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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
間章 異界の迷子
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間章 第2話 会話

!!Caution!!


このお話はお休み明け連続投稿の1話目です!

 バラバラと雨粒が建物を強く打つ音にふと目を覚ます。天井は不規則に穴の開いた白い板で細長い管が二本一対となって一定間隔で取り付けられている。空気は妙に不味く、外はうるさい。なにより隣で俺に抱きつく乳兄弟はいない。

 ああ、そうか。異界にいるんだったか。

 材質不明のソファに寝転がって寝ていたせいか妙なところが痛い。野宿に比べれば柔らかいのだが、どうにも変に柔らかいせいで力がかかっていたらしい。被っていたタオルケットを退けつつストレッチをすれば、体のあちこちからゴキゴキとすごい音がした。


「とりあえず……」


 昨日はなにやら俺の姿を機械鎧に入っていたデータのようなものに遺したいというシンゴに付き合って彼の仕事場まで来たのだが、その後拙い漢字を使って交渉した結果としてそのまま宿泊させてもらったのだ。

 難航してたみたいだけど。

 紙の山から発掘されたもう一個のソファに寝そべるシンゴを見て思う。彼は戻って来た商会の主人と長らく話し込んでいたのだ。あとからしてもらった説明の中から分かる部分を繋げていくと、どうやら俺の代わりにモデルになるはずだった女性が妊娠して引退したとか。それで彼女に払うはずだった報酬を俺の報酬、つまり生活費にしようと思っていたが、モデルの口入屋だか管理している商会だかが前金分を帰してくれなかった。

 こっちとしてはありがたいような、迷惑なような。

 返金してもらえなかった理由がモデルの腹の子の父がシンゴの同僚だからだそうで……まあ、分からなくはない。向こうからすればいきなり子供ができたから止めますと言われても困るだろうし、難癖を付けてでも貰っておけるものがあるなら貰っておくだろう。


「ふぁ……あふぅ」


 大きくあくびをしてからソファを降りる。ブーツの代わりに借りた木と革っぽい謎素材のスリッパを足につっかけてから音もなく部屋を横切る。引くほど汚いキッチンの隣にある狭いトイレで朝の用を足すために。ちなみにトイレは綺麗だった。形状が俺たちの世界のそれと酷似していたあたりに、やはり使う人間が同じ形だと似る物だなという感慨を抱いたくらいだ


「着替えたいけど、まあいいか」


 体感的には昨日の夕方、この世界に現れた時からしか着ていないのであまり汚れた印象はない。ただ朝起きたら一応着替えたいと思う程度には文明人なので、『生活魔法』による清潔化だけだと微妙に気持ち悪さが残る。

 そうだ、師の世界なのだったら銭湯に連れて行ってもらおう。絶対に行きたい。

 いつ戻れるかも分からない状況に心細さがないと言えば嘘になる。だがどうにもならないことをどうにかしようと慌てふためくには、俺の精神は少々年をとりすぎているのだ。なので今はシンゴの依頼をこなし、宿と飯とできれば銭湯のような異界情緒を楽しみたい。


「シンゴ、起きて。朝……何時かまでは分からないけど、朝は朝」


『うぅん、あと10分……』


「大体なんって言ってるかは分かる。でも5分でも10分でも、待てない」


 ぺちぺちと頬を叩く。しかし男は意外と強情で、頭の上までタオルケットを被ってしまった。その分足は覗いているのだが、さすがに野郎の足をくすぐりたくはない。それに働いている彼がこれだけ頑なに起きようとしないのだから、まだかなりの早朝なのではないか。

 時計はあるけど、わからないし。

 短い針が真下を、長い針が真上より大きな目盛り一つ分右に倒れている。だが時計といえば俺たちの世界では最高級を超えたトンデモ魔道具。内部の構造は小さく精密で最高位の細工系スキルを要求し、しかも日に一度広範囲で魔法の通信を行うというこれまた最高難易度の付与魔法スキルを要求する金食い虫。


