十章 第11話 双璧の魔法剣
教会都市ジッタ。トワリ侯爵領の中でも長らく冷遇されてきたこの都市に、王都の学生たちが到着してから早一週間以上が経過していた。初めの1日は和やかに教会での奉仕活動が行われていたが、やがて不吉な黒一色の兵によって都市は包囲され攻撃された。そこから更に3日の戦闘を経て浮足立っていた都市は善戦するようになった。敵が悪魔ということに絶望しかかった人々をアロッサス家の娘アティネがスキルと体当たりの発破で力付け、多くの避難者と戦闘員が団結して防衛を支えんと動いたためだ。しかし更に3日の戦闘が続き、戦線は段々と限界を迎え始めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
倒しても倒しても現れて単調な攻撃を繰り返す悪魔。一度は奮い立った人々の気力も段々と尽きだし、負傷者が増えると同時に食料や医薬品が足りなくなってきていた。魔力の枯渇も深刻であり、教師の中でも魔力量と回復量が共に優れている者がなんとか火力をもたせている状況だ。
「ちっ、どこか……どこか穴か何かないのか……」
そんな戦場の中を一人で外壁に向かう少年がいた。C-3クラスに所属するランダ子爵家の次男、ルーフレッドだ。彼はまるで側溝を逃げ惑う小型の鼠のように無人の街を走り、外壁から脱出できる場所を探していた。
「何が全員で生き残るだ、バカバカしい」
カタカタと自分の歯が立てる音を誤魔化すように小声で吐き捨てる。3日前、アティネが叫んだ言葉は生きるために戦う。戦うために前を向く。そういったものだった。彼女の振る舞いが貴族としての義務感と誇りによるものだということは理解している。しかしそうと分かったうえでルーフレッドにはアティネの言葉が夢物語で現実を糊塗し、ただ仲良く死に絶える瞬間まで少しだけ自己満足に浸るための、まるで死ぬ間際の麻酔のような言葉に聞こえていた。
「誇りなんて何の意味があるっていうんだ」
同じ子爵家の子供ということでアティネの称号が効きにくかったのも事実だが、根本的にルーフレッドはそうした影響に対して強い抵抗を持っていた。根底には幼い頃に伯爵家であったランダ家が子爵へと降格されたことによる権力への不信感が大きくある。幼い彼には親がヒステリックに叫ぶ言葉が世界の真実であり、ランダ家は汚名を着せられただけだと思っていたのだ。流石に今でもそれを真実だと思いこむほど子供ではなかったが、貴族の誇りだなんだというお題目に乗っ取って動く世の中のせいで自分たちが嫌な思いをしたのだと分析していた。つまり自分に非があるかないかではない、自分が嫌な思いをするかどうか。そこに価値の軸足を置いた、まさしく自己中心的な物の見方である。
「ない、ない、ない……」
血眼になって己だけの活路を探す彼には、アティネの行動は極めて愚かしく映った。大勢でリソースを分け合い、最後まで希望を持って死ぬなど御免被る。可能なだけ自分が確保し、自分だけでいいから生き残る。そんな卑しい考えに支配されているのだ。
「ちっ、そろそろ戻らないと……」
ルーフレッドは愚物だが、同時に自分が世界で一番偉いと思えるほど能天気でもない。そこらの肥え太った貴族とは一線を画すタイプだ。一線を画すだけで分類はロクデナシだが、それでも頭は正常に回る方だった。所詮同じムジナでも、違う穴のムジナである。そしてムジナという動物は臆病なのだ。そのため脱出計画を入念に練って、この危機的状況であっても3日をかけて準備をした。焦って今さらフイにはできない。そう思って教会へ戻ろうとしたときだった。
「おい、お前、何してるんだ?」
「!!」
弾かれたように後ろを振り向く。そこには一人の冒険者が立っていた。様子からして外壁に上ってくる悪魔と戦い、一旦休息をするために教会へ向かう途中だったのだろう。黒い血が鎧の表面で生乾きの嫌な照りを見せていた。
