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八章 第13話 業火の中で

 炎にまかれた裏口をアクセラちゃん、わたし、レイルくんの順番で潜る。


「魔法で守られてるってわかってても怖いな、結構」


 小声でそう漏らしたレイルくんにわたしは頷く。熱さも息苦しさもほとんど感じないけど、轟々と燃える音やパチパチと爆ぜる音がすぐそばで聞こえるのは本能的な恐怖がある。それに眩しさは軽減されていても踊り狂うオレンジと黄色の現象は脳が幻想の熱を作りだして、首筋を汗が伝っていく気がした。あと酷い焦げ臭も脳に危険を訴えかける。


「魔法の効果はおおよそ3時間。そんなに長居するつもりはないけど、危なくなったら自分の命を優先して」


「おう」


「うん」


 最後の警告をアクセラちゃんから受けて、わたしたちは昼間より明るく照らされた室内を進む。予想通り外から見た程の燃え方はしてなかった。

 てっきり中も火の海だと思ったけど……全然。

 何かの魔法が作用してるのは分かるけど、それが何かまでは分からない。制御系で炎を支配下に治めてるのは確実。その上からいくつか魔法がかかってて、ずっと火の勢いと方向を管理下においてるんだ。


「優秀な火魔法の使い手がいるね」


「ん」


 その証拠に勝手口からまっすぐ続く従業員用の廊下は、半分を過ぎたあたりで嘘のように火が途絶えてた。ここから先は熱だけで火そのものは入ってこれないようになってる。そういう魔法がかかってるのだ。


『止めて、止めてください!』


「「「!」」」


 慎重に歩を進めていたわたしたちの耳に甲高い悲鳴が飛び込む。左の扉の先。音の反響から室内はそこそこ広くて奥行きがあるか、あるいはもう一部屋隔てた向こう側。


「フォローお願い」


 アクセラちゃんがいつになく真面目な声で言ってから扉に駆け寄る。最初は自分が飛び込むという、有無を言わさない力が言葉に込められてた。人の命がかかってる。早々にその事実を目の前に提示された背筋を寒気が駆け抜ける。でも、そういう場所を教育現場に選んだんだから当然だ。


「3、2、1……!」


 タイミングを合わせるためのカウントダウンのあと、アクセラちゃんの華奢に見えて意外と筋肉質な足が白木の扉をとんでもない力で蹴りとばす。上下に取り付けられた蝶番が堪らず弾け、厚さ2cmはある扉が室内の大きなテーブルに激突して酷い騒音を立てた。


「!?」


 会議室のような場所、テーブルの向こう側で一組の男女が目を見開いてこっちを向いてる。一人は腰が抜けたようにへたり込んだ女の人。もう一人は頬に大きな傷のある男の人。彼の手には既に血まみれの短剣が握られていた。


「きひひ、ひひ……びっくりさせんなよ。騎士や火消しかと思ったらガキ?ひひひっ」


 ニタっとどこか壊れたような笑みを浮かべる男。表情とは裏腹に折角楽しいことに取かかろうと思った矢先、それを邪魔されてしまったような不機嫌さが窺えた。


「なんでいるんだ?まあいいや、すぐお前らも殺してやるから待ってろ。きひっ」


 首だけをコキコキと傾げる不気味な動作のあと、男はわたしたちから女の人に視線を戻す。この状況で踏み込んでくる子供がただの子供なわけないのに、脅威とは看做されなかった。


「さぁて、お前はどれだけたっぷり血が流れてるんだ?ひひ、くひっ」


 しゃくり上げるような笑い声で、味わうかのようにじりじりと歩く男。目には短剣と同じ鉄のような光が浮かぶ。


「こお……」


「くひっ」


 慌てて杖を振り上げた。氷の魔法を短詠唱で発動させる。でもそれは遅すぎる選択。動きだした剣に後出しの魔法が追い付けるわけがない。

 部屋に入ってすぐ魔法を使うべきだった!

