八章 第9話 暗紫の靄
※※※お知らせ※※※
六章末に「六章 大体ここを見れば思い出せる!キャラ&魔物紹介(第三版)」を追加しました。
その結果、最新話のブクマがずれているかもしれません。ご了承ください。
また、随時キャラ紹介は模索しつつ実装していきたいと思います。
ぜひ感想やDM、Twitterにて仕様の提案や要望を投げてやってください^^
2020年4月24日
「ぷはっ」
水から顔を飛び出させて息を吸う。潜っていた時間はちょっとだったけれど、それでもアタシは空気が美味しく感じた。それがまた面白くて潜りたくなってくる。アクセラに投げ飛ばされるのも楽しかったけれど、こうして自分から水と戯れるのが一番好きかもしれない。
「エレナ、もう一回行くわよ!」
「アティネちゃん潜るの上手過ぎない?」
苦笑ぎみに言う親友。それもそのはず、他の多くの貴族と違ってアタシとティゼル、アロッサス家の軍人は誰しもが泳げるのだ。ここまでの大きさこそないものの、アタシたち子爵家の城は水の上に建っている。万が一戦争がおきたとき、自分の城の湖でおぼれ死んだんじゃ格好が悪くて冥界神の御許にすら行けないもの。
「でもアンタの魔法がなかったらこんなに深くは潜れないわよ」
少し悔しい事に今の潜水はアタシだけの力じゃない。ここにいる同い年の、それでいて何かが狂っているとしか思えないほど優秀な魔法使いのエレナがいなければ無理だ。潜水時間を長くするために呼吸補助や水中での視界確保、果ては水の抵抗を抑える魔法までかけてくれている。
「さ、切れる前にいくわよ!」
返事も待たずにアタシはもう一度水に飛び込む。目を開いていても痛くないし、陸にいるときと同じくらい綺麗に見える。ファールッツ湖は実家の湖より何十倍も大きいのに透明度が異様に高い。おかげでここからでも結構深くにある水底で長くて緑の草が、ゆらゆらと流れにのってそよいでいるのが見て取れた。
綺麗ね。
少し首を動かせばアタシの後を追いかけて潜ってくるエレナの姿。蜂蜜で黄金を溶いたような髪が水中で広がって、まるで太陽の使いが水底まで見ていてくれるようだ。白い水着から伸びる引き締まった足が美しく水を蹴って、本当に泳ぎの初心者なのかと疑いたくなる。
不思議な子よね。
同い年の娘を子と呼ぶのが正しいかは置いておいて、彼女の感覚はアタシのソレと大きく違っている。遊ぶことに魔法を惜しげもなく使うという発想は、アタシにはないものだった。魔法は秘儀で、切り札で、武器で、そして恐ろしい物だと教わってきたから。
でも、こんなに綺麗な景色が見られるなら……そういう魔法の在り方も悪くないわ。
潜るほどに青味を増す視界でそんなことを思う。魚の影が1つ、すぐ傍を抜けて行った。この景色だけで、ここ数か月抱いていた悩みが馬鹿馬鹿しく思えてくるほどだ。きっと陸に上がって、旅行が終わって、学院に戻った頃にはまた馬鹿馬鹿しい悩みに捕らわれるのだろうけれど。それでもこの瞬間、馬鹿馬鹿しいと思えたことはきっといい事なのだ。
アタシは魔法使いの適性が低い。きっとティゼルの方が向いている。そしてきっとアタシの方が弟より戦士の適正がある。でもそれが貴族の子供として定められた未来だからと、従ってきた。お互いの才能に押しつぶされないように、手を取り合って努力を重ねてきた。
そろそろ一回、腹を割って話した方がいいのかもしれないわね。鬱屈としてないで。
アクセラやエレナは自分の才能に合った道をひた走っている。それは時々羨ましくて、少し眩しくて、見ているだけで自分が影の中にいるような気持ちにさせられる。でもそれはアタシが輝き方を上手く分かっていないだけかもしれない。ずっと姉弟だけで支え合ってきたつもりだったけれど、レイルのバカやアベルやマリアにも小さい頃から助けられてきた。アクセラとエレナにだって、手紙で救われたことも教えられたこともある。
トライラント家での夏休みが終わったら、帰り道でティゼルにそれとなく振ってみようかしら。あいつ、妙なところでアタシより頑固だしね。
「んー!んー!!」
「?」
考え事をしながらさらに潜っていたアタシの耳に、ふと何か声のような物が聞こえた。それもかなり焦ったような声だ。潜っているのはアタシとエレナだけ。必然的に声の主は蜂蜜色の髪をした少女だ。音が聞こえるようになる魔法はかかっていないはずだけれど、もしかすると他の魔法の副作用で聞こえているのかも。
足でも吊ったかしら?
