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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
外章 青き狼の編-Ⅰ-
242/367

ナズナ外伝 砂漠彷徨う青き狼 遭遇-Encountering-

あけましておめでとうございます!

年末年始の連続更新、第三回です!

 砂漠で起きだすなら朝早くがいい。日が昇れば昇るほど、当然のように暑くなっていくからだ。しかも植生に乏しく熱を溜め込めない砂の大地は夜になると凍えるほど寒い。この温度差でやられないためにも、まだ寒い内、日の出と同時に動き出して体を慣らしておく必要があるのだ。


「……」


 目が覚めたナズナはなんとも言えない気分で目をこすった。いい夢が見られればいいなとは思ったが、とんだ夢を見たものだ。目元に残る雫の感触が冷たくて冷たくて仕方ない。


「……おはようございます」


 誰にともなく言って、厚手のストールを纏ってから彼女はテントの外に出た。


「狐の足跡……」


 ナズナは眠気の残るとろんとした目で、ビークルの周囲に刻まれた小さな足跡を見て微笑む。スナギツネの類が様子を見に来たらしい。そういうものが生息しているということは、この辺りはやはり魔物も少なく安全なのだろう。臙脂の組紐を手首から外し、それで藍色の髪を後ろ手に括る。


「問題は商路の周辺ですね」


 結び終わった髪を背中に払えば、朝のマインドセットは完了だ。凛とした眼差しを取り戻した彼女は手早く野営の道具を片付けて出発の準備を整える。センチメンタルな夢の痕跡を冷たいオアシスの水で洗い流して身支度もおしまい。このような旅をしていると、あの手の夢は時々見てしまうものだ。その点の切り替えも旅慣れた彼女は素早かった。


「さて、ルート確認をしましょうか」


 収納から折りたたまれた分厚い紙の塊を引っ張り出して座席に広げるナズナ。それはかなりの大きさの地図だった。しかも一枚の紙ではなく、各所に大小の地図片やメモが貼り足された複雑なもの。いっそ地政学者の研究手帳だと言われた方がしっくりくるかもしれない。


「第十七商路を南下中にワームの巣に入って、そのまま全速力で概ね南西に流れましたから……」


 エクセララでもそれなりの立場にいれば最新の地図は支給される。それは主な商路や注意すべき魔物の生息域、ダンジョンの位置などが書きこまれたものだ。その精度はかなり高く、大砂漠においてはまさに命の道標となるアイテムである。

 そして今彼女が手にしている地図は支給品の地図を土台に彼女自身やカリヤ、弟子たちが集めた情報が追加された特別品。実際に歩いた土地、遭遇した魔物、見かけはしたが事情があって討伐を見送った魔獣、密輸業者の使う経路などまで詳細に書き足されている。張り合わされた地図片の中には未踏破領域の情報すら多数含まれており、その価値は計り知れない。


「今はやはり、このオアシスですね」


 今ナズナがいるオアシスは主要な交易ルートから大きく外れた場所に描かれていた。移動時間に比べてその外れ方が尋常ではないが、それは魔導ビークルの速力がいかに凄まじいかの証明であった。


「周囲には、本当に何もありませんね……とりあえず第十七商路がここですから」


 大砂漠に昔から暮らす砂塵の民のキャラバンルートからも、密輸業者の迂回路からも離れている。そんな寂れた場所に、向こうが透けるような薄紙の小地図を重ねる。危険な魔物、魔獣の住処をプロットした地図片だ。


「ワームと遭遇したのがこの辺りでしたから、近い生息域はやはり南東のココ」


 ワーム系は基本的に大きな群れを作って生活する。大型個体の糞便を小型個体や幼体が食糧とするからだ。


「北北東でもアイボリーデスワームは発見されていますが……この場所ならたぶん、兄さんとカグモさんが倒したハグレ個体ですね」


 途中ではらりと藍色の髪が垂れ下がってきたのを指で掬い、さっと耳にかけるナズナ。


「記録、昨日遭遇したアイボリーデスワームは最大で太さが1m前後でした」


 巣分けは通常、大型化した個体が複数いる場合に行われる。そしてアイボリーデスワームの大きい個体とは、直径が2mを超えたものを指す。


「とはいえ南東の群れは大きいですから、移動してきてアレだけというのもおかしいですね。散り散りに逃げたとかでしょうか。とりあえず、確認のため直線ルートを進みます」


 記録魔道具に一通り吹き込んでからコンパスを取り出す。南東の群れから昨日の遭遇ポイントまでを測り、巣のあった位置からざっくりと円を描いた。もし何かの理由で群れが瓦解して逃げ出したなら円の中のどこでも小規模な群れに遭遇しうるということだ。


