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十章 第18話 エクセララの秘儀

「バロン」


 与えられた部屋へと戻った俺は、扉を後ろ手に閉めると同時に悪魔の名を呼ぶ。ベッドの中で寝息を立てる少女の周囲、薄く曇った空気が凝集して闇色の紳士をかたどった。


「ああ、遅いお戻りだったのである。イーハは寝っぱなしであるが、吾輩も少々休ませていただいていたであるよ」


 どこか眠そうな口調で言う悪魔。あの薄く広がった姿が休眠形態なのだろうか。


「ん、都合がいい」


「ふむ、密談であるか?構わないであるが、あまり長くは無理である。これだけ寝ればさすがのイーハでも寝飽きるであるし、一度起きたら当分寝ないと思うのである」


 俺の短い言葉から意図を察した彼は困ったように言って首を振った。眠い時に寝て、一度寝ると起きず、変な時間に寝ると変な時間まで起きてしまう。実に子供らしいイーハの様は可愛らしいが、同時に悩みの種にもなり得る。


「拙いかもしれない」


「どうしたのである?」


 俺は口の中に溜まる唾液を飲み込んで息を整える。それから扉の向こうを気配で探り、イーハが寝ていることを確かめる。そうしてようやくモノクルをかけた紳士と視線を合わせた。視線が合ったと感じるあたりを見た、か。


「今晩、脱出する」


「!」


 バロンの体を構成する靄が彼の緊張を現すようにざわざわと蠢いた。


「侯爵の戦闘力について、知っている全てを教えて」


「全て、であるか」


 動揺は一瞬、バロンはすぐに指を帽子の淵にあてて考え始めた。長く生きた者同士、必要な言葉の量が少ないのはやはり楽だ。メルケ先生と同じ「この状況でそれを言うことの意味」をすぐに汲み取ってくれる。鉄火場の感覚だ。


「まず侯爵自身のことであるが、むしろお姫様はどこまで把握しているのである?」


「人体を装備品にしているイカレ野郎」


 間髪いれぬ返事にどこから出しているのか分からない忍び笑いが靄から低く響いた。


「意外と口が悪いであるな。しかし間違ってはいないのである」


「……人間ではなくなりつつある。確かにその通りだった」


 黄色い視線が先を促すので真面目な返答をする。トワリ侯爵は人間であることを自ら止めた。そして本人も予期しない部分で、人間であることから加速度的に遠ざかっている。もう後戻りの可能性はない段階だ。今まで相対したどのタイプとも違うバケモノと言える。


「でも腕は一対。いくら適性を変えても、一度に使えるのは一人分の武器。違う?」


 そう、そこは変わらない。一種の確信を持ってバロンに尋ねる。


「正解である」


 彼は深く頷いて見せた。


「あの男が研究室以外でソレを披露せぬままにしているとかでなければ、流石に腕も足も二つずつしか使えぬであろうよ。それとパーツは外して付け直すにも一々スキルを行使せねばならぬようである」


 研究室以外での様子を侍女たちの記憶を覗くなどして収集していたというバロンは意外なほど正確に侯爵の能力を把握していた。


「戦闘中に文字通り手を変え品を変え、はない?」


「砦の練兵場で時折使い勝手を確認しているようであるが、吾輩の知る限りそういった形状面での人間脱却は目指していないようである」


「あのスキルについて分かることは?」


「詳しくはなんとも」


 ふむ、観察していて分かる範囲は詳しいが、説明を必要とする部分については極端に情報が足りない。さすが、悪魔を侍らせるだけ侍らせて一人暮らしをしているような変人だ。漏らす相手がいなければ漏れる情報もない。


「しかしスキルは基本形から不自然に逸脱しないものであるからな。基礎的な枠組みや縛りは『錬金術師』と変わらないであろう」


「ん、たしかに」


 たとえば『剣術』の派生である『長剣術』は長さを利用した技の豊富さや馬上で使う前提のロングソードを上手く取り回す補助など特殊な性能を持っている。しかしそれ以外の部分では『剣術』と同じ。『剣舞』のように手を離れた剣を操作はできないし、『殺人剣』のように毒を付与することもできない。それらの能力は長剣に関係ないからだ。