「あ、いや、ちょっと見回りを」
ルーフレッドは脱出用の食料を手に入れるために炊事班へ男手として参加し、外壁のほころびを探すために抜け出しやすい子供の相手や些細な喧嘩の仲裁を買って出ていた。つまり多少は信用があるのだ。それを上手く利用して流そうと微笑むが、冒険者は長年の感覚から眉を寄せた。
「その鞄、冒険者がよく使うものだな」
「こ、これは食料や薬を運ぶの頑丈だったから貸してもらったんですよ」
「食料?」
「ええ、見回り中に食べられるモノが街中にまだあったら持って帰ろうと思って」
「腰の短剣は?それはたしかCランクの「森の鏃」の戦士が持っていたヤツだろう。鞘に珍しい彫刻があったから覚えている」
「っ」
ルーフレッドは自分が疑われていることを察した。そして言葉を失った。なにせ彼は基本的に口先と利己的な立ち回りで上手くやって来た人間。そんな彼は今、怪我人から奪った鞄にくすねた食料を詰めて、同じく盗んだ剣で武装した脱走間近のスタイル。どう言い繕えばいいかすぐに思い付けるほど機転の利く輩ではない。
「まさかとは思うが、こんな状況で外に逃げようとしているのか?」
冒険者の言葉は憤りよりも呆れに彩られていた。外の状況が分かっていないんじゃないか、と。その態度はルーフレッドに強い不快感をもたらした。窘めるような視線が自分を小馬鹿にしているように感じられたのだ。だがそれで怒鳴るほど馬鹿ではなかった。
「……どうですか?俺と一緒に出るなら、逃げだせる方法があるんですよ」
その言葉に嘘はない。ルーフレッドには自分が生き残る道筋があった。そうでなければいくら壁の内側が馬鹿しかいなくとも、悪魔しかいない外よりはマシだと留まったことだろう。
「お前、何を言ってるんだ?逃げ出せる方法って、あの悪魔を掻い潜ってか?この場を逃れるために言っているなら止めておけよ、外は本当に危ないんだ。もし本当にあるなら……そうだな、それは教会に戻って話し合おう」
冒険者の言葉は正常な範囲での応答であったが、ルーフレッドにはひどくお題目染みて物分かりの悪いものに思えた。なにせ全員助かるような方法なら端から共有しているわけで、こうしてコッソリやっていることからも一人二人でならばこその方法だと分かるはずだからだ。
「……」
しかしどれほど愚かな相手でも侮れはしない。冒険者はここでルーフレッドを見逃さないだろうし、戻れば共有させられる。彼の抱えている大きな秘密を話さずにそれを成すのは無理なことだ。話すと言う選択肢はない。それは死と同義なのだ。一番無難なのは口から出まかせだということにして、今の行動も不安に駆られたからだと説明すること。
「……チッ」
それはルーフレッドにとって耐えがたい屈辱だった。恐怖を抑えて頑張っていると、そう思いこんでいる馬鹿の集団の前で一人恐怖に屈したと思われるのだ。よほど賢い自分が。想像しただけで剣を抜いて斬りかかってしまいたいほどに腹立たしい。それで勝てないと理解できるからこそ自制しているだけだ。
「ほら、行くぞ」
そう言って踵を返す冒険者。ルーフレッドが奥歯を噛み締めながらも一歩踏み出そうとしたときだった。湿った破裂音がして冒険者の背中から腕が生えた。
「……え?」
赤黒い液体が吹いて彼の頬を濡らす。手がゆっくりと冒険者の体から引き抜かれ、支えと心臓を失った冒険者がどさりと石畳に崩れ落ちる。誰がどう見てもその男は死んでいた。
「……え、は、え?」
混乱するルーフレッドの視線の先には異様な風体の化け物がいた。身長は2mほどもあるだろうか、修業の果てに極限まで体を絞ったような筋肉と骨しかない細身。肌は焼き固めたように黒く、ところどころに走る罅からは紫の光が漏れている。顔は下顎のない骸骨をおぞましくデザインし直したよう。濁った黄色の球体が淡く光りながらその眼窩には収まっていた。
