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九章 第20話 襲撃の始まり

 森での遠征が本格的に始まった最初の夜、わしは本拠地の広場にいくつか焚かれた火の一つを見ながらうとうとしておった。1年生の学年主任と言っても実際はただ最年長だからお鉢が回ってきておるだけ。若い先生方に仕事を回して経験をつませ、一人ひなびた余生の一巻として子供たちを見守る。それをあと何度か繰り返せばお役御免でいよいよ隠居爺。そう思っておったというのに。

 ふーむ、久々にフル装備じゃと腰にクるわ。

 王宮から珍しく学院に最上級の命令が下ったのは夏休み後半にもなった頃で、独立した判断権限を持つうちのお偉方はあまりよい顔をしておらなんだ。1-Aのシネンシス王子が襲われるかもしれないのを承知で遠征を強行したいと主張している。そういう風に伝わっていたのもあるじゃろうが。


「思惑もなしにそんなことをする子じゃないわい」


 風魔法の実技で何度か魔法を見ておるが、殿下はそういう無謀なタイプではない。


「何か仰いましたか?」


 若さゆえか隣で腕を組んでおった青年が聞きつけて首を傾げた。耳が聡いのは羨ましい限りじゃ。


「いんや、夕飯はまだかと思ってのう」


「今食べたばっかりですよ、コルネ老師……」


「そうじゃったっけ」


 なにかと目を掛けておる戦闘学のサイファー先生が、完全にボケ老人を見る目でこっちを見てくる。韜晦じゃよ、韜晦。


「それにしても、今年はちょっと変ですね」


「そうじゃのう。ちと難易度が高い気がするのう」


 事前調査でわしらが把握しておったよりも魔物の数が少ない。そのせいで課題が行き詰まって諍いに至る班が多い。すでに監視役の冒険者から止められて1班が、自分たちでリタイアを宣言して2班がわしらに合流しておる。毎年のことじゃが、女子の多い班がリタイアする傾向にあった。


「それもそうですが、冒険者多くないですか」


「そっちか。まあ、そうじゃのう。なにせ王子殿下がおるんじゃ、いくら身分が平等と言っても警護は増やすじゃろう」


「騎士が増えるものと思ってました」


「騎士も忙しかったんじゃろうよ」


「王子の警護より優先する用事ってなんですか……」


 おうおう、疑問が次から次へ湧いて来る。若人には必要な資質じゃて。しかしどうやって躱すべきか……。

 そう思っておると一人の冒険者が足早に近づいて来た。わしとサイファー先生はそれを見て雑談を切り上げる。今回は森演習の常で斥候系の冒険者を多く雇っておるが、その中で珍しく純粋な剣士系の格好をした男じゃった。それが真剣な様子で急いでくるのじゃから、当然何かしらの大事が起きたんじゃろう。


「コルネ先生、サイファー先生、お話中にすまない」


「よいよい」


 一礼する礼儀正しい男に先を促す。


「俺の仲間で東側の外周を担当していた斥候が交代時間になっても戻ってこないんだ」


 冒険者は能力も性格も千差万別。じゃがこの依頼にあたってはそこそこ以上に律儀な者が集められておる。定時になっても戻ってこないというのは少しおかしな話でもあった。


「代わりの人員は既に向かっているのだな?」


「ああ、次の当番が持ち場に到着してから道具の引継ぎをして、それからようやく前の当番が戻り始める仕組みだからな」


「その手順を踏まえてももう戻っていなければおかしい。そういうことじゃな?」


 こくりと頷く冒険者の男。たしかブロンスといったか。彼の口ぶりからして配置についていた斥候は時間通りに行動するタイプらしい。となると何か問題がおきたか、あるいは課題のために生徒から追い回されておるかじゃが……。


「た、大変だ!!」


 もう少し様子見をするかどうか、それを迷っておったときじゃった。まさに東の方から黒ずくめの斥候が駆け込んできよった。それも相当に狼狽えており、わしら、というより剣士のことを見つけると一目散に走って来た。


