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十章 第15話 悪魔の研究

「全てだよ、全て。僕の研究の全てを見せよう」


 そう言って笑う侯爵の瞳には愛を囁くような甘さと子供の持つ残虐性が等しく混じって見えた。壮年に見合わず若く見える顔立ちで浮かべるそれらは強烈な狂気のもとに調和している。俺はそこに戦場の空気を感じ取る。


「ん、ここからが正念場、ね」


 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。彼の視線が部屋の奥にあるもう一つの扉に向けられる。腐り落ちる果実の甘さと毒物の苦みが混じった臭い。まるで彼の瞳のような……そんな悪臭が漂ってくる。

 嗅いだことのある臭いだ。それもつい最近……そうか!

 ようやく記憶の中から該当する臭気を引っ張り出し、一体なんでココでまたアレが出てくるのかと、巡り合わせに舌打ちをしたくなる。


「この部屋はね、一族代々の研究が詰っているのさ。といっても技術という思想のブレイクスルーを得る前の研究だ、何代重ねてもこの部屋で完結してしまうほどの矮小な物でしかないけれど」


 俺の疑問に勘づく様子もなく、男は小馬鹿にしたように鼻で嗤った。それから扉に手をかけて改めてこちらを見る。魔道具の光が炯々と光る目玉以外の顔に濃い影を落とす。輪郭が黒い切り絵のように粘り気のある表情をその中へ浮かばせた。


「これは僕の『生態錬金術』でしかなしえない高度な生物素材の応用と、エクセララの技術思想を合わせた最先端の研究だよ?君に明かすのは、君が僕の伴侶であり最大の理解者となるべき存在だからだけじゃない……!」


「……」


「君が技術神の使徒だと言うなら、君はこの発展の萌芽を目に収めなければいけないっ!そうだろう?それがこの世界の技術という思想を、理を司る神の使徒としての義務さ!」


 過剰とも思える自信。己の研究に酔い倫理観よりも、人命よりも、法や社会よりも、ただ一つ己の研究が優先されるのだと思ってしまった研究者の成れの果て。エクセララでも何度となく現れ、そして斬られて消えて行った連中だ。俺も大勢斬り捨ててきた。

 いや、待てよ。

 しかし彼の場合、それが元からトワリ侯爵という人間の有様だったのだろうか。今この場でそのように変質しているのではないか。目まぐるしく彼の印象と言動が変わっていくように。もしそうだとすれば、この扉を潜ったが最後、彼の変異は俺という最高のオーディエンスの前で止めどなく進行していく。

 本当に、それでいいのか?


「……」


 別に今さら踏みとどまれるチャンスを与えたいとかではない。俺はそこまで甘くない。だがこのまま彼の人格が予測不能の変異を遂げ、会話の不一致が増え、庭での一件以来見せる苛立ちがより激しいものになっていったとしたら。脱出のためのハードルが上がりはしないだろうか。


「さあさあさあ、入ろうじゃないか、アクセラ。恐れることはない、君の理解力なら私の研究成果を余す所なく受け入れられる。さあ、さあ、さあ!」


 声を絞ってそう訴えかける男に俺は唾を呑みこみ、躊躇いを捨てる。この先に彼の誇るモノ、すなわちこの騒動を起こした邪悪な研究が存在している。ならそれを見ずして終われるはずもない。最も懐に潜っている人間として、騒動の切欠の一つであるアクセラとして、なにより技術神として。


「今、行く」


 一歩踏み出す。トワリ侯爵は扉を押し開けて向こう側へ進んだ。その後を追う。


「見てくれ、見てくれこの施設を!この、素晴らしい魔道具の数々を!」


「……うっ」


 俺は思わず口を覆った。目の前に広がる光景は、エクセルとして数々の修羅場を潜って来た俺にしても吐き気を催すほどのものだったからだ。

 それは、金属と硝子の筒が並ぶ部屋だった。黒節鋼と何かの合金でできた高さ2mほどの筒。いくつかの窓には分厚い硝子がはめ込まれ、上下に太い魔物革のチューブが刺さっている。固定台の下にはチューブ以外に筒と同じ素材のパイプが繋がっていた。チューブは壁際に設置された巨大魔道具に、パイプは天井に伸びている。