「あ、あく、あくま……っ」
喉から引き攣った声が出た。トーガのように白い布を纏ったその化け物は血の滴る指先を下に向け、まるでアリが見上げているのを見るような無感情な目をルーフレッドに向けた。
「ひっ」
ルーフレッドが必死に後退ろうとしてもバケモノは一歩も動かない。かわりにその背後からひょっこりと別の男が顔を出した。
「申し訳ありませんネ、ルーフレッドさん。脅かしてしまって」
慇懃で軽妙な声。まるでやり手の商人のように愛想よく笑うそれは見る限り人間の男だ。だがこの状況にあってにこやかな声を出せる時点で普通なはずもない。
「お、お前!金輪屋の……!!」
ルーフレッドは男をよく知っていた。金輪屋と名乗る怪しい商人で彼の家にも時折顔を出していた者だ。いつだって礼儀正しいがどこか貴族をなんとも思っていない空気を纏い、どこで手に入れてきたのかも分からない面白い物を売りつけてくる。だが男がただの商人ではないとルーフレッドもとっくに知っていた。
「落ち着いてくださイ。コレは私の護衛ですから、何の害もありませんヨ」
「ほ、本当に悪魔を制御しているのか……!?」
「もちろんですとも。ルーフレッドさん、私が嘘を言ったことがありますでしょうカ?」
爽やかな笑みを浮かべる男は、しかし邪悪な存在だ。なにせ彼の頼みでルーフレッドが学院に持ち込んだ短剣こそ、夏休み直前に起きた悪魔騒ぎの元凶なのだ。見つけたらすぐ届け出るよう厳重な通達とともにスケッチが回って来たときは、ルーフレッドも冷や汗が出た。
「フフ、しかし私も驚きましたヨ。あんな事件のあとですから、信じてもらえないかト」
男の言葉にルーフレッドは再び奥歯を噛み締めた。3日前のアティネの演説が終わった直後、教会の外に食料を探しに出た際に見つけた明らかに自分宛と思われるメモ。そこには短剣のことで協力してもらったお礼にルーフレッドだけ助け出すと無駄に装飾的な文体で書かれていたのだ。もちろんまた仕事の手伝いを頼みたいと、呪いめいた一文が添えられていたが。
「あの短剣のせいで学院は悪魔に襲われた。だったらお前が悪魔と繋がっていることは明白だろう」
悪魔と繋がっているなら、そしてルーフレッドを利用できると思っているのなら、助けるという言葉はある程度の真実味を帯びてくる。それに縋るかどうかは、当人の気質次第だろうが。
「フフ、ンフフ……流石ルーフレッドさんですネ。では脱出の前にいくつか確認ですヨ」
男がバケモノをトンと叩く。それを合図にバケモノは冒険者の死体を持ち上げ、顔が見えるようにルーフレッドの前に差し出した。
「うっ」
心臓を一撃で破壊されたせいで口や鼻からは夥しい血が溢れ、涙のように目からも滴り、受け身も取らずに倒れた勢いで歯や鼻柱が折れている。それまで自分に話しかけていた男の凄惨な死に顔は少年の胃袋をひっくり返すに十分だった。
「さて、ルーフレッドさん。貴方に質問ですヨ。この冒険者は貴方を見つけ、卑劣にも一人で逃げ出そうとしていると知っても激昂しませんでしたネ。むしろ親切にも外がどれほど危険であるかを教え、咎めず、戻って話し合う余地を設けてくれさえしましタ。そんな彼を貴方は切り殺してやろうと思っタ。あまつさえ、こうして私の部下が始末したことで安堵していル。そうですネ?」
「うぉぇ……ち、ちが……」
「違わないでしょウ?別に私はそれでイイと思っていますしネ……で、ですヨ」
責められているのかと思えば悪趣味にもなじっただけ。その上で優しい声をもって肯定する男。ルーフレッドの心は瞬間的に揺らいだ。楽な方へ逃げようと、化け物が掴んで差し出している酷い死に顔から目を背けようと。
「最後の確認ですヨ。貴方はここの人々が全てこの男のようになっても、それでも逃げて生き延びたいと思いますカ?惨めな死を撒いてイイのですカ?自分だけ生き残って後悔はしませんカ?」