「お前、どうしたんだ!先生方、こいつが交代で行った斥候だが……」


 指さされた斥候は息も絶え絶えに剣士へ縋り、わしらにだけ聞こえるくらい声を落として悲鳴じみた声を上げた。


「し、死んでた!前の奴、持ち場の東の外れで、魔物にやられたみたいな傷で死んでたっ!」


「何!?」


 パーティメンバーの訃報に剣士の顔色がさっと変わる。しかし険しい顔で彼は詳細を尋ねた。今は情報を疑うより精度を上げる方が先じゃと、長年の経験と理性で判断を決めたのじゃろう。仲間の死より現状に目を向けられるのは、そこそこ実戦経験のある証拠じゃ。


「交代のときの場所にいないから探したんだ、そしたら持ち場の端で、木に叩き付けられるみたいにして死んでたんだよ!バカみたいに太い切り傷があって、それに片足を食いちぎられて、ああクソ!」


「叩き付けられて、切り傷があって、食われていた……熊系の魔物か?」


「このエリアに住んでる熊系の魔物はあんな爪の長さをしちゃいない!あれはもっと長い、たとえばカマキリ系の鎌とか、そういうんだ……でも昆虫系は叩き付けたりしないし、食い方も獣っぽかった!」


 やや錯乱気味ではあるものの、青い顔の男はしっかりと観察をしていた。これが冒険者の冒険者たるゆえん、逃げるにしても情報だけは持ち帰るというスタンスじゃな。


「カマキリの鎌に動物の顎を持った筋肉質な魔物、なんているのか?」


「いるわけないだろ!そりゃもう魔物じゃなくてバケモンだよ!」


 いささか的を外したサイファー先生の疑問に男は半泣きで叫ぶ。剣士のブロンスに説明を乞えば殺された男はCランクでも上位に位置し、そこそこ名の通った冒険者じゃったらしい。帰って来た斥候の方はCランクに上がり立てで、被害者とも面識があったのじゃと。ちなみにブロンス自身はそこそこ名の通ったBランクらしい。


「ふむ、学生には荷が重い魔物の登場というわけじゃのう……よし、討伐隊を組んで差し向けるとしよう」


 原生林で遠征を行う以上、手に負えない魔物が登場することは想定しておる。死人まで出たのは計算外じゃが、事前にトワリ侯爵領の領軍が危険すぎる魔物は間引いておったはず。そうなると討ち漏らしが数体ほどか。


「お主に任せてもよいか」


「ああ、任せてくれ。弔い合戦だ」


 気合十分なブロンス言葉にわしは満足して頷く。想定している本当の敵は、兵士はまだ現れぬ以上、わしらの動くべきタイミングではない。そう判断して彼に討伐隊の編成から一切を任せて行かせた。

 その判断が間違えであったと痛感するのは、ほんの半時ほど後のことじゃった。


 ~★~


「コルネ先生、防御魔法陣の構築もうすぐ終わります!」


「神官殿に頼んで聖魔法の補強を頼むんじゃ。それから戻って来た班に点呼をさせなさい。点呼が終わった班から判子か番号札を回収して残りの班の把握もするんじゃ」


「はい!」


 矢継ぎ早に指示を飛ばしつつ次の行動を思案する。本拠地は今や戦場の空気が漂っておった。東の端を担当しておった冒険者が死亡し、魔物の討伐に部隊を組んで送り込んでから2時間ほど経っておる。送りだしてからほどなく警笛の魔道具「赤笛」がけたたましい音をたてはじめ、マニュアルに従って監督役が近くの班を保護しながら集合しつつあるからじゃった。


「老師、討伐隊が戻ってきました!」


 本拠地の警戒を指揮しに出ておったサイファー先生が走ってくる。彼の後ろには討伐隊として出ていった冒険者たちが。6人のうち3人が血を流しておるが、命に別状はなさそうじゃった。


