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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
外章 青き狼の編-Ⅰ-
243/367

ナズナ外伝 砂漠彷徨う青き狼 再開-Re-uniting-

年末年始の連続更新、第四回です!

 アイボリーデスワームの生息地で発生した小競り合いの結果、ナズナはたった一人自分に立ち向かわなかった若い兵士を捕虜とした。フェリクスと名乗るまだ十六のその捕虜から尋問というには優しすぎる調子で聞き出した情報は以下の通り。

 彼らの所属は他の兵士たちの会話から分かる通り、皇族を守るロイヤルガード。

 仕える相手は現皇帝の無数にいる姉の一人、メルトゥパ皇女。

 彼等が呼ぶところのケモノに寵愛を与えるなど()()な行動を繰り返している人物らしい。

 皇女の持つ特異なスキルの実験のため、皇帝からの勅命で砂漠へ派遣されている。

 しかし実態は放逐に近く、十分な物資こそ与えられているものの兵数は多くない。

 装備が砂漠用で大型魔物用だったのは名目が砂漠での長期実験だったから。

 特にアイボリーデスワームを狙い撃ちしにきたわけではないらしい。


「なるほど、有益な情報ですね」


「ほ、本当ですか!?」


 あれだけの殺戮があったというのに、フェリクスはすっかりナズナに心を許して色々なことを喋ってしまっていた。これは、一つにはナズナが捕虜の扱いに慣れていることがあるだろう。長命な獣人であり戦争の経験も豊富な彼女は、捕虜の性質を見抜いて飴と鞭を使い分けることができた。


「ええ、もちろん」


 一方、フェリクスの方にもこれだけ簡単に落ちた原因はある。彼は実戦経験が皆無であり、出身も国境から遠く離れた農村部。国と国の因縁など縁遠い話であり、獣人に対しては漠然とした恐怖感を有していた程度だ。それがどうだ、目の前の美しい獣人女性は。捕虜となった自分にも丁寧な口調で接し、砂漠にあって貴重な保存食まで分けてくれた。普通に喋るだけでも()()()()()()()拳が二、三発くっついてくる部隊の先輩連中とどっちが野蛮なケモノかという話である。


「……」


「どうかしましたか?」


「え、あっ、いえ!」


 ナズナに問われたフェリクスは、自分が彼女にいつの間にか見とれていたことに気づく。慌てて首を振って何でもないと主張するが、ナズナはナズナでその仕草から十六の捕虜が何を考えていたか察した。そのくらいで顔を赤らめるほど初心でもなかったが。代わりにニッコリ笑って話を戻した。


「その調子できっちり答えてくれるのであれば、約束の地図と証文はお渡しできそうですね」


「は、はい!」


 フェリクスがチョロく、ナズナが上手い。その二つに加えてもう一つ忘れてはいけない理由がこの地図と証文だった。

 当然これから敵地に向かう彼女が、機密満載のビークルに彼を乗せていくわけにはいかない。なので彼女はこの地点から安全な商路を使って交易都市アダンへ向かう地図の写しを用意したのだ。

 証文の方はエクセララの捕虜であることを証明するもので、これがあればアダンでも捕虜保護条約に基づいてそれなりの扱いを受けることができる。地図もなく、宛てもなく、帝国兵が大砂漠で彷徨うことの危険性は、さすがのフェリクスも理解していた。


「本隊の場所は分かりますか?」


「あ、はい。ここから一昼夜馬車を走らせたくらいのところにキャンプがあって、そこに本隊がキャンプを張ってます。殿下もそこです」


「本隊の規模は?」


「な、何人だったかな……たしか、百人くらい?百五十人か……それくらいだったと、思います」


 百人と百五十人では全く違うのだが、幸いにしてナズナにとってはどちらでもあまり意味がない。数の論理が通用しないからこその超越者だ。


「しかし、確かに少ないですね」


 ロイヤルガード百五十人は皇族が大砂漠に入るリスクを思えば相当に少ない。一人ひとりが皇帝直属のインペリアルガードほどに強いならまだしも、先ほどナズナがさっくり始末したレベルであれば少なすぎる。なにせ装備がいいだけでほとんど一般兵なのだから。群れとはいえBランクの魔物に大勢食われているのがいい証拠だ。


「そうだ、本隊に奴隷はどの程度いますか?」


「たぶん、もう十人くらいかと。その、ほとんどは殿だったので……」


 とっくに魔物の腹の中というわけだ。


「とんだ重用ですね」


 吐き捨てるように彼女が言うとフェリクスはビクリと手足を縮めた。


「一応聞いてみますが、ロイヤルガードに超越者や将軍級はいますか?」


「そ、そんな!超越者様なんていたら僕たち、ワームから逃げ出してないです!」


 それはそうだ。と納得しながらナズナはふと思った。

 この少年、私の名前を聞いても正体には気づいていないのですね?