「三日に一度、自動調整してるから仕方ないだろうけど」


 学院にある巨大な金の鐘など、時刻を知らせる魔道具は基本的に王都にある国で一番の教会の魔道具と同期している。それも各国の時差を加味した上でガイラテイン聖王国の神成大時計と繋がっているのだが、時計の魔道具は全て最寄りの鐘から三日に一度の同期を受ける。そうすることで常にある程度の正確性を保っているのだ。これがもしなかったら、動力用の魔石やクリスタルが尽きたが最後、正しい時間に合わせるためには最寄り街まで行って鐘がなるのをひたすら待つ羽目になる。

 とまあ話は逸れたが、俺は時計の読み方までは流石に知らない。個人でそういう物を持つのは教会の上層部や国の重鎮でかつ街を離れて活動する者ばかりなのだ。あと山賊上がりの俺は太陽や月の位置で大体の時間が分かるしな。


「んー……」


 結局シンゴを起こすのを諦めた俺は少し悪いと思いつつ冷蔵庫を物色する。こっちも必要性の関係か見た目はよく似ていたのですぐ分かったが、分かったところで中身は金属の筒に入った液体ばかりだった。酒の文字があるので商会の主人の秘蔵酒かなにかだろう。

 はぁ、お腹すいた……。

 昨日は妙に疲れが出てここに泊めてもらえると判明した直後、そのままソファを占拠して眠ってしまったのだ。というわけで空腹は最高潮である。だからシンゴに起きてもらいたかった。右も左もわからない異界で勝手に宿を離れても金に困るし、なによりシンゴを心配させる。

 でも空腹には耐えられないしな。

 一応キッチンの中も軽く物色してはみるが、やはり食べ物はなかった。食べ物はというか、食べれる状態のものはないというか。かつては食品だった黒い塊や変な色に変色して液の溜まっている袋詰めの何か……虫すら寄ってこないほど食べ物がない。


「……掃除でもしよう」


 ちょっとでも恩を売っておいて宿泊と食事の保証期間を伸ばしておこう。せこいと思うかもしれないが、師の話が確かならこの世界は腕っぷし中心で生きてきた俺にあまり優しい世界ではないのだ。治安維持のための衛兵機構がしっかりとしていて、住民の遵法精神も高いらしい。師が界渡りをやった時代は大規模な戦争中だったとも聞いたが、見た限りそういう跡はないのでこちらでもそこから年月が経っている様子。となれば戦場で傭兵をするわけにもいかない。


「ん、雑巾はさすがにあるか」


 探し当てた雑巾と流しの水、それから少しの『生活魔法』を駆使して魔の領域と化しているキッチンを制圧しはじめる。ふとこうした清掃の仕事なら魔法を併用すれば荒稼ぎができるのでは?と思ったりするが、やはり言葉の壁と身元不明のハンデは大きいか。難しいものである。救貧院のようなものがあるかは知らない。ただ行きたいとは思えない。


「ん、包丁なんてあったんだ」


 探せば鍋だフライパンだと出てくる出てくる。トドメに登場した砥石を使って包丁を砥ぎ出す頃には、さすがにシンゴも目が覚めるだろう。


 ~★~


 どうも、シンゴです。朝目が覚めたらオフィスで寝てて、しかも腐海だったキッチンが人類の居住空間になっていて、あげく白髪の超美少女が包丁を砥いでいた……意味の分からない寝起きグランプリがあったら殿堂入り間違いなしの朝を迎えた、シンゴです。

 なぜこんな訳の分からない場所で寝ているのかというと、昨夜はカメラマンを見つけるどころか借金を背負って帰って来た社長に交渉をもちかけたせいで、逆に懇願されてしばらくモデルの面倒を見ることになってしまったのだ。なんでも失踪したモデルの所属事務所に契約金の返金を求めに行ったら、ウチのカメラマンが孕ませて連れ去ったのだから責任はウチにあると怒鳴り上げられたらしい。正直いい大人同士のコト、こっちが全面的に悪いと言われるのは納得がいかない。せめて痛み分けに落ち着かせようと社長も奮闘したらしいが、結果的にモデルの休業による損害までふっかけられそうになって逃げてきたわけだ。


