十章 第33話 論功行賞
イーヴィルゴーレムも、死者の囁きも、瘴気も、全てが消し飛んだ薄暗い砦のホール。天上に空いた巨大な穴から月が白い影を落とす。
「……あ」
音すら途絶えた空白。その静寂を破ったのはわたしの気の抜けた声だった。それも変にくぐもってる。足に力が入らずその場に崩れ落ち、それからようやく自分の状態に気づいた。
「魔力、酔い……」
白い砂のように風に溶けてく魔力の神殿。その圧倒的な防御魔法をもってしても大魔法の反動であちこち怪我だらけだ。けれどそれ以上にグルグルと回る視界が気持ち悪くてわたしは目を閉じた。瞼越しでもまだ魔力が見える。砦にはまだキメラがいる。まあ、命令がないからか動いてないけど。悪魔はさっきの余波で全滅。
「アクセラ、ちゃん」
冷たい床石に頬をつけて、首だけ動かし大切な人の方を見る。白に近い魔力の輝きがさらさらと消えてくところだ。わたしの想いが勝手に防御魔法になって彼女のことも囲ってたらしい。そのことに安堵となんだか不思議な面白さを感じる。色とりどりの治療用魔法は健在で、アクセラちゃんの弱々しい魔力も今なら見えた。
「……あれ」
少しだけ術式を弄ろうかと思って指先を向け、そこで気づく。さっきまでの万能感がない。思っただけで魔力が動く異常な感応も。同時に倦怠感と眠気が足元から這い上がって来た。
「そ……か」
微睡へ落ちる中で二つのことを理解する。
一つはさっきの力が仮初のもので、きっと目が覚めたときにはもう消えてるんだってこと。魔力がまるでわたしの先生で、同時に従者でもあるみたいな感覚は一種の快感を与えてくれたけど、きっと人には過ぎた力だ。
そしてもう一つ。わたしはアクセラちゃんを守れたってこと。
「まあ……うん……それで、いい、や……」
~★~
「|セキスタプルソーサリー《六極の大魔導》……主、これは」
地上の遥か高次元に存在する天上界。その中心ともいうべき巨大な城の最奥、太陽神の住まいする部屋。上品に口元を手で押さえて、最高神に侍る最強の戦乙女シェリエルは驚きを漏らした。その横ではプラチナの髪を持つ幼女、成長し続ける世界の体現者であり万物の創造主たるロゴミアスも難しい顔で頷く。
「うむ。まさかとは思っておったが、本当に開眼させよるとは」
真鍮色に輝く二対の瞳が見つめるのは瀟洒なテーブルに置かれた大きな水桶の中。そこには揺らめく銀の液体が張られ、ここではない場所の景色が映し出されていた。夜の闇と月の光に照らし出された砦の廃墟。否、廃墟になったのはたった今のことだ。
「一時はどうなることやらと思うたが、まさかこういう決着になるか」
彼女らが見ていたのは外道に落ちた人間が生み出した狂気のゴーレムとエレナの戦い。もっと言うならここ数日、主神は最低限の監視と仕事以外この水桶に齧りついてことの次第を見ていた。初めてできた友人、エクセルが心配で。
「極大魔導は使い手の三人しかいない魔法の極致のはずですが」
怪訝な顔でシェリエルが言うと、ロゴミアスも眉間に皺を寄せて椅子に深くかけ直した。
「いや、支配者の魔眼であればおかしくはないじゃろうな。あの魔力に対する異様な命令権、それにスキルシステムを通じて知らない魔法を引きだす権能……通常の魔眼ではありえん話じゃ」
神と戦乙女の視線は力尽き、眠りに落ちようとするエレナの目に注がれていた。魔眼の中でも神々の持つ神眼と強い関係がある一際に強力で特殊なものを、彼女たちは支配者の魔眼と呼ぶ。少女の目がそれではないかとロゴミアスは疑ったのだ。それに対してシェリエルは首を振る。
