表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
167/367

八章 第19話 アベルの調査

 僕たちがオルクス伯爵領に到着した翌日、さっそく全員の予定はバラけてしまった。王都を生活の拠点としている僕、レイル、マリアさんの3人と違ってアクセラさんとエレナさんには故郷で色々用事があったからだ。明日からは一緒に行動できるという彼女たちの勧めもあって、僕たちは今日を各々の興味の赴くままに行動している。レイルは騎士長のトニーさんと鍛錬、マリアさんはステラさんとなにやら服について話し込んでいるはずだ。


「ごめんね、アベルくん。本当はもっとちゃんと案内してあげたいんだけど……」


「いえ、大丈夫ですよ。エレナさんは冒険者ですから、杖のメンテナンスは何よりも重大事ですし」


 申し訳なさそうに謝ってくれるエレナさんに案内された先は、僕が見てみたいと主張した冒険者ギルドだった。夕方からはトレイス君のために時間を確保してしまったので朝食を頂いて早々に来た形になる。

 ちなみにエレナさんはこれから杖をメンテナンスに出したあとアクセラさん共々知り合いを巡って帰郷の挨拶をするそうだ。貴族の子供が一々商人や職人に挨拶をしに行くのは普通ならあり得ない事だが、それもオルクス家なら仕方ないと言える。礼儀正しく清貧、質実剛健で実直。そういうイメージを維持し続けなくてはやっていけないほど後ろ盾も財政も何もかもがギリギリのところで平穏を装っているのだから。

 それがギリギリであっても成り立っているのか、それを調べるのが僕の役割ですけどね。


「でもなんでギルドなの?」


「実は近々、トライラントでもギルドとの関係強化で支部の増強を計画しているんです。その参考にさせてもらえればと思って」


「そうなんだ?あ、たしかに湖の魔物が増えてるとか言ってたよね」


「まあ、増強計画の方が先ですけどね」


 すらすらと出てくる言葉に一瞬だけ、舌を噛んでしまいたい衝動が巻き起こる。嘘は何も吐いていない。支部の増強を予定しているのは事実だし、当家から資金と助言を出して影響力を増す意図があって参考にしたいのも事実。魔物が増えてきている現状で国内屈指の隣接ダンジョン数を誇るケイサル支部の見識を学びたいのも。

 でも僕がここにいる一番の理由はそれではない。それではないんです。


「ほら、着いたよ」


 内心の葛藤を、自分の未熟さの象徴を持て余していると目的地に着いてしまった。言われて顔を上げるとそこには二階建てで横に広い大きな建物。数年前に魔獣討伐の功績とダンジョンへの積極的なアプローチの方針をもって大々的に増強されたケイサル支部だ。扉は堂々と開け放たれて笑い声が漏れ聞こえ、ときどき屈強な男性や不思議な格好の女性が出入りする。誰もが思い描く冒険者ギルドだが、この時間でこの繁盛はかなり活発な方だと思う。


「中々凄いですね。もしかしたら王都のギルドにも匹敵するんじゃないですか?」


「最近はギルド単体でも儲かってるし、人も設備も結構充実してると思うよ」


 どこか誇らしげに笑うエレナさん。そのまま躊躇いなく扉を潜る彼女に続いてギルドへ入る。実を言うと冒険者ギルドに入るのは初めての体験だったりする。


「あれ!?」


 内装は思っていたより随分綺麗だな。そんなことを思いながらカウンターやショップ、小さな酒場が詰め込まれた冒険者のためだけに存在する総合施設を見回していたときだった。一人の女性が目ざとく僕たちを見つけて走り寄ってくる。身に纏うのは金属補強した革鎧。右肩と右のウエストからそれぞれ左腰に斜め掛けされた大きなベルトには、ずらりとホルダーに納められた短剣が並ぶ。まずもって冒険者以外でお目に掛からない格好だった。