「中に、人が」


「おや、そこから見えるのかい?あの窓の向こうが?目がいいのだね……僕では無理だったよ。研究が完成するまでは、だがねぇ!」


 呑気にぐだぐだと抜かす男を無視して俺は一歩踏み出す。筒の一つに震える足で近寄る。ピンクの光が窓から溢れて俺の顔を照らし出す。筒の内側は淡く発光する半透明の液体で満たされていた。そう、そしてその液体には、人間が入れられていた。

 これをどこまで人間と呼ぶかは、問題かもしれんがな……。


「随分と大掛かりな装置だと思うかもしれないが、素材は最初の処理が重要だ。まぁ、こんな話は君に語って聞かせるまでもないか!え?そうだろう?」


 素材。筒の中の人間は、残念ながら確かにそうとしか呼べない姿だ。腕を切り落とされて焼き固められ、残った部分にはいくつかの魔法陣が書き込まれている。瞳は液体の中でも開かれたまま。視線は目の前に俺が立っても焦点を結ぶことはなく、口は空気を与えるためか上から伸びたチューブの先のマスクで覆われていた。ここからは見えないが足も切り落とされているだろうし、色々と他にもチューブが繋がっているのだろう。

 よくも、よくもまあ、こんなことが平然とッ。

 半ば無意識に筒へ手を当てる。金属のくせに温かい。人間の体温と同じになるよう調整された内側の熱が、黒節鋼を伝って外にもきている。温かみのない温かさだ。手に力が籠る。カリッと爪が表面を掻いた。トワリにも、筒の中の男にも、きっと聞こえているだろう音。その細やかな音に無力を感じるのは、きっと俺だけだ。


「一番苦労したのは液の排出からの再利用装置だね!フィルターの厳選と錬金術による魔法的加工を加えて、温度や接触する装置部分の材質まで気を使ったよぉ。変性させずに回収し再利用するのは中々の難事だったと言える!」


 侯爵は天井を指し示してそういう。耳を澄ませばそちらからゴウンゴウンと重苦しい音がしており、大掛かりな装置が稼働していることを教えてくれる。薬液とは、つまりアレだ。


「生命維持装置の方が難しそうに見えるかもしれないが、彼らは長期的に生かしておく必要がない!空気と水を適度に送り込めばそれでいいのさ。ふふ。ああ、でも排泄の処理は若干手間ではあるかな。なにせ下手をすると液が汚れてしまうからね、ははは!」


 何か面白い事を言ったように笑う男を前に俺は薄く息を吸い込み、そして吐き出す。気持ちが悪くなる臭いに包まれて深呼吸はできないが、可能な限り頭にしっかりと酸素を行きわたらせたかった。冷静に問いただすために。今すぐ目の前の容器を全力でぶち殴らないために。


「あの液体は、湖楽の系列。違う?」


「ふむ?ふむふむふむ。面白い、面白いねぇ?どうしてそう思ったのかな?」


 微笑んで問い返す彼の目は全てを物語っている。やはりこれは湖楽、俺とエレナが摘発の切っ掛けとなったあの禁止薬物だ。恐怖を奪い、痛みを奪い、高揚感と破壊衝動を増幅させる危険な薬物。


「まず臭い。魂を腐らせるような、嫌な臭い。つい先日、スプリートの港町で討伐した賊と同じ」


「ああ、例の「燃える斧」とかいう凶賊だね。その報告は僕の下にも届いている。お手柄だったそうじゃないか、え?」


 そう、その凶賊だ。連中の構成員は魔法使いを除いて全員が何かしらの薬物を使用していたと分かっている。その効果は異常な興奮、感覚の麻痺、継戦能力の上昇など。とても快楽目的では必要ない薬効が詰まった、戦闘向きの薬物だ。臭いは直接薬剤を嗅いだわけではないが、連中の血がこういう臭気を放っていた。症状の酷い者ほど臭いがキツかったので、おそらく薬か服用者の代謝物が原因だ。


「なるほど、そのときの臭いと同じだと。しかし湖楽といえば君たちが初めての冒険で生産者の一人を見つけた例の薬物だ。どうしてそこが繋がるのか、教えてくれたまえよ」


 湖楽事件は風変りな薬物事件だった。俄かに流通しだした矢先、俺たちが偶然尻尾をそうとは知らずにギルドへ突き出した。そこから芋づる式に検挙が始まるかと思いきや、関係者数名の逮捕をもってそこから先がまったく掴めなかったのだという。それ以来、俺とエレナへの報復未遂が一度あった以外は薬物も背後組織も忽然と消えてしまったのだ。全体像の把握すらできていないなら、普通は売る側と取り締まる側のいたちごっこが始まるものなのに。


