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十章 第21話 狼狩りの共謀

『アクセラ、どこだい?隠れても無駄だよ、さあ、出ておいで』


『今頃、君にあげた彼女がオイタを窘めてくれているところかな?』


『我ながら犬笛はいい発想だろう?番犬におあつらえ向きさ』


『魔法陣を無効化する技はさすがだが、戦闘音や姿まで消せはしない』


『早く戻って僕の愛を受け入れてくれたまえ』


『君に許された最後の、そして最高の道だ』


『愛してあげるよ。受け止めて上げるよ。だからさあ、戻っておいで』


『アクセラ、アクセラ、アクセラ!アクぜばぁっ!!』


 気持ち悪いくらい流暢に侯爵の声を垂れ流していた赤いキメラの頭が弾け飛ぶ。黒い槍が機械弓の矢のようにドスドスと壁を穿つ。乱入してきた魔物は黒い腕が空を切るたびに巻き添えを喰らって床を濡らし、駆け付けた騎士は紫の刃が翻ると同時に黒い血を噴き上げて(くずお)れる。


『右、右、右、左、右、槍3、右、槍2、右から左、槍、左、左、槍3、右、槍5!』


「くっ、はぁ、っ……はっ」


 丸太ほどある漆黒の巨腕が縦横無尽に伸び、鉤爪を振るい、薙ぎ払い、頑丈な石材に甚大な傷を刻み付ける。バロンの宣言に従って俺はその隙間を掻い潜る。冷たい石の舞台で踊る巫女のように、白い髪を振り乱し、紫に輝く紅兎を操る。そしてその歩みを一瞬たりとも止めぬよう、黒い槍がはやし立てるように足元を砕いて行く。


『槍3、5、3、7、右、薙ぎ、薙ぎ返し、槍3、左』


「多い!」


 悲鳴じみた不平を叫びながら足は止めない。バロンはギリギリ捌き切れるように攻撃を抑えてくれるが、それは俺を消耗させて捕まえるというプランでもってイーハへの命令に応じているから。致命打を放たない代わりに容赦なくこの弱った体を追いこみにくる。


『鬼ごっこはお仕舞にしブァッ!!』


 侯爵の声を届けながら挟撃を狙ったキメラがまた一体、巨腕の一撃を正面から喰らって冷たい血を噴き上げる奇怪なオブジェになる。俺が流れ弾の生じる場所に立ち、バロンが躊躇いなくそこを穿つ。攻防の形を取った連携、否、共謀だろうか。


「はぁ、はぁ、はぁっ」


 黒と紫に彩られた死の嵐が砦の廊下を突き進む。キメラも騎士も関係なく破壊し、無作為に逃げ回るように見せかけて外を目指す台風だ。しかし最小の動きで刃を取り回しつつも、息が上がるのを自覚する。体力は最初から限界だった。それが今や、疲労感と熱を帯びた怠さという形で手足に纏わりついて動きを鈍らせてくる。


『……ふむ、そろそろ潮時であるか』


 少女の声で悪魔は独り言ちる。一つの破壊を二人でまき散らしながらも、向こうはこっちと違って始終余裕を貫いている。だからこそ、俺が一縷の望みをかけているこの無茶な「共謀」に対して見切りを付けるのも早い。


『お姫様、もう終わりにするである』


「ま、まだまだっ」


 込み上げる咳を抑え込んで吼える。バロンの腕を躱すその刹那、刃を薄皮一枚触れさせない絶妙な距離で繰り出し、掠めた槍を後追いで(・・・・)斬り捨てた。それも3本まとめて。我ながら曲芸だ。おかげで右腕の筋がビリビリと震える。


『む!?』


 いつでも反撃できるのだぞという意思表示。矢よりなお速い初速を得た槍を追いかけて斬る剣の冴え。まだまだやれる、付き合えよと刀で吠え立てる。その惨めたらしい技の使い方は、幸いにもバロンの同情を誘うことには役立ったようだ。


『貴殿ほどの遣い手が、いっそ哀れがましい……いや、そうではないであるな』


 一流の剣士にとって剣は誇り、技は魂。見世物ではないし、ましてそれを気持ちの面で誰かの下に自ら置くことなどありえないことだ。しかし俺はそうした。関心を得るために剣を披露した。この茶番をもう少し続けさせてくださいと、乞うように見せた。