そう思って水を蹴る足を止めて、その場で旋回して後ろを向く。水面を仰ぎ見る形でアタシが目にしたのは、親友がアタシ目がけて短杖を振りかぶる姿だった。
「んん……!?」
状況が呑み込めず一瞬貴重な空気を吐きだしそうになる。寸でのところで留まって凝視すると、彼女の杖にはかなりの魔力が集まっているのが分かった。普通の目しか持たないアタシの、そう優れているわけでもない魔法使いとしてのセンスで感じ取れるくらいに。
ちょ、ちょっと……その魔力は冗談で済まないわよ!?
何を思っての行動か全く読めない。水中で会話ができるような魔法がもしあるのなら先にかけておいてもらえばよかった。そんな風に後悔していると、エレナは次の瞬間に杖を振り下ろした。その先は真っ直ぐこちらを向いている。
ちょ、はぁっ!?
青と赤の綺麗な短杖から放たれるのは一条の槍。水面から降り注ぐ光を映してきらめく、氷の槍だ。とんでもない魔力が籠った一撃にアタシの体が半ば無意識のうちに反応する。徹底的に叩きこまれた動作でキャットガーターから杖を引き抜き、迎撃の風魔法を唱えようと……そこでハッと気が付く。
水の中で風魔法なんてどうすればいいのよ!
詠唱がイメージで代替できるのはエレナから教わった。そうでもなければこんな状態から迎撃なんて選ばなかった。でも空気が欠片もない場所で風魔法を使うイメージが全く湧かなかったのだ。
どうすれば、どうすればいいの!?
パニックに陥るアタシを嘲笑うかのようにアイシクルランスは彼我の距離を駆け抜ける。そのままアタシを貫くかと思いきや、ギリギリ横を通り過ぎていった。
「……?」
ひんやりした水の流れが左腕を撫でていく感触に、いよいよ脳は大混乱だ。だが状況はそこで止まってくれない。ぽかんとしていたアタシを今度は後ろから強い波が襲った。先ほどのそれよりもっと冷たい水の流れだった。大きく煽られて上下感覚すら失うほどの衝撃。急激に冷やされた肌は粟立ち、バタつかせた手足からは熱が奪われて行く、
「もがっ」
そしてついにため込んでいた空気を吐きだしてしまった。
やばい、やばい、やばい……!
ここから普通に浮上するのだって空気がないと意識が保てないのに。薄っすらと開けた目は上と思われる方向へ上がっていく、私の肺にあった空気の塊を捉えた。泳ぎに長けたアロッサス子爵の私兵でも、水難事故で死ぬ者は毎年何人かいる。彼らはこんな気持ちで沈んでいったのだろうかと、嫌な思考が頭の奥から忍び出してくる。
やばいって……。
思考ではなく感情で危険を意識する以外にできることもなく、茫然と乱流にもまれている時だった。なにか暖かく柔らかいものがアタシを抱き止めた。突然止まったランダムな動きに頭が追い付かない。それでも目を開けてみると、そこには心配そうにのぞき込むエレナの顔があった。
だ、誰のせいでこんな目にあってると思ってるのよ!