「……はぁ」


 深々とため息をついてからナズナは地図をしまう。フェルグランテの計器類を目標の方向へセットしてから、ストールをしまって昨日燃やした代わりの日除け羽織を纏う。大砂漠とよく馴染む砂色に薄水色の小さな模様の入った(かすり)だ。


「結構気に入っているんですよね、この上着」


 日除けの羽織なしでこの炎天下を行くのは無理だが、また服がダメになったらと思うとしんどいナズナである。


「ワーム、全滅していてくれませんかねぇ……」


 現実逃避をしながら、しかし真面目な女剣士はしぶしぶビークルに跨った。


 オアシスを出発して数時間、本来のアイボリーデスワーム生息域に到達。結論から言うと、ワームは全滅していた。しかし彼女の表情はいまひとつ明るくない。というのも、砂地には乾いた象牙色の巨虫の躯がこれでもかと投げ出されているからだ。


「乾いてもこの臭い……本当に嫌になります」


 嵐月の獣人の鋭敏な嗅覚がわずかな悪臭を拾う。けれど乾いていれば服に付くことはないし、袖で鼻と口を覆ってしまえばそれで耐えられる。問題はここにいるアイボリーデスワームの死因だ。


「熱振動ランスですか」


 2mから3mの個体が多いが、そのほとんどが五本から十本ほどの槍で貫かれて死んでいる。象牙色の表皮は砂色の金属柄が突き刺さっている周りだけ火ぶくれになり、ところどころに肉が爆ぜたような傷を作っていた。これは熱振動ランスという大型魔物を殺すための軍用魔道具。命中後にいくつものクリスタルが共振し火魔法を対象に染み渡らせることで内部から破壊するのだ。


「ロンドハイムの兵器は黒と赤か、黒と金の塗装が一般的ですが。どれどれ……ああ、カラーリングは砂色にしてありますけど、やっぱり帝国製ですね」


 転がっていた熱振動ランスを一つとって外装をはがす。この魔道具自体はアピスハイムやエクセララでも作っているが、共振させるクリスタルをあらかじめ膠で接合し一つの部品として扱うのは帝国製の特徴だ。


「我々憎しの一点で独自の技術を発展させるその根性は一周回って尊敬しますが、こういうところがまだまだなんですよね」


 独自色の強い技術は厄介だ。各パーツを統一規格にして整備性と生産性を上げるというのは、軍事国家である帝国らしい技術の形。けれど身元を隠したいのであれば悪手も悪手。特徴的な処理ほど作り手が特定しやすいものもない。


「記録、アイボリーデスワームの巣があった場所には戦闘痕と大量の大型個体の死骸。討伐にはロンドハイム製と思われる熱振動ランスがかなりの本数使用されています」


 数えてみると死体は十一体分あった。大型のBランク魔物十一体を始末できるだけの魔道具を常備している部隊などなかなかない。最初からこのワームを狩るつもりだったのだろうか。


「この塗装は所属を偽る意図があったのか、ただの迷彩仕様なのか……いずれにしても帝国による軍事活動の痕跡です。このまま手がかりを探ります」


 記録魔道具にそれだけ言うとナズナは先ほどのランスに外装を戻し、起動してから遠くの死骸に投擲する。軽く投げたその槍は勢いよく突き刺さり、独特の甲高い音色を奏でたあとそれそのものが爆発した。水分の抜けた死骸に熱振動ランスは上手く作動しない。最終的にクリスタルがオーバーロードして爆発する。


