八章 第20話 ピクニック
帰省の三日目、俺たちはケイサルからしばらく馬車に乗った先の草原に一同で出かけていた。赤トウモロコシと麦を中心とした一大穀倉地帯を超えたところなので、近場と言ってもちょっとした距離にある場所だ。
そんな草原の一角、少しだけ盛り上がって丘になっている部分の頂点。地元の人間からは花の実験場とからかわれる一種のランドマーク。イザベルとアンナが筵と布を重ねて広げ、サンドイッチの入ったバスケットや紅茶の入った水筒などを準備している。メンバーは俺、エレナ、トレイス、アベル、レイル、マリア。それに身の回りの世話をするために侍女長と副侍女長である2人が加わり、アンナの娘エレノアと誘ったら二つ返事で来た元侍女のシャルが入って総勢10人の大所帯だ。
「シャルさん、あとでまた鬼ごっこでもしよーぜ!まだ勝敗はついてねえからな!」
「お、いいっすねレイル君。久々に本気出しちゃうっすよー!敗北を味わわせてやるっす!」
お前らは何歳だと聞きたくなるようなやり取りはレイルとシャルのもの。この2人が意気投合するのはある意味当然だった。まともに相手ができなかった一昨日の埋め合わせも兼ねて皆を孤児院へ連れて行ったのが運命的で面倒な出会いを迎えてしまった。そして、元気の在り余ってる少年と元気の在り余ってる脳みそ少年な女を引き合わせた俺の罪は重かった。孤児たちが全員ひっくり返るまで昨日の鬼ごっこは続いたのだから。
まだやる気か、お前ら……。
スキルと技術も合わせたアクロバット鬼ごっこは確かに子供の遊びから逸脱しているが、だからといって成人間近の貴族と二十歳を超えた大人がすることでもない。
「危ない事はしてはいけませんよ、お2人とも。特に今日はエレノアちゃんがいるんですからね?」
「あ、はい!」
「モチロンっす!」
「本当に分かっているのかしら……」
困り顔で窘めるイザベルは俺にチラりと視線を寄越す。何かあったら止めてくださいね、という言外のメッセージを受け取って頷いておく。
「エレノアちゃん、三か月半でしたっけ?」
「ええ、そうですよ」
エレナとトレイスが覗き込んでいるのはアンナの横にある、木製のしっかりとした乳母車。その中でぐずることもなくすやすやと眠っているのはアンナの娘であり、エレナの偽名から名前を得たエレノアである。顔立ちはまだ性別が分からないくらいで、鼻も低くふくふくと膨らんだ頬しか特徴がない。それでもモヒカンになった青髪が彼女の好奇心と活発さを現していた。
「お嬢様、頭を撫でてあげてください」
「起きない?」
「ええ、この子は一度眠るとお腹がすくまで起きませんから」
強かというか図太いというか、大物に育ちそうな気質の娘だ。
アンナからの保証が得られたので俺はそっとその小さな頭を撫でてやる。すると何かが俺の中に流れ込み、俺の中からもエレノアへ流れ込む。一瞬の出来事でどうすることもできなかった俺は慌てて手をひっこめた。
「ふふふ、お嬢様でも驚くことはあるんですね」
アンナは俺が赤子の手触りやわずかな動きに驚いて手をひっこめたと思っているようだ。しかしすぐに異変に気が付く。それまでしっかり眠っていたエレノアが今はパッチリと目を開いているのだ。
「あら、珍しいですね」
触られて起きたのは初めての事だと言う彼女に曖昧な返事をしながら俺は赤子を見つめる。赤子も俺を見つめる。そこに特別な意思は感じられない。ただなにか不思議な物を見るような視線だった。
使徒、あるいは神だって分かってるのかな……?
