八章 第7話 一夏の男/女
背後には黒々とした岩肌の崖。正面には紺碧の湖。そして足元は純白の砂浜。
俺たちは今、ガウルフ近郊の伯爵家が所有するビーチに来ていた。
「うーん、いい天気で最高だわ!」
燦々と降り注ぐ太陽の下で大きく伸びをするのはアティネだ。
暗紫のクセ毛を後ろで一本に纏めた姿は実に活動的な印象で、褐色の肌に赤い……クロスホルターと言うんだったか、首の前で布が交差するタイプのビキニを纏っている。大きな双丘がぐっと上に持ち上げられて圧巻の一言。下は同色の薄布を重ねた膝丈のパレオを巻いている。太ももには黒いレースのキャットガーターが巻かれ、愛用の室内杖がたっぷりの色香と共に添えられていた。
相変わらず豪快かつ派手だね。
「ア、アティネちゃん、その、そんなに、大きく動くと……」
一番露出の少ない水着のマリアは躍動感たっぷりに揺れる親友の膨らみが気になる様子。心配半分に羨望半分なのか、その頬はかなり赤い。
彼女の水着は白地に黄色と青の花が刺繍されたワンピース。肩口や腰回りに長めのレース飾りが数枚重ねられていて、水着と肌の境界線を見せない構造になっている。淡い金の長髪といい、アイスブルーのタレ目といい、いかにも気弱で繊細な深層のご令嬢といった雰囲気だ。
下手すると一番根性が据わっているの、マリアだけど。
「2人とも、ちゃんと準備運動しないと溺れちゃうよ?」
一番遅れて着替え用のテントから出てきたのはエレナで、彼女は白いワンショルダーのビキニに黒いパレオを着ていた。肩から鎖骨まで傷の刻まれた左側を二の腕まで覆う純白の水着は右脇へとかなり大胆にカットされ、背中はほぼ全面的に曝け出されている。上のアンバランスさにパレオが対応しているのか、こちらは右側が膝下まであるのに左側は腰骨のあたりで結わえるだけ。ちらりと見えるビキニがどことなく見てはいけないモノを見ている気にさせる。
あー、ダメだ。暑いからか、ちょっと思考がおかしい。
ちなみに俺の水着はオフショルダーでハイネックの黒いワンピース。背中もしっかりカバーされていて、代わりに脇腹の辺りがオープンで編み込みになっている。下はミニスカート状だ。パレオと違って水着と同じ素材なのでこのまま水に入れる。一応取り外しも可能。白い髪とコントラストが綺麗だとエレナがオススメしてくれたので買ったけど、どうにも女性用水着のぴったり体に張り付く感触は未体験でソワソワする。
「それなら取りあえず準備運動で、そのあとまず水に入りましょうよ。暑いわ!」
夏の楽しさを倍化させる強烈な日差しだが、やっぱりただ浴びるには暑いことこの上ない。なんならこのまま立って話しているだけでも足の裏がこんがり焼けそうだ。
「ん、それがいい」
合意するなり俺たちは手足の筋を伸ばし、筋肉を解すための準備運動を始める。早く水の中に退避したいがためにお喋りもせず。これだけ見目のいい少女が集まって水着のまま黙々と体操をしている姿は、傍から見れば若干不思議なものだろう。あるいは年頃の男子には楽園かもしれないが。
男女別で残念だったね、皆。
これだけの露出をするのに貴族の男女が同じ場所で遊べるはずもなく。さすがに紳士な我が学友たちも抑え気味に未練気な視線を飛ばしてきていた。今俺たち以外でいるのは伯爵家が付けてくれた女性の使用人が数名、同じく女性の護衛が数名だけ。
「よし、終わったね!」
ストレッチが終わってエレナからゴーサインが出た。俺たちはとりあえず天然の鉄板と化している砂浜から湖へと走った。足の下でしゃくしゃくと崩れる小さな砂丘。足裏を焼く感触は、ゆったりと寄せては返す波の中へ踏み入れた瞬間に吹き飛ぶ。
