十章 第17話 アクセラの決断
「君は……自分を、キメラにした」
極限まで抑えた声で俺は言った。これは質問ではない。確認しただけだ。侯爵はというと、顎髭に手を当てて眉を寄せて見せた。背後の明かりに照らされ、まるで影絵のように彼の姿が闇色に深まる。化け物だ。化け物がそこにいた。
「ふむ……うぅむ、まぁあ?その解釈は根本的に間違っていないだろうね。たしかに使用したのはキメラの技術だ」
だが、と続ける。
「個人的にはトワリ家の先祖が行った……そう、そうそう、ユーレントハイム貴族の身体改造の復活!そして改良だと言いたいねぇ!ただの強化ではない、より完全で完璧な肉体へと己を作り替える手段さ!!」
これが、ここにあるモノが本当にユーレントハイム建国期に行われた所業の改良だと言うなら……ああ、たしかに俺たちの父祖が行った選択は悪をもって悪を滅ぼす忌まわしい所業だったのだろう。このおぞましい人体パーツの展示場を見てそう思わずにはいられない。
「君は、人間を装備品にでもしたつもり?」
「その通りっ!さすが、打てば響くとはこのことだ!」
そう、ここにあるバラバラ死体は全てトワリ侯爵という怪物のパーツなのだ。状況に応じて冒険者が武器を持ちかえるように、彼は肉体を適したパーツと取り換えている。目の前のモノとこれまでの状況からして、何度でも取り換えられるように自分を作り変えたはずだ。
「……」
思い返して瞑目する。だからピアノ演奏の時と庭のときで明らかに手の質感が違ったのだ。白魚のように美しく細い指の手はピアノを弾くため己を労わってきた芸術家のそれ。そして庭のときの剣ダコのある手は、真摯に己を高めてきた武人のそれ。他に一体いくつの達人や特殊な才能のある人間、彼の言う所の「価値」が非常に高い者が犠牲になったのだろうか。
「ただ体の一部を付け替えられるようになったわけじゃあない!制御用の脳と合わせることで、使いこまれたパーツの持つ能力を十全に引き出せるのさ!!」
「十全に……」
「そう、十全に。たとえばぁ……ふ、ふふっ、スキルすらも、我が物とできると言えばぁ?」
「!?」
ねっとりと笑む侯爵にさすがの俺も驚き言葉を失う。スキルは人間の魂に与えられた神々の恩寵だ。それを奪い取ることができるなど……大勢のブランクを抱えるエクセララでは盛に研究された内容だが、聞いたことがない。
「例えば!例えばだよ!剣士の手をこの腕に繋げば、僕のように武の才がない者でも剣を振り回せる!『剣術』スキルを扱えるのさ!!」
つまりスキルの鍵は脳なのか?あるいは手の方?しかしスキルの全ては魂が拠り所のはず。では魂とは脳に記録される?そうではないはずだ。俺は一度、トレイスの魂を直に見ている。あの時の印象からして脳や心臓といった物理的な部位に宿る物ではないはずだ。しかし、それではなぜ脳と手でスキルが再現できる?
一瞬で思考を埋め尽くす疑問と考察。侯爵はそんな俺に笑みを深め、最高の瞬間をたっぷりと味わうように言葉を紡ぐ。
「難点といえば脳の性質が少々制御しづらいことだろうかねぇ?ふふ、庭では君を随分と驚かせたようで、申し訳なく思っているよ」
当時の慌てようが欠片も窺えないその台詞こそ、まさに彼の言葉を証明している。制御用の脳とはつまり、その手足を上手く扱うための経験と知識が詰った部分ということ。言い換えるなら一角の人物が生涯執着してきた業が詰っている。魂がどこに宿るかは別として、業には業を宿す人間のらしさがこびり付いているはずだ。俺やカリヤの刀が攻めに優れ、ナズナの刀が守りに優れるように、思想や生き様は戦い方に影響する。発現するスキルもその点は同じなのだ。
は、自業自得だ!
