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九章 第27話 魔猿と魔弧 ★

 魔獣バイエンは森を駆け抜ける。太い枝に左腕で捕まり、体を振り子のようにして投げ出す。そのときに筋肉の密度を変化させてより長く跳べるよう重心を変える。ニンゲンはおろか普通の猿系魔物では及びもつかない長距離移動。着地前に新しい枝を掴んで更に距離を稼ぐ。


「ハッハッハァッ!!」


 荒い息を吐きながらひたすらにバイエンは逃げていた。魔獣の、人間を殺すために生まれた生物の本能より、個として得た知性という能力が勝った。死にたくないと思った。だから情けなくも逃げた。あのバケモノから。


「アウッ!?」


 バランスを崩して枝を掴み損ねたバイエンは地面に落下する。木の根にぶつかったが、全身の激痛が新たな痛みを掻き消してしまった。なにせ今、バイエンは右腕と左目を失っているのだ。今さら剛毛の上から地面と激突したくらいなんともない。


「ガァッ、ウゥ、逃ゲ、逃ゲル、急グ……!」


 バイエンの口から溢れるのは哀れな言葉ばかり。バイアスという猿型魔獣種の特殊固体として生まれたバイエンは自他ともに認める強力な魔獣だった。バイアス種の特性である筋肉密度の操作を効率的に、効果的に運用できるだけの高い知性を持っていた。この森に遣わされた魔獣の中では自分が一番賢いと信じて疑わなかった。


「バイエン、強イ、強イ、違ウ!?違ウ!?ナンデ、ドウシテ!?イヤ、死ヌ、イヤ!!」


 それがどうだ、小さなニンゲンのメスにあっさりと負かされた。どんな牙も刃も通さない頑丈な白い毛皮は容易く切り裂かれ、自在の筋肉密度から繰り出す拳は難なく躱され、仕掛けるフェイントは全てを読み切られていた。右腕はまず親指、手首、肘、肩の順番に筋を斬られて最後は根元から落とされた。左目は隙をついたはずが鞘を突き立てられて潰された。今も黒い金属の棒切れは左眼窩に深く突き立っている。あげく片方の魔獣角には罅まで入れられた。あまりにも一方的な戦闘。


「バケモノ、シト、シト、怖イ、死ヌ、怖イッ!」


 あれは神の使徒だ。だが使徒ごとき、選ばれた魔獣であるバイエンの敵ではない。そう思っていた。全身に深紅の魔力を纏って恐ろしい速さで迫りくるアレと戦うまでは。あと数度剣を振るわれていればバイエンは首を失っていただろう。それほどの強さを振るいながら、アレはニコリともしない。一方的な虐殺に近い状況でまったく感情を見せない。まるでただの作業のように剣を振り回す。それが余計に恐ろしかった。自分なら狩りで一番楽しむトコロだ。バイエンは己が無機物になったような言い知れぬ恐怖を、死の恐怖に重ねて感じていた。だからこそ一秒でも遠く、一歩でも早く、あのバケモノから逃げたかった。


「みーつけた」


「!!??」


 軽やかな声が聞こえた方へバイエンは振り返る。全身の毛が逆立つような感触に魔獣は襲われていた。身の丈で言えば自分の半分もないニンゲンのメスに雄々しき魔獣は震え上がる。全力で逃げたのに、恥も何もなく逃げ出したのに、休んだのはほんの数秒のはずなのに、追いつかれてしまった。その事実がバイエンから正常な思考すら奪う。


「ギィイイイイ!ナゼ!バケモノ、オマエ、ナゼ、オカシイ、オカシイィ!!」


 自分の体毛より美しい白の髪と妖しく輝く紫の目。そして小さな体を包み込む真っ赤な魔力。全身に迸る赤と青の幾何学模様と合わさって、魔獣の目にすら異質に映る。引っ提げた刀にも炎のような魔力が纏わりついていた。まるで全てを燃やし尽くす天の火が人の姿になったようだ。