甘い蜜のような言葉だ。答えなど分かっていると言うように甘く耳に滴り落ちる毒の密。それを聞いてルーフレッドは逡巡し、そして引き攣った声で答えた。
「い、いいさ……最後の最後まで前向きに、希望に満ちて死ねるなら、あいつらはそれがいいって言うんだ、だ、だったら好きにさせてやろう!それにどうせ全員死ぬか、俺だけ生き残るかなら、生き残った方がいいに決まってるっ!簡単な、そう、簡単な足し算と引き算の問題さ……」
己に言い聞かせるように、男からもらった甘い蜜を意識に塗りたくるように、まくし立ててルーフレッドはバケモノの影に立つソレを見る。
「ああ、生き残りたいね。俺だけを助けてくれ、金輪屋!」
金輪屋は、嗤った。
「ああ、なんて見下げた根性。これぞ人間、これぞ下等生物。イイ答えですヨ、ルーフレッドさん」
あまりに酷い言いぐさにルーフレッドが文句を言おうとして口を開いた瞬間、ゴツっと重い音が脳内に響き渡った。耳で聞いた音ではなく、まるで自分の声が体内を伝って聞こえてくるような感触だった。それから妙に鉄臭い空気が肺を満たす。見れば金輪屋が手をこちらに伸ばして立っていた。あたかも何かを投げたような姿勢だ。
「が、ぶっ……!」
突然の激痛。声が出ず、ルーフレッドは自分の口元を触った。そしてようやく、自分が開いた口に棒状の物が挟まっていると気づく。握ってみるとそれはまるでナイフの柄のようで。
「ぶ、ぶぇ、がぼばっ」
溢れてくる苦い液体。増していく痛み。パニックに陥りながらルーフレッドは咄嗟に自分の後ろ首を触った。尖ったものが指を傷つける。ナイフが彼の喉を貫通しているのだ。それなのになぜ自分は死んでいない。恐怖の中にそれを超える何かが生まれた。
「どうですカ?先日できたばかりの最新作でス。最低の貴方に差し上げる選別ですヨ。あ、そうそう、最後の仕事は思うまま暴れることでス。さあ、踊り狂ってくださイ。全ては昏き太陽のためニ!」
楽しそうに金輪屋と呼ばれたモノが叫ぶと、ようやくルーフレッドの意識は途切れた。彼が最後に見たものは黒い炎が視界を覆う瞬間だった。
~★~
「ぎゃああああ!!」
悲鳴が広場に木霊する。街の衛兵だった男が壁に叩き付けられて死んだ。叩き付けたのはこれまで襲ってきた紋切り型の悪魔じゃない。もっともっと筋肉質で膨れ上がった上半身と、焦げた骸骨の頭を持つ異形の個体だ。翼はないし鎧も着ていないけれど、右腕が剣と一体化している。
「どこから湧いたのよ、コレ!!」
「さあね!けど倒さないとヤバいだろう、コレは流石に!!」
その剛腕は今まさに一人殺して見せたように、簡単に人の命を散らしてしまえる。それどころか外壁を破壊して外の悪魔を引き入れることすら可能だ。そんなもの、ここで始末しないと疲弊しきった戦線は瓦解する。
「ティゼル、ちょっとマジでやるわよ!」
「ずっとマジだけどね、アティネ!」
ここに及んでもまだ能天気な口答えをする弟。逆にそれを頼もしく思いながら、左手の剣を構える。連日の戦いで何度か取り落とした経験からベルトで柄と手をぐるぐる巻きにしてあるので、それがちょっとした籠手のようになっていた。
「そこの双子、無理しないでよ!」
化け物のすぐ後ろにそびえる外壁の上でアルマン先生とヴィア先生がこっちに杖を向けていた。
「そんなこと言われても、コイツ今までの悪魔と格が違うわ!」
「だね……これは新技、ぶっつけ本番かな?」
「やるしかないなら、やるだけよ」
右手の杖を引いて左手の剣を前に出す構え。二人で同じ姿勢をとってバケモノと相対する。
「グォオオオオオオオ!!」
骸骨の奥から地響きのような咆哮を上げて化け物が踏み込んだ。まるで巨大な腕を足のように地面について体を支え、四足獣のごとき速さで突っ込んでくる。アタシとティゼルは真逆の方向へ跳んでそれを躱し、同時にこの数日ですっかり慣れたエレナ直伝の詠唱短縮で魔法を放つ。
