九章 第7話 狂花、あるいは
「俺はベルベンス=ファーン=フィクラ、お前たちの新しい戦闘学教官となる!」
それは学院の新学期が始まった最初の週のことだった。戦闘学の授業だ。
練習場一杯に響き渡るような大声でそう名乗った男は、まるで熊のような巨体を誇った。前任であったメルケよりも更に背が高く、全体的に筋肉量も多い。王太子という立場から多くの近衛騎士を見てきた私からしても呆れるほど優れた体躯だ。更に呆れたことには何故か鎧をガチガチに纏っている。
「そこの貴様!これまで受けてきた教練を簡潔に説明しろ」
のっけから異様に高圧的な態度。赤金色の籠手に包まれた指でさされたクラスメイト、ウッドバウト子爵家のレントンが竦み上がる。『騎士』系の威圧を指摘と同時にぶつけられたのだ。それでも答えないわけにいかないので、おずおずとメルケ先生が行ってきた授業内容を説明しだした。
ああ、ハズレを引いたな。
ベルベンスを改めて見た私はそう思った。赤茶けた髪は短く刈り込まれ、同色の瞳はぎらぎらと輝いている。鷲鼻の上を通って顔を斜めに横切る傷痕は剣による傷だろう。漲る風格は確かに実戦を知る戦士のそれだ。しかしレントンを、メルケ先生の教育方針では基礎練習組に位置づけられていた初心者を怯えさせて口の端に笑みを浮かべている。
一目見て分かるだろうが。
これは学院の教師に向いているタイプじゃない。むしろ学院に入れてはいけない種類の人間だ。どうしてそれが正式な新任教師として登用されてしまったのか。今の私には分かりかねることだが、大方どこかの有力者が後ろで糸を引いたか……。
「フィクラってことは、フィクラ男爵かよ」
困ったような顔で隣に立つレイルが言う。
「フィクラ男爵……どこかで聞いたが」
思い出せない。しかし聞いたことはある。さすがに4桁もいる貴族を全て網羅しているほど記憶力はよくないのだ。騎士や英雄の系譜においてはレイルにまったく及ばないと言ってもいい。彼の場合は趣味によるところが8割くらいを占めていそうだが。
「ネンスが覚えてねえのも仕方ないって。フィクラ男爵が有名だったのは先代だからな」
珍しく嫌悪を滲ませる声で言う友人に詳しい話を教えてもらう。当然小声だ。
「先代は一般兵から騎士爵を経て、そのまま男爵位までのし上がった傑物だぜ」
「ああ、その話なら心当たりがあるぞ。コーキンス辺境伯領の騎士の話だろう?」
聞いた覚えがあったのは彼の家に纏わる話の方だった。南端を守護するコーキンス辺境伯に仕えた先代フィクラ男爵。彼は若い頃に一代限りの爵位である騎士爵を与えられ、のちに魔物が大量発生し雪崩を打って襲い掛かってくるという怪現象に見舞われる中で立派に戦ったそうだ。満身創痍になりながらも砦を守り切ったとして叙勲され、コーキンス伯の娘の一人を妻に与えられた。まさに立志伝中の人物だ。
「二代目にしてはその、なんだ」
人間的に好ましく感じられない。大抵貴族が見持ちを崩すのは三代目からで、人格や腕前が失伝するのもそのくらいとされている。ここをどう乗り切るかが新興貴族にとって大きなターニングポイントとされるくらいだ。
上手く越えられなくとも残っている古い家は山ほどあるがな。
苦い思いを飲み込んで頭を振る。他家の例を出さずともフィクラ男爵家は目の前の男でまだ二代目なのだから。
「英雄が必ずしも好人物とは限らないということか」
「いや、そうじゃねえよ」
レイルは首を振って否定する。てっきり蛙の子は蛙の図式で初代からしてこういうタイプだったのかと思ったが違うらしい。先代男爵は謙虚な人物だったと、父であるフォートリン卿から教わった人柄を我が友人は語ってくれた。オーガの亜種率いる魔物の大群と戦ったフォートリン伯爵は、己より先んじて似たような死線を超えているフィクラ男爵をに注目していたそうだ。
「ならば何故?」
「まだ息子が幼いうちに、古傷が悪化して死んじまったんだと」
「ああ、なるほどな」
満足に教育を施すこともできず死んでしまった男爵は、さぞ無念であったことだろう。今の状況を知れば冥界神の身元で別の悔し涙に暮れているかもしれないが。
