間章 第5話 惜別 ★
!!Caution!!
このお話はお休み明け連続投稿の1話目です!
クドーカイ商会なる奴隷商は違法操業とのことだが、随分と立派な建物に事務所を構えているらしい。カメラマンの変態に案内された場所へ到着した俺の感想はその一点に尽きる。こんな都市のど真ん中に、それも御影石かなにかのタイルが張られた結構いい門構えの四階建て。この二階から上は全部その違法奴隷を扱う連中が借りているのだと。
『ほら、見ろよあれ。頬に傷のある大男が見張りに2人も……スーツ着てるだろ?そこそこマジの組員が見張ってるってことは親分が来てるんだ。な、もう見たから帰ろうぜ?』
宥めるような声にこれでもかと怯えを隠して変態カメラマンは俺に囁く。俺と彼は今、商会の建物が見える路地からこっそり状況を窺っているのだ。しかし行く気満々の俺に対して変態は帰る気満々だった。むしろ俺に現状を見せて帰るよう促したかったのかもしれない。
「君はここで待機。危なかったら帰って」
ボードにそれだけ書いて見せ、俺はさっと路地裏から出る。
『あ、ちょ!?』
慌てて俺を止めようとした変態だが、建物の入り口に立っていた男たちがこちらを向くなり元の暗がりに逃げ込んだ。この場では正しい判断だがわりと人として酷い奴だと思う。
『ん?』
黒いジャケットを着た男二人が俺を見て顔を見合わせる。それはそうだ、いきなり見知らぬ美少女が自分めがけて歩いてきたら誰だって困惑する。それくらいに俺の顔は整っている。印象が冷たいことを除けば結構自慢のツラだ。
『外国人ですかね?こんな子供の来客、自分聞いてないですよ』
『俺だって知らねえよ。観光客かなんかだろ?あー、お嬢ちゃん、何の用事か知らないが、このビルはたぶん目当てのビルじゃないぞ。帰りな』
『いや、日本語で話して分かるものなんですか?』
『知るかよ……』
興味津々といった様子の一人目と気怠げな二人目がなにやら話しながら俺に手を振る。こう、シッシとするような感じで。とりあえず一声かけてみるか。
「コンニチハ」
『え、ああ、こんにちは……?うわ、よく見ると怖いくらい可愛いな』
『馬鹿言ってないでお前も追い払えよ。オヤジに見つかったらヤバいだろ、こんなツラのいいガキ』
『あ、それもそうですね。オヤジも武闘派ヤクザの雄だけあってカッコイイですけど、なんていうか、ソコだけはね……ほら、お嬢ちゃん帰りな。ここは怖ーいお兄さんたちの会社だぞ』
こいつらが特別優しい性格をしているのか、無害な子供にはこれが普通なくらいモラルの標準が高い国なのか。どちらかは分からないが違法奴隷を扱っているとは思えないほどの猫なで声で話しかけてきた。害意はないどころか穏便に追い返そうとしているようだ。
「その性根に免じて、優しく寝かしつけてあげる。闇の理は我が手に依らん」
『え、何語!?てうわっ……!!』
『まて、なんだその黒い……!!』
驚いて後ろへ下がろうとするも、二人とも足の力を失ってその場に倒れる。闇魔法初級・フォールスリープは単発魔法でありながら、大した魔力を持たない見張りのレジストをいともたやすく抜いて諸共に眠らせた。
レジストを抜いた、というかされなかった?ふむ、異界人とは魔力の在り方が違うのか。
「おやすみ」
俺は悠然と御影石タイルの壁に囲まれた歪みも濁りもない一枚物の硝子扉を開き、郵便物入れと思われる金属の箱の群れを過ぎ、縁にゴムかなにかのストッパーがついた階段を上る。シンゴの商会でも思ったが、この世界の建物は何から何まで凄まじい種類の素材で構成されている。
石、木、金属に魔物素材と錬金材質……おそらく自由な科学と技術による錬金材質の開発が進んでいるんだな。