「風の理よ!」
「火の理よ!」
ウィンドボールとファイアボールに挟まれた悪魔。しかしどちらの魔法も黒く焦げたような皮膚に当たって弾けるだけ。何の牽制にもならない。そこへ壁上からファイアランスとウォーターランスが1発ずつ着弾。黒い血を少しまき散らして背中の皮を破って見せた。
チッ、さすがに先生たちの魔法には追いつけないわね……。
「アティネ!」
歯噛みする間もなく化け物が腕を軸に身を翻し、こちらへその汚い黄色の目を向けた。
「バカ悪魔、レディの後ばっかり追いかけると嫌われるわよ!」
捨て台詞を残して今度は前に飛び出す。巨腕の横を抜きながら剣を振れば、まるで石を打ったような感触とともに弾かれた。だが黒い皮膚に傷はついている。こちらも身を翻し、駆け抜け、小回りの利かないバケモノに杖を向けた。
「風の理よ!」
放たれたウィンドボールが傷に命中。皮膚を食い破って無色の刃を肉に突き立てた。
「グォオオ!」
そのまま後ろに跳躍しようとしたところで化け物は強引に方向転換。アタシ目がけて再三の突進。けれどそれは外壁から投下された火魔法の群れによって阻まれた。アルマン先生は『マルチキャスト』が使えるらしい。エレナは微妙スキルとか言っていたが、普通に強いスキルだ。
「グゥ!!」
唸り声を上げて化け物がアルマン先生を振り仰ぐ。そこへティゼルが飛び込み、黒い胸板を青いスキル光の輝く切っ先で切り付ける。筋力はアタシに劣る弟だけど『剣術』のスキルレベルはずっと上だ。見事巨大な胸に傷が刻まれた。
「ティゼル、行くわよ!」
「来い!」
上からのウォーターランスが悪魔の足を貫く。その隙に私はウィンドバレットをティゼルへ放った。彼は涼しい顔で自分の剣をくるりと回し、迫る魔法を正面から切断した。否、「纏った」のだ。己の剣に。
『双璧』応用技・即席魔法剣
「ハッ」
ウィンドボールの荒れ狂う風を纏ったティゼルの剣が悪魔に突き出される。それを巨体はギリギリ腕で防ごうとし、失敗して指を一つ失った。だがカウンターでもう片腕の巨大な剣が振るわれる。ティゼルは咄嗟に剣を盾にしたが吹き飛ばされた。
「風よ、受け止めよ!」
咄嗟に唱えた風の魔法で弟をキャッチ。すぐに自分の足で立ったティゼルはアタシにアイコンタクトを飛ばしてくる。思っていたより反射速度が速いし頑丈だ。知性は低そうだが、それでも本能だけで動いているにしてはマシな反応をしてくる。
これまでと違う形状の悪魔、誰も侵入を許してないのに内側から現れた状況、夏前の事件……もとは人間てトコかしら。
嫌な想像が浮かぶ。だがアタシが考えるのはそこまでだ。この状態になったらもう助けられない。色々隠し玉を持ってそうなアクセラが救えなかった相手を、彼女以下の戦闘力という貧相な札1枚しかないアタシたちが救ってあげようなんて……バカだ。
「先生!ガンガン魔法撃ってちょうだい!!」
我ながら無理難題を吹っ掛ける。それでも上にいるこの街で最強の魔法使い二人は黙って魔法を降らせてくれる。あの二人の腕前は信用できる。
「ティゼル、風の魔法少し詠唱かかるからよろしく!」
「無茶ばっかり言うなあ、もう」
しぶしぶと言った様子で剣を構える我が弟に前線は任せてアタシは詠唱を始めた。が、またも悪魔が突進の標的に選んだのはアタシだった。
「グゴァ!!」
「バカ、コッチ来るんじゃないわよ!」
横に転がって回避。それでも追尾してくるバケモノを『速剣術』のスライドムーブで更に横に避ける。ガリガリと地面を削りながら三度方向転換を図るバケモノ。その顔にティゼルの『長剣術』リープスラッシュが青い光を引いて炸裂した。
「人の姉に付きまとうの、止めてもらえるかい!」
「キザったらしいわね!」
