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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
外章 青き狼の編-Ⅰ-
244/367

ナズナ外伝 砂漠彷徨う青き狼 殲滅-annihilating-

年末年始の連続更新、第五回です!

 ドルゥン!!


 力強い音がどこかから夜明けを待つ帝国軍の野営地に轟いた。何事かと飛び起きる間もなく、耳慣れないその唸りはクリスタルを指ではじくような透き通ったノイズを含みながら、ぐんぐんと近づいてくる。


「なんだ!?」


 誰かが叫んだその瞬間。一番近い砂丘の頂点を蹴立てて大きなナニカが空へと飛び出した。それはまるで白いトラが悠然と跳躍するかのように夜の空を舞い、凄まじい重量を感じさせる音をたてて装甲馬車の天井を踏み砕き、そのまま野営地の篝火を蹴倒して駆け抜ける。


「うわぁ!!」


「魔物か!?」


「砂豹だっ、砂豹が出たんだ!」


 数人がその暴れ馬のような白い物体を回避しそこね、鈍い音を引き連れて跳ね飛ばされた。大地に倒れ伏す彼らはすでに事切れている。仲間が上等な鎧ごとその肉体を砕かれて死んだ。そのことにようやく、襲撃者が金属でできた何かであることを夜警は察する。そしてその背に人が乗っていることも。


「て、敵襲!敵襲!!」


「篝火を焚け!魔法を灯せ!」


「なんだあの白い物体は!?」


 叫び始める者たちがいる中、白い金属の疾走者はそのまま野営地をぶち抜き、奴隷用の馬車のすぐ前で砂をまき散らしながら鋭角的にターンを決めた。


「……っ」


 馬では絶対に不可能な軌道と速度だ。目撃したすべての帝国兵の背中に、未知のモノへの恐怖が冷たい汗となって流れ落ちた。


「敵襲を許すとは何事だ!見張りは何をしている!」


 大勢の兵士がテントから這い出して鎧を必死に纏う中、頬に大きな傷のある中年が一番大きい天幕から現れる。白いものが混じった髪を短く整えた男で、どういうわけだか上半身には何も纏っていなかった。それどころかベルトを今止めている最中というありさまで、威厳などどこにもない。しかし一目で並みの使い手ではないと分かるほど、腰に帯びた長剣は立ち姿に馴染んでいる。


「ごきげんよう、隣国の尖兵」


 芸術的なデザインの白い鉄塊、魔導ビークル・フェルグランテからひらりと下りたナズナは上裸の男に微笑む。小夜蜥蜴の羽織は脱いで紺黒の道着袴姿だが、こちらは逆に腰の相棒、界切綱守を帯びていない。名刀は今、ビークル左横の武器ラックへマウントしてあった。


「ケモノだ!ケモノだぞ!!」


「一番隊、隊列を組め!大盾を急げ!!」


 小隊長たちが一気に号令をかける。しかし慌てて参集する兵士たちは、その多くが疲れ切って寝ていたのだろうか、揃いもそろって浮足立っている。とてもではないが、世界にその名を轟かせるロンドハイム軍とは思えないほど反応が遅かった。


「農民上りが多いとはいえ、本当に規律が乱れているのですね……」


 呆れつつナズナは軽く己の背後の装甲馬車を確認する。ネイザイアスが言っていた奴隷たちの収容馬車だ。人質に取られて彼の二の舞になっては堪らないとこの位置を選んだが、正直相手の弱さが彼女の想像を上回っている。必要のない悪目立ちをしてしまった感が否めなかった。


「そこの雌犬!ここが恐れ多くもロンドハイム帝国が戴く偉大なる皇帝、戦斧大帝ビウレスト陛下の御姉君メルトゥパ皇女殿下の陣であると知っての狼藉か!!」


 ガシャガシャと鎧を纏いながら大隊長が叫ぶ。極めて権威主義的で華美な名乗りは、やはりナズナの知るロンドハイムの軍人とかなり乖離のあるものだ。


「一般兵や皇帝直属のインペリアルガードとは戦ってきましたが、皇帝以外の皇族を守るロイヤルガード……考えてみれば初遭遇ですか」


 皇族の将軍や戦士とも戦ったことがあるんですがね?