「一つは薬の性質。普通の違法薬物は3パターン。純粋な快楽目的で依存性があるもの、身体機能を異常に引き上げるがリスクがあるもの、健忘症状がある睡眠剤などよからぬ目的に使えるもの」


 余談だが誘拐事件の教訓から色々と努力し、一つ目と三つ目は大抵何を盛られても効かないくらい俺もエレナも『毒耐性』を上げている。


「この薬も湖楽もピッタリは当てはまらない。単純な効果は一つ目に近いけど、用途は二つ目のような強化目的」


 その程度の類似性なら他にも候補があがりそうなものだ。しかし夏休み明け、魔眼研究者リニア=K=ペパーの伝手でエレナが薬物の研究者に聞いた限り現在発見されている物で当てはまる効果はないという。報告を上げたギルドからも特にそういった情報はなかった。


「ある薬と別の薬の効果が似ることはある。けど多岐にわたる作用副作用が丸被りすることは、あまりない」


 既存の別の薬でもなければ、まったく別出自の似た薬という可能性も薄いわけだ。


「もう一つ。「燃える斧」を裏で操っていた魔法使い。彼……彼?は私を誰かの仇と罵った」


「ふむ、君を罵るなど万死に値するね!」


 頓珍漢な叫びを上げる侯爵は無視し、自分の小さな手を見下ろす。


「私、これでも恨みはあまり買ってない方」


 聞く者が聞けば一体どの口がと言うかもしれないが、仇だから殺してやると言われるようなことはしていない。しかしあのオカマ魔法使いは白髪紫目の剣士をしているアクセラ=ラナ=オルクスという少女、というかなり具体的で唯一無二の情報を握っていた。なら殺したのだろう。あるいは殺したと勘違いされておかしくない状況にあったか。そして俺が殺した奴となると、かなり絞られる。


「私が殺した人間で、報復の可能性があるのは一人だけ」


 俺とエレナを誘拐した馬鹿な冒険者のもとへ現れた中継ぎの貴族風男性。厳密には俺が殺したわけではなく、魔獣に食われて死んだのだが……まあ詳しい経緯は発表されていないからな。他にあの事件で死んだやつは報復してくれる人間もいなさそうだ。それ以外、盗賊討伐以前に殺しはしていない。


「同じ薬物関連で、背後にいる人物が弔い合戦をしてあげるほど親密。偶然だと思う?」


 これであのオカマの目的が、俺がまったくあずかり知らぬ誰かの敵討ちだったら……とんだ探偵ごっこだ。同じ可能性を侯爵も思い浮かべたからか苦笑を浮かべる。


「なるほど、なるほどねぇ。ク、クハハ、申し訳ないが、推理小説なら閉じてしまうくらいいい加減な推測だ。だがあえて否定するような不整合もない。まぁ、現実は大体そのあたりが正解、というラインだろうかな」


 俺もそう思うから仮説としつつ合っている前提で話しているのだ。


「それで?」


 改めて鋭く睨み問う俺に男は錨型の髭を一撫でして頷く。


「厳密には湖楽ではない、らしいね」


「らしい?」


 顎髭を撫でながら侯爵は頷く。この薬品の試供品が手元に来たとき、彼もまた研究者としての興味から他の薬物との比較を行った。その中で以前に見た湖楽との類似性を見出したという。


「待って、湖楽も持っている?」


「いやいや、誤解しないでおくれよアクセラ!湖楽については買ったのではなく押収品だ。君が潰した悪行の片棒を担いでいたなどと、思ってくれるな!!」


 ケイサルの湿地で湖楽が作られていたように、トワリ領の湿地でも別の薬師によって製造が行われていたのだという。


「毒となる一部の鉱石が埋まった沼地。そこに生える数種の植物を原材料とした薬物なのだよ、あれは……ふふ、つまり君の故郷と僕の領地は奇しくも揃って産地として優秀だったわけだ」


