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十章 第29話 瘴気の渦の中で ★

「……死ん、でる」


 氷の彫像を見て、わたしの口から白い息が溢れる。その言葉が自分の中にストンと収まるような感覚のあと、一気に緊張が解けて膝から崩れ落ちた。固くて冷たい凍った床にへたり込んで、自分の中にあった激情がゆっくりと醒めて行くのを感じる。


「殺し、ちゃった……」


『静寂の瞳』による感情抑制と分析能力の底上げ。戦闘の熱と怒りを抑えるために過剰なほど発動させたスキルの影響で、純度の高い氷の中から世界を見てるようなクリアな感覚に陥る。残ったのは自分でも気味が悪いくらい理性的な思考と、それからジワジワと湧き上がる怒りとは違った感情。目の前の死体が持つ強い印象とリアリティだけがくっきり意識に刻まれる。途端、ぞわりと震えが来た。胃の中がグルグルして、指先がわずかに痺れる。


「は、ひぐ、はぁ、はぁっ」


 憎悪と妄執に憑りつかれた氷像の表情を見るうちに、わたしの息はどんどん荒くなる。胸が苦しくて、痛くて、息を吸ってるのか吐いてるのかも段々分からなくなってしまう。


「うっ」


 吐き気が込み上げてきて口を押さえる。人を殺した。その感覚が冴えわたった意識に染み入り、何と言えばいいか、説明しにくい最悪の気分になる。不死王のときにも思ったことだけど、どんなに最低の悪人かなんてやっぱり関係ない。「燃える斧」の頭領くらい人間性が壊れてれば別だけど、侯爵くらいだと、うん、キツい。


「おぇッ」


 冷徹な思考、論理的な意識に反して胃が激しく収縮して、堪えきれずに氷の上へ胃液を吐きだす。口の中に嫌な酸味が広がった。ふとアクセラちゃんが昔、成長中の体と成長しきった魂のズレで体調を崩してたことを思い出した。たぶん今のわたしはあの時の彼女に近い状態だ。スキルを効かせ過ぎた。初めての殺人に揺れる感情が思考と齟齬をきたしてる。


「おぇ、う、おげェ……ッ」


 強行軍と戦闘の連続で未消化のものは何もなかったみたいで、すぐに胃液も尽きて空えづきに変わる。胃と喉が強引に跳ねまわるのはとても苦しかった。


「うぅ……それに、これ、何……?」


 まるで自分という存在がズレたような、ここにいる自分が昨日までの自分と違う人間であるような、ハッキリと言い表しづらい体感に戸惑う。同じ記憶、同じ人格を持った違う肉体だと言われても納得するかも。そんな感覚だ。


「……」


 少量の水で口をゆすぐ。気持ちの悪い感覚もろとも吐きだすように、少し冷たい水で。バクバクとうるさい心臓は全然収まってくれないけど。ハンカチでそっと口元を拭く。杖を頼りに立ち上がろうとして、足に力が入らず立ち上がれなくて、じっとしていたとき。ふと視界の隅に光る物が映る。


「あれ……」


 床に突き立つ巨剣や砕けた飾り柱、燃え残った絨毯、白く降りた霜。そういう目を引くもののなかに、地味な金属が一つ転がってる。わたしはまだ言うコトを聞かない足に鞭打ってそれのもとへ向かった。


「!」


 紅兎の、アクセラちゃんの愛刀の鍔だった。透かし彫りで可愛らしい兎と稲穂が描かれた金属を手に取る。6年間、わたしの最愛の人の腰に差さってた彼女の相棒。その無残な姿に涙が浮かぶ。ファティエナ先輩との決闘で愛用の杖を壊しちゃったときと同じか、それ以上に胸が締め付けられた。


「うん、一緒に、帰ろうね」


 ぎゅっと手の中の鍔を握る。冷たい金属に体温が映って、すこしだけ私の気持ちも暖かくなった。それをポケットに落とし込み、今度こそ杖をしっかり握り直してからわたしはちゃんと立つ。結論は先送りだ。今は暴れる感情や探し求めてた覚悟の結末や、まして自分でも把握できない妙な感覚に時間を裂いていられる状況じゃない。


