九章 第4話 鈍る剣筋 ★
「大胆すぎない?」
学院の授業帰り、ネンスの部屋に呼び出された俺は率直な感想を述べた。連日部屋に呼び出すのが風紀的にどうなのか……という話じゃない。今告げられた遠征企画の裏で進行しているネンスの計画についてだ。
「大抵の場合、切り札は大きく切らなければ意味がない。違うか?」
「間違ってはいない。でも天秤は切れる札と得られる可能性だけで成り立たない。君のリスクを考えるべき」
「考えてはいる。その上でリターンが大きいと踏んだのだ」
言い切る様子から迷いは感じられない。夏の間、彼なりに考えて出した結論なのだろう。マレシスに託された言葉に突き動かされているのは明白だが、それが悪い事だとは思わない。そして話の規模から考えても国王が承認している作戦だ。
「はぁ、とりあえずおさらいする」
学院でじきに行われる遠征企画。その行先はフラメル川をずっと下った北の大領地トワリ侯爵領。沼地が多いその場所が選ばれた理由は、実のところ政治的な理由だ。この数年とんと公的行事に顔を出さなくなった侯爵に王からの親書を届けるためという。既に中年を過ぎて久しい侯爵にもしものことがあれば縁戚も乏しいトワリ領は当主不在になるので、その前に友誼を結んで王家に都合のいい養子でも押し付ける。その下地作りだろう。
「ここまではいい?」
「ああ、その通りだ」
ユーレントハイムは他の大国に比べれば穏やかだ。けれど国である以上、内外に火種を抱えている。その一つが北のティロン王国で、この国は王家の力が弱い代わりに貴族が強権的で野心に溢れているらしい。連中は領土拡大を虎視眈々と狙っている。
「正直あまり知らなかった」
「それだけ大きな問題になっていないということだ」
南で国境を接する鎖国中のジントハイム公国と小競り合いをしていることの方が全国的には有名だ。貴族たちの危機感も同じようなスケールのようで、北にあまり注目は集まっていないらしい。今まではティロンは国内での暗闘が激しすぎて他国にとっては実際的な脅威になっていなかったのもある。
「ただ、な……」
問題の予兆が既に見え始めているのだとネンスは言う。トワリ侯爵領の未来に中央がこれほど心を砕いているのはなにも大きな土地だからではない。実質的な国境の守りだからだ。
「ここにきてティロン王国が動きだした?」
「明確に動きだした、と言えるほどではない」
北方貴族は北の国境からトワリ侯爵領までの範囲で、かなり狭くてあまり豊かでもない領地を経営している。極寒という程ではなく、暮らすだけなら不自由ない程度に豊か。しかし温暖で文化的発展も著しい南方に比べてしまうと自他ともに貧しいと思えてくる。そんな土地柄だ。
「ティロンの人間がかなりの人数、北方貴族の土地に入り込んでいる。そして当の貴族たちはその動きを隠している……つもりらしい」
「つもり」
戦慣れしていない、プライドと劣等感だけ膨れ上がった貴族。きっとうまく出し抜いているとでも思っているのだろう。
「もとより北方貴族は色々な事情があって叙爵したはいいが与える土地に困り、しかも中央に置いておきたくなかった者達の末裔だ」
「酷い言われよう」
「事実だ」
元から不満分子になるのは分かっていたような連中を何故爵位持ちにするのかと言いたいが、その当時はせざるを得なかったんだろう。
「だからトワリより北に領地がある?」
「その通り」
トワリ侯爵は建国当時から侯爵家だが、その頃は辺境伯に近かったらしい。それが政治の問題で以北へと小領地が増えていき、今では砦こそあるものの不安の大きい国境線を持つにいたる。当然トワリ家は実質的な国境の役割を、侵略の際には対抗する力を持ち続けていたのだが……先代の頃から急速に力を失って弱兵の集まりに落ちぶれたという。
