十章 第31話 その瞳の開くとき ★
「火の理は我が手に依らん!」
紅蓮の輝きが炸裂する。閃光に白く染まった視界で力強く膨れ上がったその魔法は、けれど黒い瘴気の嵐が吹き荒れる中で数mを焼き焦がすだけ焦がして押しつぶされた。
「あッ!」
激情のままに放った魔法は恐れた通りイメージが不鮮明だった。瘴気を突破する域に達してない。わたしは火の粉を振り払いながらすぐさま方針を変え、魔力強化と強化魔法を重ねがけして踏み込んだ。ガリ、ガリ、ガリと岩を削る音へ真っ直ぐに走る。
「瘴気、邪魔!」
纏ったマナアーマーにぶつかる小さな衝撃すら煩わしい。右手の指に魔法を纏わせて振り抜く。手足に纏わせる魔法のイメージは強固だ。風の刃は獣の爪の如く発現、瘴気を深く切り裂いた。生まれた間隙へ体を滑り込ませ更に走る。音の方へ一心不乱に足を動かし、白い世界での距離があと数mになったとき。新たな体を得たゴーレムが瘴気の中にぼぅっと浮かび上がった。
「っ」
思わず息を飲む。氷でできた人間の骨格ような体に、生前の侯爵とよく似た顔。長く尖った鎌の両腕を持つソレは、まるで怨霊か何かのようだ。イーヴィルゴーレムはそんな醜悪な姿になってなお、アクセラちゃんへの執着を手放してない。。
「風よ!」
解体用のスキンナイフを杖に見立てて振り下ろす。相手が見えれば魔法の精度はぐっと上がる。刃にそって逆巻いた風がウィンドカッターとなって氷の骨組みへ撃ち出された。イーヴィルゴーレムは着弾直前に腰から上をグリンと回転させ、長い鎌で魔法を正面から撃ち払う。正面から激突する二つの刃。一瞬の膠着を経て、鎌の方が先に砕けた。
「風よ!」
すかさずもう一発ナイフを振るう。けど狙いの粗い魔法はゴーレムのあばらを一本折るだけで突き抜け、石繭の曲面に当たってあらぬ方向へ弾けた。バケモノの氷の骨は、断面から樽に穴でも開いたように水が吹き出し、しかしすぐさま凍結して元の形を取り戻そうとする。
「キリがないッ」
吐き捨てながらも魔法の追撃を構えた瞬間、今度はゴーレムが地を蹴った。
「はやっ……!」
それまでのパワー頼みの加速とは一線を画す、軽さ故の勢いで侯爵の顔が迫る。右の鎌が鋭く振り上げられ、わたしはそれを不格好な流鉄でいなした。カウンターで極小の火弾を撃ち込む。着弾寸前で大きく骨格を捻ってゴーレムは回避。その勢いのまま再生した左腕が突き出され、わたしは慌てて頭を振った。避けたつもりで頬に痛みが走る。
「オ、イデ……ボク、ノ……オイ、デ」
侯爵の顔、それも変異前の人間らしい顔が囁く。けれどそこに表情はない。完全な無。まさに死体の顔。
「うる、さい!!」
ナイフを肩の骨に食い込ませて魔法を放つ。膨れ上がった火にあぶられてわたしの傷口もひりつくが構わない。関節が弾けて腕が捥げ、ゴーレムは衝撃で石繭の表面に叩き付けられる。
「貫け、風よ!」
空気が轟と鳴って収束、風の槍が三発纏めて撃ち出される。一発目は瘴気に止められ圧潰。二発目はそこへ深く食い込んで黒錆び色の粒子を消し飛ばす。そして三発目。白い視界に映る細い肩にそれは届いた。バキャ!と派手な破砕音がし、青紫は両腕を失った。
「そこだ!」
その隙に距離を詰め、青白い化け物を真正面から襲う。氷の肋骨を掴んで繭から引き剥がし、勢いを乗せ石の表面に叩き付ける。氷の破片が骨という骨から飛ぶ。一歩跳び下がり、思い切り回し蹴りを胸の中央に叩き込んだ。硬い何かを踏み抜く感触。イーヴィルゴーレムの胸部は強化した脚力に負けて木っ端微塵だ。割れた場所から血のように大量の水がまき散らされた。
「ッ」
水から急速に氷の腕が生える。跳ね上がる鎌がスカートに大きなスリットを刻む。引き戻す足を切っ先が掠って、太股にピリッと痛みが走る。。
「ッぁあああああ!!」
叫びながらスキンナイフを虚ろな目に突き込んだ。
「火よ!」
ボン!と侯爵の顔が爆ぜた。氷片と水飛沫が吹き上がり、何か焦げた肉みたいなものが床に落ちて湿った音をたてる。わたしは反射的にそれを踏み潰した。するとまだ暴れようとしてた全身が突如、水になって床へと降り注いだ。
「はぁ、はぁ……次は!?」
コレが本体なはずない!