「たしかに魔法神ギレーヴァント様の持つ魔導の神眼、そこに属する支配者の魔眼に酷似しています。しかし今まで地上に存在したどの支配者の魔眼とも違いますし、それに……」
「ああ、うむ」
彼女たちの見守る中、閉じられたエレナの瞳からは涙が溢れ出た。そこには神眼でしか見ることのできない神力が籠っている。真鍮色の輝きの中に若紫の色味が混じった独特の神力だ。
「エクセル様のものですね」
エレナ=ラナ=オルクスは使徒アクセラの乳兄弟だ。生まれて最初に口にする乳からして同じものを食べ、隣に眠り、魔力を通わせ、心を通じ、今や恋心すら抱く。それは一種、神に捧げられた無垢なる巫女と同じ状態。転生者であるアクセラを除けばエクセルという神と最も感応できる人間だった。
「力を宿さぬからこそ可能性という名の余裕が空白の魔眼にはあった。あの娘はもともと魔力を強く惹き付ける子であるし、魔力は感情に応じて変質する力じゃ。エレナの想いとエクセルの、使徒アクセラの魔力が反応して魔眼を書き換えた……そういうことじゃろうか」
「数日前に彼女は魔獣を討伐しています。スキルシステムから魔獣討伐者の称号と共に付与されたスキルエネルギーがあればあるいは、それも可能かと」
身に着けた技能からくるスキルと違い、称号によって付与されるスキルは魂に馴染むのに時間がかかる。それをエクセルの加護が強引に別の可能性を開花させる原資にしたとすればありえない話ではなかった。その分、おそらくエレナの魔獣討伐によるスキルは消えていることだろう。
「その辺りは後々で確かめればよかろうて」
「あまり我々が言うと安っぽく聞こえるので好みませんが、奇跡としか……」
「そうじゃな。むしろ必然じゃったと言えるかもしれぬが」
神と戦乙女は長く生きてきてなお初めて見る現象に深く驚いていた。偶然であるなら驚いて終わりだが、今回の要はエクセル神の加護だったのだ。今回は特殊すぎる状況とはいえ、今後も起こり得る奇跡の可能性の一つではある。
「ふふん、やはりエクセルを昇神させて正解じゃったな」
「ふふ、ええ、そうですね。それについては御慧眼だったと思います」
二人は笑い合う。世界が大きく変容し成長する予感がした。否、それはもはや確信だ。その結果がロゴミアスの被造物たちに幸福をもたらすものであれば、と彼女は願うばかりだ。
「支配者の魔眼といえば、天輪の魔眼はもう発現せぬのじゃろうか」
ぽつり。ひとしきり祈ったところでロゴミアスは呟いた。キュリエルが身を固くする。
「あれが失われてからもう4000年ほどになるか」
それはかつて太陽神の使徒が所持した強大な魔眼。支配者の魔眼の1つであり、遥か昔にロゴミアスが自身の瞳を裂いて地上に与えたものだ。
「わしの失策だったということじゃろうな、あれを与えたのは」
「主」
「よいよい……まあ、別に何の魔眼に目覚めようと関係ないことじゃ。人類は等しく我が愛しき子らじゃからな」
「……はい、主」
寂し気に笑ったかと思うとパタパタ手を仰いで笑う主神。忠実な戦乙女は少し迷ってから頷いた。
「それはそうとエレナは一度天上へ呼ばねばなるまいな。エクセルの封印もこの冬で解けるわけじゃし」
ロゴミアスが何を思っているのかシェリエルには手に取るように分かった。以前二人を天上へ招いたときは宴会を開いた。つい最近まで友人らしい友人を持たなかった最高神はそれを大変に楽しみ、またすぐにでも開きたいと言っていたのだ
「ふふ、あまり困らせてはいけませんよ」
「む、わしは主神じゃぞ?祭られ、宴を催されて当然の存在じゃ。つまり問題はナシじゃ!」
「そういう尊大なコトは溜まった仕事を片付けてから仰ってください。太陽の運行機動にズレが出始めていますよ」
