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十章 第28話 殺人 ★

「う、うぅ……ダ、誰かァ、誰か来、い!僕の、下へ、誰かァ!」


 アクセラを辛くも退けた直後、トワリ侯爵は吼えた。それは己の肉体が限界であると理解しているがゆえの本能的な行動だった。使徒アクセラの戦闘能力は凄まじいとしか言いようがなかった。彼の前に姿を見せた時点で体力も魔力も底を突きかけ、多数の傷を負い、たった一振りの得物も砕け散る寸前だった。しかしそこから彼女は一か八かの賭けに勝ち、万全の状態で挑んだ侯爵を満身創痍まで追い込んで見せた。

 左腕は肘から切り落とされ、首は気道と頸動脈を抉り切られた。全身を最大の弱点とも言える聖なる炎で焼かれ、そのせいで片目が凝固し何も見えない。圧し折られ、ずたずたにされた右腕はその後の激しい抵抗と神炎の余波で、もう肉も骨も千切れて皮一枚の状態。腹の内側も激しく燃やされた。悪魔や魔物を無数に合成した自慢の肉体だったが、再生能力がほとんど働かないほど破壊されている。脇腹に突き立つ折れた刀も聖なる力でジワジワと体力を削ってくるが、両腕を失った今トワリ侯爵にそれを引き抜く手立てはない。


「ヒュー、ヒュー……早く、早くゥ……」


 低く唸りながら残った片目でアクセラを見る。飾り柱の砕けた残骸にもたれかかるように意識を失った最愛の少女。刻一刻とその死が迫る中で彼が考えていたのは、どうやって彼女を自分の一部に取り込むかというコトだった。少女のカラダはもうすぐ死ぬ。その前に愛する自分と混ざり合うのが唯一の幸せだと、本当に信じていたのだ。


「……来た、カ」


 その言葉は誰に向けてのものだったのだろう。砦の奥に繋がる柱裏の通路から黒い騎士が一体歩み出るのと同時に、正面の出入り口から一人の少女が入って来たのだ。鮮やかな青いスカートを纏った魔法使いの少女だ。彼女はしばらく侯爵を見たあと、よろけるようにアクセラの体に走り寄った。


「ヒュー、ヒュー、カホ、ゴホッ」


 喉から漏れ出る空気に咽ながら侯爵はその姿を見続ける。茫然と立つ以外にもう体力がないのだ。さきほどの絶叫で力を使い果たした。それでも少女がアクセラを連れ去ろうとすればすぐに動こうと思ってはいた。

 ガシャ、ガシャ、ガシャと重たい足音が近づいて来る。気が付けば侯爵の真横に鎧騎士は立っていた。右腕を上げようとして、ボトリとそれが落下するのを見る。ついに改造した肉体と鎧の重さに負けて皮が千切れたらしい。


「カヒュ、お前、兜を、ヌ、げ……」


 命じられるままに黒い騎士は兜を脱ぐ。中には土気色の死者の顔があった。死んですぐに悪魔を寄生させたのか、あるいは寄生に際して死んだのか。すくなくとも腐敗はしていないが、一目で凄まじい恐怖を味わったとわかる酷い死に顔だった。しかし侯爵には関係ない。『生体錬金術』を使うための腕が両方なくなったのだ。あと取れる手段はたった一つ。直接喰らうことだ。


「う、うぅ、ぐ、ぁあ」


 口を大きく開いた男は死んだ騎士の顔に齧りついた。ばり、ばり、むしゃ、むしゃ、かつん、かつん。怖気のするような音がして人間の顔が食い破られて行く。全身をキメラ化していた侯爵の歯や顎は凄まじく、あっという間に頭蓋を噛み砕いて脳を食ってしまった。そして確信する。思考の中枢たる脳、魔力のハブたる心臓、生命の象徴である内生殖器。人間の重要器官であるこれら三つを食らえば、宿る悪魔も食えるのではないか。そんな狂気の推論が正しかったのだと。