「ん、気持ちいい……」
「お、思ったより、冷たくない、かな?」
「そうね。でもあんまりキンキンでも困るし、ぬるいくらいでいいんじゃないかしら?」
「それもそうだね」
それぞれの感想を浮かべながらくるぶしあたりで揺らめく水面を見る。斜めから見ると色付いて見えたそれは驚くほど透明度の高い水だった。波の影で網模様になった砂地がよく見える。
「この砂、もとは岸壁の一部だったんだって」
「そ、そうなの?」
エレナが指先で水面を撫でる。
「あの黒い岸壁、水にさらされると段々色が抜けて白くなる石でできてるらしいよ。雨風で砕けて、色が抜けて砂浜になって」
色が抜けるのは何かしらの成分が水に溶けだすからか。たしかここら辺は雨が少なくて水源はほぼ湖の湧き水だけ。それでも農作物がそこそこに育つのは、黒い岩の成分が栄養になっているからかな。
「湖の底の特別な泥と混じると質のいい断熱の塗料になって、それが結構いい収入源になってるみたい」
「このあたりの建物が白いのはそういう理由だったのね」
「そうそう」
武闘派のアティネも意外と気になるのか前かがみになって砂を掬い上げている。俺もひんやりとした水の下へと手を伸ばして取ってみれば、確かに海辺の砂浜のそれとはまた違った手触りだ。ひとしきりエレナの知識披露に感心したあと、俺は楽し気に砂を眺める大盛組に視線を向ける。
「2人とも。それはいいけど、パレオ脱いで来たら?」
「「あ!」」
熱い砂から逃げることばかり気にしてそのまま飛び込んでしまった2人。長い布は裾から水を吸って重くなり始めていた。別に水に付けたら駄目とかじゃないらしいけど、あれだけ長くてひらひらした布を纏って泳ぐのは危ないだろう。
「ぬ、脱いでくるわ!」
「熱っ……ちょ、一回冷やしたから余計に熱く感じる!」
慌てて裾を摘まみ上げた彼女たちは浜辺へ走って戻る。着替え用に2つ用意されたテントとは別に、草編のシートと遮光布のパラソルが用意されているのでそちらへ。再び襲い掛かる熱砂にぴょんぴょんと変な走り方をしながら。
「ふ、ふふ、あはは」
それを見てマリアが口元を手の甲で押さえながら堪えきれず笑いだした。誰よりも薄いお腹が白い布地の下で痙攣する。どうやら何かのツボに入ったようだ
「ん、マリア。先に泳ごうか」
「ふふ、う、うん。そ、そうだね、あはは」
口を押える方とは逆の手を取って少し沖へ踏み出す。柔らかく小さな手がぎゅっと握り返してきた。傾斜は緩やかで、太ももまで水位がきたあたりで腰を落とす。
「ひゃっ」
「ん、結構冷たかった」
ぬるかったのは表面だけで、意外と下の水はひんやりとしている。水着越しの冷たさが徐々にしみ込んでくる感触は独特だ。
でも気持ちいい。
「大丈夫?」
「ちょ、ちょっとびっくりした、けど、大丈夫」
二の腕や顔色を確認しても寒そうにはしていない。本当にびっくりしただけのようだ。
「こうするといい」
足を水底から離す。そして仰向けに体を横たえ、空を見上げるように浮かぶ。髪にも水が染み込んできて不思議な感じがする。それでも爪先から頭の天辺までたっぷりの日光が当たるおかげで、水の中にあっても暖かく感じられる。ぬるめの層に浮かんでいることもあるだろう。とにかく、体を冷やさないように人を待つにはちょうどいい姿勢だ。
体温を失って他の2人より早く退場とか、つまらないからね。
特に4人の中でマリアは一番熱が抜けやすそうな体形をしていることだし。
「え、えっと……」
人前で水着になる事も横になる事も経験が乏しいマリア。両手足を伸ばして横たわる俺を見て少し困惑気味だ。
「ん、支えてあげる」