「一人釣れればそれでいいのだ」
北方貴族は狭い範囲で婚姻を繰り返していて、誰か一人が反逆など大きな罪で捕まれば芋づる式に王家の手中へ引きずりだせる。
「北方貴族を再編したい?」
「有体に言えばそうだ。国防だけではないのだぞ?連中は婚姻を通じて繋がっているくせに一体となって動くことをしない。北の土地も使い方次第では大きな税収を産むというのに……」
「他には?」
「血が濃くなり過ぎているとザムロ公爵から非難が上がっているのだが、婚姻をどうこうする権限は王家にない」
意外な名前が飛び出した。レグムント家を裏切ったオルクスが今傘下に収まる国内最大の軍閥こそザムロ派なのだから、俺にも関係のない話ではないかもしれない。血統主義、スキル至上主義、そして黒い噂の多い派閥というイメージがある。ただし先日会ったレグムント候はザムロ公の懐が深すぎて魑魅魍魎の多い派閥になっているだけで、本人は真っ当な貴族だとも言っていた。
「北方貴族とティロン王国の繋がりを断ち、血縁と税金の正常化を図る。トワリを再度、国に忠誠を尽くす強い領地へ引き上げる。成功すれば一気に先々の憂いが取り除ける。そうは思わないか?」
「でもリスクが大きい」
道中の護衛は学院に通う全ての学生に累が及ぶために減らすことができない。となるとどこかの時点でネンスをある程度無防備な状態に隔離する必要があるのだ。その時、裏方である薄暮騎士団はまだしも、騎士や冒険者という目立つ兵力を置けない。
「アクセラが居れば問題ないだろう」
「私の腕は2本で、体も小柄。軍勢を相手にすればどうなるか分からない」
「そこまでの軍勢で攻められれば大抵は一巻の終わりだ。しかもそんな兵力、軍事物資からして集まらんだろうよ」
地政学的にも産業的にも、北方にそれだけの軍事力を動員する余力はない。ティロン王国から流れ込んでいる形跡もない。あと警戒すべきは突出した戦闘力を有する個人くらいか。そこは俺でカバーできるので、確かに理論的にはハイリスクとは言えない。
「もし食いつかなかったら?」
「それはそれでいい。弱兵揃いで備蓄的に王家へ刃向かえないのはトワリも同じだが、あちらはあくまで大領地の主。国境警備のために街道を管理する権限も持っている。中央から援助さえすれば一帯の貴族に睨みを利かすくらいできるからな」
「どう転んでも北方貴族への圧力を掛けられる?」
「そういうことだ」
今の計画では全体の警備にも騎士より冒険者を重用する予定だと言うのだから、俺の不安は増すばかりだ。冒険者と騎士のどちらが適しているかは言うまでもない。なにせ騎士は連携をとって大規模な行動を起こすのに慣れており、しかも装備や能力が均一なのだ。対して冒険者はピーキーな能力の者も多く、パーティー以上での連携は基本的に行わない。
同じことを北側に思わせるのが狙いか。
いくらネンスが一人になる状況を用意しても、すぐにまとまった数の騎士が雪崩れ込んでくると分かっていれば手は出さないだろう。なにせ王都に勤める騎士は国境警備の領軍に次いで精強、装備も練度も士気も高い。それよりは自分たちが数の有利を得やすい冒険者相手の方が、連中も踏み込んでくる可能性はある。
「加えて警備に作る弱点はうまくリークする。侯爵家へ親書を携えて行くということも含めてだ」
「徹底してるね。あと、そういう作戦を作れるとは思わなかった」
これは侮りではなく正当な評価。俺の、師としてのネンスへの評価だった。しかしここにきて彼は大きく予想外の、大規模で抜けが少ない作戦を用意した。言うなれば相手を閉じ込めて窒息させるような計画の立て方だ。良くも悪くも青臭い彼にそれができるとは思っていなかった。
