九章 第11話 つばくらめの銃
エレナとサンドイッチを食べたあと、俺は誰もいない甲板に出て刀を振るっていた。何の魔術や魔法も使わず紅兎だけ握りしめて。フラメル川の湿度を含んだ風を斬って型を繰り返す。光源はほぼ大きな月だけ。もうすぐ満月だ。
「今日は月が綺麗だね」
誰にともなく言う。あるいは長く連れ添ったこの相棒にか。俺と紅兎、一人と一振り。9歳からだから、かれこれ6年近い間柄になる。6年も同じ刀が腰にあってくれたことは行幸とも言える。少なくとも、エクセルだった頃はもっと頻繁に刀を変えていた。異界から渡ってきた師の刀である二振りは、どうも普通の物質の法則から逸脱している傾向があって、さすがに別格だが……それを除けば一番長く連れ添った刀かもしれない。
「お前も、そろそろ休ませた方がいい?」
魔力が通わない状態でも薄っすらと赤味を帯びた刀身が美しい弧を描く。その鋭さはまるで否と言っているようだが、剣士としての俺はそれが感傷によるものだと分かっている。もし本当に紅兎の応えだったとしても強がりや過信の類だ。
「随分痩せた」
俺は滅多なことで刀を受けに使わない。刃で受ければ欠けが生じ、腹で受ければ歪み、峰で受ければ容易く折れる。もちろんただの鉄より頑丈な黒節鋼やミスリルの刀は横や裏への攻撃に強い。でも刃毀れだけは種類に関係なく、構造上よく斬れる刀ほど起こしてしまう。だから俺は攻撃を流すし、戦いで火花を散らさない。火花とは欠けた刃が燃え尽きる光なのだ。
「本当に、随分痩せた」
ただし、どれだけ注意して使っても戦いの道具である以上はどうしても欠けるときがある。そういう時には丁寧に丁寧に砥いでから鉱油を塗ってメンテナンスをする。俺は結構研ぎに自信がある方で、もちろん鍛冶屋に任せる方がいいにしても、かなり綺麗に整えてきたと思う。だが研ぎは刀の鋭さを増すのと同時に寿命を削る。なにせ金属の塊を擦って擦って減らしていくのだ。そういう意味で紅兎はかなり擦り減ってしまっていて、当初は俺の手に余るほどの長さと厚みを備えていた薄紅の刀身が今や丁度の大きさとなっていた。
「お前はいい刀だね」
斬り上げると月さえも斬れそうな冴えを見せる。痩せた分軽くなった。重さを使った戦い方はできないけれど、その辺りは筋力と技術で補える。切っ先のトップスピードは落ちたが、振る速さそのものが上がったのはいいことかもしれない。
「どうしようか……」
問いかけても応えのあるはずがなく。基本中の基本をなぞらえて刀を操れば紅兎は伸びやかに舞う。久しぶりに落ちついた心持ちで俺も足を動かす。呼吸が熱くも痛くもないのだって久しぶりだ。
「ああ、気分がいい」
手の中で柄をくるりと回して真一文字に薙ぎ払う。一連の動きはそれでおしまい。いくらなんでも船の甲板で大技の型なんてできないし、なによりまだ体力が戻り切っていない。構えを解いてまじまじと見れば、鍔へ稲穂と対に掘られた兎の赤い瞳がキラリと光った。小粒のクリスタルに月の光が映ったのだ。
「今日は普通の技の練習?」
「……ん」
かけられた声に頷く。軽やかだった心臓に棘が一つ埋め戻された気分だ。武息の要領で心を静めるための息を吐く。
「ふぅ」
背後にエレナが来ていたことは気付いていた。遠征前に新調した鉄鞘へ紅兎を収めて振り向く。相変わらず首筋に湿布を貼ったまま、それでも楽しそうに笑っている。たっぷり泣いて仮眠をとって、少し話をしてから食事をとった。それだけのことで人間は大抵、大丈夫になるのだ。
「やっぱり揺り戻しは怖い?」