躊躇っていても始まらない。そう思って俺は体を起こして砂地に足を付ける。そしてマリアの背後に周り、肩を掴んで引っ張った。
「わわっ」
足元の砂が滑ってあっさりと体勢を崩した彼女。反射的にバタつかせようとする腕をとって落ち着かせ、浮力が効くように寝かせて行く。水に浮かぶコツは尻を下げないようにすることだ。
「ほら、もう浮かぶ。力抜いてごらん」
手を離すと彼女の体はそのまま水面を揺蕩った。薄金の髪がふわっと広がって何かの絵画のようだ。
「あ、ありがとう」
まだ少し不安そうな彼女の横に同じように寝て空を見上げる。
「あ、ほ、ほんとだ。お日様が、き、気持ちいいね」
日の光に声から緊張が取れて行く。
「ん。太陽、直接見ちゃダメだよ」
「う、うん。あ、鳥がいる、よ」
視界を横切る大きな影。
「黒くて大きい。昨日の晩御飯?」
「ふふ、ク、クロカモメ、だね」
食材呼ばわりに苦笑が混じる。その名の通り、カモメのような優美な飛び方だ。結構な高さにいるはずなのに十分大きく見えるサイズ感さえ置いておけば。あれで攻撃的だったら本当に厄介だろうな。
「綺麗な飛び方」
「そ、そうだね」
会話が途切れる。マリアからは何か言葉をつづけた方がいいのかと逡巡する気配が伝わってくる。それでも俺はただクロカモメの飛空を目で追いかけることにした。しばらくすると彼女も彼女なりの落ち着き方を見つけたのか、最後の力みを体から消して鳥を眺め始める。
「のどか」
「う、うん」
「あとで泳ぎ、教えようか?」
「い、いいの?」
「ん」
脱力しきって水に浮かぶだけの時間。それは時の流れが遅くなったかのようにも思える、贅沢で穏やかな一時だった。ただそういう時間は唐突に、かなり乱暴に中断されるのが世の常だ。
「なにのんびりしてるのよ!」
「えい!」
「きゃぁ!?」
「んぐぅ!?」
悪戯に成功したと確信するような声。次の瞬間、沈んでもいないのに大量の水が顔を覆う。慌てて体を起こすとそこには第二の波が。
「そーれ!」
「ちょ、水をかけない!」
「いーや、よ!」
パレオを脱いで戻ってきたアティネとエレナがこれでもかと水をかけてきていた。
「2人だけで先に遊び始めるなんて、随分じゃないの!」
「ほんとにね!というわけで水かけの初手はわたしたちが貰ったよ!」
なぜか置いてきぼりにされた彼女たちのテンションはマックス。楽しそうにバシャバシャと波を作ってはこちらに飛ばしてくる。
「「それそれそれ!」」
「きゃ、わぷっ、ちょ、ちょっと、ま、待って!?」
「マリア、後ろに」
「え、う、うん!」
俺が手ずから鍛えたエレナと魔法使いにしては筋肉のあるアティネ。しかしいくら彼女たちでもこんな1m以上離れてもかかるほどの波を筋力で作れるわけがなく……。
「そんなことしても意味ないもんね!いくよ、アティネちゃん!」
「足引っ張るんじゃないわよ、エレナ!」
息を合わせて二人が唱えるのは風の魔法。単純な風を操るだけのものだが、出力担当がアティネでコントロール担当がエレナとうまくパート分けをしている。
合成魔法をこんなことに……アホか。
複数属性の魔法を掛け合わせるのも合成魔法なら、複数人で魔法を合わせるのも合成魔法と呼ばれる。専用のスキルがない限りかなり難易度の高い技術になる。それを即興でやるあたり、エレナの力量もさることながらアティネも結構な魔法使いだ。問題は非常に壮大な才能の無駄遣いで、しかも若干オイタがすぎること。
「マリア、息止めて」
「「せーの、ウィンド!」」
叩きつけられた風の圧力で水面はめくれ、俺の身長に近い大波を発生させる。素直に息を吸ってから口を押えた少女を小脇に抱え、めくれ上がったよりも下の水中へ潜る。浅瀬の底ぎりぎりを潜って波をやり過ごす。