「もちろん私だけのアイデアではない。だが今回の、アレニカ嬢を襲った噂の件で皮肉にも理解させられた」
「つまり?」
「噂の対応で私達はいくつものミスをした。状況やアレニカ嬢の心境を読み間違え、場当たり的な対処をする中で立場や建前に邪魔をされて大胆に動けなかった」
そうだ。アレニカには本当に悪いことをした。エレナの努力と偶然発生した不思議現象に助けられただけで、それがなければ危うく死者を一人増やしていたかもしれない。それがアレニカ本人になるのか、あるいは別の誰かさんかはおいておいて。
「こういうネットリした攻め方は正直気持ちが悪いが有効だ。だからそういう策謀の得意な宰相と作戦を考えたのさ」
発案はネンスだけでなく宰相、リデンジャー公爵だったか。
四大貴族の一角を占めるリデンジャー公爵、バハル老。10歳の時のお披露目パーティーで一度だけ目にした、鶴の干物のような細身の男性だ。レグムント侯爵、ザムロ公爵と並ぶこの国で最も古く強い家を長年支えてきた怪老は、同時にこの国そのものを支え続けた陰の実力者でもある。
下手をすれば一番厄介な四大貴族だったはずだ。
ビクターに教え込まれた最低限の貴族の知識は今でも健在だった。
「強権発動はできないと言っていたのに、アレニカを助けるため振るった。それもリデンジャー侯爵の入れ知恵?」
アレニカの噂への対処、王子としての立場をこれ以上利用はできないとして静観せざるを得ないとネンスは言っていた。しかし彼はその後に立場を使って一つの制裁をカーラ嬢に課し、同時に学院内限定ではあるものの噂が嘘であると暗に示したのだ。
エレナからアレニカの惨状を聞いた時点で爆発はするだろうと思ってたけど、まさかああいう方向でくるとはね。
アレニカを直接的に庇えないからといって一応処分の決まった加害者に追加制裁を加えるのは、道義的にもどうかと俺なんかは思う。ただ「アレニカを救おうとして」強権を振るうのと「マレシスの件で怒りが収まらず」強権を振るうのでは意味が違う。正当性はどちらもないが後者なら心情的に周りが口出ししにくい。目的のためには容赦がないやり口は、やはりネンスらしくない。
「半分はそうだな。もとより現状を知ったときから何か手を打つつもりではいたが、こういう方法に落ち着かせたのはバハル老の助言のためだ」
「なるほど」
ネンスが一人でしたにしては政治的というか、大人びすぎていると思ったので納得だ。しかし今度は本題に戻って疑問が湧く。
「リデンジャー公は私一人でいいと?」
「いいや、そこだけは難色を示された。奇しくもお前が自分で言ったのと同じ理由でな」
それはそうだ。いくら突出した個人の力が時に軍勢を超えるからといって、それをアテにできるレベルの個人はそういない。普通は数の暴力が圧倒的に強いのだ。だからこそ覆せる人間を超越者と呼ぶ。
「なのですぐ駆けつけられる範囲に伏兵を待たせておくことにはしてある。といってもトワリ領へ侵入すれば流石に気取られるのでな、最も近い中央の重臣であるハーレン伯爵領で待機だが」
ハーレン伯爵領は広大なトワリ領の一番細くなっている部分に接する南側の領地だったはずだ。歴史の授業で聞いた範囲では北寄りの土地にしては珍しく商業で成功していて人通りが極めて多い土地だった。
なるほど、時間をかけて人を送り込んでおくわけだな。いや、もう送り込み始めているのか。
北方貴族にはできないと言った大動員を気取らせないという所業。しかし軍事に明るくなく人通りの少ない小領の貴族と、協力者も資金力も潤沢で大きな常備軍のある国家……できることには根本的な開きがある。
「最速で何日かかる?」