「エレナちゃんじゃーん!帰ってきてたのね、愛しの氷結姫ちゃん!寂しかったわ!」


 エレナさんは勢いよく跳びかかってくるその美女をさらりと躱し、そのまま酒場の方へ歩いて行く。


「え……え?」


「ちょ、酷くない!?数か月ぶりの再開なのにさーあ、酷くない!?」


 追いつけない僕を無視して再度アタックをかける女性。真後ろから来られてもエレナさんは避けてしまう。そのやりとりがしばらく続きながら足だけは進んでいく。ギルド中から親しみと好奇が混じったようななんとも言えない視線を浴びて、若干ついて行きたくないなと思いながら置いて行かれるのも嫌なので小走りに追いかけた。


「構ってよ、寂しかったんだからぁ」


「カサンドラさんが寂しかったのは口がでしょ……」


「いやーん、ヤラシイ言い方!でもそうよ、エレナちゃんがいなくて私のお口は寂しくて寂しくて……」


 くねくねと身を悶えさせ、真っ赤な下でチロリと唇を舐めて見せる。そんな艶めかしい仕草をしながら執拗にエレナさんへ跳びかかる女性。名はカサンドラというらしい。長いクセ毛が着地の度に尻尾の如く跳ね上がる。


「はいはい、エール冷やしてほしい人は来てください」


「「「「おー!!」」」」


 突如として沸き起こる大歓声。そのほとんどが先ほどから視線を寄越していた冒険者たちで、彼らは一斉にカウンターへと殺到しだした。中には受付に「今日はやっぱ休みだ!」などと叫んで参加する者までいる。それをほんの何人かが僕同様にポカンと見ている。


「あ、でも寂しかったのは本当よ?おかえりエレナちゃん」


「とりあえずジョッキを4つも持って言わないでください、説得力が皆無です」


 ここでのエレナさんは学院で見せている姿と全く違う雰囲気を纏っている。金属のジョッキを片手に2つずつ持ったカサンドラと話すときもどこかサバサバとして動じない迫力のようなものがある。それはちらほらと冒険者の中にも見られる気配だった。

 Cランク、中堅の壁を超えた場所に立つ冒険者の風格とでも言えばいいんでしょうか。


「凍えよ、深く」


 固唾を飲んで僕と他数名が見守る中、一同に会した冒険者たちが掲げたジョッキに魔法がかかる。夏真っ盛りとは思えないほど冷たい風が僕の頬を撫でた。


「「「「おぉおおお!!」」」」


 つづく歓声は先ほどに倍する勢いと大きさ。何事かと耳を塞ぎながら見ると、銅製の容器は白く霜をつけていた。それがエレナさんによる氷魔法の発動であることはすぐに分かる。でもなぜ酒場で氷魔法を使うのか。そんな僕の疑問は次の瞬間に、大きな呆れとともに氷解した。


「カァーッ!胃が凍るぜ!!」


「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ……ぷはっ、生き返るわぁ!!」


 一斉にジョッキを呷った冒険者たちが興奮と恍惚の叫びを上げた。なんてことはない、ただエールをキンキンに冷やしてもらっただけなのだ。

 魔法の無駄遣いの極致ですね。

 喉元まで出掛かったその言葉をぐっと飲み込んで半笑いに置き換える。まるで危険な薬物を手に入れた常習者の如く二杯目に群がる彼らを見て、絶対に口に出さない方がいいと察したのだ。


「ジョッキに魔法を強くかけてあるから、あと1時間は冷たいはずだよ」


「さっすが氷結姫様だぜ、オレたちの女神様!!」


「ああ、エールの神様だぜまったく」


「愛してるわよエレナちゃん、もういっそ抱いて!」


「嬢ちゃんに幸あれ!ギルドに幸あれ!オルクス領に幸あれ!」


 酒を嗜めない年齢の僕にはまったく馴染めないノリだ。彼らの狂乱ときたら、本当に危険な薬物でも入っていたのではと思うほど。しかしそれもいつものことなのか、エレナさんは適当に相槌を打って頷いている。それから真っ直ぐにこちらへ指を向けて言い放った。


