十章 第2話 氷の砦の方針会議
「会議を始める、皆報告を頼む」
魔物による襲撃、その三日目の朝。魔獣との戦闘のあとは特に大きな攻勢もなく、しかし問題は一気に増えてしまった。そんな状況の中で私は天幕に集まった各隊長を前にし、痛む体をさすりながら告げた。揃っている顔ぶれはこれまでと大きく変わっている。まず未だに眠りから覚めないレイルに変わって騎士隊を纏めるディーン。彼は蜥蜴の魔獣へ最後の一撃を入れる私をカバーしてくれた少年だ。
「騎士隊は鎧や盾を失った者が多く、これまで通りの運用ができる状態にはありません!スキルと装備をなんとかやりくりすれば小規模な障壁を展開することは可能だと思います!ただ、その」
「……士気か」
「……はい」
大きな声でハキハキと応答していたディーンの声が小さくなった理由は簡単。騎士隊は生徒からも犠牲者を出してしまっていた。加えてその陽気さと力強さで隊を纏めていたレイルはあの金の光を纏う大技から一度も目を覚まさないほど深く眠ってしまっている。
「士気についてはこっちも酷いもんッスね。というか、一晩動いてみてハッキリしたのがもう隊の態を成してないッスわ」
ディーンの言葉に乗る形で報告を上げてきたのは戦死したブロンスの後釜として戦士隊の隊長になった冒険者のリーマンだった。本人も相当に疲れているところへ慣れない仕事が転がり込んで、傍目にも分かるほど苛立っている。
「正直、元からオレみたいな斥候が多かったもんで「戦士隊」とはお世辞にも言えない状況ッス。そりゃ騎士よりは攻撃力あるかもしれねえッスけどね」
「分かった。再編を考えておこう。コルネ先生、遊撃隊の方は?」
大してできることもないのを知っているだけにリーマンは苦い表情をして足元を睨み付けた。代わりに話を向けられた遊撃隊のコルネ先生は、しかしこちらも似たような表情になる。
それもそうか。どこも同じように酷い状況だ。
「遊撃隊は魔獣襲来から状況はあまり変わっておらんが、もとから負傷者の寄り合いじゃて。それに数名、具合が悪化してきておって……」
これから時間経過とともに敵が来ずとも戦力は低下する一方か。
「バート先生とサイファー先生の方も同じですか」
「そうですね、概ねは」
わずかに歪んだ眼鏡を直しつつ応じるバート先生と無言で頷くサイファー先生。まだ若い戦闘学教師は生徒に犠牲が出始めてから目に見えて衰弱している。誰も彼もがそうだが、サイファー先生は特に。そしてその兆候は最後の一人、シスター・ジェーンにも色濃く表れている。
「……シスター、魔力切れで辛いだろうが報告を頼めるか」
「あ、す、すみません」
天幕に来てからも始終ぼうっとした様子。土気色の顔と相まって病人のように見える。ここに派遣されている聖職者は合計3人で他2人は現在休んでいるわけだが、その全員がこの三日をひっきりなしの回復魔法行使に費やしているのだ。魔力が切れるまで神に祈り御業を使っては倒れるように眠る。そして起き抜けに魔力ポーションを飲んで怪我人のもとに向かう。
「そうですね、その、かなり限界に近いといいますか、ええ、特に女子生徒の中には宛がわれた馬車から出てこなくなる子も出始めていて」
あまり纏まっていない報告がいくつか挙げられたが、総じて輜重隊とは名ばかりの非戦闘員集団がいよいよ持たなくなってきているという事実を示していた。調理担当者が注意力を失って鍋を焦がした、なけなしの薬草を加工する担当者が食用の雑草と痛み止めの草を間違えた、ちょっとした理由で掴みあいの喧嘩に発展した……とまあ、全体的に崩壊まで秒読みといった空気感が蔓延しているそうだ。
「それと神官の一人を、申し訳ないのですが、人員から外します」
珍しく断固たる声でシスターがそう告げる。リーマンは思いきり不満げな顔をしたが、他の者も揃って彼女へ先を促すように怪訝な表情を浮かべた。神官3人がフル稼働してやっとの状況から一人減るというのは、とてもではないがおいそれと許可できる変化ではない。
「あ、う、そ、その……」
視線を浴びて一気に委縮した彼女だが少し迷ってから意を決したように理由を説明してくれた。その神官は魔力ポーションを飲んでももう魔力が回復しなくなってきたのだと。
「そんなことがあるんッスか?いや、疑うわけじゃないッスけど」
疑っている以外なんだというのか、というような声で言うリーマンに視線を送って黙らせる。それから少し考える。アクセラやエレナがいつか教えてくれた魔法のメカニズムについて。