「それもある。けどあれは、体力を使うから」
言い訳じみた声で理由を言う。蹈鞴舞はたしかに暴走の危険性を孕んでいる。でもそれ以上に体力を消耗する。加えて連続使用で精神力が削げていく。これから大一番になるかもしれないというタイミングであえて練習すべきものじゃない。
「食べる量増えてるのに痩せたもんね」
「そう?」
「うん。胸とかたぶん下着のサイズ落ちてるよ?」
「……ん」
たしかにちょっと、ちょっとだけ、下着のサイズが合わない。ピッタリだったはずが若干隙間を感じる。ちょっとだけだ。あと一体全体どれだけ人の胸を触ったらそんな細かい違いが分かるんだか。
「セクハラ」
「むぅ……まあ、アクセラちゃんのセクハラ認定は照れ隠しなのも分かってるからいいけど。って、痛い痛い。鞘の先でぐりぐりしないの」
エレナに見透かされたようなのがどうにも腹立たしい。紅兎の鐺で彼女の頬をぐりぐりする。
「それで、もう時間?」
エレナが来たのは暇だからでも俺とお喋りをしたかったからでもない。ちゃんとした約束があって、そのために甲板で落ち合うよう決めていたんだ。俺は先に来て一人で自主練をしていただけ。
「うん、もう時間。ていうか一緒に来たし」
頷くエレナの背後、船の中へ繋がる扉の陰から半身を出したアレニカが立っていた。月明りの中でもその淡い赤の入った金と苺色の毛先は目立つ。胸の真ん中を通る太いバンドで大きな荷物を背負っている。かなりしんどそうだ。
「こんばんは」
「こ、こんばんはですわ」
船の上では制服着用を義務付けられていないので簡素なドレスシャツにティアードのロングスカート姿のアレニカ。彼女は表面的には今までと同じお嬢様口調のまま、重心を崩してよろよろしながらこちらへ向かってくる。
あの荷物、もしかしてエレナの魔導銃一式が全部入ってるのか?
「エ、エレナ、これちょっと重すぎませんこと!?」
「やっぱり一式……」
「うん、ぜーんぶ入ってるからね」
今夜の主題は何かといえば、アレニカの射撃練習だ。そのために開発者のエレナがいて、消音とアドバイス係として俺がいる。本当はネンスも見学したがったのだがアレニカの練習にならなくなるので止めさせた。
「こんなに重い武器を、常に持ち運ぶのは、ふぅ、無理だと私、思いますわ、はぁ、そこはどうなん、ですの!?」
ようやく甲板の端までやってきたアレニカはゴトリと音を立てて荷物を下した。それだけでもう息が上がっている。これだと実弾式の魔導銃は止めておいた方がいいだろう。リコイルショックでストックに骨を折られそうだ。
「今持ってもらってるのは正真正銘の全部セットになってるやつだから、本当に運用するときはもっと軽くなるよ」
「……?」
戦いを全く知らないアレニカはエレナの説明に首を傾げる。そんな彼女を促して重たい重たい黒塗りの鞄を開かせると、中には本当に盛りだくさんの装備が入っていた。
「こ、こんなに入っていたんですの!?」
「ニカちゃんてば、開けてなかったの?渡したのもうだいぶ前だけど……」
「だいぶ前って、貴女、今朝頂いたんですわよ!?あと貴女がいない状況で開けるのが怖かったんですわよ、武器なんて私触ったコトないんですもの!」
「あー、そういえばそうだった」
納得した様子のエレナだが、それは武器に触ったことがないという点だけ。彼女にとって朝に貰った玩具を晩まで開封しないのは信じがたいことで、きっとアレニカにとってはそうでないのだ。
よくこの2人、これで友達になったな……一種のつり橋効果か?
