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十章 第14話 髪色の謎

自室に戻った俺はとりあえずベッドに倒れ込んだ。それから心配そうに覗き込んできたイーハを引きずり込んだ。


「わ、わ、わ!」


慌てる少女の華奢な体に腕を回し、跳ねまわる髪の毛を指に絡ませる。


「どうしたであるか?」


「……(くび)り殺されるかと思った」


「それは、また穏やかではないであるな」


バロンが息をのむのが分かる。これまでの態度からして、急にそんなことになるとは長生きの悪魔でも思わなかったのだろう。俺も思わなかったし、正直なところ、隣にいても直前までそんなコトは誰にも想像できなかっただろう。


「喉が痛い」


「今適当な者によい飲み物を持ってこさせるのである」


バロンが指をパチンとならせば、表にいた薄い気配がソロソロと離れて行った。


「あ、お、お姫さま、首が!」


抱え込まれていたイーハが耳の近くで叫んだ。キンキンする。


「うむ、相当強く首を絞められたのであるな。もう痣になっているのである」


だろうな。

苛立ち紛れに蹴飛ばしただけで石レンガが弾ける脚力だ。手の方も尋常じゃない筋力のはず。おかげで抵抗するのになけなしの魔力を全部消費して魔力強化をするはめになったし、強化した筋肉と侯爵の手に挟まれた表皮は完全に鬱血している。


「て、手当するのです!お姫さま、放してほしいのです!手当しないと!」


ジタジタと抜け出そうとするイーハをしっかりホールドしなおす。


「放っておけば治る。痣なんて」


黒い髪と犬耳に顔を埋めながらバロンをチラ見すると、しかたがないなと言った顔で黒靄の紳士は肩を竦めた。話の分かる靄は嫌いじゃない。


「まあ、そうであるな。イーハ、今はおとなしく抱っこされているのである」


「うぅー……」


納得はできないながら、保護者であるバロンに諭されるととりあえず言うことを聞く。イーハは幼い孤児でありながら随分と躾が行き届いている方だ。


「……」


バロンの配慮に感謝しつつイーハをあやすように撫でる。実際のところ、慰められているのは俺の方だが。

死の恐怖というやつは、エクセルとしての俺は慣れ過ぎて危険度を測る一種のセンサーくらいにしか思っていなかった。知り合い曰く「お前は戦いすぎて、恐怖と馴染みになり、仲良く八百長試合をしかけてくるような奴だな」だそうだ。なんとなく言いたいことは分かる。


「うぅ、わふん」


「よしよし」


この感覚は今生のアクセラになっても変わらないものだと思っていた。少なくとも今までは変わらず優秀なセンサーとして動いてくれていた。ちょっと時が経ちすぎて恐怖とは若干疎遠になっているが、それでもどっちかと言えば俺の味方だと思っていたのだろう。自分でも。

違ったな。少なくとも、アクセラの味方じゃなかった。

あのとき、首を絞められているとき、俺の頭はきちんと冷静に動いていた。手足もちゃんと命令どおり動いていた。涙や唾液が零れるのは反射だし、庭に行く前にお手洗いへ寄っていなかったら漏らしていたかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。問題は庭の硝子部屋を辞した後、恐怖がジワジワと湧いてきたことだ。

イライラする……。

切り札を使えばちゃんと脱出できる状況だった。そこまで危機的かと言われれば、トータルで見たらそうかもしれないが、ワンシーンとしてはいつまでもビビるほどじゃない。もっと酷い目には山ほどあってきた。それなのに腕の鳥肌が収まらない。首にかかる手の感触が消えない。粘つく笑みがいつまでもちらつく。

なんでだ。なんでだ。なんでだ。

女だから、ではない。。自分より力の強い大男に組み敷かれても平然と対応できるだけ物理的にも精神的にも強い女性たちを俺は山のように知っている。俺とあいつらに違いがあるだろうか?あるとすればなんだ?


