表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
225/367

十章 第20話 脱走劇の終幕

「ん、また騎士」


『こちらからもであるな』


 騎士の重苦しい足音が聞こえてくる。正面と今しがた通り過ぎた横道からだ。


「まえからネコちゃん、うしろからワンちゃんなのです?」


 見張りの目を掻い潜るかくれんぼ、コッソリ夜のお散歩道中だとおもっているイーハには緊張感の欠片もない。それとたぶん言いたいのは前門の虎、後門の狼というやつだろう。誰だ、そんなほんわかした情景にして教えたヤツ。意味が消滅してるじゃないか。


『いくであるよ』


 バロンの言葉に俺が頷くとイーハの目に澄んだ黄色の光が灯った。そしてマフラーがざわりと黒に染まり、鉤爪のついたゴツイ腕に変わる。


「イーハ、お口閉じて」


 言われてすぐきゅっと口噤んだ少女を一層しっかりと抱きしめる。バロンの腕が片方伸びて俺と彼女を纏めて強く抱き止め、もう片方が天井へと伸ばされる。


「!!!」


 やはり足元が消失する感覚にイーハは声にならない悲鳴を上げ、一方で俺はというとバロンの面白い技に感心する。掴むところのあまりないこの廊下。バロンは腕を構成する闇を薄く帯状に変え、それを四方の壁や柱の石材の隙間へ何本も何本も食い込ませることで固定して見せたのだ。


「イーハ、もう少しだけしー、ね?」


「ん、ん!」


 まるで蜘蛛の巣のように宙吊りになった俺たちは前より低い天井ということもあり、背中を石材に押し当ててまるで上下逆さまに寝転がるような姿勢をとる。見回りの騎士たちが腰の剣を抜いて振り回したら届きかねないくらいの近さだ。『完全隠蔽』越しでもつい息をひそめてしまう。


「……」


「……」


『……』


 進行方向から来た騎士たちが横道から来た騎士たちと合流してそのまま去っていく。その姿が曲がり角の向こうへ行き、金属質な足音も聞こえなくなるまで蜘蛛の真似ごとを続けた。


「ふぅ」


 俺は床を踏むと同時に一息つく。いくらバロンが穏やかな気配を持っているとはいえ、やはり高位の悪魔に対する嫌悪感や拒否感はある。それに包まれるとなると、どうしても生物としての警戒が体に疲労を刻んでいくのだ。


「すごかったのです!バロン、あんなことできたのですね!?クモさんです!クモさんだったのです!」


 そう考えるとなぜこのチビ助は一切の拒否反応を示さずにいられるのだろう。いくらバロンを信頼していると言っても本能的に警戒は生じるだろうに。


「もう一回してほしいのです、バロン!」


『あー、そう何度も続けると早く飽きが来てしまうのである。楽しい事を一気に楽しまず、少しずつ嗜むのも大人への一歩であるぞ』


「大人への、一歩……」


 そこでなぜかイーハは俺を振り仰ぎ、それからむむむっと口を引き結んだ。


「が、我慢するのです」


『おお、偉いのである、イーハ』


「そ、その代わりまたしてほしいのです!」


『うむうむ、また後で存分にしてあげるのであるよ』


 躾の一環なのだろうが、バロンはやはり親というより祖父母のような甘やかし方をする。親以上に祖父母のことなど実体験に乏しい俺だが、ナズナを甘やかす師が割とこんな感じだった気がする。


「お姫さま、かくれんぼ楽しいのですね!」


「ん、よかった」


 フサフサの耳を含む頭全体をかき混ぜるように撫でる。手に吸い付くようなしっとり癖毛がうねり方を変えて少し面白かった。


「わぅー、ぐしゃぐしゃになるのですぅ」


 言葉ほどに嫌がった様子もなく、俺の手に自分の手を重ねて右へ左へ揺られるイーハ。しばらくそうしてから、「しゅた!」と口で言って曲がり角から向こうを覗き込み始めた。もちろん俺とバロンがそれぞれの方法で危険が少ないことを確認してはいるのだが、それにしても敵の総本山から命を掛けて脱出中とは思えないほどの緩い光景だった。