吐き捨てながら数度後ろに跳躍して詠唱を再開する。そのタイミングで輝くウォーターランスが無数の矢へと変じながら着弾。ヴィア先生の不可思議な魔法に背中をハリネズミのようにされたバケモノ、流石の圧に膝を屈する。そこへ更に爆発性の火魔法が3発降り注ぎ、ティゼルの剣が足の腱を片方切断する。
「ガァアアアア!!」
獣のような声を上げて起き上がったバケモノから距離をとる弟に杖を向けて叫ぶ。
「いくわよ!」
「了解!」
威勢のいい返事。アタシは魔法を解き放つ。高密度に圧縮された空気の刃が敵を切り裂く広範囲用の斬撃、風魔法中級『エアロスラッシュ』。不可視の刃を潜るようにティゼルが身を屈め、『双璧』のバフが乗った剣で魔法を切り裂く。わずかな空間の歪みが横広の刃型から弟の剣を覆う形に変わった。
「よし、いった!!」
『双璧』を研究するうちに見つけた特性、二人をつなぐラインは複雑なものだ。スキルや称号の効果を共有する「スキル借用」に留まらない。互いの魔力を融通したり、魔力の質を似せたりする「魔力同調」、これは細かい使い方ができる。
まあ、どれもこれも普通にスキルや魔法を使うより効率や効果は落ちるけど……。
「だとしても!」
もとから双子のアタシたちが魔力を似せると、ほとんど同じ性質を偽装できる。そして「自分の魔法」であれば魔力、努力、イメージ力でいくらでも形を変えて応用できるとエレナは教えてくれた。一人だとまだ甘い制御も発動を分担すればいい。お互いの魔法を剣にぶつけ合って宿せば成功率が上がる。それがこの疑似的な魔法剣。
「見なさい、アタシたちの努力の成果を!」
アクセラとエレナの影響を受けてのことではあるが、アタシとティゼルは夏休みの間ずっと話し合い、喧嘩し、試行錯誤し、また話し合って、喧嘩して、鍛え合った。そうして悩み抜いて生み出したアタシたちだけの、世界にたった一つの技術。
「行け、ティゼル!」
「はぁああああ!!」
「グゴォオオオ!!」
剣を振りかぶるバケモノ。その巨大な上体の真下を潜って『速剣術』スライドスラッシュを背後からアンバランスに細い腰へ叩き込む。圧縮された空気の刃が内側のスキル光を場違いなほど美しく拡散させる。青い輝きを纏ったその一撃は、そのままバケモノの上半身と下半身を真っ二つに断ち切った。
「ギォオオオオオオオ!!!」
骸骨頭の奥から絶叫を迸らせながら、それでもバケモノは死なない。黒い血をまき散らして吹き飛んだ下半身を捨て置き、断面から血と内蔵らしきものを溢すのも構わず腕だけでガツガツと走り出す。
「なっ……!?」
剣腕と4本指の手で走駆する様はまさしく悪夢だ。
「しまった!火の理よ!」
「風の理よ!」
アタシたちが撃った魔法をボロボロの背中でくらいながら化け物は外壁へ激突する。そしてそのまま腕を壁面に突き立てて垂直面を走り始めた。狙いは明らかに上で魔法を用意している先生たちだった。
「先生!撃ち落として!!」
まるで一対の足しか持たないムカデのように外壁を駆けのぼるバケモノに魔法部隊と先生から無数の魔法が叩き込まれる。黒い煙と赤い炎が膨れ上がって外壁を揺らす。しかしその爆炎を突っ切って黒い皮膚のほとんどを失った、黒い筋肉の塊が飛び出した。
「火の理は我が手に……!!」
続け様に詠唱を結び、杖を振り下そうとしたアルマン先生を横薙ぎの剣腕が捉える。
「あ!?」
この距離でも軌道を捉えるのがやっとの凄まじい薙ぎ払い。鉄色と黒の混じった剣は背の高い女魔法使いの足を一刀で奪い、軽い体を枯葉のように吹き飛ばす。それでも先生は最後の瞬間、火魔法を5発もバケモノに叩き込んだ。化け物の剣が赤く輝いて溶け、半身は焼けただれて煙を吹いた。
「アティネ!」
「わかってるわよ!風よ、受け止めよ!!」
一枚、二枚、三枚と風のクッションを展開して落下する先生を減速させる。ギリギリ地面を打ち据える直前で彼女の速度はゼロになった。教会からようやく駆け付けた聖職者がアルマン先生を抱きあげて後ろへ下がる。
「穿て、穿て、穿てッ!!」