「どういう状況じゃった、討伐の成否は?」


 赤笛は誰かが吹けば連結してある全ての笛からけたたましい音が流れ始める魔道具。その音はこの本拠地に設置された親機から聞こえているよう感じられる。音を辿れば合流できるというものじゃった。敵にも拠点がばれてしまうが、学生の安全を思えばそれは仕方のないリスクというもの。しかしリスクはリスク、早期に対処できればそれだけ安全に次の行動が決められる。


「ま、魔物の群体が発生していた」


「群れの種類は?」


 わしの質問にブロンスは首を振る。その顔は最初に転がり込んできた斥候以上に青かった。


「特定の種類の群れじゃない、何種類もの魔物が集まって暴れていやがった……普通なら食う食われるの関係にあるような魔物までが大量に!」


 その報告を聞いた教師陣は、わしを含めてある事件を思い出した。今より20年以上も前のこと。王都の近くで同様に何十種類もの魔物が大量に発生して攻め込んできたことがあったのじゃ。


「赤鬼の夜襲……」


 当時は10歳かそこらじゃったろうサイファー先生まで青ざめて呟く。8本もの角を生やした巨大な鬼の魔物、紅戦鬼ブルガンディオ。魔獣とオーガの混血とも悪神の加護を得た魔物とも言われるSランクのオーガ亜種がその固有能力で率いた異形の群れによる、ユーレントハイム史に残る大戦乱こそ赤鬼の夜襲じゃった。幸い当時は農閑期じゃったし、神塞結界はいくらSランクでも破れなかったため被害はそこまで大きくならなかった。しかし王都に暮らす全ての人間が身分の貴賤なく震えあがった大事件でもあった。


「いや、あれはブルガンディオの固有能力によるものじゃった。それに神託で不穏な影があるとも予知されておった。今回、そういった予知は発表されておらん。それにあんな事件は他国を見ても指折り数えるほどの件数しかないことじゃ」


 もう20年経ったというのは人の感覚。歴史でいえばまだまだ20年ぽっちじゃ。再発などそう簡単にしておったら人類はディストハイム以前までもう衰退しておる。

 いや、それも人の勝手な感覚かのう……?

 あるいは「大丈夫なのだ」と信じ込みたい心理が働いておるのか。そうだとすればむしろ最悪に備えて動く方がいい。とりあえず遠征企画は中止とし、王子殿下の計画がなんであれそれも止めていただく。どうにか領都へ逃げ込み、他の学生や先生方と合流を試みるが正解というわけじゃ。

 最も悪い想定はここにネンス君を狙う輩がくることじゃが、いくらなんでも人間の身でこの状況に飛び込むことはないじゃろう……。


「他に魔物について分かったことはあるかのう?」


「種類については呆れるほど雑多だった。数はとりあえず接敵しただけで数十、その後ろにもまだ見えていたから下手をすれば500を超えるだろう」


 500体の魔物という言葉に再度緊張が走る。戦争ではよく兵力を数で表すが、魔物とて数がいればいるほど危険度は跳ね上がっていく。超越者でもない限りは数の暴力こそ最強の力なのじゃ。


「あとはとりあえず足止めに力を注いだからな、あまり情報を得られていない」


 詳しく聞くと彼らはスキルと道具のあるだけをつぎ込んで進行速度が落ちるよう工夫してくれたらしい。おかげで状況を聞いてから逃げるなり迎え撃つなりの支度ができるのじゃから、ありがたい限りじゃった。


「気にするでない。サイファー先生、負傷した冒険者に優先してポーションを。怪我など残らんようにのう」


「わかりました!」


 威勢よく返事をして去っていくサイファー先生と入れ替わりに、わしと同じく1年で魔法を教えておるバート先生がやって来た。その顔に浮かんだ焦りは次の手に思いを巡らせるわしを余計不安にさせる。ベストなのはこのまま撤退することじゃが……。


