八章 第17話 帰省
夏空を夕焼けが染めはじめる頃、馬車は大通りを上ってオルクス伯爵家の領都邸へ到着した。ケイサルの町は相変わらず夏らしい蒸し暑さに満たされ、観光地にあるような華やかさの代わりに下町の賑やかさを湛えている。
「ついた」
誰が開けてくれるのも待たず馬車の扉を開いてひらりと降りる俺。エレナも続き、口元に苦笑を忍ばせた侍女が一人、マリアに手を貸して下車させる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
全員が降りたのを確認して深々と腰を下げたのはこの家を実質的に取り仕切る男、ビクター=ララ=マクミレッツ。半年前より少し歳を取ったような気がするエレナの父は朗らかな笑みを浮かべながらも凛とした雰囲気を放っている。
「ご学友の皆さまも、ようこそおいで下さいました。さあ、こちらへどうぞ」
あくまで家臣として振る舞うその姿にエレナは変な物を見たような顔を浮かべる。仮にも侍女である彼女がその反応はどうなのかと思うが、考えて見ればまともな来客もないウチだ。ビクターの外行きの顔なんて見たことがないんだろう。その点ラナは日ごろから背筋が伸びた侍女の振る舞いをしているのでこういった場面でも違和感はない……はずだが、なぜかここにはいなかった。
「ビクター、ラナは?」
「妻は今所用で外しております」
「?」
自分で言うのもなんだが、俺とエレナが帰ってくるときにいられないほどの所要とは一体何なのか。いないことよりソッチの方がよほど気になる。
「皆さまのお部屋は本館にご用意しておりますので、荷物はそちらへ運ばせます。ご案内はまた後程」
そう言ってエントランスをくぐるビクター。貴族としての最低限の見栄で飾ってあるその場所は、今日に限って多くの侍女とわずかな執事たちが左右にずらりと並ぶ圧迫感のある仕様になっていた。あげくトニーを筆頭に騎士たちまでフル装備で揃っている。
一族郎党率いて玉砕戦でもする気か。
「「いらっしゃいませ」」
唱和されるその言葉に頬が引き攣る。どういうことかというと、貴族社会ではすっかり落ち目で住まいも城とかではないオルクス家が舐められないための演出なのだ、これは。使用人の質と繋がりの強さ、いわゆるマンパワーを見せるという。
いいけど、あまりの迫力に肝心の次期当主が添え物になってるよ……。
真ん中で一列を作る騎士たちの前で所在なさげに立つトレイスを見て哀れみを覚える。普通は真後ろに騎士は立たせないものだが、そうしないと小柄で愛らしい顔立ちの彼は威圧感に乏しすぎる。同時に帯剣した騎士を背に立たせるということはそれだけ信頼していると示す意味もある。
「うぉ、アクセラにそっくりな子がいる……あれか、弟って」
「たぶんそうだと思いますけど、だとすると伯爵家の継子です。あれ呼ばわりは止めてください」
「そ、そうだな……」
小声でやり取りをするレイルとアベルは放置し、俺はため息を深々と吐いた。
「はぁ……いつも通りにして」
「お嬢様、しかしですね」
「いいよね、皆?」
苦言を呈するビクターをとどめて仲間に尋ねる。俺と屋敷の人々がどういう風に接しているかは彼らもよく知っているので、きっと普段通りに振る舞うことを許してくれるだろう。
まあ、異文化交流になるとは思うけど。
「もちろんですよ、アクセラさん。僕たちが寄せていただいているとはいえ、折角の帰省なんですから」
それをお前が言うと我々は申し訳ない気分になるんだけどね?