人間を徹底的に資源とし、素材とする所業。他人の手を奪い、脳を奪い、経験と技能を奪う前代未聞の凶行。人格の変調はその代償だ。他人を壊し、砕き、選別して取り込んだ結果、わずかに混じった他人の破片に己のらしさを侵食されている。
「人間ではなくなりつつある、か」
小声でバロンの言葉を繰り返す。あの悪魔は知っていたか、少なくとも大凡の見当を付けていたのだろう。そうでもなければ「じきに人間でなくなる」などとは言えない。その言葉はこの壊れゆく錬金術師を指すに、あまりにも的確すぎる。
「だが、大丈夫さ!君を傷つけるようなことはもうないだろう……そう、完全な制御をするための方策はねぇ、もうあるんだよ。あとは実験に移すだけだ!そうすれば僕は史上初めて、人間の欠点を克服した存在になれる!!完璧な、完成された生命だっ!」
「……」
興奮の絶頂にある男を見る。実験が成功すればこの男は確かに特異な力を手に入れるだろう。他人を素材として消費することで己の適性を書き換えるという禁忌の力だ。たとえ自らの人間性を汚す行いだとしても、白日に晒されれば惹かれる者も出てくるだろう。目の前に完成間近のソレがあると思うと、一命を賭してでもここで破壊するべきだと強く思わされる。それは一人の剣士として以上に、技術神という立場と、正しくありたいと願う人間としての心によるものだ。
「けど」
そもそも、本当にそれは強さに繋がるのか?
戦士にも芸術家にも経験からくる工夫や体に馴染んだ動きというモノは当然のようにある。それを奪い取る侯爵の発想は、一見すると最強への近道に見えるだろう。しかし手だけ交換しても意味がない。それは例えるなら楽器だけいい物にしても素晴らしい演奏ができないことに似ている。侯爵も理解はしているはずだ。だからこそ他人の脳を奪い自分に継ぎ足すというおぞましい行為に手を染めている。
だとして、脳だけで制御できるのか?本当に?
例えば俊足で有名な斥候の足と剛力で知られる剣士の腕を両方付けたからといって、足さばきが早い剛剣の使い手にはなれないだろう。筋肉質な腕や重い剣が枷となって早くは走れまい。軽い足が仇となって重い斬撃を支えられまい。手足の方向性を揃えたとて、自分の体が貧弱ではやはり繋ぎ目に負荷が生じるだけ。脳と腕や足だけで達人になれるほど戦いは簡単ではない。
「……」
いくら体を弄ったところで戦いを知らなすぎる。このあたりの認識の甘さは俺の利になるはずだ。脱出と、その後に控えているであろう戦いの利に。
「あの時君に狼藉を働いた手はこれだね。まったく、困ったものだよ!ははは」
ひそかに俺が戦いの意思を固めていると、侯爵は一つのガラス瓶をコツコツと指先で叩いてみせた。
「侯爵家の騎士団長だった男の手だよ。父の影響を強く受けた世代の最後の一人だったねぇ……ふん、随分と誇大妄想に入れあげていたクチさ!馬鹿なことだ。僕も随分と鍛錬だなんだと小突き回されたがっ!だがまぁ、有能な剣士であり、槍使いではあった」
忌々しげにそう言うと彼はもう数度コツコツと叩いてから隣の瓶をまた叩く。唇がニィっとつり上がる。そこからは彼は、コレクションの中でもとりわけ記憶に残っているパーツのことを語り始めた。
「こっちの足もそう、コベル騎士団長の物だった!彼の脳はほとんど捨てたよ、汚らわしいからねぇ!惨めな思想が流れ込んで来たら、うっぷ、吐いてしまいそうじゃないかい?」
「槍を扱うのに必要な部分だけ取り出したら……ふふ、見たまえよ!意外と小さいだろう?あれだけの槍の名手が、こんな小さな容量しか使っていない!!あんなに図体はデカかったくせに!あとは全部、黒カビの生えたイカレの妄想が詰っているわけさ、面白いものだよ!ふ、く、くははっ!!」
「あとはぁ……あー、これこれぇ!つい今朝がたに処理が終わった剣士の手だ、新鮮だろう?隣町を実質的に牛耳っていた冒険者だったかなぁ。処理はこれも例の薬を使うんだ。ほら、延命効果があるだろう?あれの応用で、まあ、当然僕の独自調合だよ!」
「魔法使いの脳もいくつか処理してみたんだが、これが難しい!どうにも魔法と言うのは……どう加工してもうまく行かなかった!悔しいねぇ?そうだろう、え?このままでは技術の敗北だ、なんとかしないといけないなぁ!」
「でも困った。探しても探しても有用な部位がないんだ!魔眼持ちの眼球も死ぬとただの目になってしまうし、魔力の質なのかねぇ……?」