魔法金属と魔物素材が優秀過ぎて俺たちの世界ではあまり錬金材質が豊富ではない。科学知識と技術の欠如以上に、そこまで多くない需要を魔物の盗伐数がうまくカバーしているのが大きいとエクセララの研究では示されている。それゆえに『錬金術』は幅の狭いスキルだとも、一般的には言われている。
『錬金術』でできること、凄く多いんだけどね……。
「ん、そろそろ」
階段を折り返したところで上に人の気配を感じ取る。関係ない方向へ飛んで行きかけた思考を引き戻し、俺は『完全隠蔽』と光魔法中級・インビジブルを発動して音も気配も姿も伝わらない透明人間になる。
さて、こんなコソコソ家探しをするのなんていつ以来だ。ケイサルの白豚代官のところで横領の書類を探したときか。ワクワクするな。
俺はポケットから手のひらサイズの玩具じみた物体を取り出す。変態にもう一つ取引をして渡してもらった、彼の相棒とは比べ物にならないくらいチャチなカメラだ。安価で光る画面もついていないカメラ、商品名を写スンですと言うらしい。しかし異界人である俺にも優しい簡単設計なのだ。プロ向けのハイエンド製品と基本機能だけ残した超廉価版という二極化はいい勉強になる。
『じゃあ、一仕事してくるからな。くれぐれもオヤジを怒らすんじゃねえぞ』
おっと誰かが出てくるようだ。まずこの階から情報を貰うとしよう。
俺は二階の狭いフロアに立ち、扉を開いて出てきた男が踊り場まで下りたところで背後から魔法をぶつけて眠らせる。それから薄い体を利用して緩慢に締まりゆく扉を通り、低級冒険者崩れのような連中の巣窟に忍び込んだ。
恩返しのお供はあいにく紅兎じゃなくて握りつぶせそうなカメラだけど、こういうのもたまには悪くない。
光も音も漏らさない空間から手当たり次第に撮影しつつ、俺はにやりと笑った。
~★~
「……庄内くんさ、気持ちは嬉しいけど、やっぱ帰りなよ」
「……社長、言ったじゃないですか。これは我が社の問題だって」
カッコいい事を口にしながら、この瞬間俺の胃は裏返って最後の胃液を吐きだそうとしていた。キリキリと痛む。なにせ絶望の淵に立っているのだから当たり前だ。
「ふぅ、深呼吸だ。深呼吸。いいね、ひっひっふーだ」
「それラマーズですよ、社長」
口ではいつもの冗談を飛ばし合いながら、見れば社長の顔も真っ青だった。今日の夕方までは慌ただしく奇怪ながら平和な時間を過ごしていたのに。そんな思いが二人ともにあった。それが突然の細見、会社に大打撃を与えて逃げ出したクズカメラマンからの電話で一変した。なんとあのクズ、モデル事務所の裏にいたヤクザに捕まっていたらしい。大切な商品であるモデルを孕ませ、あげく契約中に駆け落ちしようとしたとしてオトシマエを要求されていたのだ。
巻き込まれてるんだよな、完全に。
細見の責任は所属するウチの責任ということで因縁を付けてきたのだが、なんとあのクズは会社の合鍵をこっそり作っていたそうで、俺たちが逃げられないように社印を盗みださせたとまで言ってきた。実際に探してみれば社長のデスクの鍵が壊されていて、社印も見当たらず。社長がデスクに座ることが少ないせいで数日も発覚しなかったという……まあ、ここら辺はうちの管理が笊だったのも悪い。
「いくらなんでも女連れ込むために会社の合鍵作るかなぁ」
「作ってたんだからビックリだよね、ほんと」
気分を軽くするための軽口も、細見の頭の軽さを想起させられてしんどくなってくる。
「さーて、見えて来ちゃったよ。宮藤会さんの事務所さんが」
「うわ、怖くて近寄ったことなかったですけど、オフィスビルなのに一階が法律事務所みたいな御影石タイルとか……ザ・ヤクザの事務所ですね」
