九章 第22話 魔法隊とエレナの戦い
「ふぁ……」
自分の欠伸で目を覚ます。それだけ眠りが浅かったんだろうか。わたしはすぐに状況を思い出してそれもしかたないと目を擦った。それから何をするよりも先に左右の手に填めた手甲を見た。
学院に入るときに仕立てた蝕鉄の薄手袋をベースに色々改造を施したこれは新しい名前を魔織の手甲といい、歴とした魔道具だ。手の甲と指の背に装甲が縫い付けてある。蝕鉄の薄手袋が金属を侵食するから一層目に薄い樹脂を使って、その上から臙脂色に鈍く光る金属を貼ってある。これはニカちゃんの魔導銃にも使った魔力伝導率が高い金属で、「狂宴の廃城」のレッドメタルゴーレムを分解して入手した。
「あ、全部繋がってる」
まだちゃんと像を結べない目で見ると大量の光の糸が魔織の手甲の五指から伸びてる。薄く光るそれは不活性モードになった魔力糸。一本一本がアクセラちゃんに託してばら撒いてもらったダンジョンクリスタルと繋がるそれが、全て接続完了して待機状態になってた。
「よかったぁ」
起き上がる気になれないまま魔力糸に指をかけて仕分けをする。指先から伸びる糸を手の甲の金属に埋め込まれた灰色の石に動かし、そのうちいくつかをまた別の指に動かす。使い切った空のダンジョンクリスタルに術式を描き込んだソレは、いわばわたしという魔力源を活用する魔道具。
「はふぅ、さすがだなぁ」
溢れる欠伸を噛み殺しながら脳内にマッピングされていくダンジョンクリスタルの間隔を見て感心する。アクセラちゃんはほぼ等間隔に仕込みをしてくれてたらしく、とても精密な地図がイメージできるのだ。それを参考に魔織の手甲へ変数を描き込み、敵の捕捉以外にもその移動速度や規模が算出できるよう術式を調整してしまう。
「よし、プリセット完了。これで何が来ても作戦が練れるね」
作業が終わるころには頭も回るようになってきた。ぼさぼさになった髪を手櫛で整えながら横を見る。女性の隊長用に割り当てられた天幕でわたし、ニカちゃん、シスター・ジェーンはそれぞれ結構な距離を取って陣取ってる。そんな中でわたしの真横に眠る気配が誰なのか、そんなことは起きたときから分かってる。
「ん……むにゃぁ」
頬にかかった髪がくすぐったかったのか毛布に顔を何度か擦りつけるアクセラちゃん。わたしが寝てる間に帰ってきて、わたしの予備の毛布で眠ってしまったらしい。まるで大きな猫のように体を丸めて眠る姿はとても可愛い。と言っても黒い鞘の刀は抱きかかえたままだけど。流石に軽鎧とブーツ、グローブは外して乱雑に纏めてあった。
「かわいいなぁ」
柔らかな頬を撫でて呟く。その瞬間、彼女がまた大きく身動ぎをした。それから真っ白の睫毛がゆっくりと上がって煙水晶みたいな瞳が現れる。しばらくぼんやり毛布を見てからちらっとこっちを見上げた。
「おはよ」
「うん、おはよう。設置ありがとうね」
「設置……ああ、ん、どういたしまして」
目をこすりながら体を起こしてふらふら揺れたアクセラちゃんは、そのままへにゃっともたれかかってくる。いつもの匂いが少し汗っぽさ多目で漂った。少し体温が高い気がする。反射的に胸が高鳴る。
「疲れてない?まだ寝てていいよ?」
「んーん……」
さっきも毛布にそうしていたようにわたしの肩に顔を擦りつけた。寝起きのアクセラちゃんは本当に犬猫の雰囲気だ。
「どうかしたの?」
いつも以上にぐずる様子から何か面倒なことがあったんだろ察し尋ねると、彼女はようやくわたしの肩から顔を上げて嫌そうにしかめた。
「ネンスに報告してないコトで一つ」
「神様がらみ?」
「近い。よく分かった」
そりゃね、と肩をすくめて見せる。この状況で指揮官であるネンスくんに伏せるベき情報なんてそう多くない。
「マレシスが持ってた短剣、あれと似たものが角の魔物の体内にあった」
その言葉を聞いた瞬間、天幕の中がすっと寒くなった気がした。身に付けるだけで精神に干渉し悪魔の侵食を進める恐ろしい武器。それがこの場所でも出てきたことに異様な作為を感じる。