石繭を背に庇うようにして叫ぶ。黒い瘴気の闇は答えない。けど爆発する白い閃光の中にそれは見えた。これまでで一番濃い青紫の塊。わたしの身長ほどもある、その奇妙に蠢く色塊が核だ。そう直観的に理解した。
「かなり遠い……壊しに行くにしても、先に杖を回収しないと」
思った以上に杖なしでの魔法が下手になってる。優れた目に頼りすぎたのか、それとも杖の改良に入れあげ過ぎたのか。なんにしても魔法のイメージが固まりづらい。魔力を掌握する能力すらも視界と一緒に酷く制限された感じがする。
昔はもっと、簡単に魔法を使えてたのに……!
胸の奥に広がる嫌な感情。頭を振ってそれを追いだし、刃の欠けたスキンナイフを握って杖を探そうとした。まさにその時だった。
「!」
闇を切り裂いてイーヴィルゴーレムの鎌が振り下ろされた。ギリギリでナイフを振り上げる。けれど勢いは殺し切れず。氷の骨格にわたしは突き飛ばされた。
「がぁ!?」
今度はわたしが石繭に叩き付けられる番だった。削り取られた部分の角が背中に食い込む。無理やり肺の中の空気が追い出される。黒と白が入れ替わり、バケモノの青紫の魔力をくっきりと映し出した。
「し、ま……っ」
本体の色と重なって先行するコイツが見えてなかった。輪郭のない魔力の色だけの視界、距離感やダブりに対応できないことは想像できたのに。もう一度振り抜かれる鎌。刃が身をよじったわたしの脇腹を薄く切る。
「ッ!!」
石杭が刺さった痕に響いてお腹の中まで激痛が迸る。悲鳴を噛み殺しながら拳を突き出して魔法を放つ。風の爪は鎌の半ばまで食い込み、痛みによるイメージ不足と荒れ狂う瘴気で破壊された。
「あ、あああああっ!!」
もう一度風の爪を生み出して鎌をなんとか壊す。けれどその時にはもう一方の鎌が下から引っ掛けるように跳ね上がってきて。
や、ば……っ!
足を引き寄せてお腹を守るとする。ナイフを、風の爪を、受け止めようと振り下ろす。けど足りない。遅い。冷たい鎌の方が先に下腹へ。
バリッ!!
視界を白い閃光が覆った。お腹を引き裂かれる直前、交互に入れ替わる視界の中でわたしが見たのは、青紫の腕が色調の違う紫に弾かれて消えるところだった。
「!?」
「ボ、ク、ノ……ッ」
黒に戻った視界。迸る雷光に鎌を溶かされ、肘から先を失ったゴーレムが茫然と囁きを漏らす。
「どいて!!」
吼える。火の魔法を侯爵の頭に撃ち込む。ジュワっと蒸気が吹き出して顔面が蒸発する。そこへスキンナイフを殴るように叩き入れる。氷と違う、生々しい感触がした。イーヴィルゴーレムは数度激しく痙攣して、それからまた水になって崩れ落ちた。
「はっ、はぁ、ひ、はぁ」
時々しゃくりあげるような変な息をしながらなんとか呼吸を整えようとする。視線は真っ直ぐに青紫の塊の方。けれど今のでナイフが折れた。次は、来るかもしれないと警戒してても対応できるかどうか。すぐに目視を諦めて耳に魔力強化を施した。土魔法で少量の砂を作って撒く。強化した聴力でなら足音が拾えるはずだ。
「……」
わたしは視線を自分の体に落とす。バチ!小さく閃光が走った。スカートのポケット、底に仕掛けのない方の中に紫が見えた。侯爵の汚れた青紫じゃない。もっと見慣れた優しい、ラベンダーの花に近い色。
「もしかして、この鍔?」
ポケットから紅兎の鍔を引っ張り出す。可愛らしい兎と立派な稲穂が透かし細工になった金属。その兎の目の部分にキラリと光る淡い紫の宝石は、たしか火のダンジョンクリスタルだったはず。だが今は。
「え……えぇ!?これ、聖属性になってる!」
飾り程度の火のクリスタルだったはずなのに、紅兎の瞳はエクセル神の貴色を強く秘めてキラキラと輝いてる。周囲の瘴気に反応してるのか、ときどき小さな雷を散らして。拾った時には全然気づかなかった。
「アクセラちゃん……?」
つい石繭の方を見てしまう。黒い視界には傷ついた石の肌だけが、白い視界には色とりどりの魔法に包まれたまま身動きしない弱々しい光が映る。彼女が何かしてくれたわけじゃない。
だったら、これは?
