九章 第21話 砦と指揮
「騎士隊、構え盾!」
大木がいくつも切られ、燃やされて開けた一角。レイルの怒号に合わせて学生の騎士たちが一斉に大小の盾を構える。赤く輝くスキル光が全く同じ形に展開され、さながら一枚の壁のようになった。そこへ十体近くの大きな魔物が激突。瞬間に爆発する光が魔物を襲い、まるで視界を失ったようにそれらはよろめいて後退った。
「今だ、戦士隊!斬り込め」
男の声が吼え、解除された盾壁の間から冒険者と学生が飛び出す。それぞれが剣を手に怯んだ魔物へ斬りかかる。デバフの壁は効果覿面でCランクに位置するブラッドベアやブルオークが狩られて行く。戦士隊とやらも冒険者がフォローに回って、生徒は数人で攻撃の緩急をつけ確実にダメージを与える戦法。全てが堅実で、だからこそ安心感のある戦い方だ。
「チッ、お代わりが来やがった!下がれ下がれ!」
「お、大きい!」
「今回は一旦バフなしだ、防御特化のスキルでいくぜ!続け!」
戦士隊のリーダーと思しき長身の冒険者が叫ぶと深追いは誰もせず、足早に騎士隊の背後へ下がっていった。レイルも的確にスキルの切り替えを指示し、迫りくる3m近い大猪の魔物を睨む。何度もそのやり取りをしているのだろう。戦いの高揚が指揮に従って粛々と増減する様は兵法の手本のようだ。
「ん……なんだ、うまくやれてる」
自然と唇の端がつり上がる。微笑ましいものを見るような喜びと、少しだけ置いて行かれたような寂しさ。それを噛み締めるごとにネンスから今回の遠征について聞かされて以降ずっと感じていた、腸をじわじわと炙られるような焦燥感……それが解けて行くのを感じる。
まったく、ついこの間まで子供だったくせに。
楽観しすぎてはいけない。俺が守ってやらないといけないのは変わりないから。なにせ状況が状況だ。けれど腕のいい冒険者や教師がこれだけいるのだから、任せられるところはまかせておけばいい。全部する必要はないんだ。
はあ、なんだろうな、年寄りの取り越し苦労みたいな……やだね、歳は取りたくないものだ。
「よっこいしょ」
状況に比べていやに晴れやかになった心で俺は立ち上がる。連携を乱してはいけないと思い、彼らの頭を飛び越えて拠点へ入るのは取り止め。代わりに騎士隊へ目がけて突進する猪の魔物、ウッドバスターを認めて木を蹴る。あれは破壊力に特化した魔物だ。正面から盾で受けるのは消耗が激しい。
「は、速い!」
「レイルさん、レイルさん!」
「うっせえ!オレが受け止めてやるから騒ぐな!」
第二波を捌き切った直後に突進してくる猪。その姿に狼狽える仲間に檄を飛ばしているがレイルも顔が引きつっている。単純な質量と速力は分かりやすい破壊力を感じさせるのだろう。
「ふふ」
レイルを頂点に矢じり型の陣形を組み直し、薄紅のスキル光で攻撃的な防壁を張っている。いい判断だ。慌てつつも俺の想像を上回る対応力を発揮して戦う様を見ると、やはり教える側としては感じ入る物がある。
年寄りの楽しみだよな、こういうのは。
ウッドバスターの進路上、その真上へ駆けた俺は太く突きだした枝を蹴って直滑降する。
「や」
気の抜ける気合い。体を空中で一回転させ、落下の勢いを刃へ転換。ちょうど走り込んできた猪の首へ紅兎を薙ぎ入れる。ずぱんと湿った音がして、俺の鼻先を獣臭い巨体が通過した。足をもつれさせたそれは慣性に従ってレイルの盾へ激突し、攻撃防壁と接触して派手な血飛沫と雷光をまき散らした。斬り離された頭も遅れて誰かの盾にぶつかって弾け飛んだ。
「うぁあああ!?」
「レ、レイルさんの盾で頭が弾けた!」
「んなワケあるか!」
騒々しく叫ぶ騎士隊の前に歩み出て拭った紅兎を納刀する。チン、という音に気づいて視線をこっちへ向ける彼ら。レイルをはじめ、Aクラスの面々はほっと安心したような顔をした。これも日ごろの行いだろう。
