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十章 第7話 奥義の先の先 ★

「紫伝一刀流はなんでもあり、ごった煮の剣術。時には邪道流派とも呼ばれる」


 厳密にその来歴を言うならば、デンタ=ミヤマという一人の農民から全ては始まったと述べるべきだろう。彼は戦乱の中で盗賊となった落ち武者に故郷を焼かれ、その後村の生き残りを拾ってくれた寺院で念流という流派を学んだ。彼はその道の才能があったらしく、熱心に修業を積んでから寺院の者の伝手を頼って別の神を崇める神殿へ向かった。そこで天真正伝香取神道流を学んだそうだ。

 本当に天才だったんだろうな……。

 これは師の世界で全ての流派の源流とされる3つの剣術の内2つを基礎として学んだということになるからだ。その後デンタは行方をくらまして修業にあけくれ、40代にして霊峰の一角とされるイコマ山に籠った。神話の時代、後の王族の始まりとされる半神の英雄と地上に住まう当時の王が激闘を演じた山だそうだ。そして霊峰の頂上にて落ちる雷を見、剣の真理を悟ったことから我流の剣を紫電一刀流と名付けた。以降はご存知の通り、方々の戦場や道場を尋ね歩いて目を引く技を齧って回る邪道の歩みが始まったわけだ。


「混ぜこぜのキメラだけど、だからこそ見えるものも知ってるものも他流派より多い」


 それこそが紫伝一刀流の強みであり、なによりこの世界に持ち込まれて技術の開花に寄与しえた原因である。デンタは己の剣の真理を息子に伝えたそうだが、二代目は流派に交じる数多の要素から父とは全く違う剣の悟りを得たという。このことから彼は三代目以降、剣の先にあるものを雑談以上のレベルで伝えることを禁じた。それは剣士が己の悟りを己で得ねば意味がないという二代目の信念で、これが現在この世界に息衝く紫伝流の「何を剣に込めるかは人それぞれ」というスタンスに繋がっている。門下は師の悟りを目指して、見えている天井を追いかけるのではない。己の悟りを求めて方々当てもなく走り回るのである。これが技術の発展に大きく貢献した、いわば原動力であった。


「師の世界の剣術には魔剣、秘剣という概念がある」


 もちろん魔法回路が仕込まれている我々の世界にある魔剣とは何も関係がない。


「鍛え上げただけでは決してたどり着けない。才能があったとしてやはりたどり着けない。天才を超える鬼才、常軌を逸する鍛錬、そして何かの切欠。その先に一人が一つだけ生涯に得られるかどうか、そんな再現不能の剣の技」


 あるいは剣の悟りと双璧をなす剣士の宿業を体現するモノか。

 そう思いながら指を二本立て天井目がけて振る。ベッドの上にだらっと横になったままではあるが、その斬線は綺麗な弧を描いた。


「これを紫伝一刀流では我剣と呼ぶ。一人の剣士の我が極まって生まれた剣術という意味で」


 例えば師の世界にて異様に長い刀を操ったというコジロウ=ササキは燕返しなる神速の初太刀からほぼ同時に二撃目を繰り出す技を編み出した。跳ぶ燕を斬らんと欲したというが、普通の人間はそんなことをしない。

 動乱の時代に生まれたソージ=オキタは三段突きと言って同時に三か所の急所を貫く技を扱った。内紛が激化していた時期とあれば確殺の剣をひっさげて名を轟かせる剣士は値千金だったろう。

 一刀流という高名な流派、その開祖であるカゲヒサ=イットウサイ=イトウと言う男は払捨刀、夢想剣という二通りもの絶技を操ったと言われる。いずれも一対多の絶体絶命において生き延びるため剣の最適解を導きだせたがゆえの剣筋だ。


「どうせなら師も、一刀流や念流をきっちり学んでいればよかったのに……」


 そう思わずにはいられない。なにせ来歴だけは師範試験で出されたので諳んじているが、こちらの世界の人間は誰一人として出てくる流派や人名、地名が分からないのだ。師の機械鎧も娯楽本のデータばっかりでその辺りの情報はさっぱりだった。