「魔法のお礼はそこにいるわたしの友達にしてね。色々なお話が聞きたいんだって」


 突然指名された僕に集中する視線。男女ともに屈強な冒険者の集団から見つめられるのは竦みそうになる体験だが、できるだけ動揺を悟られないように胸を張って会釈する。


「アベル=ローナ=トライラント、トライラント伯爵家の長男でアクセラさんとエレナさんの友人です」


「伯爵って貴族の?でもオルクスって他の貴族からは……」


「バカ、友達くらいいるだろそりゃ。なんたってあの気立ての良さだし」


「オレ魔物狩り専門だから貴族の相手とかわかんないんだけど……おい、お前行けよ」


「こっちに振るな、俺もだ!てか氷結姫と残響のダチだろ、タメでいいんじゃね?」


 にわかにざわざわとし出す冒険者たち。どうやらここケイサル支部に集った者たちは貴族の護衛などよりダンジョンへ潜ることを専門としているようだ。そのため僕へどうアプローチしていいか分からない様子で。

 ここは僕の方から親しみやすさを打ち出さないといけませんね……さて。


「あの」


「あーっと、アベルだっけ?いくつか先に確認しておきたいんだけど、いーかしら?」


 対人コミュニケーションはトライラントの真骨頂。そう思って口を開いた途端、綺麗に機先を制されてしまった。相手は相変わらずジョッキを4つも持って器用に呷るカサンドラ。


「まずお姉さんたち冒険者は貴族のこと嫌いじゃないけど、好きでもないのよ。特にこの支部で居心地よくやってる連中はバケモノの相手が得意な方で、ヒトはちょっと苦手くらいのカンジでさーあ?」


 おどけて見せる美しい女傑。その横で強面な男がぽりぽりと頬を掻きながら首を振る。


「いやカサンドラ姐さんと一緒にしないでほしいっす」


「うっさいハゲ。で、そういうわけだから丁寧な対応とか無理だと思ってね。あ、もちろん買ってくれるなら別だけど」


 カサンドラはちらりと首当から覗くシャツの襟を摘まんで妖しく微笑む。買うというのが依頼をするという意味だと分からないほど馬鹿じゃないが、なんで一々違う意味に取れそうな言い方をするのか。


「ただアクセラちゃんとエレナちゃんのお友達なら、いろいろお話してあげるくらいお安い御用よ」


 ついつい目がよく焼けた首筋に吸い込まれたところでカラリと笑い、彼女は近場に座っていた大男を椅子から追い出して座る。そのまま向かい側の椅子も開けさせて僕に座るよう促した。

 コロコロと雰囲気が変わりますね、この人。


「だから自分の事を貴族だと思わない、あたしたちを平民だと思わない。この2つだけ守ってもらえるなら歓迎するわ」


 ドンとテーブルのジョッキを並べ、僕の答えを聞く前に近くの男へ黄金色のコインを押し付ける。冒険者の男につまみを買ってくるよう命じ、流し目で僕へ視線を戻した。


「だーいじょーぶよ、あの2人と仲良くやってるなら難しい事じゃないわ」


 つまり学院にいるときのように立場を置いて話そうと。それだけなら、他の貴族は知らないが、僕に異存ははない。元々生まれや身分をあまり気にする方でもない。誇れども驕らず、が上級貴族の気品だ。


「いいかしら?」


「ええ、もちろんです」


 頷くと彼女は満足げに頷き返してくれた。その笑顔はいっそ僕たちより幼い少女のようにも見える。


「あ、敬語も止めてもらえると嬉しいんだけど」


「カサンドラさん、それはアベルくんの素だから」


 それまで事の成り行きを黙ってみていたエレナさんが助け舟を出してくれる。


「そうなの?ちょっと可愛いわね、それ」


 また妖艶な目付きになって舌なめずりをする女性に段々僕は理解が追い付いてきた。これはまともに相手をしたら駄目なタイプの人だ。エレナさんと同じく、そこそこで流すのが正解なのだ。


