九章 第19話 課題:班対班
この俺、アルヴィルフ=マーナ=ヴィゾルフはここトワリ領より更に北にあるヴィルゾルフ男爵領を継ぐべくして生まれた男である。自慢の金髪は美しく輝き、鋭い眼差しには知性が見え隠れする。そう誰もが口を揃えて褒めたたえるのはなにもお世辞ではない。俺は実際、剣の腕も勉強も負け知らずの神童だった。
……そう、だった、だ。
屈辱的なことに俺は学院でAからEまで用意されたランクの中で下から数えた方が早いDクラスに配属されていた。これも全て、王都や南部の貴族のようなコネと奸智を持たないことが故だろう。学院は公明正大で不正を許さないという前評判を鵜呑みにしてしまった己をなじりたい気分だ。なにせ地位がなくとも金の力で俺より上のクラスに上った者はいくらもいる。あの忌々しい獣人たちがいい例だ。
「アルヴィルフ様、その、お食事の準備が整いました」
躊躇いがちに俺を呼ぶのはクラスで身の回りの世話を任せてやっている男。騎士爵家の次男だ。騎士爵家とは功績のあった平民に貴族気分を味わわせてやる一代限りの制度。つまり貴族未満平民以上の存在だ。しかも次男と来ればほぼ平民と言っていい。
「随分と時間がかかったな」
「し、失礼しました」
「ふん、どうせ昨日と同じ下手な食事なのだろう。それならせめて待たせるな」
不満げな視線をしつつも言葉を飲み込むその男。まるで俺が理不尽を強いているかのような態度に不快感がつのる。なにも森の中で学院に居た頃のような優雅な料理を求めているわけではない。そのくらいの常識は当然持っている。それどころか森の野草、香草で仕上げた野趣あふれる食事には、やはり男として少なからぬロマンを感じていた。だというのにこいつらと来たら、乾いて硬くなったパンと塩胡椒しか使われていない焼いただけの肉しか用意できない有様。
「はぁ」
「ため息なんてついてる場合じゃないぞ、アルヴィルフ!僕を待たせるなんていい度胸じゃないか」
ただでさえうんざりするような状況だというのに、用意された食事の前には茶色の髪の小太り男が座っている。我が従兄弟であるスタッツ、当家と同じく男爵位という尊い家系ヴィルレットの嫡男のくせに体を鍛えることすらしない怠惰な人物だ。あげく酷い変態と来れば……しかし木っ端貴族の多い北にあって我がヴィゾルフ家と同じくらい金周りがいい。我々2人が組めば大抵のことができる。だから仕方なく僚友として受け入れているのだ。
「スタッツ様、アルヴィルフ様……その、なんか人が尋ねてきてるっす」
俺が黙って樹皮を剥いただけの丸太に腰かけると肩をすくめて大柄な男子生徒がやってきた。
「お前は何度、もっと優雅に喋れと言えば分かるのだ……」
粗野な口調で話しかけられ俺はため息を吐く。Aクラス1組、Bクラス2組、Cクラス3組の更に下となるDクラス4組には俺のように邪知を巡らせなかった者以外に真実、愚かで実力のない貴族が掃き溜まっている。それ以外にも目の前の木偶のような血に卑しさが混じった者も多い。日々慈悲をくれてやるだけでもしんどくなってくる。
くっ、重ね重ね、実力主義という看板を鵜呑みにしてしまった己が恨めしい!