真っ先に応えたアベルはほぼほぼ一家団欒などないままここに来ているのだから。
「アクセラの家がちょっと変わってるのは昔から手紙で聞いてたしな。そもそもエレナにとっては普通に家族だろ?オレたちに遠慮する必要はねえぜ!」
変わってるとか言っちゃうあたり、聡いのか無神経なのか分からないレイルらしい。ただ極めて率直な感想はナイスアシストだ。あと貴族家としては変わっているのでたぶん誰も気分を害したりはしないはず。
「そ、その、仲がいいのは、いいことだとおもう、から」
珍しく人見知りを発揮しているマリアはそれだけ言ってレイルの後ろに半身を隠す。その反応にどちらかというとオルクス家の侍女側から音のないざわめきが生まれたのは、おそらく長年俺とエレナを構いすぎて変なノリが定着してしまったからだ。
もう他の貴族家では働けないな、ここの人間。
「らしいよ?」
三者三様のオッケーを伝えるとビクターは頬を意味深な笑みを深めた。
「本当によろしいんですね、お嬢様?」
そこまで念押しされると少し怖いものがある。俺が見落としている何かがあるのではないか。そんな不安が沸き起こるのだ。ただここまで来てやっぱり駄目とも言えないし、なにより他人行儀なビクターたちはちょっと悲しくなってくる。
「ん」
危険な装置の起動スイッチを押すような心持で頷く。その瞬間だった。爆発がおきた。
「「「「おかえりなさぁあああああああああい!!!!」」」」
「「「「「!?」」」」」
大歓声に続くのは猛烈なハグの嵐。まずは俺とエレナを両腕で抱きしめたビクターがその場でぐるりと回って見せる。こういうときだけ妙な筋力を発揮してはしゃぐ家宰。
「まったく、スプリートで一騒動あったって聞いたから焦ったよ!君たちのことだから渦中にいることは大体想像がつくし、何もないとは思っていても心臓と胃がキリキリと……ああ、無事に帰ってきてくれてよかった!!」
「ビクター様、お嬢様たちの独り占めは禁止ですよー」
「そうですそうです!」
「私たちにもお嬢様を!」
半年前まではほとんど見たことがない侍女から家宰への直談判。そのまま残念そうなビクターから引き渡される俺とエレナ。服飾関係を一手に取り仕切るステラを筆頭に大勢の侍女から熱烈な歓迎を受けてもみくちゃにされる。
「こ、こら!いくら半年ぶりだからといって……」
「侍女長が一番心配していたじゃありませんか!さあ、どうぞどうぞ!」
「あぅ」
諫めに掛かる下がり眉の侍女長、イザベルも目の前に俺とエレナを出されて口ごもる。
というかなにこの、猫の子みたいな扱い。
「お、お嬢様、エレナちゃん……心配しました!」
結局その豊かな胸に抱きしめられる俺たち。夏空のような美しい青の瞳からぼろぼろと大粒の涙を零すイザベル。俺にとってはラナの次に母のようなポジションの女性だ、こういう反応をされると弱い。
「ビ、ビクター、何事……?」
柔らかいエプロンドレスの沼からなんとか顔を出して尋ねる。
「何事もなにも、もみくちゃにされるのは分かり切っていただろう?」
さも当然のように呆れ声を上げる家宰。俺は訳が分からないという意思を込めて視線を送るしかない。しくしくと泣くイザベルごと俺たちを他の侍女が抱きしめ始めたからだ。今の俺たちはさながら侍女の渦に飲まれた遭難者。
「お嬢様とエレナが送ってくる手紙、毎回物騒なことばっかり書かれていたじゃないか」
「うっ」
「入学早々に王子殿下の護衛を投げ飛ばしたとか、戦闘学の授業とはいえ殿下本人を地面に転がしたとか」
「ううっ」
「他にも上級生から真剣での決闘を申し込まれたとか、ユニコーンの群れを討伐したとか、新しいダンジョンを見つけて踏破したとか、挙句の果てに悪魔や悪神の契約者ときてトドメに今回の盗賊団の件。皆生きた心地がしなかったよ」
ビクターの落ち着いたトーンで懇々と言われると完全にこっちが悪いような気になってくる。
いや、心配かけまくったのはこっちが悪いんだけど。