「何!?」
シェリエルの言葉に椅子を鳴らしてロゴミアスは立ち上がった。天上の世界では眩しいという理不尽な理由で非表示設定にされている太陽だが、地上にとっては世界の屋台骨の一本である。しかも相当に太い一本だ。
「そ、それは不味い……うー、早く黄道三十八太陽神を招集するのじゃ!あと紅茶のお代わり!」
裾を跳ねさせて執務室へ駆けだす小さく偉大な背中を見てシェリエルはもう一度優しく微笑んだ。
~★~
ユーレントハイム王国王城、その一角にあるウッヴァ記念宮殿。ここは賢者でもあった中興の祖、ウッヴァ王が収容人数を重視して作らせたという格式高い祭儀のための宮殿……というかホールだ。
最奥の壇上には玉座が三つ、それぞれが国王と王妃、そして王太子の席になる。入り口から王の眼前まではやけに広い平場で、ここに表彰される軍属などが一斉に整列する。左右の壁には劇場の観覧席にも似た四層構造の貴賓席。普通は王より高い位置に人を座らせないが、増える貴族と拡張される軍を同時に収容できるホールが必要となったウッヴァ王は、高低ではなく奥行きに尊さを見出す教会の建築作法を取り入れた。神像は奥に配置された物ほど上位の神のものである、という作法をだ。これにより実用性と権威付けを両立させた、我が国独自の様式といえる。
その歴史と格式を誇るホールで今、トワリ侯爵領解放戦の論功行賞が執り行われていた。玉座には王と王妃が座し、左右の席には四大貴族を始めとして多くの貴族が腰を落ち着け、大臣、各騎士団長、軍の要人も揃っている。視察に回っていたという総帥の姿もそこにはあった。そんな壮々たる面子に挟まれて平場に整列しているのは、半数が軍属であったが残りは学生や教師であった。もちろん私、シネンシス=アモレア=ユーレントハイムも学生の一団に並んでいる。
「……」
王立学院の生徒の多くは貴族子弟だ。しかし国の中枢を担う文武の長と国王その人を前に立つ白い制服の肩は小さく震えていた。普段自分たちが接している親兄弟や付き合いのある私人としての貴族と違い、参列者たちは戦士の気迫とはまた違ったオーラを纏っているのである。
そういえば私も昔は慣れなかったな……。
「それではこれより、功績を讃えて陛下よりお言葉と褒美を賜る!」
懐かしさを覚えていると、父ラトナビュラ王の側に控えたリデンジャー公爵バハル宰相が宣言した。彼はそれまでトワリ侯爵領解放戦と銘打たれた今回の概要と顛末を列席者に語っていたところだ。
「一同、陛下の御前である!」
リデンジャー公の号令に列席者はざっと立ち上がる。逆に平場の兵士と私たち学生は膝をついて首を垂れた。すると国王は鷹揚に身を起こし、手にした黄金の王笏でシャンと床を打った。
「皆の者、我が家臣よ、我が民よ、我が子らよ。突如として悪しき力を用い、無辜の民を虐殺するという暴挙にでたトワリ侯爵家当主ヘズレインを討ち果たし、未曽有の災厄から侯爵領を解放したその功績、実に素晴らしいものである」
重々しくも喜びを感じさせる王の声。肌がひりつく様な、腹に響く様な、『国王』の放つ最高位の王気が込められている。
「人類への背信行為に及ぶ者が我が国の貴族から立て続けに二人も現れたこと、そして多くの民が犠牲となったこと、深い悲しみに胸を痛めるとともに王としての我が不徳を恥じ入るばかりである」
痛まし気に伏せられた目から涙は流れない。しかし血を吐く様な痛みを感じていることは普段の父を知る私にはよく分かった。貴族にも民衆にも親しまれる王だからこそ、この場にいる多くの者が同じように感じ取ったことだろう。