咄嗟に思い浮かんだ叫びはしかし口から飛び出さない。本当に空気がないのだ。頭がじんわりと重たくなりだしたことに更なる恐怖を感じた瞬間、何故かエレナの顔がぐいっと近寄ってきた。オツムの回転が遅くなっていたアタシはそれを拒めない。何をされたのか分かったのは色素の薄い柔らかな唇が重ねられてから一拍遅れのこと。
「!?」
意味が分からず振り払おうとしても意外な力でホールドされていて無理だ。隔壁のように水を拒んでいた唇が無理やりこじ開けられて、与えられたのは空気。それは人工呼吸というか、空気の口移しだった。肺へ送り込まれる人肌の気体は潜る前に皆で食べた飴の爽やかな味がした。
「ん」
魔法の効果も加味してしばらくは耐えられるくらいの空気を飲み込まされたところで、しっかりと合わせられていた唇は解かれる。小さな気泡が2、3個水面へ昇って行った。混乱の四掛けくらいになって飽和しているアタシは銀色の粒を目で追う。しかしすぐにぐいっと引っ張られて、体ごと自分も同じ方向へ移動を開始した。
「ぷはっ」
「はあっ、げほげほ、げほっ」
水から顔を出したアタシはとりあえず空気をこれでもかと吸い込んで、そのまま数回むせてしまう。エレナはそのあいだ体に腕を回して浮き沈みが安定するよう支えてくれていた。
「アティネちゃん、大丈夫!?」
「だ、大丈夫じゃ、ないわよ!いきなり魔法なんて、何考えてるわけ!?」
助けてくれた以上突然殺意に駆られたとか、そんな狂気的で危険な理由じゃないことはわかる。でも何を思って攻撃魔法なんて放ったのか、それが分からなかった。
「ご、ごめんね!でも、あれを見て」
彼女がほっそりとした、それでいて触ってみると思いのほか硬い指でさしたのは真下。
「?」
とりあえずもう一度顔だけ水につけて水底に目を向ける。すると驚きの光景が広がっていた。
「な、何よ……あれ」
湖の底はかなりな範囲が真っ白に染まって、太陽の光にきらきらと輝いていた。水草もろとも氷漬けになっている。あの異様に魔力が込められた氷の鎗はただの鎗じゃなく、当たった場所で冷凍の魔法をぶちまけるものだったのだ。
後ろからきた冷たい波、あれが炸裂したときの衝撃だったのね……。
それをあれだけの短時間で組み上げたことにも、凍っている範囲の広さにも驚かされる。でも一番の疑問である何故はクリアされていない。
「ほら、これ」
顔を見合わせるとエレナは手に持った何かを見せてくれた。それは氷や水のように透明で、でももっと柔らかい物体。一瞬クラゲかと思ったけど、形は海草や水草の先端のよう。そして透明な中に黒っぽい、見ようによっては魚のシルエットのような模様がついていた。
「何よ、これ」
「ミスティックケルプっていう魔物だよ。知らない?」
「知ってたら聞くわけないでしょ!」
「ご、ごめん」
知識をひけらかした途端に怒鳴られてシュンとなるエレナ。少し罪悪感がわく。
「……ごめんなさい。それで、なんで魔物を握ってるのよ」
「アティネちゃんに巻きつこうとしてたから取ったの。心当たりない?」
言われてもう一度じっくり見てみる。そういえば考え事をしている最中に魚の影が近くを通って行った気が……でもそのときには確かにこんな植物体はなかった。こんなきらきらするガラスみたいな物が近くを通れば気が付くはずなのに。
「ああ、それはね」
こういうこと。そう言ってエレナが手ごとそれを水中に沈める。
「消えた……?」
「水と屈折率が同じだと水中で見えないんだよね。あ、屈折率っていうのは、透明なものでも向こう側が少し歪んで見えるでしょ?ざっくり言うとあれのことで、同じ歪み方なら分からないってこと」