 供給源はケイシリル湿地だけではなかったか。いや、ケイサル以外でも確認されていなければ当時「俄かに広まりつつある薬物」と危険視されることもなかっただろう。言われてみれば当然だ。


「そのことを尋ねたところ、コレも湖楽の系譜に属する薬だと言われたよ。詳しいことは企業秘密と言われてしまったがねぇ」


 属するとはまた曖昧な言葉だ。しかし先に触れたように、複数の効果が重複する有効成分などそう生まれるものではない。長い歴史の規模で見ればあるだろうが、一つの研究でそんなにポンポン目的の物質ができれば世話はない。となると主軸は同じで配合量や副成分を変えた物なのだろう。


「それと……おや、おや!丁度いいタイミングで仕上がった個体がいるようだねぇ」


 何かを言おうとしたところで侯爵の視線が筒の群れに向けられる。俺は触れていた筒から数歩下がり、少し遠くにある別の筒を見やった。装置の上にある魔道ランプが赤く灯っていた。


「薬品による処理が終わったのさ。あぁ、実にいいタイミングだね」


 己の幸運を噛み締めるようにトワリ侯爵が言うのと、青白い侍女たちが3人現れて筒の前に並ぶのはほぼ同時。次の瞬間、勢いよく水が流れる音がしてランプが消えた。カチン。筒のロックを侍女が外す。そして黒い筒の口が、上下に大きく開いた。


「……君は、人を、何だと……」


 目の前の光景に茫然と呟く。


「哲学的だね?ふ、ふはは、そういう問答も知的で楽しいね。実に、実に、楽しいっ!」


 この期に及んで男は子供のように叫び、笑い、喜びに打ち震えた。段々と大きくなる感情の起伏は彼のタガが外れるだろうという俺の予想を裏付けたが、それが達成感を齎すことはない。


「そうだねぇ、色々な捉え方があるが……資源、だろうか。一言で言えば、ふむ、資源だ。それが一番しっくりくる」


 ああ、そうだろうな。そうだろうとも。そうでなければ、こんなことができるものか。

 2mもある筒の下側は空洞ではなかった。防水加工をされた魔道具が納められているのだ。侯爵の言うフィルターなどを搭載した浄化装置なのかもしれない。その上に乗せられている人間だった物体は俺の予想通り足を失っていた。それどころか腰から上しかなかったのだ。


「半身切断で何故死んでいないのか、気になるだろう?」


 聞いてほしい。喋らせてほしい。自慢させてほしい。そんな感情が溢れ出るような顔で侯爵が見下ろす。しかし俺は瀕死の男、あるいはその成れの果てから視線を動かせなかった。


「あの薬には瀕死の状態でもしばらく対象を生かす作用があるのさ!面白いだろう?え?」


 誰に促されることもなく、彼は飛び上がりそうな声色で種明かしをしてみせる。


「といっても伝説の霊薬とはいかないのさぁ、残念ながら!身体欠損でも生きられるような量を入れればオツムの方が壊れてしまう。ふふ、当然ながらね?そう、それとあそこまで派手に切ってしまえば延命効果も大して意味がない」


 どこまでの怪我なら延命できるのか、焼き固めるなどの処理をするとそれがどう変化するか、液と何を組み合わせれば高い延命能力を引き出せるか。随分色々な実験を行ったようで、彼はその結果を同じ研究者にそうするように説明しだす。


「仕上がるまで生きていればいい、というギリギリのラインだよ。でも代わりに液を汚さない!そうそう、汚す汚さないといえば、最初期の筒は今より設計が甘くてね?二十歳(はたち)前後の男だったかな、大変な事になってしまって!」


 最適な量の見極めには相当かかったのだと彼の口ぶりで分かった。時間が、ではない。命が。嬉々として失敗談を、命を無駄に使い潰す行為を、まるで笑い話のように語る。その隣にあって、俺は耐えた。たとえ握りしめた拳の内で爪が掌へ食い込もうとも、それを振り上げなかった。そうするべきだと俺の魂が叫んでも、今は堪えろと。


「あぁ、まったく、オカシイったらないね!まあ、ここで使うのは最低限の価値しかない低い連中だから勿体なくはないんだが。ダンジョンクリスタルで言えばギルドで買い取らないレベルの……そう、王都で売っているカートリッジなる魔道具用動力、あれに詰めるような等級と思ってくれればいい!」