「だってあの事務所さ、後ろにこわーいお兄さんたちがいるんだよ。むりじゃん?」


 とはイエローアロハの泣き言である。

 とにかくそんなわけでアクセラさんの処遇をどうするかという話は難航。怪しいほど安いホテルに泊めて何かあったら保護責任の問題になりそうだし、そもそも身元不明でこの国では少なくとも未成年の女の子を雇っていいのかグレーすぎる。ということでオフィスを宿として提供し、金庫などもあるので一応俺も一緒に泊まることに決まったのだ。

 こんなオッサンが一緒に泊まるの、絶対抵抗すると思ったのにな。

 やはり心細さがどこかにあったのか、社長と俺の話が終わるころには大分眠そうだったアクセラさん。そのまま夕食も食べずに眠ってしまったのだ。一度眠ってしまうとどこか見透かしたような紫の瞳も隠れてあどけなく見え、刀を抱いて寝ている以外は本当に妖精のようだった。


『シンゴ、お腹すいた』


「えーっと、お腹がすいたとか言ってる?」


 目が覚めて真っ先に見た包丁を砥ぐ彼女はまるで職人のように集中していて、台所で練り砥石に三得包丁を当てているだけなのに洗練されて見えた。しかし一度それが終わると彼女はじっとりとした目で俺を睨み付けて主張をしてくるのである。メモ帳に「空腹?」と書くと「当然」と帰って来たのだから、ずいぶんと切迫して腹が減っていたのだろう。そういえば夕食も食べていなかったし、そりゃあ当然か。


「じゃあ何か食べに行くか。いや、買ってきた方がいいかな?あんまり連れまわすと目立つし」


 などと思っているとオフィスの扉がノックされる。俺が慌ててソファから立ち上がると、どうぞともなんとも応じるより早くそれは開かれる。


「おはようございまーす……あれ、庄内さん今日も泊まったんですか?」


「あ、仁部さん。おはよう。悪いね、寝起きのオジサンが出迎えて」


 弊社の経理を担当している俺の後輩にして第三の社員、仁部莉花だった。デコだしのショートボブが特徴的な黒髪黒目そばかす眼鏡という、デコ以外は文学少女を大人にしたような24歳だ。


「いや、しかたないですよ。変態カメラ、じゃなくて栖原さんの一件の後始末してたんですよね。お疲れ様です」


 栖原というのが失踪したカメラマンだ。彼はしょっちゅうカメラのセンスを磨いてるんだとか言いながら仁部さんにレンズを向けてニヤニヤしていたセクハラ野郎なので、日ごろから路上に落ちている排泄物を見るような目で見られていた。

 部屋の温度が数度下がるような仁部さんの視線をオフィスで見なくなって済むのは、今回の件で数少ないいい面だよな。

 そんなふうに思っていたのだが、次の瞬間俺の平和な想像は裏切られることになる。自分の席に座ろうと荷物を肩から下したところで、仁部さんがアクセラさんを見つけたのだ。真っ白な髪に紫の瞳を持つ神秘的な15歳の少女。腰に刀を差しているが鎧は付けていないので簡素なシャツとジーンズとスカートのみの格好、少なくとも俺が最初に会った時のような異様な風体ではない。


「え……事案?」


「ちがーう!事案ではないし誘拐でもないし変なこともしてない!社長命令でモデルにオフィスを宿として提供しているだけの関係です、誓って、誓って!!」


 眉間にしわを寄せ、強烈な目力を込め、片手がそっとポケットのスマホに伸びている女性社員に全力で弁明をする。社長命令とモデルというワードが彼女の中で効いたのか、問答無用で110をプッシュされることはなかった。なかったが、相変わらず氷点下の視線を俺に向けたままだ。


「え、でも、庄内さんがこの子と一夜を……」


「言い方!あ、というかそうだちょうどよかった、仁部さんこの子の面倒見るの手伝ってくれないかな!?」


 真正面から馬鹿正直に状況を説明するより当事者にしてしまえ。その方が絶対に仕事だと思ってもらいやすい。そんな打算に満ち満ちた叫びと時同じくして、ぐぅ……とお腹の鳴る音が。


