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十章 第25話 紅兎の最後

 仰紫流刀技術・守ノ型ムラサメ……


「日照坂ッ!!」


 振り抜く紅兎の数ミリ上を巨剣が滑って横へ流れる。


「弧月ッ!!」


 切っ先に乗せた勢いは殺さず、そのまま放った一刀は侯爵の鎧に太刀傷を付けた。怯む侯爵。返す刀で焔刈りの魔法炎を巻き込み仰紫流・焔月を放つ。


「ぬぐっ!?」


 大きく跳び下がった男のサーコートが裂け、雷光が断面を焼き焦がす。


「これでどうだ!」


「日照坂ッ!」


 再び左手の巨剣、ヘヴィボーンが轟と唸りを上げて振るわれる。凄まじい初速に対してありえないほどの重量からくる強烈な圧の迫り。しかし熱波を纏った紅兎はその接触を許さず、俺はからくもいなして潜り抜け追撃の太刀をいれる。


「一条ッ……ぐっ!」


 剣技の名を叫び一念を込めて突き入れた刃は鎧の厚い装甲を深く傷つけ、しかし腕に走った強烈な痛みに悲鳴を上げるのはこちら。刀身が一瞬たわんで火花が散った。


「ッ!?」


 すぐさま刀を引いて更なる太刀筋へとつなげる。刃の軌跡に抉れた腕から溢れた血が赤い残像を描く。


「焔月ッ!車斬りッ!逆雫ッ!金床打ちィ!!」


「爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろォ!!」


 蹈鞴舞によって跳ね上がった身体能力頼みの連撃を巨剣と鎧で凌ぎ、侯爵が右手の剣を振り回して黒い液体をまき散らす。直撃コースのものだけを紅兎の聖属性で弾き飛ばして前へ踏み込む。床や壁、飾り柱に付着した液がカッと光って爆発し、その追い風を受けて刀を繰り出す。


「チィ、ちょこまかと!!」


 巨剣が俺の頭の上を通り過ぎる。その間に鎧へ二撃、三撃と切っ先を入れて着実に装甲を削り、深追いはせず後退……すると見せかけフェイントにかかった侯爵の鎧へもう二度ほど傷を付けて今度こそ下がった。


「動きが大味すぎるッ!」


「邪魔だと、行っているんだよ!!」


 水のクリスタルに意識を向ける。そこに宿った力を使って体に治癒をもう一度かけ牽制のために尖った先を男へ突きつける。魔法攻撃が来ると思ったのか咄嗟に巨剣を盾にした侯爵だが、俺は呼吸と最低限の足運びだけを維持してにらみ合いに持ち込んだ。


「……休憩かねェ?」


 分厚い刀剣に隠れて何を勝ち誇ることがあるのか知らないが、まるで嘲笑するように連撃の止まった俺に言葉を投げかける侯爵。実に間抜けた絵面だが、癪な事に言っていること自体は大当たりだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はふぅ、すぅー……ふぅ」


 呼吸を整える。蹈鞴舞は強力な技だが制御の難しい失敗作でもある。呼吸を乱したり足さばきを怠ったりすればすぐにバランスが崩れてオーバーヒート、強化魔法の暴発、発火に火傷と酷い事になるだろう。


「ん、けほっ……はぁ」


 そうしたフィードバックを強化魔法でなんとか動かしている体が耐えられるはずもない。しかしそれ以上に深刻なのは、魔力を大量に取り込んで大量に消費するという蹈鞴舞の性質で無理矢理なんとか賄っている治癒回路。これが停止すれば未だ治り切らない腕の傷は酷い後遺症に繋がるだろうし、肩の傷が開けば今度こそ失血死へ直行。


「ふぅーーーーッ」


 大きく息を吐いてから吸い直す。実を言うと既に痛み過ぎて頭がぼうっとしてきているのだ。派手好きのシュトラウスと違って俺の流派に技名を叫ぶしきたりはないが、そうでもして喝を入れないと折れてしまいそうなほどだった。

 声を出すと力が出る。子供だましな理屈だけど、事実そうだからしかたないな……。


「答える余力もないかねェ?え?そうだろう、そうだろうさ!そのために君をじわじわ、じわじわ、じわじわと弱らせてきたんだ!!全てはこの時のため!!僕が君を手に入れるためっ!!」