「認識阻害の禁制素材じゃなかった。色は同じ紫と白だけど。中身もたぶん、マレシスのときみたいな主体性のある悪魔じゃない」
「主体性の有無が悪魔にあるの?」
「そういう場合もある。なんていうか、薄い?今回はたぶん角の魔物の素材だった」
やっぱりキメラだったんだ。
納得すると共にキメラの素材にするため弱い悪魔を封じたのか、封じた悪魔から主体を消したのかという疑問が湧き出る。どっちにしても悪魔を加工するなんて聞いたことがないから、かなり厄介な相手が背後にいることは分かるけど。
「角の魔物はレイルのお父さんが倒したオーガだろうって」
「八本角の巨大オーガ種、紅戦鬼ブルガンディオだね」
小さい頃に本で読んだ記憶がある。他国はもとより国内でも地方からは忘れられつつある化け物だ。
「あれの角の欠片と悪魔の短剣を魔物に埋め込んだ手作りモンスター」
「まあ、それなら言わなくて正解だったと思うよ」
たしかにこれはネンスくんに言えない。マレシスくんの死の責任がある何者かが裏にいると知ったら、きっと彼は冷静でいられない。今この状況で指揮官が浮足立つのは、本人にはちょっと申し訳ないけど、正直困る。昨日の夜中から今朝にかけてどれだけ大変な思いをしてここまできたかを想えば。
本当に、本当に大変だったからね……。
先生、冒険者、武闘派の生徒、文官肌の生徒、女子生徒と色んな属性の人がいるから、それだけまとめ上げるのに苦労した。とりあえずわたしが魔法使いの前で氷と土の壁を出してみせて、レイルくんが角の魔物とお父さんの逸話を持ちだしてハッタリかまして、ネンスくんがミスラ・マリナを見せつけるように輝かせて……示威行為の必要性をタップリ理解させられた気がする。そこからも魔物肉を食べたくないとゴネる貴族出身者を黙らせたり、料理や洗濯はできないとゴネるお嬢様たちをひっぱた、ごほん、説得したり。
「それだけじゃない」
「?」
「前の短剣の素材、魔獣の認識阻害は結界に作用しないはず。そこの仕組みが気になってた」
学院に設置された神塞結界をすりぬけて持ち込まれた短剣。どうして邪悪を弾く結界がそれを見過ごしたのかは王宮や教会を含めて誰もが気になってたトコロ。それを見抜いたような口ぶりで彼女は言う。
「金属の中に直接封じられてるわけじゃない。神の力で覆われてるから、結界が感知できなかった」
「え、それはおかしくない?だって悪神も神塞結界に弾かれるよね」
そうでなければ安心して夜も眠れない。たとえ悪神の力が空から降り注いでも簡単には破れないほど強固な結界だからこそ、世界中で人間の生存圏を守り抜いて来れたんだ。
「ん。だから悪神の力じゃない」
「……え?」
「これは善の神か中立の神の神力」
まるで氷の柱で頭を殴られたような、衝撃と寒気が同時に襲ってくる。
「それって……」
つまり善神の結界に抜け道を作る方法を、悪神以外の神様が作ってばら撒いてるってこと?
その想像は浮かべただけで手に震えが生じるようなものだった。だって神様は、この世界では絶対的な力を持ってる。前に会ったミア様やテナス様は優しい神様だったけど、それでも魔眼を持つわたしには強大すぎて感覚が麻痺するほどの光が見えた。夏前に遭遇した強欲神の現身だって戦う力のない存在だって言いながら、自分を保つのが精一杯になるほど凄い圧を纏ってた。そんな神様が敵か、敵の味方になってるなんて……。
「ア、アクセラちゃん……」
「大丈夫。少なくともミアたち主流の神じゃない。私は聞かされてないし、ミアが人類を裏切ることはない。もし思惑があるとしてもこんな回りくどい事はしない……というか最上位の神々には無理だと思う」
「どうして?」
「ガサツだから」
あんまりと言えばあんまりな理由。でもなんとなく分かる気がする。神話の神様は剣の一振りで山を作ったり谷を作ったりするし、実際に会ったときも人間からすると滅茶苦茶なことをポンポンやってた。それが金属の短剣の中に殻を作って悪魔を隠すなんて、そんな作業をできるだろうか?