「と、話が逸れた」


 振り払った指を解いて俺は腹の上にのる温かい重みを撫でる。指の腹で少し強めに掻いてやると小さく唸ってそれは気持ちがいい事を示す。


「もちろん私たちの世界でこれらの技を再現するのは難しくない。イットウサイのは超越者でないとむりだけど、見えないくらい早く二撃目を振ることは簡単。三段突きは武器スキルの初歩」


 悲しいかな、師の世界の住人より我々の身体能力は遥かに高い。魔法もあるしスキルもある。だが逆にそれらがない環境で独力のみをもってそうした剣を得るのがどれだけ難しいか、想像すら容易にはつかない。


「我剣を得ることは紫伝一刀流の師範にとって後人の育成や剣を愉しむことにならんで重要とされる。一種の義務と言ってもいい」


 絶やさぬこと、愉しむこと、研ぎ澄ますこと。これが紫伝一刀流の師には大切となる。


「それは個人の我の境地たる我剣すら、紫伝は解き明かして流派の一部にするイカれたところがあるから」


 つまり完全に個人の才能と独特の悟りによって発明された一代限りの技をできるだけ汎用化して、流派の一部として後世に伝えたいのだ。あらゆる流派を摘まみ食いして出来上がる異形の悪食剣術らしいと言えばらしい。


「魔法や魔術やスキルを使える環境。当然、才能のある者は三つ四つと我剣を生み出す」


 前世の俺も三つの我剣を持っていた。ナズナは死別したときで二つ、カリヤも二つ。中でもナズナの牙城という我剣は本当に再現不可能な代わりに凄まじい効果を持つ。なにせエクセララの二枚目の防壁とも呼ばれるほどで、一軍を相手に防衛ができる極めつけの絶技だ。


「対して私は、まだ我剣を一つも持たない」


 エクセルだった頃の我剣は今の俺では使えないのだ。筋力をはじめあらゆるものが足りない。腕の長さ、踏み込みの距離、目端の鋭さ……全てが足りない。そういう意味で俺の前世というものは、現在アドバンテージではあれど絶対的な力ではないのだ。あくまでスタートダッシュで大きくリードしているだけ。才能と努力と試練がなければいずれ追い抜かれる程度。


「で、これは何の独白なのである?あといい加減イーハを撫でるのは止めるのである、お姫様よ」


 ベッドでぐだぐだと一人で喋っていた俺に傍らのバロンがため息交じりに尋ねる。一方、俺の腹に頭を乗せてふにゃふにゃになっているイーハは特に文句もないようで、心地よい時の犬よろしく低めの唸りを小さく漏らしている。


「元凶、トワリ侯爵をここから暗殺できる我剣に突然目覚めたらいいのに」


「無茶苦茶な現実逃避だったのである」


 呆れは諦めの色に変わった。だがあえて俺は言いたい。バロンは当事者でないからそんな口がきけるのだと。


「だって、結婚しろって、頭おかしいでしょ」


 俺が現実逃避に精を出している理由はたった一つ。しばし前にトワリ侯爵から受けた衝撃的な、衝撃的すぎる、衝撃以外なにも伝わらなかった、衝撃の告白だ。


「そうであるか?」


「頭おかしい」


「貴族ではよくあることであろう?」


「……」


 バロンの指摘に押し黙る。たしかに成人したばかりの貴族令嬢が高齢だが高位の貴族当主に嫁ぐということは、ないはなしではない。政略結婚というやつだ。


「……はぁ」


 反論が出てこないままに息を吐く。もちろん急に、それこそ今生に至ってから一度も検討してこなかったのに、我剣の話を持ちだしたのはただの現実逃避だけではない。あろうことかあの男の気迫に俺は呑まれた。剣の達人でもなければ賢人でもないただの変態に。思い返せば奥歯を噛み割りそうなほどの屈辱だ。だからこそ己のあるべき高みに視線を戻したかったのだ。