「随員が早馬を走らせて伝え、即応部隊を送りだすのに2日もあれば大丈夫だ。即応部隊は移動速度に秀でているので早馬が半日で掛ける工程を1日で来ると考えれば、とりあえず3日で到着するはずだ」
即応部隊は補給や野営をほぼせず、文字通りその場の戦力を増強するために送られる。とはいえ3日で到着というのは凄まじい速度だ。本体は準備にも移動にももっと時間がかかるだろうが、それで王国の軍師たちは問題ないと判断したらしい。
「意外とユーレントハイム軍、強い?」
「失礼だな……戦争は長年ないが小競り合い程度なら経験している。なにより魔物相手に出動要請が入ることもある、即応展開を行うことは得意中の得意なのだぞ」
そういえば以前受けたユニコーンの討伐、冒険者ギルドにちょうどいい強い処女が居なければ騎士団が相手をすることになるんだった。男に狂乱して攻撃的になるユニコーンだが、数と連携を軸とした騎士団なら狩れる。そういった緊急の出動がある以上速度と展開力には秀でているのも当然だ。
「でも3日、私だけで守るのは難しい」
他の生徒は正規の護衛が守るだろう。だが彼らから離れている釣り中のネンスを、向こうから迎えに来るだけの余力が果たしてあるのか。なにせ護衛がその時守っているのも貴族階級の子女ばかりで、一人でも人質に取られれば北方貴族は勝ち筋を見出せる。
「そうだろうか。あのメルケを討ち取り、悪魔を寄せ付けず、悪神の現身まで追い返したのだ。私は無理だと思わない」
彼の目にふざけているような気配はない。妄信しているわけでもなく、理論と現実の尺度を間違えている風でもない。しごく真面目に状況と見てきたことを比べて、俺なら3日間を守り抜けると算出したのだ。もちろん俺だけじゃないだろうが、敵に侮られるだけの手勢を防ぐ要へ位置づけられている。
「そうとも。お前の言う通り、少ないながらも味方はいる。人数的に少数でも学院の武闘派ばかりが護衛には投入されるのだ。特に北の領地に仕える魔法使いとは比べ物にならないほど腕がいいのだぞ、学院の教師連中は」
それはそうだろう。腕が良ければそれだけで条件のいい就職先を選べるのが魔法使いだ。でもって学院は最高に条件がいい。
「私は、超越者じゃない。ランクもまだC」
「それは意図的にとどめているに過ぎない。違うか」
痛い所を突かれたが、おそらくカマをかけただけだ。ギルドは例え王族相手でも詳しい事情を漏らしたりしない、はずだから。
でもあえてネンスに伏せる意味もないんだよな
「ん、それはある。エレナを増長させないためと、目立ち過ぎないようにするため」
もうエレナについては心配いらない気もしている。学院での生活で彼女は急速に社会化され、人付き合いも上手になってきた。冒険者としての知識もたまにこなす依頼で会得してきているだろう。そろそろ俺が口出しをするべきじゃないかもしれない。
「それならば大丈夫だな」
「上がってもBだけど?」
超越者はAよりもSよりも上の、まさしく規格外だ。肉体的に恵まれているわけでも剣の才能があるわけでもないこのアクセラという体では、エクセルの記憶があっても辿り着けない可能性が大きい遥かなる道のりなのだ。
「思いのほか心配性だな」
困ったような顔でネンスに言われてしまう。たしかに楽観的な言動の多い俺にはらしくないかもしれない。今までなら困難な状況でもその場で脱出方法を考えて突き進んできたはずだ。
「少しだけ、怖くなったのかも」
自分の右手を左手で包み込む。震えてはいなかったが、小さなそれに頼りなさを覚えた。
「怖くなった?」
「ん」