「やったかしら?」
「ちょ、ちょっとやりすぎたかな?」
そんなことを言い合っているお馬鹿2名の後ろで浮上した俺はマリアをリリース。
「ぷはぁ」
「え!?」
「う、後ろ!?」
彼女の息継ぎで振り向くも、時すでに遅し。俺は空いた手でエレナの足首を掴む。そして抵抗する余地も与えず引っ張る。
「うわっぷ!」
水面に倒れた彼女の軽い体ガッシリ確保し、数m向こうの水面に投げ捨てる。
「わ、わーっ……がぼぼ!?」
着水を確認して青ざめるアティネ。しかし魔法使いと剣士だ。逃げられるはずがない。あっさり同じ運命をたどり、怪我をしない程度に沖の方で水柱を立てる褐色娘。
「直接的な魔法は禁止。危ない」
「え、えっと……な、投げるのも、危なくない、の?」
「大丈夫。周りに暗礁はなかった。着水も怪我はしない程度」
水面に当たって怪我をするのはよほどの速度が出ているか、高さを稼いでいるかだ。数m投げたくらいで怪我はしない。
「じゃ、じゃあ、その……」
頬を染めて言いにくそうにする姿は非常に愛らしいもの。波に反射する太陽や水着が余計に可憐な光景にしている。レイルに申し訳なさすら湧いて来るくらいだ。
「どうしたの?」
「そ、その、わ、私も……私も投げて、ほ、欲しいなって」
「ん。……ん?」
目をキラキラとさせるマリア。そこには恥じらいと躊躇いはあれど恐れはない。
本当にこの子のビビるポイントが俺には分からん!
「あ、あんな風に?」
「う、うん。楽しそう、だなって」
楽しそうか?
首を傾げつつも頼まれて断るような事でもない。もう一度だけ確認をしてから俺は彼女のことも持ち上げ、勢いをつけて遠くへ放り投げた。
「きゃー!」
彼女は言った通り、とても楽しそうな悲鳴を上げて水柱と消えた。
なお、そのあと3人にせがまれて何度も何度も投げるはめになった。
明日は筋肉痛確定だな。
~★~
女子が遊んでいる浜とは岬を挟んで反対側になる場所でオレたちは遊んでいた。脱力しきって頭を起点にそれぞれ別方向へ体を横たえてるので、浮かんでると言う方があってるかもな。
さぞ姦しく遊んでることだろうが、さすがに穏やかな海でも声は聞こえない。一応頑張って泳げば遠目に姿くらいは見れるかもしれない。
「覗きに行っても俺は止めないよ、レイル」
「そうですね。今回は止めませんよ」
何も言っていないのに2人の声狙ったようなタイミングで聞こえた。
「お前ら、オレのことなんだと思ってるんだよ」
冗談半分だって分かっていても眉が寄るのを止められない。誰が覗きなんて破廉恥な真似をするか。
「いやいや、するとしたらレイルだろ」
「おいコラ、それどういう意味だ!」
「唯一恋人がいるわけですし」
「そうそう、そういう意味さ」
マリアの水着姿か…………見たくねえって言うと、嘘になるよな。
こういう時は少しだけ、そう、ほんの少しだけ貴族って肩書が邪魔に思える。貴族じゃなければもっと気楽に付き合えるのに、と。もちろん誇りと責任が嫌になったわけじゃないけど。
「別れ際に未練たらたらな目で見てたじゃないか」
「見てねえけど!?」
「未練たらたらとまでは言いませんけど、見てはいましたよ」
「う、いや、それはマリアがちゃんと泳げるか心配しただけで……」
我ながら少し言い訳がましい言葉にまたも2人の笑い声が聞こえる。
「いいと思うけどな、青春ぽくて。俺たちは誰もいないから、それなりの興味でチラチラ見る位だけど」
「よく言うぜ」
軽口を返すティゼルに呆れる他ない。そんななか、無言の同意を求められたアベルは黙りっきりだ。
「……」
「いや黙らないでよ、アベル。興味ないわけじゃないだろ?」
「う……」