できてもしないよね。
それは目的がなんであれもっと別の方法がいくらでもあるという、万能であるが故の理由。でも間違ってはないと思う。
「あるとしたら中立の神だけど……まあ、本当に神が敵ならどうにもできない」
すっぱりと諦めたような言葉はアクセラちゃんらしくないと同時に、たしかにと思わされる説得力がある。神々の庭である地上世界でその神様に裏切られる心配をしても、それは突然地面が裂けて落下死することを憂うようなものだ。この前だって強欲神がわたしたちを殺すつもりで現身を降ろしてたらアクセラちゃんでもなすすべなく殺されてたわけで。
「なんていうか、わたしたちは弱いんだね」
「比べる方が無茶」
手足の先から抜けた熱が戻ってくる感触。指をにぎにぎして嫌な感触を振り払いながら今度はわたしが彼女の方にしなだれかかる。
「あー……」
「どしたの?」
「疲れたなって」
「まあ、戦場の空気だからね」
そう、今ここに流れてるのは初めて嗅ぐわたしでも分かる戦いの空気。今のところは問題なく戦えてるけど、誰も彼もがその空気を吸うだけで疲れてきてる。きっとネンスくんが敷いた指揮系統があっという間に浸透したのは、彼の肩書や皆の不安感以上に、すでに立ち込め始めてたこの空気を吸ったせいだと思う。
「でも……」
ぐだっと自分を支えるのを止めてアクセラちゃんの膝まで落ちる。筋肉質な太股を枕にため息が出るほど綺麗な顔を見上げて思うのは。
「楽しそうだね」
「ん、楽しい」
アクセラちゃんはそう言って笑った。戦うのがホントに好きだなぁと呆れ半分に見上げても、白髪の少女はにっと笑うばかり。命をかけて戦うのが好きなくせに殺すのは好きじゃない。アクセラちゃんのスタンスをそういうものなのかと思って受け止めてきたけど、ここに至って初めて少し疑問を覚える。果たしてそれは自殺願望とどう違うのかと。
「アクセラちゃんていつ頃からそうなの?」
紫の目がわずかに見開かれる。それからちょっと考えるように視線を彷徨わせてから肩を竦めた。
「小さい頃は嫌いだった」
「どうして?」
「弱かった。奪われる側だった。戦えば負けて、負ければ奪われて、こっそり何かを盗んで食べるしか生きる方法がなかった」
エクセルさまは奴隷の子供で、生まれたときから奴隷だった。脱走してからも野盗として狩れる日々だったらしいし、そうなると確かに戦いは避けたかったろう。
「刀を握って、強くなって、戦う意味を求めるうちに好きになった……かな」
アクセラちゃんの剣は目的を達するための剣だとずっと思ってきた。それは間違えてない。でもそれだけでもないんだと最近は分かるようになってきた。だってそれだけのための剣なら、彼女が言ったような戦士の業は背負わないはずだ。
「なんで戦うのが好きなの?」
考えても仕方ないかと思って聞いてみる。純粋な質問にアクセラちゃんはまた少し視線を彷徨わせてから小さく笑った。
「魂を燃やして戦うと、生きてると思えるから」
全然分からない。全然分からないはずなのに、なぜか分かる気がした。
小さいのに大きく感じる、不思議な掌が優しく私の髪を撫でる。年相応の女の子の顔、100年以上を生きる神様の顔、守るために戦うことを覚えた少年の顔、自分の存在を刃の中に見出す剣士の顔。アクセラちゃんの持ついくつもの顔のうち、今見えているのはどれだろうか。そう考えて見ても、やっぱり答えは見えてこない。
カーンカーンカーンカーン
膝の上で考え事を続けていると、遠くの方からけたたましい音が聞こえてきた。使ってない鍋を利用した警鐘は前線に異常があった知らせだ。
「エレナ、お仕事?」
「うん、そうみたい」
瞬時に頭を切り替えて体を起こす。装備品はほとんど付けたまま寝てるから問題ない。予備のクリスタルだけさっと確認して立ち上がる。同じように手早く武具を付けなおしたのはアクセラちゃんも。