普段からクラスで目を掛けてやっている4人、それから我が従兄弟スタッツが率いる5人。合計9人もいて我々貴人2人をまともにもてなすことすらできない。どれだけ歯噛みしようとも、それが今の俺のていたらくだ。中央や南の連中にしてやられないだけのコネがあれば……。
「アルヴィルフ!」
わが身の不幸を嘆いているとスタッツに声をかけられた。脂に沈んだ顎で示された口の悪い男は所在なく佇んでいる。
「分かっている、スタッツ。来客だと言ったな」
「うっす、じゃなくて、はい。女子です。身なりは綺麗な」
当たり前だ。身なりも整えずにこの俺の拠点へとやって来るような女がいて堪るか。
「ミラだぁ!」
「スタッツ、叫ぶな。唾が散るだろうが」
ミラというのはスタッツが惚れこんでいる貧相な女だ。本当に同じ年齢なのか疑わしいほど小柄で、そのくせ野犬のように荒っぽい性格をしている。正直なところ何がいいのか全く分からないが、スタッツと足して二で割ればそこそこ標準体型ができあがるのではないだろうか。そういう意味ではお似合いかもしれない。
「ミラだ、ミラが僕に助けを求めてきたんだぁ!ははっ、やっぱり僕の言う通りだったろう?」
スタッツの悪い所は山のようにあるが、その最たるものが頭のデキだ。俺のような神童とは根本的に違う凡愚の中の凡愚なのだ。そうでもなければどうして、恋人をボロボロに痛めつけて拠点を破壊した相手に助けを乞いに来ると思えるのか。
「はぁ、ぷひ、はぁ、ぷひ……こ、これで僕の将来はバラ色だぁ……ミラ、ミラ、ミラぁ!!」
訂正した方がいいかもしれない。頭のデキより悪いものがあった。同性の俺が見ていても背筋が寒くなるような気持ち悪さだ。肥満のせいでか鼻息まで耳障りな事限りない。
「はぁ、まあいい、連れて来い」
食事は最低、身の回りを任せられるまともな従者はなし、スタッツはどこまでも鬱陶しい。碌でもないことずくめだが、今の俺は不思議と気分がいい。これは一際卑しい血と生まれながらの身体能力まかせをもって決闘に泥を塗り、俺に恥をかかせたCクラスの獣人2人を手ずから痛めつけてやった成果だ。自らの名誉は自らの手で回復する。それが男の矜持だ。その本懐を成し遂げた今だからこそ……。
「あのー」
「なんだ!」
人が気分よく感慨に浸っているというのに構いもせず声をかけてくる。そんな礼儀知らずは誰かと振り向けば、そこにはとても可憐な少女が立っていた。暗い金の髪に緑の瞳、整った顔立ち、そして大きな胸。それは俺の理想を絵にしたとも言える美少女だったのだ。それまでの些細な苛立ちなど一瞬で吹き飛んでしまった。
「んん?ミラじゃない……」
「美しい……」
「そうかい?僕はミラみたいに、こう、ほっそりした子の方が」
「お前の腐った目玉に何が映っているかなど、どうでもよいことだ」
「ぷひ、なんだとアルヴィルフ!」
「うるさい、鳥の骨でもしゃぶっていろ」
騒ぐスタッツを押しやって俺が一歩出ると少女は一歩引く。この俺を相手に駆け引きのつもりだろうか。そう考えてもう一歩を踏み出そうとしたところへ、少女は口を開いて鈴の音の声で言う。
「少し質問したいんですけど、いいですか?」
「ぷひっ、弁えろ!僕とアルヴィルフは」
「スタッツ、うるさいぞ。それで、お嬢さん。何が聞きたいのかな?なんだって答えて差し上げよう」
なにを興奮しているのか、横でスタッツがぷひぷひと情けない鼻息を立てているが誰が気にすると言うのか。渾身の微笑みで一歩近寄ると今度は二歩下がってしまった。淑女に少し押しすぎただろうか。
「今日の夕方にあっちの方でCクラスの人の拠点を潰したのってあなたですか?」
「……それを聞いてどうする?」