「ふ、ふは、はははっ」


 頑丈な虫の甲殻を連ね、自在に動く小さな足を備えた百足型の触手。そのうち二本が黒い騎士の鎧を引き裂き、あばらと胸板を割って中の心臓を取り出した。


「がぶっ」


 喰らい付き、噛み千切って咀嚼する。吹き出す黒い血を飲み込む端から魔力が満ち、体に瘴気が溢れて行く。最後に残る触手で更に下腹部も破り、精巣を引き抜いて嚥下する。途端、トワリ侯爵の胸の奥に重力のようなエネルギーが生じた。その重力じみた何かは体中の魔力、瘴気、血液などあらゆるものを引き寄せ、混然一体の別モノに作り替え始める。


「かっは……!や、やはり、僕の仮説は、正しかったッ」


 歓喜しながら、猛烈な飢えを覚えた彼は二体目、三体目の騎士も同じように食い潰す。更にはキメラも呼び寄せて引き裂き喰らった。溢れる黒い血液を呑み干し、体内に埋め込まれた短剣を噛み砕き、捻じれた角を飲み込む。


「ゴクリ……ふぅ」


 何体の配下を食った後だろうか。捕食が終わった侯爵は不思議な気持ちで自分の体を見下ろした。失った腕は両方生えそろっていた。まるで黒鉛を塗り固めたような硬質で光沢のある黒い肌。家伝の模様はないが『生体錬金術』を使おうと思えば手ごたえがある。


「んン……?」


 捕食に使った触手は胴体へ巻きつき、百足の足が絡みあって連結。燃えてボロボロになった体表面を覆い隠し鎧の役割を果たしていた。さらに喉を触れば、甲殻のようなものが傷口の上から生じて蓋をしていた。


「アァ、コレだ、コレ……この力だ……」


 ゴキゴキと首を鳴らす侯爵。不安も孤独感も何もない。自分の中には無数の悪魔と魔物と人間がいて、その力が全て自分という器に行き渡っている感覚。いままで経験したことの無いような全能感と多幸感に体中が熱くなる。

 もう一度アクセラを、なんとか延命すべく治療された彼女を見て、胸に沸き起こる強烈な殺意(オモイ)に打ち震える。バラバラにして、痛みと快楽と恐怖と幸福をグチャ混ぜに流し込んで、自分の一部にしてしまいたい。そんな、人からは殺意以外の名前を付けられないだろう感情。それでも彼は満足げに何度も頷いて深い笑みを浮かべる。


「は、ははは……愛してる。ああ、愛してるとも。僕の愛は不滅だ」


 己の内側にある愛情、少なくとも彼自身がそう呼ぶ何かの存在を確かめていると、アクセラを治療していた魔法使いが立ち上がり振り向いた。


「トワリ侯爵……!」


「お前は……」


 侯爵は首を傾げる。はて、自分は彼女を知っているだろうか、と。しかしすぐに気づいた。アクセラについて調べると必ずそこにいるもう一人の少女と目の前の少女は特徴が完璧に一致するのだ。


「あァ、エレナ=ラナ=マクミレッツ!アクセラの乳兄弟で侍女の……ふ、ふはっ、なるほど、なるほどォ……噂以上の魔法使いだ!複数属性を入れ替え使っての施術、素晴らしいィ!!」


 侯爵は素直に称賛したつもりだ。なにせ魔法技能だけは彼の研究と術をもってしても奪い取れなかったのだ。それを複数操り、あの状態のアクセラを安定させた。それは素晴らしい技術で、誰にも真似のできないことだった。


「素晴らしいがァ……その分腹が立つ」


 目の前の異才に高揚しつつ、同時に多幸感に水を差されたような感覚を侯爵は覚えた。その感覚を言い表せる言葉を探し、ピッタリだと思ったソレを口に出す。


「飢えたことがあるか?お前は、明日食べるパンに困った覚えがあるか?」


「……?」


 その思考の飛躍に追いつけないエレナが首を傾げるも、侯爵の目には傲岸で不遜な無理解と映る。

 物心ついてから果てしなく彼の中で広がっていった飢えと渇きは、己のことしか知らない彼にとって世界の何よりも深い穴だった。彼にとってその渇望は日々の食事に困る者の嘆きより切迫しており、戦場で果てる戦士が抱く望郷の念に勝り、叶わぬ救済を願う聖者の祈りより尊く思えた。