「まあ、珍しい症状じゃが、ありえないわけではないじゃろう。魔力ポーションとて無限に魔法を使えるようにするわけではないのじゃから」
「そりゃまあ……そうッスね」
コルネ先生の言葉でリーマンも理解が及んだらしい。魔力ポーションがあるかぎり魔法を使い続けられるなら魔法使いはもっと運用の楽な戦闘員になっている。同時に魔力ポーションはもっと大量に出回るか逆にとんでもない価格で取引されているはずだ。
「たしか己の中の魔力と外の魔力は別もので、どれだけ効率化しようと体内の魔力をトリガーにしなくては魔法を使えない……と聞いたことがある。つまり魔力ポーションはあくまで体外の魔力という扱いなのではないか?」
「その神官はトリガーとするべき体内魔力を枯渇させてしまったと?」
バート先生の問い返しに頷く。合っているかは分からないが、今必要なのはそれらしく納得できるロジックだ。
「確かに、その、目覚めるごとにポーションの効きが落ちている気は、ずっとしていました」
「ふむ……使えない魔法を使えといっても無理な話だな。その神官については十分休ませたあとに魔力を使わない仕事へ振ってくれ」
「あ、ありがとうございます!」
ようやく少し表情を緩めたシスター。しかしやはり他の面々の表情は芳しくない。無理なものを無理というのは仕方ないが、回復担当が減ることの負担はそのまま前線へ影響するのだから当然だ。
「その、殿下、僕からも質問をよろしいでしょうか」
居揃う隊長の報告が全て終わったことで生まれた沈黙。そこへ口を開いたのはディーンだった。
「なんだ」
「魔法隊の処遇についてなのですが、どうされるおつもりでしょうか」
「エレナの所業についてはとりあえず、一切不問とする。とくに私を攻撃したことについてはこれ以降口にするのも許さない」
言明すると全員が頷いてくれた。彼女の必要性をしっかりと理解している証拠だ。
昨晩、詳細は分からないながらもアクセラが連れ去られたとき、エレナは大いに取り乱して追いかけようとしたのだ。それを抑えようとした私含む騎士と冒険者8名は実力を持って排除されてしまった。突然視界が自分のものではない景色に置き換わり、吐きそうになるほどの不安と自責の感情が胸の奥から湧き出し、頭が割れそうなほど森についての情報が浮かんできて、最後は少女を中心に膨れ上がった雷撃の輝きに体の制御を奪われた。
「うっ、思い出すと吐き気が……」
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、まあ、なんとかな」
ぬるい水を二杯飲んで胃から込み上げるものを抑え込む。まるでエレナの感情や魔法による知覚を流し込まれるような体験は、正直に言って大変苦痛なものだった。あれがなんらかの魔法だとして、どういう系統なのかは全く想像もつかない。
そんなエレナだが、現在は彼女自身の天幕で眠らせている。私が失神させられてからのことだが、一か八かでアレニカが雷の魔導銃を使って狙撃したのだ。我々がされたのと同じように、彼女も雷撃をもって意識を失った。それから希少な闇魔法を使える冒険者に頼んで眠りの魔法をかけてもらっている。体勢を立て直し夜を超えるまでは彼女に暴れられるわけにいかなかったからだ。
「彼女が目を覚ませば、魔法隊の指揮はそのまま取ってもらおうと思っている」
「任せられるじゃろうか」
「コルネ先生、心配は分かるが大丈夫だ。彼女は確かに、私の想像を超えてアクセラのこととなると過激だったが……頭の良さはご存知だろう?理を説いて友が取り成せば無理を貫くような娘ではない」
エレナとアクセラは、専門家でもない私が軽々に言っていいことか分からないが、おそらくお互いにかなり依存しあっているのだと思う。マレシスを失ったあの夜、私のもとにやってきたアクセラは普段の余裕をまったく失っていた。今回のエレナの反応はあの時感じたものに近いなにかを帯びている。
だがそれも激情に駆られていればこそだ。さすがに状況をしっかり理解したあとなら無理に追いかけても何ら意味がないことくらい分かってくれるだろう。
しかし決定しそうになった私の方針に異を唱える者が一人だけいた。
「オレは反対ッスね」
気だるい表情でまっすぐこっちを見つめるリーマン。