「実力は確かだけど、それ以外はちょっと……てカンジのヤツみたいだぜ」
本当にこういう時、人事をどうこうできる力が自分にあればと思ってしまう。当然そんなことをすれば学院の秩序が崩れるし、私の名も地に落ちるだろう。しかしこれから起きる陰鬱な展開を思えばその方がまだマシに思えてしまうのだ。
そもそもメルケからして濡れ衣とはいえ、表向きは不名誉除隊させられた人間だ。悪魔や悪神の話題が絡んでセンシティブな後釜に素行不良の元騎士を据える神経が分からない。
「絶対ややこしい事になるよな」
「なるだろうな。絶対に」
私とレイルが仲良く肩を落とした時だった。レントンがつっかえつっかえ、なんとか説明を終えた。そしてベルベンスは深く頷いて言ったのだ。
「そうか。説明ご苦労。だが俺は簡潔に説明せよと言ったはずだな?」
「え、あ、あの……でも」
狼狽えるレントンに再度スキルによる威圧を当てるベルベンス。
「でも?でもだと?貴様は教官に対して口答えを試みるというのか?」
「ひっ」
「いいか!?俺に咎められたときに言っていいのは「申し訳ありませんでした、教官」だけだ!分かったか!?」
腹の奥から発せられる強烈な怒鳴り声。初心者や中級者はそれだけで体を縮こまらせてしまう。私や他数名の剣に覚えがある者でも今のは肩が跳ねそうになった。つまらなそうに突っ立っているのはアクセラとレイルくらいのものだ。アクセラについては、見ていてまったく頼もしいとは思えなかったが。むしろ不安がどんどん膨らんでいく。
「返事もできないのか、貴様は!その場で腕立て伏せ100回だ、さっさとしろ!」
再三怒鳴りつけられてようやくレントンも理解したのか、震える手を地面について腕立てを始めた。いきなりやってきて無茶苦茶を言う目の前の大男が教師である以上、どれだけ理不尽に感じても従うしかないのだ。少なくとも今だけは。
あとで絶対ヴィア先生に相談が殺到すると思うが……まあ、彼の教師人生が短いのは良い事だ。きっとお互いの為に。
こういうとき、生徒思いでオープンな担任がいることは救いだ。少なくとも権限の上でヴィア先生とベルベンスは同等であり、学院の教師はまともな人間が大多数なのだから。授業さえ終われば正規の手順で消えていただくことになる。
「度し難い練度の低さだ。そこで惨めに罰を受けている者だけではない、全員がだ!」
生徒たちの思惑など露知らず、ベルベンスが怒鳴り散らす。指さされたレントンの顔に運動だけでない、恥辱の赤が差したことには気づかなかったようだ。
腕がよくとも騎士団を出る羽目になるはずだ。メルケとは別の方向で集団が向いていない。
「いいか、貴様らが半年近く受けてきたのは教練ではない!ただのチャンバラ遊びだ!」
「……」
「俺はその間抜けの話を聞いていて頭痛がしてきた。どうして己で考えられんのだ!」
「……」
「疑問に思ったことはないのか?実戦重視などと言っておいて、貴様らの『剣術』をレベルアップさせるような事は何もしていないではないか!」
その指摘に薄っすらとした視線がアクセラに集まる。メルケ先生の方針の半分くらいはアクセラの提言を受けて実施されていたからだ。もちろんその成果は他ならぬ彼女自身が己の強さとして証明しているので、先生の判断や彼女の方法を批判する生徒はいない。自分たちでもスキルこそ上がっていないものの、地力が付いてきた自覚があるので猶更だ。それでも空気というのは厄介なもので、ベルベンスの注意は自然と彼女に向かってしまった。
「貴様は……その白髪、噂のオルクスか」
「ん」
心の底から興味がないというように頷くアクセラ。当然ベルベンスの気に障ったその行動は、彼女と親しい者が全て危惧していた事態への始まりにしか見えず……。
「なんだその態度は!」
レントンに向けたものよりやや強い圧が発せられる。アクセラは動じない。当たり前だ。あのメルケや悪魔とも正面から渡り合ったのだ。だがこれがまたベルベンスを刺激する。
自分で怒鳴って自分で苛立って行くのだから、手に負えない。子供か。
「血が卑しいからといって学院生であるからには教官への態度というものを心得ておけ!」
「すみません」
おや?