「名前の通り、生体への錬金術行使に関係ない能力はないであろうな」


 それなら術の発動に手で直接触れるか、有効範囲内で適した魔法陣を起動する以外の方法はおそらく取れない。


「剣や槍の腕前は?」


『生体錬金術』がどこまで強い作用を持つかは分からないが、とにかく警戒するポイントは分かった。次は彼が装備してくる人体パーツについてだ。本人の説明を鵜呑みにするなら結構な実力者が犠牲になっているようだが。


「言ってはなんであるが、口ほどではないのである」


「ん、そう?」


「本人があまり好きではないようで、長々と鍛錬をしているところは見たことがないのである。強者の体を取り込めばそれで事足りると思っているのかもしれぬであるな」


 ああ、やっぱりそこがダメなのか。どんな道具も手に馴染むよう使い込まなくては意味がない。新品の大業物を腰に下げても使い慣れた数打の刀ほどに巧くは扱えないものだ。あげく侯爵はそれ以前の基礎ができていない。バロンが見た限り、侯爵がときおり練兵場で振っている剣の程度は冒険者のCランクに届くかどうか程度らしい。


「それよりも吾輩が危惧しているのは、あの男の武器である」


「巨剣?」


 遠征企画の初日に見た二振りの巨剣。ついさっきも目にしたそれは、しかし不思議と印象に薄い。無事脱出できればいずれ再戦するべき相手の武器を俺が観察していないというのは……いくら激高していたとはいえ、我ながら大きな違和感を覚える。

 いや、ちょっとまて。この感覚は前にもあったぞ。


「あの巨剣、悪魔の短剣が使われている?」


 つまり認識を逸らされているのではないか。そんな疑問にバロンは首肯でもって返答した。


「一本や二本ではないであろうな。あの剣からは夥しい声が聞こえるのである」


「声?」


 さすがに剣からそんな物が聞こえて来たら認識阻害の能力を持っていても記憶に残るはずだ。少なくとも言われて思いださないということは考えられない。声といっても人間の耳に聞こえるそれではない……?


「うむ、そう考えてもらっていいのである。なんと言えばいいであるかな……魂が歪むときに生じる音を我々悪魔は聞くことができるのである」


 細長い指を閉じて開いて魂の動きを表現するバロン。


「魂の構造というものを知っているであるか?」


「知ってる」


 情念や衝動の源である魂核を人格の記録媒体である魂膜がまるで蕾のように包み込んでいるのだ。


「さすがは使徒であるな」


 感心して見せる悪魔は指で魂を表現したまま、それを大きく膨らませる。


「内側から強い衝動、情念があふれ出るとするである。魂膜は人格にそぐう形でそれを精神へ出力し、肉体は精神からの情報に従って表現するのである。この時、内側からのエネルギーで魂膜は広がり、そよぐのである。すると膜同士が接触し、薄い玻璃の器を指ではじいたような、澄んだ音色が生じるのであるよ」


 うっとりと言ってからバロンは指で作った球をぎゅっと縮めてみせる。


「一方で外からの危害を感じ取ったとき、魂は収縮するである。魂膜は人格の記録媒体であると同時に魂核を守る皮膚の役割を持つであるからな。その時に膜同士がこすれ、縮むときにひずむである。磨りガラスをこすり合わせたような音や、胡桃の殻を握り込んで潰そうとするような軋みが生じるである」


 それ以外にも無数の音色を魂は奏でるそうだ。呼吸するように、表情を変えるように、魂は絶えず変形しているからと悪魔は愛おしそうに言う。


「もちろん全てが聞こえるわけではないのであるが、独特の感覚があることは事実なのである」


 なるほど、ときどき潜んでいても悪魔に気づかれるということが前世ではあったが、それが原因だったのか。


「それで、あの剣から魂の声がする?」


「声質で言えば悪魔であるな」


 魂の声は生物の大まかな種類で聞き分けられるそうで、動物、人間、魔物、魔獣、悪魔程度ならすぐに分かるそうだ。悪魔の中でも耳の良し悪しはかなり個体差があるらしく、バロンはどちらかというといい方だと言うので聞き間違えということはないだろう。


「まあ、あんな形になっても魂の音がし続けるのは悪魔くらいのものであるが」


「それは、たしかにそう」


 動物や魔物であれば死んだ段階で魂が召されるため、剣から声が聞こえてくる可能性は皆無。人間を剣にするとは思いたくないが、しかねないことを加味してもやはり声は聞こえなくなる。その点、変幻自在の悪魔なら生きていてもおかしくない。