「……とりあえず、少し寝る」


「あ、あの、イーハは?」


抱き締め直して瞼を閉じると困惑気味の高い声が尋ねてくる。付き合ってみてそう長くは経っていないが、イーハは何かと俺の役に立ちたがる傾向がある。それは奴隷だからではなく、彼女言う所の「お姫様」のお世話をするのが楽しいのだとか。バロンは彼女が読んでいた絵本のせいだと言う。お姫さまを甲斐甲斐しく世話する忠義の獣人侍女が出てきた、とかなんとか。何の絵本だろう。


「抱っこは嫌い?」


「き、嫌いじゃないのです!むしろ好きなのです!」


「じゃあこのまま」


腕をしっかり閉じて脱出の目を潰す。


「あ、あー……」


諦めの声を上げてイーハはされるがまま、抱き枕になることを受け入れた。バロンがそれを面白そうに微笑みながら見下ろす。視線が合った。彼は霧のような体を崩し、イーハの背中へ吸い込まれて行く。邪魔はしないので休め、と言われた気がした。


「……」


黒茶色の巻き毛の隙間から見上げる丸い瞳を感じながら、俺は目を閉じて眠った。夢の中でしか会えない、懐かしい腕に自らも抱かれる夢を見ながら。


~★~


目が覚めて少し経った頃、侯爵の傀儡の一体に呼ばれて俺は砦の奥にある一室へと向かった。随分と奥まったところにある何の変哲もない書庫。その更に奥へ隠された1mほどしかない扉の前で、今は顔色の悪い侍女と共に侯爵の到着を待っているところだ。

気分は、悪くない。

イーハを抱いて眠った時間はそう長くなかったが、存外ぐっすりと眠れて回復にはなった。守るべきものが手近にあるというのは、変な話だが、安心できるものだ。気を張り詰めていなくても反応できる距離にいてくれれば、それだけ緊張を緩めることができる。


「変な話だけどね……」


自嘲気味に独り言ちる。なにせ俺が気を張っているのはエレナや友人たちを遠く残してきたコトと、自分が置かれた状況の緊迫感によるものだ。それが分かりやすい庇護対象であるイーハを手元に置くだけでなんとなく緩和されるというのは……まあ、単純な自分の脳が騙されているということなんだろう。なんとも複雑だ。


「……」


ふと足音がして俺は思考の渦から意識を引き戻した。薄っすらと浮かんだ笑みも消し去る。閉ざされた扉が開き、中から侯爵が顔を出す。彼は俺の視線を受けて肩を跳ねさせた。それから後ろめたそうにのそのそと姿を現し、後ろ手に扉を閉めた。妙な臭いが空気とともに押し出され、更に青味を増したような気がする男の髪を揺らす。


「あ、アクセラ。さきほどは、その、すまなかったね。冷静になってみれば、聖属性を持つ君と僕が長く触れ合えば、反発が起きるのは当然だった。あ、あと、少しデリカシーのない発言だったとも。うん、その、すまない。」


猫背ぎみにそう謝罪する侯爵。しかし俺はその言葉をどの程度素直に受け取るべきか、咄嗟には判断できなかった。おそらく謝罪も罪悪感も本物だ。顔を見ればそれは分かる。だがあの時の態度、浮かんでいた嗜虐的な笑みもまた本物だった。一時の気の迷いなどではなく、彼は心の底から俺の首を絞めることを愉しんでいた。

今ここにいる彼が真に反省していたとして、同じ状況になったらもう一面の彼が出てくる可能性……大いにあり得るな。

だがだからといって謝罪を受け取らなければどうなるか。それはそれで厄介な気がする。俺は肩を竦めてから口を開いた。


「例の魔獣」


「うん?」


「例の魔獣について教えて。それでチャラ」


「あ、あー……それでいいなら、構わないよ。ああ、構わないとも」


意外だったようで目を丸くし、すぐに機嫌よさそうに笑んだ。チャラになると聞いて一気に罪悪感が消えたような、そんな顔だ。ぶん殴ってやりたい。


「さて、と」


一つ頷いた彼は今しがた閉じた扉を開いて潜る。話ながら移動しようということらしい。扉の向こうに見えるのは最低限の明かりに包まれた下行きの螺旋階段らしく、暗くじめじめとした石造りの空間はまるで口のように俺の前に鎮座ましましていた。

こいつ、態々階段の上を待ち合せに指定したのか。自分は下にいたのに。


「さあ、どうぞ」


差し伸べられる手。ピアノを奏でていたときの印象どおり、細く色白な指の手だ。俺の首を締めあげたときの剣ダコはない。図らずも俺の違和感は確信に変わる。印象がコロコロと変わるのは本当に姿が変わっているからだ、と。