 ある種の儀仗兵的な存在なのかもしれない。そう考えつつ、ナズナは袖から腕を抜いて袷を肌蹴た。双丘に張り付く黒いエギ布のインナーが夜気に曝され、白い肌が月明かりに輝く。


「戦いが好きなわけではありませんが、早めに火種を潰しておくのも私の仕事」


「潰すと言ったか?この栄えあるロイヤルガードを、貴様のような」


「ああ、口上は結構」


 片眉を押し上げて捲くし立てようとする大隊長を遮り、ナズナは興味なさそうに手をひらひらとやる。


「どうせ我々とあなた方は分かり合えないのですから、話すだけ無駄でしょう」


 それだけ言うと静かに、ナズナは己の奥底に息衝く獣の力を意識する。


 獣化


 神々の手によって人間に近い体の中に込められた、決定的に違う獣の因子。目の前の帝国人が獣人をヒトと認めない最大の理由。ほんの一部の獣人にだけ許された、その宿命の開放。


 骨格が、筋肉が、メキメキと音を立てて変容する。より頑丈で軽量な骨に、より力強くしなやかな肉に。ナズナの女性としては高かった背が更に伸び、手足も膨らんでいく。血管が、膨大な酸素を消費する肉体に対応すべく拡張され浮き出る。


「ひっ」


 誰かが息を飲んだ。手足の形状がすっかり変わる頃には、雪のような肌は硬く立派な体毛で覆われていた。体のラインを隠すようにうねる藍色の長毛には銀がわずかに混じり、神獣・嵐月の神々しさを匂わせる。


 伸縮性のあるインナーを内側から押し上げる筋肉は見かけの何倍も力を持ち、短くも鋭い爪は下手な刀剣を凌駕する切れ味を秘める。獣と見紛う顔に開いた大きな口から覗く牙は、一噛みで帝国兵の喉を食い千切るだろう。


「獣化だと!?」


 驚愕する大隊長を黄緑に輝く瞳で冷たく見据えたあと、ナズナはそのすらりとした狼頭を天へと向けた。大きく吸い込まれた大気に胸が膨らむ。ぞっとするほど綺麗に牙が並ぶ口を大きく開き……そして音が解き放たれた。


「アォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンン――!!!!!」


 月のない夜に狼の、伝説の神獣・嵐月の遠吠えが轟いた。それは物理的な衝撃を伴うほどの大音声。しかもただの音ではない。帝国兵の、とくに経験の浅い者の多くは心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。胸を押さえ、荒い息を繰り返し、ガクガクと震える足を必死に踏ん張る。そして強張った顔で、見開いた瞳で、ナズナを見る。そこにいるのは藍色の巨体を持つ、狼頭の死そのものだ。


「ひ、ひぃいいいいい!!」


「ば、化け物!化け物ぉ!!」


 一部の兵が錯乱し、武器や盾を投げ捨てて背を見せた。いまだに纏まり切らない隊列がさらに崩れ、ぶつかり合う鎧の音が砂漠に喧騒を奏で始める。


『餓狼の咆哮』


 ナズナの持つこのユニークスキルは、並大抵の威圧スキルではない。そもそもが対人用ではなく、強力な魔獣を相手に隙を作るようなものである。しかも最高位の神獣をモデルとする彼女の威は、そもそもが強力だ。まともな訓練を受けてもいない一兵卒に耐えられるはずもない。


「狼狽えるな!それでもロイヤルガードか、狼狽えるなッ!!」


 大隊長はスキルを使って叫びながら、それでもなかなかパニックを抜け出さない自軍を睨み、そして忌々し気にナズナを見据えた。


「藍色の毛皮で獣化する戦士……貴様ッ、特別指定死刑犯のナズナ=エクス=ミヤマだな!!」


 怒りと恨みを練り上げて絞り出すような声で呻く男。


「特別指定、死刑犯……?」


 当のナズナにしてもその肩書は初めて聞くものだったが、意味はなんとなく察せられる。そして内心、言わない方がよかっただろうにと思った。なにせそれを聞いた瞬間、半狂乱には落ちいっていなかった兵士たちも、恐れるように大きく一歩下がったのだ。だが大隊長は引きつったような笑みを頬に浮かべてみせた。