「あまり物質に束縛されないのである、本来の悪魔は」


 言われてみれば魔界という土地からしてそんな場所だったな。

 大昔に何度か迷い込んだ世界を思い出して納得する。世界を作った際の余剰魔力を詰め込んだ倉庫が魔界の始まりなのだから、こちらや天界とはまた違った法則があるのは当然のこと。


「あの剣と、それに鎧であるな。あれらには不気味な気配があるのである。悪魔の声がすることもそうであるが、言葉にしにくい臭いのようなものがあると言えばいいであろうか」


 音の次は臭いときたか。

 分からない感覚のオンパレードに自然と眉根が寄る。


「私に分かる感覚で説明は無理?」


「うぅむ、そうであるな。ニュアンスのズレを排除しようとすると……嫌な予感がするとしか言えないのである」


 それはまた相当にディテールが消滅したな。ニュアンスどころか詳細が全部削げている。


「ん……まあ、どうせ対策できる状況でもない」


 一瞬だけ嫌な顔をしかけてから、しかし意味のない事だと止める。そもそもの話、対策をしっかりして望むなんて贅沢ができる状況ではないのだから。


「バロン」


「なんである?」


 二度目の問いかけに悪魔は首を傾げる。


「前に言ったこと、覚えてる?飛びつかずにはいられない特別な条件」


「前にと言うほど前でもないのである。昨日であるぞ」


「そうだっけ?」


 ここに来てから毎日濃厚すぎて時間感覚がおかしくなっているな。もっと楽しいことで時間を忘れたい……帰ったら肉祭りだ、肉祭り。ステーキ山盛り食べよう。


「それで、吾輩が飛びつくような条件とはなんであるか?」


「イーハの奴隷の首輪をはずせると言ったら、どうする?」


「…………」


 長い時間を生きた存在らしく気負った様子もなく尋ねたバロン。しかし俺の返事を耳にした途端に黙ってしまった。たっぷりと10秒以上黙し、それからゆっくりとした動作で霧状の紳士は色のない視線で俺をねめつける。


「エクセララの秘儀であるか」


「ご名答」


 エクセララの秘儀。ユーレントハイムのあたりでは話題になることもないが、「魔の森」の向こう側ではかなり重要なワードだ。奴隷の首輪という魔道具は容易に外せず、無理に解除しようとすれば奴隷の命を奪うわけだが……このエクセララの秘儀はノーリスクで解除を可能とする。


「あの都市がロンドハイム帝国と大いにぶつかる理由の一つ、であるな?」


 バロンの声には言葉通りの事を確認しているのではない、もっと別のものを探る雰囲気がある。おそらく俺が適当な聞きかじりで虚言を弄しているのではないかと疑っているのだ。彼はこの国からアル・ラ・バードまで旅したと言っていたので、その時に仕入れた知識と照らし合わせているのだろうか。


「ん、大きなファクター。でもあくまで多くの理由の一つ」


 エクセララとロンドハイムの対立は根深い。理由も交易の問題、人種の問題、信仰の問題など多岐にわたる。助けを求める奴隷にこの秘儀を執行するというエクセララの基本方針もその一つ。対象となるのは自力でエクセララに逃げ込んだ奴隷や、都市外で活動するエクセララ関係者が手引きして都市へやって来た奴隷。犯罪奴隷でない限り持ち主の意思は確認されないし、所属する国に連絡すら入れない。


「もちろんガイラテインにも配慮してる」


 国家間の秩序を司るガイラテイン聖王国には後ろ盾になってもらった恩がある。だから同盟を結んでいる国に対しては一定の協定を結んだのだ。国内の奴隷を勝手に連れて行ったりしない代わりに奴隷の待遇改善と権利拡充を依頼し、犯罪奴隷については犯歴の問い合わせを行う。もし重犯罪者であれば解放せず送還する。借金奴隷であれば以前は都市の財政から、現在であれば技術神の教会から持ち主に補填を行う。


「なるほどなのである。しかしロンドハイムは敵国……協定はないであるな?」


「ん、仕方がない。彼らとは根本的に思想が噛み合わない」


 人間至上主義を掲げ、その思想の下に全ての国家を統合することこそ悪神や魔物に抗する最高の手段。そう信じるロンドハイムと他民族都市であるエクセララが和解する道はない。