「さあ」


もう一度声を掛けられて手を取った。肌は温かく、血が通っていることは確かだ。侯爵は俺が扉を潜るとすぐに手を離し、階段を降り始める。先を急ぐあまり、足が萎えて早くは降りられない俺に配慮することは思いつかないようだ。


「あの魔獣も、金輪屋(こんりんや)から?」


悪魔を手配できるような危険な宗教団体だ。魔獣もそこが絡んでいると思った方がいいだろう。その程度の思いで訊ねてみると彼は振り返りもせず肯定した。


「ああ、何かいい具合に使えるコマがないかと聞いたら貸してくれたよ」


遠乗りをしたいから知合いにいい馬を借りた、くらいの軽い言葉だ。そんな気軽にあれほどの魔獣を借り受けられるこの男の精神も異常だが、そちらは今更。むしろ貸し出せる「昏き太陽」の異常性の方が大きい。なにせ四体だ。俺が相手をしたヴェルナーキとバイエン、ネンスやエレナが倒したらしい蜥蜴の魔獣、それに森へ向かう途中の国軍を押しとどめていたというもう一体。これが纏めて王都へ雪崩れ込んでいたら……。

さすがに神塞結界は破れないだろうけど。

軍の対応が遅れれば外壁の外に広がる農地で働く者や門に並ぶ旅人、商人、冒険者から夥しい犠牲者が出たことだろう。道中の村がいくつも滅ぶはずだ。国軍とて四体倒すまでに相当な被害を出す。それほどの戦力を貸し出せる危険思想の団体。流石の俺も背筋が寒くなる。


「どうして?」


「どうして借りられたのか、ということかい?」


「ん」


頷いてやると彼は髭に手をあててふむふむと考え始める。


「一概にコレとは言いにくいな。さっきも言ったように遺跡を譲ったのは大きかったようだが……」


侯爵は幾分速度を落として考えながら進む。おかげで俺は置いて行かれていたのがなんとか追いつけた。


「あとは神塞結界を停止したことに随分と気を良くしていたね。教義的に結界が嫌いなのか、結界を潜れないほど邪悪な存在になっているのか」


なっているだろう。悪魔を商って魔獣を派遣し侯爵ほどの邪悪を生み出せたのだから。

呆れの感情がまず浮かんできたが次いで気になったのは結界を解除したという言葉そのもの。悪魔がこれだけ領都に存在しているのだから、ここソルトガの結界が機能しているとは端から思っていない。しかし全面的に解除したというのがもし領内全ての都市についてだとしたら……。


「……ッ」


腹の底に怒りがふつふつと湧いて来る。胸倉を掴んで領主のくせにと詰ってやりたい。森に押し寄せたような敵が各地の街や村を襲ったなら、どれほどの被害が出たことだろうか。神と領主によって絶対の防壁を与えられ守られてきた人々の幸せが、まるで雪崩に呑まれる山小屋のように砕かれ飲み込まれていった。そう思うだけで、奥歯が軋むほど腹立たしかった。


「君は、この領地を……」


どうするつもりなのか。そう訊ねようとしたときだった。長い螺旋階段は終わり、火を使わない魔道具の明かりがぼうっと照らす部屋にたどり着いた。部屋の奥には陰鬱な影の中に重厚な扉が一枚佇んでいる。


「お使いもこなせない獣の話はもういいだろう?」


その説明が俺への贖罪だったことすら忘れたように、侯爵は視線を扉へと向ける。食い下がったところでこれ以上何が聞けるふうでもない、完全なる興味の喪失。彼の意識と感情は既に扉の向こうにある、俺に見せたいモノにしか注がれていない。


「……」


悔しかった。ここで全貌を吐かせるだけの力がないことが。目の前の邪悪を覆すだけの力がないことが。なにより、そんな手詰まりを解決させる根本的な手段がないことが。


「以前にも少し話したと思うけれど、僕の一族は錬金術の特殊なスキルを伝えていてね」


沈黙を同意ととったのか、彼はニッコリ笑って俺を見た。揺らめく魔道具の薄明かりが陰影を強調して気味が悪い。


「血統で発現するスキルは国内にも四大貴族やフォートリン家、アロッサス家、シビリア家、ジノガ家などいくつも存在しているわけだが」


滔々と喋りながらポケットから取り出したのはえらく古い鍵だ。それやや錆びた扉の鍵穴にさして回す。さらに2つも鍵を外してようやく扉の枷はなくなったようで、ドアノブを繊細な手が掴んで回すと軋みながらそれは道を譲った。