『吾輩は未だ貴族の心持つ者、気高きバロンである』


 そう、剣士同様に誇りを重んじる貴族たるこの悪魔であれば、きっと汲んでくれる。汲まざるを得ない。イーハの身をこれ以上の危険にさらす瀬戸際まで、彼は俺の願いに応じなくてはいけない。相手の誇りを守るという、誇りに生きる者ならではの理由によって。


『見事な往生際の悪さ、いっそ潔いまでの目的への執着、戦士として見上げた胆力と精神力である!』


「……ありがたい」


『行くであるよ!!右、槍4、右、左、槍2、右、薙ぎ、薙ぎ返し、右、槍3!』


「ふっ、はっ、くぅ!!」


 一切の油断ない攻撃と宣言の雨あられ。俺の体力を根こそぎ奪うべく悪辣な連撃を次から次へと繋ぎ、バロンは攻め手を厚くしてきた。茶番に付き合わせることには成功したが、同時に難易度は上がってしまった。


『右、槍、左、槍2!』


「ぐぅっ!!」


 狭い廊下をたった5パターンの攻撃で埋め尽くす悪魔。走りながら取れる回避の手段もパターン化してくるが、それを掻き乱すように時折出し方を変えてくる。床も壁も時には放たれた槍すらも足場に『獣歩』と体術で躱し、躱し、躱し続ける。


「く、はぁ、は、はぁ、はぁ……ん、臭いが」


『変わったであるな』


 突き当りの壁へ飛びつき、垂直の足場を蹴って右側の通路に転がり込む。コンマ数秒遅れてその壁を粉砕し勢いを殺すバロン。二人は同時にそれを感じ取った。じっとりとした湿度と有機的な悪臭が、廊下を満たす空気に混じっている。


「これは、死臭?」


『だけでもないであるな……戦の臭いとでもいうであるか』


 そうだ、死臭に混じって生ぬるい風には別の臭いが色々と混じっている。焦げ臭が特に強い。それに言葉では言い表しにくい気配のようなものがある。騒然とした戦いが近づいていくる気配。


「ん、ほんとだ。戦の臭い」


 では領都の外で戦闘が起きている?それもこれだけの焦げ臭が生じる戦いだ。魔法、火矢、魔導銃。後ろ二つは城や砦相手ならまだしも都市を落とすのにあまり使わない。燃え移りすぎるし自分も退路を断たれるから。となると纏まった数の魔法使いを動員でき、このタイミングでトワリを攻める意味のある勢力。

 国軍が到着したのか……。


「……ッ」


 腑に落ちると共に生じた一瞬の気の緩み。そこに振り抜かれたバロンの腕は、もはや完璧に回避することができない軌道で迫る。咄嗟に紅兎の刃を寝かせ、裏に腕を沿わせ、細く頼りないなりに盾とした。びっしりと罅の刻まれた刀は黒い拳に触れると紫の光を火花のようにまき散らす。想定外の属性の反発は緩衝材として拳を退けるが、同じだけの力をこちらにも生み出した。


「ぐぅ!?」


 萎えた足は踏ん張ることもできず、軽い体は跳ね飛ばされて舞う。グルグルと笑えるほどの速度で天地が斜めに回り、受け身を取ることもできないままに落下する。ぶちっ。衝撃を一身に受け取った肩が鈍い音をたてた。痛みというより熱と痒さが迸った。更にその勢いのままに二度三度と石に体を打ち付けられる。


「ぅ、あ……」


 急加速と軸の定まらない回転に左右はおろか上下の間隔も奪われ、体の感覚は止まっているのに視界が周り続ける。吐き気の中から辛うじて重力の感覚を拾い上げるのと、肩が焼けるように痛み始めるのはほぼ同時。

 もう、意識が……。

 脳の奥の方で体の危機管理能力が強制的な眠りを提案してくるが、視界を黒が埋め尽くしたことで半ば無意識のまま体を跳ね起こし横へと飛び退いた。


「あぁ!!」


 なんとか足から着地して紅兎をしかと握り込めば、口から思わず悲鳴が出るほどの痛みが肩を襲う。骨に異常はない。ただ筋肉がかなり潰れたらしい。破れた血管から溢れた血液が皮膚と筋肉の間に溜まりだしたのだろう、じくじくと痛みがいやましていくほどに左のシャツがキツくなっていく。脱いでみれば赤黒く腫れ上がっているはずだ。