意外なことに、非常に意外なことに、アクセラは謝った。表情が動かない彼女のことなので、波風立てないようにしたのか興味がないのかは分からない感じだったが。ハラハラと見守っていた生徒からすると別段どちらでもいい。ただ新しい教師にはそうでもなかったらしく、すっと目が細められる。
「異端者メルケのチャンバラ遊びが、どうやらお前には合っていたようだな?」
「……」
「大方碌なスキルを持っていないのだろう。だから易きに流れる」
ざわっと生徒たちの空気が動いた。それは当然だ。マレシスは彼女に絡んだ結果、幾度となく地に転がされた。軽んじられることが多い彼女だが、冒険者として舐められることは避けなければならない。その事情が今となっては飲み込めているクラスメイトたちは揃って、次の瞬間にはアクセラがベルベンスと決闘を始めると思った。かくいう私はベルベンスが頭から練習場の地面に埋められるところまで幻視したが。
「……」
しかしアクセラは何も言い返さない。萎縮したとみた男が視線を全体へ戻すまで、ただ黙して立っていた。考え事でもしているのか心ここにあらずと言った様子だ。
「俺の教練は甘くない!貴様らが貴族社会でこのオルクスのように卑怯な負け犬にならないよう、徹底的に鍛え直してやる!だが喜べ、在学中に剣と槍と盾のスキルは実戦に耐えうるレベルまで底上げしてやるのだからな!」
剣、槍、盾のスキルに絞って学ばせる。その方針に生徒の半数からはため息が漏れた。メルケ先生の方針では適性のある武器を探るため、定期的に変わり種の武具を試させていたのだ。彼らはそうした試みの中で剣や槍以外が手に馴染むと知り得た者達だった。
ああ、上が変わって方針転換を強要されるのはこれほどモチベーションに影響するのだな。
ただでさえベルベンスの方針や性格が災いして低い士気が目に見えて下がっていく。
「これより先、俺のことは教官と呼べ!答えるときは簡潔に、はいかいいえだ!私語は厳禁とする!定期的に模擬試合を行い満足いく成果が挙げられなかった者は厳罰に処す!また学期末にレベルテストを行うがこれに落ちた者も厳罰だ!」
今度こそ悲鳴が上がった。士気はもうゼロだ。
~★~
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」
息が整えにくい。体が重くなってきた。木剣を握った手が鉛の腕枷でもしているように感じる。恐怖政治の宣言からもうすぐ30分が経とうとしている今、私は既に疲れ切っていた。
くっ、この脳筋馬鹿め!
悪態をつきながら頭の片隅で冷静にベルベンスの指導方法を分析していく。そこには大きな問題があるのだ。具体的にはずっと素振りをさせる。それも上級者が疲弊するほどの速度で。まだ残暑厳しい中で休憩なしに30分もそんなことを繰り返せば、いくらアクセラとの鍛錬を受けている私でもしんどい。それをこのまま授業終わりまで続けると言う。
いや、耐えろ。学院の教育理念とは乖離していると明確に示せればより効果的に、手早くこの男と過ごす日々を終えられる。だから耐えろ。
そう願いながらも視線を上げれば日はまだまだ高い。あと30分近く残っている授業時間を思うと余計に頭がぼうっとしてくる。
「も、もう無理……」
蚊の鳴くような声を出して木剣が地面を打つ音がした。手を止めてそちらを見るとレントンであった。
無理もない。
レントンの実家は名馬を育てることで有名なウッドバウト子爵。剣の腕は今一つでも体力はかなりある方だ。それでも彼だけ余分に腕立て伏せを100回もしているのだから、誰よりも先に力尽きて当然。
「また貴様か、ウッドバウト!」
延々と私たちに素振りをさせてはふんぞり返っていたベルベンスが怒鳴る。
この男に常識は欠片たりともないのか……?