分かるような分からないような。でもエレナが言うならたぶんそういうことなんだろう。だってこの子とアベルはなんだかんだ言ってアタシたちの誰よりも頭がいいから。ちなみに同じAクラスのレイルは実技で高得点だっただけで、筆記だけならBクラスのアタシたちと同レベルかそれ以下だと思う。
「絡むとどうなるのよ」
「水底に引きずり込まれるだけだよ」
「十分怖いわよ!」
後で聞くと植物系の魔物は捕まえた相手を中身だけ溶かして吸ったり、種を植えつけて苗床にしたりする種類が多いとか。それに比べれば引きずり込む「だけ」かもしれない。死ぬことに変わりはないけど。
「……助けてくれたのね」
「うん、そうだけど?」
当然でしょうと言わんばかりに、キョトンとして首を傾げるエレナ。
「ありがと。その、迎撃しようとして悪かったわね」
「それは仕方ないよ。アティネちゃんが優秀な魔法使いだった証拠ってことで!それにウォーターワードをかけなかったわたしのミスもあるし」
なんでもないと照れ笑うエレナは可愛らしい。同性のアタシでもちょっといいなと思うくらいには。
あれ、ちょっと待ちなさいよ。
「ウォーターワードって何よ」
「水中でしゃべれる魔法だよ」
あっけらかんと応える様は可愛いが憎たらしくもある。
こっちが知ってて当然みたいな反応しちゃって、これだから頭いい奴は!
「あるなら掛けときなさいよ、ソレ!!」
「うわっぷ!?」
その肩へ跳びかかって水に沈める。暴れるその手から飛んできたミスティックケルプの切れ端を水平線まで投げる勢いで捨て、しばらくアタシたちは水中で取っ組み合いをして……まあ、遊んだってことにしておきましょう。
「あ、でもアティネちゃん」
呼吸補助が切れて水中で暴れるのが難しくなってようやくアタシたちは休戦した。かなり際どいズレ方をしていた水着をお互いに整えてから、脱力して水面に浮かぶ。
背中の下に魔物がいると思うと完全に安らげないと思いきや、氷魔法が解けるのは明日の昼くらいだろうとのことだ。あれだけ深いと光が届いても結構冷たいらしい。
「何よ、エレナ」
もうすぐお昼だな。真上から容赦なく降り注ぐ太陽にそんなことを思う。
「えっと、その」
それまでの積極性やオープンな態度が嘘のように言葉を濁す彼女。それだけで同じ年頃の女として用件は分かってしまった。
「人工呼吸は人工呼吸、救命活動よ」
「あ、うん。でも、その、したこと自体言わないで貰えると……」
「わざわざ言いふらしたりしないわよ。変な妄想する馬鹿だって山ほどいるんだし」
綺麗どころが集まっているとそれだけで厭らしい妄想を始める男連中なんて、学院内でも山ほどいる。血の貴賤に関わらず男なんてそんなもんだ。
「ありがとう。でも、やっぱりいるよね、そういう人」
これだけ見た目のいい彼女なら何度もそういう視線で見られることはあったはず。……と分かっていても、エレナがそれをちゃんと把握していたことにアタシはどこか驚きを覚えた。どこかのほほんとしたところのある彼女ならそういう視点を欠いているのではと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
まあ、悪い事じゃないわね。
自然とそういう物を感知し、危険度を査定するように女はなるのだ。アクセラは例外だろうけども。あの子は危険になったらそこで対処すればいいくらいに思っていそうだ。できるが故の余裕と分かっていても時々ハラハラする。
「安心しなさい。アクセラは思ったりしないわ」
別に女だからじゃない。アタシたちだって異性や同性について興味があるし、見ていて変な気分になることもある。アタシはそういうモノを仕方ないと受け入れてる。でもソレとは違う意味でアクセラは大丈夫だと思える。