「まあ、誤魔化す手間が減ったのは助かる」


『であるな』


 イーハは楽しそうに何体もの騎士をやり過ごし、無限の体力で脱出行をそうとは知らずに進んでいく。なんならこっちの体力が持たずに休憩を始めるくらいだ。

 獣人の中でも犬系は特に歩くのが好きだからな……。


『しかしお姫様、この後をどうするか予定はあるのであるか?』


 てくてくと先を行くイーハを視界に収めつつ、その背後からこちらへ振り向いて尋ねるバロンに視線を合わせる。


「ん、ない」


『……』


 バロンは途端に胡乱な眼差しを黒い靄の中から向けてくる。俺は肩を竦めて応じる。


「作戦の立てようがない」


『まあ、それもそうであるか』


「ここまでも、これからも、出たとこ勝負。準備はしておいて」


 それだけで察しのいい悪魔は何を準備しておいてほしいかは分かったらしい。もちろんイーハの意識を奪ったあとの足、つまり逃走用に乗っ取った悪魔のことだ。


『まあ、もっと良い作戦が思い浮かんだら教えてほしいのである。イーハが眠っていても一体くらいなら操れるであるが、もとは侯爵の持ち物。何があるか分からないのである』


「そうする。バロンも何か思いついたら教えて」


 俺たちは頷きあう。それから石造りの回廊を延々と歩く作業へ戻る。時々脱出とは関係ない悪戯を交えてイーハの興味を逸らしつつ、現れる騎士を部屋に隠れたり天井に上がったりしてやり過ごしながら。


「部屋、少なくなってきた」


『であるな。外が近いのやも知れぬである』


 砦の一番外は来客の待機室であるとか、兵の休憩所であるとか、意外と部屋が設けられている。だがそこから奥に進むにつれ、戦闘に不要な施設は削られて行く。俺たちが先ほどまでいた場所に隠れる場所が色々とあったのは砦で働く者全員のために寝室や倉庫が必要だったから。


『つまり居住区、防衛施設の生活区と過ぎて完全なる防衛ラインに入ったわけであるな』


「この先、領主の館としての外面を過ぎれば外」


『ツラとはまた、うむ、間違ってはいないであるが……おや?』


「ん……」


「何か、くるです……?」


 その違和感を最初に言い当てたのはイーハだった。一瞬遅れて重い足音が聞こえてくる。ドッドッドと重くも早い足取りで何かが近づいて来る音だ。騎士や侍女じゃない。


『キメラであるか!』


 推測を叫んだバロンがイーハに吸い込まれ、マフラーの腕が俺に伸ばされる。抱き込まれた体が上に強く引っ張られるのと足音が俺たちのいる廊下に突入してくるのはほぼ同時。


 どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどッッ!!


 ギリギリのところで発見されずに済んだが、すぐ下を歪な形の化け物が何十体と行進していく様は見ていて心臓の冷えるものだった。赤黒い濁流のような中の一体でも上を見たら、あるいは天井すれすれを通るような飛行種がいれば、一気に引きずり込まれ殺される。そんな危機感が背筋を伝う。


「っ」


 必死にイーハの口を塞ぎ『完全隠蔽』が解けないよう細心の注意を払う。さすがに彼女も目の前の恐ろしい光景に硬直してしまっているのか、腕の中で微塵も動かずただじっとしていた。


『……い、行ったであるか?』


「……おそらく」


 キメラの波が通りすぎてもしばらく俺たちは天井に貼り付いていた。それほど突然の展開だったのである。そしてこの異変は俺とバロンに一つの確信を与えた。


 バレたな。


 ストックしていたキメラをあんな数で投入してくるなんて、よほどの相手が砦に攻めてきたか俺の脱走が発覚したかのどちらかだ。普通は俺一人探すのにあんなものは投じないが、侯爵の執着具合と便利な人手がいない状況を加味すると何の違和感もない。

 砦の中で人を探すのに中型魔物のキメラを投じるとか頭おかしいのか、と思わなくもないが……今さらそんなことを言ってもな?