 けど、それが今の俺なわけだ……。

 アクセラという存在の今の限界、傷ついた肉体の限界、戻らない魔力の限界。あらゆる限界が折り重なって俺の剣は見上げる高みにほど遠いところで這いつくばっている。


「バロン、先に聞きたい。君はどれくらい知った情報を侯爵に伝える義務がある?」


 意識を切り替えてまず手近な情報源を洗う。


「基本的にはないのである。なにせ吾輩はあの生白い閣下とはなんの契約もかわしていないのであるからして」


 紳士風の悪魔の言葉は半ば俺の予想通りだ。そのことは侯爵自身も少し触れていた。イーハに首輪をかけることでバロンにも間接的な首輪をかけているのだと。


「ふむ、その考えは8割方合っていると言えるであろうな」


 確認を取るとバロンは頷いた。


「残りの2割は?」


「イーハを盾に取られると弱いのは事実であるが、彼女が死ぬと吾輩が消えるというのはやや間違いなのである。イーハを失っても吾輩はしばらく地上に存在できるのであるよ。己の魔力を切り崩せば、であるが。つまり本当にイーハを害するつもりなら吾輩は意図的に接続を切り、相手を始末するということもできなくはないのである」


 わずかに脅すような重い声で告げる悪魔。なるほど。そうなると扱いの危険度は大きく変わる。だが同時にイーハが奴隷となっている現状でも切らないくらいには、彼にとっても抵抗のある札なのだろう。


「それからもう一つ抜け穴があるのである。イーハが聞いていないこと、知らないこと、意識していないことは奴隷の首輪も感知できないのである」


「ん、たしかに」


 奴隷の首輪はどれだけ高級な物になっても変わらないことがある。それは着けた対象のことを監視していて、条件に違反すると対応する罰を与えると言う一問一答式にプリセットされたものだということ。

 たとえばイーハが「重大な情報を聞いた場合絶対に伝えるように、違えた場合は激痛を罰として与える」と命令されていたとしよう。俺が脱走計画を完成させたとうっかり彼女に話した時、それを報告しなければ首輪は継続的な激痛を彼女に与える。だが脱走計画のキーワードしか聞こえていなかった場合、しかもイーハの知識ではそれがなんなのか分からなかった場合には何も起きない。首輪は脱走計画について判断しているのではないのだ。イーハが意図的に隠したかどうか、それだけが判定の要因になる。


「つまりこうしてイーハの意識レベルが極端に落ちているときに吾輩とお姫様が会話しても、それは侯爵に伝わらないのである」


 使徒について報告したのは、ヴェルナーキ戦から回収された俺自身と刀の状態など、いろいろ隠し立てをするとまずかったためだそうだ。バロンは申し訳なさそうにそう付け加えたが実際のところはもっと打算的な理由があるのだろう。話してみるまで悪魔である己と奴隷であるイーハにどういう態度を示すか分からない、つまり侯爵に見咎められるリスクを負って助ける価値があるかどうか分からなかったのだ。

 もし協力的でないなら利用できる範囲で利用し、そして損切する。悪魔でなくてもそれくらいは考えるな。

 そうしたリアリストな相手は嫌いじゃない。むしろ自分の目的に対して真摯にプラスマイナスを計算できる者ほどいざという時の信頼がおけるし、なによりどう動くかが分かりやすい。目的が何かさえ把握していれば。


「なるほど」


 さて、そうなるとバロンの言うことやスタンスはどこまでが本当かな……?

 口では納得したようなことを言いながら俺は内心で思考を巡らす。相手はマレシスに憑りついたような下級とは根本的に違う、元爵位持ちの悪魔だ。その頭の良さは下手をすると人間以上。現時点で嘘を吐かれている可能性、それに目的がなんであるか。この2点を絞り込めばとりあえず利用し合う関係くらいは築けそうだが、下手をすればやはり使い捨てにされる。