「アベルくん、もし身の危険を感じたら攻撃魔法を無駄撃ちして。わたしかアクセラちゃんがそれで気づくから」


 不発の魔法で気づける理屈が全く分かりませんが、とりあえず安心だけはして良さそうですね。


「いや、お姉さんを信用してよそこは。ていうか、残響と氷結姫の友人に無茶する馬鹿いないでしょ」


 カサンドラがやれやれと手を上げて見せる。そこへエレナさんが怪訝な顔をして、ずっとこちらでも気になっていた部分を質問してくれた。


「さっきから出てくる氷結姫とか残響って、もしかしてわたしとアクセラちゃんのこと?」


「そうよ、まだCランクだから非公式だけど、通り名考えたの。イイでしょ?」


 冒険者に通り名は付きものだが、大体公に認められるのは活躍が広まるBランクくらいからだ。


「はぁ……まあいいけど。じゃあわたしは用事があるから、アベルくんまた後でね」


 冒険者はすぐに通り名を付けたがる。その流行り廃りは極めて早く、Bランクとしてギルドからも認知されないかぎりすぐ消えてまた新しいのが付くのだ。だからだろう、エレナさんは微塵も気にした様子を見せずに自分の用事へ戻っていってしまった。


「姐さん、つまみ買ってきました。ゴールドピーナッツっす!」


「おー、いいチョイスよ!お釣りは取っておいていいわ。それで、何がききたいのかしら?あ、あとエールお代わり頼んできてね」


「うっす!」


 カサンドラは豪快にジョッキを干して、先程使い走りにされた冒険者と僕へ交互に話しかける。

 帰ってくるの早かったですね……近くに食堂でもあるんでしょうか?

 などと逸れかけた意識を目の前の情報源に引き戻す。そして思考回路を一度クリアにして雑念を払い、頭の回転速度を上げて行く。ここからは仕事の時間。この木のテーブルの上こそ僕にとっての戦場なのだから。


「そうですね、まずはこの支部が増強されるきっかけになったお話を教えてくれませんか?」


 おそらくこのギルドでなくては手に入らない情報の筆頭格。誘拐事件と魔獣討伐の顛末について。僕の質問にカサンドラに目は三日月の如く細められた。実に楽しそうだ。


「あら、一番の目玉を先に聞いちゃうのね。美味しい所は最初に食べる派なの?あ、お姉さんは最初から最後まで美味しい所しか食べない派ね」


 そんな下らないことを言いながら、彼女は黄金色のナッツを一つ摘まんで口へ放り込んだ。


「でもいいわ、教えて上げちゃう」


 もう一度、それはそれは楽しそうに言ってみせた。


 ~★~


「はぁ……疲れました」


 オルクス邸にて与えられた部屋に戻ってから僕はベッドに倒れ込む。カサンドラの話は確かに有意義だったが、ちょくちょく挟まれるセクハラとアルハラに気力をごっそり奪われた。集中状態を維持するだけで一苦労だ。それでも情報の量自体が非常に多く、彼女自身ここ5年で居着いた人間ということもあって客観性も高かった。価値のある情報だ。


「ああ、書いておかないといけませんね……」


 ぐったりとした体を起こしてテーブルセットに向かい、手帳を取り出してペンを走らせる。記憶力は良い方だが、さすがにこれだけの情報を覚えておくのは一苦労だ。なによりどうせ報告書に纏めて送らなくてはいけない。

 ああ、まだ憂鬱です。

 今回トライラント家から僕が命じられたのは3つのこと。


 一つ、アクセラ、エレナ両名について人格と実力、思想を把握せよ。

 一つ、オルクス家の現状と思惑を探りオファーのあった密約を判断する材料を入手せよ。

 一つ、上記にまつわる噂の真偽について情報の確度を上げよ。


 いまだに友人である彼女たちの身辺を探るような命令には拒否感があるのだが、そんなことも言っていられないのが貴族の嫡男というもの。ただまあ、幸い実家のテラスでアクセラさんと話したあの日から気分が悪くなるほどの葛藤はせずに済んでいる。