「完全に水分は抜けていますね。ということはこの巨体だとしても、大砂漠なら丸三日から四日というところですか」


 砕け散った死骸を遠めに見て、その破裂の仕方から推察する。もう一本拾ったランスで目の前の象牙色を軽く解せば、全身を使った消化管の内側には死体が詰まっていた。


「やはりロンドハイム兵でしょうか。よく戦う連中とは鎧の意匠が少しだけ違いますね」


 消化管の中の犠牲者たちは溶けかけではあるがまだ鎧も骨肉も残っていた。ただしその数は想像よりずっと少ない。鎧も槍と同じで砂色に塗装されており、形状も少し違っている。


「やはりあくまで迷彩ということなのか……ん?」


 しばらく他の部分の外皮もブスブスとランスの先で砕いて中を見ていたナズナだが、気になる死体を見つけて眉間にしわを寄せる。ランスの穂先で癒着しかけた複数の肉体をかき分けてソレを引きずり出す。


「これは、獣人……?」


 その死体は人間というには毛深く、特徴的な耳を持っていた。おそらく犬系の獣人だったのだろう。となれば奴隷か、とナズナは毛を逆立てそうになるが、どうにも妙な感じがする。


「……鎧を着ているから、ですか」


 そう、鎧だ。奴隷なら装備はなしか、与えたとしても質の悪いものを使うはず。士気が低い奴隷に高価な道具を与えても効果が見込めないからだ。しかしこの犬獣人の装備は他の帝国兵と同じレベルにある。さすがに意匠は違っているが。


「ですが……ええ、首輪はしていますね」


 高級な奴隷でなくとも戦闘用奴隷は武装させるので首輪をつける。つまりこの遺体は確かに奴隷というわけだ。


「それにこれは、入れ墨?まさか……」


 死体の右腕に刻まれているのは間違いなく入れ墨だった。焼き印ではなく入れ墨。これも帝国らしくない待遇だ。なにせ彼らの文化において、入れ墨は部隊や戦士個人の誇りの印とされる。奴隷に与えられるのは屈辱と屈服の証である焼き印だけだ。


「……これは、どう考えたらいいのでしょうか」


 見れば帝国兵も、他に何人か見つけた奴隷も、皆同じ入れ墨を右腕にしていた。顎を大きく開く竜の横顔と、上下の牙に挟まる黄色い薔薇の花。


「さすがに部隊章までは把握してないですからね……」


 ナズナが首を傾げたときだった。パタパタと頭の上の大きな狼耳が動いた。人の声、獣の息遣い、車軸の軋む音。それらが遠くから聞こえてきた。ゆっくりとこちらに向かってきている。


「誰か来ましたか。帝国兵、でしょうね」


 だとしたら遭遇戦になる前に少し観察しておきたい。そう考えて彼女は絣の裾を翻し、フェルグランテを停めてある砂丘の側まで移動した。幸いにも馬車が来るのは惨状を挟んで反対側から。まだまだ距離はあるが、エンジンを入れずに済むのはいいことだ。こちらに気づかれるまで様子を見て、そこから戦闘に入ってしまおうと彼女は決めた。


「音から察するに馬車は二台。人数はさすがに分かりませんが」


 フェルグランテの隣、砂丘に身をうずめるように腰を下ろして音に集中する。狼は嗅覚だけでなく聴覚も非常に優れた生き物だ。普通の種類でも遮蔽物のない平原なら10km四方の音を聞き分ける。ナズナが砂漠において聞こえる距離は、本気になればざっとその倍ほどだ。


「まあ、あと二十分といったところですか」


 呟いてから水筒を取り出し、のどを潤しながらビークルを眺める。こちらから仕掛けるわけでなし、馬車が来るまでは中途半端に暇だった。なんなら本を取り出してしばらく休憩してもいいほどだ。しかしそういう気にもなれず。自然と思考は昨日の夢、そしてこの旅の目的に向かっていく。