「ハッ、しかしそうか、貴様あの盗人の都市のケモノか」


「だったらどうだと?」


 重厚感のあるエコーを帯びた声でナズナが訊ねる。


「いや、それなら打つ手もあると思っただけさ。奴隷たち、その女を八つ裂きにしろ!!」


 大隊長は彼女の背後へと鋭く命じた。次の瞬間には首輪の強制力に駆り立てられた獣人の群れが飛び出してくることを期待して。


「馬鹿なケモノめ、こんな敵陣深くまで入るからそうなるのだ!」


 哄笑する大隊長。しかし、装甲馬車の扉は一向に開かない。


「何……?おい獣人ども!主人の声が聞こえていないのか!!」


 再び怒鳴るが、やはり結果は変わらず。


「聞こえていないですよ。今頃全員、意識を失っているでしょうからね」


「何を言って……はッ、先ほどの遠吠えか!?」


 そもそも、本来のロンドハイム軍の精強さを誰よりもよく知るナズナが、彼らが総崩れになることを期待して『餓狼の咆哮』を放つだろうか。答えは否。最初から奴隷を無力化するためにあのスキルは放たれたのだ。


「か、肝心な時に役に立たんケモノめぇッ!」


 吐き捨てて自ら豪奢な剣を抜く大隊長。呼応するようにナズナも手を天に掲げる。


唐橘(からたちばな)、抜刀」


 バキン!

 フェルグランテの側面から一枚の金属板が、弾けるように上へ放出された。音声認識が引き金となってシンプルなバネの力で打ち上げたそれは、クルクルと回って天へと舞い上がり、そのまま落下を始めた。


「こ、今度はなんだ!?」


 慄く兵士の視線を集めるその板。ナズナはそこから突き出した棒状の部分を片手で掴み止める。人間のそれに似ているが、はるかに長い五本の指でしっかりと。


「魔力認証開始」


 ナズナの声に従って灰色の鉄板の側面に光の線が一瞬走る。その線の形に板は割れ砂の大地へと落下した。灰色の鉄板に見えたそれは鞘だったのだ。


「実地での射出、魔力認識による解除、いずれも問題ありませんね。重畳」


 中から現れたのは金と灰を混ぜたようなくすんだ色の、やはり鉄板のような長方形の刀剣。縦に走る木目のような地金の模様と、そこに刻まれた柑橘の花木の彫刻がひどく目を引いた。


「ふむ、重いと思っていましたが、獣化するとさほどでもありませんね」


 太く長い柄から四角い刀身の先端まで合わせて2mもある巨大な片刃の剣を担ぐナズナ。その動作に合わせて柄の下半分に巻き付けてあった革紐が解ける。柄尻に結わえられたそれは、鉄鎖よりはるかに丈夫な魔物革でできた長い組紐だ。


「何をブツブツと抜かすかッ!」


「失礼。では、奇策も伏兵もなしの正面勝負です。こちらは超越者が一人、そちらは雑兵が……ざっと三百人ですか。聞いていたより多いですが」


 ナズナが藍色の毛皮に覆われた手首をぐるりと回す。金灰色の剣が月光をぎらりと輝いた。重く、堅く、それでいて切れ味がある。唐橘は獣化した獣人用に作られた刀の試作品だ。


「投降するなら捕虜として受け入れます。しないなら、唐橘の実用データになってもらいます。さあ、如何に?」


 蔑みも油断もなく、しかし慈悲もなく。そんな極めてフラットな声でナズナが問う。視線が、兵士たちの無数の視線が、大隊長に集まった。


「ほざけッ、雌犬一匹に臆する我らと思うてくれるな!!」


「そうですか」


 最後まで平坦な声でナズナが頷き、そうして戦端は切られた。


 ~★~


「随分派手にやったわね」


 戦いが終わり、昇る朝日に死体の山が照らし出される。その惨状の只中に佇む一人の美しい女。孤独な勝者とでもいった趣のナズナを前に、見上げるほどの筋肉が肩をすくめた。戦闘終結を察して首輪を引き千切りやってきたネイザイアスだった。