「そうした家が伝えるスキルの多くは、この世界という広い視点で見れば唯一無二ではない。それこそ類を見ないのはレグムント家の『スキル無効』やデリンジャー家の『天世図』くらいかもしれないね。しかしそれ以外の家のスキルも、希少性と有用性を鑑みれば国が積極的に保護するのは当然のこと。そうだろう?」


その説明に納得しつつも俺は違和感を抱いた。もし本当なら今回の遠征で縁を結ぶ親書を送り、この男の死後は遠縁を跡継ぎにするという王宮の思惑はおかしくないか。いくら遠縁とはいえ、スキルの発現があったなら既に子のいない侯爵家に引き取られているべきだろう。貴族のシステムとはそういう風に成り立っている。


「親族に、そのスキルは?」


「発現していないだろうね。トワリ家のこれは直系以外に現れた例がない」


なら尚の事不自然だ。侯爵にその気がなくとも王家はまず妻を宛がうだろう、普通は。もし宛がった妻に子供が生まれなければ、場合によっては側室まで周囲が押しつける。彼が言うように王家が家柄に付随するスキルを重視しているなら、それが政治的に正しい展開だ。しかし彼に結婚歴はない。


「そう。アクセラ、君の疑問の通りだ」


めずらしく表情に出ていたのか、それとも俺のことなど見ずに自分の筋書き通り喋っているだけなのか。侯爵は大きく頷いてみせた。


「我がトワリ侯爵家のスキルは、もはやこの国に忘れ去られたものなのだよ」


厳密には歴史から身を引いていったと言った方がいいか。そんな風に付け加えながら男は扉をくぐって手招きする。


「ささ、入ってくれたまえ」


とっておきの玩具を見せる子供の笑顔で招き入れる城主に俺は応じ、暗く嫌な気配のする空間へと足を踏み入れる。思いの外広い部屋は多くのケージと器具に溢れかえっていた。魔道具に接続されたガラス管は赤黒い液体で満たされ、大きなフラスコには黄色い液体と無数の目玉が詰められていた。


「悪趣味」


「すまないね、しかし材料とは見目のいいものではない。それは君も知っているだろう?優れたモノの中身はいつだって機能的で、しかし不格好なものだ」


一部の装置からは魔物革のチューブが伸びてケージの中で伏せる魔物と繋がっている。その魔物にしても明らかにキメラと分かる爬虫類と昆虫の特徴を併せ持っている者や、異質なパーツの集合でもはや生きているのかすら分からない者までいるのだ。


「……っ」


なにより、なんだこの……死臭じゃない。何の臭いだ。

強烈な甘さの中に酷い苦みを混ぜ込んだような胸の悪くなる臭気が薄っすらとだが漂っている。軽く周囲を見回しながら鼻をひくつかせると臭気には濃淡があり、奥にある鉄製の扉の方から強く臭ってくることが分かる。


「少々レディには刺激が強いかな?いや、魔物をスパスパ斬ってしまう君ならどうということもないか」


侯爵は言いながら机の上をごそごそと漁り始めた。夥しい量のメモに分厚い本、フラスコや試験管、角やら石やらが転がる机上からようやく摘み上げたのはぐったりとした鼠だ。灰色の体毛はほとんどが抜け落ち、表皮には俺の腕にあるのと同じ模様が描かれていた。


「君が使徒だと聞いて、慌てて用意していた魔法陣を弄ったのさ。コイツはそのときの調整でつかった鼠だね。さすがに使徒用の魔力消耗を刻んだせいで虫の息だが」


軽く指で摘ままれているだけだというのに鼠は逃げようとしない。ただぐったりと、生きるのを諦めたように項垂れている。


「何を……」


俺の呟くような問いには答えず、侯爵は空いた片手でもう二つほど机の上から物を拾ってこちらへ見せた。一つは小さな魔石で等級が低いのか濁った赤をしている。もう一つはかなり酸化して黒くなったバターナイフだ。