「マリー姉さん……」


 ナズナが度々砂漠に繰り出している目的はマリーの墓を探すことだ。あの日、病身の姉は父と砂漠のどこかへでかけ、そして死んだ。その後の調査で都市の警備や高弟の一部が白状したことによれば、マリーはエクセルに紫伝一刀流当主の座をかけて決闘を申し込んだそうだ。肺が萎み、足が萎え、剣を振れなくなる前に剣士として死にたかったのだろう。それを汲んだ周囲が断固反対するであろうナズナとカリヤに明かすことなく出立を手引きしたという。


 周到な準備の一環として、砂塵の民の薬師から彼女は灯火の粉薬という魔法薬を買っていたらしい。残りの寿命を燃やし尽くす代わりに、服用して一日は肉体的に最高のコンディションを得られるという秘薬だ。聖王国が禁止している違法薬物でもある。もちろん国を持たない砂塵の民にとってそのような国際条約など知ったことではないのだろうが。


 エクセルが言葉少なに語ったところによれば、彼は決闘の計画を全く知らなかったそうだ。夜明けとともに不気味なほど元気そうなマリーが現れ、すでに灯火の粉薬を使ったことを明かされ、砂漠で決闘に応じた。どのような戦いだったかも、どこで戦ったかも、そしてマリーをどう葬ったかも語らず、ただそうとだけ供述したのだ。


「……」


 誰も彼も勝手すぎる。そう思いつつも口に出さないのは、ナズナ自身がそう思う事もまた勝手極まりないのだと理解しているから。マリーとエクセルはお互いの最大の理解者であり、同時に愛し合った仲でもあった。そのことと彼女の性格を知っていればこそ、その思いもよく分かる。剣士として死にたい。生涯のライバルだった兄弟子と戦って死にたい。愛した男と向き合って死にたい。


「でも」


 でも、だ。分かるが、それで納得できるかと言われれば否である。だからナズナはこの件に関して、他の誰もがそうであったように、自分も自分の勝手を通すことにしている。何十年も延々と大砂漠を探し回っているのはそのためだ。ずっと、ずっと探している。


「……来ましたね」


 じっと砂を睨みつけながら何百回目の思考をなぞっている間に、客がようやく現場にやってきたらしい。ナズナは大きな藍色の耳をパタリと扇いで音に集中した。


 ~★~


「これは、酷いな……」


 ひげ面の小隊長が魔物の死骸を見て呟いた。五日前に僕たちの野営地を襲った白くて大きな魔物たちの群れは、殿を受け持った先輩と奴隷の部隊がなんとか倒してくれた。けれど最新の魔道具を沢山使っても、何人も食われてしまった。僕みたいな入隊したての新兵は震えて逃げることしかできなかったのだ。


「しかし、どうしましょうか。ワームは乾いてしまうと素材になりませんし、腹を裂いて仲間の遺体を回収するのも……」


 弱った声で先輩が横たわる魔物の、ワームの体へ視線を向ける。それは激しい戦闘のせいか、側面が大きく裂けた個体だった。中には半分溶け崩れた、僕たちと同じ鎧の兵士たちが。


「おぇっ」


 その中の一人と目があってしまい、僕は一気に口の中が酸っぱくなって、砂の大地に胃の中身を吐き出した。


「フェリクス!」


「す、すみませ、おぅぇ!」


 いくら怒鳴られても体は勝手にえづく。先輩たちが冷たい目で見降ろす中、僕はそのまま食料を全部吐き戻してしまった。


「しかしミソカス補充兵君じゃねえが、こりゃ酷いな」


「損害の大きかった第三小隊を残してきてよかった」


「ああ、知り合いの顔でも見つけてみろ、俺でも吐いてたかもしれん」


 僕のことは叱るくせに、口々にそう言う先輩たち。彼らはなにかにつけて補充兵として配属された僕につらく当たる。まともな訓練も受けていない、農村出身の使い捨てだと。けれど自分の立場は僕が一番わかっていた。だからただ自分が吐いた汚物に砂をかけて立ち上がる。


