八章 第4話 トライラント伯爵
※※※お知らせ※※※
五章末に「五章 大体ここを見れば思い出せる!キャラ&魔物紹介(第二版)」を追加しました。
その結果、最新話のブクマがずれているかもしれません。ご了承ください。
また、随時キャラ紹介は模索しつつ実装していきたいと思います。
ぜひ感想やDM、Twitterにて仕様の提案や要望を投げてやってください^^
2020年3月23日
『固定具に掴まれぇ!』
『速度を上げるぞぉ!!』
伝声管を伝って室内にどら声が轟く。この客船を操る水夫や乗組員の雄叫びだ。それを聞いて俺たちはもう一度しっかりと体に回されたロープの結び目を確かめた。場所はプレイルームの前方にある観覧室。可能な限り大きく取られた窓には歪みの少ない良いガラスがはめ込まれていて、外の景色を見せてくれている。川幅が狭くなっているとはいえ、たっぷりとした流量を誇る美しい水面だ。
「少し遠いですが、見えますか?」
「ん、あの白いの?」
「はい。あれが我がトライラント伯爵領の領都ガウルフです」
わずかに声を弾ませたアベルが言う。俺たちの視線の先、進行方向からして右の岸の遠くにはたしかに白い外壁が見えていた。ガウルフ、俺たちがこの夏休みで最初に逗留する場所であり、アベルの実家でもある。
「でもコレ凄いね……本当に登れるの?」
聖魔法のオーバードーズでなんとか体調を普通に保っているエレナが尋ねる。マリアともども、その顔に学院でさしていた陰りはもうない。そして質問の方はガウルフの街ではなく、目の前に広がる川面へ向けたものだ。
「確かにすごい流れ」
源流へ遡っているのだから当然かもしれないが、川の流れはこちらへ向いている。それもこれまでの船旅とはケタが違う強烈な傾斜と勢いなのだ。今もざぶざぶと船の舳先に割られた波が高く上がって窓の下側を濡らしている。
これは川というか、ちょっとした滝では?
そんな感想が湧くほどに流れは強い。事実、先程から全くと言っていいほど前進していない。なぜこんなことになっているかと言うと、本来の川はここより大きく東へ伸びてガウルフの向こうから湖へと繋がっているのだ。そちらもかなり足を鈍らせられる流速で、遡っていてはさらに1日かかるという。そのため先々代のトライラント伯爵がこの運河を掘り抜いた。結果として最短ルートが開拓できたものの、代わりに強烈な高低差が発生し……ということらしい。ちなみにココをどう乗り越えるかは俺もエレナも知っている。
「まあ見てろって、すげえから!」
興奮した様子で唇を吊り上げるのはレイル。彼らはアベルに招かれてこれまでもガウルフへ来たことがある。そして言うのだ。知識として知っていてもあの光景は凄い、と。その言葉はエレナの好奇心を大いに刺激し、俺はいつもの倍ほど聖魔法行使に力を使わされていたりする。
いいけどさ、エレナが楽しんでくれるなら。
『加速器ィ始動ォ!』
旅の間ずっとしてきた会話を、おそらく最後の一回繰り返していたときだった。二度目のどら声が轟く。経験済みだろうにマリアの肩が傍から見ていて分かるほど跳ねた。伝声管の向こうからは薄っすらと復唱する乗組員の声も聞こえてくる。臨場感を出すためか、わざとこうして音声を流しているようだ。
「くるわよ」
アティネの言葉が聞こえるか聞こえないか、それくらいのタイミング。
ギ、ギ、ギ、ギ、ギ……ゴゥン。
足元で船のフレームが圧に耐えるような音がして、ガクンと大きく揺れた。
「わわっ」
「きゃっ」
姿勢を崩したエレナとマリアを俺とレイルがそれぞれ受け止める。頬を染めてはにかむマリアに対し、エレナの視線は窓へと固定されていた。
「ほんとに加速するんだ……」
先程よりも激しくぶつかる波しぶき。砕けた飛沫が窓を半ばまで濡らし、荒々しい音を室内に届ける。流れが急になったわけじゃない。船足が速くなったのだ。そしてそれは今なお速くなり続けている。
「おー!コレだコレだ!」
レイルが叫んだのは船の速度が最初とは比べ物にならないほど上がった頃。舳先が大きく水面から上がり、船体はまるで斜めに立ち上がるような姿勢になっていた。もちろん俺たちは傾いた床に立って、手摺を掴んで窓から外を食い入るように見ている。結んだロープが体を支えてピンと張っていた。
馬車で走るのと同じような勢いで後ろへ流れて行く景色。隣村の子供だろうか、岸辺から手を振る少年たちが過ぎ去り、海鳥が並走するように近づいて来る。ここが甲板ならばきっと胸がすくような強い風が吹いていることだろう。