レントンの練習着の襟を掴んで引き上げる男を見て怒りが湧き始めた。戦闘学の授業なのだから多少荒い扱いをされるのは皆想定内だ。それでもこのレベルは学院にそぐわない。この一回をしのげばクラス全員からの猛抗議で学院に判断を仰ぐ。それでいいと思って我慢してきた我々だが、早くもその限界が来ていた。
「この程度で音を上げているようだから何時まで経ってもまともに『剣術』一つ使えないのだ!無断で休んだ罰として腕立て100回とする!」
「む、無理です……もう、むり……」
「誰が口答えする許可を出したか!それだけ無駄口を叩く元気があるなら腕立て200回でも十分できるな?ぼさっとするな!」
理不尽な命令を言い放って襟を離すベルベンスだが、レントンはもう体力の限界だ。力なくその場に尻餅をつくほかない。自称教官の眉が跳ね上がる。
「座っていいと誰が言った!お前のような根性のない奴が家を継げると思っているのなら、その腐った性根を叩きなおしてやるからそこに立て!駄馬め、お前のような者を駄馬と言わずして何という!」
駄馬。そう罵られた瞬間、レントンの目に殺意がよぎったのを私は見てしまった。名伯楽の一族として爵位を賜ったウッドバウトの人間にとってそれは禁句だ。特に全く関係ない分野でそう罵られるのは耐えられないはず。
いかん、止めに入らなくては!
レントンが怒りに任せて短絡的なことをする前に。そう思って熱を持った体で止めに入ろうとした矢先、誰よりも早く二人の間に割って入った者がいた。トライラント伯爵家の嫡男、アベルだった。あまり体力のある方ではないのでかなりフラフラとしているが、それでも立ちふさがっていた。レントンとしても以外だったのか、出鼻をくじかれた怒りはしぼみ、浮かせていた尻をまた練習場へ落とした。
「なんだ、トライラント」
青筋を立てて見下ろす騎士崩れの眼差しにアベルの膝が小さく震える。私より、レイルより、他のどの武闘派より先に彼が立ちふさがったのは単純に隣で剣を振るっていたからだが、その勇気は本物だ。ただ純粋に力がなさすぎる。
「ま」
待てと言おうとした私を遮る大きな手。他ならぬアベルの親友、レイルが遮ったのだ。何を考えているのかと問いただすより早く、ベルベンスが怒号を上げる。
「なんだと聞いているのだ、トライラント!そこの腑抜けを庇うのなら貴様も同罪だぞ!」
「な、なんの……」
脚同様に震える声でアベルが口を開く。
「何!?」
「なんの、一体なんの、罪ですか!」
振り絞るような突然の大声にクラス中が否応なく注目する。レントンが吊し上げられた段階からそうだったが、張り詰めた空気がより強度を増したように感じられた。
「教練教練と言いますが、ここは学院です!教練ではなく授業の1つです!」
堰を切ったようにまくし立てるアベルに多くの生徒が小さく頷く。
「騎士学校ではないし、騎士になるつもりのない生徒も大勢いるんです!」
これが騎士の育成を担う場なら、このくらいの扱きは普通に横行している。そして強い騎士を育成するためには認められてもいる。だがここは学院。教養と知識を身に付ける場所であり、戦闘学は学べる事柄の一つに過ぎない。
「それをこんな扱い……これ以上は怪我人が出ますよ!」
「馬鹿馬鹿しい、そんなことは百も承知だ!」
それをよりにもよってこの男は馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。
「怪我をしたからなんだというのだ?異端者のせいで落ちこぼれた貴様らにはそれだけの教練が必要なのだということも分からんのか?」
「な……!?」
「こんなものはまだ序の口だ。いいか、落ちこぼれの根性は一度徹底的に叩き砕いて鍛え直す!それが俺の方針であり、従えないとは言わせない!」
全員が叫びたかった。そんなものは従えないと。しかしベルベンスは全方位に威圧をばら撒きながら怒鳴り続ける。
「御託を並べている暇があるのか?授業の時間は限られているんだぞ。罰として二人とも腕立て200に腹筋200、その後練習場を3周走れ!それが嫌なら来なくてもいいぞ?惨めな負け犬として噂話でも集めているといい」
レントンと同じように家業を愚弄された形だが、そこはアベルの大人びたところ。奥歯を噛み締めて嘲笑に耐え本筋を通そうとする。
「来なくていいなんて、選択した授業は学期中に変えられないんですよ!」
つまり来なければ落第しかない。出欠不足で単位を落としたとあれば2年生でまたAランクとはいかない。つまり不名誉なクラス落ち確定なのだ。それは初年度でAクラスに入った人間にとって大きな恐怖である。
「どちらにせよお前のように教官の命令が聞けない者は落第だ。好きにすればいい」
「そんな馬鹿な!?」
まったく関係のない騎士訓練の真似事をさせられたうえにベルベンスの胸先三寸で落第が決定される。教師とは思えないその対応にアベルが叫ぶ。気の回るアベルには珍しい、本当に焦ってのミスだ。言質を取ったものとして学院に掛け合えばよかったのに。
「何だと?今貴様は教官である俺を馬鹿と言ったのか?」