「イギィャアアア!!」


 バイエンは狂ったように吼えながら手近な岩を掴んで投げつける。しかし岩とニンゲンが魔獣の視界で重なったわずかな時間で、バケモノは姿を消していた。虚しく岩が地面を打つ。とっさに防御のため全身の筋肉密度を限界まであげながらバイエンは素早く周囲を見回した。そして背筋にぞっとする気配を感じて前へ飛び出す。直後、ザンと音を立てて首の後ろに激痛が走った。


「ガァ!」


 左の剛腕を振り抜く。背後に現れていたバケモノはするりとその下を抜けて肉迫し、バイエンの脇腹を斬り裂いて抜ける。激痛に吼えるかわり、更に体を捻ってバイエンは追撃する。流石にそこまでは予想外だったのか、ニンゲンは巨大な裏拳を叩き込まれて吹っ飛んだ。少し離れたところにある大木の幹を陥没させて止まったが、こちらも脇腹の傷が無理な動きで裂けてしまった。


「痛イ、痛イッ!!」


 下手をすれば臓物が零れて来そうなほど大きな傷と疼くような激痛。バイエンは血がどばどばと溢れるそれを筋肉密度の変化で無理やり塞いで立ち上がった。そして逡巡する。このままバケモノと戦うか、ひたすらに逃げるか。今までも何度か攻撃が当たったことはあったが、それで相手の動きが鈍くなったことはなかった。だがここで一気に攻め立てればあるいは……。


「……!?」


 何か嫌な気配がするのをバイエンは感じ取った。直後、遠くで魔力が消えた。今回遣わされた魔獣の中で一番弱かったトカゲ、ファウルが討伐された。ニンゲンのコドモの群れに狩られた。いくら弱いと言っても卑怯な生態が特徴的なあの魔獣が。しかもただのファウルではない。火を操る能力も備えた特殊固体だった。バイエンほどではないが頭もいい方だったのだ。


「話、違ウ……違ウ、違ウ、違ウ!」


 自分を追いかけてきたバケモノ以外にも自分たちを殺せるだけの強さを持ったバケモノがいる。それはバイエンたちが聞かされていた話とは全く違っていた。単純な餌場だと思えばいいと言われていたのに。


「騙シタ、許サナイ、ニンゲン、アノ、ニンゲンッ」


 魔獣の思考は騙されたことへの怒りで真っ赤に染まったが、同時に一つの光明も見いだせた。ゆったり後ろから高みの見物を決め込んでいる他の魔獣にこのことを伝え、ともに自分たちを騙した痴れ者へ報復に行くのだ。そしてその前に少しだけ力を貸してもらえばいい。魔獣が2体いればいくらバケモノといえど勝てまい。それも観察に徹している魔獣はただの魔獣ではないのだ。彼らの真なる主、その配下として名を知られた古い存在。バイエンとしては自分の方が賢いと思っているが、それでも格上であることは認めざるを得ない相手。


「ギャギャ、ニンゲン、復讐、デキル!!ギャギャギャ!!」


 一気に恐怖を楽観が押し流す。下卑た笑いをけたたましくまき散らしてから樹上へ上がる。バイエンは再び体を振り子のように飛ばそうとした。そのときだった。


「ァ?」


 バイエンの真横へ突如大きな力の塊が現れた。しなやかな四足で大木を蹴って白い魔獣の方へ突撃してくる。虚を突かれたバイエンはなすすべもなく胴体を一噛みにされ、握った枝ごと地面へと引き摺り倒された。


「グァア!?」


 再び大地へ叩き付けられる魔獣。鋭い牙が無数に食い込む痛みはそれだけで腕を斬られたときより酷かった。バイエンは訳も分からぬまま苦痛に叫ぶ。しかしギリギリと力を強める咢はお構いなしに魔獣の腹を裂き、そのままろっ骨数本を引き抜きながら肉を噛み千切った。