「状況を確認して必要そうなら出る」
「お願い」
アクセラちゃんの扱いには注意しないといけない。ここの指揮系統に含まれていない、Aクラス以外の人からはオルクスの名前で誤解されたままの彼女。あまり自由に動いてもらうと命令系統や士気に良くない影響を産んでしまう。でも間違いなく最強の戦力だから、出し惜しみするのも愚かしい。わたしの大事な人は切り所の難しいワイルドカードでもある。
「行こう」
「エレナ、その前に下着」
「え、あ……」
仮眠をとるのに下着のホックを外してたんだ。着替えたりする余力はなくとも、体を水で洗って締め付けるものくらいは外して寝たかった。ただ普段はそんなはしたない寝方をしないので忘れてしまって、あやうくそのまま外に出る所だったわけだ。
たしかに胸元がぶかぶかしてはいたんだよね、危ない危ない。
慌ててシャツの背中越しにホックを止め直す。
「ありがと。じゃあ、今度こそ!」
「うん」
冷静さと分析力を強化してくれる『静寂の瞳』を改めて起動してから、わたしは天幕を捲って外に出た。
「隊長、失礼します!」
「状況を教えて」
高台へ向かうわたしを見つけて、畏まった調子で駆け寄ってくる魔法隊の女の子。ネンスくんが敷いてくれた指揮系統のおかげで、顔見知りもほとんどいない状態でもわたしは隊長として扱われる。指示が反論なしに通るのはとても楽で、ロジックを一々説明しなくてもいいのはとても助かる。ただ踵を合わせて敬礼する少女を見ると、どうにもやりすぎな感じがぬぐえない。
レイルくんくらいコミュニケーション力があればいいのかもしれないけど。
魔法の力量差を見せつけてネンスくんの基盤固めを手伝ったわたしは、どうにも周りから頼もしさ半分恐れ半分の扱いをされてる気がしてならない。そこから印象をリカバリーしようとかまったく思わないあたり、問題の本質はやっぱりわたしにある気がするけど。
「騎士隊が突破されて、魔物が入り口の広場まで入って来たみたいです」
「戦士隊がもう倒したあと?」
こくこくと頷く少女。
「負傷者が出たから交代ってことかな。それなら一気に騎士も下げてもらって休ませようか。砦の壁があるから魔法隊だけでもなんとかなるしね」
「は、はい」
女の子の頬が引き攣る。実戦が初めてだから無理だと感じるだけで、実際は唯一の出入り口に向けて目一杯の魔法を叩き込むだけ。撃ち漏らしはほとんど出ないし、前衛はむしろ邪魔になる。
「魔法隊はとりあえず……うん、火属性で集めておいて」
ダンジョンクリスタルを通じて放ったマナソナーの結果を考えて指示する。彼女は最後にわたしの後ろに続くアクセラちゃんを見て少し困惑したような顔を浮かべ、それから小走りに去っていった。
「わたしも魔法隊で戦う?」
「アクセラちゃんは遊撃とかじゃないの?」
「あんまり自由にさせてもらうと連携によくない」
彼女もそのことは気付いていたようだ。
ああ、まあ、それはそうか。
ここにいる冒険者は対魔物のプロでもここまで大きな防衛線は始めてだろう。先生の中には従軍経験があって訓練や国境の小競り合いに出たことがある人もいるだろうけど、本格的な戦争の経験はない。ユーレントハイムは魔物がそこまで多くもなく、戦争からも長い事遠ざかってる国だから。
そこに来てアクセラちゃんは、エクセルさまはどっちの経験もある。大砂漠という強靭な魔物の巣窟に都市を作って住まい、ロンドハイム帝国との戦争の最前線で戦ったのだもの。指揮系統に従う経験こそたしかにあまりないだろうけど、戦場での仲間意識やその効果については誰より肌で分かってる。
だからこそ、自分という存在がこの砦の指揮系統にとって異分子であることも察してる。彼女は今いる戦力の中で最強だけど、それを信じてる人間が少ない以上は上下関係や信頼関係を崩しかねない札なんだ。