「それなのに、本当に腹が立つ!」


 目の前の少女は侯爵が多くの犠牲を払って手にした技術でなお得られないモノを無数に持っているのだ。一言に集約するなら魔法の才能。しかし6つの属性を操り、上級魔法すら使いこなし、それらを組み合わせて瀕死の者を延命させるほどの才能だ。


「お前には分からないだろう!僕の思いなどっ!!」


 完璧を目指して全てをつぎ込んだ。これほどまでに満たされて、完璧になれたと思った。そんなときに目の前に立っているのが自分より完璧な存在などと……トワリ侯爵はその一点でみるみる怒りのボルテージを上げて行く。


「いや……」


 今にも跳びかかりそうな怒りの頂点へ至ったとき、ふと、本当にそうだろうかと彼は思った。脈絡などは一切ない疑問だったが、何度となく研究の中で彼に新境地を見せた感覚でもあった。それだけに目の前でこちらを睨む少女のことすら瞬時に忘れ、思考を自分の中へと没頭させる。


「本当に?」


 自分が完璧になれないこと。目の前に完璧な存在がいること。『生体錬金術』というスキル。自分の合成した魔物たち。継ぎ接ぎした人間たち。今しがた食った悪魔。そうした要素がグルグルと黒い血液とともに頭の中を巡り、一つの結論に達する。黒い目玉がぐるりと眼窩で回転した。


「次のステージがある、ということか……?」


 トワリ侯爵はこれまで『生体錬金術』をベースに実験をし、魔物を合成することでその肉体に宿る能力を取り込むことに成功してきた。しかし元々の資質に合わない魔法は会得できなかったし、人間の死体を使った技術でも結果は同じだった。しかし悪魔を捕食した際にはそれまで得られなかったモノが得られた。悪魔の魂と宿主の魂だ。これにより彼の内側はとてつもない充足感を得た。それはトワリ侯爵の中では、とてつもなく大きな進捗だったのだ。


「次のステージ……そうだ、それだ!」


 バキッと音がして侯爵の唇が大きく裂けた。頬の周りが硬質化し、亀裂ができるように口の可動域が広がったのだ。まるで遺跡の壁画に描かれた悪魔そのもののような、笑みの形に。


「生命は生命を喰らい、生きながらえる!それだけは絶対に変えられない……人の手だけで完璧な生命は作り出せない!!」


 限りなく完璧に近いと彼が自負する己の肉体は『生体錬金術』を用いて、彼が自らの手で作り上げたものだ。その肉体で直接命を喰らうことでいくら研究しても手に入らなかった充足感、多幸感が得られた。それはすなわち、捕食による相手の生命と魂の略奪こそ最後の一押したりうるモノなのだと……トワリ侯爵は深い納得を持って理解した。あまりに衝撃的な発見に体を折り曲げて笑い転げる。


「エレナ、アァ、お前を誤解していた……ふは、ははは……きっとお前が最後のピースだ!」


 全てを悟った彼は目の前の魔法使いに青く輝く瞳を向ける。その言葉には親しみすら込められていた。エレナはアクセラと最も長く過ごしてきた人間だ。トワリ侯爵からすれば己の次に愛する妻のことを理解している、最も互いを共有できる他人。彼の感覚で言えば、それはこれまで一度たりともできたことのない友というものだった。


「さあ、来るがいい。僕のナカへ。僕という器に満ちろ!お前と、あそこで死にかけている我が最愛のアクセラ!!揃えば僕は完璧になれる!満たされる!」


 自分が最も好きな事柄を共有できる存在。それはすなわち友だ。妻と友と自分。混じり合い、溶け合い、一つになればきっと今以上に満たされる。もう二度と飢えも乾きも感じない、完璧な存在になれる。さらに魂までも溶け合えば、きっと魔法の才能も手に入る。そうに違いない。そんな最高の期待感に踊りだしそうな侯爵だったが、一方でエレナはとても素っ気ない表情でポーション瓶をベルトから一本引き抜いた。指で蓋を弾き、ぐいっと中身を呷る。あっという間に空になった瓶を、彼女はとくに気負いのない動作でぽいと投げた。

 パリン!