エクセルだった頃も守るべきモノはあった。むしろあの頃の方が酷かった。今よりずっと不安定な足場で、今よりずっと大勢の人間を庇って、今よりずっと長い時間を戦ってきた。大砂漠の魔物はどれもユーレントハイムのそれより強く、百戦錬磨のロンドハイム帝国軍は精強で、手の中の刀が折れた瞬間に死へと落ちて行く恐怖があった。その中で戦うことが、それでも楽しかった。
そうか、だからこそ今が怖いんだ……。
「私には……」
俺には今、並び立てる人間がいない。あの頃は戦友と弟子がいて、俺が死んでもその穴を誰かが埋められると思えた。全員が責任感と自負を胸に抱きつつ、同時に戦闘をこよなく愛する狂人だった。だからこそ誰一人怯えることなく戦いにのめり込めた。
エレナは、あの娘は、理由があるから戦う娘だ。
最も背中を預けられる実力を持つエレナは、きっとまだ俺がいないと駄目だ。いくら聡明で強くとも覚悟を決めたばかりの少女に全てを任せられない。最悪、俺が死んだ途端に折れてしまうかもしれない。レイルを含め、他の仲間はまだ一人で戦況を左右できるほど跳びぬけた戦士足りえない。
俺は戦場に立つと、孤独なんだ。
そう思うと背負う物が増える過程で分け合える強者が仲間になった前世の俺は恵まれていたのだと分かる。今の俺は生まれた時から背負う物が多すぎる。貴族が貴族足りえる重責をようやく生身で理解できた気分だった。そして悲しい事に、それは俺の生来の性分と致命的に相性が悪いことだった。奴隷として生まれ、戦士として死んだ俺とは。
「……」
戦場の喜悦に深く沈み過ぎて戻れなくなれば、誰も俺の代わりをできない。
命を懸けて鎬を削るときのソレとは違う、もっと嫌な感触が背筋を伝う。長らく感じることのなかった恐怖だ。怖い。死ぬことがではなく、死んだ後が怖い。エレナのことも、ネンスのことも、オルクス家のことも、俺が死ねば全てが瓦解しかねない。この刀にまとわりつくしがらみは、俺一人で斬ることも繋ぐこともできないのだ。
刀が、重いな。
俺はこの瞬間、自分の剣が鈍ることを悟った。迷いがあれば、躊躇いがあれば、剣は重く鈍くなる。心構えが違っていれば、同じように刃を当てて引いても切れ味が違ってくるのだ。
「私はお前の力量を本当に頼みにしているのだぞ?これでも多くの騎士を見てきたつもりだが、その誰よりもアクセラはブレない強さを持っている気がする」
「ブレない強さ……」
「それに3日とは言ったが、行軍の気配を察知すれば準備を始めさせる。そうなれば実質半日から1日で来るだろう。戦争とはそういうものだ」
たしかに、戦は言葉で語るほどスムーズに行かないが、それは両軍に言えることだった。
「仮にも男の身で言うのは複雑な気分だが、私を守ってはくれないか。マレシスのいない今、私が心より信頼して首を預けられるのはお前しかいないのだ」
それは俺に決心をさせるための台詞だったのか、それともマレシスならそう言うと思った言葉だったのか。ネンスが意図した本当の気持ちは分からない。だが俺には明確に後者だと思えた。
―アクセラ、俺の代わりに殿下をお守りしろ!―
マレシスがそう言った気がした。彼のまだ温かい骸を指し貫いた感触と共に、手の中に熱が生じた。最後の瞬間に彼は自分の誇りである剣を圧し折ってまで俺を助けた。それなら俺は多少のリスクを負ってでもマレシスの殉じた道を少しだけ続かせてやらなければいけない。
「……わかった」
剣力の衰えた俺が遠征までに補い付けるための方法。それに心当たりはある。つい先日思いついたばかりの技を色々と無理に改造すればいい。犠牲にするものもいくつかあるが、そのくらいは友の最後に免じて被ってやろう。
力が、足りない。
~★~