ここまで聞こえるほどの叫びでヴィア先生が輝くウォーターランスを3発も撃ちだす。悪魔がよけようとして掴んだ外壁が崩れ、貫通力を底上げした魔法を全て胸の中心で受けながら異形は再び石畳を叩き割って着地。
「トドメ行くわよ!」
「ああ!」
即席で互いに魔法をぶつけ、それを互いに切り捨てる。アタシは燃える炎の即席魔法剣、ティゼルは風の即席魔法剣。まったく同じ速度で走り、その勢いのまま黒い筋肉の化け物に刃を突き立てる。繊維をブチブチと切り裂く気持ちの悪い感触がした。
「ティゼル!」
「アティネ!」
悪魔の大振りな剣を跳躍して躱す。アタシの剣が骸骨頭を削る。ティゼルの剣がまだ皮膚の残る脇腹を裂く。振り回される剛腕を潜る。ティゼルの剣が胸板を抉る。アタシの剣が手首を切る。突き出される剣を横に避ける。二人の剣が腹に突き立つ。渾身の筋力で筋肉を貫通し、更に内蔵を焼くように。風と火が体内で混じって切断と燃焼を同時に発生させる。化け物の腹が膨れ、内側で爆発が起きたように鈍い音を響かせた。断面から中身が吹き出す。
「アティネ、下がるよ!」
「分かってるわ!」
即席魔法剣の弱点は効果時間の短さ。それが分かっているから連撃を終えたら退く。完璧に練習通り。そう思ってアタシたちは同時に後ろへ跳んだ。が、青いスキル光が消えた瞬間、アタシの剣が砕けるように折れた。
「うそっ!?」
バランスを崩したアタシは後ろに倒れ込む。剣を引き抜くつもりでかけた力は、無手だと勢いが強すぎたらしい。そして即席魔法剣を何度もやるには、特に火を纏うには、借りてきた剣は頑丈さが足りなかったようだ。それかスキルレベルが低いのに馬鹿力で振り過ぎたか。一瞬が異様に長く引き伸ばされ、頭のどこかでいやに冷静な自分がつらつらと分析する。その一方で、腹に鉄を刺したまま熊のように腕を振り上げるバケモノに脳が壊れたような警鐘を鳴らす。
あ……やば……っ。
倒れ込み、逃れるために身を翻すには時間がない。頭が真っ白になった。
「アティネ!!」
振り下ろされる拳とアタシの間にティゼルが割り込んだ。
「……え?」
黒い剛腕を受け止めた剣が防御スキルの光を弾けさせ、続いてアタシの剣と同じく砕ける。
「や、止めて!!」
金属片の食い込んだ拳はそのままアタシの弟を押しつぶそうと振り下ろされ……激突の寸前、真っ白に凍って砕けた。下半身に続き腕まで失った巨体が狙いを外して地面にダイブ。あまりの重量に体がわずかに浮いたほどだ。
「こ、氷魔法……?……ッ!」
自分の声にはっとなる。それどころじゃない。アタシは震える足に無理やり力を込め、ようやくのことで立ち上がり、砕けた腕の破片を頭から食らった弟に縋りつく。
「ちょっとティゼル!嘘でしょ、嘘でしょ!?死んでないわよね、このバカティゼル!ちょっと!ちょっとってば!!」
バカに重い破片を押しのけてティゼルの怪我を見る。素人目には酷い怪我はないが意識を失っている。どれくらい悪いのかはアタシでは分からない。
「せ、聖魔法!そうだ、神官のところへ……」
弟の体をなんとか抱き起したところで、ぐらりと倒れていた巨体が動きだす。
「!」
しまった。ティゼルのことで頭が一杯になって、周りの状況が頭から抜けていた。
「アティネさん、動かないでください!」
今まで聞いたことのない鋭い声で先生に叫ばれ、アタシは敵を前にして思わず硬直する。そしてそれが正解だったことをすぐに悟った。頭上から5本のアイシクルランスらしき氷柱が降ってきて、その一本がすぐ目の前に突き立ったのだ。
「氷の理は我が手に依らん!!」
いつの間に詠唱していたのか、その声と同時に氷柱で囲まれたバケモノに白く霜が降りだす。異変に気づいて剣を振り回す悪魔。しかし氷柱を一本砕いたと同時に腕がそれ以上動かなくなった。凍り付いたのだ。
こ、こんな強力な氷魔法……一体どうやって!?