3歳までは神の内と言われるように魂、精神、肉体の定着が曖昧な幼児は人でありながら人ではない場所にその身の一部を置いているとされる。それなら俺のことを正しく認識できてしまう可能性もあるのか。
「おやすみ、エレノア」
小さくそう言うともうしばらく俺を見返したエレノアは目を閉じて眠りに戻った。
「あ、寝ちゃった」
「どしたんでしょうね、姉さま」
エレナ、トレイス、そしてアンナが揃えて不思議がる。しかし彼女たちも薄っすら分かって入るのだろう。俺が使徒だから何かしらの反応を見せたのではないかと。なにせエレノアは俺の加護を生まれ持っているのだ。
パリエルが言うには今は俺の昇神と使徒転生をきっかけに実施している加護のバーゲンセールに当たっただけ、だそうだけど。
久しぶりに神が生まれて、使徒が地上にいて、今でないならいつ知名度を上げるのだ!ということらしい。だから加護の基準を甘くして先天的な持ち主が多く現れるように仕向けているのだとか。
「ん、将来が楽しみ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
俺たちは深い眠りについたエレノアをもう一度起こしてしまわないように、そそくさと場所をマリアのいる側へ移した。そこで彼女は一人黙々と花冠を編んでいるのである。
「マ、マリアさん」
やや気後れしながらトレイスが声をかけると、マリアは手元へ落としていた視線を上げて控えめに笑う。同じ穏やかな波長を感じるのか、彼女は意外とトレイスに打ち解けている。
「ど、どうしたの?」
「あ、いえ、あの……進捗いかがですか?」
「う、うん。あ、あと3つで、できるよ」
マリアは全員分の花冠を作っている。昨日孤児院で少女たちから貰って以降、彼女の中では花冠ブームが到来しているようだ。手先が器用で美的センスも俺などよりはるかに優れる彼女が本気でつくると、たかが花冠とは口が裂けても言えない出来栄えになる。特にこの丘は他ではめったに見ないほど花が咲き誇っている場所だ。人数分作られたそれらは全て、一つ一つに独立したイメージとテイストを備えている。
「すごいデザイン力……」
「す、すごいのこの丘、だよ。た、沢山、お花生えてるし」
この丘は本当に夥しい量の花で埋め尽くされている。色も赤白黄色に青、紫から緑や灰といった珍しいものまで。種類も一体何十が共存しているのか。素敵というよりもはや異常だ。
「ん、花の実験場だから」
「え?」
「あの、ここはエレナ姉さまが魔法を大失敗したところでして……」
「トレイスくん、言わなくていい事を言う悪い口はこれかな!?」
「あ、ごごごごめんなさい姉さま!んぐ、ほっへはひっはらないへ(ほっぺたひっぱらないで)ー!!」
エレナの報復を受けてトレイスが悲鳴を上げる。しばしもがいてなんとか逃れた彼は一目散に走りだした。
「まちなさーい!」
「ま、待たないよぉ!?」
それを追いかけてエレナも走っていき、残されたのは俺とマリアだけ。
「ま、魔法の失敗?」
視線だけは追いかけっこを始めた2人に向けたまま、マリアは首を傾げて訊ねる。
「ん、土の魔法で植物の成長促進があるのは知ってる?」
「う、うん」
一部の高位貴族が抱える庭師の中には土魔法で植物を管理する者もいる。あるいは植物医などは専用スキルに土魔法の一部を含んでいたりすることもある。なので土魔法で植物の成長を促進できるのは周知の事実。
「エレナはそれの拡張実験をしてた」
彼女が使う土属性の拘束用魔法、ハーベスト。あれは蔦草の種をばら撒いて土属性のクリスタルを起点に成長促進をかける魔法だ。あの魔法に至るまでの実験をしていたのがこの丘の上。蒔いた種は回収できず、実験中にクリスタルが砕ければ魔法が止まっても魔力は垂れ流しになってしまう。なので多種多様な植物の種と無数のクリスタルが砕けたものが混ぜこぜになって、この有様に落ち着いたというわけだ。
一種の魔法による自然変容……ダンジョン化の原因だよね、これはもう。
もしかすると何百年もすれば本当に小規模なダンジョンが発生するかもしれない。それくらいに魔力濃度が高い土地になってしまっているのだ。
「そ、そうなんだね。で、でも、綺麗だし、いいんじゃないかな?」
「ん、まあ、そうかも」