「だが今日は嘆くため諸君らに集ってもらったのではない」
たっぷりと黙祷のような静寂の時をおいて王は再び言葉を紡ぐ。
「今日集ってもらったのは、此度の暗雲を打ち晴らした英雄たちを讃え、未来へと続く輝きを確かなものとするためである」
シャン、ともう一度王笏を鳴らす国王。私のそれと同じくイエロートパーズのような瞳がひざを折る将兵へと注がれる。
「ユーレントハイム王国が誇る国軍将兵たちよ、大義であった」
彼らは一層深く首を垂れてその言葉を受け取る。
「よくぞ万難を排し我が民を救い出してくれた。余はこの精強なる軍を誇りに思い、また幾度このような人類の敵が現れたとして、此度と同じ成果をもたらしてくれることを期待する。そのためにも今後ますます、よく鍛錬に励み、またよく体を労わるよう申しつける。宰相よ」
「はい、陛下。諸君らに褒美として報奨金と五日の休暇を与えるものとする!」
「ハッ!ありがたき幸せにございます!!」
屈強な騎士と軍人を束ねる将軍が声を張り上げて応じた。神経質そうな顔立ちのわりに将としての風格ある返答だ。その裂帛の気合いを受けて王は深く頷き、それからこちらへ視線を移す。
「ユーレントハイム王国王立学院の教師諸君、大義であった」
教師たちの代表、コルネ老が一度顔を上げてから深くお辞儀をし直した。
「襲い来る敵から生徒たちを守り導いたその手腕は言うに及ばず、自ら犠牲を省みず戦ったその勇気と高い職務意識に余は一人の親として感謝と尊敬の念を抱く」
国王の言葉の間に王妃の、母の視線が私へ向けられた。そこに込められた優しさに少しだけ恥ずかしさと誇らしさが沸き起こる。
「これからも一層若き光の教育者として、また守護者としての活躍を期待する」
「貴君らには褒美として報奨金と望みの道具を与えるものとする!武器防具であろうと研究の道具であろうと構わぬ。後ほど文官をやるゆえ申し出るように」
「身に余るお言葉でございます」
コルネ老が深々と腰を折り、行きからすると随分減ってしまった教師たちが揃ってそれに倣った。王はこれにも深く頷くと一番端で所在なさげに集まっている集団へ目を向ける。
「王都冒険者ギルド所属の冒険者諸君、大義であった」
王侯貴族ではない彼らは一様に緊張した面持ちでそれぞれに頭を下げたり身を竦めたりしている。衣装こそフォーマルなものを国から貸し与えられているが、その中身は自由と荒事を愛する冒険者。王気を浴びて居心地が悪いらしい。
「その冒険者としての知識と技能、気転を以て我らが大切な子らを守ってくれたことに感謝する。我が国は他国と比べダンジョン数、魔物の生息数が共に高い。これからも依頼という形でこの国を支えてくれることを、一人の依頼者として期待する」
「……は、はい」
頷いたのは途中から戦士隊を率いたリーマンだ。シンプルな黒のタキシードと撫でつけた髪のせい一瞬誰か分からなかった。どうも仲間内で押し付け合いの末に選ばれたらしいことが、腰の引けた様子から伝わってくる。
「そなたらは我が配下ではないが、此度の働きはただ護衛依頼の成功と言うだけでは足りぬのでな。宰相」
「褒美として報奨金とギルドへの報告書、および各人への感謝状を用意した」
ギルドへの報告書というのはどれだけ彼らが活躍したかの口添えをするということである。国が発行するとなればランク査定には大きく影響するだろう。それに国家からの感謝状など、末代まで自慢できるネタだ。武勇と面子を重視する冒険者には最高の追加報酬だった。
「あ、ありがたいッス、じゃなくて、ありがたき幸せ、です」
つっかえつっかえ礼を述べるリーマン。しかし彼を微笑ましく見ている余裕などない。