「刀としての切れ味と重量、剛性が両立できているかの試験でしたからね。使いまくってなんぼですよ」


 ナズナはビークルの近くに落ちたままになっている鞘を拾い、唐橘を前後から挟むように収めた。つなぎ目が一瞬光ったかと思うと、鞘は元通り灰金の鉄板を封印する。


「私の魔力を流さないと開錠できない仕組みです。面白いでしょう?」


「それはまあ、おもしろいけども」


 歯切れの悪いネイザイアス。周囲の死体は濃密な臭気を溢れさせている。ナズナ自身は魔法でざっと洗ったのか、返り血ひとつ浴びていない。そして、三百近い命を奪った気負いはそこに見られなかった。そこにいるのはただ慈しむように鞘の施錠機構を自慢する趣味人だ。


「まあ、貴方が微妙な顔をするのも分かりますけど。もともと獣化した後でも使いやすい刀を、というアイデアで作られた試作品ですが……まあ、正直重いことと切れ味がいいことは噛み合っていませんよね」


「そういうことが言いたいのではないのよん」


「?」


 比較的常識派のナズナだが、それでも含意は伝わらない。それが剣士として生きることだと、ネイザイアスも分かってはいる。彼はハヅキやエクセルに心酔し、マリーやカリヤ、そしてナズナがその道を歩んでいくのを見守ってきたのだから。


「……いいえ、なんでもないわ」


 結局それ以上何も言わず、大きな首を横に振った。


「そうですか?では、ネイザイアスは奴隷の状態確認をお願いします」


「ネイジィ!」


 唐橘をフェルグランテの左側ハードポイントに取り付けつつ指示を出すナズナ。飽きもせずに指摘する巨大生物は手をヒラヒラと振ってあしらう。


「私はそこのテントの奥にいるであろう皇女様を見てきます」


「ちょっと無視しないでよ!」


 断固無視の姿勢を崩さぬまま、右のハードポイントから愛用の刀を外して腰に帯びた。それから最低限の威儀を正してナズナは一番大きなテントに向かう。


「はぁ、んもぅ……使えそうな馬車、見繕っとくわね!」


「ええ、お願いします」


 テントの入り口は三重の布で覆われていたが、開口部そのものが大きいので簡単に手で払いのけられた。布の触り心地は滑らかだが重く、皇族の居室だけあって立派な仕立てだ。外側からぶちまけられた血が染み込むようなこともない。しかし外と同じくらい死の気配に満ちていた。


「……」


 声もなく嘆息する彼女の視線の先、テントの奥には豪奢な椅子が。そしてその上には老女の死体。色の悪い唇と胸元や喉を掻き毟った痕跡は呼吸困難や心臓発作を思わせる。死後硬直の様子からナズナには、目の前の老いた女が丁度戦闘の始まる頃に死んだのだと分かった。つまり『餓狼の咆哮』の威圧で心停止を起こしたわけだ。


「そこまで高齢だったとは……いえ」


 おそらくは皇女であろうその死体。ミイラのようにやせ細った裸体に絹の薄布を纏い、黄ばんだ白髪を振り乱している。周囲にはまともな服が落ちていることから、おそらく身嗜みを慌てて整えようとしたのだろう。


「そういえば大隊長も半裸でしたね」


 つまり大隊長に己を抱かせていたところへナズナが夜襲をかけた。行為と襲撃で心臓に負荷がかかり、トドメに『餓狼の咆哮』をくらい……ということらしい。なんともあっけない幕切れに彼女はため息を吐いた。


「他も、死んでいますね。生きていれば丁重に扱うものを」


 皇女の周囲には胸を一突きして自害している侍女が六人もいた。主人を失ったまま男所帯で生き残っても、あるいは襲撃者に捕らえられても、素敵な未来とは言いがたいことを察したのだろう。