 藍色の髪の狼系獣人で、女性で、刀を使うナズナとなると一人しかいない。ロンドハイム帝国にとって国敵とまで言われるエクセルの娘、ナズナ=エクス=ミヤマ。番号付きの超越者であり、父と同じく国敵とされる重要な犯罪者のはずだが。


「ナズナ様?」


「いえ」


 とはいえわざわざ自分から「私は貴方の国の将軍を山ほど殺した国家の敵ですよ」と名乗るのもおかしな話。それにカリヤならいざ知らず、ナズナには目の前の少年をいたずらに脅かして遊ぶような高尚な趣味はない。


「あとはですね……」


 ニタリと笑う兄の顔を頭の隅においやったナズナは、それからさらにいくつかのことを聞き出した。本隊の部隊数やざっくりとした構成、大隊長の特徴、皇女の特徴、野営地の簡単な布陣と装備などだ。そしてそのうえで簡単な作戦を立てる。これまでの様子から目の前の捕虜が大した情報を与えられていない代わりに、欺瞞情報も渡されていないことはわかっていた。


「うん、いいでしょう。聞きたいことはそのくらいです」


 満足した彼女は一つ頷いてから二枚の紙切れをフェリクスに授けた。約束通りの地図と証文だ。


「地図に記してあるルート以外を通らないように。それから地図は書き写しやすいように薄紙を使いましたから、破いてしまわないよう気をつけなさい」


「は、はい!」


「アダンは一応中立の都市ですが、帝国兵にエクセララの人間は容赦しません。証文を見せないと最悪、ノコノコやってきた敵国兵士として殺されますからね。ちゃんとすぐ取り出せるところに入れておくように」


「う……はい」


 そう聞いて顔を青くするフェリクスだったが、どうせ彼にはナズナの言葉に従う他、生き残れる道はない。地図を外れれば死ぬ。捕虜としての身分を隠せば死ぬ。なんとか帝国に逃げ帰っても敵前逃亡で死ぬ。


「大丈夫ですよ。アダンで捕虜になれば酷い扱いはされません。あそこは帝国に帰れなくなった元捕虜も大勢いますし、なにより我々は帝国兵でも捕虜条約通りに遇しますからね」


 色の悪い顔で命綱たる紙切れを受け取る少年に、ナズナは少しだけ含むところのある言葉で慰めをかける。ロンドハイムはエクセララを国とは認めていないので、当然捕虜も条約に従った保護を与えられないからだ。


「さあ、あまりゆっくりしていると商路に出る前に夜になります。もしココから逃げ出したワームの巣に遭遇したら最寄りのオアシスまで逃げなさい。あれは水脈のある地面に潜れませんから」


 そう言ってフェリクスの部隊の馬車からロダを解放する。ロダはトカゲと馬の間のような動物で砂漠ではメジャーな荷役家畜の一種だ。騎乗にはあまり向かないが小柄なフェリクス一人ならどうにでもなるだろう。それに全力で走らせればワームにギリギリ勝てる程度の速さがある。


「あの、あなたは……」


 ロダの手綱を与えられた捕虜は遠慮がちに尋ねる。ナズナはそれに美しく、しかし鋭い笑みを浮かべて応えた。


「貴方のお仲間を殺しに行くのですよ」


 ~★~


 メルトゥパ皇女付きロイヤルガードの野営地は広い。田舎者のフェリクスは大勢いるという印象から兵士数を百か百五十人とざっくり言ったが、実際には三百ほどいるのだ。十数基のテントが設置され、いくつもの篝火が焚かれていた。テントを囲うように装甲付きの大型馬車も配置されている。兵士の移動用、武器運搬用、奴隷運搬用、それに皇女の乗る華美なものなど種類も豊富だが、野営中は襲撃に対する防壁として活用されていた。

 篝火の周りには鎧を脱いだ兵士たちが銘々に座って食事をとっている。自分たちの状況を理解しているからか、それとも数日前のワームの襲撃に疲れ切っているのか、とても士気が高そうには見えない。