宮藤会の要求は現金500万円。代わりにカメラマンとモデル、社印を返してくれると言う。はなはだ怪しいが断れば細見は東京湾で魚と戯れることになるらしく……。まあ、社印は盗難されたわけで、別に警察へいけば俺たちは困らない。そういう意味では手口が若干昭和っぽいというか、ドラマを見過ぎたような印象だ。ただ平和な国に生まれて理不尽から守られ生きてきた俺たちには、数年を共にした同僚を見殺しにする勇気はなかった。それとも蛮勇を振るったのは社長だけで、俺は日本人特有の場の空気に流されて乗せられてしているだけなのか。それすらよく分からない。なにせこちとら、既に若干走馬燈が始まっているのだ。
「はぁ、結婚したかったなぁ」
ストレスと寝不足の頭痛も結構キているし、実の所俺はただハイになっているだけじゃないかとも思えてくる。訳が分からない。ただハッキリしているのは人生のどん底が近づいてきていて、俺はそこへ飛び込む道を選んだってことだ。
「こらこら、大丈夫だよ。金は持って来たんだ。運転資金に大穴が空いたし、会社はなくなるけど、君には未来があるんだよ?というか怖いなら帰りなさいって」
「さすがにここまで来て社長だけ置いて帰ったらかっこ悪すぎて、俺一生後悔するんで……それにほら、東京にいる限り細見のバカと社長を食べて育った魚を食べるのかと思うと嫌じゃないですか」
「君も相当なこと言うよね、わりと」
なんとか頭の中を探し回って思いつく限りの冗談を言い合いながら、一歩一歩と事務所へ近づく。御影石の処刑台はもう目の前まで迫っていて……。
「あれ、いつもは趣味の悪いハデシャツに怖い顔の若い衆が立ってるんだけどな。今日は誰もいない?」
やっぱり立ってるのか、普通は。あとシャツの趣味を社長にどうこう言われる筋合いは、さすがのヤクザにもないだろ。
しかしいないということは何かの問題がおきたということで。こう、ホラー映画の冒頭のような怖さのある静寂がビル全体を包んでいる。よくよく見れば窓が開いている場所や硝子が割れているところまであるのだ。
「……」
「……」
「よし、待ってても仕方がないから、行こう」
そう言って社長が一歩を踏み出す……が、次の瞬間にはピピー!!っと耳に突き刺さるような笛の音が轟いて俺も社長も数センチ飛び上がった。口から心臓が飛び出したかと思う、とはまさにこのことだと思い知らされた気分だ。
「そこの二人、止まれ!」
振り向くと精悍な顔つきの若い制服警官が走ってくるところだ。その後ろにはえっちらおっちら追いかけてくる年嵩の警察官も。よく警察に24時間密着する番組で出てくるようなどちらがヤっさんかわからない凶相ではなく、交番にいるような感じの二人組。ただ状況が状況なので俺たちの胃はさっそく裏返る準備運動を始めた。
「な、なんでしょうか……?」
ぎゅるぎゅると鳴る腹に手を当ててビジネススマイルを浮かべる。そんなものでニッコリ笑い返してくれる剣幕ではなかったが、それでも笑うのが日本の社会人のスタートライン。なんてかっこよく言っても実際は染みついた表情が出てきただけなのだが。
「何の用事だ、今ここは立ち入り禁止だぞ」
鋭い視線で若い警官が言う。俺よりもずっと若い。だがそれだけで結構な威圧感があるのは制服のおかげか、あるいはしっかり鍛え上げている現役ポリスメンとくたびれたサラリーマンの力量差か。
「あの、立ち入り禁止と言いますと?」
「捜査中の事件について口外は」
「待て待て待て、お前そんな杓子定規な……いやすみませんな、この春配属されたばっかりの新人で、緊張しとるんですよ」
社長の質問に鋭い視線で応えようとした若い警官を、やっとこ追い付いてきた年嵩の警官が止める。止められた方はちょっと顔をしかめたが特に何を言うでもなく後ろに下がって直立の姿勢をとった。本当に警察学校を出たばっかり、まったくこなれていない若者だったらしい。
迫力ありすぎだろ。
「急に尋ねておいて事情は言えませんて言われても、困りますわな?ちょっとした通報がありましてね。詳細はお話できないんですが、今ちょっと我々で見守ってるんですわ」
見守ってるとはまた随分な表現だが……通報があった?
