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二章 第6話 予期せぬ成長

人によっては苦手なネタかもしれません。

まあ、主人公がTS(?)だとある意味避けては通れないかと・・・。

「ふぅ……」


 深く息を吐く。キュリエルに槍を作ってやってから地上へと戻ってきた俺は、意識転移の酩酊感よりもお茶会の疲労の方が体に堪えた気分だった。とはいえ普段の俺ならあれくらいかしましいやりとりでもここまで疲れ切ることはなかっただろう。それがなんだか体が鉛になったような倦怠感まで出ている。


「相談し損ねた」


 天界まで足を運んだ本題である体調不良についてまったく聞くのを忘れていた。数か月単位で続く眠気、倦怠感、悪寒に面倒ごとの気配を感じて相談したかったのだが。

 まあ、いいか……本当に肉体の不調だけなのかもしれないし、屋敷に出入りする医者が先で。エレナやラナを心配させるのは忍びないが、唐突にぶっ倒れでもしたらその方が事だしな。

 来週までにミアかパリエル、あるいはエカテアンサあたりに相談できなければ医者に頼ろう。そう決めて個室礼拝堂から出る。こちらでの時間経過は10分程度だろうか。レメナ爺さんとエレナはまだ教会の入り口あたりでシスター・ケニーと喋っていた。


「ん、おまたせ」


「あ、お疲れ様です。主の言葉は賜われましたか?」


 俺が声をかけるとシスターが朗らかに微笑んでくれる。


「ん」


「そうですか、それはなによりです」


 いらん言葉ばっかり賜った感が否めないが。


「そっちは?」


「ちょうど今話が終わったところじゃよ」


 いいタイミングだったらしい。


「あとは?」


「もう帰るだけじゃ。夕飯に遅れたらまた怒られるからのう」


 たしかに夕飯に遅れるとラナとイオの機嫌がものすごく悪くなる。料理を作る側からしてみれば当然のことなので特に文句はないどころか、本当に申し訳ない気持ちになるのでできるだけそれは回避したい。


「ん、急ご。ばいばい、シスター・ケニー」


「じゃのう。シスター、また寄らせてもらうわい」


「さようなら!」


「お気をつけて。主のご加護がありますように」


 丁寧な所作で腰を折るシスターに別れを告げて俺たちは家路につく。時間としてはちょうど屋敷について手洗いうがいを済ませたら夕飯、といった感じだろうか。

 赤味を増した夕日に照らされながら人気の多くなった中央通りをエレナと並んで歩く。そろそろオレンジの光も都市の壁に遮られるだろう時刻、ケイサルの門も直に閉じられるはずだ。仕事帰りの職人や冒険者がそれぞれ家やギルドに向かうのを横目に俺たちはどうでもいい話に興じた。


「今日の晩はなにかなー」


「そら豆のポタージュは確実」


「どうして?」


「シャルがいいそら豆買ってきたって、イオ褒めてた」


 いつまでたっても見習いを抜け出せないシャルが褒められる数少ない事柄、それは買い物の手腕だ。一時期冒険者をしていたこともあるらしく、たぶんその時の経験でいい野菜が見繕えるのだろう。栄養が偏りがちな冒険者業にあって野菜の良し悪しを見極めるのは意外と大切な能力だ。


「むぅ、冷たいスープだといいな」


「あったかいスープ嫌い?」


「あんまり好きじゃない。豆のスープだけだけど」


 豆のポタージュは独特の香りがあるからな、それが苦手なのかもしれない。後でこっそりイオに豆をスープに使うときは冷製にしてほしいと伝えておこう。

 俺が勝手にいらんお節介を焼くことを考えていると、ちらっと後ろを確認したエレナがそっと距離を詰めてくる。肩が触れるくらいの距離で歩きながら、小さく彼女は「ところでさ」と話の転換を切りだした。なぜかその顔はニマニマと楽しげだ。