「急いだ方がいい」


「……」


「……ん?」


 ふとイーハがあまりに静かすぎることに気づく。腕の中の少女を見ると、彼女はじっと黄色の目で虚空を見つめていた。


「イーハ?」


「……」


 こちらを見たまま、その大きくてふさふさとした耳をぱさりと扇いだ。

 これは……聞き耳を立てているのか?


「イーハ、何か聞こえるの?」


 俺の方を見ているわけではなく、耳を音のする方に向けて何かを聞いているのだ。そう気づいた俺は彼女の頬に指をあててこちらを向かせ尋ねる。しかしイーハはぼうっと目を見開いたまま耳を動かすだけ。


『む、イーハ……?』


 バロンまでもが困惑したように名前を呼ぶ中、イーハは首が錆び付いたようなぎこちない動作で俺から視線を外そうとする。だができない。俺から離せなくなったようなその目はまるでガラス玉のよう。奇妙な沈黙の中、耳がぱた、ぱたと跳ねるように動く。


「バロン、何か様子がおかしい」


『うむ、であるが、吾輩とて彼女の思考や意識は触れられないのである。どうして固まってしまったのかは……イーハ、気分が悪いのであるか?どこか痛いのであるか?』


「……バロン」


 タイミングの悪いことに廊下の向こうから金属質な足音が。それも今度のやつは足早に駆けているようで接近が早い。イーハの異変に心配と、それ以上に奇妙な焦りを覚えるが仕方ない。とりあえずは息を潜めてやり過ごさなくては。


「イーハ、ごめんね。少しだけ我慢して」


 もう一度少女の口に手を当てる。そして音にだけ集中する。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ


 天井へ上がるべきか。そう思った次の瞬間。


『受け身を取るである!』


「ぐぅっ!?」


 いきなり喉が締まって俺は呻いた。それだけじゃない。視界が突如回った。後ろに凄まじい勢いで引っ張られて……

 違う!下だ、下に叩き付けられッ

 まるで後首を捕まえられて投げ捨てられたような急発進に脳が混乱する。


「ぐぅ!!」


 両腕に激痛。回転しながらなんとか両腕を交差させて着地の衝撃を和らげる。反射的に体のバネを使って立ち上がろうとして、正面から巨大な拳を喰らって更に吹き飛ぶ。狭い廊下だ。インパクトとほぼ同時に俺は背中から冷たい石壁に叩き付けられていた。


「っ……か、はぁ……!?」


 加速と自重で肺が潰れ、体内の空気が全て強制的に吐き出される。反射的に吸い込もうとする体とまだ負荷に潰されたままの肺。深刻な酸欠を脳が訴え、手が意味もなく宙を掻く。だが同時に俺は目だけで回りを確認した。状況はどうなっているのかと。


「ぁ」


 酸素より先に脳に届く痛み。頑丈な石壁に打ち付けられたことだけ分かる。全身の骨と筋肉が異常を叫び無意識は動くなと警鐘を鳴らすが、しかし目は危険を察知する。


「ぐ……ぐぐ……」


 低く呻くソレ。すぐそばにあの鎧が立っていた。その腰にあるはずの剣は抜かれており、今にも俺へ叩き込まれるところで。


「っ」


 チカチカと変な色に輝く視界は無視して膝の力を抜く。痛みと酸欠で力んだ体は、しかし膝が崩れるに従って床へと落ちる。頭頂部のわずか上を掠めたブロードソードは壁を叩き、石片の雨を降らせた。


「っはぁー!!」


 膝を強かに打ち付けながらようやく吸い込んだ空気に視界の異常が落ち着き、黒い剣の付き立つ壁を映し出す。俺は今、上を見ながら崩れたらしい。

 鼻を切り落とされなくてよかった。

 変な安堵を覚えながらもう一呼吸で全身へ酸素を送り込む。

 剣士なら、一呼吸で動け!