絶賛通報したい案件を抱えている俺と社長は顔を見合わせた。
「それで、おたくらはココの関係者ですかね?」
年嵩の警官は微笑みを浮かべたまま世間話のように聞いて来るが、その目は緊張や気負いなどではない本物の鋭さを持っていた。刺々しい雰囲気の若者とはまた違う、どちらかというと臨戦態勢の蛇に睨まれるような威圧感が襲いかかる。
「い、いえ、関係者ではないんですが……あー、ちょっとした用事がありまして」
さすがの社長もベテラン警官の視線には怯むようで、しどろもどろの言葉と引けた腰が実に疚しそうに見える。それは隣にいた俺だけじゃなく、警察のお二人も同じだったようで……。
「ここね、ヤクザの事務所なんですよ。それはご存知で?」
「ま、まあ、有名ですからね、このあたりでは」
「大きな鞄ですが、ちょっと中を拝見しても?」
「え、いや、それはどうだろうかな……」
「ヤクザの事務所に見せられない大きな鞄持って行ってますって?それはちょっと小官ども、気になりますなぁ。ご同行頂いても?」
あまりに急な展開で頭が追い付かないまま、ふと細見とモデルのことが頭をよぎった。鞄の中身を見せなかったのはそれだけが理由だと、社長をよく知る俺には分かる。通報があったはいいが、突入からの救出という話になるのか、それともここは誤魔化して金を持ちこんだ方がいいのか。素人にはあまりにも難題すぎた。そうして硬直した俺と社長を親し気な様子でベテラン警官はパトカーの方へ向かせる。
「ご同行、頂けますね?」
本物のヤクザにもヤクザそっくりの警察にもあったことがない俺にとって、微笑むお巡りさんの顔が過去最高に怖い物になった瞬間である。一般人の葛藤など関係なく、俺と社長は任意同行の要請に大人しく頷いていた。
~★~
取り調べに近い任意聴取を終えてオフィスに戻った俺たちを待っていたのは、半泣きの仁部さんとなぜか衣装の一つである体操服で涼むアクセラさんだった。曰く俺たちが出かけてしばらくすると仁部さんのもとに彼女がやってきて銭湯に連れて行ってほしいと言いだしたのだとか。さすがに状況が状況なのでオフィスの別室にあるシャワールームで我慢してもらったそうだが。
「ま、まあ……皆無事でよかったよ」
さすがの社長ももう一杯一杯だったのか、安堵して泣き始める仁部さんと後のことを全て俺に任せてソファに倒れ込んでしまった。正直俺も書類の中に埋まって眠りたいくらい疲れている。警察署では宮藤会との関係や鞄の中のお金について結構キツめに問いただされた。幸いにも既に突入はなされ、細見たちが保護されていたおかげで比較的早く事情は理解してもらえたのだが、そういう場合は真っ先に警察へ来いと目が飛び出すほど説教された。最後までどういうルートで監禁のことが警察に持ち込まれたのかは教えてもらえなかった。
「焦ってしどろもどろになっちゃったけど、考えてみたら声かけられた時点で事情を言えばよかったよね」
「まあ、仕方ないですよ。社長のそういうとこ嫌いじゃないです。細見は無事に保護されてたわけですけど、それもまあ、ええ、仕方ないですよ」
「すっごい徒労感」
「いや、大変だったねぇ」
しみじみと締めるM本だが、なぜかこちらも疲れ切った様子で椅子にへたり込んでいる。
なんだ、アクセラさんに不埒なことでもしようとしてしばかれたのか?
