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十章 第34話 告白★

 トワリ侯爵領領都ソルトガの砦、あるいはその跡とでも言うべき建物の地下深くにその男はいた。背は高く、老齢にあってなお隆々とした筋肉を纏い、(たてがみ)のような長髪を後ろに流した偉丈夫。ジョイアス=カテリア=ザムロ公爵。ユーレントハイムの軍神とも言われたかつての猛将は使いこまれた鎗を片手にただ堂々と立っていた。


「ぬぅ」


 わずかな息遣いに疲れが滲む。激闘から15日が経過したが、彼は戦後復興とはとても呼べない、誰もいなくなった領都付近の魔物掃討と治安維持の名目でもって、今なお留まっていた。王から与えられた兵は全て各部隊へと返し、代わりに公爵領の領軍を連れてきてまで。これが平和なユーレントハイムでなければ事実上、他領への進駐だと捉えられただろう。


 ガチャ


「閣下、開きました」


 彼の傍らで屈みこみ作業を行っていた男が立ち上がる。藍色の布で口元を隠したその男は進軍に際して公爵が連れて来た従卒の一人、ということになっているがその正体は領軍に所属する斥候である。男は今まさに公爵の目的であった地下施設の最後の扉を解錠し終えたところだ。


「では……っ」


 普通の護衛と同じように主のため扉を開けて入った斥候だが、すぐに口元を押さえて一歩後退った。その反応から中がどういう惨状になっているか、老将は察して更に眉をしかめた。これまでの道中も筒に詰め込まれた薬物中毒者の死体や組みかけキメラなど、酷い状態のモノをかなり目にしてきたが、斥候が不愉快そうに眉間に皺を寄せる以上の反応を示したのは初めてだったのだ。それらの死体は生々しさのないほどに黒く焼け焦げていたため、という理由もあっただろうが。


「閣下、これは」


「よい」


 何かを言いかける斥候を押しのけて公爵は扉をくぐった。


「……ぬぅ」


 幾多の修羅場を鎗とスキルで突破してきた豪傑が重苦しく呻いた。


「一体何をしていたのだ、あの男は」


 ガラス容器がずらり棚に並べられたコレクションルームらしき内装。そのほとんどに中身はない。だがやや濁った液やあけ放たれた蓋を見るに、中身は使うために(・・・・・)持ちだされたと見るべきだろう。


「お前は下がっておれ。それと数人こちらへ呼ぶのだ。書類の運び出しをさせる」


「は、はい。承知いたしました」


 斥候に新たな命令を与え下がらせてやり、彼自身はぐるりともう一度部屋を見渡した。


「ぬぅ」


 ガラス容器の中に残った物体は「肉塊だったもの」としか形容ができなかった。辛うじて人体のパーツらしきことは分かったが、いずれも紫や茶に酷く変色し、さらにブクブクと膨らんだり硬質化したりと変形もしていた。あげく所々激しく焦げてもいる。


「この部屋も、激しく燃えたような痕跡があるな……」


 ザムロ公のあずかり知らぬことであるが、地下施設が焼け焦げているのはアクセラのせいだった。彼女が激闘の末、自らの血から神炎を発火させるという奇跡を引き起こした時、地下で流していた血液からも同じように紫の炎が吹き上がったのだ。それは魂を破壊された筒の中の犠牲者や起動前のキメラ、保管されていた悪魔の短剣や悪魔憑き(ポゼッション)の侍女たちを焼き尽くした。


「やはり禁忌のスキルであったのだろうな、トワリの術は」


 見ていて気分の良い物ではないが公爵はつぶさに観察を続けた。目の前の物体はただ腐敗した実験過程の肉というわけではない。もっと邪悪な物なのだ。しかも、守るべき領民を食いつぶして作りだされた代物。


「しかしこれでは資料も残ってはいまい」


 落胆を漏らす。失伝したはずのトワリ家の真実の姿は、ザムロ家の資料にわずかばかり残っていた。だからこそ彼は自ら軍議に割り込んでまで今回の騒動に一枚噛んだ。上手く行けばトワリに大きな借りを作らせ、自陣に引き込むために。そう上手くいかずとも情報供与くらい望めると踏んで。