華麗に俺のツッコミはスルーしてアベルに矛先を向けるティゼル。
「アティネってやっぱり大きいよね。俺は姉弟だからそっちに興味はないけど、服の上からでも揺れるのは破壊力が半端じゃない」
たしかに大きい。ついつい目が行きそうになるときが極稀にあって困るな。極稀にな。
「マリアは……言及したら隣からスキルぶち込まれそうだから置いておくとして」
「おう、賢明だな」
「エレナもそこそこ以上に大きいし、上も下も」
「ちょ、あの……上も下もって……」
「アベルは尻派?俺は足かなあ。そういう意味だとアクセラもいいよね、すらっとしてて適度に筋肉質で」
「あわ、あわわ……ごぼぼぼ」
「そのくらいにしとけって、ティゼル」
眼鏡の下から耳まで赤くなってるアベルが脳裏に浮かぶような声が漏れ始めたので止めに入る。オレもこういう話題が得意なわけじゃないけど、アベルは自分のそういう部分となると即逃げだす。あまりに苦手なせいで冗談でも長く弄らないのがオレたちの暗黙の了解になってるくらいだ。今日のティゼルは少し意地悪がすぎる。
「ほら、恋人の居ない俺だってこれだけ興味はあるんだ。あれだけ溺愛している婚約者相手に見たいと思うのは自然なことだと思うよ?」
「なんか誘導尋問っぽいんだよなぁ……でもしねえぜ」
どこかニヤニヤした声のティゼルにきっぱりと言う。時々こうして人を変な方向へ誘導しようとするクセがあるのが、彼の悪い所だ。
「はぁ、お前はそう言う奴だと思ってたよ。まあ俺もしないけどさ」
「なんだそりゃ。ていうか思ってたんならこれ見よがしにため息つくなよ」
てっきり自分が見たいから道連れを呼び込んでるのかと思った。
まあ、でもコイツならそんな小細工しなくともいいか。
「少なくとも学院の間は付き合い続ける友達だ、気まずくなったら困るじゃないか。それに覗きなんてしてアティネに見つかったら、怖いだろう?」
なんだかんだでモテるティゼル。文字通り「経験」の差なのか、こういう話題では妙な余裕を見せてくる。
「はいはい。見つからない範囲、後腐れない相手と遊ぶんですね」
復帰したアベルが棘満載の返事をするが、それもどこ吹く風でカラカラと笑うティゼル。実際、関係がこじれないような相手と頻繁に関係を持っているといつぞや聞いた覚えがある。イマイチ想像がつかないけど、女子にも火遊びをしたいだけのやつはいるらしい。さすがに平民相手に権力で黙らせて、なんてことはしてないと信じてる。
なんにせよアティネやマリアは想像すらしてないよな、ティゼルのこの一面は。アクセラあたり気づいてたりしてな、時々あいつのこと男友達かと思うことあるし。
「火遊びねえ」
「レイルには似合わないよね」
「ティゼルは、まあ似合いますよね」
褐色の肌に暗紫の髪、暗紫の瞳、精悍な顔立ち、細身だが鍛え抜かれた体。同じ戦士の道を志す者としては、とても無駄がない美しさがある。女ウケ、はよく分からないがいいんだろう。
「そもそも覗きって言ったって、もう体力がねえって」
「まあ、たしかにね」
「ですねえ」
時刻は夕方手前、既に散々遊びまくったあとだ。泳ぐ速さ、潜る速さ、潜る深さ……それらを色々な泳ぎ方や縛りで散々競い合った。結局勝率はオレ4割ティゼル6割のアベル完敗。それでも最後まで脱落せずに頑張った辺り、アベルもかなり体力がついてきた方だ。
そういえばアベル、昔はほんとに体力なかったもんな。
病弱と言う程ではない。でも体力はなく、武器の扱いも拙く、そもそもあらゆる運動が苦手。辛うじて乗馬が嗜み程度で他は貴族の男児としてはいくら知略のトライラント家でも問題があるレベルだった。