対してBクラスやCクラスからは疑わしい物を見る目が向けられ、Dクラス以下は俺を知らないのか多様な反応をみせる。具体的には目を見開いたり頬を染めたり不審がったりだ。
「お疲れさま」
気安く声をかけると顔見知りの空気は大きく緩んだが、逆にそれ以外からの視線は厳しくなった。自分たちが命がけで戦っているところにふらりと現れて緊張感のない態度を見せれば、それは睨まれるだろう。しかし気負いすぎはよくないとさっき自らが思い知ったばかりの俺はあえてそうした。少なくとも俺の実力を知るレイルが少しでも心に余裕を持てるように。指揮官の余裕はそのまま部隊の余力になりうる。
「おい、待てよ」
追加の魔物が来ないと分かって矢じりの陣形を解いた騎士隊から一人の少年が進み出る。レイルをさん付けして呼んでいた、そこそこ使えそうなカンジの奴だ。鎧も盾も騎士服も黒ベースというのはあんまり見ない装いだが。
「レグムント家から掠め取った白髪に紫の目、お前がオルクスだろ?」
珍しいことに彼はオルクス家の本来の家系的特徴が紫の瞳だというコトを知っているらしい。レグムントの白い髪がイメージとして強すぎるので、なかなか知っている人間がいない事実だ。
「いままでどこでコソコソ隠れてたのか知らねえがな、ここには裏切者を入れてやる余裕はないんだよ。とっとと消えて魔物に食われちまえ!」
なんというか、初めてアベルの家でお茶会をしたときのアティネ並に刺々しい。やっぱり武門の人間にはこういうのが多いんだろうか。なんてぼんやり思いながらどう応じるべきか考えているとレイルが深くため息をついて見せた。それからガントレットに包まれた拳を軽く振り上げて少年の頭をどついた。
「痛っ!?」
「バカ野郎。魔物を前にして騎士が守る相手を選別なんてすんじゃねえよ!」
「だ、だけど……!」
「だけどじゃねえの!」
反発する少年をもう一回どついて黙らせたレイルは咳払いをして付け加えた。
「あとこいつはオレの大事な友達だ。すげえ強いし、すげえいい奴だから、あんまり酷いこと言うな。っていうか見たろうが、さっきこの巨大猪の首を刎ねたの」
メルヴィンたちを連れてきたときにも思ったが、そう堂々と褒められるとさすがの俺も少し恥ずかしくなってくる。あと少年は気が動転していて猪の死ぬ瞬間を見ていないか覚えていないと思うが……。
「分かったか?」
「……うっす」
不承不承ながら少年は頷く。さっきのゲンコツといいどうにも騎士は体育会系というか、荒くたいところがある。普段はそういう面を見せないレイルだから、俺としてはちょっと以外だった。
「で、アクセラ。どうだった?」
「魔物ならある程度間引いて来た」
「さすがだぜ、助かる」
後ろから迫る敵は、とりあえず俺の感知範囲にはいない。それもそのはず、道中で見かけた魔物はほとんど斬り捨ててある。最初に全員で合流してからというもの、俺は一人でエレナのお使いをして別行動だったのだ。これはそのついでと言えばいいだろうか。
「じゃあ改めて、仮設砦にようこそだぜ」
「ん」
騎士隊の壁が解かれ、背の低い俺でも背後にそびえる門が見えるようになる。氷漬けになった巨木二本を使った豪快な砦の門だ。そこから歪な円状に凍った木の間を氷や岩の壁で繋いでいったものが、レイルの言う所の仮設砦らしい。魔法で作られた堅牢だが不格好な砦は威容と言えば威容だが、どちらかと言うと異様な見た目をしている。
「オレはもうしばらくここで見張ってるからよ、ネンスとエレナに報告してやってくれ」
「ん、ありがと。適度に頑張って」
「まあ、適度にな」
肩を竦めて苦笑する姿は昨日までの少年というより、一人の騎士の風格が出てきた。