 後ろではレメナ爺さんが俺たちと周囲をしっかり視界に収められる程度に離れて歩いている。保護者然としてついていなくても日中は危なくない程度にこの街は安全だが、それでも魔法使いとして一番いい後衛の位置を自然と取ってしまうのだろう。さすがは歴戦の魔法使い、いや賢者だ。


「ん?」


 内心ではレメナ爺さんの動きに感心しつつ、エレナの方にもちゃんと意識を向けて聞く姿勢を作る。


「アクセラちゃんがお祈りしてたあいだ先生、シスター・ケニーとお話してたでしょ?」


「ん」


 なにやらすごく面白い事を発見したときと同じ声音でそういう彼女に頷く。楽しそうなのはなによりだが、ちょっと興奮を抑えてもらわないと耳に息がかかってくすぐったい。


「わたしはずっと見てるだけだったんだけどね、先生ずーっとシスターのお話を聞いてるばっかりであんまり喋らないの」


「レメナ爺はあんまり自分から喋らない」


「そうなんだけど……でも、じーっとシスターの顔ばっかり見てるの」


 目を見るかどうかは文化によるが、大抵話すときは相手の顔を見るものだ。そもそも何が言いたいのか分からなくて首をかしげると、彼女は焦れた様に小声のまま声を荒げてみせる。


「むぅ、だから、たぶん先生はシスターの事が好きなんだよ!」


「……ん?」


 そういう話だったのか。今日はやたらとそっちの話ばっかり振られる……あまり得意じゃないんだが、厄日かなにかなんだろうか。


「さすがにないと思う」


 冷静にツッコミをいれる。

 そもそもレメナ爺さんとシスターって幾つ違うと思っているんだか。孫でもありうる歳の差だぞ。

 しかしエレナは確信しているらしく、鼻息あらく主張を続ける。


「絶対そうだよ。だって先生の視線すごく熱かったもん!」


 視線の熱さがわかる年かね、9歳児。いや、しかしエレナの観察眼が優れているのも事実か。

 よく2人で屋敷の敷地内で植物や昆虫を探しに小さな冒険へ出かけていたが、そのときから彼女の目は鋭かった。その頃の彼女のお気に入りは庭のハイクヌギで、放っておくと樹皮の質感から枝の伸び方までずーっと観察していた。

 ま、人と植物や昆虫では観察するといっても全然違うだろうし、俺が礼拝堂に居たのなんて10分そこらだ。おそらくエレナの勘違いだろう。


「胸じゃなくて顔?」


「そうだよ?なんで胸なんてみるの?」


「……」


 変なところで純粋培養だな、この娘は。胸もガン見していたとか言われなくてよかったけど。

 しかしさすがにその年の差はちょっとどうかと思う。俺が古い人間なのかもしれんが。


「んー、でもたぶん勘違いだよ」


「えー、そうかなぁ?」


「エレナもイオやトニーと話すとき顔みるでしょ?好きなの?」


「うん、好きだよ?」


 ……そういえばエレナは屋敷の全ての人間が大好きなんだった。いや、俺も好きだが。

 それでもイオやトニーを指して好きかと聞かれれば、格好いいとか面白いとか別の表現にする気がする。完全に対人経験の少なさだな、これは。


「その好きは違う好きだよ?」


「あ、それもそうか」


 同じ「好き」でも違いがあることは分るらしい。


「そういう好きじゃなくても喋るときに顔は見る」


「うぅん……」


 腕を組んで難しい表情を浮かべ首をひねるエレナ。その場を見ていないから伝わってこないのだろうか……うわ、子供にもバレる恋の表情を浮かべたレメナ爺さんなんて想像したくなかった。