アクセラちゃんが生死の淵にあってもわたしを守ってくれた。そんなセンチメンタリズムは、ちょっとロマンチックだと思うけれど、違うと思う。もっと直接的な理由がある。そんな風に感じる。
バチッ!
ドクン!
「!!」
疑念への答え合わせのように、突然それまでより数倍激しい光が魔眼を満たした。呼応するように心臓が強く鼓動を打った。あまりの強さに体が仰け反る。
「う、はぁ、はぁっ」
一度同期させてからはたとえ乱れても白い視界を維持してくれてたその二つのリズムが、また噛み合って大きく響いた。わたしの中で、まるで戦太鼓のように。
バチッ!バチッ!バチッ!バチッ!
ドクン!ドクン!ドクン!ドクン!
「うっ、あ……!」
あまりに強い鼓動。跳ねる体。筋肉が硬直して、まるで雷に打たれたよう。わたしは胸を抑えてうずくまる。近くに敵がいる。そんな思考をする余裕はなかった。強くなる光の爆発と強引に高鳴る心臓。息が苦しい。目が痛い。頭が焼けそうだ。
「はぁ!はぁ!はぁ!」
全身を使って呼吸する。瘴気で薄まった魔力を必死に吸い込む。過剰な酸素が脳に行くような、頭の奥がふわふわとする感覚。急激に目に見えるものが認識できなくなる。代わりに突然の異変をじっと見つめる兎の瞳がやけにくっきりと映った。
バチッ!
閃光で反転する瞬間だけ兎の瞳、若紫色のクリスタルに景色が映る。
バチッ!
やけに高い天井。見たことがある。ケイサルのお屋敷の天井とそっくりだ。
バチッ!
そこに赤と白と黒の糸が漂って、空中にタペストリーを織り始めた。光ってて、綺麗。
バチッ!
細かいタータンチェックを組み合わせて動物みたいなシルエットが描かれる。
「あ、あぁ……!!」
跳ねまわる心臓が痛いのに、穏やかな感情が奥の方から湧いて来る。訳が分からなくなってわたしは目を覆った。それでも魔眼に閃光が弾けると瞼も掌も貫いて兎の目が見える。紫の宝石に映し出される景色が。
バチッ!
糸を操作してあの模様をつくるのは重労働だ。特にまだ赤ん坊の俺には。でもしないと。
バチッ!
笑い声が聞こえる。赤ちゃんの笑い声。甲高くて、けどそれを聞けるのがとても嬉しい。
バチッ!
横を見る。木の柵の向こう側に赤ちゃんがいた。蜂蜜色の髪の赤ちゃん。笑ってる。
「これ……これ……ッ!?」
優しい気持ちが強くなる。心から溢れて体に染み入るはずの幸せが、まるで外側から心に逆流するような甘い不快感。この感覚には覚えがある。ニカちゃんと最初に起こした視界の逆転。あのときの感覚だ。でもあの時よりずっと強い。わたしの境目が分からなくなる。境目。誰との、境目?
バチッ!
赤ちゃんが手を伸ばす。タペストリーから伸びる余り物の糸に。緊張が走った。来るぞ。
バチッ!
赤ちゃんの手が遠慮もなく糸を握った瞬間、赤い糸は彼女の物になる。身構えても無駄だ。
バチッ!
奪い取られる違和感。ゾワっとするような感覚。理不尽で、けれど絶対的な優劣の差。
バチッ!
寂しさとほんの少しの嫌な感情。けれどそれを越えてワクワクする。嬉しい。楽しみだ。
「そう、だ……」
目から涙がこぼれた。痛みから、恐怖から、沢山流した他の涙とは違う。暖かくて優しい、でもちょっと物足りない、そんな感情からくる涙。その一滴一滴に混じってわたしの中に流れ込んできた自分のものじゃない感情が抜けてく。
バチッ!