 腹の中で叫ぶ。崩れた膝を利用して足のバネを最大に活かし、壁伝いに距離を取るべく跳躍する。ブロードソードがよほど深く刺さったのか騎士はすぐに追撃してこなかったが、かわりに天井から黒い塊がどろりと落ちて着地した。


「くぅっ、はぁっ、はぁっ」


 足首と膝が打撲だかなんだか分からない痛みを訴える。それに耐えながらしかと立ち、紅兎をくるむシーツをはぎ取る。淡い紫の光を帯びた刀はびっしりと罅を浮かべているがまったく折れる様子はない。

 いや、聖属性による変質を加味しても、もう……。

 気丈にも折れる前の最後の一働きをしてくれるという愛刀を手に、緩慢な動作で剣を引き抜く悪魔を見る。そして視界の端には常に黒い塊を意識して。


「く、はぁ、バロン……はぁ、説明を」


 混乱を抑え込むように問えば、俺を投げ飛ばす(・・・・・・・)直前に警告を発してくれた紳士は塊の表面を困ったようにざわめかせる。それはすぐに気泡が弾けるように開き、中からふらりと表情を失ったままのイーハを吐きだした。ぐらり。大きく傾いでから姿勢を立て直す少女。煌々と輝く黄色い瞳は二人が同化したままであることを示しているが、あまりにもイーハの意思が感じられない動作だった。


『すまないのである、お姫様』


 心から悔やむように、己の不明を恥じるように、イーハの声でバロンが言う。


『どうやら侯爵が一枚上手であったようである』


 ゾワリ。背筋を強烈な悪寒が伝う。それは目の前に立つ少女から放たれる威圧感のせい。黒く染まった長いマフラー、その先で巨大な鉤爪を伸ばす手、感情のない黄色い瞳、四肢を包む黒霧の手甲足甲。メルケ先生が最後に見せた姿とどこか重なる攻撃的な装束。


『こうなった以上、全力でイーハの保身に走らせてもらうである』


 ~★~


「っ」


 息を飲む。後ろへ、後ろへと跳び退る隙間を縫うようにして。爪先の少し先を黒い槍に貫かれながら。着地の度に痛みと疲労を感じながら。伸びる槍、飛ぶ俺、砕ける床。瞬きの間に七度繰り返し、最後の跳躍で背に壁を感じる。


「はっ、はっ、はっ」


 息が荒れる。汗が溢れる。わずかに躱し間違えたら、俺は腕か足をもがれるだろう。それだけ容赦のない攻撃だ。こちらへ突き出されたバロンの巨腕からは芽吹くように黒い槍が生え、俺の逃げ惑う軌跡を回廊に刻み付けて行く。


「ふぅ、はっ!」


 走る。下がる余地が無くなったと同時に逆方向へ加速。床すれすれまで身を屈め、髪の数本を過ぎ去る槍にくれてやり、紅兎を体にぴたりと寄せ、突き立つ黒の林からこちらへ飛び出してきた甲冑に。


「ふっ!!」


 足を踏ん張る。勢いが体を前に押し出そうとするが、その力は床石に食いつく踵が抑え込む。一瞬のブレーキは甲冑と俺の間に最適な距離を生み出し……。


「ん!」


 俺は軽い体を前へと駆り立てる慣性に向きを与える。体に引き寄せた刃を横に立て。ザリッと足が横へ滑る音を引き連れ。騎士の振り上げた腕の下を掠めるように抜け。


「ぎぁ!?」


 人間の声ではない悲鳴が頭上斜め後方からした。続いて重い金属が石を打つ騒音。脇腹の継ぎ目から紅兎を、エクセルの聖なる力に輝く刃を差し入れた。薄められた下級悪魔はたちまち浄化され消し飛んだ。


『どォこォかなァァァァ……!』


 回廊の遠くから不気味な猫なで声が反響を伴って聞こえてくるのと、次の黒い槍が肩を浅く斬るのはほぼ同時。前者を無視しながらまた数歩下がった俺にバロンの追撃が止んだ。すると床を随分と歩きにくくしてくれていた黒い槍がどろりと溶け、壁を伝って本体へ合流を果たした。