 初手で取り返しのつかないミスだ。そのことに悲鳴を上げそうになる自分がいて、しかし現実は予想を裏切り悲惨な結末を迎えなかった。氷の塊が発生するより早く、男が振り下ろすより早く、あらゆる動作より早く、白い影が視界を駆け抜けた。まるで真横に乳白色の雷が迸ったように。


「ふひゅ」


 変に気の抜けた声。それはテーブルの上を走ったアクセラちゃんが滑り込むように男の間合いへ入って、流れるような抜刀から腕を斬り落としたせい。早業すぎて誰の意識も追い付けない。まるで彼女だけ時の流れが違うような、むしろわたしたちの時間が急にもったりと遅くなったような錯覚を植え付けられる。切断された腕だけが中立の時間に従って、テーブルの上にぼとりと落ちた。続いて短剣がからからと踊る。


「く、ひひっ?」


 痙攣のような声とともに断面から血が噴き出す。それでも激痛に苛まれている風でもなくギョロリとアクセラちゃんを見つめる男。そこへ一拍遅れて完成したわたしの魔法が、アイスボールが炸裂する。拳大の氷塊に側頭部を撃ち抜かれた男はそのまま数歩よろめいて倒れた。

 え、し、死んだ……?


「エレナ、遅い!レイル、ぼさっとしない!」


「は、はいっ」


「お、おうっ」


 お腹の奥から来る怒鳴り声にわたしと彼は飛び上がった。固まってる場合じゃない。よく見れば息はしてるし。わたしは女の人の下へ走って、レイルくんは扉側に盾を向けて警戒姿勢をとる。


「大丈夫です、救助に来た冒険者です。怪我はありませんか?」


「え……」


 混乱のしすぎでいっそ普通な、首を傾げるという動作をとる女の人。彼女の体をわたしは勝手に調べて、特に怪我がないのを確認してから水魔法を行使。


「飲んで下さい、ここは熱すぎます」


 魔法で作った冷たい水だ。体を冷やすように氷魔法で少し細工もしてある。


「あ、え、はい」


 独りでに浮かぶ水の球を不思議そうに眺めたあと頷く女性。どう触れていいのかしばらくまよって、林檎を齧るようにおずおずと口をつける。とりあえず飲んでもらう間にわたしは周囲を確認。誰かが来る気配はないし火の手が回ってくる様子もない。


「ア、アクセラちゃん、その、どうしよう」


「ここを避難所にする。魔法で耐火と冷却をして。あとできればここからの道、途中途中で防火処理だけしておいて」


 これから向かう場所で見つけた人をこの部屋に集めるつもりなんだ。外は火消しの人達でも簡単には入れないレベルの魔法の炎で覆われてるから、すぐに逃げてもらうわけにいかない。


「私は状況を聞く。エレナは魔法が終わったらこの男をどうにかしておいて」


「う、うん」


 反省は後にして、わたしは今できることをする。アクセラちゃんが連れて来てくれたのは学ぶためなんだから、この瞬間にしかできないことをきちんとしたい。


「とりあえずは避難所作りだね」


 人にかけるより少ない魔法ですむから、実は安全地帯を作る方がまだ楽。熱耐性、火耐性、冷却、空気の確保を施せばそれで終わりだ。それから魔力糸を壁につないで導線を確保。とりあえずは杖を中継させておく。これをしておけば大きな異変は感知できるし、なにより必要に応じて魔法の重ねがけが遠隔でできる。

 魔力糸を伝って出力や微調整に変更をする技の応用。導線による遠隔魔法がまさかこの場面で初実戦になるなんて。


「それで……」


 困るのは気を失ってる盗賊団の男。どうにかしておいて、なんて漠然と投げられたけどまさか殺してしまうなんてできないし。

 甘いのかな?でももう無力化した人を態々殺すのは、たぶんアクセラちゃんに近づくのに必要な殺す覚悟、殺される覚悟と違うような気がするから……。

 殺すことを躊躇わないように、意識しすぎて遅れないように、とにかく頭では理解してる。してる中でもまだ色々考えているのがいいことなのかどうかは分からないけど、前へ進むことだけは止めたくない。