「コルネ先生、班の確認ができました」


 眼鏡のブリッジを薬指で押し上げるいつもの癖を披露してからそう報告するバート先生。


「じゃが……という顔じゃのう。まだ到着しておらぬ班があったか」


「はい。4つの班、総勢22人がまだです。Dクラスのアルヴィルフ班、同じくスタッツ班、Cクラスのメルヴィン班……それからAクラスのシネンシス班です」


「!」


 よりによっても王子殿下の班が未到着。誰の班であろうと置いて逃げるわけにはいかないが、それにしてもと思ってしまう。


「到着したらすぐに脱出を始められるよう、馬車と御者の準備を始めさせるんじゃ。バート先生自身は万が一、魔物が先に来た時に迎撃できるように。最悪の場合、揃わずともある程度の人数ごとに護衛を付けて逃げ始めなくてはいかんじゃろうな」


 この360度を森に囲まれた状況では、いくら魔法使いが多いとはいえ数の不利を覆し得ない。一方向に集中できればある程度耐えられるじゃろうが、それも教師と冒険者だけでは手がすぐに足りなくなる。これが人間相手なら勝手が違ってくるとしても相手は魔物。


「はい、すぐに手配します」


 バート先生が去ってしばらく、準備が整うまでにわしができることは思考を巡らせることくらいじゃった。分割して避難させるとして、どういう順番がよいか。たとえば女子生徒を先に避難させるとして、森の東側にだけ魔物がいるならそれは最良の手じゃろう。しかし大きく全周を囲われておるとしたら最悪の手になる。手勢をできるだけ割きたくはないが、そうせねば動きが遅くなって追い付かれるじゃろうし。


「む……?」


 ふと変な気配がして森の方を向く。まさかもう……そう思った直後、夜の帳の奥からソレは姿を現しおった。目が覚めるような青い甲殻を持つ、全長3mほどのカマキリ。ぎらりと輝く鎌は本物の虫と違って刃を持ち、先の方にはべっとりと血がついておる。


「敵襲じゃ!!」


 老いた喉を全力で震わせながら、ローブの袂を探る。相手の速さがわからぬ以上、この距離で詠唱をちんたらしておる時間はない。


「生徒を中央へ、護衛は外周へ散らばり応戦を!神官はいつでも結界が張れるよう詠唱を始めよ!」


 赤笛の音に負けぬよう喉を震わす。


「キィイイイイイイイイ!!!」


 青カマキリの口が昆虫というよりタコの足のように無数に開いた。一本一本が鋭いナイフのようで、奥には管状のおぞましい口器が覗いておる。甲高い声で叫び走りだしたその魔物へわしは細長い杖を向けた。


「ほい!」


 一声に込めて魔力を流せば杖から巨大な火の球が生まれる。


「ギキィッ!?」


 本能的な恐怖から足を止めたカマキリじゃが、火属性中級魔法・フレアボールからは逃れられぬ。一瞬でその上体を炭色に変えてどうっと倒れ伏した。


「ヴォォオオ!」


「キィイイイ!」


「バゥ!バゥ!」


 ほっと息をつく暇もなく森からは魔物の声が。そして数秒遅れに何体もの異形が飛び出してきおった。


「本当に、なんという種類の多さじゃ……」


 それは確かに記憶のとおり、赤鬼の夜襲と同じ光景じゃ。しかしわしもあの混乱を戦い抜いた魔法使い、そうやすやすと突破されるわけにはいかぬ。魔法を使い終えてただの棒切れになったワンド、使い切りの魔道具を捨てて自前の杖を構える。


「コルネ先生!」


「こっちの殲滅はわし一人で大丈夫じゃ、先に体勢を整えい!」


 後ろからの呼び声に応じつつ魔法を唱える。跳びかかってくる犬の魔物、アンブラスタハウンドの首をウィンドカッターで跳ね飛ばす。もう一度唱えて後続のスモールブラッドベアの顔を刻み、ウィンドボールで別の個体に叩き付ける。その間に間近まで寄っていた名前の分からぬ虫の魔物は別のワンドで焼き払った。