「うむ……イーハは眠ったようであるな」


 言われて視線を向けると、俺の腹に頭を乗せた小さな獣人の少女はいつのまにか寝息を立てていた。半開きの口と自重で潰れた頬がなんとも子供らしくて可愛い。


「さて、お姫様。いやさエクセル神の使徒よ」


「……なに?」


 突然あらたまった口調に俺は来たぞと気を引き締める。油断のならない手合いでありつつも協力したい相手であることはバロン側からしても同じこと。悪魔と使徒という関係を超えてどれくらいの話ができるのか。全てはそこにかかってくる。


「吾輩から一つ頼みごとがあるのである。もちろん悪魔たる吾輩が一方通行な頼みなどするわけにいかぬので、きちんと対価のある取引であるが」


 悪魔との取引か。言葉にされるとゾッとするが、それくらいしないと脱出は正直できないだろうよ。

 冷静に自分のことを考えてそう結論付ける。体力はぜんぜん戻っていない。魔力は回復の見込みがない。満足に振るえる武器もない。土地勘もなく増援もない。そして相手は強大でおそらく手勢もバカみたいにいる。情報だって結局例の告白で聞きそびれてほぼゼロ。

 ふむ、こうして見るとむしろ首輪を填められた悪魔と取引したくらいで打開できるなら御の字だな。


「ん、言ってみて」


「うむ、そうであるな」


 まったく断られるとは思っていない口調でバロンは頷く。


「まず吾輩から提供できるものを伝えるのである。一つは情報であるな。イーハに危険の及ばない限りであるが、情報収集をして最新情報を寄越すのである。幸い侯爵は城の低級たちをきちんと管理していないであるからな、一体か二体支配下に置いて動かすのは簡単なのである」


 さすがは元男爵、爵位を失ったことを加味しても中級悪魔より上の存在。下級をさらに弱らせた雑魚など掌で転がせるというわけだ。


「次にイーハの害にならない範囲で、色々と脱出のための工作を施すのである。鍵をお姫様に渡すことは禁止されているであるから、その置き場所を伝えるなどであるな」


 鍵がすぐ手に入るのは大きい。何でもかんでも破壊して通ったのでは音や気配で脱走開始から数分とたたずに察知されてしまう。


「他にも色々と脱出の便宜を図って差し上げるのである」


 マフラーを介さず実体化したシルエットの腕を大きく広げてバロンは言い放った。まるで先を俺に促せと誘うように。そのショーっぽい動作に若干の鬱陶しさを覚えつつも俺はお望み通り先を促す。


「対価は?」


「もちろんお姫様の魂を……と言いたいところであるのだが、正直なところ魂や命は吾輩に不要なのである」


 悪魔らしからぬことを言ってバロンは肩を竦めた。それからひどく優しい声になって、眠る犬耳の少女をそっと影の指先で撫でた。


「脱出の際にイーハを、この娘を連れていって欲しいのである。それから可能であるなら吾輩とイーハの脱出後の身の安全……が無理であれば脱出後に見逃すことであるな」


 とにもかくにも脱出すること、か。

 一見するとそう多くを要求していないようにも感じられるが、この俺の状態で人を連れて逃げるのは至難の業だ。しかしそれを達成できないのであれば協力もしないと。

 まあ、どっちみち連れて逃げるつもりではあったんだが。奴隷の少女を置いて逃げるなんて、技術神の名が廃る。だが端から助けるつもりだと分かってしまえばこちらのカードは……いや、一個大きなカードがあったな。

 そんな心の中の本音を飲み込んで視線だけでバロンに先を促す。


「もうここの侯爵はダメである。あれは人の在り様から外れてしまったであるから、いずれ望むと望まざると、ただの化け物に堕するのである。そのとき、悪魔持ち(デュアルハート)のイーハはどうなるである?侯爵が人間に勝っても、人間が侯爵に勝っても、きっと生きてはいけないのである」


 悪魔持ち(デュアルハート)であるからこそ、その悪魔が強力な存在であるからこそ、イーハは幼くして奴隷になったにも拘らずあまり酷い目に合わずに済んできた。侯爵が戦うことを望めば彼女は戦力として使われるだろう。人間が侯爵を下せば他の使用人と同じく救いようのない悪魔の被害者として処分されるだろう。素早い処断を必要とされる悪魔の対処に別の方法をゆっくり検討してくれるとは思えない。