 でもなぁ……。

 アクセラちゃんがわたしとレイルくんをここへ連れてきたのは失敗しないと信頼してるからじゃなくて、失敗してもカバーできると確信してるからだ。


「ちょっと傷つくけど」


 信頼にたるモノを見せてないことも、そもそもそれをまだ持ってないことも自分でよく分かってる。そして今回のこの鉄火場がわたし自身にとって覚悟の出来栄えを確かめるテストケースで、同時に今進みつつある道で悔いが残らないか問いかける確認でもあることは明らか。

 がんばろう。


「さあ、じゃあ拘束しちゃおうかな」


 自分に喝を入れて殊更明るく口に出す。それから男の体を起こして土魔法で縛り上げる。もし意識が戻っても抜けられないように、なんなら多少強い味方が助けに来ても外せないように。あと今さらながら傷口を凍らせて止血する。鉄臭さの中に胸が悪くなるような甘い匂いがしたのが気になった。机の上に乗っかってる腕は……。


「うぇ」


 まだ神経の信号が残ってるのか何なのか、ときどき指を小さく痙攣させてみせる腕。それを見てもただただ気色悪いなとしか思わなかったのは、きっと地下墳墓の奥にたどり着いたあの日から少しだけ成長したから。


「くっつかないよね、たぶん」


 目の前で人を殺そうとした悪党で、これまでも酷いことを散々してきたヤツで、不死王さんとは逆に人間味をあんまり感じない雰囲気を纏っていて……そもそもわたしでも躊躇いを感じにくい相手だったけど。でもやっぱり一番大きいのはメルケ先生とアクセラちゃんの死闘を間近で見たことだと思う。命のやり取りに本能的な恐怖はまだあるけど、前みたいに奪う恐怖を思うだけで竦むということはなくなった。


「でも、なんで……」


 お金がなくて困ってるから。それだけじゃないはずだ。だってここまで手が込んだことをして、生かしておいても損にならないような女の人まで殺そうとしたんだから。しかもこの男はそれを楽しんでた。どう見ても、心底楽しんでた。


「どうかしたか?」


「あ、レイルくん」


 高度な聖魔法でも繋がるか分からないほど完璧に泣き別れた腕を意識の外に追いやりながら、声をかけてくれた友達に振り返る。彼はさすが生粋の騎士の家の出で、悪党が一人切られたくらいなんとも思ってなさそうだ。


「とりあえずアクセラちゃんに避難所の確保とこの人の処遇を任されたんだ」


「ああ、それで空気の流れが変わったんだな」


「分かったの?」


「そりゃまあ」


 レイルくん、意外と繊細に周囲を観察してる。こう言うとなんだけど、普段の様子からはそこまで細やかな神経があるように見えないから意外だ。でも思えばマリアちゃんもあのおどおどした態度に隠れてるだけで芯がものすごく強い子だし、人って案外そういうものなのかも。


「いや、エレナ。その男、ここに置いて行くのか?」


 珍しく、本当に珍しく慎重に確認するような声でレイルくんが尋ねる。わたしが首を傾げると彼は言うべきかどうか迷っているような顔で口をなんどか開け閉めして、結局何も言わなかった。


「エレナ」


「え、あ、うん」


 こっちから聞くべきかな。そう思った矢先、アクセラちゃんが女の人を後ろに連れてこっちに歩いてきた。まだ足取りが確かとは言えないけど、女の人はとりあえず自分で歩けてる。


「……もういい?」


 アクセラちゃんも土の枷に捕らわれた男を見てから、確認するように首を傾げた。


「えっと、いい、よ?」


 何かまずい……?