 特に今回の僕の調査結果次第ではオルクス家とトライラント家の縁は深まるわけですから、そう思えば悪い事ばかりではありませんしね。

 もちろんよくない結果が出たからといって隠したりはしない。そこまで家をないがしろにはできないし、したいと思えないほどには愛着がある。それでもウチのデメリットにならない範囲でアクセラさんたちに不利益のある「予想」が出て来たら、その場合は黙殺するつもりではいた。


「今のところほとんどが好印象なものですけどね」


 カサンドラが語った2人の逸話は呆れかえるほど派手なものが多かった。たとえばCランクからBランクに類される群れの魔物の討伐。普通はパーティーが2、3合同でうけるこの依頼を彼女たちはたった2人のパーティーで請け負い、あっさり下して帰ってくることが多々あったそうだ。


「単独受注する理由が報奨金を独占するためって言うんだから、すごいよね」


 などとカサンドラは笑っていたが、誰もカバーしてくれてない一歩間違えば死んでしまうような状況でお金を優先させるのはありていに言って馬鹿の所業だと思う。それでも2人は問題なく依頼をこなしてみせてきた。またその金の使途が領地で経営する孤児院への寄付金だと言うのだから、おとぎ話の英雄か何かのようだ。

 人気取りではなくそれが自分たちにできる一番の貢献だと知っているのでしょうね。

 そういう理由で突っ走ってしまうのがアクセラさんとエレナさんで、2人とも突っ走れてしまうだけの実力があるのだとそろそろ僕も理解してきた。なんにせよ実力の確認と人柄の良さを補強する材料にはなる。直接の取引相手としては些か直情的だが、それも実務レベルではビクターさんという優秀な文官が控えている。それが幸か不幸かはおいておいて。


「それに、ふふ。エレナさんの通り名の由来も知れましたし」


 思い出してつい笑ってしまう。氷結姫という通り名の由来は極めて阿呆なものだった。

 彼女が得意とする氷魔法で仲のいい冒険者の酒をキンキンに冷やしてあげたことがあったそうだ。それは本当にただの気まぐれだったのだが、我も我もと人が集まり一気に人気が大爆発。金を払ってまでしてもらいたい人間が並びに並んだ結果、焦った幼いエレナさんが手当たり次第に飲み物を凍らせてしまったそうだ。エールが極低温になる氷魔法を酒以外に使えばどうなるか。それが水でも果実水でもジュースでもお茶でも、とにかく何でも凍り付いてしまう。仕舞には乾杯したジョッキとジョッキが結露を凍らされてくっ付いてしまい……。


「ジョッキ凍らせてくっつけたから氷結姫なんて、由来が絶対想像できなくて面白いでしょ?」


 得意満面のカサンドラに僕は不覚にも笑ってしまった。通り名は格好いいのに、と。ちなみに馬鹿な由来で強そうな通り名を強制的に贈るのは、冒険者同士での伝統的な遊びの一種らしい。名だたる冒険者の通り名はほとんどが勘違いかこの遊びによるものだとか。

 もうどんな格好いい通り名を聞いても変な意味を想像しちゃうじゃないですか……。

 そんなエレナさんと言えばもう一つ驚いたことに、魔法を無償で教えているらしい。より正確にはコツを聞きに行くと教えてくれる、くらいのことらしいが。それでも普通は云十枚も金貨銀貨を積み上げて教授してもらうような内容だ。ギルドの酒場でさらっと教えるなんて感覚がズレすぎではないか。そう思って尋ねた別の冒険者は孤児院で教えているので惜しむ物でもないし、ギルドの質が上がれば領地の収益も上がるからと答えられたという。

 そういうものだろうか?