予想外の質問につい低い声が出た。
「いえ、その、獣人の人が2人もいたのに凄いなって思って……お強いんですね?」
困ったような色を秘めながら俺を讃えるその少女。言葉の全てが本心でない事は見ればわかる。
ふん、なんだ。
目の前の少女の意図は俺には筒抜けだ。彼女はこの森の中で庇護下に入るべき相手を探していたのだろう。おおかたリタイアはしたくないがこんな場所に何日も泊まるのは御免だと。そうなればたしかに2班合同で拠点を築いている我々は単純な数でも勝っており、さらに少女が言う通り腕も十分な戦士がこうして率いている。
自分から媚びてくる女は何をするか分からないが……それを差し引いても美しい娘だ。胸も大きいしな。
「そうとも、あの不届きで無礼千万獣人どもを成敗したのはこの俺だ。ああ、だが怖がらないでくれたまえ、これには深い訳があるのだ。俺は無暗に力を振り回すような愚かな男では……」
「あ、もう大丈夫です」
「……なに?」
安心させるべく俺がことのあらましを語って聞かせようとしたときだった。急に冷たい声で少女は言った。浮かんでいた下手に出るような気配も媚びも失せて、まるで興味のない路傍の石を見るような温度だ。
「学院の戦闘学でメルヴィンくん、あ、黒髪に角の獣人さんね、彼に負けたから仕返しに行ったんでしょう?」
「なっ、仕返しではない!あれは名誉を取り戻すための……いやまて、どうして知っている!?」
カッとなって言い返しそうになったが、俺の知る限りこのように美しい少女はクラスにいない。たしか他のDクラスやCクラスにもいないはずだ。これほど好みの見た目をしていて把握していないはずがない。だが俺の詰問に答えることなく少女はスタッツを見る。
「そっちはミラさんに振られた腹いせ。想いの通じ合った関係でも嫉妬は難しいのに、一方的だとこんなに醜いんだね」
俺を見る以上に冷たい目で見つめられたスタッツは、しかし生来の小心より短気の方が勝って顔を真っ赤に染めた。
「ぷひ!?ぼ、僕はフラれてなどいないぞ!あれは、あれは!あの赤茶けた猫耳のクズがミラを」
「あ、ほんともういいんで。聞くに堪えないから」
苦笑を浮かべてとんでもない暴言を吐いた少女。何かがおかしいと俺の鋭敏な勘は知らせている。腰の剣に手を掛けながら睨み付け、おかしな動きをすればすぐさま切り捨ててやるくらいの気迫を見せた。
「ここからはわたしの担当じゃないから、そっちに構ってもらって?」
「何を……」
俺の圧に負けておかしくなったのかと訝しんだ直後、彼女は軽やかに身をひるがえして走り始めた。一拍遅れて俺は踏み出し、配下どももそれに追従する。しかし少女は冗談のように足が早く、あっという間に広場を囲う大木の根元まで逃げおおせた。
「な、何なんだ!」
その背中に怒りの声を投げつける。
「追え!捕まえろ!僕とミラの将来に水を差すやつは切ってしまえ!!」
「馬鹿者、捕縛しろ!」
スタッツの勝手な命令を取り消して走る。あとちょっとで大木、そう思ったところで彼女は振り向いた。手にはベルトから抜いた杖。俺たちは立ち止まり警戒する。詠唱があればすぐに俺の配下が魔法で相殺する手はずだ。配下にはこの演習に合わせて上等な杖を買い与えてあるので並の魔法使いには負けまい。率いる手勢にも気を配ってこそ有能な貴族と言える。
「何のつもりか知らないが、この俺を虚仮にした罪は……」
「そう吼えるな」
言葉を遮られるのは今夜だけで何度目か。頭に血が上って軽い頭痛を覚えるが、それでも口を噤まざるを得なかった。そうしなくてはいけないと思わせる何かが、さほど大きくないその声には込められていた。
あいつか……!