「加えて君たちが生まれてからというもの、この屋敷で久しく絶えていた賑やかな団欒が復活していたんだ。団欒と言うか大騒動だけどね」
そんなに俺とエレナは騒動を起こしていただろうか。
「それが春以降どうだい?実験の失敗で爆発が起きることも、魔法の加減を間違えて訓練場が氷漬けになることも、鍛錬中に足を滑らせたお嬢様が天から降ってくることもなくなって……」
うん、起こしてた。後から列挙されるとすごい騒動起こしてた。しかも俺の記憶が正しければ半月に一回は何かその手の事があった気がする。
「いつの間にやらこの屋敷の住人は皆、上を下への大騒ぎに慣れてしまっていたのだね。それがないとどことなく寂しくて仕方がない」
本当に他の貴族家では働けないくらいノリがねじ曲がってしまっている。
「まあそういうわけだから、大人しくされるがままになる事だね。あ、そういえば新作の衣装があるとか言っていなかったかい、ステラ」
「そーですよー!このステラが来たる冬の舞踏会のため積んでいる鍛錬、その中間発表的な衣装が何着もあるんですー」
両手を頬に当ててうっとりと語る眼鏡の侍女、ステラ。昔から真面目な侍女が多い中でも飛びぬけて変わり者だった彼女が、この全員振り切れたノリの中で正に水を得た魚の如く輝いている。
「ロンセル子爵嬢、是非ご一緒なさってはいかがですか?当家のお針子は皆、どこにも引け劣らない優秀な者ばかりです。きっとお眼鏡にかなう衣装があるはずですよ」
「!」
きちんと令嬢らしい女子力を持っているマリアだ、かわいい服には興味をそそられたのだろう。レイルという盾から顔半分覗かせて目を白黒させていたのが嘘のように真っ直ぐステラを見つめる。
「貴女がマリアお嬢様ですねー?アクセラお嬢様から色々お話は伺ってますー」
ステラがにっこり笑ってマリアへ近づいて行く。
「そのお召し物も可愛らしいですねー、特にスカートの縁のレースなんて縫製が芸術じゃないですかー?」
「!!」
マリアの目が見開かれ、そして嬉しそうな空気を全開にそろりそろりと全身を露わす。旅行の間中、そういう細かい部分に気づいてくれる相手がいなかったのもあるだろう。俺含めた男性陣は言うに及ばず、エレナも服に詳しい方じゃない。アティネは分かっていても細部ではなく総体としての美しさを重んじているとかで、彼女曰くのちまちました感想は抱かないらしい。
あと、シーアは結構気づく方だったろうからな。
細かいところに気づく観察眼は下級貴族の娘にとって生き残るための必須武器。噂好きもあってシーアは繊細な部分に気を配れる少女だった。そんな友人が居なくなってしまってずっと寂しい想いがマリアの中にはあったのだと思う。
「マリアお嬢様は……ふぁー!?え、な、なにコレ!すごい、すごい、すごいですよお嬢様ちょっとコレ!」
唐突に壊れたような叫びをあげるステラにやいのやいのとしていた侍女一同も一旦停止する。誰もが驚いて見守る中、ステラはマリアを全方向から観察してピョンピョン飛び跳ねて見せた。
「すっごいです、何色でもいいです!こんな人初めて見ました!幸せが迸ってます、ラッキーガールです、神様に愛されてます!」
「あー、ステラ?とりあえずお嬢様方をだね……」
ステラの目は幸色の魔眼と呼ばれる魔眼を宿している。その特性はただ合う色が分かるだけとも言われるが、一説には幸せをもたらす色を見抜くことができるとも伝えられる。ステラは後者の説の熱烈な支持者だった。
「お嬢様、是非是非着ていただきたい服が沢山あるんです!いかがですか!?いかがですか!?」
あ、ステラの口調から間延びした部分が消えてる。
本気のステラは普通に喋る。そして口調と同じく所作や雰囲気からもゆったりしたものが消え、キビキビと己の使命を全うしにかかる。少なくともそれが己の使命だと彼女が思ったことを。
「ステラ、いくらお嬢様の親友でいらっしゃるからといって……」
「あ、い、いえ、だ、大丈夫です。その、お洋服は、す、好きだし」
見かねて止めに入ったイザベルだが、慌ててなんでもないと言うようにマリアが遮ったので大人しく引き下がる。ただしその表情は不安とも哀れみともつかないもので。