「エレナ、説明して」
これ以上ズレが広がる前に話を本題へ向ける。三人で甲板に広げた鞄を囲うようにしゃがみこむ。
「そうだね。まずはこれが長距離ライフル型スワローズハント」
荷物が縦長な最大の理由である一丁の魔導銃。すらりと伸びた銃身に厳つい機関部、本体の流れに従って斜め後方に突き出たグリップ。全体が艶やかな藍黒に塗装され所々に銀の装飾が施されたそれは、機関部の横に大きなスリットが口を開けていた。
「グリップとストックが魔力伝導率のいい素材でできてるから、狙撃のときに2つの経路の魔力供給ができるよ。あとトリガーがここのツマミでセーフ、ショット、チャージの三段階に切り替えられるから」
実弾式は諦めて完全ロッド式にしたと聞いていたが、代わりにエレナならではの工夫が施してある。トリガーをロックするセーフ、定格の魔力出力で撃ち出すショット、魔力を任意の出力に調整して威力を変えられるチャージの三パターンで切り替えられるあたりがそれだ。握る部分と頬を当てる部分から魔力を取るのもエレナ式。ちなみにその二か所だけは特別な金属を地金そのままにしているのか臙脂色だ。
「ロッドは鞄のここに入れる所があって、今回は」
エレナが鞄の内側のポケットを開くと中には長さ40cmものロッドが5本。火が2種類、氷が2種類、雷が1種類というセレクションだ。
「こ、これ、全部クリスタルなの!?」
驚きのあまりアレニカの口調が乱れる。しかしそれはそうだろう。なにせダンジョンクリスタルは用途の多い物体で、これだけ罅も歪みもないロッドを5本も加工するとなればかかる費用は凄まじいことになる。まあ、本来なら。
「あ、お金のことは心配しないで!雷以外はわたしが採ってきたものだから」
「じ、自分で採ってきたんですの!?」
「冒険者だからね」
俺が連日意識も不明瞭なまま練習に明け暮れていた頃、エレナはレイルやネンスとクリスタルの出やすいダンジョンへ通っていたらしい。さすがに珍しい雷のクリスタルは見つからなかったものの、買い物としてはそこまで高くなかったそうで。
「ロッドの説明は実射するときでいいよね?次にこっちの小さい銃だけど、中近距離用のハンドガン型スワローズダイヴ」
「近距離……」
剣が届く距離で敵と戦うことに対する恐怖がアレニカの顔に暗い影を落とす。少し勘違いをしていそうなので俺は長距離ライフルをトントンと突いて見せた。
「これ、覗き込んでこっちを見てみて」
「え……」
「大丈夫、ロッドが入ってないなら暴発はしない」
促すと彼女は躊躇いがちに大きな銃を持ち上げて、そのままよろけて尻もちをついた。腕もふるふると震えている。
「持ち方はこう。腕で持つのは違う、上半身で吊り上げるように。そう、それで腰を意識して、こうすれば上体が支えられる。自分の体を建物に見立てて、崩れないバランスを作るといい。構えるときは肩のここら辺を意識して」
体に手を当てて微調整を施せばアレニカはすぐにライフルを持ち上げることに苦労しなくなった。置かずに構えるとさすがにふらふらだし当然このまま動き回ることはできないが、そもそも狙撃用の魔導銃を担いで走り回る方がおかしい。バイポッドを開いて設置して伏せるのが普通だ。
「これで、アクセラさんを見るんですわね」
「ん」
「ここを覗き込んで……?」
それだけで少女の手二握り以上あるスコープに目を当ててアレニカは首を傾げる。きっちり俺の方を見ているのに今一つ、自分が何を見ているのか分からないらしい。
「何が見える?」
「えっと、真っ白ですわ」
「私のシャツだね、それ」
「え!?あ、このスコープでしたっけ、これの倍率が大きすぎるんですのね!」
お、やっぱり地頭はいいな。
「そう。ハンドガンはたぶん近距離戦をするためのものじゃなくて、ライフルで見えない近さに対応するため」
「うん、その通りだよ!」
開発者から正解のアナウンスもあった。つまり性質の違う銃を使い分ける必要があるという話でしかないのだ。
「ハンドガン型はこのグリップがロッドチャンバーになっててね、銃床のところをこうやって外すと中にセットできるんだ。ただし排熱の問題がイマイチだから、銃身の横にある排熱メーターを時々見てね。この灰色のクリスタルが赤くなる前にロッドを抜いて」
手慣れた様子で狙撃用と同じ艶めいた藍黒に銀の装飾が入った魔導銃をガチャガチャと弄るエレナ。カチっと音がして銃床が外れ、そこに荷物の中から取り出したロッドを噛ませてグリップに戻す。どうやら銃床はボタン一つで外せ、ロッドも直接触ることなく取り外しできるようになっているらしい。オーバーヒートすると赤熱するロッドを扱ううえでの安全設計だ。
「ロッドというか、カードですわね」
アレニカの指摘した通りハンドガンのロッドは薄く幅のあるものだった。長さ7cm幅3cmといったところか。
「まあ、ややこしいからロッドで」
言いながらエレナは虚空目がけて引き金を引く。
バン!