「余裕ができたら直掩(ちょくえん)に一人欲しいが、のう!」


 そう言った頃にはもう誰もおらんかった。命じた通り動いてくれたんじゃろう。満足なような寂しいような、なんとも言えない気持ちを飲み込む。平和ボケした感傷は後でいいのじゃ。


「ほい!」


 焼け残った虫の一体をなんとかよけながらもう一発風魔法を撃ちこんで砕く。細った足が数歩よろめくが、なんとか踏みとどまりながらワンドを交換して構えた。


「えぇい、年寄りに無茶をさせよるわ……」


 魔力はまだまだ滾っておる。詠唱で噛む様な無様も晒しておらん。じゃがわしは風魔法以外に才を持たぬ凡夫じゃった。ヴィア先生やバート先生のように『詠唱省略』を習得できれば、あるいは肉体派の冒険者みたく強化系を扱えればまた違ったじゃろうが……。


「風の理は我が手に依らん!」


 杖を大きく振るうとスキルの光が輝いて、不可視の刃がカマキリの頭を真っ二つに裂く。後ろのもう一体にワンドを向けたときじゃった。


「ぐぬ!?」


 なにかに押されてよろめいた。


「しまっ……」


 フレアボールはカマキリの表面を焼いて後ろに流れた。視界の端に移った緑の甲虫はグリーンビートル。Eランクの弱小魔物じゃが、その突進力は十分危険なものがある。気づくと同時に脇腹へ鈍痛が襲う。


「ひっ」


 振り抜かれた青い鎌はわしの鼻先を掠め、傍らの丈の長い草を纏めて刈り取った。たたらを踏む足がバランスを取り戻すより早く、振り払われた鎌の背がわしに迫る。


「か、風よ!」


 詠唱に満たない魔法の行使で風を起こし、体を弾いて避けようとする。しかし鎌の方が早く、厚さだけで拳一つはありそうな青い甲殻がわしの腕を強かに打ち据えた。


「ぐぅぅ!!」


 老いて枯れた細腕はそれだけでいとも容易く叩き折られ、激痛に視界が白くなりおった。指が反射的に弛緩して懐から出したばかりのワンドも取り落としてしまう。

 い、いかん……!

 もう一方の鎌が地を這うようにわしへ迫る。詠唱の時間はない。ワンドを新しく取り出す暇も。頭からさっと血が抜ける感触がした。殲滅するなどと豪語して、生徒や若人を残し屍を晒すかと。ようやく白から戻って来た視界の中、カマキリが醜悪な顔で笑いよった気がした。


 次の瞬間、その醜悪な顔と細い胴体で紅蓮の花が咲いた。


「「「火の理は我が手に依らん!」」」


 さらに3発が着弾、魔物の頑丈な甲殻を割って内側まで破壊していきおった。


「ギィイイイイイイ!?」


 冷えた体を熱風が強引に温めてくれおる。くすんだ青の体液をまき散らして後ろへ倒れる青カマキリ。6発ものファイアボールを喰らった魔物は上半身を砕かれて絶命しておった。


「な、なんじゃ……」


 腕の痛みも忘れて魔法の放たれた方、背後を見る。すると蒼白な顔をした生徒が3人、足を振るわせながら杖を構えておった。


「き、君たち……」


 驚いて言うと他にも2人、3人と生徒が走ってきて杖を構え始めた。


「せ、先生、ご無事ですか?」


「ああ、まあ、おかげでのう……しかしどうしてこっちにおるんじゃ?」


「はぁ、はぁ……バート先生の指示で、来ました……」


 見れば集っておる生徒はほとんどが火属性の魔法を専攻しておった生徒。バート先生も筋がいいと褒めておった子たちじゃった。


「と、とりあえずファイアボールは使えますから」


「後ろから撃つだけでいいから、コルネ先生の援護をしなさいって」


 生徒の言葉にハッとさせられる。魔法系のスキル習得に至っておる生徒なら確かに火力として見込める。本来魔法使いは最前線に立つ仕事ではないのじゃし、後ろから撃てるだけ撃つのは正しい用兵じゃ。