「ォァアアアアアアアアアアアア!!!???」


 もはや腹のあたりに焼けるような熱しか感じない。魔力と血が漏れ出て行くのが分かる。たったの一撃で致命傷を与えられたのだ。一気に霞み始める視界で襲撃者を見ると、それは巨大な狐だった。邪悪な面のような顔がグチャグチャと自分の肉を食っている。


「ゲホゲホッ、ヴェ、ヴェルナーキィ!オ前、バイエンッ、同ジィ!味方ァ!!」


 さも不味そうにぺっとバイエンの肉を吐きだして狐は嗤う。


「同ジダト?コノ、ヴェルナーキガ、貴様ノヨウナ馬鹿猿ト?寝言ハ寝テ言エ」


 心の底から馬鹿にしたような口調で言うと狐の魔獣、ヴェルナーキはバイエンの首を咥えて軽々持ち上げた。


「ヤ、ヤメ……」


「黙レ、馬鹿猿。嗚呼、酷イ悪臭ダ……貴様モ魔獣ノ端クレナラ、セメテ戦ッテ死ネ」


 狐が首を一振りすると血と内蔵の尾を引きながら猿は宙を舞う。もはや姿勢すら変えられぬまま投げ捨てられたバイエンは木の陥没からバケモノが這いだすのを見た。その手の中で剣が濃い赤に燃え上がるのを。


「死、死ヌ、イ……ヤ……」


 その剣が自分めがけて振られる光景が、バイエンにとって最後の景色となった。


 ~❖~


 頭を縦に両断された白猿の魔獣、バイエンの骸を前に俺は舌打ちを堪えて新たな敵を見る。思いのほか時間がかかってしまった以上、三体目の乱入は予想できたといえばできた。聖属性魔法を使えばもっと早くカタがついたかもしれないが、消耗の激しい蹈鞴舞に加え聖属性を用いて継戦能力を落としたくなかった。その判断が間違っていたとは思わない。だが、連戦は正直に言って厳しい。

 というか、どう考えてもコレは六級じゃないだろ……。

 目の前で四足を揃えて背筋を伸ばす魔獣は、邪悪な殺戮生物のくせに妙な美しさがあった。毒々しい濃い紫の長毛に身を包み、露出した胸と手足の先は同色の鱗に覆われ、頭だけは白く硬質な外殻に覆われた狐。前足の指が人間のそれのように細長く、面じみた顔には亀裂のように細い目が3対刻まれている。それらはまるで嘲笑うようにこちらを見つめていた。


「ヴェルナーキ、だっけ?」


 蹈鞴舞とは無関係に早くなる心拍を抑えるように、つとめていつも通りの平坦な声を出す。会話などすればするほど身を焦がすこの技のタイムリミットは近づくが、そうして時間を稼がなくては戦略が立てられない。それほどに恐ろしい気配を孕んでいる。


「我ノ名ハ確カニ、ヴェルナーキ。昏キ太陽ニ仕エル古ノ魔獣、ソノ第三位ヲ占メル者」


「……アクセラ=ラナ=オルクス、オルクス家の長女」


「ソシテ使徒、カ?」


 ちっ、やはり聞かれていたか。

 普通の人間より少し耳がいいだけの俺でもバイエンの呟きは聞こえた。大きな耳を持つ狐型の魔獣が聞き逃すはずもない。一つアドバンテージが消えたことに苦々しい思いがこみあげるが、そんなことに拘っても仕方ない。


「クハ、クハハッ!使徒ト知ラズニ連レテ来イナドト、アノ馬鹿者ハ言ッテイタノカ。コレハ傑作ダ」


 何が面白かったのか笑いだすヴェルナーキ。くぐもっていて金属質な響きではあるが流暢な人の言葉を操るこの魔獣は相当に頭がいい。あのランクの魔獣としては高い知性を持っていただろうバイエンよりもはるかに。