ふふ、やっぱり実戦に限るなぁ。
遠征に出たときの重たさなどもう微塵もない。むしろ戦場の気配と久しぶりの気ままな単独戦闘、そして教え子の成長を実感する経験が前世の感覚を呼び起こして、もしかすると今までで一番浮かれているかもしれない。
結局頭を使うのは俺の本分じゃないんだな。
ひんやりとした門を潜って殺気立った目の戦士隊を通り過ぎる。Aクラスの戦える連中はほとんどが騎士系だったのか、戦士隊には2人くらいしか知った顔を見つけられなかった。もちろんどの隊も2つか3つに分けてあるんだろうから、まだ見てない面々が纏めて戦士隊の予備部隊でも驚かないが。
「ん、中々すごい」
戦士隊が待機しているゾーンを含む門の内側はちょっとした広場になっていた。おそらく突破力にすぐれた魔物や数の多い敵が騎士隊を抜いたときに、戦闘エリアと居住エリアを分けて迎え撃つためだろう。その間仕切りの役割を果たしているのは土魔法で作られたと思しき高台で、このU字型の建造物が壁と繋がることで広場を生み出している。
「遮蔽物は腰丈と肩丈……ん、理に適ってる」
広場の奥側、高台のすぐ下には二種類の障害物がこれまた土魔法で作られていて、身を隠しながら戦えるように工夫されている。腰丈の壁は四足の魔物から足を守りながら剣が振るえ、肩丈はとりあえず逃げ込むのにぴったりだ。
「よくできてる。この高台は……ん?」
魔法使いや弓使いが攻撃するためのものでもある様子の高台。その上に姿を現した特徴的な髪色の少女に俺は驚いて見上げる。ストロベリーブロンドに朱色の毛先という他に見たことがない色彩は間違いなくアレニカだ。
「え、アクセラさん!?」
目が合うと彼女の方も驚いたように叫んだ。その拍子によろけてしまうのはご愛敬。肩に担いだ魔導銃のケースが重すぎるのだろう。赤い上着も腰回りのベルトもちゃんと装備してスワローズダイブもホルスターに入れているようだから、鞄はほぼスワローズハント関連だけのはずだが。
「無事だったんですわね!」
「ん、おかげさまで。アレニカは大丈夫?怪我してない?」
「え、ええ、殿下とエレナのおかげでなんとか」
口ではそう言っているが、アレニカは魔導銃の使い手として結構筋がいいように思える。きっと今まさにそうしようとしたように、高台からの火力支援で戦果をあげていることだろう。
「ネンスいる?」
「え、ええ、その、すぐそこに……」
困ったように言葉を濁すアレニカ。その意味はすぐに分かった。
「私ならここにいるぞ」
心底不機嫌そうな声がして目の前の遮蔽物から少年が顔を出す。うっすら目の下にクマを浮かべたネンスが白銀と金の装飾の鎧姿で現れたのだ。課題をこなすために帯びていたコンクライトの剣は白陽剣ミスラ・マリナに置き換わっている。
「ん、お疲れ様」
「お疲れ様、ではない……まったく、心配のし過ぎで寿命が縮むかと思ったぞ」
最後まで俺の単独行動に難色を示していた友人の苦言を受け止めつつ、労うように肩を叩く。よくぞここまで頑張ってくれたという思いを込めてのことだったが、どうも彼には違う意味に思えたらしく睨まれてしまった。
「お前に慰められるのはどうにも釈然としないが、まあいい。文句は後だ。とりあえず中へ入れ。アレニカ!すまないが私は予定を変更する、君はそのまま可能なら前線に少し協力をしてやってくれ!」
「わ、分かりましたわ!」
頭上へ彼が叫ぶと了解の返事が降ってくる。どうやらアレニカ以外に一人もいなさそうな魔導銃使いはネンスの直属兵力に収まったらしい。たしかに魔法使いとして使うには色々と相性が悪いし、かといって前衛系の職にも合流させられない一点モノの戦力だ。
「こっちだ」