「まさか土足で上がり込むことになるとは思いもしなかったが」


 領主自身が騒動の黒幕だったことは、一面では運が良かったとも言える。彼は栄誉を極め切った四大貴族の一角、領地は広大で財政も軍備も王家に伍するほど。そんな大貴族の頂点に立つ家として、内紛の鎮圧に関わる場合、その後の復興や治安維持も担う習わしがある。その責務を逆手にとって誰に邪魔されることもなく秘奥を漁れるのは、トワリが討ち死にしてくれたおかげだった。


「まあ、手放しには喜べぬが」


 この光景は明らかに異端の所業だ。道中の悪魔のこともある。国から代々侯爵の地位を賜って来た人間が異端となった事実は重い。ザムロ公爵は平然とトワリの狂気を資源として荒らす図太さを持った男だが、その目的はあくまで国と民を守ること。今回の事件は運のいい話であると同時に最悪の事態でもあった。


「……ぬ?」


 展示用の棚とは別の棚、書類棚を開いて中身を検める。中の書類は意外な事に全くと言っていいほど燃えていなかった。


「おお、あったか」


 ザムロ公爵はわずかに口の端を吊り上げ、中の紙束を丁寧に取り出して目を通し始める。それはまさしく彼が探した通り、念願の研究資料だった。トワリ侯爵が領民の命を捧げて行ったキメラ、ゴーレム、悪魔、薬物、スキル、魔法についての研究の全て。微に入り細を穿つ実験の記録と考察、そこから何度も修正を加えられた錬金術の理論。アクセラとエレナが揃って天才と評した錬金術師の集大成がその本棚には詰っていた。


「……」


 だというのに、ザムロ公爵の顔は段々と険しくなる。一束、二束、三束と目を通した書類が本棚の上に摘まれ、次第に老いた戦士の顔は鬼の形相へと変わっていった。


「どれだけッ、どれだけの命を無駄にしたのだ、あの愚かな男は……!!」


 四束目を読み終えた公爵の反応は、その血を吐く様な怒号に集約されていた。トワリと言う男は民を資源だと捉え、価値のない命はどんどん消費することを選んだ。その姿勢は実験過程からもよく分かる。それがザムロ公には我慢ならなかった。ここまで無駄な犠牲を出しているとはさすがに思っていなかったのもある。


「……」


 しばらく怒りに震えていた彼だが、ふと自嘲の笑みを浮かべる。


「似たようなモノ、か」


 トワリのような狂気に犯されたわけでも、領民を使い潰しているわけでも、まして悪魔に魂を売ったわけでもない。だが彼も傍から見れば人道にもとる実験をしてきた人間だ。大義を掲げたところで失敗によって失われた命は等しく主導者を恨むだろう。


「今さらのセンチメンタリズムだな」


 力なく呟いてからザムロは再び書類に目を戻した。そこに記録されている内容が有用であり貴重なデータであることに違いはない。それならせめて役立ててやることが彼にできるせめてもの供養だ。


「これは、スキルを他人に移植する方法か?」


 次に手に取って目を通したのは肉体と脳を用いてスキルを奪い取るという突拍子もない研究だった。もしこれが敬虔な神官ならスキルと魂の結びつきを理由に鼻で笑っただろう。しかしザムロ公爵は神官ではないし、その中身を大まかに理解するだけの知識と頭のキレがあった。それまでの怒りの気配をすっと納め、時間が止まったようにじっと読み進める。扉の向こうから部下たちがこちらに歩いて来る音がする頃になってようやく彼は視線を紙面から離した。


「なるほど、なるほど……あの男は本当にイカれていたのだな、バケモノめ。しかし……ああ、確かに天才だ」


 公爵は皮肉気に唇を歪めた。領民に、国民に強いた苦痛を許すつもりはない。そのことに対する強烈な怒りはまだ当然存在している。しかし彼も長く生きた貴族というバケモノである。感情とは別に、既に起こされてしまった悲劇だと割り切ってしまえる。そうして得られたデータをみすみす葬る気などない。感傷に浸って犠牲の上に実ったものを捨ててしまうのは、為政者ではない。