『シンゴ、飢える』


 ジト目では済まない気迫が宿った視線を横顔に浴びて俺は背中に冷や汗が伝う。冗談でも方便でもなく切迫している気配がむんむんと伝わってくる。


「ほ、ほら、仁部さん!アクセラさんもお腹すいてるみたいだし、業務命令なので手伝って!」


「いや、先に状況を……アクセラさんてその子ですか?」


 うんともすんとも答える前にアクセラさんが一歩近寄ってくる。なぜか戦国の鎧武者が迫って来るような圧を感じた。


『シンゴ、食料を提供してもらえないなら、モデルは止める』


「え、ちょっとまって、何言ってるか分からないけどたぶん脅されてる!?仁部さん!」


「あの、待ってください、ほんとに何語ですか?」


『シンゴ』


 ゴゴゴと文字が見えそうなほどにじり寄る美少女というのは、顔がいいだけに怖い。あと表情がないのが余計に。


『シンゴ』


「仁部さん!」


「え、えぇ……?」


『シーンーゴー、モーデールー』


「ぎゃー、分かる単語だけ並んでて怖い!!ほら、もう行くよ!?」


 財布だけひっつかんだ俺はアクセラさんの手をとってオフィスの扉を開ける。もう一度業務命令!と言うと仁部さんも動きだしたので、もう鍵の開け閉めは彼女に任せてエレベーターを呼ぶ。これまで何が起きても泰然としていたアクセラさんが加速度的に苛立っていった理由に想いを馳せながら。

 欠食児というか、飢えた獣の目だったぞ……。


 ~★~


 異界の真ん中に聳え立つビルの一つ。その一つに入っている真っ黄色のマークの店に俺はシンゴと来ていた。店員がずらずらと並ぶカウンターに客が注文に行き、隣のカウンターでまた並んで食事を出してもらう。飯屋というより学食に近いその店のシステムに、たしかに効率的だなと感じさせられるた。


『お待たせ、アクセラちゃん!とりあえずこれ着てくれる?』


 シンゴの同僚だという女性従業員マリカが遅れて俺たちのテーブルにやって来た。彼女は手に大きなクシャクシャした材質の袋を下げており、中から大きな布の塊を取り出した。広げて見るとあきらかにサイズが違うが服のようだ。


『さすがに目立つからさ、これ着てたらまだマシでしょ?』


『おお、いきなり別行動とか言うから何かと思ったら、ナイスだ仁部さん』


『それほどでもあります』


『すげえ自信』


 何かを褒めたたえるシンゴと胸を張るマリカ。どうやらこの服を着ろということらしい。ダークブルーの生地に黄色いストライプの入った派手な色合いだが、フードがついているパーカータイプのようで髪まで隠せる。ユーレントハイムでも白髪は珍しかったが、黒か茶色か金しかいないこの異界では余計に目立つようだし、ありがたい配慮だ。さっそくもぞもぞと被ってみる。やはりサイズは大きすぎだが、おかげで人相は全て隠された。


「シンゴ、これは?」


 メニューもさっぱり分からないので俺はよく食べるぞとだけ筆談で伝えて適当に頼んでもらったのだが、一つ一つが紙で包まれたそれらがなんであるのかさっぱり分からない。フライドポテトは分かるし、店中に貼られた絵からするにハンバーガーの類なのも分かるが。


『こっちからダブルチーズバーガー、テリヤキバーガー、ロースカツバーガー、スパイシーチーズバーガー。これはポテト、ナゲット。飲み物はバニラシェイク』


『え、それ全部アクセラさんが食べる分なんですか……?』


『昨日の晩は抜いてるし、再三メモで大食、大食って書いてきたしな。余ったら持って帰って明日の朝に回せばいいのがバーガーチェーンのいいところだ』


 なにやらごちゃごちゃ言っている二人はおいておいて、俺はとりあえずダブルチーズバーガーとやらを開けて食べ始める。見ての通りハンバーガーだが、パテとチーズがなぜか二セット入っている。

 まあ、パテ薄いしこれくらいで丁度いいかな。

 口に含んでみると雑ながらまとまりのいい味がして、しかも俺好みに結構強い味付けだ。パンが柔らかすぎるのは減点。チーズが美味いので加点。うん、ピクルスも美味いから加点。初めて食べた異界料理は普通のちょい上くらいの味わいだ。