 彼女がこういう態度をするときは大体、何か見落としがあるときだ。何を見落としているかはわたしが気づかない限り教えてくれない。いつも程度の差はあれど教訓を得るまで放っておかれる。


「ん、行こう」


 とても気になる。けれど今はそんなことを言える状況じゃないし、じっくり考える時間なんてない。だからアクセラちゃんに急かされたとき、わたしは答えを変えることなく部屋を後にした。残される女性にはきちんと魔法の説明をして安心してもらいたかったけど、その猶予すらなかった。


「あの人から聞いた情報によると」


 わたしの心残りはつゆ知らず、アクセラちゃんは廊下に出るなり手に入れた情報を共有しだす。

 やっぱりさっきの人は従業員で、この店には今13人が残っていた。彼女の知る限り2階に4人、3階に4人、4階に5人。押し入ってきた人の数は見ていないから分からない。ただし腕を斬られた男が2人殺したと言ってたらしいので、きっと生存者は多くて11人。


「急がねえとな」


「たしかに。むしろタイムリミットが緩かったのが大きな誤算」


「?」


「火着けは自分が危ないから急いで盗みをする。でもこいつら、誰も来れないのをいいことに楽しんでる」


「楽しんで……」


 脳裏にさっきの男の笑みがちらつく。


「想定より酷いレベルの凶賊。ちょっとペースをあげよう。ただし安全第一、自分の身と仲間を最優先にして」


「う、うん」


 はやる気持ちを抑えて廊下を進む。割られたショーケースと略奪から洩れた宝飾品が散らばる大きい部屋を過ぎて階段を駆け上がる。二階はもっと高価な商品を扱うためか、ある程度まとまったジャンルで個室のショールームがいくつも設置されてる。きっと中で値段交渉なんかもするための構造。


「次」


 そんな扉だらけの中、破壊されてないものを選んでそっと開け入室。アクセラちゃんが中を確認し誰もいないと分かればそのまま直進してまた扉を開ける。二階は小分けにされたショールームが沢山並ぶ不思議な構造なので、扉の多さも相まって最初のような派手な突入は余計に避けたい。


「気配で分かったりしねえのか?」


「隠れて息をひそめてる人質は見つけにくい」


 ましてなんの防護もなくこの熱にさらされ熱中症でも起こしてたら、アクセラちゃんでも気づくのはほぼ無理になる。意識のない人間、動いていない人間はそれだけで難易度が跳ね上がるそうだ。


「……ここ、たぶんいる」


 こうやってすぐに感知できるということはアクティブな人間、つまり十中八九盗賊。音を立てないようにそっと扉を開けて中を見たアクセラちゃんがわたしたちに指を2本立てた。続いて自分の顔を指さして見せる。

 2人、このままアクセラちゃんが制圧だね。

 こっちが頷くのを見て彼女は扉を開けはなった。低い姿勢で走りだすその背中を追って中へ入る。


「あん!?」


「……」


 気づいて反応を返したのはいずれも男。片方は金髪を逆立てた青年で手には鈍器。もう片方は目がどこを見ているのか分からない、ただ立ち尽くしてる中年。こちらはわずかに身動ぎした程度の反応。抵抗されたのか金髪男は手に小さな傷を負ってる。そして部屋には鉄臭さと薄っすら甘い匂いが充満してた。


「氷よ!」


「や」


 今度はきっちり準備してただけに魔法の発動も早い。気の抜ける気合を発してアクセラちゃんが振るった鞘付きの紅兎共々、賊の顔面を強打して意識を奪い取る……はずだった。


「あぁん?」


「……」


「え?」


 完全に昏倒させるに足る打撃力のはずだった。それなのに男2人はそのまま倒れることもなく、金髪男はわたしを睨み付けてくる。どちらも鼻や口から血を流して無事というわけじゃないのに。


「ディー、その魔法使いをぶっ殺せ」


「……」


 ぼたぼたと鼻血を流しながら男が命じれば、ディーと呼ばれた中年は無言でこっちに向かってくる。一歩ごとに不愉快な甘い匂いが増していく。


「こ、氷よ」


 もう一発、今度は威力を上げて打ち込む。拳大の氷塊は的確に相手の顔の真ん中へ着弾した。破砕音を上げてそれが消える頃には男の鼻は完全に折れ、頬にも小さくない裂傷ができてるのが分かる。それでも歩みは止まらない。

 こ、これ以上威力を上げたら、確実に死んじゃう……。

 ちらっと視線を向けて見ても頼りのアクセラちゃんは金髪男と何か小声で話してるようで、一向に片付けて駆けつけてくれる気はなさそうだ。

 違う、そんなことを待っていちゃだめ!