 しかし、まさかまさかだ。エレナがそういう事柄に興味を抱いているとは。自分自身の恋を見つけるのも時間の問題だろうか。


「…………エレナにまだはやい」


「え、なにが!?」


「好きとか、そういうの」


「むぅ、わたしだってもう9歳だよ!」


 それを「もう」と言うのは本人だけだ。


「まだ9歳」


「あ、ひどい!えい!」


「んっと」


 抗議のつもりか歩きながら肩にぶつかってくるエレナ。体も最近鍛えているせいで若干見た目に反してぶつかる力が重たい。俺の方が鍛えているので危なくはないが。


「えい!」


「ん」


 しばらくそうやっているとエレナも飽きたのかタックルしてこなくなった。

 まだまだ子供だな。そう思ったとき、もう1撃タックルがかまされる。ただ今回はそのまま離れずくっついたままだ。歩きにくい。


「エレ……」


「わたしはアクセラちゃんのこと好きだよ」


 そっと囁くような小さな声が耳元でした。


「ん!?」


 急な告白に喉から変な音が漏れた。いきなりの声にも、内容にも、そして同時に気づいてしまったある事実にも虚をつかれた結果だ。


「ふぅー」


「んひゃ!!?」


 とりあえず抗議しようと顔を向けようとしたら耳に息を吹き込まれ、あまりのくすぐったさに思わず短い悲鳴を上げる。


「み、耳は、やめて!」


「あはは、仕返し!」


「ちがう、それ逆恨み!」


 屋敷の門までの残り短い道をきゃいきゃいと騒ぎながら、俺は内心で酷くうろたえることとなってしまったのだ。


~★~


 屋敷に帰って夕飯を食べたあと、エレナがステラに裁縫を習っている間に俺は1人で風呂に入っていた。湯船に五体を投げ出してぷかぷかと漂えるのでときどき1人で入るのだ。子供じみていると思うかもしれないが、水面を漂う心地よさを風呂で味わえるのは子供の特権だと思う。


「いたた……」


 泡立てた石鹸で手足を洗っていると腹に鈍い痛みが走る。驚いて手を当てるとほんの少し体の温度が低くなっていた。まだ寒い風が時折吹く時期、暖かいと思っていても夜になると急に冷えたりもする。

 体を洗っているうちに手足から冷えが伝わったかな?

 シャワーの栓を捻って熱めのお湯を頭から被り、指のあいだまで石鹸を落としてしまう。そしてそそくさと湯気の立つ湯船に滑り込んだ。熱い風呂こそ冷えた体への最高の薬だ。


「ふぅ」


 肩まで浸かって天井を見上げる。白い木の天井板が結露し、無数の雫がついている。よくエクセララの家の風呂でも見た光景だ。そう思うとただの水滴も少し懐かしい気がする。


「……あれ?」


 しばらく肩だけを湯船にひっかけて浮力任せに呆然と浮いていると、視界が歪んでいることに気づく。天井なんて分りづらい物を見ていたせいで気付かなかったが、眩暈でも起こしているかのように視界がぐらついているのだ。しかしそう気づいたときにはもう収まってしまっていた。


「なに……?」


 しばらく前にも視界がブレたことはあったが、その時より長く大きな歪み方だった。明らかに何かがおかしい。


「寝る前にラナに……でも……」


 ラナに相談するか悩む。俺はもう9歳だがそれでも子供は唐突に死ぬことがあるから気が抜けない。本当になにか困ったことになってからでは遅いし、ラナに現状を伝えておく方がいいのだろう。

 しかしそうすればギルドに行く時期が遅れてしまう可能性がある。それに原因が使徒や神々、魂に関する方面だった場合相談してもどうにもならない。あげく治せるにしても何が起きたのかはわからないだろうから、心配だけさせておいていきなり治りましたと言うしかなくなる。それはいくらなんでも気が咎める。


「様子見、かな」


 とりあえず今日決めた1週間。それを目安に、できるだけ天界への確認を優先しよう。幸いにも今日はレメナ爺さんから出されている課題を書庫で調べればもう予定がない。早めに寝て明日また教会に行けばいいのだ。そして今度こそはミアかパリエルに相談する。誰に何を話すかを考えるのはそれからでもいい。なんとかなる。