「きゃっ!?」
アレニカは竦んでしまったが、そう大きくない破裂音だ。火炎魔術の火弾に似た火の弾丸が射出され、距離減衰によって消えて行く。動作を確認してグリップからロッドを外し、今度は荷物から出した布のケースに仕舞った。
「ロッドはまだ火と雷だけだよ。このケースはハンドガン用のロッドが最大8枚入る専用のポーチで、腰に吊っておけばすぐロッド交換ができるからね。あと放熱素材が編み込んであるから、粗熱さえ取れば使ったあとのロッドも入れていいよ」
すらすらとした説明を聞くアレニカは、いつのまにかエレナの手でベルトを装着させられていた。冒険者が好むそれより少し幅広で耐荷重が大きいタイプだ。
「この長いケースはライフルのロッド用。3本までしか入らないけど足の横に垂らしてもいいし腰の後ろに付けてもいいし、矢筒みたいに使えるからね。ただ長距離用のロッドはできるだけこっちの鞄に仕舞っておいてほしいかな。重いし」
「こ、こんなに色々頂いていいんですの!?」
「まだあるよ?」
鞄からは更に3つのポーチが出てくる。一つは横広、一つは小さく、一つはそこそこ大きさがあるものの軽そうだった。ここにきて俺はようやく全てのアイテムに同じマークが刻まれていることに気づく。椋鳥のエンブレム。リオリー宝飾店の紋章だ。
いや、厳密には違う?
記憶にある宝飾店の椋鳥は宝石を咥えており、魔法店の方は足に室内杖を掴まえていた。しかしこの椋鳥のエンブレムは細くて僅かに湾曲した剣を掴んでいるのだ。それはどう見ても刀だった。
「エレナ、このマークは?」
「え、マイルズさんからの手紙読んでないの!?」
何気なく聞いたつもりが彼女は目を見開いて叫んだ。
「えーっと、ちょっと待って。リオリー魔法店の評判と業績が上がってきてて、新しくリオリー服飾店もオープンするって手紙はさすがに覚えてるよね?」
「全然」
「むぅ、それは夏休み前に届いてた手紙だよ!」
ばしばしとエレナが魔導銃の鞄を叩く。結構頑丈な素材のようでびくともしない。
「それのこと?」
「違うよ!授業始まった頃に届いてた手紙でリオリー宝飾店と合わせて姉妹店を統合するから、幹部として合意の手紙を下さいって!私てっきりアクセラちゃんも同意したと思って、自分の同意書と合わせて試作品にエンブレム付けてくださいって言っちゃったんだけど!?」
いくらここしばらく俺と生活リズムが合わなかったからって、それは一度確認してほしかった気がする。ただそれよりも気になることが1つ。
「幹部?私が?」
「魔道具部門の開発責任者なんだから当たり前でしょ!」
「え、あー……ごめん。戻ったら書いて送っておく」
どうやら俺宛てのその手紙が見当たらなかったのでエレナは既に返信したのだと思ったらしい。返送用封筒が同封されていたのも理由だろう。でもおそらくそれは当時、居候していたマリアが気を利かせて俺の部屋に置いてくれたのが理由だと思う。そして俺がその手紙に気づかなかったと。流石に同じ部屋で寝ていても机なんかは別々なので、そこにあればエレナも気づけない。
「ん、じゃあこのエンブレムは新しいお店の」
「厳密には違うかな。リオリー商会の紋章は毛づくろいする椋鳥になったからね。刀を掴んでるのは開発部署ので、正規品には付けられない予定だよ」
リオリー商会。とうとうあの店も商会の名を掲げられるほどになったのか。
商店と商会の違いは税率や権限など色々あるが、一番大きい要素を上げると商店は本店のある領の商工会議所にのみ所属していて、商会は支社を置く全ての領地で所属できることか。商工会議所に所属できれば常任役員の選挙など口出しできる範囲が増え、自分の有利なように暗躍できる。魔法店の出店当初に貴族街での店舗確保を他の商会に邪魔されたことがあったが、そういう暗闘を仕掛けられても泣き寝入りしなくていいのは大きい。
「2人は商会にも所属しているんですのね?」
「あ、ごめん、今の聞かなかったことにして!」
「言いふらしたりはしませんわよ……」
呆れたように肩をすくめるアレニカ。つい認識の齟齬から人前で話してしまったが、本来俺とエレナが魔法店の商品開発を行っているのは秘密だ。それは俺たちを守るためでもあり、店が侮られるのを避けるためでもある。下ギルドのほど近くにある王都一号店の姉妹店長ですら知らないのに、ちょっと気を引き締めなくては。