「この研究が解読できれば、オルクスやロイツの献身にも報いることができる」


 噛み締めるようにそう言って笑みを浮かべる公爵。彼は部下に命じ、トワリの研究の全てを秘密裏に収奪したのであった。


 ~★~


 目を開く。薄く鼠色がかかった石の天井。

 珍しい……。

 貴族の屋敷などでは石造りでも天井に板や布を張るのだ。圧迫感があるから。錆びついた歯車のようにもったりと動きだした頭で最初に思ったのはそんな極めつけにどうでもいい事だった。次に思い浮かんだのは「だとするとここは何処か」である。その間、数十秒から一分程度。驚くほどに頭の回転が遅い。脳がとろけたバターにでもなったようだ。


「……」


 呻こうとして、喉が渇いて声が出なかった。ただ、それでもあまり危機感は募らなかった。全て終わった、という謎の安堵があったのだ。激闘の末、俺はトワリ候を討ち果たせず重傷を負った。それなのにもうあの男は討ち果たされたと知っているような……既視感や白昼夢にも似ているがそれだけでもない、言葉にしにくい感覚だ。


「……」


 そんな揺るぎない安心感に包まれつつ、けれど喪失感も同じだけある。目を瞑って左手の感覚に集中する。かれこれ6年以上握って来た相棒は手触りから重みまで寸分違うことなく思い出せた。もうソレが二度とこの手に収まることはないと思うと……。幾振りも刀は握ってきたが、これほど酷い別れをしたのは久しぶりだ。磨り上げて包丁にするどころか、ポッキリ折ってしまったのだから。


 俺は、紅兎に相応しい戦いをできただろうか。


「……っ」


 最後の戦いを思い返し、手が震えた。武者震いじゃない。純粋に恐怖から来る震えだ。紅兎がもっと早く折れていれば、トワリに余力があれば、あるいは助けが間に合っていなければ、俺は確実にあの砦で死んでいた。怪我の酷さは自分がよく分かっている。あれは高位の神官でもいなければ手の施しようがなく死んでいる怪我だ。

 戦闘に恐怖を感じたのは、本当に久しぶりだな。

 ぐっと上がる心拍、収まらない手の震え、脳裏で繰り返し再生される激闘。その強い恐怖に、唇が勝手に吊り上がる。腹立たしい相手だった。許せない相手だった。死の淵の恐怖を思い出させられた。だが、終わってみれば楽しい戦いだった。


「ん、ふふ……」


 ああ、今俺はよくない笑みをしているに違いない。周囲から血に飢えた狂人と誤解されるから止めなさいと、散々前世でもナズナに叱られたものだが。駄目だな、人間の根本は神になったり女になったりした程度では変わらないらしい。

 愉しかった。愉しかったっ。

 細胞の一つ一つが恐怖を感じ取り、その中で剣を振るえと命じる衝動に歓喜する。使命が理由だろうが、義憤が理由だろうが、そんなことは関係ないのだ。エクセルという魂は刀で命を削り合うその瞬間に全身を満たす「生きている」という実感に魅入られている。剣士の業、ここに極まれりだ。


「……」


 しかし、と少し冷静になる。それから震えの収まらない手を上げる。のろのろとした動きと軋むような痛み。想像の数十倍の労力をかけて掲げた左手は酷い有様だった。肉がかなり落ち、薄っすらとした脂肪層もほぼ消費され、筋が浮いてまるで老婆の腕だ。しかも手首から肘にかけて大きな傷跡ができていた。火傷と言うには派手な、魔法陣を内側から爆破した傷。思った以上にくっきりと残っている。