「ほんとうですか!じゃあ今すぐ行きましょう、善は急げです!急がば直進です!いざ、いざ!!」
本人の了承を得た瞬間にステラはマリアを横抱きに掻っ攫う。
「ひゃ」
小さく悲鳴を上げるマリア。しっかりとお姫様抱っこを決め込んだステラは疾風のように屋敷の奥へと走り去った。
「皆の衆、私に続きなさい!」
そんな叫びを残して。
「皆、行くわよ!」
ぽかんとしている間も与えられず、俺とエレナも侍女の波にさらわれて屋敷の奥へと連れ去られてしまう。
やっぱりステラの制御はアンナにしか無理だな……というか彼女とその娘はどうしたんだろうか。
「ごゆっくりー」
人ごと極まりないビクターの声がのんびりとホールに木霊した。
~★~
「いやー、申し訳ないね」
アクセラとエレナ、それにマリアがどこかへ攫われて行った直後のこと。整った執事服に身を包んだ男が笑いかけてくる。エレナの親父さん、ビクター=ララ=マクミレッツだ。
領主が領地に戻らなくなって、オルクスの名が地に落ちた直後から一人で経済と治安を維持してきた傑物。本人にその気があれば中央での栄達が望めたにもかかわらず、爵位を返上してオルクス家に仕え続けた忠義の男……だったっけ。オルクス家と敵対的なフォートリン家でも彼の評判は抜群だ。
「皆プロ意識に溢れる優秀な人材なのだけれど、いかんせんお嬢様のことが好きすぎて」
ウチやマリアのロンセル家でもそうだけど、順風満帆にやってる貴族はどこも使用人からの信頼が厚い。これもその延長線上かと思えばまあ、分からなくはないか。調子がいいとは言えないオルクスでと考えると異常なほどだけどな。
「ははは、お恥ずかしい限りだ」
すっかり友達のお父さんくらいの距離感で話しかけてくるビクター、さん?
「マクミレッツ卿、この度は」
「いやいや、そんなに畏まらないで。君たちが言ったように、今はエレナの父だ。娘たちの友人を歓待するのに堅苦しい言葉は不要。そうだろう?」
にっこり笑って自分の事をビクターさん、あるいはエレナのお父さんとでも呼んでほしいと言う元子爵。彼はオレたちに反論をさせる間も与えず、ホールに残っていた執事や騎士たちを集め始めた。
「遅くなって大変申し訳ない。ああなるのが分かっていたから先に粛々と紹介を済ませたかったんだけど……いや、ああなっても一同が自制すべきだったね。こればっかりは侍女たちに少しお説教だ」
肩を竦めるビクターさんは、全員が並んだのを見てから襟を正して再び厳粛な気配を見に纏う。
「こちらが我らの次期当主となられる、トレイス=フォル=オルクス様だ。トレイス様、お嬢様とエレナのご友人であるアベルくんとレイルくんだよ。ご挨拶を」
紹介されたのは中年の騎士に連れられた少年。アクセラより1つ下と聞いてたけど、もう少し幼い印象を受ける子だ。少なくともオレの1つ下には見えない。背丈も肩幅も華奢で少女みたいだし、顔立ちはアクセラそっくりでとんでもない美形。しかも無表情じゃない。期待4割不安6割くらいで感情豊かにこっちを見る様は庇護欲をそそるなにかがある。髪の毛もアクセラ同様に乳白色だが、クセが強くてふわふわの綿花のようだ。
「は、初めまして!トレイス=フォル=オルクスです、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げるのは貴族の嫡男同士だとあんまり褒められたことじゃない。ただビクターさんが言うように姉ちゃんの友達に対してならこんなものか。
少なくともオレは気にしないしな。
「おう、よろしくな!俺はレイル=ベル=フォートリンだ。同じ伯爵家の嫡男同士、なんでも聞いてくれ!」
「アベル=ローナ=トライラントです、よろしくお願いしますね。詩や歴史がお好きだと聞いてます。また色々お話させてください」
軽く腰を落としてニッと笑いかける。トレイスはびくりと肩を跳ねさせたが、柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