 行き当たりばったりのくせによく言う。よほどそう嘲ってやりたかったが、呼吸する音以外が口から出てくることはなかった。


「ヘヴィボーンは少々、まァ、君と相性が悪いようだが……ふふっ、イーブルブラッドと組み合わせるとどうだい?えェ?君を無様に躍らせるには最適の攻撃だろう?そうだろう?」


 爆発する液体を滴らせる右手のイーブルブラッド。瘴気がエネルギー源なのか、聖属性で迎え撃てば消し飛ばすことができる。しかし爆発による物理的な衝撃は俺の軽い体に一々重い負荷をかけてくるわけで……。

 確かに、左手のよりよっぽど厄介だ。

 ヘヴィボーンの機能はどうやら重量の操作らしく、そのとんでもない質量を一時的に軽減して速度や威力を変えることができるらしい。初見なら翻弄されかねないが、数日前にやり合った猿の魔獣バイエンとぶっちゃけ被りまくっているおかげで脅威には感じない。当たると死ぬ鈍器という以上の脅威は。


「今更ァ、穏便に済ませようと願っても、もう遅いからねェ?君は、分かるかい?君はそれだけの事をしたんだ……ああ、それだけの事をねェ!このまま這いずることもできなくなるまで、ふはっ、君をボロボロに甚振って、それから手足をゆっくり頂こうッ!僕が飽きるまで、そして君が。君自身が!自分の立場をよォく理解するまで、手足は返してあげないからねェ!?」


 ファティエナ先輩の魔斧に比べたら随分とトリッキーな能力だが、使いこなせてはいない。それが一つ目の不幸中の幸いだな。

 そもそもヘヴィボーンにエアロメタルを纏わせていたのは魔剣としての性能を使わずに普段の重さを軽減するため。つまり侯爵にとっても正規の重量は扱いづらいのだろう。この予想を裏付けるように、左手の巨剣を振るときには全身が大きく釣られてしまっている。


「さァて、楽しむとしようかァ!!」


 戦闘中の苛立ちはどこへやら、実に楽しそうに巨剣を掲げるトワリ。どばっとイーブルブラッドから黒い液が溢れて刀身を汚す。天頂から落下するような軌道で薙ぎ払われたそれは、周囲にこれまでの三倍近い爆発物をまき散らす。しかし身構える俺に爆風は吹き付けなかった。黒い染みがあたり一面を汚しただけ。

 これは……起爆のタイミングを調節できるのか?

 てっきり溢れた液はすぐに爆発するのだと思っていたが、任意のタイミングで起爆できるのなら厄介さは跳ね上がる。俺と彼の間を隔てる数メートルが地雷原になったのだから。


「さあ、さあさあさあ!おいでェ、アクセラ!僕のもとにたどり着くまで、君の可愛い足は残るかなァ?残っていなかったら、はははっ、ちゃァんと抱き止めて上げるよォ!!」


 更に侯爵はもう一度同じ動作を行って地雷原を広げた。有利な地形を広げて俺を呑み込み、否が応でも自分のステージで戦わせる。そういう姑息な思惑が透けて見える。


「ふん!」


 三度目の振り抜きで俺を射程に捉えた黒い液。紅兎でいくつかを斬り払う。


「ふぅ……ッ」


 下段に構えて刃を返す。魔力糸が刀身に絡み、若紫の靄に魔力刃の形を与える。この靄は聖属性の純粋な魔力らしく、魔法陣に封じられている間も貴重な魔力源となってくれた。

 けど、そろそろキツいな。

 当初に比べて随分と薄くなった靄を視界の端で確認して思う。


「……関係ない」


 ぐっと足に魔力を回せば赤い回路が白い肌に浮き上がる。体を取り巻く赤い幻炎と刀に生まれた紫の刃が蠱惑的な揺らめきを生み出し、熱波による大気の歪みが初動を隠す。


 仰紫流刀技術・神炎装の変化「紫聖刃」


 淡く輝く光の刃を引っ提げ踏み込んだ瞬間、トワリの視線が外れる。一拍遅れてイーブルブラッドがギラリと輝き、足場がチカチカと明滅した。爆発がくる。そう察したと同時、下段から紫聖刃を跳ね上げる。蹈鞴舞の余剰炎を奪火で刈り取り、魔力糸のフレームに沿って魔力刃を一気に巨大化。