「結局なんの実験をしていたのかは分からずじまいですか」


 知っていそうな大隊長は唐橘を腹にくらって、上半身と下半身が泣き別れの始末。一縷の望みは何かしらの書類が残っていることだが……見た限りそういうものはなかった。


「終わったわよぉ。ってあれ、皇女サマ死んじゃってるじゃない」


 入り口からぬっと現れたネイザイアスが驚いたよう声を上げた。


「咆哮で死んでしまったようです。書類でもあればよかったのですが……なさそうですね」


「書類?」


 テント内に設置された簡易の机などを見るも、そこにそれらしき物はない。


「やはり馬車を一つ一つ見て行かないとだめですかね」


 皇女の寝所で実験の報告書を仕上げるとも思えない。それにいくら豪華なテントを立てているとはいえ、野営地の拠点に一々書架まで持ち込みはしないだろう。


「でも実験の内容が分からないのは気持ち悪いですし」


 眉をひそめる女剣士。彼女が探している物がなんなのかようやく理解したネイザイアスは、あっけらかんとした調子で肩をすくめた。


「聞いてくれればいいのに。皇女サマのスキルを使って兵士を現場調達できないかの実験だったみたいよ」


「何で知っているんですか」


 振り向くナズナ。


「捕まった時にあの隊長が嬉しそうに自慢してたわ」


 たしかに質実剛健な帝国軍の将校にしてはよく喋る男だった。そんな風にナズナは思った。普通はあそこまで口上やお題目を並べず、敵と見るや意思疎通が図れないレベルで気を引き締める者が多いのだが。


「しかし、そもそもの話ですが、どうして捕まったのですか?いくら貴方が甘いとはいえ、人質に攻撃されたくらいで負けるわけないでしょう」


 Sランク冒険者というのは超越者一歩手前の存在だ。何か別に理由があるのではないか。そんな彼女の問いにネイザイアスは曖昧な笑みを浮かべた。


「皇女サマのスキルで動けなくされちゃってねぇ?」


「……はい?」


 ネイザイアスを動けなくするほどのスキル。その存在を一言も出さずに雑談していたのかと、ナズナの視線が険しくなった。巨大生物は慌てて手を振って疑惑を否定する。


「違うの、違うのよ!別に情報を伏せたとかじゃないのよ!単純にナズナちゃんには効かないのが分かってたから」


 スキルの名前は『セデューシアの瞳』。魅了の魔眼と間違えられることもあるが、分類的にはユニークスキルだ。ネイザイアスの知る限り、サキュバスやインキュバスの血統に発現する稀少なものだという。本来の能力は高レベルの魅了と誘惑、発情などだ。


「人間至上主義の帝国にサキュバスの血ですか……醜聞ですね」


 ありえない話ではない。サキュバスやインキュバスは見た目に人間と同じだし、大勢の伴侶を持つことが当然とされる皇帝ならどこかで交わっている可能性もある。ただ、それが血統にまで混じっているとなるとかなり、帝国内での帝室の正当性が揺らぎかねない。

 しかしナズナにはそんなプロパガンダをしかけるつもりなどなかった。外から聞こえてくるスキャンダルを一々真に受ける者はいないだろうし、皇女が死んでしまえば証明の仕様もない。むしろそっちよりも気になるのが……。


「魅惑されたんですか、あんな干し柿みたいな皇女に」


 氷のような視線がネイザイアスの美しい顔に突き刺さる。


「ちょっとぉ!いくらジャイアントもエルフも魅了耐性が低いからって、仮にもSランクよ?もちろんレジストしたに決まってるでしょ!」


 ナズナが問題視したのは種族的な特性や冒険者としての実力ではないのだが。


「でもユニークスキルって強いじゃない?三秒くらいは動きが止まっちゃったのよ。で、逃がそうとした奴隷のコたちが四方八方から組み付いてきてぇ……振り払えないじゃない?千切れちゃうし」


「……まあ、そういうことでいいですよ」


「ホントにそう言うことなのよぉ!」


 肩をすくめる女剣士と不平の雄叫びを上げる巨大生物は、揃って奴隷たちをのせた馬車に足を向けた。


「ねぇ、ナズナちゃん」


 血まみれの砂地を並んで歩いていると、眉間に深い皺を寄せたネイザイアスが口を開いた。


「なんですか?」


 遥か上を仰ぐナズナ。朝焼けの光に照らされた大きなエルフ顔は神妙な表情だ。


「ワタシが男に戻ったら」


 ネイザイアスの緑の目が、かつて自分の告白した少女の小さな顔を見下ろす。


「マリーちゃんのお墓探しは、止めてくれるの?」


 その言葉に、ナズナの足は止まった。ともにネイザイアスの足も止まる。

 彼が言っているのはある意味で究極の選択だ。マリーの墓を探すことは、ナズナにとって単なる弔いではない。姉の墓のことは彼女と父の間にある、最後の生々しいわだかまりなのだ。それに触れている間は、父との繋がりを実感していられる。そんな思いも彼女にはあった。