エレナがリニア先輩から聞いた話だと、たしか魔眼は魔力が活性化したことで発現した能力だとか。つまり所有者が死んで魔力が散ってしまえば効果は失われる。魔法の才能も似たようなものなのではないだろうか。
「ん、探しても……?」
「ああ、さすがはアクセラだ!そう、そうだとも!探したのさ、脳の中をね!」
たしかにこうして脳を利用しているということは、そういうことなのだろう。師のいた異界ほど医学が発展しているわけではない現代において、脳の機能はほとんどがブラックボックスだ。剣技を司る部位を選んで取り出したり、魔法使いの技能が肉体に由来しないことをつきとめたり、本来なら容易にできるはずがない。
「『生態錬金術』はスキルだと言ったが、それはあくまで汎用的な意味でのことなのだよ。厳密に言えばジョブにあたる。つまりは、そう、そうだよ!いくつも内包スキルを持っているのさ!」
『生体錬金術師』の身体走査。それが彼の悪行を可能とした最大の利器の一つだという。
「目的の部位を検索する便利なスキルだ!ふふ、本当に便利でねぇ、聞いたことはあるかな?」
「『外科医』の『外科医術』に含まれる、腫瘍などを特定するスキル」
「その通り!その通りだよ、アクセラ!君だけが、君だけがこの僕と同じレベルで、世の中の物事を理解できる!!ははは、君を妻にと望んだあの日の僕は間違っていなかったようだね!え?そうだろう?そうだろう!?」
『身体走査』は外科医がまだまだ少ないため認知度は低いスキルだが、師曰く異界の技術より圧倒的に便利で優れているとのことだ。
「あぁ……本当に、なんて素敵な時間なんだぁ!しかし、ふふ、そろそろかなり見てもらっただろう?君もそう思うだろう?」
果たしてそのスキルで脳の機能まで検索できるのかは、持っていない俺では何とも言えない。使い方次第なのか、それとも同じスキルでも所属するジョブが違えば詳細が違うこともあるのでソレなのか。
「僕の研究は、僕の偉業は、僕っ、僕の献身は、どうだったろうか!?君と、君の神のお眼鏡に叶っただろうか!?」
考えても仕方のないことと思索をすぐに打ち切る。そして地下の施設に入ってから終始滾らせていた期待と不安を限界まで膨れ上がらせ、今にも爆発しそうな男へと向き合う。血走った目の真ん中で瞳が小刻みに揺れている。
「僕の工夫の数々は、技術の発展に大いに寄与するものだろう!?この力があれば、これさえあれば、なんだってできる!なんだってだ!人間は、人間以上のモノになれるんだ!!」
「……」
侯爵の目をじっと見据える。人間以上のモノ、完璧で完成された生命。ある意味究極の誇大妄想であり、同時に鼻で笑うには切迫した人類の悲願。その一つの回答に、たとえ歪んだものだとしても、俺はなんと答えるべきだろうか。
「……」
「……うっ」
人類の進歩は確かにキレイ事だけで成されてきたわけではない。歴史に葬られた攻防や進展の中には異端者によって結果的に人類が飛躍できた物も含まれているのだろう。俺の体に宿る魔術回路も、エクセララ式が生まれるまで砂塵の民が伝えていたものは失敗率が高くある種の人命を軽視した技だった。術式と素材、手術方法が定まり切るまでに多くの失敗と喪失を繰り返してきた事実は拭い去れない。
「……」
「うぁっ……そ、そうだ!ところで、この耳なんだが、どうだろうか?結構形が気に入っていてねぇ」
沈黙を嫌ったか、侯爵は俺の視線にたじろぐよう一歩下がり言葉を挟む。そしてアクセサリを見せびらかすように、今彼の頭から生えている人間の耳をピアニストの指で撫でてみせる。
「領都に住んでいた狩人の耳なんだ!素晴らしく音に敏感なのだよ?その活躍と言ったら!他の狩人が手出しできないような得物を、うまぁく罠にかけては砦に売りに来ていたそうだ!!知っているかい?弓で殺すより罠で獲った方が肉は美味いらしい。まあ、僕はあまり食にこだわらない性質なので、ふふ、彼には肉より耳を献上してもらったわけだが……」
当然のようにその優れた狩人の脳は、今目の前で嬉しそうに語るモノの頭の中に納まっているのだろう。そう考えると怖気を通り越して純粋な恐怖が沸き上がる。深く潜っていた思考を強引に塗りつぶすほど薄ら寒い感覚だ。俺も強さの為にはなんだってするクチではあるが、ここまで人間という枠組みを切り開いて中身を弄ろうとは思えない。人として止まるべき一線が、近づくほどに煌々と輝いて見えるからだ。