 ゆっくり指を曲げた。象牙細工のように白く冷たい拳ができあがる。小さく、非力な拳だ。エクセルの強さを受け入れるだけの器がない、死産するはずだった弱い少女の拳だ。


「……よ、わい」


 掠れた声が出た。それだけで喉から火が出るかと思うほど痛かった。それでも言いたかった。言葉にしておきたかった。今回の敗北は自分の在り方を曖昧にしてきた俺のミスであり、肉体的な脆弱性という目に見えていた問題を放置したツケだ。


「……ん」


 なんとなく残った苦みに顔をしかめる。戦いの恐怖は生の快感と表裏一体だ。それはいい。飲み下せる恐怖だ。自分の弱さに対する苛立ちも、実は方針自体は奇しくもこの戦いで定まったので決意以上の感慨はない。ではこの最後に残る、消化できないざらついた感覚は。

 恐怖?戦い以外の?なんだっけな、この感覚……。

 記憶に引っかかるくせに名前が出てこないモノだった。まるで飲んだことのある銘柄のお茶を出されて、香りへの懐かしさしか思い起こせないときのような。


 ガチャ


「!」


 扉を開く音がして、俺は上げたままだった腕を薄い胸の上に下した。蹈鞴舞の練習で若干ボリュームダウンした俺の双丘はまた少し嵩を減らしたような……最初から大して大きくもないのに貧乳化が止まらないな。

 ……などと下らないことを想っていられたのはそこまでだった。鼠色の中に暖色のライトを引き連れて誰かが入ってくる。その小柄なシルエットを見て、俺は無意識にほっと安堵の息を漏らした。


「え、れな……」


 ひっつきそうになる喉でその名前を口にする。蚊の鳴く様な声。彼女は足を止めてこっちを見た。驚いたように固まり、それからふらりと一歩を踏み出した。二歩目は既に走り調子で、そのまま少女は勢いよく取り縋るようにベッド脇へと駆け寄った。


「あ、あ……あぁっ」


「エレ、ナ……」


 少しだけマシな声量で彼女の名前を呼ぶ。


「アクセラ、ちゃん……!」


 悲鳴のような声で名前を呼ばれる。


「ア、アクセラ、ちゃん……ッ」


 薄明かりの中で彼女の目の淵に輝く雫が溜まっていく。それを我慢するようにぐっと噛み締められた唇。けれどすぐに雫は溢れて頬から形のいい顎へと流れ落ちた。ポロポロと涙は次から次へ。


「エ、レナ」


 もう一度ゆっくりと手を上げる。エレナのウェーブ髪を撫でてやろうとしたその手は、しかし途中でがっしりと捕まえられてしまった。彼女の高い体温は心地よいと言うには熱く、けれど胸の奥から同じ熱が溢れるような気がして、俺も力なく握り返した。


「アクセラちゃん、無事で、無事でよかった……っ」


 酷い涙声でエレナが言う。俺は泣きながら微笑んで彼女の顔を覗き込んだ。


「もう、だめかと、何回も、何回もッ」


 泣き崩れる大切な少女を見て罪悪感がチクりと主張した。彼女がどれほど心配しているかなんて分かっていて、俺は勝ち目のほとんどない戦いに最後の最後で踏み込んでしまった。そして同じ状況になれば、次も同じことをするだろう。その事実が二重の罪悪感を呼び起こしてチクチクと刺さる。


「ごめ、ん、ね……エレ、ナ……」


「ううん、ううん……いいの、帰って、帰ってきて、くれたから……!」


 握った俺の手に額を押し当て、ぐりぐりと首を振って泣き続けるエレナ。


「もう、戻ってきてくれないかと、思ったから」


 彼女は数度しゃくり上げるとまたわんわんと泣き始めてしまった。


「怖かった。怖かったよぉ……ッ」


 ゆっくりと時間をかけて寝返りをうち、エレナの頭を右手で撫でてやる。柔らかく波打つ蜂蜜色の髪が手櫛を撫でる。トワリの城に捕らわれている間に触っていたイーハのそれと毛質のよく似た、しかしもっと手に馴染んだ優しい感触。致命傷を受けて意識が薄らぐ中、俺が思い返したのはこの手触りだった。