ちなみに社印は押収した証拠品ということで返却してもらえなかった。細見は窃盗と不法侵入でとりあえず留置所行き、モデルはしばらく証人として警護を付けられてホテル暮らし……とりあえず丸くはないが収まるには収まったわけだ。
『変態、サツエイする?』
事の顛末を全員で共有し終わったところで、アクセラさんはすっくと立ってM本に言う。
「撮影って言った!?します、しますとも!!」
それまでぐったりしていた変態がアクセラさんの異国語を聞いて跳ね起きた。たしかに撮影だけ発音がしっかり日本語だったが、よく聞き取って反応できるな。いや、それ以前に時間が……。
「二人とも、もう終業時間すぎてますよ?」
「芸術の前に時間は関係ない!そう、アクセラくんもそれは分かっているはず!っていうか明日からどうなるか分からないだろこの会社!!こっちの契約は明日で終わりなんだぞ?」
「そ、そりゃまあ確かに」
朝からもう一度警察に呼ばれて関係者全員が詳細な事情聴取、ということもありうる。
「報酬は貰わないと、あんな目にあってタダ働きなんてありえない!!」
「報酬?あんな目?」
「なんでもない!」
そう叫んで元気な変態はアクセラさんとスタジオへ向かってしまった。というか、彼らが仕事を続けると鍵の問題で俺か仁部さんかが残らないと……いや、どっちみちアクセラさんが泊まるなら変わらないか。
しかしこれ、二連泊はキツいぞ。ていうか明後日から休みなんだが、このまま彼女の面倒を見るとしたら俺は帰れない?
「あー、庄内さん帰宅されます?私が泊まりますよ」
仁部さんの同情に涙が湧いて来る。が、断らざるを得ない。
「いや、さすがにそれはダメだよ。ほら、まだ宮藤会の残党がお礼参りにくるかもしれないし」
「なんでウチに……あ、警察にタレこんだのがウチだと思ってですか」
「そうそう。他にもどうせ裁判沙汰になるから口封じとか」
現実感がなさ過ぎて言っててまったく危機を感じない。
「うっわぁ……いやでも、それなら皆ホテルいくべきだと思いますけど」
仁部さんの仰る通り。ということで社長に身代金として引き出した500万から少し出してもらって、全員分のホテルを取った。衣装を全部担ぎ出して、撮影の続きもそちらで行う。俺と宮本さんの部屋、社長の部屋、アクセラさんと仁部さんの部屋、撮影部屋の4部屋で結構な出費だ。もちろん警察にも一報入れておく。間違って110番を押しそうになって止められたが。
あー、宮藤会が今回のコトで壊滅して、モデル事務所も芋蔓になって、取られたお金も帰ってきたりしないかなぁ。
なんて思いながら急なチェックインを済ませて部屋へ向かう。衣装が山ほどだったせいで色々とスタッフから聞かれたが、そこは曲がりなりにも営業マン。適当に口で誤魔化しておいた。別にドンチャン騒ぎをするわけでもないしな。
「じゃあ、お疲れ様です……あ、何かあったら起こしてください」
伝えはしたが、興奮状態にある宮本がどうなるかは分からない。朝起きたら宮藤会とは別件で警察の御厄介になるかもしれないが、もう頭が回らないので寝るしかないのだ。言いながらネクタイへ指をかけた瞬間に俺の気力は尽きた。俺は悪くない。方々駆けずり回って、会社に泊まって、言葉の壁ごしに会話して、ヤクザに脅されて、警察に取り調べされて……たった二、三日で数年分のドタバタだ。眠すぎる。ストレスがマキシマムだ。ホルモン食べたい。何言ってるか分からない。よし、寝よう。
「アクセラさんも、おやすみなさい」
これは昨日覚えてくれた言葉なのでメモもいるまい。そう思って手をふらふらと振ると、彼女はめずらしく微笑みかけてくれた。白い髪と神秘的な紫の目で優しい表情をする彼女はまるで天使かなにかのようだ。
『アリガト、シンゴ。サヨナラ』
「はは、さよならじゃなくておやすみね。まあ、また明日教えるよ」
手を振ってくれる少女をあとに、俺は自分の部屋に入る。スーツを脱ぐのもだるいがようやくの思いでシャツ以外全て椅子に投げ出してベッドへ倒れこんだ。ホテルのベッド特有の香りがして、よく効いたスプリングがみよんみよんと跳ね返してくる。
シャツが皺だらけになる……。
そう思ったのを最後に俺は意識を失った。
翌朝、目を覚ましたときには、もうアクセラさんはいなかった。