「さみぃなあ」


 篝火から離れた馬車と馬車の間に二人の兵士が立っていた。夜警の担当者だ。しかしやる気はまったくなさそうだ。ワームに気をつけろと言われたものの、下からいきなり来る敵をどう警戒すればいいかは分からなかった。一応、明かりも何もない漆黒の砂漠を見つめてはいるが、10mもいかないうちに砂丘が視界を遮っている。


「ふぁ……あふぅ」


「暢気な奴だ。俺は偵察に出た連中がいつ戻るか気が気じゃないってのに」


「それはお前、あの双子に賭けでボロ負けしたからだろ……あ?」


「な、なんだ?」


 軽口を叩いていた相方が急にいぶかしげな声をあげ、もう片方は慌てて熱振動ランスを強く握った。


「いや……狐かな?何かいた気がしたんだが」


 男たちは揃って砂漠の一点を見つめる。そこには夜の色を写し取ったような紺黒の闇が広がるばかり。月明かりがあったところで夜襲の訓練など積んでいないお偉い部隊(ロイヤルガード)ではソレに気づくことはできない。


「……いないじゃないか」


「……そう、だな」


 しばらく睨みつけていた彼らだが、気のせいだということでまた体から力を抜いた。それはこの瞬間だけを見れば大きなミスであり、しかし大局的には彼らの命を救う選択でもあった。ほんの数時間だけ、だが。


 ~★~


 夜陰に乗じて野営地を訪れたナズナは、堂々と夜警のすぐそばを通り過ぎて忍び込むことに成功した。頭から広げて被っているのは四枚持ち込んだ上着のうち、日除け目的でない最後の一枚。「小夜蜥蜴の羽織」という『付与魔術』の産物だ。音を吸収するデッドフットという兎魔物のなめし革に紺黒の紗を数枚重ねた大き目の羽織で、視認性低下と錯視の付与が施してある。


「やはりこの羽織は優秀です。可愛いですしね」


 どの辺が蜥蜴なのかというと、黒く染められた革の内張りに青い蜥蜴の模様が描かれているのだ。これを可愛いととるか、気持ち悪いととるかは人によるところだろう。ナズナは断然、前者であった。

 ちなみに羽織の下の服装であるが、これも夜襲を前提とした紺黒の道着である。荷物に余裕があることと、大砂漠ではたまに今回のような偶発的な夜襲の必要性が出るために持っていたのだ。ただこれでもう洗濯しないと服がない。切実な問題であった。


「これだから帝国兵は嫌いなのです……鉄格子窓と装甲に赤い二本線、この馬車ですね」


 ブツブツと言いながらたどり着いたのは装甲馬車の中でも一際大きいものだった。篝火の近くで眠っているジャイアントロダが引くのだろう、中がいくつかの部屋になっているタイプだ。フェリクスに聞いていた四台ある奴隷運搬用のうちの一台で間違いない。


「よっと」


 軽く地面を蹴って高い位置にある鉄格子を掴み、腕の筋力で上半身を引っ張り上げる。そうして暗い車内を覗き込むと……ナズナはそこに巨大な人影を見た。


「……?……!……!?」


 その存在をしばらくまじまじと見たナズナは絶叫しそうになった。

 眠り姫のように目を閉じて座す、美しいエルフ顔の人物。纏っているのはサファイア色のドレスと冒険者用のレザーアーマーを合体させたような奇妙な装束で、首には奴隷の首輪を嵌めている。

 ただしデカかった。胸がではない。全てが。おそらく身長は立ち上がれば2mを超すだろう。ドレスを押し上げるのは脂肪ではなく豪快なほど鍛え上げられた筋肉。首は丸太のように太く、魔道具の首輪も規格外に巨大。美しいエルフ顔からもほんのりとほどこされたメイクを乗り越えて勇ましさがにじみ出ている。

 一言で言うなら……一言では言えない生き物だった。強いて例えるなら最も固い石材から彫り出した神話の英雄像だろうか。鬼人のような肉体とエルフの顔を持つ、女装の英雄像だ。そんな鍛えすぎた個性を宿す生命体に、しかしナズナは見覚えがあった。よく知っていると言っても過言ではない。


「ネ、ネイザイアス!?」


「うぅん……?」


 理性の限りで音量を絞った悲鳴を上げるナズナに対し、美顔の英雄像はのっそりと視線を向けた。そしてエメラルドグリーンの大粒すぎる目をさらに大きく見開いて、やはり小声で叫んだ。