「君がイーハと契約を打ち切る手はない?」


 それならば人間側が侯爵を下したあと、イーハはただの戦災孤児として孤児院や救貧院に引き取られることになる。もちろん獣人差別が激しくないユーレントハイムといえども、彼女が奴隷上がりで自由村落の出身ということも加味すれば多少どこの施設にいれるかで配慮は必要だろうが。


「それはできないのである」


 俺が思惑を巡らせていると、それまでより随分とはっきりした口調でバロンが言い切った。このやけに献身的な悪魔ならそうした選択肢も十分視野に入れているかと思ったので正直ちょっと意外だ。


「それは、どういう意味?」


「……」


 尋ねる俺に彼は口ごもる。彼は言うべきか否かを悩んでいるのか、靄の体をかすかに揺らがせながらひたすらに黙する。


「……どうして、イーハに入れ込む?」


「……」


 依然として回答は沈黙だ。たしかに俺と彼の契約を表面的に見れば、俺がその理由を知る必要はない。だが彼が俺に協力してまで得たいモノの正体が分からないというのにおいそれと契約することはできない。悪魔との契約は甘美な蜜の味がする劇毒だ。どれだけ不平等な条件でも両者が頷けば成立するという性質上、何故その条件なのか、どうしてそれを達成したいのか……そうした細部が分からないのに契約すると酷い目にあう。特に彼は凡百の悪魔ではなく、かつて爵位を持っていたほどの賢く強力な存在なのだから。


「そこまで契約者を献身的に支える悪魔は見たことがない」


「……」


「私のことを頼るのは、それだけ選択肢がないから。違う?」


「……」


 かたや強力な悪魔、かたや奴隷や獣人の味方とはいえ使徒。俺が弱っていることを加味しても中々リスクのある選択だ。彼に他の手段があるならおそらく選ばないであろうチョイスだと言える。


「吾輩が」


 言葉を選びながらバロンは空気を振るわせる。外したモノクルを指でなぞりながら。


「吾輩がいなくては、今のイーハは生きて行くことができないのである」


 自惚れでもなければイーハへの過小評価でもないのだろう、彼の言葉は。確かに彼女はひどく純朴で、奴隷である以前に自由村落という過酷な出自を考えればありえないほどに。それが天性のものなのか家庭環境などから来るものなのかは分からない。ただ、異質であることは間違いない。もう一つ確かなのは、その性質が人間的に好ましいものだとしても、一人で庇護者なく生きて行くには足枷以外のなにものでもないこと。


「吾輩が離れ、イーハが独立できる方が……きっといいのであろう。それは分かるのである。分かっているのである」


 あふれ出る苦悩が滲んだ苦い言葉だ。俺も曲りなりには親だったからこそ、そこに込められた胸の痛みと己の判断への疑念が思い浮かぶ。これはどれほど上手な役者でも、讒言に長けた知恵者でも、決して誤魔化すことのできない感覚だ。だから続く彼の言葉も俺はすんなりと理解ができた。


「もし、もし吾輩が見ていないところで何かがあったら、そう思うと……いや、話過ぎたのである。忘れるがいいのであるよ」


 はたと彼は口を閉ざした。それこそが彼のイーハにかける想いなのだと逆説的に理解できるほど、再び彼は頑なな沈黙を纏う。

 ふむ、大体見えてきたな。

 イーハの危機にあっては憑依を解除して戦うという選択肢もあるとバロンは言った。つまり契約を一方的に解除できないわけではないのだろう。あるいは同意か特別な条件が必要なのかもしれないが、そういう手段がないわけではない。だが本人はそれをできるだけしたくないと思っていた。それはおそらく今口を閉ざした感情に起因している。

 そう、感情だ。この悪魔は自分の感情のために動いている。

 計画や目的がないのかどうかまでは分からない。だが少なくとも彼はイーハを大切にしていて、その理由が彼自身の感情……それも親心のようなものにある。悪魔と契約者の関係としては極めて異例で、にわかには信じられない事実である。