「そもそもロンドハイムはエクセララを主権国家と認めない。脱走奴隷と犯罪者が領有者のない土地に住んでるだけ。だから軍を差し向ける名目も討伐と奴隷狩り」


 向こうが歩み寄るならこっちも考えるつもりはあるのだ。事実、どこよりも苛烈に奴隷を虐げていたアピスハイム王国とは和解した歴史がある。だが、ロンドハイムとの現実は、まあ、ありえない。賊を討伐し、獣人という資源を得るため軍を差し向けるのが彼らの理論だ。そんな相手にこちらも手加減はできないし、しようとも思わない。躊躇い一つなく帝国内に手勢を差し向けて奴隷の解放を手引きしている。


「積極的にそこまでしていたのであるか」


「私が知る限りは。最新情報は変わっているかも。でもこれである程度の信頼はしてもらえた?」


 バロンの視線が俺からベッドで丸くなる黒髪の少女に向けられる。より正確にはその首に付けられた太く厚い革のベルトに。最高級奴隷向けの強力なヤツだ。数が少ないだけに入手が困難で、イーハの首のそれも有り合わせの成人向けだ。擦れて痛むからだろうか、縁には不似合いなチェック柄の布が縫い止めてあった。


「まだである」


 視線を俺に戻して彼は言う。


「吾輩が最も疑問なのは、お姫様がその秘儀をどれくらい知っているかではないのである。秘儀はエクセララの者でも限られた立場でしか執行できないと聞いたことがあるのである」


 本当に俺が執行できるのか、ということか。


「エクセララの秘儀を生み出したのはエクセルの師、ハヅキ=ミヤマ。エクセルはこの世界で誰よりも詳しい。つまり使徒である私も詳しい」


「少し弱い理由だと思うであるが、ではなぜ今それを披露してくれないのか聞いてもよいであるか?」


「単純に道具がない。専用の道具がある。でも戦闘中に壊れた」


 紋章を頼んだ工房であれこれと細かい指示をして作ってもらった一点物の道具だったが、ヴェルナーキ戦の前にクソザルの攻撃で壊れてしまったのだ。エクセララの秘儀に纏わる情報も道具も秘匿義務は最高レベル、もし都市の外に漏れる危険があれば最悪魔法やスキルで自爆でもなんでもして隠し通さなくてはいけない。もちろん俺もクソザルを追いかける前に魔法で徹底的に破壊しておいた。


「王都に戻って道具を作ってからだから、少しかかる」


「ふむ」


 黒い霧は頷く。確たる証拠は出せていない俺だが、期待感を高めるには十分な情報と態度を示したつもりだ。俺が最善策を選べず次善策、あるいは次々善策を取らざるを得ないのと同じことがバロンにも言える。


「確かに魅力的である」


 そう言ってから迷うように一度言葉を切った彼は少し低く落とした声で続きを口にした。


「であるが、やはり飛びつくような条件ではないのである」


「イーハに都市の中で自由な暮らしをさせられる。教育も受けさせられる。将来の選択肢は広がる。放浪を続けるよりずっと」


 首輪があっては都市の中で生きて行くことはできない。奴隷である以上、侯爵から逃れられても財産として接収されてしまうからだ。


「言ったはずである。イーハを一人にするつもりはないと」


 俺の言葉を聞いて硬質化した声で紡がれる確かな拒絶。バロンは頭で分かっているのだ。その方がイーハにはきっといいのだと。それでも彼は少女の下を離れられない。契約だからではなく、そうしたくないと彼が心の底から思っているから。そのことを自分自身でも忸怩たる思いで受け止めている。だから苦り切った声で身構えた答えを吐きだすのだ。


「吾輩の我儘であると咎めるならば好きにするのである」


「そのつもりはない」


 むしろそんな拒絶がくることは分かり切っていた。彼がどういう感情でイーハを見ているかなど近くにいれば半日とせず分かってしまう。悪魔という存在に対する攻撃的な感情と焦りを脇へ置いて半日一緒に過ごせれば、だが。奇しくも俺はそうできる状況にあった。なので拒絶された先を用意している。