「あの馬鹿者って?」


「オ前ヲ連レテ来イト我ニ頼ンダ人間ダ。イヤ、人間ダッタ者カ?形容シ難イ生物ニナッテイテナァ……」


 魔獣に形容しがたいと言われる生物……いや、それは後でいい。


「その人間の名前は、教えてもらえる?」


 尋ねると狐の面がニヤリと笑みを深める。見るからに邪悪そうな狂相。状況を愉しんでいるであろうことがありありと分かる。前足で数度、足元の落ち葉を踏み鳴らして考え込むように、あるいは勿体ぶるように間を稼いで見せる。


「フム、ソウダナ……マア教エテヤロウカ」


 取って置きのネタを披露するかのように狐は嗤い続ける。


「コノ国ノ貴族、ナント言ッタカ、ソウ、トワリ侯爵ダ」


「……」


 ニヤニヤと黒幕を明かす狐は、俺が自国の貴族が裏にいたことにショックでも受けると思っていたようだ。残念ながら「ああ、やっぱりそうなのか」くらいの感慨しかそこにはない。

 見るからにヤバかったしな、あのオヤジ。

 禍々しい黒と紫の鎧。持てるはずのない巨大な佩刀二振り。5年以上前に会ったあの時より若々しい顔。そしてなにより俺に見せた恐ろしいまでの執着が籠った目。どれをとっても訝しいだけだが、ことこの事態に至ってから思い返せば最有力候補になるくらいにはおかしい。もちろんだからといってこの事態を予見できなかったネンスを責める気はないが。

 ありえないほど大量の魔物に魔獣が3体も攻めてきて……この事態を侯爵に覚えた違和感だけで想像できたら病気だよ。

 妄想や論の飛躍を頻繁に起こすような男が第一王子でないことはむしろ喜ばしいくらいだ。俺自身、なにかおかしいという警告しか発せなかった。きっとまともな将兵なら誰もが同じ選択をする。ただ、やはり「侯爵こそが裏にいた黒幕だ」と言われれば納得するくらいには妙だったのだ。


「……ナンダ、分カッテイタノカ。ツマラナイ小娘ダ」


 ガッカリした風に吐き捨てて狐は腰を上げる。ふわりと背中越しに5つもの尾が広がった。紫の体毛に黒い模様が混じる太く長い尾。その先には白く輝く魔獣角が見えた。なぜか尾の内、両端の2本には赤い鎖の模様が絡み付いている。それにしても白い頭に複数の尾というと師の世界の神話に現れる妖狐のようだ。おそらくこちらの魔獣はより直接的な戦闘力を持っているはずだ。


「ソレデ妙ニ騎士ガ多カッタノカ」


「……?」


「違ウノカ?森ノ外ニイタ黒ズクメノ騎士共ハ」


 そこまで聞いて俺は察した。ネンスを救うために駆け付ける予定の先遣隊が遅い理由。一定の距離を保ってついているはずの薄暮騎士団がこの状況に加勢してこない理由。先んじて狩られていたからこそ、戦力として現れることもできなければ応援を呼んで来てもくれないのだ。


「全部殺したの?」


「サァナ、我ハ暇潰シニ少シ相手ヲシタダケダ。残リハ我ガ配下ノ魔獣ガ相手ヲシテイルダロウ。喜ブニハ早イガ、我ヨリハ弱イ魔獣ダゾ」


「……はぁ」


 小さく息を吐いて瞑目する。トカゲ、バイエン、目の前のヴェルナーキときてまだいるのかと。一度に四体もの魔獣がくるのは歴史的に見て何百年ぶりかの事件だろう。その真っただ中に学生ともども捕らわれるなんて、呪われているのかと思ってしまう。なにせこの難敵を排しても……いや、もう一体はエレナの全力に期待するか。レイルとネンスも奥の手があるようだったし。

 まあ、なんとか手立ては考えた。あとはなんとかなると信じて走るしかないか。

 久しぶりに心臓が暴れまくっている。手足に震えが走りそうだ。それでも立っていられるのはエクセルとして潜った死線の数、ただ偏にそれのみ。あとは精々、この状況でもどこか楽しいと思ってしまうイカれた戦士の本能がため。