「そ、そうだよね……ってちょっと待って?わたしアクセラちゃんの事だなんて言ってないよね!?」
冷たい深層水で白さが勝っていた肌が一気に赤くなる。鼻から耳までを染め上げて目を丸くする様は幼さに拍車をかけるが、それでもアタシは恋する乙女の気配を嗅ぎ取っていた。
「アタシを誰だと思ってるのよ。見てれば分かるわよ」
その言葉に尊敬と照れを含んだ視線が突き刺さる。嬉しいような嬉しくないような。
「ア、アティネちゃんってやっぱりそういう経験も豊富……」
女としては少し誇らしい評価にも思える。少なくともアタシには。でも貴族の娘としては相当問題のある勘違いだ。
「ないわよ」
実際恋愛の経験はない。しかしきっぱり言うと尊敬のまなざしはもっと据わったモノに代わる。
「からかってる?からかってるよね?」
「ちょ、杖をしまいなさい!」
乙女にとって恋は一大事。いや、男もそうかもしれないけど。なんにせよ下手な事を言うのは良くない。根底に誠意があって初めてからかいなどは意味を持つ。なのでアタシは誠意を前面に出して喋ることにした。
「でも、ほんとにアタシからしたら分かりやすいわよ、アンタって」
「……」
真っ直ぐに目を見つめて言えば、エレナは事の重大さを思い出したように押し黙った。血筋に関わらず同性での恋は普通のそれよりハードルが高い。変な目で見る者は少なくないし、子孫繁栄を尊ぶ貴族や豪商からは遊び程度なら黙認するが……という風に思われている。世間一般に排斥すべしという動きこそないものの、広く歓迎されている指向とは言い難かった。
「さっきも言ったけど、言いふらしたりしないわ。偏見もないし。よく分からないとは思うけど、別に創世教の熱心な信徒でもないしね」
創世神ロゴミアスは子を成せない同性の結婚を奨励しない。禁止はしないが認めることはない。本人たちは創世教以外で挙式をすればいいことでも、多くの人間はなんとなく創世教に帰属している。そのままなんとなくで異物感を抱いているとしてもおかしくはないのだ。
でもアタシ、どっちかと言うと火焔神ハルーバの方が好きなのよね。情熱的で。
「そんなに分かりやすい?」
肩を落としていても頬は赤い。
「男には絶対分からないわ。それに女でも、恋愛経験が豊富か人を見るのが得意じゃないと……学院なら余計に気づきにくいんじゃないかしら。アタシが分かりやすいのは、人の恋路を眺めるのが趣味だからだし」
「割と趣味悪いよ、アティネちゃん」
折角安心させてやろうとしたのに、失礼な子だわ。冗談だけど。
「うるさいわよ。それで、根掘り葉掘り聞くのはまた今度としてもよ」
「あ、いつかはするんだね……むぅ、恥ずかしいんだけど」
赤味が増すその顔に悪戯心というか、嗜虐心のようなものが刺激される。
「それがいいんじゃない。で、アクセラ自身に脈はあるの?」
「……どうだろうね」
言葉と裏腹に顔には「ないんじゃないかな」と書いてある。でもそんな気はしない。数々の恋愛を傍から見て愉しんできた身としては、十分に脈があるほうだ。
「乳兄弟ってだけじゃ説明つかないくらいアンタのことを大事にしてるフシがあるわよ、アクセラって。それは自分でも気づいてるでしょう?」
貴族にとって乳兄弟は実の姉弟や親よりも近しい存在だ。そう言われてはいるが、実際の所アクセラとエレナほど仲がいいのは珍しい。もう少し距離があるというか、どこか関係自体に酔っているようなところがあるのが一般的。
指摘すると彼女は小さく頷いた。観察眼に優れるエレナなら分かっていないはずがない。自分たちの関係がただの乳兄弟より随分と強固で濃厚であることを。
「意外と押せばなんとかなるんじゃない?無責任なアドバイスで悪いけど」