 仰紫流刀技術・攻ノ型ムラマサ「解刃閃」


 振り抜く間にも膨れ上がる紫聖刃は紅兎を離れて三日月のように放たれる。黒い液の爆発は清浄な一閃に呑まれる。解刃閃そのものもまた、表面からあふれ出る光を爆発へ変えながら彼我の距離を突っ切る。


「ッ!?」


 それはまるで鮮やかな火砕流。床一面から立ち上がる爆風も爆炎も全てを巻き込み、吹き飛ばすようなエネルギーの津波。床石も絨毯も巻き上げられて瓦礫と煙の渦に変わる。瘴気と聖属性の衝突が微細な雷光を四方八方へ走らせ、全てが一体となってトワリへと襲いかかった。


「ぐぉあぁっ!?」


 ボキッ!彼が閃光と瓦礫の波に呑まれ、同時に何かが折れる鈍い音が聞こえた。すぐに火砕流が壁まで達し、お構いなし爆発的な突風が俺の体を大きく煽る。構わず前へ踏み込む。大技が残した乱気流と煙を突っ切った俺は、紅兎を引っ提げてさらに走り抜け、姿勢を低く保って敵の前に飛び出す。


「なにッ!?」


 視界の端には変な角度に歪んだ男の右腕が映る。二振りの巨剣で鎧は所々が砕け、露出した肌に描かれた代々の魔法陣は焼け焦げ、嫌な臭いのする煙が立ち上っている。それでもまだ倒れない。まだ戦える。そんな状態の侯爵は、目を剥いて俺を見下ろし、とっさに大きく下がろうと後ろへ踏み込んだ。巨剣の間合いを越えて触れられる位置へと突如現れたように見えたことだろう。


「ぬ、ぉ、ぉ、おぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」


 退きながら強引に左右の剣を引き戻す侯爵。右腕は勢いに負けてあらぬ方向へ曲り、イーブルブラッドは手から零れる。しかし左の巨剣は枝きれかと思う程の軽やかな加速で俺の首へと吸い込まれて……。


「ぐっ!!」


 咄嗟に左手のクリスタルで受け止める。ガシャンと破砕音が耳元で弾け、飛び散った青い欠片が頬に刺さる。それでも極端に軽くなっていたヘヴィボーンの一撃を受け止め切った。腕から足まで突き抜ける馬車に突っ込まれたような衝撃。息が止まる。蹈鞴舞が乱れる。靴が異様に熱くなり、袖がじわっと黒く焦げた。


「と、止めただとォ!?」


「あ、はっ……!」


 千載一遇のチャンス。口が笑みの形に変わる。爆発間近のクリスタルから強引に魔力糸を通じて力を奪い取る。手の中で色を失い灰のように崩れる切り札。だがそれがどうした。引き換えに俺は敵の腕を得たのだ。


「は、離せ!離せと言っているのだ!!」


 侯爵が焦ったように剣を引こうとするが全力の膂力でもって刃を握り込む。超重量の魔剣が蹈鞴舞の炎に炙られてわずかに色を変えた。圧し折れた右腕の痛みのせいか男は脂汗を浮かべて、それでもなんとか逃れようと足に力を込める。

 腹を捌いて、いや、まだ鎧が邪魔だ!首は、姿勢的に無理か……チッ、腕だけか!?


「離せ!離せェ!!」


「ぐ、ぅうううううううッ!!」


 刃をさらに強く握る。グズグズに爆発の傷と火傷で爛れた左腕の筋肉が膨らむ。血が噴き出し、激痛で頭がおかしくなりそうだが、それでもまだ強化が効いている。

 今のうちに!!

 右手の紅兎をするりと間へくぐらせ、侯爵の左腕へと押し当てた。二の腕の内側、激闘で敗れかけた肘の内側、魔物の革でできた場所へ。彼はその意図を察して更に激しく暴れ出した。強化し尽した筋力でそれに耐えて刃を肘に押し込む。


「ぎゃぁああああ!!」


 繋ぎ部分が断たれて肉に達し、絶叫が至近距離で放たれる。折れた腕で殴りかかってくるがそんなものは無視だ。ガスガスと肩や頭に当たる鎧。額の薄い部分が切れて血が流れる。視界が半分赤に染まるが、目の前の腕と引き換えなら安い。安すぎる。