『アァクセラァ……どォこォにィいィるゥんんだァいィ……!』


 気持ち悪く間延びした侯爵の大音声は、イーハからの攻撃が始まるとほぼ同時に聞こえだした。タイミングから考えて俺の脱出を察した侯爵が、俺もバロンも気づかない方法でイーハに影響を及ぼしたとしか考えられない。


「でも場所が特定できてない……?」


『のようであるな』


 俺の独り言に硬い声でバロンが同意する。戦闘が始まってからイーハは一歩も動いていない。それどころかマフラーを変化させた腕から槍を投じる以外、一切の動きを見せていなかった。

 接近戦を警戒している?いや、警戒しているのは紅兎か。

 直接攻撃して聖属性が極端に凝縮された刀が掠りでもすれば、バロンのダメージはもとより憑依しているイーハに重いフィードバックが行きかねない。俺がマレシスを取り込んだ悪魔に強力な聖属性を浴びせられなかったのと同じ理由だ。まあ、強く憑依しているわけではない分フィードバックの比も違うのだろうが。


「距離を取って勝てると思う?」


『今のお姫様なら消耗させるだけで十分である。それに、なんであるかな、こういう掌返しは主義ではないであるが……こちらは時間を稼げばそれで勝ちなのである』


 なるほど。ついさっきまではどれだけ時間を浪費しないか、静かに逃げるかが重要だった。しかし今や時間が味方の追いかける側。激しく派手に騒ぎ立てて、物量頼みの捕獲が始まるまで耐えればいい。


「イーハの身の安全は?」


『多少のお叱りはあるであろうが、あの変態侯爵は子供に甘いであるからな。それに当座は脱走を試みたお姫様にご執心であるよ』


 前半については希望的観測なのだろう。声に緊張が見られる。

 ちっ、けど後者はその通りだ。

 俺を捕まえたとき、トワリ侯爵が一々イーハに時間を割くとは思えない。適当な罰を科すか、損得と恩賞がどんぶり勘定な男だ、なんのお咎めもなく終わる未来だってあり得る。それ自体はいいのだが、ことこの場面においてはハンデ以外の何物でもない。


『アァクセラァ……』


「しつこい……」


 俺を探す配下の連中の足音が先ほどより近くに聞こえる。俺の居場所を絞り込めているのだと、そうハッキリわかる変化だ。おそらくは戦闘音や事切れた騎士の情報から絞り込んでいるのだろう。


「バロン、一つ提案がある」


『聞きたくないである、な!』


 槍が二本放たれる。牽制のそれを後ろに跳んで躱し、三発目を刀で斬り捨てる。最後の一条だけ光を放って弾けた。


「後ろめたいから?」


『……この期に及んでよく回る口である』


 道義的にか、己の信念のためにか、バロンは共闘していた俺を切って侯爵の側へついたことを苦々しく思っているようだ。なんとも人間らしい拒絶の在り方に少し面白く思ってしまう。それでも瞬時に手のひらを返したところへイーハへの愛情の深さがうかがえた。


「とりあえず、一旦攻撃をとめて」


『それは無理な相談である』


「できるはず。足止めすればいいと言った。君が止まれば私も止まる」


『う、うむぅ……』


 俺が近付こうとしない限り攻撃する理由はない。そう彼の言葉を遮って言うと、バロンはイーハの声で低く唸った。


『……よかろうである。口車に乗ってしばしの休息をさせて差し上げるのである』


 悪魔を宿した少女は静かに動きを止めた。いつでも槍を打ち出せるように片方の巨腕を上げたままだが、それで構わない。多少の時間を失ってでも彼の説得とちょっとした休息が取れるなら。そういうわけで慌ただしい砦にあって奇妙な穏やかさを持った対話がここに始まった。


「まず侯爵がこちらを完璧に補足できていない理由、『完全隠蔽』のスキル」


『うむ?ああ、なるほど、そうであったな』


 さして驚くこともなくバロンは頷く。脱出のために使っていたスキルは、これほど激しく戦闘をしても床や壁の砕ける音以外拾えなくしているのだ。俺たちの会話も、気配も、魔力も、仕掛けられた魔法陣や奴隷の首輪の追跡も。