それが今じゃ曲がりなりにもオレたちに付いて来れるだけの体力と、戦闘学で落ちこぼれないくらいの反射神経か……がんばったんだろうな、こいつも。
ティゼルだってそうだ。体格に秀でているわけじゃない。それを努力でここまでカバーして、Bクラスだとかなり上位の成績を期待されてるとか。来年こそはAクラスに上がってきてくれるかもしれない。
その時のオレが落ちてたんじゃシャレにならねえから、がんばらないとな。
戦闘学は大丈夫だ。問題は座学、特に神学と数学。ついつい戦いの腕前を磨くことばっかりしてしまう。冒険者としての勉強もしないといけないし。とそこまで思って、アイツの顔がふと浮かんだ。
マレシス……。
最初は拗らせた奴だなと思った。それでも真っ直ぐなトコとか、努力家なトコとか、忠義に篤いトコとかイイ面だって山ほどある男だった。アクセラを一方的に敵視してた頃からオレは結構仲良くなれていたし、2人が仲良くなってからはネンスを加えて4人でつるむことも増えた。
「……」
もしネンスとマレシスの都合がつけば、夏休みの最後に全員で大規模なダンジョン攻略をするはずだった。予定をしっかり詰める間もなくあんな事件がおきて、結局そのまま休暇が始まってしまったけれど。
「アベル、ティゼル。お前らなんか悩みとかあるか?」
その質問は、我知らず口からこぼれ出た。
「どうしたのさ、突然」
問い返すティゼルの声に困惑が宿っているのが分かる。そんな声を彼が出すのは結構珍しいことだ。でもそれは突然の質問だったからじゃない。この2人は、オレが2人ともそれぞれに何か抱えてると分かっていて話のきっかけに質問をしたのだと、そこまで理解しているから訝しむのだ。
ティゼルは女遊びを始めたあたりから本心をあまり言わなくなった。でも遊んでいることそのものを教えてくれるのは、どうしようもなくなった時に逃げ込む場所をオレたちの心に作っておきたいから。オレもアベルもそう分かってるから、普段はからかうだけで止めおく。
アベルはティゼルほどストレスを躱すのが上手じゃない。昨日の夕方くらいから何かをずっと考え込んでいて、それが気になったから俺は疲れ切るまで運動に誘った。ティゼルが殊更セクハラじみた話題を選ぶのも、夏の空気に置いて行かれそうなアベルを気遣って……だと思う。
やっぱり、この2人の事は結構わかる。だからこそ、そこまでお互い分かってるのにオレが迂遠な切り口で態々話し始めたことに違和感を覚えたんだろう。
「ずーっと考えてんだよな、あれから」
「……マレシス君ですか」
「おう」
もくもくとした雲を見上げて頷く。真水が口元にかかって冷たかった。このやり取りだけでアベルとティゼルがなんとなくオレの気持ちを察してくれたような気配がして、もうモヤモヤしていたモノが少しだけさっぱりした気がする。
「あいつのこと、分かったからって何ができたとも思わねえけどさ。でも何も分からねえままに死んじまって……そんなの、もう嫌だなって」
小さな波に体が上下する。オレはいつもそうだ。状況に揺られるだけで動けてない。お互いをこれだけ理解できても、自分で泳いで隣の奴に手を貸してやることができない。
「……」
「でも、いずれ俺たちはそれぞれの家に分かれて生きて行くことになる。言えないことが増えて、言える機会が減っていく。そうじゃないか?」
黙りこくったアベルに対して口調を正したティゼルが言うのは至極真っ当な意見。そう、いくら仲が良くてもオレたちは別々の派閥に属する別々の家の人間。利害が対立すれば友情を優先するわけにはいかなくなるのが当然だ。
でも、ティゼルが今の言葉を否定してほしいのは分かるんだよな。だったら何か、できるんじゃねえのか?