少女の立ち止まった木の裏から2人の男が出てきた。1人は俺の纏う鎧に迫る美しい鎧を纏っていて髪が赤。大きな盾を背中に背負っている。もう1人は灰がかった髪に黄色い目をした、俺ほどではないが凛々しい顔立ちの男。腰と背に1本ずつ剣を帯びている。
「だ、誰だ!」
この不思議な圧を感じ取れないのか、スタッツが唾を吐き散らしながら叫んだ。
「おいおい、私の顔を見忘れたか?」
やや芝居がかった口調で言うその声は確かに聞き覚えがある。あれはたしか入学式の……!!
「まさか」
入学式で聞く声というと教師、国王、生徒代表の3人のものだけ。当然、前の2人であるはずはなく。そういえば灰がかった金の髪と宝石のような黄色の目といえば、この国ではたった一つの家にしか現れない特徴ではないか。
「シ、シネンシス殿下……!」
「ぷひゅっ、アルヴィルフ、嘘だろう!?」
「ふむ、そこのお前は覚えていたか。では改めて、夜分遅くに申し訳ない」
口では慇懃に謝りつつも殿下は腰から剣を抜く。重い金の輝きを宿した見るからに高そうな剣だ。あれが噂に聞く王家の証、ミスラ・マリナか。
「他班との戦闘をせよという課題があったろう。あれをこなしに来ただけだ」
少し茶を飲みに来ただけだ、気にするな。そうとでも言うような気軽さで王子は剣を構えた。
~★~
夜闇の下で狼狽える11人もの集団。そのリーダーであろう2人は見るからに焦っていた。それもそのはず、彼らは二つの問題を自ら語ってしまった後なのだ。一つは太陽神と王祖の名においてあらゆる人種を平等に扱うこの国で、貴族であるにも拘らず獣人を差別的に扱ったこと。もう一つは同じ学生を卑劣にも数を頼みに襲い、徹底的に甚振ったこと。
「あ、その、ち、違うのですよ、殿下!あれは、そう、課題をこなしていただけです!」
「言い訳は無用、と言いたいが確かに複数の班で挑んではいけないとは書いていないな」
「そ、そうでしょうとも!そうでしょうとも!」
「たった2人を6人で囲んで嬲るなど貴族として、男として、いやいっそ人としてと言えばいいか……実に見下げた根性だ。だが、そうしてはいけないというルールもない」
「うぐっ」
プライドだけ肥大した2人は私の言葉に顔を顰める。不快だと思うような感覚があるなら他人を嘲笑しながら殴るような行為は慎んだらよいというのに。
「だが先ほどの発言、明らかにお前たちはあの2人が獣人であることを殊更理由にしていたように思う。そうだとすればこれは獣人差別によるリンチとみなされ、今挙げたような理屈は全て吹き飛ぶわけだが……その辺りをどう考えているのだ?」
「獣人差別!?そんなお題目っ」
咄嗟に小太りの方、スタッツが吐き捨てる。それを見てまだしも理性的なのかアルヴィルフは顔色を悪くしたが、その程度で手を緩めてやるほど私は寛容ではない。
「そんなお題目だと?国法にも理由なく虐げることを禁ずるとあるはずだが、男爵家のものが知らないと抜かす気か」
「ぷひっ、い、いや、僕は……で、でも、実際にお題目でしょう!?獣人をまともに扱う貴族なんていないじゃないか!ど、奴隷ともなれば」
「痴れ者が!!」
「ひぃっ」
私の一声にスタッツは悲鳴を上げて数歩後退る。
「確かに貴様の言う通り、法を全うして清廉潔白に生きている貴族ばかりではない。だがな、だからといって遵法精神をドブに捨てても許されるわけでもないのだぞ」
「ネンス」
レイルの声が私の頭に上った血を少し冷ましてくれる。
「すまん」