「終わらせよう」


 キュリオシティの先端で輝くクリスタルを氷像へと向け、風の魔力をぐっと込める。


「頭と、胸と、あとお腹だよね」


 脳、心臓、それから下腹部が人間だと魔力の溜まりやすい部位。マレシスくんの事件のあと、必死に学院の図書館を漁ったわたしとアクセラちゃんは、その三か所が悪魔の核の隠し場所たりうる部位だと知ってる。自前の肉体を持たない悪魔は、そこ以外だと全身の魔力を制御できないかららしい。これはアクセラちゃんの経験とも合致するらしい。


「風の理は……」


 唱えかけたところで死体を破壊する行為に躊躇いを覚えて手が止まる。でもすぐに頭を振る。

 必要なことだ。


「我が手に依らん」


 ウィンドバレットを三発撃ちこむ。無色の弾丸は氷の体を粉砕してシャーベット状の中身をぶちまける。そう疑いなく、しかし油断もなく信じてたわたしの目の前であり得ないことが起きた。


 ブワッ!!


「!!」


 突如として黒く錆びた風が吹き、わたしの魔法を横から押し潰した。粉塵を巻き込んだように昏くねっとりと蠢く空気の流れ。


「そんな、どこから!?」


 驚愕するわたしを嘲笑うように吹き上がった一陣の疾風はそのままたたき下ろされ、侯爵の体を取り巻いた。


 ガガガガガガガガガッ!!


 雨雲よりなお黒く粘土のある黒い竜巻は激しい音を立てて氷を砕き始める。魔眼に映る黒錆にも似た吐き気を催す汚い色。物理的な破壊力を持つまでに濃くなった邪悪な気流は、まるで細かな鉄片が大量に混ざった暴風のようだ。


「なっ、水よ!氷よ!」


 拙い。状況が分からないなりにそう判断して魔法を放つ。水魔法で生じた濃霧。急激に冷却されて白くなった風が黒い風を襲った。モノクロの疾風が混じり合い、相争い、けど更にどこからか溢れた黒が一気に白を押しつぶす。


「オ……イ……デ……」


「!」


 掠れるような声。それは確かに侯爵のものだ。つまりこの風は何かのトラップや新しい敵の介入じゃない。侯爵自らが起こしたモノ。


「まさか、まだ生きてるの!?」


 わたしの背筋は冷たくなった。最上級魔法は物理的・魔法的な破壊を兼ね備えた攻撃だ。しかも今回、ファティエナ先輩との試合と違ってわたしは全力でゼロアンバーを放った。直撃したなら死霊系のアンデッドや悪魔でも関係なく殲滅できるはず。なのに生きてるなんて。


「風よ!」


 ウィンドボムを撃ちこむ。着弾と共に四方八方へ爆発的に解放される風。瘴気も流れを乱され、黒い雲のようなモノは一瞬広がった。再集結しようとするその間隙へ更に魔法を叩き込む。


「貫け!」


 風魔法中級・ウィンドランス

 圧縮空気の撃ち出される音。一拍遅れてガラスが砕けたような大音声がホールへ轟いた。


「ち、復活が早い!!」


 砕けたのは侯爵の背中から伸びる触手ムカデ。まだほとんど凍ったままのくせに自動迎撃をしてみせたらしい。その間に黒い風は砕氷を再開。少しずつ青白い結晶の奥に閉じ込められた邪悪が解き放たれ、呼応するように瘴気も増す。


「ボ、ク……ノ……」


 心に差し込む隙間風のような声で侯爵が何かを言うと、妙に湿った破砕音がしてその顎が大きく開かれた。凍ったまま無理に動かしたからだろう、顎が割れたらしい。硬質化して人間離れした下顎が囁くたびにカコカコと揺れる。亡霊めいて気持ち悪い光景だ。


「ボク、ノ、ダ……」


 顎に続いて肩が、肘が、手首が、それに膝や足首が音を立てて動き始める。割れた場所からは血の代わりに瘴気があふれ出し、焦点を結ばない目がわたしを睨みつけた。まるで凍死体が動き出したような恐ろしい姿には息をのむ。


「やっぱり、死んでる……っ」


 訳が分からない。そんな短時間でアンデッドは生まれない。それにあの物理的な攻撃力すら持つ濃厚な瘴気は生前と同じものだ。けれど目の前の侯爵はどう見たって死体で、それなのに動いてる。分からない。分からないことが怖い。