 侯爵の背から伸びて滞空していた触手の一本に叩き落とされ、硝子は華奢な音を立てて床に散らばった。


「……行儀が悪いぞ」


 楽しい妄想を邪魔されたことも腹立たしいが、育ちのいい彼は行儀作法には少々うるさい。あるいは「自分はそうであった」と思っているだけかもしれないが。


「アクセラちゃんを傷つけた相手に払う礼儀なんて、わたしは持ってない」


 杖を突き付けて拒絶の言葉を述べる少女は、さきほどと打って変わって怒りと憎しみで煮え立つような目をしている。普通の人間なら一睨みで口を閉ざしこれから始まる戦闘に身構えるほど、強い敵意と闘志に彩られた早苗色の瞳。それでも男が口を噤むことはなかった。


「傷つけた?直にアクセラは僕と一つになる。もちろんお前も。それまでの肉の器など」


「風の一番ッ!」


 バチッ。音がした。


「いくら壊れようが」


「刈り取れ!!」


 杖が緑に輝いたとほぼ同時、不可視の大鉈が侯爵の首目がけて振り抜かれる。間合いを測ることすらできない一撃。しかし侯爵の片目が赤く輝くとほぼ同時、体がまるでバネ仕掛けのように大きく後ろへ反って直撃を避ける。


「っ」


 短縮詠唱から驚異的な速度で放った上級魔法。それを回避されたエレナは一気に警戒を強め、侯爵からジリジリと距離を取る。反射神経も運動能力も揃って並の悪魔を上回っていなければ避けられないほどの威力と速度だった。現に触手の自動迎撃は反応できていない。おそらく直撃していれば硬質化した顔面でも容易く切断しただろう。


「……?」


 トワリ侯爵は一瞬何が起きたのかわからないといった顔になり、それからそっと指を頬にあてる。べっとりと黒い血で汚れた指先を見てようやく何が起きたか理解した。彼が回避に成功したのは目に宿る『動体視力強化』と魔物から得た半自動的な回避行動の合体、つまり随意の運動ではなかったのだ。


「な……お前、お前ェ!」


 だからこそ遅れて沸き起こる怒りには困惑や動揺がほとんど含まれていなかった。ただひたすら、裏切られたという怒りだけが吹き出してくる。それが一方的な未来予想図だったとしても、そんなことは彼に関係なかった。


「お前は、お前はァ!!アクセラとお前と僕、三人で、三人で溶け合えば完璧だったのに!それを、それをお前はァ!!」


 名状しがたい感情に胸の中を掻き乱され、トワリ侯爵の体は各所からメキメキと音を立て始めた。怒りの形に体が引っ張られ、破壊的で衝動的な魔物の攻撃性が表に出ようとしていた。


「もう、その口でアクセラちゃんの名前を呼ばないで!」


 左手に杖を構えるエレナ。もう片手で黒い異形の短剣を抜く。赤と青の美しいクリスタルが黒い鋼の内側で心臓のように輝く。二度ほど呼吸を繰り返し、最後に早苗色の瞳から迷いが消えた。世界に覚悟のほどを叩き付けるような強い目だ。