 バート先生が撃とうと生徒が撃とうとファイアボールはファイアボールじゃからな。

 生徒を守らなければ。そう思うばかりで彼らを活用することに頭が回っておらんかった。そのことに気づいて愕然とする。これは本格的に遠征が終わったら引退かもしれんわい、とも。


「よし、わかった。ではそこの君、サイファー先生に頼んで盾役ができる大人を1人か2人、こっちへ回してもらってくるんじゃ。こちらはそれ以上の戦力がなくとも押し返せると伝えるようにのう」


「は、はい!」


 魔法使いを守れる戦士を2人ももらえれば、あとは十分焼き払える。一番敵の流れが多い最初の接点を焼ければ他に回る敵も減るじゃろうて。


「よいか、魔法は交互に放つようにするんじゃ!常に攻撃があるようにすれば敵も近寄りにくいからのう!」


 叫びながら魔力を高める。


「風の理は我が手に依らん」


 生徒たちにバフをかける。それから風の障壁を彼らの左右に配置してグリーンビートルのような敵への対策とした。最後に下級ポーションとマナポーションを飲んで最低限の調子を整える。腕の痛みは酷いが、なんとか我慢できる。

 まったく、本当にえらい目におうたわい。

 そう思いながらもどこか心躍るのは生徒と肩を並べるという状況に面白さを感じておるからか。囲まれるリスク以外はこれで一気に下がったという安心感もあるじゃろう。それでも予断を許さない戦況に息を入れ直す。


「せ、先生!」


「こ、今度は何じゃ!?」


 何かに圧倒されるような声で呼ばれて振り向く。わしらの戦っているところから少し回り込んでところ、冒険者の一団の目の前にとんでもない魔物が現れておった。


「あ、あれは……!?」


 太く高い木の幹へしがみついて周りを睥睨する異形。それを一言で表すなら巨大な蜘蛛じゃった。黒々とした体の節々に毒々しい黄色の体毛を生やした、足抜きで小屋より大きい蜘蛛。しかし頭は人間のそれに近く、怒りの形相を浮かべておった。そして最も目を引くのは赤黒くねじくれた一本の角が額から屹立しておる点。よく見れば体色もところどころ何かが混じったように赤くなっておる。


「あの角は……!?」


 そう、何よりもわしをはじめとする年嵩の面々を驚かせたのは額の角じゃった。あの奇妙にねじくれた赤黒い角はまさしく紅戦鬼の頭に冠の如く生えておった8本の角と同じもの。そうとしか見えなかった。


「あれを討ち取れば」


 この戦いは終わるかもしれない。その希望を口にするより早く、事態は想像の遥か及ばない方向へ転がり始める。


「げげッ、げぎョッ、げぎョぎョ……いな゛ィ、ひィめ、ィない」


「しゃ、喋ったぞ!?」


 濁った水を言葉にしたような気持ちの悪い声で、しかしその化け物は喋りおった。確かに「いない、ひめ、いない」と。背筋が一気に粟立つ。悍ましさにその場にいた全員が震えるほどだ。人語を解す魔物は確かにいるが、これほど人型から外れては聞いたことがない話だった。


「げぎュ……?」


 怒りの形相のまま魔物は首を巡らせる。なにか不審な点に気づいたように。次の瞬間、あたりが急激に冷え込んだ。残暑の熱気と川からの空気でじっとりと湿っていた空気が白く濁る。


「一体なんなんだ!」


 サイファー先生がどこかで叫ぶ声が聞こえるのと、この老いた目にきらりと何かが光って見えるのはほぼ同時。それに一拍も遅れず化け蜘蛛が木の幹から跳びのく。次の木にどしんと着地するよりもなお早く、先ほどまで足場にしていた木が白く凍り付いた。ちょうど蜘蛛のいた場所からメキメキと音を立てて氷が生え、そのまま驚くほどの速さで巨木を氷漬けにしていく。それが二度三度と続いて、ようやく茫然と立つわしらにも蜘蛛が氷の攻撃から逃げておることが理解できた。