「……」


「……」


 そしてそのことを理解しているからこそ、一度は止めやしないと言った口でネイザイアスはもう一度言うのだ。そんなことに拘らなくても、エクセルとナズナの繋がりは途絶えないと。そして自分が代わりの繋がりになれるなら、死んだ姉の骨を探して惑うようなことはしなくてもいいではないかと。


「……」


「……」


 見つめあう色調の違う緑の瞳たち。ナズナは表情こそ特別険しくないが、貫くような透明な眼差しをしていた。彼女の心中を大男は察せない。


「……そんな理由では、止めません」


「……そう」


 しばらくしてナズナが出した結論にネイザイアスは肩を落とす。それから一転して顔を笑みの形にし、大きな手で大きな頭の後ろをガサガサと掻いた。


「あー、そうよねぇ……なんでワタシそんなこと言い出したのかしら。バカねぇ、バカ」


 グシャグシャと長い金髪をかき混ぜる。


「会うたびにナズナちゃんが男に戻れ、男に戻れっていうから、ネィジィ増長しちゃってたわ!」


「増長ではないと思いますよ」


「……え?」


 大きな手が止まる。金髪の間から緑の瞳が藍色の女を見た。彼女は微笑みのような、苦笑のような、言葉にしがたい表情を浮かべていた。


「私は今でもネイザイアスのことが好きですよ」


「ヒュッ」


 あっさりと告げられた言葉に、ネイザイアスの喉が変な音を立てた。ナズナはそれにハッキリと笑い、彼の方に向けていた体を正面へと向け直す。


「だからそもそも、その女装に意味はありません」


 ナズナは知っていた。ネイザイアスが女装するようになったのは、親戚の娘のように思っている自分を女として見ないためだと。ナズナが幼く淡い想いを打ち明けたことで、真面目な彼は悩みに悩んだのだ。

 距離を置いたりいなくなったりすれば悲しませる。

 完膚なきまでに断れば傷つける。

 でも曖昧なまま隣にいれば、いつか間違いを起こすかもしれない。

 それは恩も友情もあるハヅキやエクセルに申し訳ない。

 その苦悩の先にたどり着いたのが女装。乙女の味方という意味の分からない名乗りを上げて、性別を感じさせないくらいコミカルな存在に成り果てること。


「でもどうせ戻るなら、そんな理由で戻って欲しくありません」


 紺色の道着を纏った女剣士はまた歩き始める。


「私は姉さんの墓を見つけたい。同時に、いつかネィジィではなく、ネイザイアスとして接してほしい」


 その二つは別のことで、どちらかを選んでどちらかを手放すようなコトではないのだ。

 別にネイザイアスも自分の問題を彼女の問題にかこつけて解消しようと思ったわけではない。単純に不器用で真面目で少し頭のねじが変な方向についているだけの、心からの善意によるもの。

 それでもナズナは受け取らない。両方欲しいから。


「……よ、欲張りねぇ」


 自分が袋小路にはまって妙な二択を口走っている横で、小さいと思っていた少女はずいぶんイイ女になっていたようだ。ネイザイアスが毒気を抜かれたように呟くと、ナズナは振り返って牙を見せた。


「誰の娘だと思っているのですか?」


 エクセル=ジン=ミヤマ。

 墨色の頭をした至高の剣士。

 自分の正義、自分の意思、自分の業と大義のために激動の時代を望んだ男だ。


「それもそうね」


 ニヤッっと笑う浅黒い肌の男を思い出して、ネイザイアスも自然と笑みを浮かべた。それから大股で歩いてナズナの隣に並ぶ。二人は再び装甲馬車の方へと歩み始めた。


「とりあえずアダンに向かいましょうか」


「いいわねぇ、丁度今なら連邦から小隊が来てるんじゃないかしら?」


「アル・ラ・バードのキャラバンですか。お土産はドライフルーツと珈琲ですね」


「んー、ワタシは何買おうかしら」


「干し柿でしょ?」


「ちょッ、ナズナちゃん!?」


 アダンまで。今はまだ、その短い道のりだけを、二人揃って。


お伝えしているとおり、予定を後ろ倒しにして

1月29日(土)から十一章を始めさせていただきます。


それでは、今年一年もよろしくお願いいたします。

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[良い点] ナズナがいい女だったこと [気になる点] 超越者たちの過去編を期待 [一言] 応援してます。今年1年よろしくお願いします。
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