~★~
2023年8月21日月曜日の朝。地球温暖化がホントかウソかなんて馬鹿な議論をしていた昔の自分たちをぶち殴りたいくらいの日差しをうけながら出社し、いつものデスクに座ったときふと俺は思い出した。数年前に起きた不思議な事件について。
「おはよう、庄内くん。今日も早いね」
「おはようございます。社長は今日も目に痛いですね」
オフィスの扉を開けて入って来たイエローアロハの社長に目を向ける。あの頃より少しだけ白髪が増えただろうか。思えばあの日から他にも色々なことが変わった。
建物は少しだけ都の中心に近いところへ移ってフロアも3つ占有している。社員もぐっと増えた。あの頃入っていたオフィスはもうビルごとないし、ときどきお世話になっていた銭湯も閉めてしまった。
仁部さんは結婚し今は産休。正規の契約を結んで今やチーフカメラマンとなった変態M本、もとい宮本は先週もモデルに引っ叩かれていた。そろそろ専属モデルが辞めそうなのでまた胃が痛い。細見はというと実刑なしの罰金刑となったあと宮本の下で真面目に働いている。あのときのモデルと結婚し、我が社を揺るがした大物ベビーを可愛がる普通のパパだ。
かくいう俺も前のオフィスの近くにあったハンバーガーショップの店員さんとお付き合いを経て、今週金曜日にプロポーズする予定。あの日、言葉の通じない相手に甲斐甲斐しく世話を焼いていた姿に惹かれた……そう言われたときは驚きよりも喜びよりも「はぁ、こういうのがバタフライ効果っていうのか」と変なアハ体験をした気でいた。
「社長、そう言えば丁度今日ですね」
「そうだねぇ、我々の幸運の女神が舞い降りた記念日……あとであの本出してこないとなぁ」
あの日、細見とモデルが駆け落ちし、ただでさえ傾いていた会社が終焉を迎えようとしていた日。雨の中で俺の前に現れた白髪の少女、アクセラさん。彼女を映した写真集は宮本の変態コレクションを除いても膨大で、たった一人のモデルで3冊の写真集ができてしまうほど。そしてその写真集こそ、死の床にあった会社をV字というも烏滸がましいアッパーで回復から成長まで押し上げた起爆剤だった。
そりゃあ売れるよ、アクセラさんこの世のものとは思えないほど美少女だったし。神秘的で、しかもどんなコスでも着こなすし。そのくせ妙に筋肉質で躍動感があって……。
「そういや裁判ももうすぐお仕舞でしたっけ」
「ようやくだね」
宮藤会は壊滅した。あの日、細見たちを救出に突入した警官隊が的確に他の犯罪の証拠も押収したことで余罪が出るわ出るわ。特に恐喝とクスリの売買ルートは例のモデル事務所を始めとして芸能界、政界、経済界と広い範囲に影響を及ぼす大捕物に発展した。会長の宮藤龍臣に至っては児ポ法に引っかかるコレクションが開陳され、たとえ長い刑期を終えて出てきても返り咲くのは無理と言われている。
「結局あれって」
「まあ、そういうことだろうね」
警察が突入に踏み切った理由だが、磁気で文字を書くタイプのボードに書かれた告発だったそうだ。悪戯でないことを示すように様々な証拠写真が写った安物のカメラと、もし動いてくれなければメディアに持って行くという文言が添えられていたとか。証拠として提示されたボードの写真を見て俺と社長は変な声を出して裁判長から注意を喰らってしまった。仁部さんがアクセラさんに買い与えたボードと全く同じモノだったからだ。
「でもそんな脅迫を添えるなんて、あんまり想像できませんよね。そもそもカタコトだし」
「庄内くん、フリーカメラマンって敵を作りやすいんだよ。だからベテランになるほどしっかり棘を隠し持ってるものなんだ。軽い脅迫なんてお手の物さ」
「え……あー、それで報酬ですか」
厄災を払いのけてくれ、会社の業績をガン上げし、しかもあれを切欠に全員が幸せな方向へ進んで行けた。そう思うとアクセラさんは本当に幸運の女神か何かだったのではないかと思えてくる。変態はただの食えない変態だが。
「おはよう、社長!シンゴも精が出るね」
「ああ、宮本チーフ。おはようございます。今日も片頬が赤いですね」
噂をすれば食えない変態が出社してきたので挨拶を返す。頬には随分早い紅葉が一枚乗っているが、どうせ自業自得だ。本当に武闘派ヤクザの壊滅に一役買ったのだろうか……?