「サテ、作戦ハ練レタカ?」


「!」


 どうやら魔獣の奴め、俺が時間稼ぎをしていると分かっていたらしい。その上でお喋りに付き合ったとすると、よほどの自負があるか奥の手があるかだ。実はただの馬鹿という可能性もないではないが、期待するのはそれこそただの馬鹿。奥の手があると思っておくのが安全。


「行クゾ」


「来い」


 覚悟を決めて応じる。肺一杯に息を吸う。下火に抑えていた俺という炉が一気に赤く燃え上がり、全身から余剰の強化魔法が吹き上がる。ミシミシと手足の筋肉が音を立てるような感覚。並行して赤い魔術回路が手足を這いまわり、魔力強化とスキルも乗る。刀を霞の構えに上げ、切っ先で正確に化け物の目を狙う。


「ッ」


 突進系の技を放つために背を引き絞ったとき、全身に寒気が生じて反射的に跳び出す。前へ転がるように逃れるのとそれまで立っていた土が盛大に弾けるのはほぼ同時。何をされたのか全く分からないまま、収まらない寒気に従って走り続ける。爆ぜる地面に追いかけられながら魔獣を見れば掲げた真ん中の尾の魔獣角が光るのを捉える。


「やばっ」


 尾の延長線を察してブーツを地面に突き立ててブレーキをかける。まさに今俺が走り込もうとした場所が弾けて土埃を顔から被った。それでも長々と足を止めるわけにはいかない。尾が光った。


「火よ!」


 尾に向けてファイアボールを飛ばしながら『獣歩』で樹上へ逃れる。赤い火の弾丸は彼我の距離を半分も行かずに消し飛ばされた。尾は俺を追いかけて振り払われる。魔獣角がギラリと輝いてから、今度こそ俺にも見えた。白い閃光が放たれて尾の延長上を斬り払う。跳び逃れる背後の大木が赤く灼けた断面を見せてバッサリと切断された。

 光魔法のレーザー!?

 初級に攻撃魔法らしい攻撃魔法が1つもない光魔法は上級属性とは思えないほど大人しい、と勘違いされがちだがそれは誤り。扱いが難しいだけで中級以上には攻撃魔法も潤沢にある。しかも威力が桁外れに高い。発動とほぼ同時に着弾する速度、直径1mを超える木々を容易く焼き切る貫通力、地面の水分を突沸させて爆発させる熱量。一撃でも当たれば死ぬ。


「バイエン、アノ馬鹿猿ヨリモ樹上ガ似合ウ娘ダ」


 せせら笑う魔獣が姿勢を低くした。人間じみた指が反って強く地面を踏みしめる。光魔法の追撃が止んだ瞬間を狙って俺も大木の幹を踏みつけて膝を曲げた。跳躍は同時。しかしヴェルナーキの方が圧倒的に早い。しかも爪を避けてすれ違い様に腹を、と思った俺の動きは全て読まれていた。前足の動きは最小、完全にフェイント。強靭な体幹筋を使って空中で体を翻した魔獣は紅兎の真上をするりと抜け、さらにぐるりと回した尾で俺を地面へ叩き付ける。


「ぐっ」


 見た目のしなやかさに反して鋼のように重く硬い尾の一撃。背骨にほど近い肋骨の一部に激痛が走り、次の瞬間には受け身も取れないほどの勢いで木の根に激突する。強制的に肺の空気を吐きださせられ、蹈鞴舞の力でまた強制的に吸わせられる。無理のある呼吸に骨のヒビが悲鳴を上げた。木くずが口の中に飛び込む。背筋を貫く痛み。叫ぶ声を噛み殺して急ぎ数度地面を転がる。そこへ白い光が二度三度と降り注いだ。

 クソ、無茶苦茶強い!

