外れた予想でもないだろう。もし違ったら紅兎がああなった理由に心当たりがなくなってしまう。
「問題はそこまで馴染んだ道具で、実験に使えるような物があるかだよね」
意気揚々と最後の実験へ取り掛かりそうな勢いのエレナだったが、すぐにへんにょりと力を抜いて椅子の背もたれに身を預け。
「愛用の装備は全部なくなっちゃったし、何かないかな……日用品?」
刀、鎧、杖、鞄、道具にブーツ、それどころか服と下着に至るまで俺の持ち物はトワリの砦で無くなってしまった。持ち帰れた私物は赤い組紐の下げ緒だけ。酷く血が染みてしまったので、今は布屋に頼んで染み抜き中だ。いつまでたっても仕上がってこないところを見るに相当苦戦しているのだろう。
「アクセラちゃんの使ってる日用品……金属がいいよね。ヘアピン?ちょっと小さいかな」
さすがに十本で小銅貨三枚の激安ヘアピンで初めての意図的な聖刻完成は嫌だろう。というか小さすぎて観測がしづらい。あと安い銅か何かなので絶対に素材としての耐久魔力が低い。
「ん、一個ある」
脳裏に物置と化しているエレナの寝室を思い浮かべながら思案していると、ふと一ついい物があることを思い出した。完全に俺のベッドを寝床と認定している彼女もそれで自室の中身を思い出したのか手を打ち合わせた。
「え?あ、フライパン!?」
「……それもあった」
確かに俺がいつも使っている金属製の物だけど。欲しいか、聖刻された紫のフライパン。どういう性質が強化されるのか全く分からないぞ。火が通りやすくなるのか?熱に強くなるのか?
「そうじゃない。遠征の前に紅兎の鞘を変えた。前の鞘、まだ処分してない」
「それだ!」
エレナは弾かれたように立ち上がり「急いで持ってくるね!」と言うが早いか門の方へ走り出した。すぐにボルボン司祭の叱責が聞こえてくる。相変わらず実験となると忙しない娘だ。
「まあ、どうせ急いでも今日はしないけどね」
魔力が尽きた。頭も重いし、この隙に部屋へ戻って寝てしまおう。
「思ったよりは順調、かな」
冬が来る頃には、動物実験も終わって俺の体を弄れるのだろうか。そんな疑問を抱きながら病室のベッドに滑り込み、いろいろな光を見て疲れた目を閉じるのだった。
冬が、そこまで迫っている。
余談ではあるが、あとで技術確立の実証実験と称して結局フライパンも聖刻することになった。火の通りがいいくせに肉が焦げ付かない良質なフライパンが出来上がったが……これでよかったのか?
~予告~
壮絶な鍛錬を繰り返すネンスとレイル。
洗浄の記憶は彼らを確実に強くしていた。
次回:初冬のある日常