「バロン。契約の条件、イーハを守る理由を話して、って言ったらどうする?」


「吾輩がそうまでして契約したくはない、と言ったらどうするのであるか?」


 質問に質問が返ってくると同時、バロンはモノクルを影でできた顔の目と思われる場所にあてる。暗闇の中で唯一の実態を持った金属環はその場に留まり、更に奥からは圧を伴った視線が注がれる。


「困る。でもバロンも困る。違う?」


「吾輩には時間があるのである。少なくともお姫様よりは」


 たしかに。先ほどの懸念を聞くに、彼にとってもタイムリミットは差し迫っていると分かる。それでも俺よりは余裕があるわけで、そうなると立場が弱いのはどちらかと言う話になってしまう。

 これ以上を今聞くのは無理か。

 少しだけ高圧的な態度になった悪魔を見てそう悟る。彼の親心が本物であることは分かったので、とりあえずはそれを担保に約束を交わしてもいいかもしれない。そんなことも考えもって、しばし悩んだ俺は彼にこう返した。


「バロン、協力はしてほしいし、こちらも協力はする。でも契約は結ばない」


「なぜであるか?」


 不満というより不可解さを覗かせてバロンが問う。


「君は隣にいると悪魔特有の拒否反応と同時に、とても落ち着ける空気を持ってる。これは私にとっても初めての体験。悪い物ではないと、感覚的に分かる。それにイーハを思う気持ちは伝わった。だけど悪魔をそう簡単に信用し切れるほど、浅い人生を送ってはいない。これが一つ」


 悪魔という存在をよく知っていれば知っているほどに契約へのハードルは高まる。特につい先日、悲惨な出来事に遭遇したばかりでは。感情や直観がバロンなら大丈夫だと謎のゴーサインを出していたとしても、理性と知識はノーを突きつけるのだ。


「もう一つ、契約はやっぱり優位な条件で結びたい」


「そうする手段があるのであるか?」


 俺は訝しむ悪魔へにやりと笑って見せる。


「ん、今はまだ言えない。でもきっとバロンが飛びつかずにはいられない、特別な条件が出せると思うよ」


 これはこの国にいる限り、俺にしか出せないオファーになる。それを出すタイミングはもっとこの悪魔について確信を持って大丈夫だと判断できるようになってからでないといけない。あるいはそんなことを言っていられないほどの窮地になるかだ。


「……なるほど。ではとりあえず合意のみとして、後はお手並み拝見であるな。ハッタリではないことを、切実に願っているのであるよ」


 ひとまずバロンもそれで納得してくれたようで、俺と影の悪魔は互いに握手を交わした。見た目のわりにしっかりとした手触りと確かな体温がある、大きな男性の手だった。


急遽イラスト掲載!!

以前にファンアートをくださった漫画家くめゆるさん(@kumeyuru)が再び絵をくださいました!


挿絵(By みてみん)


何度見ても痺れる妖艶さと美しさを持った画風、素敵です><

目がいいですよね、まず。大きくて輝く、少女であり、戦士の目。

それと体つきは大人になっているのに髪型が幼少期なのもイイ。

切らずに置いておけばよかったかな?と思ってしまうほどに華憐です。

……あ、伸ばせばいいのか(ルートが変わった瞬間)


くめゆるさん、漫画家としては高宮理沙さんとして活動されています。

ジャンプルーキーにて作品を無料で読めますので、ぜひ見てみてください^^

https://rookie.shonenjump.com/users/6871307331125524902

個人的に物語は「月の申し子」、表紙絵は「長い話を聞いてくれ」が好きです。

絵の迫力ある美しさと艶めかしさに比してテンポがすごい(笑)


~予告~

侯爵は語る。苛烈で惨めな幼き日々を。

悪魔は黙す。壊れた契約とスープの味を。

次回、過日ありて、今

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― 新着の感想 ―
[一言] どうですよね。侯爵からアクセラさんへの好意は見えなくもないですが、アクセラさんの性格や考えを無視しているでは、押し付けた善意は悪意と変わらないだと思います。 バロンさん、侯爵の味方ではないぽ…
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