 大量の土を被りながらなんとか立ち上がって走る。骨のダメージは治癒魔術で治らない。絶え間なく痛む背中に聖魔法を使う余裕もない。直観だけで直上に飛び上がって着地したヴェルナーキの牙を逃れ、ファイアバレットを3発叩き込む。しかし紫の毛皮は魔法耐性が高いのか、表面で全て火の粉に変えてしまった。


「ははっ」


 変な笑いが喉から漏れる。それも二本目の尾がレーザーを放ったことで止まったが。大したことではないかのように二筋に増えた白い光の線。同時に、あるいは交互に、直撃コースから薙ぎ払い、牽制、先読みまで多彩に撃ち出される魔法。複雑なステップを回避に要求されるようになるとそれだけ近付けなくなる。あげく時折本体からの爪や牙が襲い掛かり、往なしても柔軟な体を活かして追撃をどんどんと放たれる。

 絶対残りの尾もレーザー使えるだろッ!

 脳裏で悪態を吐きながら閃光を飛び越える。無理に近づくのは諦め、その場で回避に徹する。蹈鞴舞で身体強化に使い切れない魔力は次の息で吸い込む量を維持するため無理やり魔法として燃焼させているが、その余剰分を体外に纏わせるよう流れを変えた。


「ム……?」


 魔獣には魔力が見えているのか、敏感にヴェルナーキは俺の変化を感じ取った。だがだからと言って何が変わるわけでもない。実はこちらも途中から神眼を使って尾の魔力を見ているのだし、行ってしまえばそれでフェアくらいのものだろう。使いたくはなかったが、そうでもしなければ間断なく放たれる弾着ラグほぼなしの魔法を避けられるわけがない。


「火よ!」


 細長い爪を刀で弾きながら纏う魔力に火を灯せば俺の体は一気に燃え上がる。魔法の火を纏って攻守の能力上げる仰紫流の技、火装。蹈鞴舞によって練り上げられ普段のそれとは比べ物にならないほど強力になった炎は至近距離にいた魔獣を押しのけ、まるで爆ぜる炭のように小さな音を立てながら周囲へ牙を向く。


「スキル、デハナイナ?面白イ、面白イゾ!」


 三本目の尾が砲列に加わる。三本の閃光が踊るように俺の周りへ傷痕を刻みつけていく。いよいよ回避が難しくなったそれをギリギリのところで避けながら更に炎を操作。今のままでも咄嗟に魔獣が下がるほどに強い鎧だが、これを攻撃に繋げなくては意味がない。紅兎を魔力で保護しつつその上に鎧を崩した火焔を這わせる。豪炎に包まれた紅兎は赤い刀身の淵、本来なら銀に輝くはずの刃を橙に染め上げる。


 仰紫流刀技術・烈火刃


 手に汗が滲むほど熱波を放つ刀を下げて走る。ここで踏み込むのは危険と判断したのかヴェルナーキは尾による迎撃のみを行う様子。白い光が瞬いて頬を掠めた。体の内側から溢れだす熱、手の中の刀が放つ熱、魔獣の魔法による熱。あらゆる熱がそれこそ鍛冶場にいるような錯覚を起こさせる。


「スバシッコイ!」


 魔獣が初めて忌々しそうに吐き捨てた。言葉と共に尾からはレーザーが迸り、それを避けた俺の頭を狙ってもう一発が来る。屈むと頭上を輝きが通りすぎ、ほぼ同じタイミングで腰の高さの一撃。転がり、立ち上がりざまに跳躍。足元を過ぎ去った光はしかしフェイク。空中であまり自由の利かない俺へとさらに二発の輝きが迫る。


「チッ!」


 体を大きく捻り刀から離した右手を引き絞る。脇腹スレスレをレーザーが貫き鎧の表面を溶かす。どうあがいても直撃する最後の一撃。ここまで隠しておいた光魔法を拳に広げて振り抜き、そのまま光線を殴りつける。


「ナニ、捻ジ曲ゲタダト!?」


 手の甲で逸らされた閃光は遥か彼方で木に穴を穿つ。その頃、俺はもうヴェルナーキの目の前に着地していた。疾走の勢いを殺さず右手を柄に戻し、下げた切っ先を返して再度宙へ躍り出る。手首を跳ね上げて必殺の一刀を放つ。