ネンスに引き連れられて障害物の裏へ周り、そこに隠されていた高台の下のトンネルを潜る。抜けるとそこは戦闘のためではなく、それを支えるためのエリアになっていた。これは広場を見た時から分かっていたことだが、それにしても俺の思っていた以上に簡素な布陣だ。魔法で作られた構造物は端の方のトイレの仕切りくらいで、あとは馬車が何台かと天幕が数基。
「炊事はあちらでひとまとめにしている。報告が終わったら行ってくれ、何か食べる物を用意してあるだろう」
ネンスが指さすのは岩壁にほど近い場所。5基もの竈が設置されて煙を上げている。明らかに手慣れていない女子生徒が悲鳴を上げながら仕度をしているのは、正直料理が得意な人間からすると嫌な絵面だ。
「味は期待するな」
「自分で作っていい?」
「諦めて食べたら寝ろ」
はあ、コレが一番しんどいかもしれない。
とはいえ贅沢を言っていられないのも事実だ。なにせそこここで焚火がたかれているわけだが、その近くに夜番だった冒険者や生徒がゴロ寝して泥のようになっているのだ。まさしく鉄火場の景色そのもの。やっぱり一番に込み上げて来るのは懐かしさと、今にも前線へ駆け出したくなるような衝動だ。
「……楽しそうだな」
「ん、楽しい」
「昨日まで深刻そうな顔をしていたかと思ったら、はぁ……まったく、お前は本当に戦闘狂だよ」
あきれ返ったような、むしろ安心したような、なんとも言えない声音でネンスは言う。彼は彼で、俺が少しだけ無理をしていたことに気づいていたのだろう。そしてそれが自分の言葉によるものだと理解していて、気にかけてくれていた。何ができるわけでもないのに、と俺の方から言うのも失礼な話だが、それでも心配してもらえるのは悪い気分じゃない。
「基本的に女性は馬車を割り当ててあるが、あぶれる者には着替え用の壁と女性のみ使用可能な焚火を置いてある」
最低限、男と雑魚寝にならないよう配慮してあるわけだ。これは女性側へのというより全体への配慮だろうが。なにせいくら育ちがよくとも男は男。とくに初めて命を懸けて戦っている最中とあって誰も彼も気が立っている。なんというか、情緒も品もない話だが、戦ったあとは人柄も何も関係なく女が抱きたくなるものなのだ。生存本能がむき出しになって脳内麻薬がどばどば出るのだから、言ってみれば全員が俺の蹈鞴舞に似た状態。
「いいとおもう」
「あと天幕は隊長と重傷者に割り振ってある。幸いこの時期は夜でもあまり冷え込まないからな」
騎士隊の隊長はレイル、戦士隊の隊長はBランク冒険者のブロンス、魔法隊の隊長はエレナ、遊撃隊の隊長はバート先生とコルネ先生、輜重隊の隊長は神官のシスター・ジェーン、そして総指揮官がネンス。こうして見ると隊長の半分近くが俺の顔見知りだ。
まあ、実際は輜重隊がもう少し細かく分かれているらしいし、そこまでじゃないと思うけど。
それでも意思決定の面子に知り合いが多いのはいいことだ。何が起きようとしているか、また何をしようとしているかを察しやすいというのは、前線で戦う戦士にとってはありがたい。もちろん上の立ち場や敵のことを考えるとそこまで楽観はできないのだが。
「ん、予想以上にきっちりできてる。どこまで先生の入れ知恵?」
「入れ知恵は止せ、人聞きの悪い」
そう顔をしかめながらも入れ知恵があったこと自体は否定しないネンス。彼はそれから女子生徒専用の焚火を用意することは教師からの提案だったと白状した。それ以外にも壁の外側に反しを付けて昇られないよう、冒険者からの意見で工夫をしてあるという。高台はエレナのアイデアで、部隊の編制や指揮系統はネンス自身だ。意外な事に広場の障害物はレントンが出したものだとか。
そうか、騎馬戦に詳しいからこその四足獣対策か。
「そう言えばレントンは?」