「トワリ侯爵、わたしは貴方を殺す!殺してアクセラちゃんを連れて帰る!!」


 決別の言葉を受けて、トワリ侯爵の意識は赤く染まった。


 ~★~


「風よ!」


「効かないんだよォ!!」


 振り抜いた杖の延長線を駆け抜ける風の刃。それを侯爵の持った剣が叩き潰す。


「追い風よ!」


 爆発性の液体からウィンドアクセルの緊急回避で逃れ、着地までの数瞬でファイアボールを5発叩き込む。着地し、ポケットから取り出したクリスタルをナイフごと握りしめる。


「無意味だと言っているだろう!僕に、そんな、魔法はァ!!」


 どろり。侯爵の体からまるで真っ黒な雲のようなモノがあふれて、わたしの魔法を正面から受け止めた。まるで高速回転する刃に突っ込んだみたいに、魔法は火花を散らしてその場に縫い留められた。一瞬の停滞を突いて侯爵の背後に控える百足触手が凄まじい速度で振り抜かれ、スパークする火弾4つを叩き潰す。残った一つは巨剣を盾として防がれた。


「冷たき縛鎖よ」


 視線が途切れたと同時、小さく唱えて瓦礫の陰にクリスタルを投げ込む。足は止めない。けど視線は粘度のある黒い空気に向けたまま。

 あれ、瘴気……!?

 あんな濃度の瘴気、初めて見た。地下墓所でもあそこまで酷い瘴気は見たことがない。しかも目を凝らせば、黒い雲に見える内側は鉄片の交じった嵐のようだ。物理的な粒子のようになった黒錆色の瘴気が、濃淡の違う渦巻く瘴気の中を高速で吹き荒れてる。物理的、魔法的な攻撃力があるのは見た通り。アレをあんまり使われると、厄介じゃすまない……。


「火よ!」


 牽制のファイアボールを次々と打ちこみながら侯爵を中心に弧を描いて走る。どうせ瘴気で威力が削がれるんだ。


「お前ッ、チョロチョロ鬱陶しい娘だァ!あんまり手こずらせるな!アクセラが死んでしまうだろォ!!」


「っ、どの口が!!火の原理は我が手に依らん!」


「効かないって、言ってるだろォ!!」


 青いファイアボールが立て続けに3発。余裕の表情で触手に迎撃させた侯爵。けどその顔が驚きと痛みに歪む。エクセララの青い火は普通の火魔法よりはるかに高温だ。一撃でそれを3つも薙いだ触手からは赤色の足がごっそり炭化して崩れ落ちた。


「その口でアクセラちゃんの名前を呼ばないでって、言ったでしょ!」


 更に3発。巨剣を振り回してまき散らす液体の爆発で1発を誘爆させ、2発は触手で撃ち落とす侯爵。一連の防御の隙をついてウィンドカッターを足目がけて2発。片方はこれも触手に撃ち落とされる。もう片方が浅く足首を切るけどその程度はもはや痛みを感じないのか、侯爵はおかまいなしに巨剣を大きく薙ぎ払う。


(そび)えよ!」


 ブーツを床石に突き立ててブレーキをかけ、魔法糸を大きく広げて魔法化。火魔法中級、ファイアウォールの熱と気流が液の爆発を巻き込んで受け流す。


「冷気の果て」


 小さく唱えてまたクリスタルを投げる。


「こんな壁でェ……ッ」


「!」


 燃え上がる炎の音を貫いて届いた声。その近さにゾッとする。赤い炎の壁から距離を取るように跳び退れば、その火焔を引き裂いて侯爵が突っ込んできた。荒れ狂う瘴気にファイアウォールが掻き乱されて盛大な火の粉が周囲に吹き上がる。


「止められると思ったかァ!!?」


「ッ」


 巨剣が振り下ろされる。咄嗟に半身を引いて刃を避けるもそこは触手の攻撃圏内。俊敏な動作で顎めいた先端が繰り出され、首の際を抜けて背後の飾り柱を穿つ。


「追い風よ!」


 背中に破片を受けながら密着状態を抜け出すためウィンドアクセルをもう一度使う。弾かれて崩れた体勢を整える間もなく魔法を繰り出す。ドン、ドドン、ドン、ドン、ドン!ファイアボムが連続して着弾。それでも追撃しようとした侯爵だが、触手が主を守るために防御姿勢を取って妨げる。