「土よ!」


 土魔法で足を縛りつける。とりあえず足止めに成功した。


「氷よ!」


 すっかり死にスキルと化していた『マルチキャスト』を引っ張りだしてきてアイスボールの連射。威力はむしろ一発目より下げたけど、手数をぐっと増やしてみる。どんどん生成されて撃ち出されて行く氷塊が『格闘』の連続技もかくやという勢いで男の顔を殴りつけ、その意識を狩り取ろうとする。


「……ぐぬん!」


 なんと、男はその状況で土の戒めを砕いて再進撃を始めてみせた。ただ正面から襲い来るアイスボールの圧力に実際距離は稼げてない。


「ど、どうなってるの……!?」


 ガシャガシャと顔で氷を受け止め続ける男。まるでダメージを受けていないかのような動きに背筋が寒くなる。普通の人間ならそろそろ頭蓋骨の骨折を起こしかねない数を当てたんだから当然だ。それでも牛歩で近付くその存在にレイルくんが射線を避けて飛び込んでくれる。


「おらぁ!!」


 茶色の盾が青く光る。レイルくんがその面を最大限打ち付けるように叩き込むと、男はピンポン玉のように吹っ飛んだ。そのまま壁に叩きつけられ、ショールームの壁は異音を立ててたわんだ。


「……」


 ようやく動かなくなった男にわたしはほっと息を吐く。


「あ、ありがと」


「いや、割り込む気はなかったんだけどな」


「ううん、わたしも手加減するべきじゃなかった……」


 慌てて取り繕うレイルくんに首を振ってその必要がないことを伝える。きちんと覚悟を決めるつもりで来たし、さっきは斬り飛ばされた腕を見てなんとも思わなかった。でもやっぱり打撃で意識を奪う以外の選択を取れなかった自分がそこにはいる。


「ん、エレナは間違ってない」


 またちょっと落ち込んでいるとアクセラちゃんがそう言ってくれる。目を向けると彼女の背後でもう一人の男はぐったり。死んではいないみたい。


「タフさが異常。あと様子もおかしい。会話が成立しなかった。たぶんなにか肉体を強化処理してる」


 強化処理と言われてもわたしには思いつくものがない。ただそのことは今重要でないからか、アクセラちゃんはわたしに金髪男を縛り上げるよう伝えてから大男の方へ歩いて行く。


「土よ」


 一階のときと同じようにがっちりと土魔法で拘束する。それからアクセラちゃんを見ると、彼女は説明の続きをしてくれた。


「あれだけアイスボールを顔に喰らったら痛みで歩は緩む。少なくともそのまま顔で受け止めて進んだりできない」


「うん、それはわたしも思った」


 彼の足が遅くなったのは頭を揺らされ続けたこととぶつかる威力によるもので、痛覚がごっそりなくなったような動きをしてた。


「ん、私もそう思う。恐怖か痛みを失ってたとしか思えない。そう言う意味で体を弄ってた可能性がある」


 不気味な結論を口にした彼女は男の前で止まり、抜刀して両手両足を斬り付けた。血が噴き出して腐った果実のような甘い匂いが一際強くなる。すかさず火魔法の赤が煌めいて傷は止血された。