「あっ」
失言に気づくももう遅い。そういう意味で言ったのではないと弁明しようにも相手はまともに言葉が通じないのだ。ベルベンスはレントンに向けていたそれとは比べ物にならない威圧を放ってアベルに一歩近寄る。それだけで彼の膝は力を失い、その場に崩れ落ちた。レントンが縋るようにアベルの肩を掴んで庇おうとするが、2人とも威圧の前で動けない。周りの生徒にしてもそうだ。
「己の立場を分からせてやる必要があるようだな」
拳を握り固める大男に一部から悲鳴が漏れる。あの鎧で殴られたら眼鏡が割れるくらいで済まない。
「チッ」
「あ、待て!」
親友の勇気を尊重して俺を阻んでいたレイルが舌打ちして走りだした。私もそれについて走る。拳が振り上げられたところで揃って間に滑り込み、背中で2人を庇う。
「「あ」」
途端、私とレイルは間の抜けた声を漏らした。というのも我々の視界には迫る拳ではなく、それを受け止めて立つ小さな背中があったからだ。白髪を拳圧に靡かせる少女の背中が。
「オルクス、貴様!」
ベルベンスが怒鳴る。
「やりすぎ」
淡々としているがどこか怒りを感じさせる声だった。押し込まれる拳に一歩も下がらず対峙する様は今度こそ頼もしい。
「ほう、ステータスには恵まれているのか?」
「それはどうでもいい。授業とはいえ、やりすぎ」
口調は穏やかで、諭すような響きがある。
「貴様は俺に指図をする気か」
一瞬だけ下がっていたベルベンスのボルテージが高まってくる。
「基本的にするつもりはない。でもやりすぎはよくない」
アクセラはどこまでも涼し気で、聞き分けのない子供に理を諭す老人のようだ。
「喧しい!貴様のように戦いの何たるかも知らない卑怯者の娘が俺のやり方に口を出すな!」
放たれる圧はスキルによるものだろうが、今度は威圧用というより鎮圧用の強度で放たれた。突風が吹きつけたように生徒の輪がざっと広がる。我々も腰を抜かしたアベルとレントンを庇って下がる。しかしアクセラはまるで無風の草原に立つかの如く微動だにしない。
「確かに戦闘学は戦い方を教える授業。でもアベルの言う通り騎士志望ばかりじゃない。先生は何のための戦い方を教えるの?」
マレシスに決闘を申し込まれたときくらいしかクラスメイトたちは見ることのなかったアクセラの長文。それだけでなぜかAクラスの面々には高揚感が生まれる。
「ゴチャゴチャと口ばかりよく回るものだな!何のために戦うだと?馬鹿馬鹿しいことだ!」
「戦う力は手段でしかない」
「そうやって煙に巻こうとする姿勢は、さすがオルクスだな」
「……はぁ」
アクセラため息にベルベンスの顔が赤黒くなるが、すぐに嫌な笑みへと取って代わる。
「そういえば異端者メルケはよく決闘をさせていたのだったな。神聖な決闘を子供の遊びに使うなど下劣だと思ったものだが、物の分からない腑抜けに根性を叩き込むには意外といい方法かもしれない」
話の流れが分かりやすい方向に流れたことに、フラストレーションの捌け口を求めていた生徒からは肯定的なざわめきが漏れる。アクセラがベルベンスをのしてくれるだろうという期待が籠ったざわめきだ。今度は全員が自主的に数歩下がって大きな空間を作った。
「どれ、この俺が一手教えてやる。剣を取れ!」
「……まあ、いっか」
嫌われ者のオルクスとタフガイな教官。そういう図式を脳内で描いているのかベルベンスの顔は笑みが薄っすら透けている。残念ながらオディエンスは全員逆の展開を望んでいる。
「しゃきっとしろ!」
「意味があると思えないけど」
怒鳴る大男を無視してアクセラは木刀を手に立つ。脱力しきったその姿は構えらしい構えには見えない。スキルの起動に必要な体勢とも思えない。ただこれに騙される者はもうこの場に一人しかいなかった。
「いくぞ!」
声とともにベルベンスの剣が動く。青い光を纏った高速の横薙ぎ。いきなりスキルまで乗った一撃だ。驕っている態度を思えばあまりに殺意が高すぎる。それをアクセラは頭上から切っ先を下げて木刀を立てた。
高めの位置で二振りは接触した。打撃力を強化された赤い木剣は刀身の上を滑って逸れる。来る角度が分かっていれば逸らすのは簡単だと、アクセラは語っていた。発動したスキルに見当がつけばスキルカウンターという技術は100%ハマる。
「ぐ!?」
驚きは最小限に更なるスキルを繰り出すベルベンス。人格はともかく、やはり腕は立つ。私やレイルよりはるかに上だ。
「でも、なぁ」
数合を逸らされ弾かれた末に繰り出されたスキルは逸らしにくい真横の攻撃。アクセラはそれをしゃがみこんで回避した。大柄なベルベンスが繰り出す横薙ぎなど、小柄なアクセラからすれば高すぎて驚異足り得ない。初撃を逸らしたのも腕が見たかったか、あるいは別の意図があったかだ。
「この、ガキが!」
剣を引き戻したベルベンスの全身を強い光が包み込む。
「……つまんない」
突進寸前のベルベンスを前にアクセラは納刀した。だが発動に入っているベルベンスはスキルを止められない。男の体は天恵の力によって輝く剣を勢いよく突き出す。
ズゴン!!