「それでもっ、水の四番!」


 バチッ。キュリオシティに括りつけた水のクリスタルが弾けたような音をたて、杖先の大きなクリスタルが青に染まる。同じ色の魔力糸を大量に生み出し、荒れ狂う瘴気の風の外側に分厚い繭を編み上げる。


「大いなる波よ、押し流せ!」


 水魔法中級・アクアウェーブ

 魔力が押し寄せる波に変じ、魔力糸の繭の内側に流れ込む。魔法ではなく、魔法で出現させた水の塊。瘴気の粒子はそれらを食い破ることはできず、ただ激しい音を立てて液体をかき混ぜるだけ。そこへ更に魔法を叩き込む。


「貫け、土よ!」


 土魔法で生み出した歪な岩の杭を打ち込む。巨大な水球の中でまだ身動きが取れない侯爵は腹に二発喰らって揺らぐ。杭に繋がった魔力糸へ更なる魔力を注ぐ。次の瞬間、わたしの魔眼にはソレが強く光ったようにみえた。


「土の理は我が手に依らん!」


 杭の片方が内側から破裂する。水の中でも氷を砕くように巡る瘴気に糸を断ち切られて、一発はそのまま不発。だけどいい。破片に抉られて侯爵の体には大きな傷がついた。それに微細に砕けた石の杭は大量の不純物を水球に混ぜ込めたのだ。あえて鉱物がグチャグチャに混じるよう余分な魔力を注いだから。


「唸れ、廻れ、輝け!雷の理は我が手に依らん!」


 雷魔法初級・エレキサイクル

 キュリオシティの杖先から真っ白な雷が迸って水球へ飛び込む。それは中心で激しく発光しながら円を描きはじめ、同時に全方位へ枝分かれして乱反射した。滅茶苦茶な光が水球の中で明滅して侯爵の体も瘴気の粒もお構いなく焼く。


「土の理は」


 更に魔法を叩き込もうと杖を振り上げたときだった。


 パァン!!


「ッ!?」


 水球が内側から爆発した。エレキサイクルの輝きが消える。ホールの床に波が生じ、上からはスコールのような雨が降り注ぐ。咄嗟に目を庇いながら中途半端な石の杭を撃つ。


「ガハァッ!!」


 至近距離で悲鳴。そして脇腹に強烈な熱が。


「がっ!?」


 思わず咳込む。口の中に鉄の味が広がる。無詠唱で風魔法を連射しながら自分の体も吹き飛ばして距離をとる。着地の瞬間、脇腹に激痛が襲いかかった。


「あッ、あぁッ……!!」


 見るとディムプレートの脇を固める革は大きく裂けて、内側の白いシャツも破け、わたしの肌には鉱物が混じった杭の破片が突き立ってる。水浸しになったホールの中央に倒れる侯爵はまだ氷を纏って、けれどぎこちない動きですぐに立ち上がった。あっちも脇腹がゴッソリ無くなって、土と風の魔法をノーガードでくらったのだと分かった。それに触手が一本もなくなってる。水球を割るために犠牲にしたのか。


「オイ、デ……ボク、ノ……ナ、カ……」


 カタコトが顎の崩れた口から紡がれる。ゼロアンバーによる強制冷凍と強引な脱出のせいか、氷に覆われてない部分は火傷のように爛れ、左目は黒く光を失ったまま。硬質化した異形の顔に右だけ青紫の瞳孔が光ってる。傷口から血は一滴も零れず、かわりに黒い瘴気が煙のように出て体の周りへ漂う。まさしく化け物の姿。


「く、う、うぅ……ッ!!」


 脇腹に突き立った杭を引き抜く。頭が真っ白になるほどの痛みが襲ってきて、膝から崩れそうになるのをキュリオシティへ縋ってなんとか耐えた。すぐに水魔法と火魔法で治療。傷口が大きくないから塞ぐだけなら簡単だ。

 これ、あとで開きなおさないと拙いかな。

 雑多な鉱物が若干中に残ったのか、奥の方へヤスリをやんわり押し当てられるような不快感がある。でも内蔵は大丈夫。

 痛いのは、我慢だ。わたしもCランク冒険者、生傷くらいっ。


「ホシ、イ、……サ、ムイ……ボ、ク……アゥウ……!」


 譫言のような声を漏らしながらも侯爵は前へ倒れ込むように踏み出す。まるでゾンビのような動き。走りながら、全身から黒煙じみた瘴気がどろりとあふれ出す。黒い風に一層強く体を包み込まれてその挙動があまり見えなくなる。