「ユーレントハイム王国王立学院の生徒諸君、大義であった」
次に王の瞳が見据えたのは私たちだからだ。
「多くの者が初めてとなる長期の都市外活動であったにもかかわらず、友と互いの背を守り合いこの窮地を生き延びた。この経験は必ずや諸君の未来に続くものであるだろう」
チクリ。胸に痛みが生じる。
ああ、これは自責の念だ。
私はすぐに痛みの名前を言い当てた。アクセラが行方不明になったとき、心配や助け出す算段よりも先に戦力のことを考えた。友と互いの背を守り合ったのではなく、守るだけ守らせて死んだものとして扱った。あまつさえ、助けに行こうとするエレナをもっともらしい正論で縛って戦わせた。その事への自責だ。
「また実感はしづらいかもしれないが、諸君の活躍によって続く我が軍は確かに救われた。失った痛みが忘れ難いことも察して余りあるが、そのことを忘れず誇りとしてほしい」
労いよりも慈愛と心配の籠った言葉に私は顔を上げて父をしっかりと見据える。
父上、本当に私は誇ってよいのでしょうか?
そんな言葉をぐっと飲み込む。
「ありがたきお言葉です、陛下」
小さなバラの棘が刺さったような痛みを無視し、胸を張って言葉を声に出す。
「我ら一同、このことを誇りとして胸に刻みます。そして次の試練、その次の試練へと折れることなく歩み続けましょう。共に戦った仲間を信頼し、その信頼を裏切らぬと誓って」
そう、今回を乗り切ったからよかったよかった、ではないのだ。これからもきっと命を懸ける場面が来る。その時にまた、互いの力を勝ち続けなくてはいけない。国を営むということは、貴族でいるということは、負けの許されない戦いを常に挑まれ続けることなのだから。あの時の判断、指揮官として正しかったことは今でも疑っていない。次も同じ判断をすべきだと分かっている。それが必要なことだと。
「……うむ、よい心構えだ。宰相」
父王は少しだけ目を瞠って、それから満足げに頷いた。
「諸君らへの褒美は報奨金と特別に誂えたマントである。学院の制服と同じ特殊繊維に付与魔法を施した逸品だ。これから諸君らを大いに助けてくれることだろう」
自らも微笑みを浮かべて宰相はそう言った。
「以上が陛下のお言葉である。各々が謹んで胸に刻まれたし!」
矍鑠とした老人の声に巻き起こる万雷の拍手。我々を讃える拍手だ。父も母も、貴族たちも、皆が我々のためにその手を打ち奏でている。
「……」
確かにここまでされると誇らしかったが、同時に不安も湧き出た。私やレイルだけでなく、多くの生徒が今回のことで自らの力を証明してみせた。しかしまだ学園は2年も残っている。当然、期待はより大きなものになる。
「重いな」
誰にも聞こえないほどの声で呟く。今しがたそれを背負うと言ったばかりだが、それでも先を思えば腹の奥に金属を抱えたような感触がした。しかし誰もそんな私を待ってはくれない。拍手が止む頃を見計らってリデンジャー公が再び口を開いたからだ。
「それではこれより特に功績のあった者、勲一等から勲五等までに陛下よりお言葉と褒美を頂く。呼ばれた者は速やかに御前へ進み出るように」
公爵の言葉を聞いて平場にいる全員が先ほどまでとは違う緊張に包まれた。なにせ論功行賞の中身はこの瞬間まで誰にも知らされていない。おそらくこうだろう、といった下馬評はあっても確実ではない。もしかすると自分が、と誰もが思っていることは手に取るように分かる。
「勲一等、シネンシス=アモレア=ユーレントハイム第一王子殿下!」
まずは私だ。下馬評通り過ぎて周囲に驚きはない。少しだけ緊張の滲む足取りで前へ進み、父王の眼前で背筋を正した。