「ふぅ」


 また浮力に身を任せて体を揺蕩わせる。今度は目を瞑ってただちゃぷちゃぷというお湯の音を聞くだけだ。


「……似てたな」


 心安らぐ波の音にただ包まれていると、ふと今日の夕方の事を思い出した。

 テナスが何を思ってか囁いた声に強い既視感を覚えたのだが、なかなか誰の声に似ているのか思い出せなかった。それがエレナに耳元で囁かれた時に分ったのだ。


 あの2人の声は似ている。


 気付いてしまえば逆になぜ聞いたときに分らなかったのか不思議なほど、2人の声はよく似ていた。テナスの声はエレナのそれを大人にしたような声質だった。もちろん含まれていた色香などは差し引いてだが。

 脳裏に残る声を比べてみてもやはりよく似ていた。


『わたしはアクセラちゃんのこと好きだよ』


 不思議な魅力のある声で囁くテナス。


『一晩だけでいいです、私を……抱いてくれませんか?』


 感情の読みにくい声で囁くエレナ。


「……ぶくぶくぶく」


 なんで態々思い出して比べようとした、俺。

 ほぼ同じ声に脳内の姿もやや混線しだし、俺は年甲斐もなく顔を赤くして水底へ沈んだ。

 声が似ているからどうだというのだ……無関係無関係、無心無心。


 映像と音声がちぐはぐになったまま変にリフレインする言葉たちに危うくのぼせかけたあと、なんとか無事に風呂から上がった俺はアンナに髪を乾かしてもらった。


「珍しいですね、お嬢様がお世話をさせてくれるなんて」


「ん、ちょっと」


 普段は1人で大雑把に拭いて自然乾燥なのだが、体調が悪いかもしれないのでちゃんと乾かしておきたかった。生前なんて『生活魔法』で簡単一発だったのだが、あれは髪が傷むと女性から不人気極まりない。当然俺も伯爵令嬢として禁止されている。便利だから男には大人気の魔法だったのだが……。


「あ、また生乾きで放置しましたね?枝毛になってますよ」


「……ん」


 こういうのがバレるからあんまり頼みたくないんだよ。

 外見が9歳の少女でもやはり中身は無骨者、どうしてもそういったことに対する関心は低めなのだ。これでも服の合わせ方や小物の選び方はステラから多少学んでいるつもりだが、付け焼刃は所詮付け焼刃でしかない。


「お嬢様の櫛はここにもお部屋にも置いてあるのに、どうしてちゃんと(くしけず)らないんですか?」


「たまにエレナがしてくれる」


「ご自分でもなさってください」


 溜息をつきながらも脱衣所に置かれている俺の櫛をアンナは持ってきてくれる。彼女の手にある薄色の木櫛はさすが伯爵家の使う品、精緻な模様が掘り込まれた美しい細工物だ。これもリオリー宝飾店から買った物かもしれない。


「さ、座ってください」


 脱衣所の片隅にある背もたれのない椅子に座らされ、すぐに後ろから櫛がかけられるのを感じる。自分でするのは面倒だが他人にしてもらう分には気持ちいい。


「引っかかってはいないみたいですね」


「手櫛くらいはする」


「ちゃんと木櫛でしてください」


「……ん」


 偶に手入れを頼むたびに小言を言わせるのも申し訳ないので今度からは最低限することにしよう。櫛に浸み込ませた花芽油の香りをかぎながら果たせるか怪しい目標を立てる。


「お嬢様は綺麗な髪をお持ちなんですから、ちゃんと整えてさえいればきっといい出会いがありますよ」


「べつにいい……」


「そうも行きません。お嬢様は伯爵家を継がれる身ですから」


 伯爵家の後継問題か。俺は継ぎたくないんだよな。にしても今日はそんな話題ばかり聞く。


「トレイスが継げばいい」


「トレイス坊ちゃんですか……」


 アンナが言い澱むのも仕方のないことだ。俺の弟、トレイスは体がひどく弱い。この屋敷に来てからずっと部屋で療養しているし、俺も部屋への出入りは禁止されている。そのため今まで出会ったことすらない。会えたところでできることもないのだが。