「え、ちょっ、ナズナちゃん!?」


 まるで大型の弦楽器のような心地よさを持つ低い美声だった。口調は女性だが。


「どうしてこんなところに!」


「それはコッチのセリフよ!」


 小声で叫び合う二人。


「わ、私は魔道具の試運転といつもの墓探しです」


「墓探し、そう、まだしてるのね……」


 咄嗟の返事に大型生物が柳眉を歪めた。その悲しげな顔にナズナは一瞬言葉につまりかけ、慌てて声を小さく荒げなおした。


「今は貴方ですよ!「握陽」のネイザイアスともあろう者が、何を捕まっているのですか!Sランク冒険者でしょうに!!」


「ネィジィよ、ネィジィ!ネイザイアスと呼ぶのは止めて!」


「今ソコどうでもいいでしょう!?」


 二人は敵陣のど真ん中、鉄格子を挟んで喋っているとは思えないほどにキャイキャイと言葉を交わす。そこにエクセララの上位者たる威厳は微塵もなく、むしろカリヤと二人きりの時の兄弟喧嘩のような気安さがあった。

 それもそのはずである。このネィジィを称する生物は本名をネイザイアス=エクス=クロッツォと言う。交易都市アダンを拠点とするSランク冒険者であり、かつてハヅキ=ミヤマやエクセルとパーティを汲んで暴れまわっていた男だ。


「一応生きる伝説とか言われてるくせに、なんで捕まってるんですか!」


「仕方ないのよぉ……適当にブラブラしてたら遭遇しちゃって。奴隷連れた帝国兵でしょ?ぶっ殺してやろうと思ったんだけどねぇ」


 理知的な顔と訳の分からない格好、そのどちらともそぐわない血生臭い発言をぶちかますネイザイアス。彼は昔から奴隷という制度が嫌いで嫌いで仕方のない男で、だからこそ半ば奴隷強奪のようだったミヤマ師弟と組んでいたのだ。ナズナとカリヤが奴隷の身分から解放されときもともに戦っていた。


「逃がそうとしてた奴隷のコに襲われて負けちゃったのよ!」


 ハートでも飛ばしそうな巨大なウィンクをする巨大生物だが、ナズナは反射的に鉄格子に間から拳を繰り出していた。


「油断大敵!あれほど言っているのにまだ治らないんですかその悪癖!!」


「痛ぁい!?」


 相対的に小さな拳だが、そこは超越者の一撃。額を撃ち抜かれたネイザイアスは静かに悶えた。それでも彼は怒ることはせず、素直に叱責と制裁を受け入れた。彼がその肉体的頑強さからたびたび油断をすることも、それが原因でしばしば困った状況に陥ることも、ナズナからことあるごとにそれを咎められていることも、全て事実だったからだ。


「はあ、もう今はいいです」


「いいならぶたないでよぉ」


「語尾を伸ばさないでください。で、その首輪、どの程度のものですか?」


 ナズナの目がネイザイアスの首に向けられる。奴隷の首輪という魔道具には仕様や等級でかなりのバリエーションがあり、彼女は仕事柄かなり詳しい方だった。ただ、さすがに人間の限界をはるかに超えた巨体の首を締め上げるほど大きなタイプは見る機会がなかなかない。


「見ただけでは仕様が分かりませんね、さすがに」


「でしょうね。まあ、大きいだけで低級よ。あくまで取り押さえておくためのものね」


「貴方を取り押さえるのに低級奴隷の首輪?」


 意味が分からないとばかりにナズナは首を傾げた。ネイザイアスは父がハーフエルフ、母がハーフジャイアントの三種族混血(トライブリード)だ。しかも『ボディビルダー』『舞踏家』『格闘家』それぞれの系譜にあるユニークジョブを持ち、火魔法と火炎魔術を得意としている。超越者でこそないが最高峰のSランクなのだ。