酷く鈍い音がして足元から衝撃に突き上げられた。疲労に加えて未知の感覚に襲われた一同は立っていることもできず、手を地面について座り込むのが精一杯だった。その中でなんとか視線を動かさないようにしていた私は強かに尻を打ったが、代わりにその瞬間を目にすることができた。
あれは、何をしたんだ!?
目にはできたが理解ができなかったと言うべきか。木剣が背後から迫る中、アクセラの全身が燃え上がったように見えた。火の色に包まれた少女はあり得ない速度で身をひるがえし、踵落としの要領で足を打ち下したのだ。小柄な体からは想像もつかないほど高く掲げられてから振り抜かれた足は、木剣を上から撃ち抜いて地面に叩き込んだ。スキルのエネルギーが全て練習場の床に伝わった結果、突き固められた土は破裂して舞い散ってしまった。剣は深々と突き立っている。あまりのエネルギーに地面が揺れたのが、我々が立っていられなくなった理由だったようだ。
焦げている……?
見ればアクセラの足が踏み付けている木剣は少しだけ黒くなっていた。いつの間にか彼女を包み込んでいた赤い光も消えている。めずらしくスキルを使ったのかとも思ったが、あんな立ち上るような光を纏うスキルを見たことはこれまでなかった。
「な、何をした……何をした、貴様!」
「邪魔だから、退けた」
それは迎撃ですらない行動だったという宣言にも聞こえた。挑発と受け取り目を見開くベルベンスを前にアクセラの重ねた言葉は驚くほど気が抜けたものだった。
「君の剣、軽いね」
「き、君だと!?しかも、この俺の剣が軽いだと!?」
怒りで赤黒かった顔が余計に色を濃くする。そろそろ爆発するのではなかろうかと思えてくるほどだ。しかしどれほど怒り狂っても生徒の目にはもうあまり怖く見えなかったことだろうと思う。なにせアクセラが軽いと評した通り彼の剣は地面に突き立ち足蹴にされているのだから。
「自分のために振るわれる剣も、強くはなれる。理由は何だって、強さに繋げられる」
ようやく足をどけた少女は一度納刀した木刀を鞘ごと腰から抜くイメージで外し、その柄をじっと見つめた。メルケからもらったというその一振りはすでに手垢で柄巻きが黒ずみ、刀身にもへこみが生じている。そんな傷に指を這わせて彼女は呟くように言う。
「でもそれは剣と真っ直ぐ向き合うから」
アクセラの言う真っ直ぐとはどれほど純粋に真っ直ぐなのだろう。どれだけ剣と向き合えばあれほどの技が身に付くのだろう。
「メルケ……彼は道を間違えた。でも剣への執念は本物。誰よりも強さに固執した。だから強かった。本当に、強かった」
懐かしむように木刀を軽く振るう。最高の体験を思い返すように。どこか艶めいた表情を浮かべて。
狂花、か。
父の言葉を思い出して声に出さず呟く。マレシスのために流した涙が嘘だとは思えない。それ以降の彼女を見ていても私やアレニカ嬢を含め、今回の事件の関係者を心から心配していた。だがあの涙の直後に戦いを愉しみ、折に触れて思い出せるという精神性はたしかに異常だ。不謹慎などという言葉では表せないほど異質で、常人の私からすれば恐ろしく思える。
私には分からないのだ、アクセラ……お前が父上の言うような狂人の類なのか、私の前で振る舞う通りの芯が通った少女なのか。
前から分かってはいたが、アクセラはどこか他の人間と違う。あるいは私の知る人間と違うというべきか。時に命が紙きれより軽いモノのように振る舞う。しかし一方で誰よりも命を重く見ているようにも語る。命の重さを何ミリグラムの単位まで正確に知っているかのようだ。