 少なくとも魔法を教える教師というのはケイサルに居ないそうで、誰かの食い扶持を奪うことにはなっていないんだとか。


「アクセラさんの方がまだズレていないのでは、なんて思う日がこようとは……」


 考えてみれば僕の知る世間一般からズレている印象が強いアクセラさんだが、世渡りに長けた印象も抱かせるところがある。では彼女についてギルドではどう評価されているかというと、なぜか余計に謎めいたものになっていた。曰くかのネヴァラ本部ギルドマスター、ユーレントハイム王国の冒険者ギルドの重鎮マザー・ドウェイラから密命を帯びて裏で仕事をしていたのだとか。

 意外と暗躍好きですよね、彼女。

 そういうのは苦手だと言いつつ裏で動くことが多いのは、そうせざるを得ない状況だからなのか。ともあれ表に出ている情報が少ないのも本当のこと。カサンドラから仕入れられた話では、アクセラさんは支部拡張に際して重大な規律違反を犯した者や極端に風紀を乱す恐れのある冒険者を粛正して回ったということだ。


「あまりに速すぎる抜刀、斬られた者は斬られたことすら理解できず納刀の音だけを聞く!!」


 アルコールで真っ赤に染まった顔で叫ぶカサンドラの言は、御多分に漏れずいい加減な通り名の由来だ。いや、流布されている残響の由来そのものは間違ってない。ただその噂自体が事実無根で酒場の盛り上がりの中から生まれ出たモノだった。アクセラさんは少なくとも確認されている限り人を斬っていない。

 そもそも残響ってそういう意味じゃないですよね?まあ、始まりは残心と納刀の音を掛け合わせただけかもしれませんが。


「大粛清は大げさですけど、線引きを明確で妥当なものにするなら風紀を正すのはいいことでしょうね」


 ケイサル支部でも粛正以後、若者や女性の冒険者がぐっと増えたらしい。新人潰しや体目当てのパーティー組をする人間が減ったおかげだ。

 まあ、追い出された連中も消えてなくなったわけではないですし、どこかにしわ寄せは来るんでしょうがね。

 そこまで考えていては領地の経営はできない。これは素直にトライラントのギルド強化に反映させてもらおう。とくに当家は観光で成り立っているのだから、治安がいいのは必須条件だ。


 コンコン


 冒険者ギルドでの調査を纏めていると控えめなノックが聞こえてきた。それは約束通りにトレイス君が来たことを知らせる合図だ。


「どうぞ」


「し、失礼します」


 少し緊張したまま入室する次期当主。アクセラさんによく似た顔立ちに豊かな表情が乗っていると少し違和感を覚えてしまうのは、それだけ彼の姉を見慣れた証拠かもしれない。


「えっと、もう少し待った方がいいでしょうか」


「大丈夫ですよ、少しメモを取っていただけですから」


「あ、よかったです。あの、もうすぐ誰かがお茶を持って来てくれると思いますので!」


 本当に1つ下には見えないほど小柄で可憐、話し方や振る舞いも幼く見える。ギルドを出て教会と道すがらの店で聞いた範囲では、この少年のそうした要素を領都の民はあまり気にしていないようだった。ただ学院に入るのなら最初の数か月は苦労することだろう。侮りは一種の洗礼であり、互いを正しく認め合うための下地でもある。


「朝から何をされていたんですか?」


「せっかく他の伯爵家の領都を自由に散策させてもらえたので、街の人やギルドの様子を見てきたんですよ。いいところですね、ケイサルは」


「ほ、本当ですか?他の領都はもっと華やかだって、前に友達が言っていたんですが」


「たしかに華やかではないですが、暮らしやすく落ちついた街だと思いますよ」


 ガツガツせず穏やかに生きたいならこの街は存外悪くない。その感想は本音だ。自分もいつの日にか引退したらこういう町でのんびりと暮らしたい。


「そ、そうですか!」


「ええ。さあ、座ってください」


 嬉しそうにはにかむ少年をテーブルセットにつかせて、一抱えもある本と紙束を広げてもらう。少し話しただけでもトレイス君が聡明で知識欲に溢れた子供であることは分かった。特に歴史や詩文に造詣が深かったので彼から詩の話がしたいと言われたときは正直嬉しかったくらいだ。