学院の研究棟3階、その奥にあるリニア=K=ペパー先輩の部屋にわたしはいた。部屋の主はわたしの目の前で、紙切れを3枚ほど布テープで体に張り付けた姿のまま仁王立ちしてる。褐色肌の美人が台無しな変態ルックだ。
「なに、してるんですか……?」
「見てわらかないかい?」
「見て意図が分かる人には治療を勧めます」
「いや、てきびしいね。これでも最大限みぐるしくない格好をしたつもりなんだけど」
だめだ、この先輩の文明崩壊が止まらない。
「控えめに言って変質者です」
「あはは、控えてそれなら控えずにいうとどうなるんだい?」
「わたし、これでも淑女として育てられたんで……」
「淑女が口にできない状態だといいたいんだね、わかった」
コントじみたやり取りをしてるけれど、実際問題胸と股間を紙で隠してる人は守衛を呼ばれても仕方ないと思う。少なくともこの格好で学内を歩き回れば呼ばれるし、見てしまったご令嬢やその家族から追及を受けることになるだろう。最悪の場合、法的にも問題になる。
「お願いですからその格好で外を出歩かないでくださいね?」
「であるかないさ、君はわたしをなんだとおもっているんだい」
「変態です」
根が卑猥な人ではないけど、この格好で人を迎え入れることに躊躇がない人はやっぱり変態だと思う。
「さすがにこのカッコはないよ。だってうしろからみた人には全裸だろう?」
前から見ても大問題だよ。そう思ったけどもう面倒くさくなってきたので止める。これまで捕まってないし、たぶん大丈夫なんだ。きっと。
「はぁ」
大いにため息をついてからゴミと論文の山からちょこっと顔を出す椅子の縁に座る。潔癖だとは思わないけど、これでもわたしは侍女として綺麗好きになるよう教育されてる。この部屋にいるとぞわぞわしてくるから早く用件を済ませて帰りたかった。
「それで、わたしの目についての相談なんですけど」
「最近あつかいがファティエナちゃんくらい雑になってきたよね」
「ファティエナ先輩はあれで物凄く辛抱強くリニア先輩に付き合ってると思いますよ」
「じつはわたしもそうおもうよ」
全裸に紙3枚でウィンクをかますエキゾチック美女。ときどき、本当にときどきだけど、この先輩をしばきたくなる。
「それで、目の相談ということは魔眼関係かな?でも魔眼だって医学的にはほぼただの目だから、問題がおきたなら医者か神官にみてもらったほうがいい」
妙にまともな事を言うリニア先輩だったが、その常識が消し飛んで好奇心の野獣へ堕ちるのはとても早かった。わたしがニカちゃんの部屋で体験した不思議現象を説明したコンマ5秒後にはもう瞼をこじ開けられて目を覗き込まれてた。
「いたたたた!」
「魔力の脈に変化はないし配列も前回みせてもらったときのままだ。瞳孔の収縮反応にかわったところもみあたらないとなると外的観察ではわからないのかな。そもそも一時的な反応なら正常時にかんさつしてもわかるはずがないか」
一頻り呟いた先輩はわたしの瞼から爪の伸びた指を外して席に戻る。手の中に作った氷を当てながら睨み付けても研究の頭になった彼女には届かない。
「どう思う?」
あげく臆面もなしに聞いて来るんだから本当に疲れる。
「……はぁ、そうですね。まずあの時わたしは友人と向かい合ってました。なので自分が見えたってことは、彼女の目を借りて見てたんだと思います」
ニカちゃんの目でわたしを見たらちょうどあの時の絵と同じになると思う。
「ふむ、でも君の魔眼は空白だろう?ステータスでもそうでているんだから勘違いということもないだろうし」
わたしの事を書いてあるらしいノートを眺めながら先輩は首を直角に曲げる。
「魔眼が変化した、とか?」
「きいたことがない。でもないとはいいきれない」