かわいいな、こいつ。弟に欲しいくらいだぜ。
「はい、お二人ともよろしくお願いします!」
もう一度深々と頭を下げるトレイス。それを見届けてからビクターさんはニッコリと笑ってホールからどこかへ繋がる扉を手で示した。
「さて、女性の着替えは時間がかかる。応接室で男は男同士、談笑しようじゃないか。ああ、そうそう!その前に彼を紹介しないと」
一瞬本当に忘れていたのではと思うような風に笑ってから、彼は少し芝居がかった動作でトレイスの後ろに立つ大柄な騎士を紹介してくれた。
「オルクス家騎士長、トニー=デボラ=マンソン。彼が君たちの逗留中、直接警備を預かることになる。まあ、ウチには規格外のお嬢様がいるから何にしても安全はピカイチだけどね」
「そういうコトを言わんでください。部下の士気に関わりますからな」
言葉の割に朗らかな語調で苦言を呈する騎士長。白い物が混じり始めた焦げ茶の髪と髭を短く整え灰色のフルプレートを纏う姿は、一種の完成された騎士像のようなものを感じさせる。なにより使いこまれた鎧や剣、まとう空気、それに立ち姿が騎士長の名にふさわしい迫力を放っている。
王都でもこんなに強い騎士、なかなかいねえぞ……。
「ご紹介に与りました騎士長のトニーです。当家の騎士は総数も少なく私のような年寄りか息子のような若造ばかりですが、腕はお嬢様の名誉にかけて信頼していただけると自負しております」
自分が仕える主君の娘の名誉を担保にするというのはどういうことか。普通ならそこで眉を顰めるんだろうが、あのアクセラの名誉にかける意味はなんとなく分かる。スキルと技術を合わせて体得している、ってことだろう。
俺の目指す場所か、その途上にいるのがこの人だ。
「せっかくフランクでいいと言ってくれているのに固いね、トニーは」
「それが騎士ですからな。しかし我儘が許されると言うなら、高名なフォートリン家のご嫡男と後程一手交えさせていただきたいとは思いますぞ」
挑戦的な視線を向けられてオレは自らを奮い立たせる。
「こちらこそよろしくお願いします!」
「さすがは騎士道の一門フォートリン伯爵家だ、気迫があっていいね」
ビクターさんに茶化されながらようやく応接室へ向かうオレたちを、トニーさんたちは見送って屋敷中へ散っていった。お茶はオレとアベル、トレイスとビクターさんだけでするらしい。
「座って座って。時間が時間だから茶菓子は出せないけど、その分夕食には期待してくれて構わないよ」
10人はお茶が囲めそうな大きめの応接室には年代物の茶器が一式。楽しそうに語りながらビクターさんが魔道具でお湯を沸かし始めたところ、今しがた閉めたばっかりの扉が開かれる。音もなく入室したのは暗めの金髪をシニヨンにした美しい中年女性。真っ直ぐに伸びた背と青い目が賢そうな印象を与える。侍女長と呼ばれていた女性と同じ夏空の目だ。
「ああ、ラナ。ちょうどよかった、僕より美味しいお茶を淹れる君がこのタイミングで来れたのは。皆、紹介するよ。妻のラナ=ロロア=マクミレッツだ。侍女長であるイザベル=ロロア=シュタープの妹であり、エレナの母でもある」
「エレナの実母でアクセラお嬢様の乳母をしておりました、ラナと申します。お迎えに立てずご無礼をいたしました。副侍女長の娘が急な発熱を起こしまして、医者の手配をしていたものですから」
定規で計ったみたいなお辞儀に俺とアベルも慌てて自己紹介を返す。ラナさんは教育係としていついかなる時も礼儀正しい様子を崩さないようにしているとかで、ビクターさんに伝えたのと同じことを伝えても態度は変えてもらえなかった。
「一種の職業病だとは思うけど、娘たちも納得しているからいいかなってさ」
困ったように笑うビクターさんは優秀な文官という名声の通り、とても饒舌で話の運びが上手な人だった。まるで息をするようにすらすらと言葉が出てくる。アベルの実家みたいな誘導尋問をされてる感もなく、ただただこっちの喋りたいことを上手に喋らせてくれる感じだ。