「むぅ、やっぱり面倒くさいね」
当の彼女は肩を竦めるだけ。わたしだって指揮系統を敷かない方が面倒だってことは分かってる。いくらアクセラちゃんが強くても砦の設備なしには全員を守れない。砦の設備、つまり魔物でも踏破が難しい高い城壁と補給を含めた防衛の戦力。それを崩さずに彼女をうまく戦わせてあげることが大切になってくる。
「きゅ、救護班!急いで上級ポーションを持って来てくれ!」
「上級なんていらん!下級で大丈夫だこれくらい!」
「神官はまだ動けませんの!?」
「無理ですよ、そんなの!」
高台に近づくほど喧騒は激しくなる。血だらけの戦士隊とそれを必死に手当てする顔面蒼白のお嬢様たち。その間を縫って休んでた冒険者や先生が治療をしに走り回り、魔力切れの神官が土気色の顔で唇をかむ。
「最悪、救護班にでも回ろうかな」
たしかにそこなら軋轢もないし、聖魔法で治療ができるから理想的といえば理想的だな。そう思ってから頭を振る。アクセラちゃんの手札を見せるのは最後まで取っておきたい。それに戦闘で彼女を頼みにしないなんてもったいない事はやっぱりできない。
「にしても、アクセラちゃんはメンタル強いよね」
「そう?」
これだけ阿鼻叫喚の図になってもまったく動じないのは、さすがのわたしも見ていて冷たさを感じる。といってもアクセラちゃんが突き放すときは突き放すタイプなのは知ってるし……。そう思っていると彼女は声を潜めて笑った。
「慌てる人が一杯いると、とても焦らない?」
「え、まあ、そうだね?」
「あれと同じ。怪我自体は大したことない。耳をすませば分かる」
言われてみれば聞こえる叫びの中には慌てて現実的でない要求をする声と、それを訂正するものが入り乱れてる。
「思いのほか血が出て、見慣れてない学生がパニックになってる。それを宥めたり指示を正したりするのに先生や冒険者が叫ぶ。全体が叫ぶから喧噪になって、大変なことになってると勘違いした人がパニックになる。初陣の戦場ではよくおきること」
「ああ、それで」
実際には聞こえてくる半分以下の騒ぎでしかない。それが正確に見えてるからアクセラちゃんは特に引きずられることなく普段通りに振る舞ってるわけだ。
「砦の構築時点で大きな被害が出たって聞いた。それがあるから余計に焦る」
最初の晩の戦闘では先生を中心に重傷者がかなり出た。自分たちよりずっと強い大人が大怪我をして泣き叫ぶ姿を見て、生徒の中には恐怖心が宿ってしまったんだ。だからうまく行ってる間は強くとも、劣勢になった途端に弱みを見せてしまう。
「思った以上に砂上の楼閣なんだね、この砦」
「エレナは頑張ってる」
「そうかな」
「そう」
高台へ上がる階段までたどり着いても大騒ぎは留まるところを知らず、それどころか処置の終わった戦士隊の一部が泣きごとを漏らすせいで余計に重い空気が漂ってたりする。
「いてぇ、いてぇ……!」
「誰か、私の腕を見てくれ!痛くないんだ、なんで、なんで!?」
「いやだよ!死にたくない!」
アクセラちゃんに言われたとおり落ち着いて彼らの怪我を見る。たしかに言う程酷くない。一人目は肩を脱臼しただけに見えるし止血も終わってる。二人目は腕が折れてるみたいで、おそらく興奮状態だから痛くないだけ。最後の一人もあれで死ぬわけもないような傷。三人揃ってもファティエナ先輩と決闘したときのわたしの方が酷い怪我だった。
「誰か、こいつをもう一度見てくれ!」
「そ、そんなこと言われても困りますわ!?」
「いやぁ!死なないで!!」
それに一々周りの学生がオーバーなリアクションを取っているのを見ると、確かにちょっと醒めた目を向けてしまうのも分かる。
「ん、とりあえず私が鎮めとく」
「え?」