「それなら!」


 ワンドを取り出してファイアボールを撃つ。蜘蛛は意表を突かれたのか避けそこなって背中を焼かれ、飛び出すタイミングがわずかに遅れよった。


「げげげッ、げェ……!!」


 8本目の木が凍り、9本目の幹から蜘蛛が跳ぼうとしたタイミング。一拍の遅れを見逃すことなく氷の弾丸がバケモノの足を撃ち抜いた。そこから樹木と足が纏めて凍り付く。蜘蛛は尻から太い糸を射出して別の木へと移ろうとするが、もう足は半分以上が固まっておる。


「げォェァああああああァああああ!!」


 身の毛もよだつ叫びを上げて蜘蛛は足先から急速に氷で包まれていきおる。黒い甲殻に白い霜がおり、内側から生える氷柱に関節が弾ける。それでも逃げようと暴れる蜘蛛の足がいくつか折れて地面を打つが、それでも逃げられるような魔法ではないのじゃろう、折れた箇所以外からどんどんと凍っていった。


「ォ……」


 長い断末魔さえ凍り付いてしまえば恐ろし気な魔物でさえも、まるで木の葉に止まる蝉の抜け殻じゃった。もうぴくりとも動かん。


「な、なんだったんだ」


 それは誰の言葉だったか。突然現れたあまりに異質な魔物と、突然凍り始めた木々。そして突然の幕引き。気が付くとそれまで押し寄せていた魔物もぴたりと止んでおった。やはり角のある魔物が率いておったと考えるべきなんじゃろうか……?


「気を抜くな、まだ敵はくるぞ!」


「!」


 凛とした声が聞こえてわしらは、それに持ち場を離れて蜘蛛を見に来ておった連中はびくりとした。若々しくも威厳を感じさせるその声の方向を見れば、氷漬けになった木々の間から数人の生徒がこちらへ歩いてきおった。


「おお、ネンスくん!エレナくんもか……無事でよかった!」


 心配していた王子殿下と最も優秀な生徒。その後ろに続く20人程度の生徒たちを見て、わしの体ときたら、一気に安堵で力が抜けおった。じゃがすぐに数を数えて全員で19しかおらんと気づく。特徴的な白髪の少女を含め、3人足りない。心臓がさっと冷えた。それから言葉の内容に意識が至って奮い立たせざるを得なくなる。


「まだ来るというのはどういうことじゃ?」


「コルネ先生、ご無事……とは行かなかったようですが、耐えてくださっていたのですね」


 折れた腕を見て顔を顰める殿下、ネンスくんにわしは頷くほかない。つくづく己の感覚が鈍っておると痛感させられたばかりじゃ。


「ここに来るまで、別の群れに遭遇しました。あそこで凍っているのと同じ角持ちの魔物を討伐したところ制御を失って散りましたが、2体もいてまだいないとは考えられません」


「たしかにのう」


 これだけ異常な事態で2体も特異な個体が現れた。となれば3体、4体といても不思議でないと考えた方が、違ったとしても被害を抑えられるじゃろう。


「それと、その、耳を貸してください」


「う、うむ」


 体を傾けて耳を差し出すと彼は抑えた声でとんでもないことを言ってのけた。


「あの角の魔物、悪魔の気配がするそうです」


 今度こそ、わしは体の血液が全て凍った気がした。


~予告~

突如として始まった一斉攻撃。

一夜城の運命は王子ネンスの双肩に圧し掛かる。

次回、砦と指揮

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― 新着の感想 ―
[良い点] うん、領地軍が働いていなかったそうなら、あの怪しい侯爵が1枚噛んた仕業でしょう。 そして先生もお見事にフラグを立ててくれましたね。。。でも激しい戦闘が有るこそ活躍を見せられるでしょうw ま…
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