『これ以上は、最悪、後遺症が出るであるぞ』


 今の今まで俺が寝こけていた床を打ち砕いた拳。それは揺るぎない強さをこれ見よがしに感じさせる。それに比べて自分がどれだけ惨めな風体であるか、未だに斜めの揺れを残す意識で理解する。理解するが、それで現実が変わることはない。


「ふー、ふー、ふーっ」


 細く長く息を吐いて痛みを体に馴染ませながら周囲を見る。何時間コレばっかり見ているのだろうか、代わり映えのしない砦の石材が上下左右を覆っている。だが違うことが1つだけある。風だ。死臭と水気をたっぷりと含んだ胸の悪くなるような風がどろりと流れてくる。風上に視線を向けて、俺はにやりと笑う。


「ふー、ふ、ふふ……賭けは私の、勝ちかもね?」


『……そうであることを願うばかりである』


 同じことに気づいているからか、押し殺した声でバロンが言う。言葉の後には槍が飛んでくるあたり、本当に容赦がない。それを避ける動作で俺は次の廊下に飛び出した。風上にある短い廊下だ。その先には開けっ放しの大きな扉があり、広い空間が垣間見える。部屋があるのだ。それも風が流れ込む様な部屋が。


『右、左、右、左である!』


 バロンの声を聞いて左へ右へと跳躍しつつ最後の距離を駆け抜ける。段々と感覚がおかしくなりだした左腕を意識から切り離し、右に下げた紅兎の柄巻を強く握りしめて。俺を掠めて過ぎ去った拳が空いたままの扉の縁を捉え、蝶番がねじ切れて二枚とも木っ端みじんに砕け散る。


「……ん!」


 木くずが雨のように床を打つ中、部屋へ走り込んだ俺はその光景に内心で喝采した。部屋は三叉路の交点に設けられたがらんと広い空間だった。攻めてきた相手を隊列組んで迎え撃つための場所なのか、それとも廊下へ送り出す手勢を一時的に待機させておくための空間なのか。用途はイマイチわからないものの、そこはどうでもいい。


「ふ、ふふ、勝った」


 ここは砦の最外層に位置する部屋だ。その証拠に俺が探し求めていた窓がある。小さいがのっぺりとした夜の曇天が見えている、外に繋がる窓だ。


「窓、みっけ」


『ふむ、執念であるな……しかし窓と言っていいやら』


 追撃の手を止めたまま部屋の入口へ顔を出したバロン。その黄色い瞳が窓を見上げる。外からの侵入口にならないよう、高い位置に細長く開けられている穴。そこに頑丈そうな金属の柵がはめ込まれているのだ。


「大人は通れない。でもイーハなら通れる」


 左肩が爆発しそうだった。しかしその痛みを飲み込んでバロンに微笑む。彼は無表情のイーハの顔で困ったように唸った。


『それは、そうであるが……アレを通るのはお姫様でも厳しいであろう』


 バロンの言う通りだ。本当に狭いそれは採光と換気のための最低限を極め切っていて、イーハの薄い幼児体型と俺の貧相ながら成人に近い体型のちょうど間に分水嶺を設けていた。


「色々考えたけど、別々に出るのが最善」


 俺とイーハが二手に分かれた場合、侯爵は絶対的に俺を追いかけてくる。イーハを一人で逃がせるならそれに越したことはない。


「それにイーハの脱出が最優先」


『……そこまでしてイーハを逃がそうとするのは、何故であるか』


 バロンの言葉に再び疑念が混じる。


「もう話し合ったはず」


『確かに一旦納得したである。しかしあくまでイーハを連れて脱出するという話であったからであるぞ。ここまで献身的に、イーハだけでもなどと言われると……少なくとも、大義を考えるのであればイーハよりお姫様が生き残ることを優先すべきである』


 なるほど。俺の脱出に絶対イーハを連れて行く、という決意であれば理解はできる。しかし俺が逃げられなくてもイーハだけは、となるといくらなんでも怪しい。そういうことか。