 どうにも学院には、というか僕の周りには詩文の良さを分かってくれる人がいませんからね。

 領都民たちもダンジョンが多く武張った者が大きい割合を占めるのか、トレイスくんの評価は「頭がいいらしい」という漠然としたもの。それでも軽んじられていないのはアクセラさんという規格外の武力が控えていることと、なにより彼女がことあるごとに弟自慢をして回っているからだ。頭がよく、優しく、向上心のある真っ直ぐな少年。領主が長年戻ってこない現状に比べれば、そんな彼を早く次代に……と思う市民がいるのも頷ける。

 それよりアクセラさんの嫁の貰い手を心配する声が多かったのが面白かったですけど。

 なにせ自ら領地を守るように討伐依頼を受けまくっている、気さくで美しい高貴な少女だ。市民からの人気が高くないわけがない。それだけに貴族らしくない彼女の行く末が心配だと思う者も大勢いるのである。


「そういえばトレイス君、2つほど聞いていいですか?」


「?」


 小首をかしげる少年に僕は問う。一つ目はギルドで聞いていて疑問に思った話について。


「エレナさんは、他人と争うのを嫌う性格ですか?」


「えっと、あんまり好きな人はいないと思います……」


「あっと、そうではなくて……いえ、やっぱりいいです」


 気になったのは冒険者たちがアクセラさんとエレナさんを口々に褒める中で、エレナさんだけは魔物専門だと言っていたことだ。たしかに盗賊狩りなどをせず魔物討伐だけする冒険者もいるし、あるいは薬草採取や探険のみ行うという専門家もいる。しかし彼女が魔物専門だと聞いたことはなかったので気になった。特に先日の凶賊討伐があったあとだと。

 アクセラさんの方針?聞くほどの事でもないし……。


「アベルさん?」


「あ、すみません。二つ目は答えたくなければ答えなくてもいいんですが」


「はい」


「お父上、伯爵閣下とは手紙などやり取りされているのですか?」


 できるだけ普通の会話のように、トーンを乱さないよう尋ねてみた。すると綿毛のような髪の彼は頬を掻いてこう言う。


「おと、ビクターが色々、ボクや姉さまのことを書いて送ってはいるみたいです。返事が来たことはほんの数回で、それも返事というよりは連絡事項の通知ばっかりです」


「寂しい、ですよね」


 その質問に少し首を傾げて考えたトレイス君は穏やかな表情で首を振って見せる。


「ボクには屋敷の皆がいますから、寂しいとは思ってないです。姉さまたちもいてくれるし、何も怖くないですよ」


 その顔はどこか達観した様子を感じさせる。

 皮肉なものですね……。

 ギルドからの帰り道によった教会。そこで座って祈りを捧げていた老人から聞いた話を思い返し心の中で呟く。もしあの話が先入観に依るものでなければ、今の伯爵はひどく哀れな人なのかもしれない。孤独で、愛を見失った、子供のような男なのかもしれない。


「変な事を聞いてすみませんでした。さあ、それは詩を見せてください。楽しみにしていたんですから」


 ~★~


 その日、アベルが報告用に纏めているものと別に付けている個人的な日記にはある話が書き留められた。アドニス=ララ=オルクスという男がまだオルクス伯爵家嫡男であった時代を知る庭師を名乗る男性、コナー老の滔々とした懐古について。

 ザッカリー=ジーナ=オルクス。当時の当主、今となっては先代のオルクス伯となるその男は国中に武名を轟かすほどの豪傑だった。堂々たる体躯に火属性の魔力を滾らせ、ユーレントハイム随一の呼び声も高い槍の腕前を誇った。主家との繋がりを示す一房の白髪を輝かせ、より強い繋がりを示す純白の髪とレグムントのミドルネームを持つ妻を背に侍らせていた。

 鋭い勘と優秀な部下を揃える人望、さらに任せるべきを任せ取り仕切るべきを取り仕切る正しいリーダーシップを併せ持っていたザッカリーはまさにオルクス領を照らし出す太陽のごとき存在だったと言う。