「君も都市に入れると言ったら?」


「……なんと?」


 流石に予想外の言葉だったようだな。訝しむより単純に理解が追い付かないといった様子でバロンは俺を凝視している。


「私の提案はイーハの首輪を解除することだけじゃない」


「……」


「あの悪魔の短剣、イーハの最高級首輪、バロンの妥協と私の力があれば可能な手段」


 侯爵は最低だが、あの短剣が封印の魔道具であることを教えてくれたのは最高の功績だ。俺を誘拐した罪だけはそれに免じて忘れてもいいと思えるほどに最高の。


「封印の魔道具を作る。普段は声くらいしか聞こえないように強く封じる魔道具。イーハの判断でバロンを開放できるようにする」


 最高級の奴隷の首輪をベースにすれば、魔力を極端に減らした状態でバロンを封印することもできるだろう。封印に善神や中立神の神力を使えば神塞結界を通れることは短剣が証明している。あとは首輪を土台に短剣と同じ性質を持った魔道具を作れるかだが……まあ、たぶんできる。


「もちろん制限はつける。一定以上はイーハの判断だけでは解放できない。無理やり外に出ようとすれば聖魔法で焼かれる」


 イーハに首輪をつけることで間接的にバロンを縛る。そんな奴隷の首輪を直接バロンの枷とするのだ。


「吾輩にとってハイリスクローリターンすぎるのである」


 先ほどより強めの拒絶。


「でもイーハといられる」


 こんな状況にまで付き合っているのだ、彼女が彼にとってどれほど大きな存在であるかは察するに余りある。加えてイーハがもし死ねば全てのロックが解放されることも条件にすれば、バロンは彼女の生きている間だけ枷を受け入れればいいことになる。誰かがイーハを殺害したなら報復をしてから去ればいいだけ。


「悪魔相手にはかなりの譲歩だと思うけど」


「確かにそうであるな。しかし王都に悪魔を引き入れるのであるか?死刑で済めばいいであるな」


「王族にコネがある。説得する手立てもある」


 まあ、さすがに厳しいだろうが。ただコレに関しては本当にいいアテがあるのだ。ただそこまでは分からないバロン。彼は俺を諭すように声を少し和らげて言った。


「百歩譲ってお姫様がその魔道具を作れると仮定するである。さらに百歩譲ってそうした条件での契約を吾輩が飲むとするである。もう百歩譲ってその判断が人間社会によって断罪されなかったとするである」


 三百歩も譲ってくれるならそのままオッケーできるラインまでさっさと後退してほしいな。そんな俺の思いは届かず、むしろ彼の声は一層優しくなる。


「神々がそのような蛮行を許すとは思えないのである。お姫様の主神であるエクセルを含め、全ての神々によって異端の処断を下されるである。第一といえど使徒は使徒。人間が神に意見できると思うのは増上慢であるぞ」


 なるほど、諭すようにではなく実際に諭していたのか。


「そっちもアテがある」


「はぁ……そもそもどうしてそこまで吾輩の協力を得たいのであるか。脱出まではお互いに協力すると約束したであろう」


 バロンの興味がそちらに移ったのはいいことだ。キッパリとした拒絶で終わってしまってはもうその先どうすることもできない。


「一つはイーハを手元に置いておきたいから」


「やはりソッチ系であるか」


「まじめな話」


 混ぜっ返すなよ。


「不真面目な話をしているわけではないのであるが……理由を聞いてもよいであるか」


「彼女は色々と苦労してきた。報われていいと思わない?」


「……同情であるか」


 意外そうにしているところ悪いが、俺は基本的に同情で動く人間だ。同情などしてくれるなと突っぱねる者も多いし、憐れみを悪い物だと思っている者も多い。だが結局の所、満たされた者が満たされない者を救うのは同情からだ。