つい冷静さを欠いてしまった。法を敷く側が、それを執行する側が、任命し監視する王族が、それぞれ内外の不正や矛盾にどれほどの想いで立ち向かっていることか。百戦錬磨の古狸が集う伏魔殿たる王宮にあって彼らの苦悩を見てきた私に直接、なあなあになっているのだから見逃してくれなどと。まるで誰もが共通の認識を持っていて、己の薄汚れた思考が許される環境であるかのような態度……もし北方貴族全体がコレのレベルなのだとしたら由々しき事態だ。
「ともあれ、今はその件を追求しに来たわけではない。言っただろう、課題をこなしに来たのだ。私たちもな」
エレナを差し向けたのは事実確認と「知っているぞ」という圧をかけるためだけのこと。端からやることは決まっている。言外に戦闘は避けられないと伝えてやる。それは鈍そうな2人でも十分に分かったのか、お互いに目配せをして剣を抜いた。しかし今度は残る9人が余計におろおろとし始める。なにかと思えば小声で「王子に剣なんて向けて大丈夫かよ」やら「こんな報復があるなんて聞いてないぞ」やら囁いているのが聞こえる。
小心者め。そうしてビクビクするなら初めから仕返しされるようなことをするな。
だが一つ試してみたいことを思いついたのでなじる以外の言葉を投げかける。
「さきほど奴隷の話を出したが、あの2人は奴隷ではない。また貴様の班員も奴隷ではない。もしここで剣を抜かないことを選ぶなら手荒な真似はしないが?」
言われて9人はそれぞれ隣の仲間と顔を見合わせた。しかしアルヴィルフに睨み付けられてしぶしぶ得物を構える。魔法使いが3人、剣士が3人、あとはそれ以外の武器だ。王族に剣を向けることは、問題にならない学院でのこととはいえ、躊躇いを覚える。しかし自分たちのリーダーに睨まれる方が恐ろしい。そういうことだろう。
ふむ、やはり顔の見えない王族より身近な貴族の言うことを聞くのだな。
「ネンス……」
「なに、社会勉強だ。それにこれで躊躇いなく戦えるだろう?」
「まあ、そうだけどよ」
レイルが苦笑いを零しながら背中の盾を手に持つ、剣は鞘に納めたままだ。それを見てアルヴィルフの顔には怒りの相が浮かんだ。スタッツはレイピアを抜きながらにやりと笑った。意外と下衆は下衆でも性格に違いがあるらしい。
「レイル、6はお前が持て。そもそもお前が始めたことだからな」
「おう!」
「エレナ、援護は必要ない。バフもな」
「あ、やっぱり?」
大木の裏に隠してあった杖を回収し待機していたエレナが笑う。仕事が全部終わったことを確認して彼女は木に寄りかかる。完全に観戦ムードだ。
「ふん、宮廷お遊戯の剣にこの北の雄たる俺が負けると思っているのか!」
敵対するとなるといきなり居丈高になった、というより戻ったアルヴィルフが吼える。
「行け、俺を侮った罪を償わせてやれ!」
「う、うぉおおおおお、ごぶっ!?」
雄叫びを上げて先陣を切った男。彼はスキルに任せて剣を振り上げた瞬間、レイルの大盾に正面からぶち殴られて鈍い声を漏らした。レイルは前面に激突した男を無視してそのまま盾を振り抜く。ぐったりした肉体は面白いくらい簡単に飛んで地面に転がった。
「流石だな」
横目でその光景を見つつ私は正眼に剣を構える。コンクライトが月明かりを鈍く照り返した。
「覚悟っすぅ!」
両手棍を振るう大柄な男子の腕を潜る。背後でズンと地面を打つ音がするが、スキルの衝撃波があるわけでなし。よどみなく次の一手へ移る。
「消え……」
「ここだ」
自分の体の影に潜られると相手を見失う。アクセラがよくやる手法だが私の体格だとこうして大柄な相手にしか使えない。が、使えば効果的であることはよく分かった。まったく見当違いの方を見た敵の背中を蹴り飛ばす。
「ぷひゃああああああああ!?」
「お前は、もう少し剣を手入れしてはどうだ」