「くっ、邪魔だァ!」


「雪の枷」


 クリスタルを投げる。防御を自ら振りほどいた侯爵が大きく巨剣を振り上げる。キュリオシティの杖先は既に彼の首に照準。


「風の二番!」


 バチッ。杖に巻いたベルトの下で音が弾ける。


「喰らえ、この僕のスキルを!」


 巨剣と足に赤い光が灯る。


「刈り取れ!」


 ゲイルハチェットの肉厚な刃が放たれる。まったく同時に侯爵の体が射出され、巨剣が隕石のように振り下ろされる。無色と黒、二振りの剣が正面から激突。周囲に余波が轟と吹き荒れ、わたしの体は数センチ後ろに煽られる。ギチギチと鍔迫り合いの音が聞こえそうな一瞬のあと、バン!!と凄まじい破裂音が耳を襲う。


「きゃっ」


 もう二歩押し下げられたわたしはほぼ無意識に、けど全力でブラックエッジを突きだした。渾身の力で前へ繰り出す刃は確かに何かを捉えた。追撃のために踏み込んだ侯爵の腹に黒い刃が突き立ったのだ。脳がそう理解すると同時、ブラックエッジに火魔法ヒートエッジの変化、ブルーエッジを宿す。エクセララの青い炎により形成された刃が継ぎ目だらけの皮膚を焼く直前、触手が振り下ろされ短剣の腹を打つ。


「ラァッ!!」


 跳ね上がる侯爵の左腕が鎧の上からわたしの胸を打った。強烈なインパクトに耐えられるはずもなく、わたしの体は木の葉のように吹き飛ばされる。


「ふっ、か、かぜよっ」


 壁に激突する直前に風魔法で減速、なんとか両足で床に降り立つ。肺が潰れるような痛みと感触に耐えながら必死で呼吸を整える。紫伝一刀流の武息・制息。ただでさえ興奮で視野が狭くなる戦闘においてそれを抑える呼吸法だ。


「はぁ、ふぅ、はぁ、ふぅ」


 さっと状況を確認する。巨剣はゲイルハチェットと正面から打ち合ったせいか、半ばから砕けて黒い液をどばどばと溢れさせてる。けどこっちのブラックエッジも横方向からの打撃に片側の刀身が大きく欠けた。魔力的な繋がりを辿るとそれは侯爵の腹の傷にまだ刺さってるようだ。

 魔力は、まだまだ……でも鎧はちょっと拙いかな。

 鈍い銀のディムプレイトは殴られた中心がかなり大きく陥没して、もう二発も喰らえば壊れるのは明白。むしろ今の衝撃で体に傷がついてない方がどうかしてるから、文句はないけど。


「ふ、く、クハ、は、ふははは!」


 それ以上の追撃もせずに立ち尽してたかと思うと、侯爵は急にくぐもった声で笑い始めた。彼は血のように黒い液を垂れ流す折れた巨剣を投げ捨てた。粘度の高い液の尾をひきながら部屋のすみへと転がる武器。


「いいぞ、いいぞエレナ!もっと価値を示せェ!僕が君たちを食うその時のために、もっと価値を示してくれ!」


 真横に傾けられた首がゴキっと鳴る。声も顔も心底楽しそうで、けれど目はこっちを見てない。まるで映る物をまともに頭が理解できていないような、どことなくぼんやりした視線だ。背中の触手が伸びてどこかからもう一つの巨剣を拾ってきた。侯爵は柄を握ったままだった自分の腕をもいで巨剣を握る。