無責任で、それでも的はそう外していないはずのアドバイス。当たり前だけど、誰しも最初から両想いで恋を始めるわけじゃない。恋とは時にはまったくのゼロやマイナスから始めて、あの手この手を使って育んでいくのだ。そう思えばエレナの状況は十分恵まれたスタートラインだろう。
「アクセラちゃんは家族愛が強いから」
「たしかに家族大好きってかんじあるわよね、アクセラ。でも他の家族と自分、向けられてる感情が違うと思ったことはないかしら?」
「なくはないけど、アクセラちゃんて全員に向けてる感情がそれぞれ違うよ?」
「それはそうだろうけど、そうじゃないというか……ああ、説明難しいわね!じゃあちょっと視点を変えましょう。仕草とか、対応に脈を感じ取ったことはないわけ?」
人の恋路を見るのはすきだけど口出しの経験はほとんどない。それが表現力として現れてしまっていた。
「そういえば、最近ちょっとわたし暴走気味で」
しばらく眉を寄せて考えていた彼女がぽつりと告白する。
暴走気味?恋愛で?頭でっかちなエレナが?愉しそう。
「どう暴走気味なのよ」
「スキンシップをとりすぎというか……」
いくつか挙げられた例にこっちの頬が熱くなる。一緒にお風呂へ行ったり同じベッドで寝るくらいは友達や姉妹とならするけど、エレナの場合はどさくさに紛れてかなりなセクハラを働いていた。寝てる相手の匂いを嗅ぐのはさすがにヤバい。
ムッツリだったのね、アンタ。
脳内評価を変な方向に引き上げるアタシ。いや、この勇気と言うか無謀さというか突っ走りは評価に値すると思うわよ。他人事みたいだけど、思春期ってすごい。
「アクセラちゃん、なんとなく距離感を意識して話してるみたいな時があって」
口を突いて出そうになった「そりゃそうでしょうよ」を飲み込む。絶対に傷つくし、不確かな第三者の常識で彼女の恋路を邪魔してはいけない。代わりに逆の可能性を示唆することにした。
「それって線引きをしようとしてるってことよね。性の対象としてでなく、姉妹や家族としてのラインで」
「せっ」
「寝込みを襲って匂い嗅いでるくせに「性」くらいで恥ずかしがらないでよ!」
見てるとこっちが恥ずかしくなってくるわ。
「寝込みを襲うって言わないでくれる!?」
「寝てるのをいいことに体中の匂いを嗅いでるなんて、襲う以外なんて言うのよ!」
「そこまでしてないもん!髪の毛と首筋だけだもん!」
「もん!じゃないわよ、十分変態よ!」
つい素直な感想が。彼女が愕然とした表情で固まる。
「へ、変態!?」
「そのうち下着とか嗅ぎだしそうで怖い感があるのよ、アンタは!」
ああ、口が勝手に追撃を……。
「流石にそこまでしないけど!?」
「じゃあどこまでならするのよ!洗濯前の服くらいならセーフとか言いだしそうなのよ!」
「ししししたことないよ!」
「え、したことあるの!?」
「ななないよ!」
赤い面積は耳まで広がっていた。アウトだわね、これ。
「したことある反応よね!?いくらなんでも引くわよ!」
「う、うがー!」
もう鎖骨まで真っ赤にしたエレナは奇声を発して跳びかかって来た。
「盛りのついた猫か!」
「人間は特定の発情期がないから年中発情期みたいなものでしょう!?」
「そんな学術的な逆切れされても困るのよ!」
「ばか!」
「変態!」
「ムッツリ!」
「それはどう考えてもアンタでしょうがぁあああ!!」
こうして第二次水中レスリングが開幕され、突発恋バナは終了したのだった。
このあと水から上がったエレナが考え込み過ぎて熱中症になったのは、断固としてアタシのせいじゃない。ないったらない。きっと水上鬼ごっこのせいなんだ。
~予告~
日も暮れたテラスに立つアベル。
アクセラが持ち出した呆れる提案とは。
次回、密約と信頼