そんなわけがない。あの時はビクターにしっぽり怒られて、周辺の畑などに影響がないか徹底的に調べさせられた。魔眼のおかげでそこまで大変じゃなかったけど。
「アクセラ姉さま、たすけてー!」
マリアとしばし花冠の出来栄えを見ながら談笑していると、遠くでエレナに捕まったトレイスが植物で絡め取られている。丘中にまき散らされたクリスタルは回収不能だが、それでもまだ効力を持っている。エレナの魔法1つで植物は立ち上がり意のままに操作できるのだ。さながら彼女が得意とするクリスタルによる布陣形成の魔法。
いや、ここが原点なんだけどさ。
これまで彼女が採用してきたクリスタルを配置して大規模魔法を発動する大技は、この丘の惨状を自己分析してできあがったものだ。失敗を糧にできるのが天才とは言うが、ここまで来ると酷いマッチポンプを見ている気分になる。
「なんだそれ!?」
「なんか面白そうっすねー!」
ああ、ややこしい2人が率先してうねる草の群れに突っ込んでいった。
「3人がかりでも簡単には破らせないよ!」
それを挑戦と受け取って燃え上がるエレナ。遠目に見ても異様な光景に侍女一同は止めるべきか首をひねり、アベルは呆れ顔で傍観。いつものこととはいえ、騒々しい魔法の乱用に俺とマリアは笑うしかない。
「エレナちゃんの魔法、その、とっても楽しい、よね。ふふ」
「おわー!」
「ひゃー!?」
「抜け出せないっすぅ!」
草同士を撚り合わせて強度を上げたエレナが3人をお手玉し始めた。ちゃんと安全には配慮しているようで、彼らを取り囲むよう蔦のネットが配備されていた。
「マリアもいく?」
ガウルフの湖でスリル溢れる遊びを一番に楽しんでいたのは何を隠そうこのマリア。普段は体験できない派手な運動が意外と好きなのだ。印象的だったその姿に誘ってみると彼女はそっと頬を染めて首を振る。
「え、えへへ……ちょ、ちょっと行きたいけど、スカートだから」
たしかに。水着の時とは異性の目やらなにやら違いすぎる。
「私の着替えでよければ、たぶん馬車にある」
骨格的には俺と大差ないマリアだ。俺の服なら十分着れるはず。なぜそんなものが積んであるのかというと、昔に依頼からの帰り道で遭遇した魔物に服をかなり燃やされて、相当あられもない格好で帰宅したことがあるのだ。それ以来馬車には着替えが常備され、もしそういう目にあったら衛兵の詰め所かギルドで迎えを待ちなさいと厳命されてしまった。半年前まで常備されていたので、きっと今でも備えてあるはず。
「着替えてくる?」
「い、いいの!?」
「ん」
頷いて見せると彼女は喜んで着替えに向かった。アンナがすぐに説明と補佐について行ったので、俺はそれ以上することもなく人間お手玉を眺める。
「あ、そうだ」
景気よく空を飛ぶ弟たちを見ながらマリアが作った花冠に闇魔法でヴェールをかけておく。直射日光さえ遮れば萎れるまでの時間は伸びるはずだから。それからやや危なっかしい人間お手玉から目を離し、肌触りのいいシートの上へ寝転がった。筵のやや硬い感触がシート越しに感じられた。それさえも柔らかく受け止める下生の感触に寝心地のいい姿勢を探る。
「まあ、もうしばらくはいっか」
マリアが合流してひとしきり楽しんだら止めに入ろう。トレイスもなんだかんだ、小さい頃から魔法を使った遊びにはエレナのせいで慣れている。三半規管も意外と強いから酔いもしないだろう。
「ん、空きれい」
暑い日差しと涼しい風のコントラストを肌で味わいながら俺は眠りについた。
~★~
昼寝のせいか妙に目がさえる夕飯後の時間、俺は一人でビクターの執務室を訪れていた。用事はもちろん反乱あるいは革命、謀反と呼ばれるべき暴挙の段取りについて。
「いやはや。一任してくれると言った割には引っ掻き回したね、お嬢様」
紅茶を淹れ終えて席についた彼の第一声はそれ。王都から1通、トライラント家から1通出した手紙の内容について、それに悪神の一件などなどについて。全てひっくるめてビクターの苦労が滲みだした一言だった。ただそこに怒りは微塵も含まれておらず、苦笑とわずかな称賛すら混じっていた。
「怒ってない?」
「怒ることなどどこにもないさ。王都での一件は僕のような尋常の勤め人には結べない縁故だ。快挙と言ってもいい」
使徒の肩書を盾に王家からの干渉をかなり抑え込んだ。それを快挙と言わずして何というのか。そんな喜びが彼の口調には表れている。