「輜重隊で馬の世話を頼んでいる。いざ移動となったときに馬がストレスでやられていたのでは話にならないからな」
「適材適所だね」
馬の状態を確認し管理することにおいて、この場に彼以上の適任者はいない。
「とりあえず入れ」
「ん」
ネンスの接近を認めた甲冑姿の生徒2人がさっと天幕の布を上げた。彼らは騎士隊から回された形式的な近衛だそうで、腕は今一つだが誠実な人柄を買われてのことだとか。剣に自信がない近衛に意味があるのかとも思うが、ネンス自身がそこそこ以上に強いのでこの場は我慢するしかないらしい。
「ご苦労」
労いつつ入る王子の後ついて入ろうとしたときだった。小さく俺の腹が抗議の音を上げた。考えて見れば昨日の晩から食事抜きで森を走り回っていたということに今さら気づいた。
「お前、何か食べる物を持って来てやってくれ。戦闘員向けのメニューでな」
物資の節約なのか、体を動かさない後方人員と前線の面々では食事の内容が変えてあるようだ。この状況かでそこまで気が回るほどネンスは経験豊富でない。つまり冒険者の誰がかがアドバイスをしたんだろう。
「はっ」
特に不満を零すこともなく走り去る近衛。本当に実直なお手伝いとして配置されたのがよく分かる。
「さて、食事が届くまでに報告を始めてもらおうか」
「ん」
促されて俺は鞄から布に包まれた物体と千切れたアミュレットを机に置いた。それからベルトに吊っていた自分のものではない剣も。土魔法で用意された机を挟んで丸太を輪切りにしただけの椅子に腰かけたネンスは、その3つを見て沈痛な面持ちになった。
「お前が一人で帰って来た時点でそうだろうとは思っていたが、やはり手遅れだったか」
「ん」
千切れたアミュレットはべっとりとかかった血が固まって赤黒くなっている。剣も実際はほぼ柄とガードだけで、刃はほとんどが溶け落ちていた。どちらも昨日の夜、ネンスたちが戦いに行った班の生徒の持ち物だ。
「アルヴィルフは褒められた男ではなかったが、死んでいいと思えるほどでもなかった。お付きの男もだ。ただ保身のために権力者の下についた、どこにでもいるただの男だった」
ネンスは滔々と呟きながら机に肘を置いて掌で額を抑える。事件が起きたのは昨晩、俺たち居残り組が彼らに合流する前、2度ほどあった戦闘の1回目のことだったらしい。アルヴィルフとその従者をしていた少年は植物系の魔物に足を絡め取られて森の奥へ引き込まれたのだ。一瞬の出来事にレイルやエレナでさえ何もできなかった。演習予定地の中ではかなり外周に拠点を張っていた俺たちだ、遭遇した敵の数も多かった。
「ネンスが背負うことじゃない」
「だが何もしてやれなかったのは事実だ。こんなところで無意味な死を遂げさせてしまったのは私の不足だと、どうしても感じるのだ」
疲労のせいもあるだろうが、マレシスの死からこちら空回り気味のネンスに暗い影が映り始めていた。
「ネンス」
「分かっている。私が背負うベきことではない。それに今はそれどころではないとも」
分かっていてなお心にはしこりが残るのだろう。
「彼が死んだのはネンスのせいじゃない。それはそう。でも納得できない。何故か分かる?」
「なぜか……?」
テーブルに腰かけた俺は手を伸ばして悩む少年の髪を触った。忙しくてまともに水浴びもできていないからか少し油っぽい感触がした。
「アルヴィルフが死んだ理由が自分でないと分かっている。でも何が理由かまで分かってない。だから悩む」
「では何が理由だと言うのだ」
「アルヴィルフが弱かったから死んだ。ただそれだけ」
「そんな言い方は止せ!」
声を荒げるネンスだが、俺はお構いなしにその髪を梳いてやる。これは彼が王でありたいなら、いや、戦士であっても魔法使いであっても、この世界で力あるものとして生きて行くなら忘れてはいけないことだ。弱さは罪ではないが、自己責任ではある。