「そうだけど……そうだけどよ。なんか、どうにかできねえかなって思うんだよ」
結局口からハッキリした否定は出てこなかった。これが今の限界なんだろう。
「……できるんでしょうかね」
「できないかもしれねえけど」
そんなに簡単にできるなら誰かがもうしてるはずだ。
「ははは、なんだそれ」
「できなくても、してえなって!どうにかさ」
あっけらかんとした笑い声に克己心だけで上げた大声は、やっつけの圧を失ってすぐに尻すぼみになってしまった。
「ぼんやりしてるなあ」
「してますね、ぼんやり」
我ながらそう思う。なんの形もつかめてないアイデアだ。具体性もない、実現する力もない、説得力もない。ないない尽くしで嫌になるほど、オレの頭は回転が遅い。
「やっぱダメかな」
「それは何かしらやってみないと分からないだろうけど。でもしてみてダメだったら嫌だよね」
横から細い影が差し込む。視線だけを動かすとティゼルが手を傾きかけの太陽にかざしていた。それが絶妙に日光を遮ってオレの方に影を落としてる。
「していいんでしょうか、できるできない以前に」
「さあね」
「したいんだけどな」
モヤモヤを3人で共有して、それでも波に揺られるだけなのはお互い同じで。
「アクセラさんなら、なんとかなるって言う所ですね」
「なんとかならなきゃなんとかする、か」
「言いそう」
「言いますね、絶対」
感情の読みづらい表情で淡々と言う姿が目に浮かぶようだ。アクセラの言葉は納得できることばかりじゃないけど、なぜか説得力がある。それはきっと誰よりも冷静に周囲を見て、考えて、決めて、実行する力を持ってるからだ。きっとアイツが見てる世界はオレたちと少し違うんだと思わされる。
なんで違うんだろうか。
「結局強さが足りねえのかな」
アクセラとオレたちの違いを一番端的に表すなら、強いかどうかだ。
「強さだけじゃないでしょうけどね、あの人の場合は」
アベルの訂正も分からなくはない。アクセラの強さは力だけじゃないし、それ以外にも特別なところは色々ある。でもどれか一つ、一番特徴的な要素を抜きだすならどこか。その答えはきっと誰が答えても同じだ。
「絶対条件は強さだよね、アクセラは」
泰然とした態度も考え方も、無茶苦茶を山ほど含んだ生き方も、全部強さが源流にある気がする。
いや、そこまで言うと違うか。
きっと何かあるんだろう。強さと密接に絡んでいて、アクセラの在り方に影響している大きなモノが。それが思想なのか経験なのか生来の性質なのか。全然見えてこないあたりオレが一番分からないのはアイツのことかもしれない。
なんにせよ、強さは重要な要素だ。
「強くなりてえなあ」
「なりたいねえ」
「なりたいですねえ」
腹の奥から漏れ出すような声が3つ、夏の湖と空の青に溶けて消えた。
~予告~
湖の昼下がりは人を惑わす。
恋にくすぶる乙女をもまた……。
次回、猛暑の惑い