「だい、じょうぶ、だい、じょうぶ」


 掠れる声でそう言いながらしばらく髪を梳き、頭を撫で、小さい頃からそうしてきたように。そしてすすり泣く声が小さくなってきたところで訊ねる。


「エレ、ナ、が……たすけ、て、くれ、た。でしょ……?」


 エレナはハッとしたように顔を上げた。子供のように泣いていたのに、赤くなった目元が妙に大人びて見えた。


「ど、どうして」


「なんと、なく」


 理由を聞かれても俺だって分からない。それでも俺を助け出したのはエレナだという確信があった。彼女が小さな声で「魔力の記憶共有?」と呟いたが、その意味するところは分からず。

 いや、今は理屈なんてどうでもいい。


「エレ、ナ、あり、がと」


 もう一度髪をくしゃくしゃと掻き回す。エレナは言葉に詰まったようで、もう一度泣きそうになりながら、それでも堪えて笑った。にへっとしたふにゃふにゃの笑み。けれど誇らし気さが見て取れる。

 ああ、この娘は強くなったな……この遠征で見違えるほどに。

 弟子でもある少女の成長が垣間見え、俺は嬉しくて何度も彼女の頭を撫でまわした。普段なら髪型がおかしくなると怒られるところだが、今だけはエレナも嬉しそうに目を細めて見せた。


「ん……エ、レナ、目、どうか、した……?」


「え!?」


 ふと、彼女の両目に違和感を抱いて手が止まる。


「あ、あはは……分かっちゃうんだね。流石アクセラちゃんだ」


 エレナは困ったように頬を掻いた。にへっとした笑みは彼女がリラックスしている証拠だが、それでもハッキリと分からない変化は少し不安を煽った。


「……」


 トワリは簡単に倒せる相手じゃなかった。何か無理をしたんだろうか。あるいは頻発していた視界の入れ替わりのような不思議現象が悪化したとか。


「だい、じょうぶ?」


 髪を伝って頬まで手を滑らせる。少し痩せたというか、やつれたような手触りがした。


「うん、えへへ……大丈夫だよ。でも、その話はまた今度にしよう?」


「……」


「一杯、一杯話したいことがあるんだ。だから、またゆっくりね」


「……ん、そう、だね」


 気にはなる。気にはなるが、彼女がそれでいいと言うなら信じて待とう。それに今焦って全部を話したところで、俺はしばらく寝て起きてだけで精一杯の体だ。どうせこれから治療とリハビリで俺は缶詰だろう。

 なんだろう、ちょっと懐かしいな。

 そういえば魔獣・灰狼君(ペイン)と戦ったあともそうやって長い長い話をした。あの時は俺の肉体と魂の不整合からくる不調や焦りが彼女を悩ませ、結果的に転生や使徒のことを打ち明けることになったんだ。俺とエレナの、大きな転機だった。


「ね、ねぇ……その、抱きしめても、いい?」


 俺が感慨深く思い返していると、エレナがそんなことを聞いてきた。左手を包む力が薄っすら強くなる。


「どう、して、きく、の?」


「ほら、病み上がりだし……アクセラちゃん、もう二週間も寝てたんだよ?」


 二週間!?

 わざわざ聞いてくるのが不思議だったが、それは確かに情熱的な抱擁を宣言なしにぶちかますのが躊躇われるな。


「たぶん、だい、じょうぶ」


 重傷を負って何週間も寝たままという状況が何十年ぶりなので、やや恐る恐る頷いて腕を広げる。エレナは一瞬ためらうように止まったあと、おずおずと左手を解放して身を乗り出した。腕が背中に回され、首筋に鼻先が埋められ、熱くて柔らかい体が押し付けられる。