「闇魔法でね。自分のできることで、できる範囲のことをしないと」
それだけ告げて微笑んだ彼女は返事も待たずに背を向けて去ってく。その手から音もなく黒い魔力糸が伸びて大声で叫ぶ負傷者眠らせるのを見て、ああなるほどなとわたしは内心で頷いた。闇魔法で眠らせてしまえばパニックのもとになる叫びは半減するだろう。
「あ、そこのあなた」
走り回る輜重隊の生徒を一人捕まえて、治療と並行して血を拭うよう命じた。血みどろなのがパニックの原因の1つなら、それも早めに対処しておけばいい。
「よし、行こう」
自分の「本番」に望むため高台へ昇る階段に足をかけ、いっきに重さを増した体を支えるため小さく口にする。つとめて気楽な口調で、部下の人達も休む前衛も安心できるように泰然として。アクセラちゃんみたいに。
「もう一回やってるんだし、できるできる」
昨晩の動乱を収めるのに一度だけ防衛のシフトをフルタイムでこなした。魔法使いの皆も勝手が分かってきてる。そう言い聞かせても心臓はバクバクとうるさかった。新しい装備、新しい魔法、今までの経験。それをごちゃまぜにしてぎゅっと手を握っても少し震えるほどに。
でも、アクセラちゃんを支えるならこんな事じゃ駄目だ。
鉄火場ならもう何回か潜った。わたしは強い。昨日よりも強い。前の戦いよりも強い。だから大丈夫。ネンスくんが頑張ってるみたいに、レイルくんが踏ん張ってるみたいに、わたしもわたしの戦場を駆け抜けるだけ。
「うん、なんとなかなる!なんとかする!」
魔法の言葉を唱えてから階段を一息に上った。
~★~
「エレナ隊長、魔法隊は揃ったよ。もういつでも戦える」
高台へ昇って数分、遊撃隊を率いるバート先生が歩行用の杖に体をあずけながら教えてくれた。昨晩の戦いで足に重傷を負った彼は、それでも巧みに片足で高台の上を移動して見せる。もとから真面目であんまり笑う先生じゃないけど、今日は朝から頑張って笑ってくれてる。強い人だと思う。
「ありがとうございます」
「なに、これくらいのこと。それから戦闘が始まったら前回同様、遊撃隊が君たちの直掩に付く。存分に戦ってくれたまえ」
遊撃隊は万が一城壁を超えてきた敵のために巡回警備をしてる。でも今の所そんな敵はないので、魔法隊が出るときだけ前衛まがいの仕事をお願いしてるのだ。そうすることで騎士隊と戦士隊が完全に休めるから。
「もうすぐ群れが来ますから、準備をお願いします」
「どうして分かるんだい?」
今、凍り付いた大木の門から見えるのは破壊された森だけ。大型の魔物や魔法による戦闘を同じ場所で延々繰り返したせいで、鬱蒼とした森だったはずのそこは現在歪な広場に変わってる。その割に魔物の死骸が少ないのはわたしたちと魔物、両方がそれを食料にしてるせい。食べなければ死んでしまうし、死骸を捕まえて逃げて行く固体まで追撃する余裕もない。
「アクセラちゃんに仕込みをしてもらいましたから」
灰色のクリスタルがはめ込まれた手甲を見せる。それが何かしらの魔道具であることは先生もすぐに察したようだ。
「これと対応した探知魔法の補助魔道具を蒔いてもらいました」
「なるほど、それで別働だったのか。いや、しかしよく持ちこんでいたな」
「実験のつもりだったんですよ」
説明に一つだけ嘘を混ぜた。実験なら学院の森でしたし、アクセラちゃんの作った探知結界のデータも反映させてる。万全に準備をして、ネンスくんの護衛のために持ち込んだんだ。
「一定以上の魔力を持つ敵や数、速度が特徴的な相手だけ感知してます」
右手の大杖キュリオシティをぎゅっと握る。左右に填めた魔織の手甲から放射状に伸びる魔力糸からは絶えず情報が流れ込み、色を失ったクリスタルに一瞬だけ光を灯して脳へと伝わる。
「次に来るのは虫系ですね、たぶん。大きさが違うから2種類か3種類。数は多いですけど、昆虫の魔物は脆いですから」