「風よ!風よ!風よ!」


 ウィンドボムが瘴気を食い破る。ウィンドランスがそこを貫き、こじ開けた穴へともう一条が突き立つ。錆びた風の中心を穿って侯爵の胸に飛び込んだその一撃は彼の突進力を消し去り、反対に数十センチも押し下げた。けれど氷に覆われた胸板は大きくひび割れるだけ。


「貫け、水よ!」


 一瞬の空白へウォーターランスを更に二発撃ちこむ。瘴気の風がウィンドランスの開けた穴を塞ぐように殺到するが、わたしの槍の方がわずかに早い。閉じた黒雲の向こうで、ドッと重い音がした。


「ガァ!!」


 獣のような声が侯爵の喉を震わせた。黒雲がのたうち口を開けてその姿を現す。胸板には二つの槍が共に深く刺さり……しかしすぐに異変が起きる。槍が根元からパキパキと音をたてて凍り始めたのだ。


「オ、イ、デ……オイ、デェ……ボク、ノ、ナカ、ヘ……オ、イデ……ッ!!」


 侯爵が叫ぶ。突き立つ氷柱を両手で握ったかと思うと、そこに青い光が集まった。それがスキル光だと気づいたときにはもう遅い。氷は異様な音を奏でて侯爵の体に呑み込まれる。潰れた左の眼窩に氷の眼球が生まれ、抉れた脇腹にも肉の代わりに氷の皮膚が生じた。


「え、錬金術!?」


 欠損を氷で補った姿はヘタな童話に出てくる化け物のよう。目の前の狂人と言っていいのかすら分からない人物は、自分に氷を組み込んで一時的に治して見せたんだ。あまりにイカれた発想。けれどそれを可能とするのは錬金術への非常に深い造形。


「この人、錬金術師としては凄い……っ」


 侯爵は足元へ屈んで指先を床に下す。そこはこれまでの攻防で水浸しになってる。溜まった液を指で軽く触り、体を起こした彼はニタリと嗤った。邪悪な笑み。しかし受ける印象は妙に無感情で無機質なもの。


「ちっ、言ってる場合じゃない!」


 違和感を切り捨てる。何をするかは知らないけど良くないことに違いない。わたしはキュリオシティの石突で床を強く打つ。水の魔法糸が床に伸び、石の上に溜まる水へと一気に広がって支配する。が、直後に黒い風が渦巻いて床へと叩き下ろされた。


「ッ!!」


 強烈な反動がわたしに襲いかかった。魔法糸が弾かれ、強引に剥がされ、千切られる衝撃。瘴気に穿たれた水面からは炭酸水のように微細な飛沫が上がって、あっという間にわたしの支配は破壊される。そこへ瘴気の渦が水を守るようにとぐろをまいた。


「ボク、ノ、ナカ……ボクノ、モノ……オイ、デ……!」


 侯爵の指先が氷に覆われて鋭く尖る。彼は鉤爪めいたソレを自分の胸に押し当て、そのまま力を込める。


「な、なにを、してるの……?」


 ぞっとするような音をたてて爪が肉に潜り込む。第一、第二関節と入った指は勢いよく引き抜かれた。


 ブシュ……ッ!!


 十の穴が開いた胸板から勢いよく瘴気が吹き出した。今度は脇腹の傷の比じゃない。畑に襲いかかる蝗の群れのように黒錆び色の風は侯爵を覆い尽くし、部屋中に広がり、わたしを呑み込み、全てを闇に閉ざしていく。最後に見えたのは足元の水を取り込んで穴を塞ぐ侯爵の貼り付けたような嘲笑だけだ。


「痛っ」


 まるで雷雲の中に飛び込んだような暗黒の視界で、錆びのような瘴気の欠片が肌に食いつく。咄嗟に系統外魔法中級・マナアーマーを纏えば、瘴気は肌から1cmほど上で弾かれるようになった。けど漆黒の雲に覆われて視界は完全に失われた。本当に砂嵐の中へ放り込まれたような感覚で、幾重にも重なる微細な瘴気の粒に何も見えなくなる。