「……っ」


 ギリッと強く噛み締めた奥歯が音を立てた。体内を残された魔力が駆け巡る。


「あれも君が噛んでいるのだろう?君抜きであそこまで面白い発明がいきなり飛び出してくるとは思えない!リオリー魔法店の経営母体はケイサルに二号店を持つリオリー宝飾店だしね、察しはつこうというものだよ?リオリー魔法店には是非一度」


「少し、黙って」


「うむ?しかし折角」


「考え事を、してるから。しばらく、黙って」


 怒りを抑え込み低くなった声で言う。俺の反応を知りたい彼なら、これで黙るだろう。そう思ってのことだったが、侯爵は大人しく口を閉じた。よかった。勝ち目のない戦に自ら飛び込むほど愚かではないが、怒りは人の思慮を鈍化させる。もしまだベラベラと無駄口を叩くようなら手が出ていただろう。


「……」


「……」


「……」


「……」


 軽い武息で精神を落ち着ける。そうしながら俺の見ている間も作業は続く。二体の侍女が筒の中の体を押さえにかかった。男は抵抗することもなく陶然と虚空を見上げている。そこへもう一人が短剣を持って近寄った。


「実物を見たことはあるかな?」


「……」


 誰もいいとは言っていないが、勝手に喋り出した侯爵に殴りかからない程度の落ち着きは戻った。汚い紫に骨の白が混じった歪な短剣は、まさしく異変の前日にマレシスが俺へと向けた武器。悪魔の封じられた短剣だ。それを三人目の侍女は手に持ち、特に躊躇う様子もなく薬漬けの男に刺した。


「あー……あ、あー、あ、あっ、あっ、あ、あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ァッ!!!!」


 茫然と声を漏らした男だが、刺された短剣から色が抜けるにしたがってガタガタと震えながら絶叫を上げた。紫と白が消えれば倍以上の速さで黒紫の痣のようなものが男の体を包んでいく。それはかつて俺の腕の中で息絶えた友人の遺体に刻まれていたのと同じ痕跡。悪魔による憑依、その拒絶反応と汚染によって生じる烙印だ。


「ガァ!!げ、げぐ、がッ!」


 侍女二体に抑えられた上半身だけの男はそれでも激しく暴れ、穴と言う穴から血を溢れさせる。しかしそれも数秒のこと。次第に抵抗は収束していく。ぐったりと停止したソレが再び頭を上げたとき、顔には何の表情も浮かんでいなかった。薬物による放心すらない完全な無表情。ただ瞳だけが濁った黄色に輝いている。


「さあ!最後の工程だっ!!」


 侯爵が声に喜びを滲ませる。俺たちの視線の先で上半身だけの男は更なる変異を始めた。無表情のまま、悪魔の瞳を宿したまま、体がパキパキと音をたてて乾き砕け始めたのだ。

 急激すぎる変化に肉体が耐えられなかったのか……?


「あれはね、魂を悪魔が凄まじい勢いで吸い取っているのさ!凄いだろう?凄いだろう!?人としての活力!存在!根源の力!その全てを、一気にね!!」


「……っ」


 肉体と魂は精神によって繋がり、一方の変化は精神を介して他方に影響する。その変化が激しすぎれば精神が千切れて肉体と魂は分かたれ死んでしまう。しかし今回の場合、魂が食われて消滅してしまったわけで……引っ張られて千切れることはなかったが、その代わり肉体が変容しようとして限界を迎えた。そういうことらしい。あまりの傷ましさに視界が歪んだ。目の淵に熱い液体が溜まるのを感じる。


「そして、最後だッ」


 侍女が引き抜いた半透明の短剣でもう一度男の胸を切りつけた。すると砕け行く体は反応を止め、今度は短剣に色が宿る。緑を基調としたそれは俺が角を持つ赤いキメラから摘出したのと同じ短剣に見えた。


「これで薄めた悪魔の完成さ。騎士に流し込むもよし、キメラに使うもよし!」


 達成感すら感じさせる口調で男は俺を見る。それからふと眉を上げて首を傾げた。


「おやおや、血が出ているよ」


「……」


 握りしめた拳からは血がポタポタと床に落ちていた。だがそんなことはどうだっていい。普通は一日以上の時間をかけて宿主の魂を食う悪魔が、これほど短時間で食いつくせたのは何故か。その理由に察しがついたから。