「ではご覧頂こう。トワリ家の秘術を」


嗤う男の体にスキル光が灯る。片手の鼠、片手の石とバターナイフ。手を合わせて三つを一纏めにした瞬間、濃い青の輝きがぐっとその一点に収束した。さながら青いシルエットととなった鼠にバターナイフが取り込まれていく。魔石は見えないが、おそらく同じことになっているだろう。


「ちゅ、ち、ぢゅ、びち、び、びび、びぎィ……!」


ぐったりとしていた鼠は青い光に包まれたまま、劇薬を打たれたように痙攣して暴れ出す。哀れがましい鳴き声はすぐに歪で低い反響を伴った奇声に取って代わられ、光が収まるにつれその末路を晒した。組織と複雑に癒着したバターナイフが角のように頭から生え、後ろ足にも黒ずんだ銀の嫌な輝きが混じっている。腹の横に刺さった小粒の魔石は薄皮に覆われ、血管が絡み付いて不規則に明滅している。


「キメラ……」


「そう、捨てる予定の材料で適当に作ったから雑な仕上がりだが、それでもキメラだよ」


魔石はその名の通り石のようだが高濃度の魔力を保有する生態素材だ。脈動する心臓、動く筋肉、生きようとする意思に接続すれば魔力を主に供給する。たとえそれが正しい主でなく、魔力の使い方がわからず、魔石を制御するに足る知性や魔物の本能を持っていなくても。


「ギピッ、ギギビィ……!!」


魔石が一際赤く輝き、額から生えたバターナイフが赤熱する。まるでゴミ呼ばわりした侯爵に不満を表すように。キメラはれっきとした、と言っていいかは不明だが魔物だ。材料にした魔石から魔力を得られる。しかし必ずしもそれを扱えるかというと答えはノー。


「ビ、ビビ、ビギ、ビギギギッ」


ガクガクと痙攣しながらナイフを赤く輝かせる鼠。その額の肉とくすんだ銀が混じる部分から細い煙が立ち上る。また黒銀色になっている足も赤く灼けはじめ、魔石が狂ったように明滅しだした。


「消費魔力、制御、それに素材の親和性……どれも噛み合っていないからこうなるのさ」


俺の首を絞めたときと同じ嗜虐的な笑みが頬に浮かんでいる。


「……」


べつに動物愛護を叫ぶわけでも、生体実験を否定するわけでもないが、こうして生命を廃品としてもてあそぶ姿には嫌悪がつのるばかりだ。面白がるように言った侯爵は俺の視線に含まれる非難に気づいたか、白けたように眉を上げた。


「ふむ……もういいだろう」


暴れる鼠を握る手の親指を禿げあがった首にかける。そのまま勢いよく弾けばパキっと妙に軽い音がした。ネズミの首はおかしな方向に曲がり、ナイフは少しずつ色を黒ずんだ銀に戻し、激しい痙攣は断続的で小さいそれに変わった。魔石が元通りのくすんだ赤に戻ったことで、哀れなキメラが息を引き取ったとわかる。


「さあ、もうわかったね?」


気を取り直すように明るい声で言う。鼠の亡骸は握ったまま。


「僕の持つ希少なスキルの名前は『生体錬金術師』。生き物が関わる錬金術に特化した、いわば異形のスキルさ」


『錬金術』系スキルは基本的に素材をいくつか掛け合わせて別のものを生み出すスキルだ。魔物素材が豊富なこの時代、かなり地味な部類として扱われている。しかしスキルなしで同じ効果を得るのが難しいことから、エクセララではむしろ珍重されている。生物限定となるとちょっと聞いたことがないが。


「歴史から身を引いたと言った。どういう意味?」


「ふふ、君は本当にせっかちだね」


「この部屋で、この状況で、話を聞く以外にすることがある?」


俺の問い返しに彼は肩を竦めるだけ。さっきから苛立ってみたり白けてみたり、かと思えば余裕をみせてみたり。二面性のオンオフを除いても実に忙しない男だ。


「この国の貴族は特徴的な髪色をしている者が多いのだけれど、それは知っているかな?」


「もちろん」


ユーレントハイム王国の外でも白髪はいるし、青や赤や緑の髪も普通にいる。ただ色味でいえば俺の乳白色は珍しい方だ。同じ白でももっと透き通る白髪や青味が強い場合が多い。目の前の男の黒に青い房やレントンのトウモロコシ色に青い房といったツートンも珍しい方だ。