 ごくり。

 自分が唾をのむ音が嫌にハッキリ聞こえた。緊張が一気に高まる。魔眼で魔力だけ見ようにも、瘴気と魔力の性質が近すぎて見分けられないのだ。脇腹の痛み以上にどこから敵がくるか分からない状況のせいで汗が止まらない。マナソナーもさっきの魔法糸と同じで瘴気に寸断される。


「とりあえずは、壁探しだね」


 聴覚に意識を向けながら小さく呟く。不幸中の幸いにも水浸しの床では足音がよく聞こえる。現に正面からびちゃびちゃと聞こえてくるのだ、侯爵だったモノの動く様子が。まずは背中を気にしなくていい状況にならないといけない。


 ビチャ   ビチャ   ビチャ   ビチャ

 ビチャ   ビチャ   ビチャ   ビチャ


 そこだ!

 ポーチから手探りで取り出したクリスタルを投げる。土の魔力糸を断ち切られないように何百本と繋いだそれに魔法を流し込む。


「細く、長く、絡め取れ!」


 オリジナル土魔法中級・ハーヴェスト

 小さな音が無数に聞こえ始める。最初はゆっくりと、けれど数秒で驚異的な速度に至る。同時に足音が乱れて慌ただしく水が跳ねるのが分かった。ゼロアンバーの余波で凍らなかった鋼イラクサの種が一斉に伸びて侯爵だったモノに絡み付いた。緑の中にうっすらと鉄色を含む蔦が凍った手足を強く締めあげるのだろう、鋭利な棘を突き立てられた氷の肌がメキメキと鳴った。


「立ち塞がれ、火よ!」


 ファイアウォールを別方向へ二つ出す。一つは彼我を隔てる障壁として、もう一つはわたしの道を拓くため。後者が轟々と瘴気を燃やして赤い輝きを見せつける。わたしはその壁に魔力を流し込む。ファイアウォールは左右に分かれ、そのまま真っ直ぐ奥へと燃え上がった。瘴気が焼き払われたそこには灼熱の道ができあがる。


 ブチブチブチブチ


「!」


 背後で鋼イラクサが纏めて引きちぎられる音。続いて一際激しく水が跳ね、同時に土のクリスタルが壊された感触がした。無理やり瘴気で床を根こそぎ攻撃したんだ。わたしは振り返ることなく燃え上がる道を駆けだす。後ろで足音が激しくなるのを感じながら強化した脚力で走る。


「オイ、デ、オ、イデ、オイ、デェ……!」


 足音と囁きで距離を推定し、わたしは背後の炎の壁を閉じた。豪炎に巻かれる侯爵。それでも彼は悲鳴ひとつあげずに追いすがる。


「壁!」


 左右にそびえる炎に炙られること数秒、進路上に壁を見つけたわたしは急いでそこへ駆け寄る。飛び込むように石のそれに手をついて体を翻し、全身を燃え上がらせながら迫るソレを認めた。氷は解け切って、かわりに足元から這い上がる水が炎といたちごっこを繰り広げる。肉が焼け、消化され、凍り付いて再生し、また別の場所が燃える。まさに地獄のような惨状。


「燃えよ、青き火よ!」


 杖を真上に振り上げ、エクセララの青い炎によるファイアボールを生み出す。ファイアウォールをすり抜けてきた瘴気と超高温の火球が触れ合って激しい火花を散らしだす。


「火の原理は我が手に依らん!!」


 火と水に包まれた痩身の化け物が大きく跳躍。そこへ青いファイアボールを放つ。鮮やかな青の焔に黒い錆びが襲いかかり白い火花が流星の尾のように線を描いた。侯爵だったソレの胸に吸い込まれる火球は最後にカッと輝き炸裂。


「ッッッッッッ!!」


 化け物の上半身は一気に炭化。衝撃で欠片をばら撒きながら、それでも足を踏みしめて耐えた。直後、津波のような水がファイアウォールを呑み来んで化け物に纏わりついた。青い炎も水に沈んで消え、黒く燃えた骨だけが痩せた体から覗く。


「!」


 ぐるりと化け物の体を包んだ水はそのまま意思あるもののようにわたしへ殺到する。壁に体が押しつけられ、大量の水に打ちのめされて息を失う。波は引くことなくそのままわたしを包み込み、水死体のように侯爵だったモノがゆらりと迫る。


 がぁ……。


 外れた顎がさらに大きく開かれたのをみて、わたしは身を守ろうと左腕を前へ突き出した。がぶり。真っ黒に焼き焦げた顔が腕に食らいつく。硬質化した皮膚が嘴みたいに腕へ食い込む。袖越しでもわたしの肌を食い破るほどの顎の力だ。