「太陽を握りしめる戦士と恐れられた「握陽」のネイザイアスを、低級で縛れると?」


 二度問うほど困惑する女剣士に巨体は首をすくめた。


「なんとかワタシの正体はバレずに済んでるわ」


「どうすれば貴方のような特徴的なSランクを見落とすんでしょうね」


「そんなにチャーミングかしら?」


 バチコンと巨大なウィンクを飛ばす女装筋肉にナズナは苦笑いを浮かべる。


「貴方、本当に変わりませんね」


 呆れと苦笑と尊敬が混じった表情で彼女が呟くと、ネイザイアスは心外だとばかりに上半身だけ見事なサイドチェストを決めた。


「あら、暗がりで見えないのかしら。この仕上がったワタシの筋肉が!!」


「いえ、そういうことではないです。見せないでいいです」


 ナズナはまるで虫でも払うようにシッシと手を動かして見せる。押し出しの強さに反して巨漢は素直にポーズをやめて腰を落ち着けた。ギシリと頑丈な装甲馬車が軋んだ。


「それでぇ?ナズナちゃんがここにいるってことは、もうワタシも首輪取っちゃっていいのかしら」


 極太の指で首輪を摘まんで見せるネイザイアスだが、その言葉には気負いも誇張も含まれていない。低級の奴隷の首輪は命令不服従に対して強烈な痛みを与えるが、直接的に命を奪うことはできないのだ。大型人種用らしいのでそれなりの強度の痛みだろうが、Sランク冒険者を拘束する設計ではなかった。


「そうですね……他の奴隷は?」


「あら、ワタシが第一発見奴隷なのね?」


 しかしいつでも首輪を引きちぎるつもりだったネイザイアスは、ナズナの質問に状況を察して指を離した。一回目に敗北した理由でもあるが、強すぎる筋力を持つ彼は奴隷兵を五体満足なまま無力化する自信がないのだ。こればかりは生まれ持った筋力の出力に問題があるのでどうにもならない。


「そうね、他のコは三つ隣の馬車の中よ。十一人いるわ。全部が狼か犬の獣人だけど……正直栄養状態がよくないから鼻は利かなくなってるわね」


「よくないのですか?ここの皇女は獣人を家畜程度には可愛がっているようですが」


「それはその通りだわ。奴隷だからというより単純に帝国の糧食が合わないからね」


「なるほど」


 獣人は人なので犬猫のように玉ねぎやチョコレートが食べられないということは、ほとんどの場合ない。しかしやはり体の構造が少し違う関係で、必要な栄養素の比率も少し違っていたりする。人間の兵士を前提にした戦闘用の簡易食糧ばかりではそのあたりのバランスが崩れてしまうのだ。


「とはいえ、救出してから戦闘はしたくないですね。手間取るとネイザイアスの二の舞ですし」


「だからネィジィだって!」


 幾度目かの本名に小さくも鋭い指摘を入れたときだった。巨体の背後で扉が軋んだ。ガチャガチャと錠前を弄る音も聞こえてくる。ナズナは窓から見えないように、咄嗟に両腕の力を抜いて外側へぶら下がった。


 ガン!


 殊更に威圧的な音を立てて扉を開ける帝国兵。


「さっきから何だ!うるさいぞ、このオカ……」


「アラヤダイイオトコォ!!」


「ひっ、し、静かにしていろ!いいな!!」


 バタン。


「……」


 威勢のよさは開幕二秒で消し飛び、悲鳴混じりに兵士が去っていく声が聞こえた。ナズナは何とも言えない表情で窓から中を覗き直す。


「ごめんなさいね。それで?」


 扉から目を離して振り向いたネイザイアスはいつも通りの笑顔だ。しかしナズナは何をしたか知っている。Sランクの纏う強者の貫禄を全面に押し出したうえで、『舞踏家』系ジョブを使って色気を放出したのだ。具体的に貞操の危機を覚えるレベルで。


「あら、どうしたの?そんな悲しい目で」


 長いまつげをバチバチと瞬かせるネイザイアスは、見た通り女装家だ。だが昔はそうではなかったし、別に同性愛者というわけでもなければ女性化願望があるわけでもない。彼が女装をするようになった色々な意味で深い理由はおいておいて、とにかくともに旅をしていた頃は普通の男性冒険者だったのだ。巨体と美顔の組み合わせと、非常に紳士的であった点を除けば。


「……なんというかもう、世の中はどうしてこうなんでしょうね」


 苦虫の塩漬けを食べたような顔で呟くナズナ。実はネイザイアスは、彼女の初恋の相手でもあった。当然の摂理と言えば当然の摂理だ。幼い自分を救い出してくれた英雄の一人で、強くて立派な頼れる兄貴分で、エクセルやハヅキほど家族という役割を背負っていなかった唯一の異性。惹かれて当然であり、告白して当然。