「加護持ちなどは特異な色を持つことも多いと聞くが、ただの貴族にこれほどの確率で二色三色と変わった色が出ることはまずない。そうだろう?」


ユーレントハイムの外について俺が当然知っている前提の言葉だが、確かにその通りだ。


「大昔、貴族はもう失われた方法で髪色を変えた……そう言われてる」


これは一般人でもちょっと昔話を知っている者なら分かる程度の話で、俺に初めて教えてくれたのも教導を請け負ってくれたBランク冒険者ガックスだった。通説では自分たちの血統と威厳を示すためだとされているが……。


「もうほとんどの貴族家が忘れてしまった本当の話をしてあげよう」


ガシャン!折に閉じ込められたキメラが音をたてる。まるで忌まわしい過去を喋ろうとする男を遮るように。だが男は意にも介さず、楽し気に言葉を続ける。


「ユーレントハイム王国が誕生する直前の時代、この土地は支配者が無能で好色だったために酷く荒廃していたそうだ。不作!重税!奴隷狩り!野盗!魔物!魔獣に疫病!あらゆる苦痛が溢れていたらしい。そう、人心は乱れきっていた。その上、反乱を危惧した権力者によって武器を奪われていた!彼らは人類の敵と権力者という二つの獣に食い荒らされるがままだった……。くくっ、どうしてそんな状況で生きていられたのか、僕にはわからんねぇ?」


ご機嫌な様子で声を張る異常者。その芝居がかった言葉に、俺は王都のすぐ傍にある地下墓所を思い出した。


「ユーレントハイム建国後、新しい貴族たちは勇猛果敢に敵と戦った。過去の権力者の残党に始まり、溢れる魔物、信心を失った民、盗賊に豪族といった力ある抵抗者。魔獣なども今より多かったのだと思うよ?そんな相手に正面から戦いを挑み、国を平定せんと努力した我々の御先祖は高潔だったと言える。だが!」


腕を広げて叫ぶ男の顔には嗜虐的な笑みがまた表れていた。俺の首を絞めたときと同じ顔だ。喉がヒリヒリするような幻覚に、俺はそっと指でそこをなぞった。


「物事にはすべからく限界があるものだ。ああ、哀れ!なんとも哀れ!いくらスキルがあっても、いくら人間に限界などないと言われていても、永遠に戦える不倒の英雄などいなぁい……。その現実に色々な方策を検討した王と諸侯は、最終的にトワリ家に目を付けたのさ」


そこまで言ってから彼は摘まんだままのネズミキメラを持ち上げ揺らして見せた。脱力した体が重たげにゆさゆさと揺れる。光の当たり具合が変わり、毛の一部が朱色に染まっているのが見えた。


「この忌々しくも可能性に溢れたスキルにね」


「『生態錬金術』で自分たちを改造させた……?」


なんとなく話の流れからそうではないかと思い言葉にしてみる。それはドンピシャの正解だったようで、語る男は薄い笑みを深めて見せた。


「そう、その通りだよアクセラ!まあ当然、人体の改造には随分と論争はあったようだがね。しかしスキルは全て神々の恩恵であり、それを使って己を改造することに問題があるはずないではないか!それが禁忌ならそもそもなぁんで神々はそんなスキルを与えたもうたのか!神は間違えたのか!そんなはずがない、あり得べくもない!……そういう論で王家と教会はこれを採択した。随分な詭弁だと思わないかい?」


俺の視線は鼠の死骸から先ほど大きな音を立てた実験動物に吸い寄せられる。一抱えもある蜥蜴だが腹からは節足が5、6本飛び出している。眼窩に収まる物もよく見れば複眼だ。

ガシャン!ガシャン!ガシャン!