「今のイーハの状態、どちらが主導?」


 バロンが主導権を握っているとは思えない。なにせ奴隷の首輪の支配下にあるのはイーハだ。しかし距離を取って戦う、足止めに専念する、目的が達成できそうなら攻め手を止めるなどの判断は意識があるかどうかも怪しい今の彼女にはできまい。


「そのあたり、どう?」


『御明察であるよ、お姫様。イーハが首輪から命じられるままに動いているのは、その通りである。しかし奴隷の首輪は決められたルール、命じられたオーダーに沿うのであれば手段や戦略の自由が効くのである。これはお姫様の、エクセル神の使徒殿の方が詳しいのである。違うであるか?』


「ん、その通り」


『あとは簡単である。吾輩の選択によってイーハを動かそうとも、首輪にとってはイーハの選択として受け取られるのである。まあ、二つの意思がある相手用に設計はされていないであるからな』


 バロンが首輪の命令の範囲内で一番消極的な行動を選択しているわけだ。彼自身はそれを無視して動くこともできるが、そうすると首輪はイーハが己の意思で違反したと誤認し罰則を与える。


「積極的に攻撃して来れる?もちろん紅兎は当てない」


 そこでもう一歩協力を引き出すべく言葉を重ねる。


『……意図が分からないのである』


 当然警戒の色を強めるバロンだが、根本的にイーハへ害意がないことまでは疑われていないはず。


「攻撃の際、どういう攻撃をするか教えて」


『?』


「右で殴るなら右で殴ると、槍を飛ばすなら何本飛ばすと、戦いながら予告して」


『意味が分からないのであるが』


「やってくれたらそれでいい」


『なんのメリットがあるであるか』


 これはお互いに、ということだろう。


「イーハの意識を奪う。次に外に出す。そこから先はどうにかして。『完全隠蔽』はかけてあげる」


『あくまで逃がすのが目的だと?』


「もちろん私も脱出する。それか侯爵を始末するか。でもウェイトは同じくらい」


 俺が脱出するだけでは意味がない。ここでイーハを見捨てれば俺は俺の道を、神になってまで歩んでいる道を否定することになる。そしてイーハを逃がして俺は……でも意味がない。献身的な命の交換は美しいが、現実的ではないのだ。

 それにエレナが悲しむからね……。


『……妄言の類である、と斬り捨てるのは容易いであるが』


「そちらにデメリットはない。でしょ?」


『騙して返り討ちに、などと思っている場合を除いてであるが』


 鋭く釘をさしたバロンは、しかし次の瞬間に緊張を解いた。代わりに悪魔特有の重金属のような重量感ある魔力を滾らせ、凄みと余裕の籠もった声で言う。


『しかしそれはないであろうな。反撃の初撃で仕留められるほど吾輩ヤワではないである。そして二撃目をさせるほどマヌケでもないである。そのことは賢明なお姫様なら理解しているであるな』


「もちろん」


 頷く。お追従(ついしょう)でもなんでもなく、今の俺がバロンを本当の意味で討伐するのは不可能だ。万全でも正々堂々やりあってどうなるか……俺に属性上のアドバンテージがあることを加味しても厳しいな。


『ふむ、理解しているのであれば協力するにやぶさかではないである。もちろん、やってみてイーハの首輪の縛りに抵触するなら即刻止めるであるぞ』


「ん」


 俺が頷くと同時、黒く刺々しい拳が振り上げられた。

(8/16追記)

キャラ紹介ページを挟み込むの、忘れてました。

このままだと永遠に忘れるので(割り込みは予約投稿ができない)

急ですがこれから割り込んで更新いたします。

ブクマ等ズレるかと思いますが、許してやってください。


~予告~

イーハを巡り殺意を交わす二人。

紫の刃と黒の槍が嵐となる。

次回、狼狩りの共謀

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