 伯爵家の長男が長患いをしているのだ、当然王都で高位の聖職者が診ていただろうし俺の『聖魔法』も意味ないだろう。


「……」


「……」


 それ以降はお互い微妙な空気になってしまい、無言で俺の髪に櫛が通るわずかな音しか聞こえなくなった。アンナからは、ただ幼い主家筋を心配しているという以上に重苦しい空気が漂ってきていた。


~★~


 書庫のソファの1つに腰掛けて本を読む。9歳になった俺でも一抱えある巨大な本、すなわちカルナール百科事典だ。その辞典型鈍器を膝の上に1冊、ソファの上にもう1冊置いて調べものをしているのだ。

 レメナ爺さんの魔法授業は去年くらいから基礎理論や実践だけでなく、魔法史のレポートのような物が出題されるようになっていた。


「賢者とその定義……あった」


 レメナ爺さんやカルナール百科事典を創刊したカルナールは賢者と呼ばれる存在だが、それは冒険者の二つ名のように自称他称問わず名乗れるシロモノではない。創世教総本山ガイラテイン聖王国の聖賢府による審査を経て聖王の名のもとに認定されるのだ。なお、聖賢府は賢者以外にも超越者の認定も行っている。

 賢者というのは魔法使いの中でも魔力、知識、力量、実戦闘と学問両方での優秀な実績を持つ者のみが認定される称号。その二つ名には魔法使いとしての特徴が表れるわけだが、手札がバレていても問題なく勝利するだけの実力を持っていると思えばその規格外さが分かるというものだ。

 超越者はというと、こちらは内容にかかわらずとにかく常識外の戦闘力を持つ者をそう認定している。地上に生きる生物の限界に挑まんとする猛者たちを、万が一悪神とその手先による攻勢が始まったなら戦力として招聘するためのシステムだ。もっとも、その力はもっぱら同族にばかり振るわれているのが現実と言えよう。一応教会から戦争行為への加担は自粛するようにお達しが出ているのだが、超越者ともなればどこかの国の軍に所属しているということも多い。国家はそんな力が手元にあれば抑止力なり攻撃力なりとして使わざるを得ないし、命じられれば軍属である以上本人もその力を振るうしかないのだ。


「人のこと言えないけど」


 俺だって建立直後のエクセララを守るためとはいえ、教会からのそれとない静止を無視してロンドハイムの宣戦布告に即応した。それもエクセララを建てるのに賛同してくれた知り合いの同格7人を連れてだ。おそらく歴史上最も多くの超越者が相争った戦争だろうと、後から物凄く嫌味な聖王直筆の見舞い状を賜った覚えがある。

 まあ、人類の最大戦力が敵味方含めて2ヶ月で4人も死んだのだ、聖王の胃壁も相当深刻だったに違いない。


「んっ……痛い」


 ちゃんと冬用の寝間着を着こんでいるので冷えてはいないはずなのだが、また少し腹痛がしてきた。書庫は本の管理のためにかなり涼しく温度が保たれているから、それが原因かもしれない。そういえばレメナ爺さんはこの書庫で生活しているらしいが、よくやると感心してしまう。