「なんでなんでしょうねぇ……」


 ネイザイアスは年齢の差を理由に断ったが、当時まだ少女になったばかりのナズナだ。そのくらいで恋心は諦めきれなかった。しかし一行と彼は色々あって別行動することになる。三年ほど後にようやく再会したときにはすでにコレだ。


「どうしたのかしら、この乙女の理解者ネィジィさんでよければ相談に乗るわよ?」


 コレだったのだ。


「もうなんか考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきました」


 頭痛をこらえるように片手を鉄格子から離してこめかみをグリグリとするナズナ。彼女はそのまま戦闘の段取りを決めてしまう。


「夜明け前に獣化して鎮圧します」


 慎重派の彼女には珍しい力押しの突撃案だ。ただ付き合いの長いネイザイアスは状況から考えて彼女のやることがわかったようで、納得したように頷いてみせる。


「アレを使うのね。イヌ科の獣人ばっかりだし、効果的だと思うわ」


「あとまあ、実験を頼まれたのは魔導ビークルだけではありませんからね」


 ナズナは一瞬だけフェルグランテのサイドにマウントした灰色の鉄板を思い浮かべた。が、すぐに実戦で使うことになるのだと意識から追い出す。


「そうとなれば休憩です、休憩」


 ナズナは馬車の側面のいい位置へ音もなくナイフを突き立て、その上につま先を置いて腰を落とす。ちょうど鉄格子の窓からお互いの顔が見える高さだ。ナイフ一本を足場に馬車の壁に背を預け、そのまま力を抜いてくつろぎ始めた。


「少量ですが水がありますよ。いりますか?」


「いいえ、水はいいわ。食べ物ないかしら?」


 少なくとも水は与えられているらしい。メルトゥパ皇女はどうやら本当に大切な家畜程度には扱っているのだなとナズナは納得した。そうなれば食料も与えられているだろう。ただ四分の一とはいえジャイアントの血を引き、本人も鍛えに鍛えぬいた冒険者のネイザイアスには決定的にカロリーが足りないのだろう。


「食べ物ですね……ああ、遭難者用の携帯食料なら。緑のアレです」


 小夜蜥蜴の羽織の下、腰のあたりに装備した大き目のポーチから暗い緑の包み紙を取り出す。遭難者や違法奴隷を見つけたときに食べさせる携帯食だ。飢餓状態で食べても大丈夫なよう、いくつかの魔法薬が混ぜられているために中身もキツい緑色をしている。


「ちょ……オレンジ色のほうないの?」


「道中で捕虜にした兵士にあげてしまいました」


 オレンジ色の包み紙は腹持ちがよく、高カロリー高栄養の行軍用携帯食だ。士気に関わるので味もそれなりにいい。ちなみに緑は機能性を重視しすぎて味まで手が回らなかった、という言い訳がギリギリ通じるか通じないかの瀬戸際のような味だ。


「あるだけありがたいと思ってください」


 緑の包みを鉄格子の間からねじ込みつつ、ナズナは自分用の携帯食料も引っ張り出す。


「とか言いつつ青の包み紙がみえるんですケドォ!?」


 青い包み紙は戦闘の間などに食べる用で疲労回復とエネルギー補充に重点を置いている。精神的疲労を回復させる目的もあるため、味は三種類の携帯食料の中で一番よい。その代わり自費で買うと結構高い。


「これは私のです」


 音もなく包み紙を破き、こげ茶色の棒状食品を口に突っ込むナズナ。それを切なそうに見る巨大ドレス男。


「ひ、一口……」


「ネイザイアスが男に戻ったら記念に一本あげたくなるかもしれませんね」


 砂糖と醤油をたっぷり使った甘辛い携帯食を齧りながら横目で言ってみるが、とたんにネイザイアスは難しい顔をして黙り込んだ。


「……」


 そしてそのまま緑の包みを開け、蛍光グリーンの棒を齧り始めた。覿面に不味いのかすぐさま眉間に皺が寄っていく。それでも青い方を一口とは、もう言わなかった。


「……ヘタレ」


 呟くナズナの言葉にもっと難しい顔をしながらガシガシと緑の棒をかみ砕き、水もなしにゴクリと嚥下する。


「……」


「……」


 それから作戦決行の準備に入るまで、両者が言葉を発することはなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 恋する相手がオカマ化してるのは悲しみがすぎるな
[一言] アラヤダイイオトコォ!!
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