『悪くないだろ?って、言っても分からないわな』


「何言ってるか分からないけど、悪くない」


『なんか変に意思疎通とれてる気がして面白いですね……』


 ふむ、一夜明けて落ち着いたのか、仕事の後輩が来て見栄を張る必要ができたからか、シンゴは会った瞬間より元気がよくなっているな。いいことだ。あんな一塩振られた青菜のような奴に今後を任せるのは正直拭い切れない心配があったんだが、これで親切心と打算で辛うじて契約しているような微妙な関係は脱せる。


『この後どうするんですか?』


 マリカがシンゴに何かを聞いている。俺はそれを背景に聞きながら二個目に手を伸ばす。甘辛の照り焼きダレが効いたそれは一個目より俺の舌に馴染む。


『一応社長が夕方までにカメラマン見つけてくるって言ってたから、撮影はそこからだな。それまでは……あー、色々買い物任せていいか?』


 周りを見ると何人かが俺をちらちら見ているが視線が合うと慌てて下を向く。シャイな人間しかいないのか。


『買い物ですか。例えば?』


『ほら、あれだよ。この子って着の身着のままだからさ、下着とか日用品とかいるだろ?』


 しかしよく見ると誰も彼も小食なことで。ハンバーガー1つにポテト1つくらいしか食べていない者も多い。別に食事をとってから軽食として食べているのか、それとも根本的に栄養が少なくて済むのか。

 ああ、そういえば師の世界の人間は成長限界が低いんだったか。


『さすがに俺がついていって買うのは憚られるし、あとついでに採寸した情報を衣装屋に送って撮影の服見繕ってもらわないと』


 俺たちの世界において、才能や成長率の差はあれど、人間種は基本的に鍛えれば鍛えるほど強くなる。個体差による上限はあるが、種族としてはどこまでも鍛えられるのだ。だから才能と敵と師に恵まれた俺はスキル補正を持たぬ身でありながら、固有スキルを持つ者や獣人の中の天才が乱立する超越者という修羅の山で一位まで昇れた。


『わかりました。じゃあこの後は一旦別行動ですね』


 こっちの人間とは基本的に代謝やら筋肉の性能が違うのか?

 もしそうなら下手に力を込めると手加減したつもりでも死なせてしまうかもしれない。いつも以上に慎重に振る舞わないといけない。


『そうなるかな。あ、でもあんまり高い買い物はしないでくれよ、仁部さん。ここだけの話、例のモデルの事務所にふっかけられたらしくて、予算がもうやばたにえん』


 ……あれ、この理論が正しいとしたら、うちの師って超越者相手でも技の冴えだけで互角張ってたのか?バケモノかよ。


『急にJKにならないでくださいよ。しかも微妙に古いし……はぁ、でも一筋縄で終わらないんですね、今回の問題。経理担当としては胃がやばたにえんですが』


 そういえば師の来た時代からどれほど立っているのかも知りたいところだ。もし存命なら会いたい思いもある。


『アクセラさん、何かしたいことあるかしら?』


 会って剣を交えてみたい。俺が後継者として流派を継いだ時には既に界渡りで戻ってしまった後で、結局のところ全力で対等の剣士として打ち合ったことはなかった。

 それに、師になら……オヤジになら、マリィのことを打ち明けられるかもしれない。老いてなお、我が子にすら打ち明けられなかった胸の奥の懺悔を。


『アクセラさん?』


「!」


 名前を呼ばれてはっとなる。いつの間にかシンゴとマリカの話は終わり、おでこを見せつける謎の髪型をした女性が俺を覗き込んでいた。


『仁部さん、筆談』


『そうでした』


 シンゴに何かを言われたマリカ。彼女は鞄から可愛らしい熊だか兎だか分からない絵の描かれた紙を取り出して広げた。それからピンクのラメが入ったペンで「今日は買い物に行きましょう。服と下着を買います。他に何が欲しいですか?」と書いた。悪いがまったく意味が取れない。ひらがなも音なら分かるが、意味が分かるほど文章に詳しくはないのだ。