あの先生が氷魔法を隠し玉に持っていたのも驚きだが、ティゼルに振り下ろされた腕を凍らせ破壊したのとは違う魔法のはずだ。あれから一瞬でコレを行使した?そんなバカな。
「ゴガァアアアアアアアア……アア……アァ……ァ……」
凍った剣腕を引き千切って支えを失った化け物が肩を支えに、焼けた骸骨の頭だけで天高く吼える。それすらやがて凍り付いて、跡には悪趣味な白っぽい氷像だけが残った。
「お、終わった……?」
アタシは再三動きださないかと警戒しながらティゼルを抱き起こす。弟を抱えてゆっくり後退る間も動きだす気配はない。
「二人とも、大丈夫ですか!!」
「ひゃあ!?」
急に声をかけられたアタシは飛び上がった。ティゼルを落とさなかったことを姉として褒めてほしいくらいに驚いた。見るといつのまにか先生が外壁を降りてアタシのすぐ傍に立っていた。服が水にぬれていることから、アタシの風のクッションと同じことを水でしたのだと分かった。
「だ、大丈夫だと思うわ。その、ティゼルを神官に、見てもらわないとだけど」
それでも大丈夫だと思った。抱き起して分かったが、ちゃんと呼吸も心拍も安定している。衝撃か痛みで意識を失っているだけだ。
「そ、それより!先生ったらあんな大技持ってたの!?」
アタシの詰問に先生、ヴィア先生は視線を逸らした。
「すみません、詠唱に時間がかかるのと魔力消費が激しすぎてあまり使えない魔法でして……」
「え?」
いや、それはおかしい。だって悪魔の腕を折った魔法から氷柱の落下まで大した時間は開いてなかったはずだ。
「ま、まあ、今はいいわ。でもありがとう、先生。ティゼルを守ってくれて」
「え?あれはアティネさんがしたんじゃ……」
「え?いや、アタシは氷使えないし……」
先生と二人で目を見合わせる。そして悪魔の亡骸の方を向いた。その後ろは確かに外壁しかない。しかないが……穴が開いていた。
「た、大変だ!外が!!」
壁内での戦いに決着がついた今、外の敵へと目を戻した壁上の冒険者が急報を告げる。でも、アタシも先生ももう分かっている。だって壁を穿った向こうに見えているのだから。
教会都市の外には雪が降っていた。悪魔を片端から凍らせる恐ろしい、死の雪が。そして死の雪の中をはためくは祖国ユーレントハイム王国の軍旗。
「あの娘、無茶苦茶だわ……」
これだけの吹雪だ、きっと一人の魔法使いがもたらした魔法じゃない。けれどその中心にいるのが誰か、不思議とアタシはわかってしまった。緑の目を怒らせた、蜂蜜色の髪の少女。アタシの親友。
「ほんと、無茶苦茶よ」
自分で言っていて驚くほど、呆れ声には安堵が籠っていた。
次週、依頼を出していた拙作の表紙がお披露目です!
~予告~
物語は籠の鳥のアクセラに戻る。
変態トワリの行動は歪さが現れだし……。
次回、違和感