「なるほど、それで冒険者に?」
「そうなんですよ。夏休みの少し前も連休を使って泊りがけでダンジョンに行ったりして」
「あの時はレイル、僕に留守にすること伝え忘れてましたよね?おかげで夕飯になっても帰ってこないから寮監のところへ行ったんですよ」
「はっはっは、悪かったって!」
「ど、どんなダンジョンだったんですか?」
「そうだな、とりあえずゴーレムだらけのダンジョンだったぜ」
途中からトレイスも積極的に話題に絡んできてくれるようになって、数分もすれば部屋中に笑い声が木霊するようになった。ラナさんも穏やかな眼差しでオレたちを見ながら、ときどき口元を隠してクスクスと笑う。
「トレイス様は来年から学院に入って、君たちの後輩になるんだ。だから学院の事をもっと色々聞かせてあげてほしいな」
ビクターさんが話題を少し動かすと会話の流れもきちんと同じ方向に動く。会話そのものより喋りたくなる空気作りが上手いんだろうな。と、そこまで分析できてもいい具合に流されてしまうのがオレなわけで。
「学院は広いからな、一杯教えてやれることはあるぜ!」
「本当に文字通り広いですね、やっぱり。練習場も図書館もスケールが違いすぎて」
「だよなー……特にあの演習用の山だか林だか、あれ人工なんだろ?」
「なんでレイルがあやふやなんですか。あと、ええ、人工ですよ」
敷地の中に巨大な練習用のフィールド、図書館と闘技場2つ、研究施設と教室と何千人が暮らせる寮、さらに山まで収まってる。よく考えて見ればちょっと頭のおかしい場所だよな、学院てさ。
「わぁ、すっごいなぁ……もっと教えてください!」
目を輝かせて未来の後輩がせがんでくれるのは嬉しいが、オレとアベルは続きを語る前に少し沈黙してしまった。トレイスの背後に音もなく立った少女を見て。
「不真面目な生徒は捕まって、銅像に変えられてしまう」
「ひっ」
突然耳元で囁かれたおどろおどろしい内容。モノトーンの声が掻き立てる恐怖心にトレイスの首筋がテーブルを挟んだこっちからでも分かるほど粟立った。
「夜な夜な領の外では戻して、戻してと声が聞こえて……」
「いや、来ねえよ!?」
そんな学院、オレでも通いたくねえ。
「もう!馬鹿なこと言わないの、アクセラちゃん」
オレがツッコミを入れるのとほぼ同時にエレナの掌がアクセラの頭頂部をべしりと叩いた。ぎこちない動作でトレイスが振り返れば、そこには悪戯が成功したときの何とも言えない笑みを薄っすら浮かべた姉の顔が。
「む、むぅ!アクセラ姉さまはいっつもそうやって、ボクもう13歳だからね!?そんな子供だましのお話で怖がったりしないからね!?」
いや、それは震えあがってたように見えたけど……言わないのが騎士の情けってものだろうな。
「ふふ、ごめんごめん。ほら、ただいま」
ソファーの背ごしにトレイスを抱きしめるアクセラ。綿毛のような髪に鼻を押し当ててぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「うん、お帰りなさい。姉さま」
「あー、わたしもする!」
「むぎゅぅ……エレナ姉さままで来ると苦しいよ!でも、おかえり」
「えへへ、ただいま」
3人で抱き合う様はそれぞれの顔立ちがいいのでまるで絵のようだ。ただし服装は部屋着。絵にするにはやや派手さがないかもしれない。
まあ、どうせ絵の良し悪しなんて分かんねえけどさ。
「あれ?そういえば着替えに行ったんじゃねえのか?」
「ん、ステラが今日はフィッティングだけだって。明後日までに仕上げてくれるらしいよ」
アクセラは苦笑いのような表情を浮かべて「衣装好きすぎて夜通し作業する人だから」と教えてくれる。
たしかに好きなことは延々とやってられるよな。
隣に腰を下ろしたマリアを労いつつ、オレはオレの好きな事に想いを馳せる。それは滞在中、あの騎士長と一戦交えることだ。
~予告~
賑やかな友と家へ戻ったアクセラたち。
弟トレイスはそんな姉を見て……。
次回、家族の想い