「この一騒動にはいくつも懸念点があるけど、その一つはトレイス様を当主に据えたあとの口出しだったからね。あまり家がドタバタしすぎると王家から爵位の見直しとか領地の見直しとか、いらない口出しを受けかねなかった」
王家としても不安定な家に民と土地を任せるわけにいかない。それは国内に不安を溜めこみ、税収の低減と火種を一気に発生させる愚行だからだ。
「それにもしレグムント侯爵と袂を分かつことになっても、どこかしら収まる先は見つかるからね」
交代劇の演じ方によってはそれも可能だろう。先代を下す以上彼が転がりこみ恩を受けたザムロ派に留まることはできず、さりとて自分から不義理な鞍替えをしたレグムント派には顔が刺して戻れない。それなら最大派閥であり、全ての貴族が所属してしかるべきとの大義名分ある王家派に……という感じで。
「王子殿下との関係は、あくまでお嬢様の個人的付き合いにしたいんだろう?」
「ん」
「ならよほどの事がない限り利用することのないよう取り計らおう。使徒の政治利用だと言われそうだしね、あまりやると」
「いいの?」
もちろん、と優し気な腹黒は朗らかに笑う。
「すべてはお嬢様やトレイス様、それにエレナのためだからね」
ビクターは王家に関して言うならもっと気を付けるべきは薄暮騎士団だと言う。
「彼らは正体がほとんどの貴族に明かされていない。きっとトライラント家の御大でも全貌は把握してないはずだよ」
「そこまで……」
王家の直属として暗躍する薄暮騎士団。どこの国にもそういう存在はいるが、この騎士団は束ねる人間が超越者ではないかと言われているらしい。しかし名前はおろか通り名すら不明のまま。抑止力ではなく完全に裏方として運用されているのだと。今回のように存在をチラつかせて圧力をかけるという使い方も珍しい部類だったようだ。
「いくらお嬢様でも超越者が相手では、不味いよね?」
「ん、勝てない」
今はまだ、と前置くが。かつての俺は超越者の筆頭格と呼ばれるほどだったが、この体でその領域に立つのはかなりな苦労が伴う。リーチと筋力の問題で使えない技も多いし、魔術も半分弱しか搭載されていない。使徒の力を使っても超越者のランク外とやり合えるかどうかだ。番付されている連中となると刺し違え狙いさえ厳しい。
「鍛える」
「鍛えてどうにかるものでもないように思うんだけど」
「なんとかする」
実際、体はかなり出来上がってきた。あとは鍛錬と失った技に代わる新技の開発、そして練達あるのみ。一度たどり着いた以上最強の称号に興味はないが、技の神髄から遠ざかるのはまずい。
「お嬢様が言うならなんとかなりそうで怖いけど、あまり無理をしないようにね。君はまだ14歳の女の子なんだから」
父の顔で言うビクターに俺は頷くしかできない。きっと彼と俺では無理の概念が違う。ただそれを言っても相手が心底心配してくれている以上、どうしても言い訳がましくなってしまうのは分かり切っていた。それに困らせたくはないと思う気持ちは本物だ。
「トライラントとの密約はほぼ僕の方に丸投げだから、むしろ助かったよ。あの連中相手にお嬢様が交渉をするとなると大変なことになっただろうからね」
心の中の暖かい葛藤を確かめつつ頷く。その通り、と。交渉相手のアベルに止められるくらい俺の条件付けはガバガバだ。
「アベルくんも色々探っているようだけど、とりあえず好きにさせているよ」
「ん、ありがと」
エレナからも同じ報告を受けているが、ビクターは本当に拙い情報を外には出さないので問題ない。これから活動が増えればどうしても守り切れなくはなるだろうが、それは必要経費と思って上手く使うしかない。
それよりアベルを通してオルクスの実情、というよりここ数年の努力が伝わった方が利益になるしな。
アベルの株が上がるのはこちらの損得を込みにしても抜きにしてもいい話だ。お互いを良く知る人物が有力な家の中で力を持つことはメリットだし、友人としても素直に嬉しい。
「ちなみに彼が質問した相手、誰だと思う?」
「ん……わからない」
ビクターは悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべる。俺が大して考えることもなく降参するとやや残念そうにしてから答えを教えてくれる。
「Aランク冒険者「彫刻刀」カサンドラ=カナハン」
「ん、あの変態」