「量が量だ、仕方あるまい。よく燃やし、しかる後に埋めることにする。同胞をアンデッドにするわけにもいかないからな」


 しばらく考え込んでいたひげ面の隊長は重々しく頷いた。それに先輩の一人が顔をしかめて手を上げる。小隊長が顎で喋れと示すと、彼は苦りきった顔で吐き捨てた。


「ケモノ共もですか。違う隊とはいえ、戦士を畜生とともに埋葬しろと?」


「殿下のご命令を忘れたかっ!」


 返事は怒声と拳骨だった。発言した先輩は頭を強かに殴られ、ワームの死骸に叩きつけられた。


「ケモノ共も同胞として扱え、主命だぞ!」


「しかし!」


「口答えをするなビリー=アーガス一等兵!殿下がそうと仰せなら我々は従う、ただそれだけのことだ!」


 なおも反発するビリー先輩に小隊長はもう一発拳骨を飛ばした。三発目が入る前に彼と仲のいい別の先輩が間に入る。


「カリカリすんなよビル。家畜を一緒に焼くなんてこと、田舎じゃよくあるだろうさ」


 その目が一瞬僕をとらえた。そこに込められた意味はあえて考えず、足元に視線を落として黙る。さすがに田舎でも人と動物を一緒に火葬することはないけど……それよりも僕は気になったことを隣の先輩に尋ねてみる。


「……鎧、おいていくんですか」


「お前なぁ……」


 呆れた様子の彼が何か言うより早く、小隊長の鋭い視線が僕を射抜いた。


「フェリクス三等兵」


「は、はい!」


「我々帝国は資源も資金も豊富な覇権国家だ。まして殿下の護衛を任されるロイヤルガードである。死した同胞から装備を剝いでまで使わなければいけないほど貧しくもなければ、誇りのない育ちもしていない」


 その眼力に僕は体をできるだけ小さくして深く頭を下げる。


「砂漠のケモノ共とは違うのだ。肝に銘じておけ」


 最後に吐き捨てた言葉が気になって視線を少しだけ上げると、後ろから頭を小突かれた。振り向くと双子の先輩たちがニヤニヤと笑っていた。


「へっ、知らねえのかフェリクス。砂漠のケモノ共は死んだ仲間の身ぐるみを剥ぐんだ」


「躯ごと持ち帰れるならそうするみてえだがな。そうできない場合は武器だけでも分捕っていくわけよ。貧乏くせえだろ?」


「あれじゃ持って帰った死骸も肉にして食ってたりな!」


「ディー、今度オレらも食ってみるか?」


「おぇ、冗談でもやめろよ、バリー」


 双子の先輩は僕を挟んでお互いの鎧を軽く叩いて笑う。


「は、はは……」


「「はははは」ぶがっ」


 少しだけ空気が弛緩しかけたその瞬間だった。双子の片方が変な声を上げた。むっと鉄の臭いがして僕は斜め上を見上げる。そこには眉間から青味がかった鉄の角を生やした先輩の顔があった。


「……は?」


 先輩の目が痙攣しながら真ん中に寄って、自分の顔に生えたソレを見る。鼻の穴から赤黒い液体がだらだらとあふれ出した。ぐるりと目玉が裏返る。ガクン。僕の体にのしかかる先輩は、死んでいた。


「ひっ、う、うわぁ!?」


「バリー……?」


 慌てて死体の腕から逃れる僕。もう一人の先輩はまだポカンとした顔のまま兄弟を眺めていた。


「敵襲だ!ボサっとするな!!」


 小隊長の声が妙に遠い。視界の端に映る彼は数mも離れた場所へ飛び下がっていた。視線を先輩に戻す。生きている方の双子の先輩は、現れた襲撃者に蹴り飛ばされて吹き飛んでいくところだ。