「よっこいしょ」


 鬱陶しい痛みに集中するのをあきらめた俺はソファから立ち上がる。


「ホホホ、調べ物は終わったのかのう?」


 そこへひょっこりと爺さんが現れた。よほど疲れているのか、ほとんど直前まで接近に気づけなかった。


「まだ。でも今日はおしまい、ちょっと体調がよくない」


「珍しいこともあるもんじゃ。お嬢様が体調不良とは」


 おい爺さん、俺のことを何だと思ってるんだ。

 健康的な生活と鍛錬を心掛けてるおかげでほとんど風邪もひいたことがないが、この体そのものはわりと繊細で過敏で脆い。空気が少し乾燥してるだけで喉が痛くなるほどだ。


「ひどい」


「ホホホ、風邪の1つも引いたことがないんじゃろ?そりゃ言われるわい」


 引いたことあるわ……2回くらい。

 あくまで日頃の俺と侍女たちの努力のおかげだ。


「片付けてくる」


「カルナールを2冊いっぺんにか、お嬢様の細腕のどこにそんな力があるんじゃか……」


「日頃の鍛錬」


「そりゃ風邪も逃げるわい」


 カルナール百科事典投げつけてやろうか、この爺さん。

 そんな馬鹿なことを考えている間にも腹の痛みは悪化していく。もうこれはさっさと仕舞って寝てしまおう。今日は眠気も一段と酷いし、本当に厄日かもしれない。

 辞典を取り出したときから動かしていない可動式の階段を上っていく。こんな時に限って2冊とも一番上の棚だ。連番で抜いたので当然といえば当然か。


「よっ」


 1冊でも一抱えあるそれを筋力にまかせて持ちあげる。連番で抜いたので纏めて突っ込めるのが唯一の救いだ。あまりに本自体がゴツすぎて多少無理に押し込んでもぴったりはまるのも便利といえば便利だろうか。


「!」


 辞典を頭上に掲げる勢いがよすぎて少し重心が狂う。筋力が増えても相変わらずサイズの問題で安定性だけは最悪だ。普通の子供なら後ろにひっくり返って転落事故になるところを、いつも通り腹筋に力を入れて上半身を無理やり固定する。


「ぃぎ!!?」


 苦悶の声が歯の隙間から漏れる。腹の奥、ずっと軽い痛みがあった部分に形容しがたい激痛が沸き起こったのだ。反射的に引き締めていた腹筋から力を抜き、それが失策だったことにすぐ気づいた。

 転落しかけて力を入れたのに、重心を戻す前に抜いたらどうなるか。そう、落ちるのである。


ドターン!


「ぐっ」


 背中一面に均一な衝撃、後頭部に角張った痛みが走る。背中を床で、頭を後ろの本棚の下縁で打ち付けたらしい。背中も頭もついでにまだ腹の中も痛い。1歳以来で初めて泣きそうだ。


「だ、大丈夫か!?」


 慌てた様子のレメナ爺さんが駆け寄ってくる音が聞こえる。絶対猿も木から落ちるとか言うぞ、あの口の悪い爺さんは。

 ああ、踏んだり蹴ったりだ……何だっていうんだよ。


~★~


「おめでとうございます」


「……なにが?」


 レメナ爺さんに「猿も木から落ちるとは言うが、まさかお嬢様も落ちるとはのう……」とか予想より酷い言葉を掛けられながら自室に担ぎ込まれた俺は、今度は体中をひとしきり調べ回したラナにそう言われた。

 体を冷やして腹痛おこし、馬鹿デカい書架の最上段から落ちたあげく背中と頭を強打して、も一つおまけに腹痛も悪化しだしているのに、一体何がおめでたいのかこの時ばかりはラナを問い詰めたくなった。流石の俺の表情筋も今回はそんな心情を上手く反映したらしく、ラナの目に反射するのはなかなかの不機嫌顔だ。


「すっごく痛い」


「えっと、それはどこが?」


「全部」


 背中だって頭だって腹だって痛い。勘弁してくれ。


「とりあえず背中は湿布を貼っておきましょう。後頭部は軽いたんこぶになってますから、できるだけ安静にしてください。もし気持ち悪くなったり頭痛がするようでしたらすぐに言ってくださいね?」