「それよりこんなにいい物を色々渡していただいても、今の私には本当になんの支払いもできませんわよ?」
アレニカは今、家族から半ば見捨てられている状況だ。当然高価な買い物、それも武器の購入などお金が出るわけがない。
「まあ、その、新商品のテストって側面もあるからさ。ニカちゃんはあんまり気にしないでくれると」
エレナもそこは承知したもので苦笑とともにそう言った。アレニカの肩へ入っていたわずかな力みが抜けて淡い笑みが浮かぶ。
「そういうことでしたら、ひとまずご厚意に甘えますわね」
人に甘えるのが苦手そうなアレニカが言うとそれだけで大きな進歩に思えてくるから不思議だ。魔導銃はさすがにリオリー商会も販売の予定がないのでエレナの持ち出しだが、あえてそこを指摘する野暮は侵さない。代わりに俺は別の言葉をかける。
「ん、もっと甘えていいよ?」
小さく笑いかけると彼女は頬を赤くしながらも眉毛を吊り上げて声を荒げた。
「そ、そう言うのは私ではなくて、その……もう!」
ちらちらとエレナに視線を移して何かを言いかけつつ、最後には一声荒げて腕を組んでしまった。そんなやり取りもお構いなしでエレナはポーチを見せる。まるで着付けをするようにエレナは彼女の腰に抱きついて商品のお披露目中だ。
なんか面白い絵面だなぁ。
「こっちのポーチはアクセラちゃん謹製のエンチャントクリスタルが2つ、爆発と煙幕だからね。こっちの大きいポーチは空だから好きに使って。最後のこれは眼鏡ケース」
しれっと真鍮エンチャントのクリスタル、ガメられた……。
俺が生返事であげてしまった可能性もあるし、かなり迷惑をかけた自覚もあるのでお咎めはしないでおいてあげよう。
「私、目はいいですわよ」
「普通の眼鏡じゃなくてね、これは魔道具の眼鏡なの」
赤い縁取りに薄灰色の左右一体型レンズを持った眼鏡というかバイザーというか。それをアレニカにかけさせて蔓の根元を指で押し込む。フレームに刻まれた模様の奥から薄っすらした光が漏れ始め、中に回路が組まれていると分かった。
「ここを触ると起動して、微細な魔力波で距離を測定できるの。他にも暗視とか色々機能はあるけど、それはおいおいね」
「ちょ、ちょっと待ってくださる?この魔道具一式とエンチャントクリスタルまで無料で貰っては、さすがに貰いすぎですわよ!」
再度アレニカが叫ぶ。実は鞄がやたら重かった理由としてまだ整備用の道具やスペアパーツ、油、魔力ポーションなどがあることを話していないエレナは、肩をすくめてまた苦笑いを浮かべた。最近この娘は苦笑いの率が増えた気がする。主に誰のせいだと言われれば返す言葉もないんだが。
「あ、そのあたりはネンスくんが出してくれたからいいんだけど。これから危険な場所に連れて行くから、少しでも安全な装備を使ってほしいって。一応、防具も揃えてあるよ」
その名前が出た途端に恋する乙女の顔になった少女は小声で「シネンシス殿下が……」と呟く。しかしすぐに気になる部分を見つけたらしく眉間にしわを寄せた。
「防具なんて、いつの間にサイズを計ったんですのよ!」
「さすがに計ってないよ!」
言われた方からすれば当然の、言った方からすれば予想外のツッコミ。たしかに普通防具を用意するには綿密な測定が必要になるわけで、年頃の少女としては身に覚えのない身体測定ほど嫌な物もないだろう。
「そもそもわたしだってこの遠征の話はさっき聞いたんだし、防具はフリーサイズの布系だから!これもネンスくんからお金貰って用意してたの!何のためか具体的には、言われてなかったけど……」
「そ、そうでしたのね……失礼しましたわ」
むくれるエレナと慌てて謝るアレニカ。ハニーブロンドの少女に数時間前の泣き顔の気配はもうない。それが本当にいいことなのかどうかはおいておいて、ひとまずエレナの中では納得が行ったのだろう。
「さて、練習を始めよっか!」
「え、ええ!そうですわね!」
「……ん」
俺は未だにちくちくとした不思議な感触に首を傾げながら、大人しく消音の仕事を始めるのだった。
~予告~
魔導銃スワロウズハント。
甲板揺るがすその火砲は、アレニカを救うのか。
次回、はじめての『力』