「痛いッ!痛い痛い痛いッ!!止めろぉおおおおお!!」


 ずぶずぶと肉に潜る紫の刃。溢れ出る血液に含まれた瘴気と反発して光を放ち、それがまたお互いを焼いて行く。


「うァああああああ!!!ああ、死ぬ!死ぬゥ!!死んで、死んでェなるものかァッ!!」


 メキリ。そんな音がした。紅兎をひじ関節の半ばまで潜り込ませた俺はそのままもう一重紫聖刃を纏わせる。金属の刃を覆うように生まれた一回り大きい魔力刃がその刃幅だけ腕を抉る。ゴシャっと酷い音が腹の中でした。


「ごぼっ……!?」


 口をついて血が吹き出す。逃げたい一心で踏ん張っていた侯爵の足が一転、膝蹴りという形で放たれたのだ。あばら数本を圧し折って内蔵にも響いた激痛。蹈鞴舞の興奮がすぐに押し流してしまうが、それでも足から力が抜けて行くのを実感する。


「腕を、寄越せェ!!」


 俺は掴んだ巨剣の刃を自分に引き寄せる。当然そこに食らいついた紅兎もより深く潜り、ガツンと骨を断つ手応えを返してきた。ぞわりとした感触が背筋を遡ったのはその時だ。


「ィギィイイイイイイイ!!!あァ!!お前ェ!お前はァ!僕のだァ!!!!!!」


 侯爵の鎧が開いた。まるで縦に開く口を持ったバケモノのようにぐばりと。その内側は腐臭と熱の塊で、黒い血液の中から白い管状のモノが飛び出す。肋骨だ。肋骨だったものがまるで植物系魔物の触手のようにしなり伸びる。それは俺の左腕に突き刺ささると、勢いよく俺を啜った(・・・)


「ッ!?」


 血がごっそりと抜け落ちる感覚。傷口から覗く筋肉が変色するのが見えた。刃を押しつけるだけの筋力が失われ、拳がガクガクと震えだす。その分強引に魔力刃を大きくして腕を抉ってやるが、侯爵は涙を流して絶叫しつつも恍惚とした表情を浮かべる。


「美味い、美味ァい……アクセラ、アクセラ、アクセラァ!僕は、僕はァ、君をォお、愛してッ、アぃイいいィい!!」


 ぞぶりぞぶりと白い触手は俺の腕から血を吸い上げ、同時に肌に溶け込むように解れて行く。同化しようとしているのだと本能的に悟る。恐怖とそれを焼き尽くすほどの怒りが沸き起こった。


「気持ち、悪いッ!!」


 吼える俺に呼応して蹈鞴舞の魔力が爆発する。足を止めたことでバランスを欠き、膨れ上がっていた余剰魔力。それが一気に炎に変化し、ついで紅兎の随分と減った紫に引火した。すると神炎は逆に炎を油と変えたように燃え上がり、俺と侯爵を一気に包み込んだ。


「熱ッ!」


「いぎィゃァああああああああああああッッ!!?」


 制御を離れた魔法の炎が互いを燃やし、聖なる神炎は己を本当の意味でキメラにしてしまった邪悪な錬金術師だけを容赦なく燃やす。掴みあい絡みあう俺たちを中心に反発の雷光が過去最悪に迸り、あまりの熱量にカーペットの残骸が(おの)ずから発火。散らばったシャンデリアの小さなダンジョンクリスタルにまで引火して瞬く間に広間を炎上させた。


「燃えろおおおおおおお!!」


 声の限り叫ぶ。下半身の感覚はもうほとんどない。それでも紅兎に魔力を注ぐ。全身で明滅する青い治癒魔術回路が急激に光を失う。


「アクセラァ!僕のモノ!僕の!僕の!僕の!僕の!僕の!僕の!僕の!僕のォ!!」


 狂ったように叫ぶ侯爵。だが拒絶をこれでもかと叩き付けるように、腕に刺さった彼の肋骨触手が内側から淡い紫に色づき弾けた。流れる俺の血から直接神炎が吹き上がったのだ。その炎は開いた鎧の内側にも雪崩れ込み、彼の邪悪な(はらわた)を焼き尽くさんとする。


「ィァッッッッッッッッ!!!!」


 人間の喉では出せない濁った高音の悲鳴が炸裂し、片耳からの音が瞬時に途絶えた。彼の背中からサーコートを突き破ってムカデのような触手が生え、燃え盛る腹へ巻きついて炎を押しつぶす。


 今しかないッ。


 俺は奴が保身に意識を裂いたと同時、そう悟った。最早力の入らなくなっている巨剣から手を離す。初級の聖魔法ヒールで左腕を最低限治し、直接その手首を握りつぶすほどに強く握った。ありったけの魔力を紅兎に流し込む。相棒は刀身が光でできているかのように眩く輝き、侯爵を覆う神炎を一層激しく燃え上がらせる。


「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああッ!!!!」


 肘側の鎧を引き千切るように切断しきった。


「ァああああああ!!腕がァあああ!!??」


 終わりじゃない!終わらせない!