「知識と力を与えたい。それを使って彼女が何を成すかは、彼女次第。でも何かを成す側に連れて行きたい。私の側に。奪われない側に」


 これが一つ目の理由。俺がエクセルとして生きていた時代から変わらない、自分が救われたように他人を救いたいという想いだ。


「あとバロン、君に興味がある」


「光栄であるな」


 一つ目の理由同様に深く感じ入った様子もなく応じるバロン。しかしこっちの熱量は比べ物にならないくらい大きい。


「君は興味深い。悪魔に嫌悪を感じないのは初めて」


 厳密には嫌悪も感じる。それでも上回る安らぎ、安心感、信頼感がある。


「私は私の勘を何より信頼してる。剣士の勘を。君のいう悪魔特有の感覚に近い」


「その勘が、吾輩のことを人畜無害な存在だと言っているのであるか?」


 変わらない平坦さを湛えた声だ。俺はその問いかけに首を振って見せた。


「違う。とても危険。とても強い。男爵級とは思えないくらい。でもとても優しい。そんな気がする」


「……」


 口を噤んだ相手に最後の理由を上げる。


「三つ目、君を研究したい」


 これもまた意外な言葉だったのか、バロンは言葉を探すように黙した。


「変態侯爵に感化されたであるか?」


「私は元から研究者の顔も持ってる」


 少しムっとした声で返事をしても彼が動じることはない。この話題になってからずっとそうであるように、腹が立つほどのっぺりとした闇の中に感情を沈めてこちらを見つめてくるのだ。


「何を調べたいのであるか」


 バロンの質問に俺は唇を舐める。


「完全に憑依した悪魔を引き剥がす方法。宿主を殺さずに」


「それは難しいのである」


 間髪入れずに返される言葉は予想していたものだ。むしろあっさり「あるよ」などと言われてしまったら、その方がショックは大きい。マレシスの犠牲を思えばこそ。


「難しいのは百も承知。けど難しいからと諦めたら、それは不可能になる。私は見切りを付けたくない。これから救えるかもしれない命に、見切りを」


 じっと目のない顔を見つめる。自然と輝くモノクルの中心へ吸い寄せられる視線は、確かに目が合ったと感じるに足る熱を捉えていた。


「……それがお姫様の、否、アクセラの成すべきことであるか」


 酷く平らだった彼の声が何かの感情を帯びた。


「そのほんの一部」


 たったそれだけの返答を彼はまたしばらく咀嚼する。それから小さく笑って見せた。


「フフ。ほんの一部であるか、そんな大望が。面白いであるな。さすがはあのエクセルの使徒である」


 まるでエクセルを、俺の前世を知っているような口ぶりに少し引っかかる。こんな特徴的な悪魔ならいくら忘れっぽい俺でも覚えていると思うのだが。


「であるが、やはり無理である」


 再度の拒絶に俺の思考は横道から戻される。


「神々の理に人の理で説得を試みること自体が間違いである。彼らには彼らの事情があり、それを人間に説明などしないものであるからな」


 長く生きている悪魔だからこその慎重さと神々への畏敬にも似た警戒心。そう簡単には翻らない。となれば取れる手段は後一つか。

 最近こればっかりだけど。


「バロン」


「なんであるか」


 三度目の問いかけに応じる彼に、俺はもう一度同じコトを告げる。


「今晩、ここを出る」


「それは聞いたであるな」


「その先で一旦別れることになる。準備ができたとして、それを受け入れるか否かはその時決めればいい」


 彼が再度の拒絶をしないよう早口で告げる。


「あと一つ、いいコトを教えて上げる」


 耳を貸せ。指でくいっと古の悪魔を招く。そっと凝集した黒い靄の体が腰を折って俺の前に傅いた。


「私の魂の声は聞こえる?」


 尋ねると彼は少し耳を澄ましてから答える。


「聞こえないであるな。心臓の音だけである」


「ならこうしたら?」


 その首に手をかけると以外にも感触があったので引き寄せる。互いの耳元に口が来るように。胸元を重ね合わせるように。


「これなら?」


 囁く声に返事はない。まるで霧の体がそのまま凍り付いたようにバロンは停止する。


「これが、私の手札」


 きっとバロンには聞こえている。俺の魂の声が。小さな少女の体に封じられ、入れ物を壊さないように制限をかけられ、人間のように振る舞う。そんな異質な神の魂の囁きが。


「脱出したあと、私の所に来るまでよく考えて。イーハとも話し合って、どうしたいかを」


 身を固くして俺の言葉を聞く彼に、焦らせないようゆっくりとそう告げる。それからそっと束縛を解き、俺の方から数歩離れてみせる。


「……分かったのである」


 しばらく固まったままだった悪魔は最後にそう答えた。


来週はイーハのイラストが公開です!

是非お楽しみに^^


それとお知らせです。キャラ紹介を一つ追加するので、皆さんのブクマが一話分ズレます。

申し訳ないんですが、目次から最新話を選んで来週は読み始めてくださいm(__)m

(追記)忘れてました★ いや、ほんとごめんなさい。


~予告~

ついに始まる満身創痍の大脱出。

罅の入った愛刀が闇に閃く。

次回、エクソダス・トワリ

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