「ンーッ!!」


 痛みに悲鳴をあげそうになり、空気を漏らさないよう歯を必死に噛み締める。姿勢は浮力任せに、両手両足で掴みかかってくる化け物。それをブラックエッジでなんとか振り払い、魔法糸を周囲に広げようとする。


「ングッ!?」


 魔力糸が水に拒絶される。まるで魔物に直接魔力糸を差し込もうとしたような、より強い魔力の流れに跳ねのけられる感覚。この水には既に正しい魔力の流れがあって、それがわたしの侵入を拒んでる。

 この水、コイツの一部になってるの!?

『錬金術』で大量の水すらも取り込んだのだとすれば、もうキメラの枠には収まらない。多少の無機物はアリとしても、基本的に生体素材で構成されるのがキメラだ。


「ッ」


 干からびたような指が頬をかすめる。氷の爪が浅く肌を切る。構わず伸びた腕の下からブラックエッジを突きあげて左肩へ食い込ませた。そのまま強引に引き寄せる。


 ギ、ギ、ギ……


 特徴的な反響をともなってナイフと侯爵の体が噛み合う。腕が暴れるほどに水は大きく揺らいだ。凄まじい筋力だ。

 無機物と生物の融合、馬鹿力、それにアンデッドとは思えない無機質な呟きと空々しい表情……もしかして、ゴーレム?


 ザクッ


 ナイフを引き、関節の継ぎ目を荒っぽい感触で断ち切った。化け物の左腕がふわりと水に漂う。しかし前後して別の音が水に響いた。


 メキッ


「ゴボボッ!!!」


 杖を持つ腕に激痛が走ってわたしは叫んだ。口から大きな気泡が溢れる。あまりの痛みに体が暴れそうになるのをなんとか抑える。

 痛い、痛い、痛いッ!でも、耐えろ、わたし!

 涙が水に溶けていく。奥歯を砕くほどに噛み締めながら、ブラックエッジをもう一度突き上げ真っ直ぐ上に刺す。ガスッと妙な手応えがした。片刃になった漆黒の刃は侯爵の喉元から顎の下へ入り、そのまま上顎まで貫通。剝離した表皮の炭が水に舞い散った。


「ぐ、ぅーッ!!」


 頑丈な頭蓋に阻まれて止まった切っ先にもっと力をかける。左腕を下に引いて食いついた頭も押し下げ、さらに無詠唱でブルーエッジを発動。漆黒のナイフに醒めるような青の刃が生じる。超高温のエッジに周囲の水が沸騰して泡が大量に生じる。


「ッ!?」


 侯爵の体が暴れる。切っ先が頭蓋骨を焼き切ってさらに深く突き刺さる。腕に食い込んだ歯の隙間から気泡が溢れ、氷の眼球を溶かして左の眼窩の奥に綺麗な青い輝きが現れる。ブラックエッジはそのまま大した抵抗も許さず根元まで頭に刀身を埋めた。


「ガボッ」


 蹴りが脇腹に、傷の場所に入って激痛を生む。残った右手がキュリオシティを掴んで滅茶苦茶に振り回してくる。愛杖を掴む左腕に歯がどんどん食い込んでわたしはたまらず叫んだ。声にならない、大量の銀の泡が口から迸った。


「ッ」


 ブラックエッジを思い切り横へ引く。超高温の青い刃は側頭部を焼き切って、侯爵の顎からこめかみまでを一気に裂いて現れた。ほとんど脱落しかけた顎から力がぬけ、その一瞬をぬってわたしは思い切り相手を蹴飛ばした。


 ぞぶん!


「ぷはっ」


 大きく水が動いた瞬間、水面から顔を出して息を吸い込む。そのまま水から出ようともがいた途端、グッと後ろへ引き戻された。


「!」


 崩れた体勢で見れば炭化した右手がベルトを強く掴み、強烈な力で水中へ引き込もまれそうと……。


「ッ」


 ブラックエッジをお腹の前で交差するベルトに引っ掛けて切り裂く。自由になった体でもう一発蹴りを入れ、その勢いで水の外へ飛び出した。

 フレッシュゴーレムなら!