「はあ、なるほどな」
「た、隊長!」
その後もバート先生の質問に色々とこたえていると、一人の男の子が慌てた様子でわたしに声をかける。そろそろ作戦を教えてほしいと、目の前の戦闘に焦って浮足立ってるのがよく分かる顔で言う。
「先生、また後でお話しましょう」
「そうだね。君の魔法は面白い。また後で」
独特のリズムを刻んで高台を降りて行く先生。わたしは逆に、中心に据えられたさらに一段高いところへ昇ってから、風魔法で魔法隊全員に声が聞こえるようにする。
「あと5分ほどで群れが来るよ。前回と同じようにすれば何の問題もなく倒せるから、肩の力を抜いて。大丈夫、なんとかなる」
無理だろうと思いながら一応。
「攻撃はファイアボールで、わたしが3数えたら発動。タイミングは3、2、1のあと、次の拍で詠唱開始。古典詩文の朗読と同じペースで唱えたあと門の中心目がけて撃って。そこからはわたしがやるから」
こういうとき教養が以外に役立つ。古典詩文の朗読なんて、知っていればそれだけで合わせられる最高のメトロノームだ。訓練がなくても他の物を代用できる環境は学院ならではと言える。
「騎士隊はそろそろ下がって!」
風魔法で前線に立つ騎士を呼び戻す。彼らも疲れてたんだろう、魔物がいないのをいい事に背を見せて走り戻って来た。その姿が足元の高台の下へ消えるまで待ってから森へ視線を戻す。
「……来る」
砦に一番近いクリスタルが信号を寄越した。何かが風を切ってかき混ぜるような音が微かに聞こえ出した。
「3」
声を張って合図を始める。それまでとは高台の空気が変わった。恐れと自信がない交ぜになった緊張感から、それらを抑える殺意の色に。見習い魔法使いがそろって固唾を飲む。
「2」
自分の声が渇いた空気に響く。皆が杖を硬く握り込む音まで聞こえてきそうだ。森の奥には何かがキラキラと光を反射しだした。こんな場所には不似合いな赤と青の輝きだった。
「1」
「っ」
「「「「燃えよ!赤き火よ!熱き物よ!」」」」
声が爆発した。聞き慣れた初歩の初歩を合唱する20近い若い声。朗々とした詩吟の音色に肩を借りて、隣の人間の詠唱に寄りかかって、それでも凄まじい魔力のうねりを作りだした。
「「「「燃えて!走りて!在れなるを焼き払え!」」」」
スキルに引き込まれた魔力が凝集し、変換され、漏れ出す余剰で魔眼の視界は薄っすら赤く染まる。一列に並んだ少年少女がそれぞれの手を門の外へかざした。赤はその手の先へ集まっていく。
「「「「火の理は我が手に依らん!!」」」」
唱え切ったとき、高台には夥しい量の光が現れた。轟々と燃えるファイアボールが手の数だけ生まれ、焦がされた空気が天へと揺らめき昇っていく。枷から解き放たれたように門へ殺到するそれは、しかしそのままだとただのファイアボールだ。
「キシィイイイイイイイ!!」
森の木々を抜けた魔物が透明な薄羽を2対煌めかせながら、毒々しい赤の甲殻を見せつけながら、殺意と捕食衝動に憑りつかれた咢を開いた。群れ成す魔物はトンボ型だった。その後ろにサファイアマンティスもいる。数は昆虫らしく夥しい……でも纏まってる。
「集まれ、混ざれ、溶け合い、捻じれ、渦を成せ」
ざわめく生徒たちを無視してわたしは早口で唱える。門の手前に広げた魔力糸の網を動かすために、想像した通りの言葉を詠唱とする。
「と、とんでもない数……!」
誰かが叫んだ。でも二発目の命令は出さない。必要がない。
「迸れ、焦がせ、唸りを上げ、逆巻き、焼き尽くせ」
ファイアボールを絡め取った魔法の網が大きく形を変える。まるで竜巻を横倒しにしたような真っ赤な渦。
「合わせた声の轟く限り、示せ、炎の理を我が手に!」
火単一合成魔法・ブレイズサイクロン
ゴウッ!!