「絡み付かれたのがネンスならどうだった?蔓を斬れた?」
「それは、そうだな。剣で斬るか、それで無理なら魔法を使うだろう」
「それか地面に剣を突き立てるといい。それを掴んで耐えれば、誰かが割って入ってくれる」
実際にするのとこうして言うのでは雲泥の差がある。それは俺だってよく分かっている。そしてネンスならその差を埋められると知っている。エレナでもそうだ。もしかすると彼女なら蔓を伝って魔物の本体まで攻撃を飛ばせたかもしれない。それも全て、襲われたのが自分だったらという仮定の話だが。
「それができなかったアルヴィルフが悪いと、そう思えと言うのか?」
「悪いとは言わない。でも彼が弱いことをネンスが背負う必要はない」
「だが……」
「他人の弱さを補える仕組みを作るのは、確かに王の仕事。でも他人の弱さに責任は持てない。持ってはいけない」
困惑と葛藤の中に納得の色も浮かべるネンスは俺の言葉に俯く。
「自分の弱さを受け止めて強くなる道があるといい。弱くても生きていける道があれば、それもいい。でも誰かがその先にまで責任を持ってくれたら、人は自分で歩けなくなる」
「……分かった」
まだ理解し切ってはいない。でも理解をするべく頭を動かしている。それならいいと俺はもう一度彼の頭を撫でた。至る結論が俺と違うのならそれでもいいのだ。考えることを止めなければそれで。
「それで、このもう一つの包みは?」
一頻り瞑目したネンスは次に机の上の包みを指し示した。布で厳重に巻かれたそれは俺の採取してきた物体で、長さは30cmほどもある。
「角の魔物の角」
指先で結び目を解いて引っ張ると机の上に赤黒い捻じれ上がった一本の角が現れる。ぞっとするほど邪悪な気配を持ったそれは、いまだに断面が赤く明滅していた。まるで鼓動のようなリズムで。
「大丈夫なのか……?」
「触らないで。ないと思うけど、寄生されるかも」
「おい!?」
元の魔物からして複数の魔物の特徴を持った混ぜ物だったのだ。触れた途端に混ざろうとして来てもおかしくはない。それくらい常識を外れた物体なのだ、これは。
「見てて」
手をかざして若紫の聖属性魔力を当てる。角の断面が激しく明滅するが単体ではやはり何もできないのか、しばらく波動を発してから急激に色を失った。先の方からさらさらと灰になって崩れて行く角。その全てが燃えカスのようになった後には親指の先ほどの欠片が落ちていた。角と同じ赤黒い硬質な表面を持つ欠片だ。
「なんだコレは」
「角の魔物の材料。角や人間っぽい顔、赤い部分の素になった素材だと思う」
「やはりエレナの言う通り合成された魔物なのか」
この角の魔物、最初に見た目以上の違和感を覚えたのはエレナだった。魔力の流れがおかしいと。
「聖魔法で灰になったと言うことは悪神がらみか」
「そうとは限らない。魔法にはいくつか邪法がある。それを使っていると、直接悪神が絡んでなくても聖属性が効く。大昔の由来が悪神だからだと言われている」
錬金術の中にはキメラを作る方法もあるが、こんな魔物を生み出して使役するのはどう考えても邪法だろう。
「しかし素材だというこれは、やはり角か……」
元々の材料が角だったから角の部分に埋まっていたんだろう。キメラには詳しくないが、母体となる魔物に材料を縫い合わせたり埋め込んで馴染ませたりするらしいから。
「ん、角か蹄。ここの角が丸い、たぶん古い物。生きた魔物の材質じゃない。こっちの角は尖ったままだから、もっと大きかったのを細かく砕いたんだと思う」
「いつ頃の物かまで分かるか?」
「それはちょっと……エレナなら分かるかも。でも100年とかじゃない。10年、20年程度」