『仁部さん、それたぶん読めないよ』


『あ、そうか。普通の筆談じゃ駄目なんですよね。すみません』


 そのあたりは昨日でもう心得ているシンゴがアドバイスをしたようで、次にマリカが書いたのは単語の羅列だった。「今日」「買い物」「服」「下着」ときていいか?と尋ねるように首を傾げる。服などは最低限でいいので「服」「下着」を指でさし、シンゴに貰ったペンで「最少」「安価」「希望」と書く。マリカは頷いて更に「その他」「希望」「ある?」と。

 買い物で欲しいものか……結局いくら金があるのかは知らないが、予算はほとんどないと聞いているしな。

「夜食」「風呂」とだけ書いてからペンを彷徨わせる。刀を振っても衛兵に咎められない場所が欲しいのだが、それをどう書いたら伝わるか分からない。仕方がないのでしばらく悩んでからペンを置いた。


『夜食と風呂って、いやまあ、そうか。昨日から風呂入ってないものな、女の子としては嫌だろうな』


『男の人でも毎日入ってくださいよ。いや、庄内さん入ってないんですか?』


『あのね、仁部さん。風呂って毎日入れば清潔だと思ってる人多いけど、肌の油が過剰に取れて肌荒れになったり乾燥肌になったりするんだよ?フケとか散って清潔感ない人ほど躍起になって毎日シャンプーするから悪化するわけで』


『汗流すくらいは毎日してください』


『さすがにそれくらいは毎日してるよ。まあ、昨日はあのまま泊まったから入ってないけど』


 二人が口論を始めるのを見ながらロースカツバーガーを食べる。甘辛に酸味が入ったタレは分厚い豚肉をさっぱりさせて美味しい。千切りのキャベツも非常に細く高得点だ。


『あ、また食べ始めてるし、アクセラさん』


『ほんとですね。よく食べるなぁ、それにしても』


『これだけ健啖なら夜食は必要だな……宅配ピザでもとるか』


 ふとシンゴの言葉に聞き取れる言葉があったような気が。口の中の最後の一口を急いで咀嚼しギンギンに冷えたえらく硬い飲み物で飲み下す。

 甘すぎるし冷たすぎるんだよな、この飲み物。いや、それはいい。今シンゴはピザと言ったような気がしたのだが、間違いないだろうか?


「シンゴ、ピザって言った?」


『あれ、ピザって言わなかった、今?アクセラさん、ピザ分かる?』


「ピザ」


 他には何も言わずにそれだけ繰り返す。


『ピザ』


 シンゴも同じ言葉を言い、それから例の光る板の魔道具を操作して一枚の絵をこちらに見せた。丸い生地に赤いソースやチーズ、肉などが乗った料理。すなわちピザだ。


「『ピザ!』」


『いやなんのやり取りですかこれ』


 マリカには伝わらなかったようだが、これは面白いことだ。


『仁部さん、これは凄い事だよ』


 まったく違う世界のまったく違う文化で発展した料理や言葉を持つ俺たち。それがたまたま同じ料理を同じ名前で呼んでいた。この偶然が面白くなくて何が面白いというのか。


『まったく言葉の通じない、アプリで翻訳しても何語か微塵もわからないアクセラさんの言葉がようやく一言分かったんだよ。これが重大な手掛かりじゃないなら何が手掛かりになるのさ?』


 シンゴもこの奇妙な偶然性にかなり興奮しているようで熱心にマリカに説明していた。俺が異界の出身者だと知らないにしても、言葉の奇妙な一致でこれだけ盛り上がれるのだ。存外シンゴも文化的な楽しみを持っているじゃないか。なんだかんだ師が宗教の統計をとったり文化的研究をしていたせいで俺も教養めいた遊び心はある方だと自負している。異界で共通の楽しさを見出せるのはちょっと気分が晴れやかになるな。


『えっとつまり、どういうことです?』


 ピンときていないな、マリカ。言ってやれ、シンゴ。


『つまりアクセラさんはイタリア人かもしれない!!』


 そういうことだ。


個人的にこの擦れ違いコミュニケーションは書いていた楽しかったです。

こう、海外に住んでいたときの身振り手振りでなんとか意思を疎通しようとする感覚を思い出しました。

お互い理解したつもりでウンウンなて言ってて、蓋開けるとまったく会話になってなかった……とか(笑)

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