 紫伝一刀流・逆雫


 オレンジの刃が垂直の残像を引き連れて狐の顎へ入る。白い外骨格に切っ先が入り、そのまま肉を断ち、再び外骨格を裂く。


「ギャインッッ!!??」


 最も得意とする雫系統の一太刀は見事ヴェルナーキの頭を両断……できなかった。


「ク、クハハ、惜シイッ!」


 刹那の動きで魔獣は頭を中心線から逸らしたのだ。顎から右側の目を二つ斬らせて、致命的な隙を俺に押しつけた。気づいたときにはもう遅い。頑丈な上位魔獣の体を斬るために全身のバネを解き放ってしまった。


「あ」


 声が、いや、音が、喉から漏れた。ヴェルナーキの大きく開かれた咢が俺の胴体を咥える。二重に生えた鋭い牙がこれまでいくら歪んでも貫通されることはなかったディムライトのブレストプレートを破り、強靭な顎があばらをまるで砂糖菓子のように噛み砕く。


「ぁああああああああああああああああああ!!!!」


 喉が裂けるかと思うほどの絶叫。蹈鞴舞の呼吸が信じられないほどの激痛を生み出し視界がホワイトアウトしかける。内臓を押しつぶされる感触に吐き気が込み上げ、まるで絞られるように口から血液が溢れる。それでも意識は手放さない。無軌道に暴れそうになる手を鋼の精神で操る。


「ぐ、ぅ、ぅ、ぅ、ぉ、ぉ、ぉおおおあああああああ!」


 吼えながら刀を手の中で反転させ、聖魔法を全力で炎に注ぎ込む。烈火刃に集約されていた火焔が火装の鎧に戻り、紅蓮から竜胆の花の色に変わる。神炎装の燃え上がる若紫がヴェルナーキの牙を焼きながら紅兎まで包み込む。


「ゴァアァ!貴様ァッ!!」


 邪悪を焼く炎に炙られ堪らず俺を吐き捨てる魔獣。血の尾鰭に追われながら放物線を描く俺。神炎装を烈火刃の要領で刃に再度集約。残る全ての、手足や周囲に宿る全ての魔力を根こそぎかき集めて注ぎ込む。

 この一刀に、今つぎ込める全てを!


 仰紫流刀技術・攻ノ型ムラマサ「千利一刃」


 大量出血で霞む視界を強引な魔力強化で固定して振り抜く。鮮やかな色の魔力刃は斬線に従って飛んだ。


「ナニッ!?」


 逆雫で切り裂いた傷に狙い違わず打ち込まれる神炎の刃。俺の全力を込めた聖魔法を一点へ固めたそれはズバン!と重い音を立ててヴェルナーキの顔を斬り捨て、右前脚の肩を深く抉り、背中にかけてを裂き、さらに右中の尾を半ばで断ち切った。しかもその傷は焼けただれ、上位魔獣の回復力をもってしてもすぐに戻る様子はない。


「ギアァアアアアアア!!貴様ァ、貴様ァア!!」


 地面を血の色に染め上げながら吼える。2本の尾に巻きついた赤い鎖の模様が歪みはじめ、そこから重苦しい魔力が鼓動のように主張しだす。ようやく奥の手を切る気になったらしい狐に対し、こちらはもう立っているのもやっとの状態だ。なにせ今の魔力刃に蹈鞴舞のエネルギーと残っていた魔力を全て投じてしまった。咄嗟のこととはいえ、選択肢を残すように立ち回った意味がこれで無くなってしまった。

 あぁ、やばいな……もう、視点が、定まらなくなってきた……。

 血を失い過ぎた。魔力もそうだが、酸素も運ぶ血がなくては意味がない。蹈鞴舞のブーストが全て垂れ流れて行く状態だ。というか、それ以前に呼吸が酷い拷問に感じられる。生命を維持することがもはや苦行というほど満身創痍。