 腕を投げ捨て、がら空きになった胴へもう一度紅兎を突き入れる。技も何もない刺突は鎧の傷から入り、焦げて脆くなったムカデを穿ち、男の体を一貫した。


「ぶはぁッ!!」


 神炎をこれでもかと傷口に注いで紅兎を引き抜く。黒い血液と若紫の炎が侯爵の口から吹き上がった。それでも反撃の意思が目に灯る。それを踏みつぶすかのように、引き抜いた刀を大きく振りかぶる。差し違え狙いのような瞳に俺が映る。壮絶に睨み付ける少女が。


「昇り刃月ッ!!」


 絶好の隙に斜め下から渾身の一刀を首へと叩き込む。竜胆銀の刃元が筋張った部分に齧り付き、片側の頸動脈と気道を抉り裂く。黒い血が噴水のように吹き上がって降り注ぐ。しかし、それだけだった。


「……あ」


 声が漏れる。伸びきった腕の先、小さな手に握られた紅兎には、刀身がもうほとんどなかったのだ。拳一つ分の刃元。それだけが残された刃であり、昇り刃月を最後の意地とばかりに喉元へ届かせたのだ。


「ガァアアアア!!」


 喉から怒りの叫びと黒い血をまき散らしながらトワリは足を振り抜く。技の硬直から抜けきれない俺はその蹴りを真正面から腹にくらい、あまりにも重い衝撃に宙を舞った。きりもみし、弾丸のように飾り柱に激突。聞こえた大きな破砕音は柱の倒壊する音か、それとも俺の骨が砕けた音か。天も地も分からなくなるほどの不気味な感触が生じ、最後の力が抜けて行く。


「……ん、これ、は……」


 体が動かない。視線を少し下へ向けるだけで奥義を連発するような消耗感に襲われる。それでもゆっくりゆっくり、柱にもたれかかる自分の体に目を向ける。ラベンダー色の炎が傷という傷からチロチロと燃え立つ体に。とりあえず四肢は揃っているが、紅兎は刃元の刀身どころか(はばき)も鍔もどこかへ行って柄だけが手の中にあった。


「かふっ」


 吐いた血が胸元を汚した。それがまた紫に燃え立つ。紅兎を失ったショックも大きいが、深刻なのは腹の傷だ。傷というか、穴というか。神炎の向こうで破れた内蔵がむき出しになって見えている。それでも痛みを感じないのが、もしかしたら一番まずいかもしれない。手も足もあるのに、そこにある気がしない。


 失敗したかなぁ。


「う、うぅ……ダ、誰かァ、誰か来、い!僕の、下へ、誰かァ!」


 霞む視界の中で侯爵が叫んでいるのがギリギリ見える。ラベンダー畑のように一面を燃やしていた神の炎は、急速に消えていった。侯爵の体の炎も俺と離れたことで消えたらしい。それでも左腕は二の腕の半ばで切断され、右腕も千切れかけている。全身に火傷が広がり、腹の中は黒く焦げていた。まあ、相当なダメージを負ってくれたようではある。無様に叫びたてているのは手当のためか。だとして、どこまで回復できるのだろう。


 ちょっとでも、残るなら、いいんだけど……。


「え……れ……な……」


 黒く光を失っていく視界で、目を凝らして記憶の中の姿を呼び起こす。大切な乳兄弟。彼女の笑顔は、もう見れないだろうか。もう一度、もう一度だけ、あの笑顔と、柔らかな髪を……。


 ……ごめ、ん、ね……。


 ハニーブロンドと翡翠の瞳を幻視しながら、俺の光は完全に消えた。


またアクセラを負けさせた、とお怒りの感想が今から目に浮かびます。

章末までちょっと言い訳はお待ちいただければ……(汗


~予告~

時間は遡り、王城の奥にて。

不穏な報せに御前会議が招集された。

次回、王都、動く

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