すぐそこに迫るスタッツのレイピア。やや刀身にくすみが浮かんだそれを鬱金色の剣の表面で滑らせて逸らす。完全に上体が上へ向いてしまったスタッツを後ろへ受け流し、飛来したファイアボールを斬って地面を転がる。エレナの魔法は剣戟を回避してくるときがあるので、それに比べると不意打ちだろうが迎撃は児戯だ。破裂する熱風を背で受けながら魔法使いとの直線上にいる槍使いへ肉迫する。
「う、うわ!?」
咄嗟に『槍術』の回転盾で防ごうとするがその軌道に剣をねじ込む。スキルアシスト以前に筋力が違いすぎて彼の槍は半回転もしないうちに止まった。コンクライトを横殴りに打った衝撃で手から長柄が跳ねる。
「距離を取って戦うのが槍の基本だぞ」
二、三度得物でお手玉した槍使。更に押し込んで鍔迫り合い、そのまま腕をかち上げるように弾く。がら空きになった胴へ蹴りを叩き込めば男は息とも悲鳴ともつかない声を残して吹っ飛んだ。
「隙ありぃいいいいいい!」
奇声を発しながら再度突撃してくるスタッツは余りにも鈍重だ。私は振り向くことすらなくレイピアだけ避けて背中で受け止める。柔らかく重いものがぶつかる感触とスタッツの息が詰まる汚い音。屈んだ私におぶさるような体制となった小男はもう自由に動けない。突きだされた腕を取って体を前へ倒し、ぐるりと投げ捨てる。
「げぶっ」
地面に背から落ちてもう一声汚い声を上げた。
「あれは隙とは言わない。覚えておけ」
「火の理は我が手に依らん!」
詠唱を結ぶ魔法使い。飛来する火魔法をもう一度切り捨てて切っ先を向ける。
「断ち切れ、風の理」
風の刃がぐるりと剣を一巻してから放たれる。
「『詠唱短縮』!?」
後退ろうとして足をもつれさせた魔法使いは尻もちを搗き、前髪を数本ウィンドカッターは切り飛ばして消えた。これ以上敵意はないと示すためか、杖を持ったまま両手を上に上げて震えている。
「お前はどうする?真正面から斬り合って私に勝てると思うなら受けて立つが」
「降参、します」
最後の一人が数打ちのショートソードを手放す。がらんと鈍い音がして、直後に向こうの方からもっと凄まじい音が轟いた。金属と金属をどちらかが壊れるまで打ち付け合ったような音だった。
「レイル?」
見れば赤い髪の友人がアルヴィルフを討ち取ったところだった。これまた強烈なシールドバッシュで正面から制圧されたらしい。アルヴィルフはブレストプレートに罅が入るという凄まじい有様で10mほど離れた場所に伸びていた。それだけではない。最初の2人以外全員があちらでぐったり、こちらでぐったりと散らばって気絶しているのだ。
あのまま大盾で殴り倒したのか、全員。
呆れるべきはその筋力か、それだけ多彩なシールドバッシュを使いこなす腕前か。しかもスキルを併用して大怪我もさせていないようだ。私など生傷を作らせないように一切のスキルを封じたというのに。
「お前、何かまた新しい技を覚えただろう?」
「な、なんのことか分かんねえなー」
しらばっくれるレイルを私は追及しなかった。マナー違反ということもあるが、お披露目できるほどになれば自分から言ってくるだろうから。
「さて……意識が戻るまで待つのも面倒だな」
主犯格2人を含めて半数以上が意識を失っている。しかし放置して帰っては一応の反省を促すと言う目的が達成されない。なによりこれ以上例の班に迷惑をかけないよう確約させなくてはいけないのだ。
「あと判子な」
レイルが言うのは各班に与えられている判子で、班同士の課題は達成の証としてこれを押さなくてはいけない。
「それは残った者に押させればいい」
肩をすくめて意識のある連中に目を向ける。さすがにこれ以上攻撃されることはないと投降した剣士と魔法使いは分かっているからか首をすくめてお追従じみた笑いを浮かべている。正直1発殴ってしまいたい顔だ。