「突如発生した襲撃に対し教師、学生、冒険者を的確に守備隊として編成し防御陣形を運用した指揮官としての功績。魔獣討伐の前線指揮を執り行った功績。魔獣と戦い、集団でもってこれを討伐した功績。これらを王国は高く評価するものである。また大勢の当事者から王族として皆を激励し、先の見えない苦境を先頭に立って切り拓いたとの声が上がっている。これらを以て勲一等とするものである!」
公爵が私の功績を読み上げれば、国王が手にした王笏をシャンと鳴らした。
「シネンシスよ、よくぞ王族の務めを果たした」
「は、ありがたきお言葉でございます」
直立したまま首垂れる。功績を誇って王の前にあって凛と立ち直答する。しかし見上げることはしない。目を合わせたり顔色を窺ったりしてはいけない。それがユーレントハイムでの論功行賞の作法だ。頭上から聞き慣れた父の声が降り注ぐ。
「そなたは王族であるがゆえに、その勤めを全うしたことへの褒美は出せぬ」
王族であるということは、今回の私の働きが当然の行いとして期待されるということ。それは承知の上と深く頭を下げて受け入れる。
「しかし急な初陣にも関わらず勲一等に値する働きを成したこと、王としても父としても誇らしく思っておるぞ」
「は!ありがたき幸せにございます!」
「シネンシス」
型通りの返答をした直後、親し気にファーストネームだけを呼ばれた。いくら父が臣下と民に親しまれる砕けた王だとしても異例のことだ。私は驚いて身を固くする。だが父は穏やかな口調で短く付け加えただけだった。
「よくやった」
「……はッ」
返答が一拍遅れた。最後の一言は腹に沈んだ金属の重みも、胸に刺さった棘の痛みも、どちらも一時忘れさせるほどすっと入って来た。そこに込められた感情が本物だと理解させられる、力のある言葉だった。鼻の奥にツンとした感覚が生じるのは、王族としての働きを褒められたのが初めてだからだろうか。それとも自分の中で消化しきれていないコトも含めて、父に許されたような気がしたからだろうか。
「褒美はないが」
しかし、続けられた言葉にそんな感傷は吹き飛んでしまった。
「此度そなたが見せつけたは、王たるべきものの資質だと余は考えておる」
「!」
驚いて顔をあげ、慌ててまた下げる。一瞬見えた現王の顔はどこか楽し気だった。
「近々、そなたの立場というものを見直さねばならぬな」
その言葉に列席していた貴族から小さくないざわめきが巻き起こった。なにせそれは事実上、私の立太子を近いうちに行うという言葉にほかならないからだ。しかし交わされる貴族たちの大きな囁きなど聞こえないとばかりに父は頷く。下がってよい、と。私は動揺を悟られぬように靴を高らかに鳴らしてもといた場所へ戻った。
「……」
白陽剣を与えられている時点で実質の王太子だと言われればそれまでだが、今回の戦いで私はようやく専用スキル『王剣』を使うことができた。そのことも関係しているのか。あるいは前々からタイミングを計られていたのか。
立太子……とうとう、か。
バクバクと跳ねる心臓を薄い呼吸で落ち着けていると、公爵が次の名前を呼んだ。慌てて意識をそちらに向け直す。
「同じく勲一等、王立学院1年生エレナ=ラナ=マクミレッツ!」
「は、はい!」
軍属ではなく学生が勲一等、しかも私の直後という事実。さらに進み出たのが見るからに強そうでない華奢な少女。先ほどより更に大きなざわめきが巻き起こった。しかし不思議と平場にいる学生や軍属からは何も聞こえない。
いや、不思議でもなんでもないか。