「あの状況で味方を戦闘不能にすればあとのリスクが跳ね上がるのなんて、考えなくなって分かるようなことッス。それを自分の事情でやった人間、お咎めなしで責任者に据え続けるなんて正気の沙汰じゃねえッスよ。示しがつかなくなるッス」
「……他の者も同じ意見か」
ぐるりと見回した限りではサイファー先生とディーンが消極的同意といった表情を浮かべている。対してコルネ先生、バート先生は否。シスターはこれまで通りおろおろと両者を見ては困り顔だ。
「責任も何も、便宜的に設けておるだけの隊長職じゃぞ?不始末があったからといって実力のある者を降ろしては意味がないじゃろう」
「しかし先生、曲がりなりにも指揮系統を敷いて軍という体裁を取っているからこそ、下に割り振られた生徒も必死に働いているんです。下手に一部をなあなあにすれば今以上の士気低下に繋がります」
コルネ先生の言う実情も事実だがディーンの主張するロジックもまた重要な柱だ。兼ね合いを考えれば……いささか強引な手段をとるしかあるまい。
「であればエレナを副隊長に降格とし、バート先生を魔法隊の隊長とする。バート先生、隊長としての権限については全てを掌握するよう。ただし戦闘の差配についてはエレナに担当させてほしい」
「いや、それじゃあお咎めなしと変わらないじゃねえッスか!」
リーマンが唖然としたように反発するが、事実その通り、ただのおためごかしだ。しかしそれでいいと私は思っている。なにせ戦闘を彼女にまかせることは防衛能力からして変更できない。そこへ降格させなければ士気に関わるというなら、形だけそうして事情を知らない連中の溜飲だけを下げておけばいいのだ。
「魔法隊はおそらくエレナの指揮のほうがスムーズに動くだろう。というより合成魔法の要が彼女なのだ、間に人を介していてはタイミングがずれる。対して他の部隊は降格された事実だけを知っていればいい。違うか?」
「え、あー……いや、まあ、そうッスね。たしかに、オレは事情を知ってるから意味ないじゃねえかって思うッスけど、隊の部下はそこまで分からねえ。ならいい、んッスかね?」
「いいのだ。バート先生、よろしく頼みます」
「分かりました、司令官」
小僧が小手先で間に合わせた人事を先生は二つ返事で受け取ってくれた。歪んだ銀縁をそっと直しながら相変わらずの寡黙さで。きっとこちらの意図を十分に理解してくれているのだろうと安心できる佇まいだ。反発していたリーマンの方も個人的に含むところがあるのかと思ったが、どうやら純粋に士気の問題を懸念していた様子。私がキッパリと断言したことでとりあえずは収まってくれた。
「さて、ここからは今後の長期的な方針、あるいは最終的な方向性を考えていきたい」
ようやく報告に関係する話題が落ち着いたところで次の問題へ話を移す。それが重大かつ難解な議題であることを理解していると、全員の表情が更に引き締まったことで感じ取る。
「まず前提の確認だが、我々はかなり良くやっている。しかしそう長くは持たない。この部分に異を唱える者はいるか?」
声は上がらなかった。ありあわせの戦力と道具でこれだけ耐えている状況は今さら言うまでもなく奇跡的なものだ。あれだけの氷壁を出せるエレナという規格外の魔法使いがいて、魔獣2体を始末できるアクセラという戦力がいたこと。この二つが我々の生存に大きく寄与している。しかし今、我々はその片方を失ったのだ。おそらく戦士隊、騎士隊の士気が下がっている大本の理由もそこだ。
アクセラの力を示すことに最初は苦心したが、今度はそれがアダになったか。
自分を殴ってしまいたい衝動に駆られるがなんとか抑え込む。隊長相手とはいえ、指揮官が後悔を簡単に見せてはいけない。たとえ友人を冷徹に切り捨てようとする自分が、吐き気がするほど気に食わなくてもだ。
「戦える人員の問題もあるが、それ以上に物資が厳しい。とりあえず今日一杯まではパンもあるが、それを過ぎれば肉と雑草しかない。そうだな、シスター」
「は、はい」
「塩も香辛料もそのうち尽きるだろうが、最大の問題はこの食料だろう。脂の強い獣肉を食い続けたことで中には既に腹を壊した者もいるようだ。そうなると薬や水を余計に使わなくてはいけない。端からジリ貧の状態が一気に加速するというわけだ」
昼夜を問わず襲い来る敵に全力で対応するような用意は誰もしていないのだ。それでも数日の野宿を想定して持ちこまれた食材はここまでなんとか私たちの体を持たせてくれた。
「魔力ポーションとポーションならまだかなりありますが……」