実は面倒なのは主犯格よりも彼らのように、自分はただ言われるままに従っただけだと思っている方かもな。
とりあえず先に判子を。そう言おうと思ったときだった。
ピィィィィィィィィィ……
耳に刺さる音が夜の闇を貫いた。遠くから聞こえてくるようで、そのくせやけにはっきり聞こえる甲高い音色だ。
「笛?」
腹をさすっていた槍使いが首を傾げる。そう、これは笛の音色だ。ただの笛ではない。教員の持つ緊急事態を告げる魔道具の笛、警笛だ。
「レイル!エレナ!」
2人と視線を交わす。何か想定外の事態が起き始めたのだ。
~★~
「接近戦の極意は相手の動きを見切ること」
至近距離で無暗にハンドガンを振り回す少女を諭す。オシオキ、もとい課題をこなしに行った3人のいない拠点。そのすぐ隣で俺はアレニカに戦闘を教えていた。
「剣は振ることと突くことが基本動作。振ると線、突くと点の攻撃。だから腕を前後、左右、上下のどれかに大きく動かす必要がある」
彼女でも回避できるように大振りな動作で腕を振り、必死になって上下左右に体を揺する少女を追い立てる。
「魔導銃はその必要がない。でも銃口から直線さえ気を付ければ怖くない」
「い、言われなくても!」
必死に銃を構えようとするアレニカだが、その部分が間違っているのだ。相手を狙って構えるだけが魔導銃の使い方ではない。
「魔導銃には線の攻撃がない。でも点を相手に当てるという理解も不完全。延長線上に敵を誘導するという考えが必要」
腹の奥のどこかをじっくり弱火であぶられるような焦燥感がここ数日、俺の中から消えてくれなかった。しかしこうやって武術を教えていると不思議なほど落ち着ける。やはり人を育てるのは楽しい。
「重要なのはいかに敵の前に銃口を持ってくるか。引き金を引き絞ればクロスレンジで魔導銃が外れることはまずない。射線の取り合いに勝てるかどうか」
距離を詰め密着してから藍黒色のハンドガンを掴み、下から俺の顎へ向けさせる。剣の間合いとしては近すぎる。魔導銃に詳しくない者が相手ならこれは最高の状況だ。引き金一つで殺せる。
「た、確かにそうですわね」
「そうなると大切なのは関節。人の腕は肘と手首の間で曲がらない。この意味が分かる?」
「全然分かりませんわ」
首を傾げつつ体を離そうとするアレニカ。その動きを利用して俺は彼女の二の腕を掴む、片手で軽く掴んでいるだけだが非力なアレニカはそれだけで動けなくなる。ただし肘から先はばたばたと盛に暴れていた。
「肘より体側、二の腕を押さえられても君は慌てなくていい。剣は勢いがつかないから振っても意味がない。でも銃は肘を曲げて向ければ射線がとれる」
開いた手で肘から先を傾けさせて銃口を俺の頭に向ける。今はロッドが入っていないが、やはりこの姿勢も装填されていればあとは引き金を引くだけ。
「あ、つまり肘を抑えられると、逆に手首しか動かせないってことですわね?」
「ん、賢い。そして手首の可動域はそう広くない」
グリップを握る拳を掴んで左右に揺すって見せる。当然肘程自由には動かないし、つけた角度に対して銃口の方向もあまり変わらない。肘から動くなら手首も併せて二か所の可動部があるわけで、当然手首だけに比べれば自由度は段違いだ。
「結構難しいですわね……んー!」
本格的にジタバタと暴れだした手を解放してやるとアレニカは自分の手首をさすってから何度かコキコキ音を鳴らした。俺はお構いなしに指を二本立てて少女の頭に向けた。
「狙うべきは急所だけじゃない。頭が狙えないなら胸、腹、腰、足と目標を下げればいい」
指先を銃口に見立ててどんどん下げて行く。
「大抵の場合、どこに当たっても魔導銃の威力は高いから無事では済まない。二発目、三発目で倒せばいい」