古いというよりは新鮮な素材でないと言った方がいいか。そう思って付け加えた大まかなスパンにネンスの顔は一層険しくなった。
「ということはこの欠片、ブルガンディオの可能性がやはり高いな」
「ブルガンディオ?」
ネンスの言葉に今度は俺が首を傾げる番だった。話を聞いてみると、それは俺が生まれるより前に暴れた巨大なオーガの変異種だったらしい。レイルの父が討伐して「鬼首」の異名を得たというアレだ。王都を震撼させたものの被害はあまり出なかったせいで地方での知名度はいまどきあんまりない。
「八本の角は討伐後どうなったの?」
「そこまでは私も知らない。戻ったら一度調べて見る必要がありそうだな」
ネンスは冷静にそう纏めて報告を聞き終えた。汗と埃ですこし煤けてはいるが気力も体力も十分。少し参っているようにも思えたが精神面はすでに持ち直している。指揮官としては現状望みうる最高に近い状態だ。
「なんだ?」
「ん、なんでもない」
この状況で彼のペースを乱すのはよくない。そう判断して俺はもう一つの報告を止めた。代わりに別の警告だけしておく。
「やっぱり悪魔が噛んでる。角の魔物から臭いがした」
「……分かった」
悪魔の臭いという表現に怪訝な顔をした彼が、すぐにそれが使徒独特の感覚だとでも解釈したように頷く。それとほぼ同時に天幕の外からさっきの少年近衛兵が声をかけてくる。食事を持ってきてくれたらしい。
「入れ」
ネンスは手早く角の欠片を布に包んで遺品と共に机の裏へと隠し、それから近衛を中へ呼び寄せた。天幕を相方に開けてもらってやってきた彼は、手に木を荒く板にしたものを持っている。トレイの代わりらしい。
「食べてから行くといい」
ネンスはそれまでの緊張した顔からいつものお茶に誘ってくる表情になって言った。彼も少しは軽い話で肩の力を抜きたいだろうと思い、俺もそれを快諾する。
「ん、ありがと」
礼を言うと近衛が机にそれを置いた。献立は硬くなったパンの表面を焦げるまで炙ったもの、魔物肉と葉っぱの塩スープ、それに魔物肉を焼いたもの。
黒いな、全体的に。とっても黒い。
「ん、まあ、いただきます」
手を合わせてからパンの黒い殻を割る。これは外側を犠牲にして中を温める野外活動の知恵の一つだが、それにしたって焼き過ぎだ。物資が足りない今は温かいパンより多少硬いままスープでふやかして食べる方が合理的だろうに。
「焦げくさ……」
香ばしいというには主張が激しいそれをアホほどしょっぱいスープに付けて食べる。浮き実は新鮮だからか獣臭があまり気にならない。それが唯一の救いだ。ただ肉より野菜の方が問題だった。
「んぐ、これただの草……」
香草や野草かと思ったスープの緑はヘビイチゴの葉だった。初夏から今頃にかけて苺のように赤くツブツブのある小さな実を付ける雑草で、甘そうな見た目に反して味もしないしボソボソしている非食用の植物だ。間違えて実を食べるならまだしも、どうして葉っぱなんてスープにしようと思ったのか。
いや、三つ葉にちょっと似てるからかな……毒はないしいいけどさぁ。
「もし短剣が必要なら言ってくれ」
なんとも言えない表情でネンスがそんな提案をしてくる。意味するところを漠然と察しながら今や貴重品となった胡椒を贅沢に使ってエキセントリックな味に仕上がったブラッドベアのステーキを、ギリギリと音をたてながら齧った。顎と歯に魔力強化を施せば、まあ噛み切れないほどじゃない。食事をしている気にはなれないが。
「よく噛み切れるな、それを」
「技術は偉大なり」
このところで一番無感情な目をして見つめるとさすがのネンスも視線を逸らした。
「この食事は改善を要求する」
「ああ、その、検討しておく」
~予告~
舞い散る紅蓮の魔法炎。
戦場を圧倒するのは、一人の少女。
次回、魔法隊とエレナの戦い