「結構跳ねるもんだね!」
「それがいいんじゃないの!」
非日常の揺れと速度を味わいながら双子が言う。冷静沈着なティゼルまで目を輝かせているのが印象的だ。そして2人とも鍛えているからか、手摺こそ持っているがしっかりと自前の足で立っている。
「他じゃ中々体験できねえもんな!」
「そ、そうだね……ひゃっ!?」
レイルとマリアはいつもの調子といえばいつもの調子だ。だが少年はしっかりと婚約者の腰に手を回して支え、少女もそれに身を委ねている。すっかり2人の空間になっているあたり、愛し合う恋人というのは凄いものだ。
「あ、今の見た!?知らない鳥だったよ!それにほらほら、あそこで水面から飛び出してるのって魚だよね!何してるんだろ!?」
「エレナ、楽しいのは分かるけど落ち着いて。危ない」
高速で航行する船自体も楽しみつつ、エレナは流れ込む大量の情報に好奇心を最大稼働させている。俺はその体をいつでも支えられる場所に立って、その視線の先を自分の目で追いかけまわしてはときおりアベルに助けを求めていた。
「あれはクロカモメですよ。魚の方はトリクイと呼ばれています」
故郷の光景に興奮してくれるのが嬉しいのか、彼も心なしかいつもよりさらに饒舌に説明をしている。さすがに船の絡繰りには慣れ切っているらしい。
「今のは……あ、そろそろ来ますよ」
そんなアベルがふと言葉を切って窓から外を見るよう促した。俺たちの視線の先、押し寄せる水はもうすぐそこで途切れてしまう。傾斜のせいでまだその先は見えない。
「?」
俺とエレナが首を傾げようとしたときだ。
ドン!!
一際大きな揺れと共に船は目の前の水平線を踏み越える。
「……わぁ」
誰の口から洩れた声だったのか。そんなことには意識が回らない。ただただ、現れたパノラマに圧倒される。
これは、たしかに凄い。
眼前に広がるは一面の紺碧。太陽を反射してきらきらと輝く湖面がはるか遠くまで続いている。その縁に点々と並ぶ村や街は多くが白亜の外壁を持っていて、特にガウルフを囲う壁と港は荘厳と言っていいほどに美しい。停泊する船はフラメル川を航行するそれらと大きく形が違い、いわゆる外洋船に似ていた。
「これがフラメル川の源流、ファールッツ湖……」
「そうです。美しいでしょう?」
アベルが誇らしげに頷くのも道理だ。この碧がかった湖を上から見れば宝石のように見えることだろう。それを取り巻く自然と街並、行き交う個性豊かな船、そしてここにしか生息しない海鳥や水生生物。静養地としても観光地としても貧富の隔てなく支持されている由縁が一目で分かった。。
「すごい。それ以外の言葉が出てこないくらい」
「そう言ってもらえると思っていました!エレナさんは……楽しんでもらえてるみたいですね」
「ん」
俺とアベルが言葉を交わす間、彼女は小さい子供のように窓へべったり張り付いて観察を続けていた。これが彼女なりの、なによりの楽しみ方だということは彼も知っている。もうすぐ成人とは思えないほど無邪気な様子に、大人びた面子は苦笑を浮かべてお互いを見合った。
「もうしばらく、ここにいましょうか」
「ん、ありがと」
アベルの気遣いに俺は少しだけ口の端を吊り上げる。エレナとレイル、どちらの興奮が先に落ち着くか考えながら。
~★~
ひとしきり湖の絶景を楽しんだ俺たちは本来の航路に従ってガウルフの港へと入った。ネヴァラの港よりなお大きく、停泊する船の数や種類も大きく違う。そこには異国の景色かと思えるほどの差があった。
「改めまして、ようこそ我がトライラント家の領都ガウルフへ!」
タラップを降りたところで誇らしげな歓迎の言葉。アベルはどこかホッとしたような気配を纏いつつ、手慣れた調子で少し離れたところにある馬車を指さす。
「迎えが来ています。早速領主邸に向かいましょう」
まずは領主の館に向かう。それから挨拶や荷解きをして館を散策。今日はもう昼時も過ぎているのでその後夕食を頂いてお仕舞だ。街を見たり湖に繰り出したりということは明日以降のお楽しみである。
「流石に一台には乗れないね。男女で別れようか」
「それがいいわね」
双子の提案に従って俺たちは2台の馬車に分乗した。女子サイドはエレナと俺が進行方向に向いて、あとの2人がその正面に来るように。それなりに大きい馬車を用意してくれていたのでまだまだ余裕はある。ただあんまりぎゅう詰めにするのも貴族らしさに欠けるので、あるいは丁度いいのかもしれない。特に成人目前の男女だし。
パシン!