「襲撃に際し第一王子殿下を守り、数日に及ぶ防衛の要となる要塞を魔法にて構築した功績。防衛において的確に魔法使いを指揮し後衛を盤石とした功績。その後の解放作戦に従軍し都市ジッタにて多数の悪魔を撃破した功績。領都ソルトガにおいて首謀者トワリ侯爵の討伐を達成した功績。これらを王国は高く評価するものである!」
砦構築と首級の討伐、これが大きい。氷の砦がなければ我々は二日と耐えきれずに死んでいたはずだ。少なくとも非戦闘員が生き残れたとは思えない。しかも獅子奮迅の魔法戦だ。これを認めないと言いだせば何をもって認められるのかという話になる。共に戦った誰もが彼女を認めていた。
「よくぞこれほどの難事を達成してくれた。そなたの魔法、頭脳、そして勇気に敬意を表する」
「あ、ありがたき幸せ!」
とはいえエレナ自身は自分が勲一等とは思っていなかったのか、受け答えに焦りが見えた。王はその姿に微笑みを浮かべる。
「特に首謀者を討ち取った功績は大きい。褒美に望む物があれば申せ、余の力で叶うことならば叶えて見せようぞ」
妹たちに向ける優しい顔と似ているが私には分かる。あれは裏で為政者としてエレナの器を測ろうとしている顔だ。
「その、ありがたき幸せ、です……では、王城の書庫への立ち入り許可を頂けますでしょうか」
「書庫であるか?もちろん構わぬが、理由を申してみよ」
緊張からかつっかえながら、しかしハッキリと答えるエレナ。
「その、勲一等にして頂けたのはとても嬉しいです。でも、今回の戦いでわたしは力不足を痛感しました」
「その年齢でその魔法、十分だと思うが」
「足りません」
「ほう」
キッパリと言い切る少女に周囲の視線が若干険しくなる。それは真っ向から国王の言葉を否定する行為だからだ。貴族子女ならあとで親から大目玉を喰らうところである。しかしエレナはそれでも口を噤むことなく心の内を語った。
「もっと強ければ、もっと大勢を守れた。もっと強ければ、もっと早く助けに行けた。もう少しでわたしは、わたしの大切な人を死なせるところだった。もうこんな思いはしたくないんです」
ある意味で傲慢な、しかし王が先ほど学生に望んだとおり高みを見据えた言葉だ。
「王室の書庫には魔導書や古い歴史書があると聞いています。魔法の研鑽も力ですが、知識や視野の広さも力です」
将軍たちが小さく息を漏らす。貴族たちも小さく唸る。学年の1年生、14歳の未成年がこれほどの視座を持っている。そして一国の王の前でそれを語っている。中々に異様な光景だ。大人からすればなおそうだろう。
「わたしはもっと強くなりたい」
彼女の背中しか見えない私だが、その柔らかい緑色の瞳が強い意思を持って国の頂点に立つ男へ向けられていることは想像に難くない。しかし数秒その視線を正面から受け取った父は表面的な微笑みを崩して豪快に口の端を吊り上げた。
「ふふ、ふはは!もっと強くなりたいか。若く、シンプルで、だからこそ力強い。それに良い目をしている」
そう言われてエレナは始めて自分が王を直視していることに気づいたようで、音がしそうな速さで下を向いた。王の笑みに苦笑が混じる。
「己の為の力ではなく、人のために振るう力を求める。その心根は少々青臭いとも言えるが、正しく真っ直ぐなものであるな。よかろう、我が名において禁書庫以外の閲覧を許す」
「え、あ、ありがとうございます!……あっ」
喜びのあまり顔をあげてまた下げ、それから言葉遣いに気づいて声を漏らす。さすがの父も苦笑の色が濃くなった。
「ともすれば大人が忘れてしまう清らかな心意気を思い出させてくれたことに免じて、拙い礼儀には目を瞑ろう。しかし今そなたが胸に抱いている指針を忘れるでないぞ」