「前提が違う。逆。大義というならばこそ、イーハが生き残ることを優先する」


 彼は俺の中身を、半信半疑ではあるのだろうが、把握しているはずだ。それでも納得できないのであろうか。


『信じたいのはやまやまである。そして信じるに値すると直観的にも思うのである』


 バロンはしかし、と続けた。


『あまりにも信じがたい、吾輩の経験と常識がそれを否定するのである。合理的にも、教義的にも、お姫様が生き残ることが正しい選択であると。考えてもみるのである、態々ここでイーハを逃がすということは、この場で吾輩と戦ってイーハを無力化するということであるぞ』


 ああ、そうか。イーハの意識がある限り、奴隷の首輪は動き続ける。彼女の脱出に彼女自身の無効化は必須。また同じ無効化をトライするなら出口に近い方がいい。なにせ道中の敵はバロンが共謀して潰してくれるし、万が一にも無効化が不可能なら俺一人で逃げられる。逆に今戦えば勝っても満身創痍。しかもバロンなしで残りの道を踏破しなくてはいけない。どちらが正しい選択か、自明だろう。


「正しい選択、ね」


 なんとも寒々しい響きだ。


「私はね、バロン」


『うむ?』


「私は、私の命を誰かに委ねはしない。一時預けることはあっても」


 末期の輝きを宿した刀を正眼に構える。


「私の命の決定権は、私だけが持っているべき。どこで使うか、何に使うか、私だけが決めていい」


 これだけは誰にも譲れない。前世の師にも、子供たちにも、人生を共に歩むと思っていた女にも譲らなかった。今生でも同じだ。例えエレナにであっても、俺の命の使い道は決めさせられない。俺の命は、俺が使う。最後の一滴、最後の瞬き、最後の一刀まで。


「私の命を握っていない誰かが言う、私の命の正しい使い方……それは正しい使い方?」


『……』


「私の思う、私の命の使い方。それだけが私にとっての正しい選択」


 押し黙った悪魔。俺は正眼の刀をすっと後ろへ回し、太刀筋を背に隠す構えを取った。


「こんな小さな子供を見殺しに長らえる命では、意味がない」


『……愚か者の選択である』


 たっぷりの沈黙を経てバロンは言った。俺の言葉に嘘がないことを彼は理解できるだろうか。魂の音が聞き取りづらいという俺の言葉から、彼は覚悟を読み取ってくれるだろうか。


「愚か者でないなら、私は生まれてこなかった」


 愚直であればこそ、ここまできたのだ。それだけ言うと俺は話題を切り替える。


「バロン、イーハの意識は?」


『う、うむ……犬笛と首輪によってトランス状態であるが、意識はあるである』


 バロンが認識していなかったということは、犬笛を聞いたイーハの反応をトリガーに首輪側で何かの作用を起動させたのだろう。


「見たことがない仕組み」


 例えば強烈な不快感を覚える周波数の犬笛を吹き、イーハが強い嫌悪感を覚えたとする。首輪は彼女のバイタルと繋がっているのでその変化を検知する。それがキーとなって首輪からイーハに「体の主導権をバロンに譲れ」と暗示がかけられる。


「指示は?」


『イーハの意識から吾輩に伝わってくるのである。おそらく犬笛で端的な指示を出し、理解できるイーハが翻訳しているのであろうな』


「面倒だけど、確かに有効。でも命令と違反に対する罰、それがその魔道具の仕組みのはず……相当改造してある?」


 生体を弄ることに特化した侯爵の能力と研究を考慮すれば、強制的な暗示を首輪から発することも不可能ではない……のだろうか?専門外すぎて仕組みが分からない。


『といっても原則は変わらないようである。イーハが目覚めていなければ吾輩は満足に戦えないであるし、目覚めている以上はトランス状態でもある程度の反応があるである。残念ながら、記憶も残るであるがな』


 ふむ、なるほど、なるほど……それならやり様はあるな。

 記憶に残るという点はイーハにとって可哀想だが、おかげで対処は意外と簡単になりそうだ。これが完全にバロン対俺の構図だったら、ここまで来て言うのもなんだが、正直詰みだったところだ。


「バロン、利き腕は?悪魔にあるのかしらないけど」


『……左であるが?』


 左利きなのか、この悪魔。ちょっとだけ驚きながら俺は頷いた。


「ん。じゃあ、右は我慢して」


『何を言って……』


 困惑するバロンの右腕が、落ちた。


~予告~

遅滞戦の果てに逆転の刃を放つアクセラ。

イーハを逃がすことはできるのか?

次回、悪魔との約束

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