タペストリーの赤色が崩れる。白と黒も維持できなくなって消える。赤ちゃんは泣いた。
―ああ、泣かないで。エレナ、俺の可愛い姉妹―
これは、アクセラちゃんの記憶だ。ずっと昔の、わたしがまだ赤ちゃんだった頃の。ずっと隣にいて、魔眼持ちだったわたしを魔力糸であやしてくれてた。それがきっとわたしが生まれて最初に見た魔力。初めて知った神秘。そして、魔法が意思とイメージによって魔力を動かす技だと言うなら。
「わたしの、最初の魔法」
ふと思い出す。小さい頃の記憶だ。わたしはアクセラちゃんとよくあやとりをした。毛糸でじゃない。魔法糸で。それから糸の取り合い。アクセラちゃんが作った糸をわたしが掴んで奪う。アクセラちゃんは凄く上手に抵抗するけど、いつも最後はわたしが勝った。
「なんで、忘れてたんだろう……」
レメナ先生にも教えてあげると、先生は椅子から転げ落ちるほどビックリしてた。普通はいくら魔力親和性が高くても、自由な魔力や自分の中の魔力を強く従えられるだけ。他人の支配してる魔力を自分のものに上書きしたりはできない。それもアクセラちゃんほど巧みな魔力操作で抵抗されたら、先生だって奪えない。そう言って。
「使えないんじゃない、使ってなかったんだ」
わたしの魔法の本質は惹き付け、奪い、支配する魔法なんだね。
今なら分かる。鍔に収まった兎の瞳が、そこに込められた魔力が何を望んでるのか。わたしに帰属したがってる。石から解放されて、わたしという一つの魔力の渦に混じりたいんだ。だからずっと語りかけてた。方法を教えてた。わたしがそれを知ればやれるし、やるだろうと思って。
「わたしの、魔法……来たれ」
人差し指の先で若紫のダンジョンクリスタルをなぞる。光はクリスタルからとろりと抜け出て、紅兎の鍔はサラサラと崩れてしまった。それが悲しくて、寂しくて、わたしは指先に宿った光を胸に抱く。
「あ」
若紫の光は溶けるように広がって、わたしの胸に吸い込まれた。紋章のあるあたりが熱を持つ。さっきまでの燃えるような熱じゃない。太陽のように強く、柔らかく、沸き上がるような熱。それが一気に体中へ伝わる。
「あ……あぁ……」
同時に意識が真上に引き上げられるような浮遊感。もっと高い場所と繋がるような拡張感。世界が語りかけてくるような全能感。一気にわたしが希薄になって、広がって、大きくなる。そこへスキルを使うときの独特の感覚が混じって、すぐに溶けた。
「すごい……」
すぅっと解けるように熱が馴染むと、視界を襲う閃光も頭痛も消えてしまった。けど暗闇に戻ったわけじゃない。黒錆の嵐が消えたわけでもない。ただ、それでも見えた。瘴気が見える視界と魔力が見える視界、二つの視界が同時に存在する。輪郭だけじゃない。色だけじゃない。それはさっきまでの白い世界と違って、より詳細で限りなく普段の視界に近いものだった。
ブゥン……。
小さな音を立ててステータスが目の前に現れる。ずらずらと並ぶスキルや称号の中の一つが燃料切れの魔導灯のように瞬いた。その文字列は「魔眼持ち:空白の魔眼」。それが数度点滅してから変化した。「魔眼持ち:■■の魔眼(支配者/不確定)」に。
「支配者……不確定……?」
伏字になった部分は読めず、説明も見れず、そしてまだ神経質に点滅を繰り返す称号。まるで眼窩に自分以外の眼球が収まってるような妙な感触だった。
「オ、オイ、オ、イ、デ」
壊れた記録魔道具を再生させるような乾燥した声が頭上から降る。意識を目から話して視線を上げると、いつの間にか目の前にイーヴィルゴーレムが。それも先の二体とは違って、まさに聳えるというべき巨大な氷の塊だ。それがゆらりと拳を持ち上げる。その物理的な巨体と重なる様に、青紫の光がくっきりと見えた。胸の中心に一際強い光があって、そこから全身に広がる魔力が氷のアウトラインを形作ってる。
「あ」
強い。そう確信できる硬質な体と溢れ出る魔力、瘴気、威圧感。氷の巨体は一拍の躊躇いもなく、振り上げた拳をわたしめがけて振り下ろした。
ハッピーハロウィン(前日)!ハロウィンイラスト最後です!
ぽいぽいプリンさん、4か月分の依頼、本当にありがとうございました!!
アクセラ×グリムリーパー
エレナ×ウィッチ
アレニカ×ドラキュラ
イーハ×フェアリー
オレンジに色づく墓場をバックにそろい踏み……というより同じセットでコス撮影って雰囲気ですね。
みんなこれまでのイラストの中でも飛び切りに可愛いのがもう最高!!
この四人で活動する日はくるのだろうか、という初期プロットに対する不安もありますが。
まあ、せっかくのハロウィンなので楽しみましょう!!
更新も佳境ですから、そろそろ今後の予定を出すべきですね。
いまスケジュール作ってますんで、少々お待ちください^^
もしよければ評価などしていただけるとモチベが続きます。
~予告~
紅兎の最後の力で覚醒したエレナ。
その魔眼は魔力の根源を見つめる。
次回、六極の大魔導