「はい」
「皆も良いな。正しさとは力に宿るのではない、高潔な思いのもとに力が振るわれるときだけそこにあるのだ」
平場の全員が神妙に頭を下げた。最後に下がってよいと言われエレナはやや速足でこちらへ戻って来た。緊張のせいか、失敗のせいか、顔は真っ赤だった。
それから軍を率いたザムロ公爵が四大貴族の慣例に倣いトワリ領の後処理を行っており、また同じ理由で勲一等の功績を辞退した旨が伝えられる。最高位の貴族である彼らは王族と同じで国に尽くすのが当然とされるからだ。続いて勲二等に移ると部隊の参謀を担った神経質そうな将軍が呼ばれる。そして次の名前……。
「勲二等、アクセラ=ラナ=オルクスですが」
私やエレナのときとは異質なざわめきが貴族の席から生まれる。それは平場に立つ軍人からもだ。オルクスの悪名は現役貴族の間では確固たるものだ。老宰相はそんな悪意と困惑の喧騒を斬り捨てるように一つ咳ばらいをして更に言葉を重ねる。
「陛下、彼女は重症を負って療養中です。ここは功績を讃えるのみとし、後日改めて褒美を取らすのは如何でしょう」
「うむ、聞き及んでおる。急場は抜けたとのことであったが、まだ目が覚めぬのであったな。褒美は追って取らすものとし、それまでは国の治療院にて手厚く遇するものとせよ」
王がそれをよしとしたことで公爵は彼女の功績を挙げる。私の護衛としての働き、単独での群れ撃破、単独での魔獣討伐および魔獣撃退。そこから見えてくる彼女の高い戦闘能力は貴族たちの交わす声を大きくするに十分なものだったが、その質は残念ながら悪い方向に加速していく。
裏切りのオルクスが高い戦力を手に入れたことに対する危惧、何をするつもりだという疑心、それにパワーバランスが著しく狂うことへの期待と恐怖か。
普段の彼女を知っていればそんな心配をすることがどれほど無意味か、良くも悪くも身に染みるものだ。しかし多くの貴族たちは彼女と面識がない。アクセラはただオルクス家の長女であり、超人的な戦闘力を見せた正体不明の子供なのだ。
「勲三等……」
そのまま続いた列挙の中に知った名前は意外なほど多く混じっていた。百足の魔獣を討ち取った騎士が勲三等。レイルなど砦の隊長格はそれぞれ勲四等。ジッタで大型悪魔を倒したアロッサス姉弟や先生たちは勲五等だった。最後まで砦と軍の間を繋いだアレニカの名前が上がらなかったのは、おそらく父たちなりの配慮なのだろう。勲四等には値する働きだったが、不安定な彼女をこの場で注目に的にしないための。特に列席者には彼女の父、ルロワ侯爵もいるのだから。
「皆、よく戦ってくれた。今一度、大義であったと言わせてもらおう」
王が最後をそう締め括り、論功行賞は終わったのだった。
次週はエレナの魔法使いとしてのイラストを掲載予定!
連載開始からイラストをくださっていた狐林さん最後の一枚です><
次回が十章の最終回となります。長めの章でしたが、いかがでしたか?
ストレスのかかる中盤だったかもしれませんが、終盤で納得してもらえたなら嬉しいです。
さて、来週の更新が終わればまた章末の休暇に入らせていただきます。
間章を年末年始に合わせようとか色々企んでいるので変則的なお休みになります。
よろしくお願いしますですm(__)m
11月20日(土)十章 第34話
~お休み~
12月30日(木)間章1
12月31日(金)間章2
1月1日(土)間章3
1月2日(日)間章4
1月3日(月)間章5
1月8日(土)十一章 第一話
~予告~
生死の縁より目を覚ますアクセラ。
彼女の世界は、大きく変わり始める。
次回、告白