「雷よ!」


 振り向きざまにキュリオシティを突き入れて雷魔法。けれど激しく明滅するだけで効いたかどうかは分からない。ただバチバチと輝くゴーレムの水塊は凄まじい勢いで瘴気の闇へと引き上げた。


「けほっ……しまった」


 気道に入った水に咽ながら、ベルトのあった場所を擦って歯噛みする。ポーションもクリスタルも根こそぎ奪われてしまった。


「頭の回るゴーレムなんて、けほ、最悪……けほけほっ」


 顔に張り付く髪をかき上げ、悪態を吐きながらぐっしょりと濡れて鉛のようになったスカートを絞る。それからポケットのハンカチを出して裂き、左腕の傷が深い部分にきつく巻く。折れてはいない。油断なく闇を睨みながら、わたしは相手の正体について思考を巡らせた。キメラやアンデッドじゃないなら、その性質が攻略の鍵だ。


「あれだけ破損した体を維持できるのは、フレッシュゴーレムじゃないよね」


 ぱっと思いつくのは死体を使ったフレッシュゴーレム。氷のアイスゴーレム、水のウォーターゴーレムあたりが次点。


「でもピッタリは当てはまらない」


 死体を芯材に別の素材を吸収、変異する特異性。もとからタフなゴーレムにしても高すぎる再生能力。それに大量の瘴気を操る能力となると、考えられるのはまったく独自の技術で作られたタイプ。よくよく考えれば人間ならざるゴーレムがスキルを使えるのもおかしい。


「ほんとに錬金術師としては凄いよね……賢者にだってなれたかも」


 けど道を間違えた。


「瘴気を纏うゴーレム……とりあえずイーヴィルゴーレムかな」


 呼び名を決める。それは正体不明の敵を理解し、少しでも恐怖心を抑えるための手段。


「ああ、うん……」


 手が震える。ずぶ濡れになった寒さだけじゃない。瘴気が渦巻くなかで、魔力も魔法も制限されて戦う。この状況は『静寂の瞳』の効果をもってしても打ち消せない恐怖を抱かせる。とくに周りが見えないストレスがどんどん冷静さを蝕んでく。スキルがなかったら震える程度じゃすまなかったはずだ。


「アクセラちゃんに、目に頼りすぎるなって言われてたのにね」


 結局、魔眼の魔力視と優れた視力に頼ってたツケがここにきて出てしまった。音に集中しようにも、つい目の前の瘴気の粒子を見てしまう。


「でも、頑張らないと」


 自嘲を浮かべながら、両手の武器をぎゅっと握りなおす。左手にはほとんど力が入らない。思ったより傷がよくないのかも。冷えた体と透明度の高い氷のような思考力。その中にある確かな熱を言葉にする。ニカちゃんがあの日、出発の直前にしたように、自分の想いに願掛けをする。


「二人で帰るんだ。絶対に、絶対に負けてなんかやらない!」


シリアス?知らんなぁ!!ハロウィンイラスト第三弾です!

ぽいぽいプリンさん、ありがとうございます!!


挿絵(By みてみん)


アレニカ×ドラキュラです。

ヴァンパイアじゃないのよ、ドラキュラ伯爵。ここ大事ですからね。

どしたん???っていうくらいイケメンです。

伯爵を意識したオールバック気味のヘアスタイルともともとの赤い目がマッチしていますね。

やはりドラキュラ伯爵も貴族ということなのか、衣装の着こなしがすごくて作者もビックリ。

でもきっとエレナみたいなタイプに圧されるとすぐヘタレるんですよ。かわいいなオイ!


第四弾はイーハ、とびきりかわいいのでよろしくです!

もしよければ評価などいただけると嬉しです^^


~予告~

一転攻勢に出る侯爵、その亡骸。

未知の敵を前にエレナの真価が問われる。

次回、イーヴィルゴーレム

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― 新着の感想 ―
[良い点] 強固な意志で 姫を守るヒロインちゃん胸熱展開でたまりません。 数話溜まるのを待って一気読みさして頂きました。 超絶戦闘描写良いですね。 [一言] このしぶとさ。 某ゾンビゲームのボスを思い…
[良い点] ヒロインちゃんの強い意志 イラストのアレニカ様凛々しすぎて、惚れる [気になる点] 水や氷を操れる錬金術とか、属性魔法が泣いちゃう よくあるゾンビ物みたいに噛まれたら感染とかないよね? …
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