「廊下でモデルに挨拶したら引っ叩かれた。それも挨拶をしきるまえに!」
「普段からパンツを撮らせてもらえないだろうかとか言う変態が口を開いたら、そりゃまあ黙らせますよね」
「ひっどいなぁ」
アクセラさんは三日目の朝、俺が目を覚ますともういなかった。一晩中写真を撮り続けていたという宮本も爆睡していて何も見ておらず、ただホテル備え付けのメモに「ありがとう」「さよなら」「シンゴ」「マリカ」「社長」「変態」とだけ書かれていたのだ。
まあ、変態については触れないとして……。
最後に寝る前、彼女が日本語で言った言葉が別れの挨拶だと気づけなかったことは今でも悔やんでいる。
「そうだ、シンゴ。なんか受付にお客さんが来てたよ」
「それを先に言いましょうよ!これだから変態なんだ!」
「いやそれ関係なくない!?」
感傷に浸っている場合じゃない。喚くM本の脇を駆け抜けて受付へ走る。そこには威風堂々の迫力を纏った男が一人、なぜか薄紫の道着を纏って立っていた。腰には堂々と帯剣しているあたりどこかの少女を思い出させる。
「早朝から申し訳ない。私は深山道山という剣術家なのだが、こちらに優秀なカメラマンがいると聞いて依頼をしに来た。構わないだろうか」
おい変態、あんたの客じゃないか!
「これを撮った男なのだが」
そう言って武道一筋な風貌の男は懐からアクセラさんの写真集を取り出した。懐から物を出す人を始めて見たが、こんな硬派な人が可愛い少女の写真集を取り出すともはや異様だ。
「この少女の構えや太刀筋は美しい。それを動かない写真で撮る技術もまた凄まじいものがある」
「ありがとうございます、そう言っていただけますと本人も喜びます。それで、どういった本をお作りになりたいんですか?写真集、ですよね」
「ああ、その……私事だが、孫が生まれてな。しかし私はこれから命の危険がある仕事に赴かねばならない」
アクセラさんといい、宮藤会のことといい、このお客様といい……日本の治安って俺が思っているより悪いのか?
「なるほど、それは大変ですね」
何普通に返してるんだよ、と己に突っ込みながらそれ以上の言葉が出てこない。
「それでだな、ちょっとした見栄でな。孫に己の雄姿を収めた写真集を贈りたいのだ。それを見て一門の技を継いでくれるような、強い男になってほしい」
時代錯誤な気はするが、それでも俺の言うことではない。応接室の方へ一歩踏み出しながら男へ笑みを向ける。
「それは素晴らしいですね。こちらでご要望について詰めさせていただきましょう。そうだ、お孫さんのお名前は?」
男はニッと人好きのする笑みを浮かべた。
「葉月という。我が紫伝一刀流の次々代当主になる男、深山葉月だ」
特別編、全5話の連続連載が終わりましたが、まだ休み明けのオタノシミは終わっていません。
ぽいぽいプリン様から3枚のイラストを頂戴しました!!
アクセラのコスプレ写真2枚と変態M本の秘蔵コレクションから1枚です(/>ω<)/
個人的に最お気に入りはレースクイーン衣装ですが、チャイナの透け感も最高ですね~!
チャイナドレスは白い布がどれだけ薄いかわかる逆光の透け具合。
薄っすら見える生地の模様とくっきり浮かぶ足腰の影が艶めかしいですね。
レースクイーンは下に筋肉が感じられる、でも意外と柔らかそうなお腹がいいです。
一番最初の絵の服装をベースにさっぱりとした青で夏らしさも抜群ですね!
ベルトと傘にこれまでの絵の継承が見えて最高です。
最後に変態の秘蔵写真から不本意そうな顔でセーラーをたくし上げるアクセラ。
別に作者の性癖じゃないですヨ。Twitterのアンケート結果からこうなっただけデス。
この羞恥半分に嫌悪半分のような顔、実に複雑でいいですね。
~予告~
再開される学院に集う少年少女。
休み前の爪痕はいまだ深く……。
次回、傷だらけの日常