「でもアクセラのことを想えばぁ、ふ、ふはっ、彼の狩りに関係する脳も貰っておけばよかったねぇ?これは失策だった!まったく、まったく!!」
まだ履ける靴をうっかり捨ててしまったことを悔やむような、その程度の感情を浮かべて彼は首を振る。頭の奥で鈍い音がした。光り輝く最後の一線が見えない男に、何を言っても虚しいだけだ。
「……たしかにスキルの応用としては、よく考えられてる」
トワリ侯爵の忙しない笑いが止まる。一転してどこか不安そうな、迷いの見える顔で俺を見つめる彼は、中年の見た目にそぐわぬ稚気を宿すと同時に疲れ切った老人のようにも見えた。
「おお……そうかね?そうだろうか?」
懇願するような問いかけには答えず、俺は容器の下を指さす。よく見るとただの土台ではなく、何かしらの装置になっているようだ。そしてつらつらと良い点を上げて行く。
「設備を自作する根性も評価する」
「ああ、ああ!設備の設計と開発は本当に大変だったんだ!」
「基礎研究から固める慎重さもある。これは一足飛びに設計できるものじゃないはず」
「そ、そうさ!そうさ!!基礎的な魔道具の研究から始めてね、おかげで、ああ、おかげで完成したのはこの計画の直前だったんだ!本当に、間に合わないかと思ったよ!君に見せたい一心で作って来たというのに!!」
「一番評価すべきは絞り込みと考察かも」
「絞り込み!考察!それだ!!それが技術の根幹だと、僕は、この僕は、ちゃんと理解しているっ!そこをいい加減にしては何の意味もないとね!そうだろう!?そうだろう!?」
「ん、魔法技能が肉の体に根差さないこと。この発見は後の魔法技術の発展に役立つ、かもしれない」
「は、はは!ふはは!ああ、あああああ!!怖い、怖いよ僕は!怖いくらいにベタ褒めだ!!ああ、嬉しい!そうか、しかし、そうか!僕は貢献できていたのだね!?」
一瞬言葉が止まりそうになる。だがすぐに小さく頭を振って躊躇いを追いだす。俺は技術神だ。技術を広め、その発展を見届けると同時に、神々の規範や魂の秩序を乱す技術を摘み取らなくてはいけない。
「……君の研究は、確かに大いなる一歩だ」
「ふ、ふはっ!」
最後の言葉を聞いた瞬間、侯爵は目玉が落ちそうなほど瞼を開いて、酸欠になったような笑い声を上げる。そしてふらふらと己のコレクションに近づいて行く。目玉と脳の収まった容器の1つをがっしりと掴み顔を近づける。
「はは、ははは……認められた。僕の研究が。アクセラに。使徒に。僕の愛が証明された。そう、されたんだ。魔法みたいだ。正しいんだ。僕の力だ。これは全部僕のものだ。僕の。僕の。僕の」
仕舞には涙まで流して譫言のように呟き続ける。ゴン。鈍い音がした。額がガラス瓶を軽く打ったのだ。容器の中で目玉がゆらりと揺れる。まるで自分を殺した人間が流す歓喜の涙を凝視するように。
「……」
その丸まった背中を見ながら俺は目を閉じて頭を振る。この施設に入る前に思っていた通り、俺を相手に己の研究をさらけ出した彼は刻一刻と崩壊を続けていったわけだ。そしてそれが分かっていたからこそ、俺も彼が欲しがる言葉だけをかけた。たしかに彼の技術を認めたのは事実だが、全て「人倫にもとる、最低の所業である」という断罪を意図的に取り除いた感想だ。不死王にエレナがしたのと似た惨い仕打ちだ。その点にはわずかな罪悪感を、振り切った後でも感じてしまう。
「ふ、ふは、ふはは……」
なあ、トワリよ。お前が欲しかったのは何だったんだ。
アクセラという少女に見出した無垢な強さか。
傾倒した技術思想に寄与する功績か。
なんだっていいから認めてほしかったのか。
生まれの不幸を否定できる何かを求めたのか。
今を共に歩める誰かを見つけたかったのか。
「疲れた。先に上がる」
返事すらない。壊れたようにガラス容器に語りかける男をおいて、俺は元来た道を一人で戻った。
さあ、もう茶番は終わりにしよう。
おかげさまでブクマなどしていただける件数が増え、ありがたい限りです。
一方評価はなかなか……2か月増えてないのかな?
もし手間でなければ下の方からぽちっと、率直な★数を教えて頂けると助かります。
~予告~
バロンに取引を持ち掛けるアクセラ。
利用し合うそれは契約ではなく、共謀。
次回、エクセララの秘儀