あの時に起きた現象は3つ。まずニカちゃんの視界を見てしまったこと。次に彼女の感情、と思われる激情が流れ込んできたこと。最後にニカちゃんが突然素直になったこと。
「操作系の魔眼だとすればちょっとやっかいだね」
魔眼というより悪神との取引で得られる邪眼に近いものを感じる。
「うーむ」
先輩は唸りながら左右に何度か首を傾ける。ゴキゴキと音が鳴っても彼女は気にしない。その奇行を数度繰り返してから、首を倒した状態で停止。
「仮説ともいえないあらい思考の産物をひろうするとだね」
「はい」
「魔力は意思にはんのうする。だから君の意思におうじて魔力が変質、魔眼に影響をおよぼしはじめた。もとから空白の魔眼はとくべつな能力がないぶん、きっと変化をうけいれる余裕があるんだろう」
普通の魔眼は魔力視以外に特別な力を持ってる。お屋敷のお針子を纏める侍女、ステラさんは人に幸せを運ぶ色が見える幸色の魔眼。リニア先輩の魔眼について詳しくは教えてもらってないけど、それが切り札になるものだとは聞いた。その点、わたしの魔眼は空白の名前の通り基礎的な能力以外何もない魔眼だった。
能力が全部乗ってないから、空白の容量がわたしの目にはあるってこと?
「そうだとして、どういう魔眼になりつつあるんでしょう?」
「それはわからないね。他人の視界をうばう魔眼は奪視の魔眼といってそんざいする。でも感情がながれこんでくるなんてことはないはずだ。ぎゃくに目があった人間の思考をのぞく心察の魔眼では視界をうばえない。それにはなしをきくかぎり、君の感情や思考を相手もりかいしたんじゃないかな」
先輩の提示した結論はわたしの至ったそれとまったく同じだった。急に素直になったニカちゃんは、わたしがそうだったように感情を体感した。圧倒されて放心しつつ、それでも頷いてくれたのは言葉で伝わらない部分まで理解させてしまう生々しい感情のせい。
うわぁー、わたしあの時大分打算的なこと考えてたような気がするんだけど。
色々な意味で恥ずかしい。あとどれくらい深い思考まで伝わったかは気になる。どこかのタイミングで話を聞かないといけないかもしれない。
「魔力が意思にはんのうするという説は確度がたかいけど、それがどこまで柔軟かはわからないから……もしかするとほんとうに新種の魔眼をうみだしたのかもしれないよ」
ぎろり。そんな音がしそうな勢いで先輩はわたしを見た。また目に手を伸ばされてもすぐに逃げられるよう身構える。本来、鍛えてるわたしと研究漬けの彼女だと身体能力が違い過ぎるから余裕のはずだ。
「ときどき経過観察をさせてくれないかな。これは世紀の発見にいたる最高の、もしかすると人類史に一度しかあらわれない現象かもしれない」
断ると何をされるか分かったもんじゃない。そんな空気が溢れ出てる。いつぞや聞いた彼女の中の天秤があらゆるデメリットを吹き飛ばして解剖という禁忌に振り切れそうな気配だ。
「わ、わかりました」
真相が知りたいのは同じ、と自分に言い聞かせて取りあえず頷いた。
ででーん!!エレナの制服イラストです(/・ω・)/
絵師さんはお馴染み、作者の友人の狐林さんです。感謝!感謝!
以前にアップしたアクセラの制服Verと対となるエレナ絵。
ちびキャラでもほんのりスタイルがアクセラよりいいの個人的にツボです(笑)
杖が意外と大きい&武骨なのもイイですよね。
あ、この章のクライマックスにはまたスゲエ絵を頂いております。
是非お楽しみに!
ちなみにその絵、デカいのとかっこいいので一響はデスクトップ背景にしてます。
それも会社のデスクトップのなぁ!!(笑)
~予告~
悩む少年少女とともに、先生もまた悩んでいた。
そして一人屋上にてアクセラは、危険な試行錯誤を……。
次回、ヴィア先生とベサニア先生