「ん」


 脳内出血の危険性は頭を打ってから1日ほど過ぎないと拭えない。それくらいは俺も知っている。というかエレナと敷地内で遊んでいるときはしょっちゅう転んで頭をぶつけたりしていたから心得たものだ。

 それでもラナにとっては一大事に違いない。眉間にしわを寄せた彼女はそっと俺の頭を撫でてお説教を始めた。


「まったく、調子が良くないのなら無茶をしないでください。だいたい百科事典を2つも担ぎ上げようとするなんて、落ちるに決まっているでしょう。大怪我でもしたらどうするんですか」


 普段ならカルナール2冊くらい問題ないのだ。そう反論したい気もするが、実際こうして落ちた。なによりこんなに心配そうな顔をされたら言うに言えないじゃないか。

 とはいえ心配してくれるところ悪いが、どうせすぐに『聖魔法』で治療しておしまいだ。祈る対象が自分だと気楽に使える分、懲りなくなってしまうな。

 いやそうじゃなくて、何がめでたいのかという話だった。


「お腹は冷えた」


 だから湯たんぽでもなんでも体を温める物を早く出してくれ。そして何がめでたいのかの説明もしてもらわないと気になって寝にくい。寝れないわけじゃないあたり自分でも神経は細くないと苦笑するしかないが。


「いいえ、違いますよ」


 益体もないことを考えて痛みを紛らわしていた俺にラナは優しい笑みを浮かべてそう言った。冷えじゃない、と。


「?」


 慣れない腹痛の原因が他に思い浮かばずに首をかしげていると彼女はそっと俺の肩に手を置いた。


「お嬢様のお体が大人になられたんですよ」


 9歳で大人とは一体どういうことだろうか。エレナももう9歳だと主張していたし、俺のいない間に9歳はもう大人ということになったのか?

 いや、成人は15だと言われたし、それはないな。


「安心してください、誰もが通る道です」


 チンプンカンプンの俺にラナが優しい声でそう言った。

 大人になるのは生きている以上誰だって通る道だろうが、つまり何が言いたいのか……ん?

 え……あ、ああ、ああ!

 俺の知識に1つ、前提の欠落が浮かび上がった。

 そうか、そういうことか。分っているつもりで全然わかっていなかった。


 俺の体はそういえば「女」なんだった。


 鞭で叩かれるのとも剣で切られるのとも魔法で吹き飛ばされるのとも違う異質な痛みだと思ったら、なるほど経験したことのないものだ。生前には味わう機会のなかったモノなのだから当然だ。

 たしかに順調に体が育っていく以上、女性なら誰もが通る避けられないイベントだろう。

 いや、しかし……子供を産むというか、男と致す気など欠片もない俺にはいらない痛みでは?それなのにこれから毎月このはらわたを握られるような形容の難しい痛みを受け入れろと?

 責任者を出せと怒鳴りたい衝動に駆られる。責任者は誰だ。ミアか。ミア許さん。


「……」


 さすがに言うだけアホらしい。


「痛い」


 それでもやはり言わずにはいられない不快な痛みだ。

 おのれミア……。

 今日という厄日に俺は創世神を呪いながら枕に顔を埋めた。


最近Pixivでバナナ彫刻なるものを見まして。

バナナでこんなに色々作れるなんてすごいなぁ・・・と思いながらも、

一番驚いたのは複雑な彫刻なのにバナナが一切酸化してないところ(笑)

すぐ黒くなるのに、レモンでもかけてるんだろうか?と凄く気になっています。


~予告~

囁くエレナの声に不思議と高鳴る胸・・・。

それは新たな扉を押し開く、始まりの鼓動であった。

次回、〇リータ


エクセル「おい、ゲが抜けてるぞ(白目」

テナス「〇ゲリータ・・・回避が無理やりすぎません?」

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