 しかし彼の本質はむしろ月であったとコナー老は評した。かつての主家であり現在でも深い関係を持ち続けるレグムント侯爵家の先代当主に対してオルクスの先代はあまりにも心酔していた。侯爵の方針転換に一も二もなく追従するザッカリーは持ち前の才覚がなければ5年とたたず家が崩壊していただろうほどに周囲を振り回した。


「ご当主は侯爵閣下のご意思に従うことを何よりも重要視されとった。振り回されるお家の方々も付いて行くだけでやっとの思いよ……誰も慮って差し上げんかった、ご子息のことをのう」


 自分にできたことがあったのではないか。下働きには過ぎた後悔だと自分で言いつつ未だにその思いを捨てきれないコナー老は神像へ首を垂れながら言った。

 アドニスという男は武を持たぬ男だった。先天的に保持していたスキルは文化系、どれほど鍛えても筋肉は大して付かず腕前も上達せず当然戦闘スキルも得られず。淡い金の髪も白髪を尊ぶ父には不興の種。それでもなんとか戦いのスキルを得るべしと四苦八苦してきたアドニスに訪れたのは、レグムント家の方針転換に伴う技術への取り組みというパラダイムシフトだった。

 アベルが自ら書き足した疑問にはこうある。


「それは技術という思想なのか、それともスキル軽視でしかなかったのか」


 そんな疑問が湧くほどだったのだ、老人から聞いたオルクス家のスキル主義離脱は。それまで重要視してきたスキルを遠ざけることで技術という新しい思想に対応しようとしたのか。だとすれば本質を全く分かっていない。アクセラならそう一喝することだろう。

 ザッカリーが病死したのは方針転換からそう時間を置いての事でなかったというから、もしかすると正常な判断力を既に失っていたのかもしれない。


「ご子息がこの土地を見捨ててしもうたのは、自分の人生を荒らすだけ荒らして亡くなったお父上への意趣返しなのかもしれん」


 そんなことが許されるわけない。アベルは貴族としてそう思うと同時に、それだけ恨まれるような育て方をした先代の失策が大きいと認めないわけにもいかなかった。しかし何よりも強く彼が感じたのは哀れみだった。

 今のオルクス伯爵の所業は貴族としても人としても看過できない。生い立ちなど何の言い訳にもならない。このことを報告したところでトライラント家は「だからなんだと言うのだ」と一蹴することだろう。

 それでも哀れがましく、皮肉に過ぎ、なにより寂しいことだとアベルの素直な部分が思うのだ。

 オルクスの拘る白を継げず、父に見込まれた武の才能を持たず、親の都合で生き方を歪に捻じ曲げられてきたアドニス。

 純白の髪を生まれ持ち、魔獣を討ち果たすほどの力を備え、親の都合など知らず我が道を歩むアクセラ。

 真逆の生い立ちにある親子がたった一つ同じくするのは、実の父の愛を知らずに育ったという境遇なのだから。


「アクセラさんにこのことを教えるべきかどうか、半日悩んでも僕は結論を出せませんでした。これは友情が故でしょうか。それとも彼女が伯に同情しては拙いという、最低な打算でしょうか。僕はどうするのが正しいのでしょうか。明日の僕が答えを見つけてくれることを切に祈っています。」


 その日の日記はそう締めくくられていた。文字は何かに急き立てられたように荒れていた。


~予告~

トレイスの望んだピクニック。

行き先はかつてエレナがやらかした丘の上で……。

次回、ピクニック

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  アベル! お前、綺麗で強いお姉さんからセクハラされてるなんてずるいぞ! あと綺麗で強いお姉さんをあしらうエレナはかわいいのでもっとやってくだ(ry [気になる点]  氷結……ストロング……
[良い点] 氷結姫と残響、超絶面白くカッコ良いの二つ名ですね〜 アクセラさんとエレナさん、二人共も冒険者として物凄く大活躍をして来たようですね!こういうお話の方がもっと沢山に詳しく挙げるべきだったです…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