異形でありながら、しかし暴れる姿から先ほどの鼠のような不安定さは見受けられない。これが神々の推奨することかと問われて、素直に頷ける神職がいるだろうか。それでも詭弁を盾に頷かなければいけないほどだったのだろう、その時代は。


「我が家に残っているのはあくまで実験の記録だから、あまり政治的な背景は詳しく語られていない。けれど多くの貴族が立派にも自ら異形の力を受け入れたそうだ。ある者はサラマンダーの血を取り込むことで火の魔法適性を、ある者はオークの骨を取り込むことで不屈の肉体を……素晴らしい成果が得られたと書かれていたよ!」


「髪や目はその影響?」


「そうとも。例えばサラマンダーの血を取り込んだ者は髪が燃え上がるような紅蓮になったという。残念ながら古い書物で、取り込んだ素材と外見への影響は詳しく残っていない。けれど、特異な髪色と特異な歴史、その関連性は明らかだ!」


侯爵が言うには融合はほぼ問題なく成功したが、人間に宿るはずのない力をもって激戦を潜り抜けた初代たちは揃って短命に終わったそうだ。その血をひく二代目では能力の継承がなされなかったケースも多く、されていてもやはり戦い過ぎて早世するという事態が続発。


「最終的には情勢がある程度落ち着いた段階で『生体錬金術』による人体改造は終息したようだ。多少の犠牲を出してでも普通の人間による討伐を選んだわけさ。もちろん英雄たちの子孫は容赦なく駆り出されたようだが……それだけ血に定着させられた結果は僕の先祖を大いに満足させた」


許可した王族や教会にしても、できるだけ短期間で終わらせてしまいたかったのだろう。だからこそ二世代で止めた。


「リスクを飲んででも」


「その通り!」


トワリは満足げに頷き、それから小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。


「しかし因果なものでねぇ、戦いが終わって内政に集中し、貴族が互いを牽制しあう政争の時代がやってきた。そう、政治力学で全てが動く、なんとも忌々しい、そして人類が皆揃って見飽きた陳腐劇(クリシェ)さ!わずかな瑕疵でもあげつらう、まさに濁った大人の時代だ。僕にはそちらの方がよほどおぞましいね!」


何が起きたかは、推察するに余りある。異形の血を取り入れた者達を忌避する一派が現れ、対抗するように自己犠牲を断行しなかった貴族を臆病者と(そし)る一派が現れ、争う中で世代が変わって己の血に不満を持つ両側の離反者が現れ……最終的に主義主張は混迷を極めて行く。


「一致団結していた者たちが、互いに水と油に分かれてしまうとは……情けないねぇ?」


「あげく水と油だと思っていたものが、実は冷水と熱湯でしかなかった」


「そうさ。一度は別々でも互いに混じり合い、曖昧になっていく。そしてムラができ、もっと揉めるのさ」


屈託のない笑みが一瞬だけ現れ、そして苦く歪められていく。いつかエクセララにも停滞の毒は来るのかと思うと、俺の心中にまでその苦味は広がった。


「時の王はよほど優秀だったのだろうね。今こうして貴族社会では特異な髪色や瞳の色が尊ばれ、家柄を保証するものとして扱われているということは!」


クリシェ、使い古されたつまらない舞台と自ら口にした皮肉を意識してか、彼は大仰に役者じみた口調と手振りで嘲笑う。


「その代償として先祖の奮闘や献身は封印され、我が一族も忘却の彼方へと葬られたわけだ!ク、クククッ……クハハハ!名も知らぬ王に比べみてどうだ、ここまで真相を知りながらトワリ一族は!我らは雌伏しているのだ、などと妄想できた我が父祖はよほどの愚物ではないか?クハハ!!」


己の父とそこに連なる当主たちを嘲笑する侯爵は実に愉快そうだ。しかし、たしかに彼の言う通りかもしれない。ここまで葬られた歴史を保管しながら、自分たちは王を欺き隆盛を得るためにあえて黙っているのだと思っていたのなら。