足先に火属性を叩き込めばそれだけで指の2、3本ははじけ飛ぶだろう。痛みを堪えられても指が欠ければ最悪、立っていられなくなる。膝を着けば今度は膝を吹き飛ばせばいい。落ちて来た膝はちょうど足先を撃ったのとほぼ同じ確度で狙える。最後は胸でも腹でも頭でも。バン、バン、バンでお仕舞だ。
「うぇ」
アレニカは小さく身震いをした。ただそれはエレナのように殺人へ強烈な忌避感があるというより、今まで触れたことのないそれに型通りの怖さを見せているような雰囲気だった。実物を見て慣れればすぐにそういうものだと受け入れるような。エレナの教訓を踏まえて今度こそはうまく教えて行こうと思っていただけに、意外と馴染みが速くて肩透かしを食らった気分だ。
ああ、そうか。この娘は長年自分のものでない価値観を忠実に生き抜いてきたんだった。
今まで育ててきた人材は剣士になるというゴールだけは確定していて、エレナのようになんにでもなれる子供に対して教え方を少し間違えてしまった。しかしアレニカはその逆、ゴールをなんにでも設定できてしまう。そういう意味で親和性というか、なんでも受け入れてしまうような些か壊れた感性が育ってしまっている。そんな気がした。
「逆にデメリットとしては、近接戦でもかなりな距離を攻撃が飛ぶ。下手な乱戦は同士討ちの可能性が高まる」
ちらっと丸太に座ってこちらに背を向けるレントンに視線を飛ばす。彼は今、火の番をしながら暇そうに空を見上げていた。周囲には疲れて眠る5人もいるので、気が抜けてしまっても仕方ないことだが……。アレニカの手をもう一度取って俺にむけさせ、そのまま背を彼に向ける。
「これで私が避ければレントンはハチの巣」
「え、ちょ、えぇ!?」
レントンは突然の物騒な発言に飛び上がってこちらを向いたが、アレニカは気にせず厳粛な顔つきで頷いた。戦場で一番恐ろしいのは同士討ちだ。戦力がどうこうという実利以上に士気が崩れる。やらかした張本人はもはや戦力にならない。周囲の動きも鈍くなってしまう。人の上に立つ貴族の娘として知識はなくとも本能的に計算ができてしまったのだろう。不本意ながらサロンを率いていた経験も活きているかもしれない。
「常に使うつもりのない予備武器やロッドを持っておくこと。備えは裏切らない」
そんなことを教え込みながらどんどん組手としての体裁を整えていく。ハンドガンを使うのはスコープで見づらい距離での戦闘に使う、と言ったものの近接戦ができた方が得だ。
「そこは踏み込んで」
「あ、はい!」
「今のはアレニカの筋力では受け止められない。下がって避ける」
「え、こっちですの!?」
「そっち。次の攻撃に繋げやすいでしょ?」
「あ、そうですわね」
時々休憩がてらレントンに雑談を振りながら鍛えることしばし。そろそろエレナたちは戦闘をしているだろうか。そう思ったとき、首筋がチリっとした。
「……?」
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……アクセラさん、どうか、しましたの?」
アレニカの問いにどう返事するか考えている間に状況は動き始める。遠くから笛の音色、というのはうるさすぎる音が聞こえたのだ。
「来た」
警笛の音にその言葉が口を突いて出た。まだそれが何かは分からないが、俺は直観的に理解した。戦いが始まるのだと。
ここからは長い長い数日の物語が始まります。
エレナの、レイルの、ネンスやアロッサス姉弟の成長と奮戦を見守ってやってください。
~予告~
警笛が鳴り響く、その少し前。
教師たちのキャンプへと危機が這い寄る。
次回、襲撃の始まり