ケイサル支部でトップクラスの腕前を誇る冒険者であり大型魔物戦のエキスパート。特に外殻がある魔物や骨格の頑丈な魔物を専門に討伐してきた実績を持つ。信頼できる冒険者だが問題はその趣味。硬い魔物の素材に彫刻を刻み込むのが好きで、お気に入りの女性冒険者を無断で彫るのだ。それがまた無駄に精密で、しかもかなりギリギリな内容だったりする。
衛兵に補導されること数十回、それでもダンジョンに変態アートを刻み続ける生粋の変質者。またキワモノと縁を結んだね、アベル。
俺の口からさらりと変態という言葉が出てきてビクターはどこか複雑な表情だが、そもそも話題を振ったのは自分だ。お父様の葛藤は飲み下して頂くほかない。そういう意図も込めて俺は早々に話題の転換を切り出す。
「変態彫刻家のことはどうでもいい。ビクターの方で進展は?」
「はは、そうだね。さて、こっちも色々あったよ」
そう言って彼が机へ広げたのは4枚の羊皮紙を連ねたもの。いわゆる四大派閥で分けたときの協力してくれる者、してくれそうな者、してくれない者、敵となる者のリストだ。
「まず隣接する領地とは商取引の強化なんかが、諸々順調に進んでいるよ。新しくこっちの費用で街道を整備したり、巡回の冒険者を雇ったりしたからね。」
「ん、すごい」
ビクターの地道な努力と堅実な出費のおかげで周辺領地との関係は改善している。
「少なくとも多少ばたついたくらいで取引を打ち切られないくらいには麦もトウモロコシも売れてるよ。安いからね」
安く買い叩かれていることは問題だが、同時にシェアを取るためにはいい武器になる。そうして食料の供給を一定以上依存させれば、交代劇で現体制が揺らいでもすぐに切られることはない。見切りを付けられるまでに立て直せればこちらの勝ちだ。
そして、その後はトライラントとのやり取りを通じて値段を戻していくと……順調に行けば最高なんだけどな。
「あと昔の家臣やレグムント派の穏健派ともやり取りをしてるけど、あんまり芳しくないね。元家臣は今更うちとやり取りを濃くすれば今の主の不興を買いかねない。敵対はしないでいてくれるだけの恩義を感じてくれている、と思うことにしたよ」
オルクスへの恩義というより今の主へ繋いでくれたビクター個人への恩義だろうけど。
「ウチに対して初めから穏健なレグムント派は、そのままイコール日和見主義者だからそっちの取り崩しは交渉でなんとかする。でも味方に付けても状況次第で掌を返すような連中だから、コストパフォオーマンスを考慮しないとね」
「人権系の過激派を取り込んだ方がいいと思う」
レグムント家に従う家々は技術の思想と同時に奴隷の権利拡張をも掲げている。そうした現在のオルクスの怨敵とでもいうべき派閥こそ、それを討ち果たして新しい体勢を作りたい俺たちにとっての仲間になるのではないか。その問いにビクターはニヤリと笑って見せた。
「そこはお嬢様がこれから切り崩すところさ」
ああ、なるほどね。
「手紙で頼まれていたレグムント侯爵との会談、ちゃんとセットしたよ。ただ向こうはお嬢様と当主がサシで話し合う以外受けないと明言してきた」
「ん、それでいい」
俺と侯爵はお互いを見定めると約束し合った仲だ。そろそろ不完全な手札でもお互いゲームを始める頃合いだろう。
「今回は言う内容を事前に教えてくれるかい?」
「安心して、大体まとめてある。明日の昼までに書いて渡すから」
「それは助かるよ。レグムント候相手にこれまでと同じことをされたら、ちょっと流石に困るからね」
「ん」
ビクターとしてはレグムント侯爵を明確に味方にすることで、話も聞いてくれないだろう過激派の連中に同じ側の人間だと思ってもらいたいのだ。そのための交渉は俺しかできない。巧みに交渉をこなすビクターではなく、真実をぶつけ合って決別することもやむなしと言う風に振る舞う俺だからできる交渉になる。
あと数日もすればあの狸爺と会談か。頑張らなくてはな。
俺が決意も新たに自分へ喝を入れていると、ビクターはなんでもない補足を言うかのようにこう言った。
「それからホランが手紙を寄越した。奴隷商関係を切り崩すための手掛かりを得たってさ。詳しくは書いてなかったけど」
ちょっとまて、重大事じゃないか。
~予告~
入れ違いの湖畔に寛ぐ王家。
ネンスは父王ラトナビュラと胸襟を開く。
次回、王家の夏休み