「ケ、ケモノだ!」


 誰かが叫ぶ。吹き飛んだ先輩の代わりにその場へ降り立ったのは、美しいケモノの女性だった。


「武器を持ち帰るのは、文化の違いというものです」


 誰に言ったわけでもないのだろう。けれど辟易とした雰囲気の声でその女性は呟く。


「戦士の魂が籠った武器だけでも家族や同門に持ち帰りたい」


 女性の目が、優しい薄緑の混じったトパーズ色の瞳が、僕をとらえた。

 ころ、される……。

 身を固くする僕に彼女は口元を苦味の強い笑みの形にしてもう一言呟いた。


「それだけのことですよ」


「あ……」


 それはまるで普通の人間と話しているような感覚で、僕は目を瞠ったまま動けなくなってしまった。


「狼狽えるな、相手はたったの一匹だ!守りを重視して囲め!他のものは馬車からッ」


 叫んでいた小隊長の声が消える。女性はもう僕の前にいなかった。先輩の頭から片刃の剣を、砂漠の戦士がよく使うカタナを引き抜いて、ヒゲの隊長の前に立っていた。


「ぬぉっ!?ぐ……ロイヤルガードの、意地を見せてくれるわッ!!」


 絶叫と共にロイヤルガードに支給されている魔鉄の剣を抜きがけに切りつける小隊長。けれど僕に見えたのは、小隊長のスキルが強く輝くところまでだった。次の瞬間には彼の両腕が鎧ごと輪切りにされていて、精悍なヒゲ面が砂の大地に転がっていて。


「う、うわぁあああ!!」


 そこからは阿鼻叫喚だった。女性は小隊長の体から吹き上がる血しぶきの一滴も浴びないまま掻き消え、槍や剣を手にした先輩たちをスパスパと切っていく。藍色のポニーテールと砂色の上着が風になびいて、まるで一人だけダンスをしているようだった。けれど彼女が踊るたびに手が、足が、頭がポンポンと飛んで赤い液体が砂を染め上げる。


「殺せ!殺せ!!」


「たかがケモノ一匹だ、止めろォ!!」


「食らえこの化け物ッ!!」


「がぁあああああああ!!」


 僕を一番殴るマーコス伍長は槍ごと胴体を二つにされた。小隊長に食って掛かったアーガス一等兵とその友人のダニス一等兵はそろって首を落とされた。生き残った方の双子のディー先輩は狂ったように叫びながら吶喊して、頭から股まで真っ二つにされた。

 はぁ、はぁ……なんで、なんでこんなことにっ!


「……ひっ、ひぃ……!」


 あっというまに十五人もいた僕の仲間は、屈強な帝国兵は、バラバラになってしまった。その間、僕はただ砂に這いつくばって女性を見ていることしかできなかった。鎧の下のズボンが気持ち悪い。たっぷりといろいろな物を漏らして、顔も涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして、それでも僕は生きていた。


「あ、あぁ……」


「貴方はどうしますか?」


 最初、その質問が自分に向けられたものだと分からなかった。けれど黄緑の瞳はこっちを見ていて、ここにはもう彼女と僕しか生き物はいない。


「仲間の敵討ちと意気込むのなら、お相手をしてもかまいませんが」


 血と脂に輝く青味の強いカタナ。その切っ先を向けられた僕はガタガタと手足を震わせ、引きつった喉でなんとか言葉を絞り出した。


「ひ、い、いえ、いや、ぼ、僕はっ、たた、戦わない!戦う、つ、つも、つもりはない!こ、ろ、ころさ、ないで……ッ」


 情けないほどの命乞いを聞いた女性は少し意外そうに目を見開いたが、すぐに服の前に手を差し込んで紙切れを取り出した。それで丁寧にカタナの汚れを拭いて、最後に光をともした二本の指で刀身を挟み根元から切っ先まで撫で上げる。


「戦う意思がないなら殺しません。ただ丁度いいですから、色々と質問はさせてもらいましょうか」


 洗浄のスキルだったようで、まるで水で丁寧に洗ったように剣呑で美しい輝きを取り戻したカタナ。それを無駄のない動きで腰の鞘に納めて女性は笑った。


「な、なんでも答えます!なんでも、なんでもします!こ、殺さないで!!」


「よろしい。では……コホン」


 必死に首を縦に振る僕を見て、満足そうに頷いた彼女は周囲を見回し、それから僕の体に視線を下ろした。


「まず仲間の水筒をかき集めて、せめて身を清めなさい。臭います」


 砂色の上着の袖で鼻と口元を覆う彼女。そこで僕ははじめて彼女が犬かなにかのケモノだと気付いた。


「は、はひ」


 行き過ぎた恐怖の中に何か違う感情を覚えながら、僕はコクコクと頷いた。


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