「何のための侯爵か、ということ?」


「まったくもって!由来が失伝し、国境としての重要性もなくなり、それでなお安泰な地位を与えられてきた。その意味が彼らには分かっていなかったのさ!」


貴族としては終わっている。そう侯爵が思うのも仕方のない事だ。


「さて、聞いてみてどうかね?レグムントの乳白色とオルクスの紫を継ぐお姫様。君の色には何が宿っているのだろう」


侯爵はネットリと蛇のような笑みを浮かべる。

どうか、か。興味深い話だった。高位貴族に特殊な髪色や目の色が多い理由、それに拘泥する文化の根本……色々なことに納得がいく有力な説と言えるだろう。


「そういえば君の友達にも赤い髪の子がいたね。歴代の有名騎士を輩出し続けるフォートリン家の子が。あの子の血に含まれているのは、一体何の魔物だろうか?」


嗜虐的に頬を痙攣させながら、この一時を味わうように俺を見て侯爵は更に笑みを深める。一方で俺はその指摘に内心で深く頷いた。例えば戦闘の才能において抜きんでるレイル。例えば馬術にのみ特異な適性を誇るレントン。例えば国内でおそらく一番の魔力量を誇るアレニカ。総じて年齢に見合わない頭抜けた何かを示す生徒は特殊な色を継いでいる。


「どうだね?え?どう思うかね!?」


「ん、まあ、面白い話だった」


「………………ふむ?」


「ん?」


捲し立てる侯爵に率直な感想を伝える。内側に煮え立つ怒りも、この先に待つモノへの警戒も、脱出のための観察も、全て一旦置いておいて聞き入るほどには面白い話だった。そうした歴史、戦史の中の工夫というのは聞いていて心躍るものだ。だからこそ飾らず答えたのだが、彼は困惑したように首を傾げるばかり。


「もっと、もっとこう、自らの出自に考える所でもあるかとおもったのだが……君の髪も目もそうして継がれてきた色なのだよ?己の血に混じる魔物の因子に嫌悪などないのかね?」


「特にない」


凄惨な笑みはやはり硝子の部屋で表出したもう一つの顔だったようで、俺に嫌悪や否定を吐きださせたかったらしい。他人を不快にし、悪態を吐かせるのが好きというのは、なんとも救いようのない下衆の趣味だ。


「かつての貴族はこれが理由で随分と争ったようだが……あわや宗教裁判というところまでコトは発展したとも言われているのだよ?使徒の名において許し難いとは思わないのかい?」


「まったく思わない」


「……」


虚を突かれたように彼は仰け反って停止した。


「私は技術神の使徒。困難に立ち向かう工夫や努力を讃える者。否定する者じゃない」


キッパリと思い違いを正してやる。すると彼の顔にはジワジワと笑みが浮かび始めた。攻撃的で下劣な今までの笑みとは全く違う、楽しくて仕方がないときに心の底から溢れてくる類の表情だ。しかし込められた狂気はなぜか遥かに濃く感じられた。


「ふ、ふふ、ふははは!素晴らしい!素晴らしいよ、やはり君は!!いや、いやいや、分かっていたとも!分かっていたともさ!薄々思っていたよ、君はそう言ってくれるとね!!」


俺の口から拒絶の言葉が出てくるのを待ち望んでいた事実など、そもそも存在しないとでも言うように哄笑を垂れ流す。自分の期待が正しかったのだと。実に愉快そうだ。

これは、なんなんだ……?

てっきり穏やかで貴族的な面と攻撃的で下卑た面が表裏一体となった二重人格かと思っていたが、これはそんな単純で常識的なモノではない。目の前で笑い転げている狂人は、少なくともそのどちらでもないように見える。多重人格というよりも瞬間瞬間で人間性がブレているような……一つの極めて歪な人格が触れる度に別の面でリアクションを返してきていると言えば伝わるだろうか。


「あァー……困難に立ち向かう工夫や努力を讃える者か、素晴らしいッ!」


侯爵はバッと両手を上げ、天を仰いで歓喜を示した。それから目だけグリンとこちらへ向けて更に笑む。


「そんな素晴らしい君だからこそ、僕の研究を見せる価値があるというものさ」


「……ようやく本題?こんなところまで呼んだ理由。ネズミキメラが作りたかったからじゃ、ないでしょ」


俺の問いかけに侯爵はもちろんと応じて手の中の遺骸をゴミ箱へ投げ入れた。


「全てだよ、全て。僕の研究の全てを見せよう」


~予告~

ついに明かされる侯爵の研究、その一端。

アクセラの瞳に静かな怒りが灯った。

次回、悪魔の研究

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― 新着の感想 ―
[一言] そうかぁ。アクセラさんが呆れる程鈍いのはマジでしたか。これは所謂と、自殺紛い事を散々やったけど実は自分が本当に死ぬ可能性を微塵も思っていないという傲慢や甘さでしょう。 全く褒められる感情では…
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