見落とされた情報を伝えるように小さな声でシスターが言う。残念ながら私の暗澹たる見通しはそれも加味してのことなのだ。
「少しずつ魔法系に脱落者が出ている。その穴を回転率で埋めるとすれば魔力ポーションの消費も増えると思った方がいい。ポーションは、これ以上状況が悪化するなら、負傷者がどんどん干していくぞ」
とくに回復役が一人減ったのだ。ポーションの需要は高まるばかり。
「では増援はどうかというと、これはそこそこの希望が持てる」
それまで並べられる喜ばしくない情報に一層顔色を悪くしていた一同。私の言葉に眉根を寄せつつも注意を払ってくれた。とはいえコルネ先生やバート先生はおおよそを把握しているようで今一つ嬉しそうではない。
「実を言うと領地の外までは遠征が始まった時点で国軍が来ていたのだ。理由は、あまり探ってくれるな」
もう一度ぬるい水を口に含んでふと考える。アクセラとエレナはこの状況になってから援軍のことをどう位置付けて動いていたのだろうか、と。彼女たちはその存在を把握しつつもあまり期待をかけているようには見えなかった。
「殿下?」
じっとコップを口に当てたまま固まった私にディーンが心配そうな顔をする。慌てて液体を飲み下してなんでもないと応じた。思考に時間を割くことすら許されない立場はやはり疲れてくるが、今ばかりは仕方ない。
「本来であれば私の護衛として隠れ潜んでいる者達がすぐさまその軍勢を呼びに行っているはずなのだが……」
言いよどんだだけで何が言いたいのかを察したらしいリーマンは聞きたくないと言った様子で質問を口にする。
「あーっと、護衛ってのは一人とか二人ッスか?いや、普通は護衛対象の所に何人か残るもんじゃないかなと思うんッスけど」
「その通りだな。そして寡兵ではあろうが流石に一人二人ということはないはずだ。つまりは、そういうことだろう」
「少なくとも殿下のところへ向かった護衛の方々は、たどり着く前に……」
ディーンは言い切らなかったが、その先は誰もが同じように想像したはずだ。どのタイミングで始末されてしまったのかは分からないが、対人戦に特化した薄暮騎士団は存外魔物には強くない。もちろん並の魔物なら歯牙にもかけないだろうが、それが今回の異常な敵となれば保証はできない。しかも外から来る敵を警戒してある程度は散らばっていたのではないか。そうなれば私のもとに誰一人来ない状況も、分からなくはない。
「ここまでは増援を呼びに行ったであろう護衛が生き残って即応部隊を連れてきてくれる可能性と、待機している軍が自ら異常に気づいてこちらへ来てくれる可能性の二つを考慮していた。だが今日になっても気配すらうかがえないとなると、少し考え方を変えなくてはいけない」
「参考までにそれぞれどのくらいで到着すると踏んでおられたのですかな?」
「最速で2日目の昼、護衛が脱出に手間取ったとして夜だ。待機している側が気づいて先遣隊を送る場合も今朝には来ていておかしくないと思っていたのだがな」
誰が率いているかまでは知らないが、任務の性質として動きは早いはずだ。
「森の中に何かまだいるって考えた方がいいッスね」
「そうなる」
対人のプロとはいえこの国の影。それを全て叩き潰した上で半日から一昼夜にかけて正規軍の先遣隊を抑えている。そんな何かがまだいる。エレナの把握していた3体以外にも魔獣がいる可能性すらあった。
「……詰んでないッスか」
「だから打開の方策を考えているのだろう」
リーマンの言は投げやりというより本当にどうしていいか分からないといったニュアンスを帯びていた。だがそれを肯定することはできないし、まだそうとも限らないと私は思っている。
「では可能性を全て上げて行くとしよう、できるだけ全てだ」
手を一つ打ち鳴らして視線をバート先生に向ける。一番槍を押し付けられた彼だが当然のように慌てず一つ目の可能性を示す。
「まずは現状維持でしょう。国軍は足こそ遅くともそこそこの規模と思っていいのでしょう?そうであれば時間はかかっても必ず踏破してくると思われます。それを待つという選択肢は当然アリだと私は考える」
それに苦言を呈するのはコルネ先生。
「これ以上ここを守るとなるとほぼエレナくんと魔法隊に任せるわけじゃろう。さすがにあと一日も持てばよい方じゃとわしは思うが……魔力のこともあるが、エレナくんの稼働時間の方でのう」