「貴様ナド、尾ガ全テ使エレバッ……ギィ、昏キ太陽ノ君!我ガ封印ヲ、オ解キ下サイ!!」


 肩から落ちかけている前足を庇うように立ちながら天に向けて咆哮する。しかしヴェルナーキに答える声はない、と思っていたら魔獣は大きく体を震わせて天を見つめた。まるで何かを聞き取っているように黙って。それから怒りに全身を強張らせ、もはや痛みすら感じていないような形相で俺を睨み付けた。


「コレ以上ノ援助ハ不要、ソウ主ガ判断サレタ」


 今にも襲い掛かってきそうな声で魔獣は唸った。


「使徒アクセラ、オ前ノ名前ハ覚エタゾ……今度見(まみ)エタ時ニハ、全力デ相手ヲサセテモラウ」


 いつもなら負け惜しみかと上げ足を取るところだが、あと2本の尾が使えたらなら勝ち目は皆無だったろうことを思えば言えるはずもない。怒りと憎悪、そして不思議と期待感のようなものを秘めた4つの目を黙って見返す以外にできることはなかった。


「コノ勝負、一先ズハ貴様ノ勝チダ!」


 突如として空から闇が降ってヴェルナーキを包む。闇……よりも黒い光と評した方がいいだろうか。まさしく昏き太陽の光だ。その中に立つ魔獣の目と尾の魔獣角が薄墨をかけたような中にしっかりと見えた。


「次も、勝つ」


 辛うじて俺が応じるとあたかもそれを待っていたように黒い光は天へと引き上げて行く。ヴェルナーキと彼から溢れる血液の全てを含んだままに。そうして雲の切れ間へ吸い込まれて行った後には切り落とされた尻尾の一部だけが残された。

 あとはレーザーに薙ぎ払われた森の残骸とペイン戦以来の大怪我を負った俺くらいか。

 くだらないことを思いながら膝から崩れ落ちる。最後の一瞬に魔力を使い切って、ヴェルナーキの動きに合わせた無理のある軌道で手足もほとんど動かない。本当に満身創痍というやつだ。


「あぁ……もう一体の魔獣、知らせないと……あぅ、力が……」


「げげッ、げぎョッ、げぎョぎョ……ひィめ、ィたあぁ」


「!」


 背後から聞こえた耳が穢れるような声。上半身のバネだけで振り向きざまに紅兎を振り払う。揺れる視界の中での抜き打ちは、それでも何かを斬った。それがバイエンを思わせる白い毛皮であることはなんとなく分かる。だがもう視界がほとんど失われていてそれ以上が分からない。


「ひメぇ、つれか、ェるう、げげ、ゲギョッ」


 ひメ。ひめ。姫。

 そうか、こいつら角の……。

 そこまでなんとか回った頭は、そのまま暗転した。


お待ちかね、狐林さんによるアクセラの新イラスト!!


挿絵(By みてみん)


いやもう、かっこよすぎん?アクセラかっこよすぎん?(語彙力の溶ける音)

紅兎の焼け付くような色合いがまた最高ですよね。

それにこの構え!構えが美しい!!

あとやっぱりアクセラは顔がいいですよねぇ。

グっときたら感想など投げていただけると嬉しいです!!


では、最後に次章までのお休みの告知をもう一度。


3月27日(土)九章 第27話

~お休み~

5月1日(土)間章1

5月2日(日)間章2

5月3日(月)間章3

5月4日(火)間章4

~通常連載開始~

5月8日(土)十章 第一話


~予告~

魔獣を撃破するも力尽きたアクセラ。

目が覚めるとそこは……トワリ侯爵の砦だった。

次回、虜囚のお姫様

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― 新着の感想 ―
[一言] やはり侯爵の差し金でしたか。まぁ、怪しいと事前にもはっきり判ったけど、そこまで手強い魔獣多数とは思い付かなかったでしょう。どうやったら魔獣に指示を聞かせたのかが不思議です。 それにしても、徹…
感想一覧
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