「魂を腐らせる薬。比喩のつもりだったけど……」


「ああ、先ほどの君の言葉だね。あれは的確だと僕も思うよ。さすがはアクセラだ!」


 魂はまるで花の蕾のようだ。魂核を中心に何層もの薄い魂膜が閉じた花弁のようになっている。その薄膜には人間としての趣味嗜好や考え方、経験、理性といった大切なものが記録されているのだ。そして魂膜は魂核を守る盾でもある。


「この薬は人格を破壊する。それはつまり、魂膜を破壊すること」


「そう、そうだとも!使徒の知識かい?」


「悪魔に魂の力を効率よく食わせる。そのために拷問し、術をかけ、薬に漬け込む」


「その通り!実に下処理が丁寧だろう?研究や製造は最初の工程ほど丁寧にしなくてはねぇ」


「……あの短剣の封印、双方向?」


「おお、気づいたかい!?」


「初見では無理だった。けどあの動作……刺すと内側のモノを解き放つ。斬ると外側のモノを封じる。そういう仕組み」


「素晴らしい洞察眼だ!その通り、まさにその通り!ご明察!!あれは封印も開放も同じくらい簡単にできる魔道具なのさ。なかなか得難い性質だと思わないかね?」


 たしかに封印の魔道具は基本的に開放することを想定していない。永遠に封じられないから解放という「その先」があるだけだ。しかしあの短剣はまるで器のように出して入れてを繰り返せる。


「あれも昏き太陽が……?」


「そうだね。悪魔の器として供給され、その仕組みを聞いて今のような使い方にした」


「一応、聞く。この処理はどの段階なら可逆?」


「そうだなぁ……体を二つに切るあたりだろうか」


「……」


 それもそうか。当然だ。薬による汚染がなくとも体があれではどのみち生きられない。聖属性を総動員して回復させたとしても、半身を失った状態から回復はできないのだ。

 ということは、この筒の中は全滅か。

 やりきれない事実に全身から力が抜けて行く。しかし手の施しようがないと分かれば、それはそれで一つの踏ん切りがつく。助けられるかもしれない、助けてやりたいという感情を優先しなくていいのは、正直楽な部分もある。そう思いながら、握りしめた拳がメキリと音を立てた。怒り狂い、悲しみに暮れる自分の横で利点を確かめる自分がいるこの感覚は、長く生きたことの利点であり弊害だ。


「これだけの薬、これも金輪屋(こんりんや)から?」


 金輪屋。セクト昏き太陽の、悪魔を商う狂信者。彼らが悪魔だけでなくこの危険な組み合わせを手中に収めているとすれば、厄介この上ない。しかも相手は神出鬼没で悪魔を大量に仕入れ、大量に売りさばくネットワークを持っている。噂ではロンドハイム帝国でも結界内に悪魔が侵入する事件があったそうで、関係しているとすればその広さは尋常ではない。


「いや、昏き太陽ではないよ」


「……仕入れ先の名前、教えてもらえる?」


「ふふ、まるで取り調べだねぇ。連中は確か琥珀の歯車と名乗っていたかな?」


「琥珀の歯車」


「若干だが南のアクセントがあったような。まあ、わざとかもしれないし、本当だったとしてなんだというわけでもないが」


 筒の傍で息絶えた男の遺体を侍女が引きずる。一体は緑の短剣を壁際の箱に収め、残り二体はそのまま遺体を隣の部屋へと運び出した。すると入れ替わりに別の侍女が。汚れた床や筒を水で清め始めた。その背後には次の「素材」を持った二体が控えている。


「ああやって効率を上げているが、どうにも集まりが悪くてね」


 半身を切断され焼き固められた激痛でか、すでに茫然としているのが分かる。処理された人間は筒に収められ、金属が閉じてロックされる重苦しい音に続いて激しく液体が流し込まれる濁音が轟いた。


「さあ、次に行こうじゃないか!まだまだ見せたいものはあるんだっ」


「……ちくしょう」


 無力感を小さく吐きだす以外、俺にできることはなかった。


来週はなんと!アレニカのイラストが掲載されます!!

かっこいいのでぜひ見に来てください^^


~予告~

侯爵は嗤う。ここからが本番だと。

アクセラが怒る、その理由も分からないまま。

次回、トワリのコレクション

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