「……」


「……」


 しばらく沈黙が下りた。無言で、ただお互いの小さな息遣いだけを耳元で聞きながら、じっと抱き合う。


「怖かった」


 ポツリとエレナが呟いた。


「最後にね、わたし、なんて言ったかも覚えてなくて、そんなままで終わるのは嫌で、二度と会えなくなるんじゃないかっておもったら、怖くて、怖くて……」


 温かい雫が首筋に滴る。そこでようやく俺は自分の中に残っていたザラつく恐怖の正体が分かった。


「ん、わた、しも……わたし、も、こわ、かった」


 自分で思うよりずっと小さい声だった。


「あ、あはは……アクセラちゃんに怖いもの、あるの?」


 涙声のまま茶化すエレナに俺は頷く。


「エレナ、が、いない、こと」


「っ」


「ひとりで、死ぬ、のは、ちょっと、こわ、かった」


 戦いに死ぬことは怖くない。俺の最後はきっと二回目も剣を握っての往生だ。けれどたった一人で野垂れ死ぬことは怖かった。

 今になって気づくとはな……。

 前世のまだ若い頃は、いつか自分はまた一人に戻って、どこかでひっそり死ぬのだろうと思っていた。奴隷だったときは孤独だった。拾ってくれた山賊が壊滅したあとも孤独だった。だからきっと孤独に最後は帰ってくるのだと。それがいつの間にか、誰かに看取ってもらえるのだと信じるようになっていたんだ。


「エレ、ナに、あえない、まま、死ぬの、は、こわ、かった」


 前世の最後は幸せだった。次元を斬るという剣の極致へ至り、越えられぬまま別れた師をようやく超え、愛するナズナに父としての言葉を残して死ねた。満ち足りていた。今さら誰に看取られることもなく討ち死にをするのは嫌だと、贅沢なことを思う程に。


「……アクセラちゃん」


 俺の言葉を聞いてしばらくは強く強く抱きしめてくれたエレナだったが、ややあって体をわずかに離した。暗闇の中で顔を突き合わせる。手を伸ばせば触れられる距離。それでもさっぱりとした石鹸と薄っすら汗の香りがする。


「わたしね、もしアクセラちゃんが帰ってきてくれたら、今度はちゃんと言おうと思ってたことがあるの」


 真剣な眼差しで俺の目を覗き込む早苗色。美しい色。


「アクセラちゃん」


 息の混じり合う近さでエレナはその言葉を口にした。


「わたしは、アクセラちゃんが、好きです」


 影に沈んでいても分かるほど、彼女の頬は赤く染まっていた。


「わたしの恋人になって、くれますか?」


 俺が何かを言うより先に、そう言った。


章の最後に狐林さんから魔法戦スタイルのエレナを頂きました!


挿絵(By みてみん)


前回の刀を構えたアクセラと双璧をなすテンポ感のあるいい絵ですね!!

狐林さんはリアルが忙しくなってしまったので、これが最後の絵になりそうです。

狐林さんのおかげでアクセラの衣装も決まりましたし、

なんならエレナの覚醒トリガーになった鍔の展開も思いつきました。

今まで本当にありがとうございました。


さて、これにて十章はおしまいとなります。楽しんでもらえたでしょうか?


エレナに覚悟と決心をさせるためにはアクセラが健在だとイカン。

そういう理由で展開させたこの章は賛否あろうかと思いますが、

ここから関係性の変わっていく二人が肩を並べて戦うためには

必要だったお話だと思っています。


告白したエレナの想いは届くのか。

さらなる力を求めるアクセラの目指すモノは何か。

修羅場をくぐったクラスメイトたちは何を見出すのか。

次の章ではそのあたりをじっくり描いていきたいと思います。

そんなわけで、こうご期待!!


とか言いつつ、毎度のごとく章末のお休みをいただきますので

以下の日程でよろしくお願いいたします。


11月20日(土)十章 第34話

~お休み~

12月30日(木)間章1

12月31日(金)間章2

1月1日(土)間章3

1月2日(日)間章4

1月3日(月)間章5

1月8日(土)十一章 第一話

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― 新着の感想 ―
[一言] 十章お疲れ様でした! 魔法戦スタイルのエレナ、美しいです…! この章でかなりエレナは成長しましたね。 それでも、まだまだ2人とも伸び代があるので今後の成長も楽しみです! そしてついにエレ…
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