「彼はその程度が酷い。目覚めたら止められなくなる。だから手足の腱を斬った」


「痛そうだな」


「痛いよ。それで、エレナの対応だけど」


「う、うん」


 淡々としたやり取り。まだその会話に入っていけるほど修羅場慣れしてないわたしは自分に話が向いたところで黙って頷く。


「得体の知れない相手を気絶させようとするのはいい判断。生きているのと死んでいるのでは得られる情報が段違い」


 予想外の褒め言葉にぽかんとするわたしを置いて、アクセラちゃんは屈みこんで大男の首に触れた。手を口にかざして息をたしかめてみたり、瞼を開いて光魔法を見せたりといろいろ確認をしていく。


「意識とんでて分かることなんてあるのか?」


「色々。瞳孔反射がほとんどないから、たぶん薬物を使ってる……確実とは言えないけど」


「あ、それはわたしがするよ!アクセラちゃん、指示して?」


「ん」


『観察眼』を持ってるわたしの方がこういう所は得られる情報が増える。彼女の言う通りいくつか身体的な反応を調べれば、薬物と魔法による肉体強化がされていると分かった。もしかしたら何か魔道具を体内に埋めているかもしれない。時間がないので今は分からないけれど。


「むぅ、やっぱり甘い匂いは血からしてるよね。糖尿病、じゃないと思うけど」


 糖尿病患者の初期症状では甘い体臭がして、進むと甘酸っぱい臭いになるらしい。実際に知ってるわけじゃなくて本の知識だけど、こんな腐りかけの果物みたいな酷い臭いじゃないと思う。それにあれは汗や尿、こっちは血だけだ。


「違う。盗賊3人が全員糖尿病なわけもないし」


 それもそうか。


「これも薬物かな」


「ん」


「まあ、賊にありがちな事だな。殺し、犯し、薬に走る」


 レイルくんが肩を竦めるとアクセラちゃんも残念そうに頷く。


「盗賊の習いなんて、もう誰も覚えてない」


 エクセルさまが幼い頃にいた盗賊はそういった仕来りを重んじる人が率いてたと聞いたことがある。

 農民崩れの盗賊は縄張りの害獣を食料にするなどで商人にも益をもたらす。逆に追い詰められれば生き残るために凶賊になる。そういう理由で通行料を持って盗賊の縄張りを通過するのが商人の習いとされてきた。ある意味で便利な必要悪として盗賊を飼いならすために。

 これに対応して盗賊たちが掲げたのが殺さず、犯さず、奪いすぎずという盗賊の習いだった。討伐されないための自衛であり、持続的に商人の習いを続けてもらうための文化。迷惑はかけても恨まれるようなことはしないというルールがあったのだ。


「なんだそれ?」


「ん……なんでもない」


 100年近く昔になるエクセルさまの幼少期でも律儀に習いを徹底してる賊は珍しい存在だったらしい。彼自身も大人になってから知ったそうだけど。それが今となっては、商人の方も盗賊の方も習いなんてほとんど失われてしまった習慣だ。

 分かってても想いはついて行かない。それはアクセラちゃんも同じなんだね。

 理屈ではもう習いなんて絶えて久しい風習だと分かってても、当時略奪で生計を立てていたエクセルさまの盗賊団にとって習いを守っているということは大切なことだった。誇れない生き方のなかで胸を張れる数少ないもので、縋って立つものだったんだ。

 凶賊は仕方ないにしても、本当は食い詰め農民や脱走奴隷の盗賊をできるだけ殺したくはないんだろうな。

 彼女も彼女で覚悟と葛藤を胸に戦っているんだ。わたしが目指すべき場所は、きっとそこにある。


~予告~

燃える商会の中で戦いは続く。

エレナの覚悟、その一端が示される。

次回、ブラックエッジ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情報を得たい時は生け捕り。そんな時はエレナの魔法は便利ですね。っていうかマルチキャストが死にスキルになるってエレナ凄いな。 [気になる点] ゾンビ映画のゾンビももうちょい仰け反ったりする気…
[一言] 作者さん、今回の更新もお疲れ様です! エレナさん視点か。 この盗賊達、本当に悪意満々の塊ですね。。。 エレナさんの今話その反応、仮に初めてこんな経験なら既に上出来と言いたいですけど、今まで沢…
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