どちらの言うことももっともだ。結局現状の問題はこの相反する問題にかかってくる。耐えた方が安全で確実であるが、同時に耐えきれるかどうかが限りなく不安だという構図が。
「わ、私は門を閉じることを提案します。態々戦わなくても、閉じこもればいいのではないでしょうか?」
シスターの提案は一見すると至極真っ当に聞こえる。だがそれにもコルネ先生は首を振ってみせた。
「それは無理じゃな。門があればこそ敵は壁を攻略に来ておらんが、全て塞げば防備のない部分へ穴を穿たれる可能性が出てくるはずじゃ」
普通の魔物なら、特に昆虫系の知能が低いものなら絶対にしないであろう作戦じみた行動。しかし統率固体である角の魔物がいれば話は変わってくる。ほぼ確実にどこかの壁を一点突破してくるはずだ。
「オレは逆に壁を移動させるってのを提案するッス」
「壁を移動させる?」
冒険者らしいというべきか、それともこのリーマンが特別に突飛なのか、シスターがしょんぼりと自分の案を下げたところで彼は我々が想像だにしない提案をしだした。
「氷の壁を街道側へ伸ばして、安全地域を確保したまま移動するってことッスよ」
砦を出るリスクを負わず、留まるリスクも拒否するというイイトコ取りの発想に聞こえるが、得意げな表情にコルネ先生の長い眉が寄せられた。
「さすがにそれはエレナくんでも魔力が厳しいじゃろう」
「そこはほら、魔力は合成魔法でどうにかしてッスね」
あれは火属性の魔法を集めて火の合成魔法にしていたように、同じ属性でないといけないのではないのか……?
「防衛と両立も厳しいでしょうね。それなら森を突破できる人員で一点突破し援軍を呼ぶ方がいいと思います」
私の疑問以前にバート先生からも苦言が呈され、セットのようにもう一つ提案が出てくる。リスクの高さが窺えて他の面々は酷い渋面になったが、先生自身は全ての可能性を出すというお題に沿っているのだろう。すぐに却下されることなど織り込み済みといった澄まし顔だ。
「オレなら絶対に王子様の護衛が負ける相手に突貫はしたくないッスね、それもう自殺ッスよ」
「リスクが高すぎるじゃろうな」
それ以上その案を押すことはなく、バート先生は逆に同僚二人へと視線を走らせた。
「そういうコルネ先生はどう思われるのですか?それとサイファー先生も」
風の魔法学教師と戦闘学教師は揃って眉を寄せる。しかしその雰囲気は真逆と言えた。コルネ先生の渋面は思い詰めた末の、行き詰った思考そのものであろう。サイファー先生はと言うと、まるで指針を失ったように覇気のない顔をしている。
「俺は……ここに籠る以外の選択肢がまともに機能するとは思えない」
結局ひねり出した答えも考えたようで考えていないような、どこか頼りのないものだった。落とされた肩が余計にそんな印象を与える。
いや、仕方がないのかもしれないな……。
なにせ先生は負傷して遊撃隊に入っているのではない。負傷して後送された前衛を遊撃隊や輜重隊で受け入れるための窓口として、また砦の中での風紀を取り締まる役割で配置されている。それだって戦線がスムーズに稼働するには重要なことであり、また彼が一人でそれをこなしているために人員を多く裂かずに済んでいるという側面もある。言うなれば全体を繋ぐ仕事を担っているのだ。
だが、前線では生徒が傷つき死んでいく。それを後ろでイザコザの処理だけしているのでは、ストレスはたまるだろう。いや、ストレスと言うよりも無力感に苛まれているのか。
「残念ながらわしもじゃよ。一点突破という案はアクセラくん並の使い手がおればありうる選択肢じゃったろうが」
「エレナさんは、防衛ですものね」
誰もがサイファー先生の苦悩に気づいているのだろうが、それを指摘して取り合うだけの体力がなかった。苛まれながらでも仕事ができるなら今はそれでいいと。
「……とりあえずは状況が変わるまで受け身でしかいられないということか」
詰るところ、我々には切れる札がない。まさしく八方塞がりなのだ。それを再確認して全員が口を噤んだところへ、天幕の外から急報が来たことを知らせる近衛の声がした。短く許可すると顔色を悪くした冒険者が一人入ってくる。
「どうした」
努めて冷静に尋ねる。
「魔法隊のお嬢ちゃんが闇魔法をレジストしだした、目ぇ覚ますぞ!」
どうやら一時的に蓋をしていた問題が、内側から蓋をぶち抜こうとしているらしい。
~予告~
吼え立てるエレナ。正論をかざすネンス。
二人の「正しさ」はもはや揃うことなく。
次回、それぞれの弱さ