熱気と気流を纏って炎の竜巻は真横へ解き放たれる。門の氷をわずかに溶かして、草木を枯らして、トンボを瞬く間に炭の欠片へ変えて。
「シャァア!?」
「キュイイ……!!」
金切声が真っ赤な台風の向こう側で上がる。旋回を試みた個体もいたようだけど、半回転とする前に荒れ狂う紅蓮に呑まれて尽きた。百を優に超える数の魔物が暴力的な火力にすり潰され、森の淵を更に奥へ奥へと押しやる。止まり切れないトンボが迫る火焔へ飛び込み、鎌を振り上げて身を守ろうとするカマキリが熱に踊る。たった一度の魔法は効率的に群れを食い滅ぼす。
「……」
赤々と全てを照らし出した光が収まったとき、動くものはもはやいなかった。後に残った黒い大木の死骸はぼろぼろと音をたてて同色の大地を打つ。チロチロと燃え残った草木も魔力が途絶えたところで消えた。
「お、おお!!」
「すっげえ……!」
各所で歓声が上がる。でもわたしは当然の結果を受け止めながら残りの魔力を計算する。この空間に残ってる魔力、各魔法使いが使える魔力、そしてわたしの中にある魔力。正直ほとんどのエネルギーを他の魔法使いに任せてる分、わたしの消耗はあんまりない。各魔法使いの魔力は正確には分からないけどまだしばらくは持つはず。問題はこの場所に残ってる魔力量の方で、砦の壁と回復魔法に結構消費されてしまってる。
「つ、追撃しますか!?」
「んー……今はいいかな。さっきので迫ってた端数の敵は逃げたみたいだし」
興奮した様子で訪ねる男の子に首振ってそう伝える。彼はどこか残念そうにしながら頷いた。昨晩から続く初めての本格的な戦いでハイになってるのかも。
合成魔法はハデだしね。
門のこちら側から一斉にファイアボールを撃っても面制圧しかできない。唱え直してもう一発撃つ間に後続がどんどん前線を詰めてくる。それにどうしても粗密が発生する。突破されれば総崩れになるのが魔法隊の弱点だ。だから同じ魔力でもわたしがまとめ上げて合成魔法に整える。均一で直進性の高い別の魔法へ昇華する。こうすることでわたし一人が大規模な魔法を使うより効率的に、短時間で大火力が放てる。
つまり色々な小技を交えてなんとか維持してるのが実態なんだよね。
「魔力が足りなくなってきた人は無理せず下がって。撃ち尽くして倒れるより半分くらい残して交代した方が安定するから」
学院の生徒だけあって魔法をある程度使える人は多いけど、魔力量と練度が低すぎる。属性も戦闘に使えるのは火属性に偏ってるし。今は余力もあって圧勝してるから能天気だけど、簡単なことでさっきのパニックのようになるだろう。
あぁ、止め止め!マイナスを数えても仕方ないからね。
「この調子で一匹も通さないようにするよ!大丈夫、なんとかなる!わたしたちは勝てる!」
高揚感に乗せて楽観を混ぜて行く。感知範囲にはまだまだ大量の魔物がいるけど、シフトが終わるまでに到達するだろう魔物の群れは4つから6つ。
「おー!」
「「「おぉおおおお!!」」」
あと多くて6戦。戦い切って夜を迎えられるようにわたしは慣れない雄叫びをあげた。
沢山誤字報告を頂いております。
読んでくれてるんだなーと嬉しい反面大変恥ずかしい(笑)
でも、ありがとうございます。
~予告~
砦にて合流したアクセラとエレナ。
状況不明の劣勢を覆せるか!?
次回、まやかしの作戦会議