「これほど動ける魔法使いはそういない!君を喰らえばきっと、きっと、もっと素晴らしい力が手に入る!」


「ぶん殴って距離を開けておいて、よく言うよね……」


「はは!細かい娘だ」


 魔眼に映る謎のスパークと瘴気が入り乱れる視界の中で、侯爵の体からメキメキと音がする。新たな変異が始まってる証拠。けどそれが何なのかは分からない。


「考えても仕方ない事は、考えないっ!」


 ベルトから取り出した魔石を一つ、大きく振りかぶって投げつける。濁った黄色のそれは真っ直ぐ侯爵の頭めがけて飛んで、触手に叩き割られて粉々になった。


「ははっ、なんのつも……」


「雷よ!」


 侯爵が次の一歩を踏むより早く杖の石突で床を突く。パリっと音がしたかと思うと、侯爵の周りに散らばった魔石が一気に放電。白く輝く線が石片を繋いで小さな檻を形成した。


「でェ?」


 十重二十重に囲む細い雷魔法の束。焦った様子もなく笑んだまま侯爵は首を傾げる。雷属性初級・エレキバインドは確かに大した威力のない魔法だ。

 そのままなら、ね。


「えい!」


 雷の魔力糸を数十本放つ。瘴気の嵐を力技で貫通させ、侯爵の首に巻きつける。一際強烈な瘴気の反発をくらい、弾かれた魔織の手甲ごしの衝撃に手の骨が軋みをあげた。魔力が見えない当の彼は表情一つ変えない。でもその糸が魔石に繋がれた瞬間。


「ギビッ!!」


 引き攣った音が喉から漏れた。囲むだけだった細い雷光がその首を締めあげたのだ。


「追加で……!」


 更に無数の魔法糸を侯爵の体に巻きつける。弾かれるごとに手が痛むが、魔法の雷は魔力の糸を伝播し彼の肉体を焼いた。その姿はまるで地面から伸びた雷の鎖に縛り付けられたようだ。滅茶苦茶な電気信号に手足が激しく痙攣し、魔力糸の這う場所からぶすぶすと本物の煙が溢れ始める。

 やっぱり魔力の通りが悪いっ。


「グゥ、グ、ガ、ガガ、ガァ!!」


 雷本来の光じゃない、瘴気と魔法が激突しての激しい閃光。威力が削がれている証拠だ。そのあまりの多さに舌打ちしたい気持ちを堪えて走り出す。


「細く、長く、絡め取れ」


 ベルトからクリスタルを2つ取り出し、呪文を込めてから別々の方向に投げる


「グゥ、ウ、ぅ、ぅう……はぁ、はぁっ、ぬぉおおおおおおお!!」


 最後のクリスタルを出しブラックエッジの柄と一緒に握り込んだところで、侯爵が予想より早く動きだした。見れば黒の甲殻に覆われた部分は雷が表面で弾かれてる。魔法として以上に、単純に電気の通りが悪い。


「ォオオオオオオオオ!!!」


 バチン!はじけ飛ぶ音がして放電用の魔石が壊れる。強烈な抵抗に対して出力が上がり、内包魔力を使い切ったんだ。黒い甲殻の表面には巻きつけた魔力糸の形に赤熱の跡が走り、全身から黒煙を上げ、それでも巨剣を携えて突撃姿勢をとる侯爵。


「クソ、クソ、クソ!ハラワタをぶちまけるがいいッ!!」


 異形の肉体が赤い光に包まれて撃ち出される。


「閉ざされた氷の世界」


 後方にクリスタルを投げて横に跳ぶ。爪先を掠めて床を爆砕する巨剣。体の硬直が解ける前に触手がぶわりと広がる。追撃が来る!

 けど、わたしの方が早い……ッ。


「氷の理は我が手に依らん!!」


 詠唱の完結と同時にばら撒いたクリスタルが清浄な光を放つ。それは瞬時に互いを繋ぐ氷の線を描き、一つの巨大な魔法を形成する


「小賢しい!そんな大振りな魔法を……なっ!?」


 吼える侯爵。けれど踏み出そうとしたその足は動かない。細い蔓植物が幾重にも絡み付き、膝から下を床に縫い止める。


「な、なんだこれは!?」


 わたしでも魔力糸を駆使してやっと扱えるほどの巨大な魔力。それが集まるわたしの杖へ無理やり引き千切って迫ろうとする侯爵だが、その筋力を以てしても容易にはいかない。オリジナル土魔法中級・ハーヴェスト。植物の種を一気に成長させ、相手に絡み付かせる足止め用の魔法だ。