「君の剣は何も籠ってない」
怒りに震えるベルベンスにアクセラはポンポン言葉を投げていく。
「暴力を振るうためだけの剣なんて剣じゃない。棒切れでもなんでもいい」
もちろん、と指を一つ立てて彼女は言葉を継いでいく。
「勝つためには剣でなくても、棒でも枝でも振るって勝つ。そういう勝利と命への執着も悪くない。でも、君はそういうのじゃない。でしょ?」
マレシスならその考えに顔を顰めていそうだ。だが最後の最後、悪魔に取り込まれる中でもしかするとアクセラのために剣を折ったという私の騎士は、まさにその執念を抱いていたのかもしれない。一矢報いるための最後のあがきの瞬間に。
「君の剣は槍でもいいし棒でもいい。いっそ馬鹿に硬いバゲットを振るっても同じ。丁度いい長さがあればいい」
脳裏を長さ1m強の硬いパン片手に走るベルベンスがよぎり、シリアスな気分がやや霧散してしまう。それは他の者も同じだったようで、疲れた中に変な笑いとも戸惑いともつかない表情を浮かべた。
「農民の子が棒切れを振り回して、当たった道端の花が茎ごと千切れる。そういうものと君の剣は差がない」
「ぐ、ぎぎっ」
奥歯が酷い音を立てるのが聞こえた。どうやらずっと剣を抜こうとしているらしい。ところがかなり深く食い込んだようで中々それは達成できていなかった。
「そんな剣で生徒に何を籠めさせる?何を籠めて剣を振れと教える?剣を振る意味を持たない君が何を教えられる?」
老境の賢者のような目で教師を見据えてアクセラは、私の知る中で最も優秀な剣の師匠は尋ねる。
「き、騎士の剣を言うにことかいて薄汚いガキの棒きれと同じだと言うか!」
「……笑止」
見当違いの答えを返すベルベンス。アクセラの目から、語るにつれて籠っていった熱と知性がふっと消えた。まるで今の今まで彼女の中から男をしげしげと見ていた賢者が立ち去ったかのような変わり様だ。それもどれほどの男か見てやろうと観察していたら、ただの人に見える木だったと分かったような興味の失い方だった。
「そんな軽い剣を騎士の剣だなんて言わないで欲しい。本物の騎士の剣は例え圧し折れても誰かを守る、重い剣だ」
最後に飛ばした眼光だけは、ここに居る全員をぞっとさせるほどの怒りが込められていた。騎士という言葉に強い拘りを抱いていた男のことを誰もが思い浮かべたことだろう。そしてアクセラが彼へ今でも友として敬意を払っているのだとも。
そうか、どちらもお前なのか。
人は一面で構成される存在ではない。そんなことは誰だって分かっている。ただアクセラという少女はあまりにも一つずつの面が独立していて、まるで単純な人間のように見えてしまう。だから私を含めて大勢は彼女を測り損ねるのだ。父が評したように彼女の中には狂った戦士とでも言うべき戦いを追い求める欲望が息づいている。だが友の死をいつまでも抱えている繊細な少女の顔も、その尊厳を守ろうと怒りを見せる情に厚い人間性も確かに存在している。そして、熱心で親身になってくれるくせに、どこかドライな剣の指南者としての側面も。
難儀な娘だな。
思わず苦笑が浮かぶ私の視線の先、彼女はベルベンスから目を離した。憎悪に滾る大男の視線をまるで意に介さず、心底どうでもよさそうに言葉を置いて去っていく。
「剣の中身、見つかったらもう一戦してもいい」
もうベルベンスのことなど忘れてしまったかのように気軽な足取りだった。
そしてこの日を境に、彼女は授業を多く休むようになった。
~予告~
告げられる遠征企画の内容に沸く生徒。
ファティエナの指導も苛烈を極め……。
次回、遠征準備