「ぐ、ぐぬぅううううう!!」


 青々と茂る蔦草の名は鋼イラクサ。ファティエナ先輩との決闘で使ったそこらの蔓草とは一線を画す、戦闘用に厳選したダンジョン産の植物だ。仕込みは戦闘前、こっそり床に落とした袋の中身が種。それを風魔法で散らし、今この瞬間の時間稼ぎを成功させた。


「邪魔だ!邪魔だ!邪魔だァ!!」


 次から次へと発芽し絡み付く鋼イラクサの束に筋力まかせの脱出は厳しいと判断したらしく、巨剣を足元の藪へと突き入れる。さすがに鈍い音を立てて鋼イラクサが断ち切られるが、それでも新しい束が更に絡もうと先端を伸ばす。今度は侯爵だけでなく、巨剣そのものにも。


「鬱陶しいんだよ、植物風情がァ!!」


 瘴気が一気に膨らむ。足元目がけて振り上げられた巨剣に大量の瘴気が飲み込まれ……今だっ!


 氷魔法最上級・ゼロアンバー


 攻撃のために最も瘴気が薄くなる瞬間、解き放つ。純白の閃光がまさに雪崩の如く迸った。


 バキィィィィッッ!!


 耳が痛くなるほどの破砕音が一気に轟き、一瞬にして全てが白く染まった。視界も、音も。ただ肌を焼くような強烈な痛みだけが突風に乗って襲いかかる。それは熱風ではなく、むしろ凍てつく寒風。咄嗟に魔法防御を三枚展開して爆発的な吹雪に耐える。


「ギ…………ッ」


 悲鳴すら凍り付く刹那の嵐。瞬間的に冷却された空気は乱気流を生み、刃のように冷えた風が周囲を薙ぎ払い、ほんの数秒を何十分にも感じさせた。まるで突如、雪山で遭難したような感覚だった。


「……」


 吹き荒れた風が収まると、わたしの前には薄いとも氷ともつかない膜が広がってるのが見えた。防御魔法の表面に吹き付けた氷雪がそのまま固まったものだと気付いて、驚きに息を漏らす。真っ白に染まった吐息。瞬きをすると睫毛がしゃくしゃくと鳴った。部屋は見渡す限りの霜と氷に覆い尽くされてる。


 カシャン


 音を立てて薄い膜は自ら崩れた。その向こうの光景に、わたしは小さく息を飲む。


「……っ」


 まだ渦巻く微風にダイアモンドダストが舞い上がる、妙に幻想的な空間。その中心には氷の彫像と化したトワリ侯爵が、白くなった鋼イラクサの茂みに半身を呑まれるようにして立つ。


「……死ん、でる」


 薄っすらと青を帯びた白氷に全身を包まれ、完全に沈黙したソレ。魔眼にはもう魔力も瘴気も映らない。トワリ侯爵と言う名の生き物は、たしかに死んだらしい。


ついにエレナが自らの意思で人を殺めることに……。

そろそろ長い間ひっぱってきた彼女の覚悟についても

一つの結末が到来しそうですね。


またもシリアスな本編に反してハロウィンイラスト第二弾です!

絵師さんは前回同様、ぽいぽいプリンさん!!


挿絵(By みてみん)


エレナ×ウィッチです。

うん、まあ、コスしなくても魔法使いやんけと思わなくもない。

でも見てください、このコスプレ!!ってカンジの衣装!ドンキで売ってそう!

世界観的になかなかできない露出で素敵ではないですか!?

あと女の子座りってかわいいよね、なんだかんだ言って。

ちょっとドジそうな仕草もまた素敵です。

箒にまたがって空を飛ぶの、見てみたいですね(笑)


次回第三段、アレニカです!

もしよければ評価などいただければ嬉しいです^^


~予告~

人を殺した。ついに、殺した。

そう、思っていた。

次回、瘴気の渦の中で

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