鞭が馬の尻を叩く音が聞こえ、驚くほど静かに馬車は走り始める。揺れも少ない。それだけ腕のいい職人がガウルフにはいるのだろう。高レベルのスキルを持つ職人が作った馬車は、揺れにしろ軋みにしろほとんど感じられない仕上がりとなる。船もそうだが、スキルのみで作った方が実用的で安定した、信頼できる品物に仕上がる場合もあるのだ。
住み分けだな、要は。
なんでもかんでも技術でする必要はない。普段から意識していないとすぐ忘れてしまいそうな、しかし当たり前の事。それをしっかり思い起こしながら外へと視線を向ける。前世と合わせても見たことがない独特の街並へと。
「こ、こんなに、白い建物、多かったんだ、ね」
「そうね。前に来た時はあんまり理由まで考えなかったけれど、なんでなのかしら」
マリアとアティネの言う通りだ。ガウルフもそうだが、船から見える限りの湖畔の街はどこも白を基調にしていた。
「そ、それはね……うっ、み、湖の、うぅ……」
俺たちの疑問に答えるのは呻き混じりの弱々しい声。カルナール百科事典を読破し学院でも図書室の常連と化しているエレナにとっては既知のことだったようだ。ただし早速馬車に酔って真っ青になったまま披露することじゃない。
「エ、エレナちゃん、無理しなくて、いいからね……?」
「ん、ついてからでもいい」
「休んでおきなさいよ。無理して吐かれたらそっちの方が大変だわ」
「う、うん……」
自分の状態は一番よく分かっている彼女だ。説明したいという欲求を抑え込んで大人しく引き下がった。俺はそんな妹との距離を詰め、目を瞑って耐える彼女を自分の体にもたれかけさせる。
魔力にもう余力はないけど……一応、聖魔法もかけておくかな。
「ひゃわ!?」
「ど、どうしたの?」
突然背筋を伸ばして悲鳴を上るエレナ。それまでいつもの100分の1ほどに大人しくなっていたのに。マリアとアティネの目が揃って丸く見開かれた。
「や、な、なんでも、なんでもない、よ!?」
明らかになんでもなくはない狼狽え様。くすぐったさと驚き、困惑、それにわずかの恥ずかしさ。そんなごちゃ混ぜの表情をもとからド下手なポーカーフェイスにくるもうとして失敗している。
「ア、アクセラちゃん、何してるの!?」
密着する俺にしか聞こえないくらい極端な小声で詰問するという微妙に器用な芸当をしつつ、エレナは背筋を伸ばしたまま体をよじる。この状況の原因は、当然だが俺だ。座席の背もたれと背中の間に手をねじ込んでいるのだ。彼女は突然背中を触られるくすぐったさと何をされているのか分からないという困惑を味わっているのだろう。
「ひっ……背中なぞったら、ぞわって、ストップストップ!」
無理に突っ込んだ手を彼女が反射的に体で押さえ込んでいる状態。まともに掌を当てようと思うとどうしても柔らかい背もたれに任せて手をもぞもぞさせるしかない。
「ちょ、引っ掛けてる、下着引っ掛けてるから……!」
うん、ちょっと指先が下着の縁に引っかかった。でもそこまで慌てなくても、無理に動かして痛い思いをさせたりしない。中身が中身でも、一応15年近く少女で通してきたのだ。
「じっとしてて、魔法かけるから」
「え、あ、うん」
ようやく理解が追い付いたのか、エレナの抵抗が一気に沈静化する。
「エレナ、どうしたのよ?」
「な、なんでもないよ……!」
問われたあたりでプチパニックを脱してまた吐き気が戻ってきたのか、せわしなく顔色を悪くして首を振る。それを視界に写しながら小声で起句を唱え、聖魔法中級トランクィリティを発動させた。
「つくまで少し眠るといい」
今度は全員に聞こえるよう大きめの声で言う。
「う、うん。そうだね、ありがと」
ぎこちなく頷いて再び体重を預けるエレナ。平熱よりやや高いその温度を受け止め、俺は肩に手を回して支える。魔法の効果もあってか、彼女は数舜を置いてすぐに眠りについた。そのあとは2人が遠慮してくれたこともあり、到着まで馬車の中には穏やかな寝息と石畳を車輪が打つ脈拍のような音だけが残った。
なんだかメルケ先生と屋上にいたときみたいだな。
彼との時間は多くを語らなくともいい、静かな時間だった。賑々しく話をするのも好きだが、沈黙が心地いい関係というのは得難いものでもある。それを思えばアティネたちとの仲も時間をかけていけばそうしたモノになるのかもしれない。
~★~
トライラント伯爵領領都ガウルフの中央に建つ荘厳な、しかし小さめの城。白亜の外壁と高く高くそびえ建つ中央の尖塔が特徴的なそれは、領主であるトライラント伯爵が代々住まうとされる場所です。
もっとも伯爵本人は年のほとんどを王都で過ごすわけで、城は歴史を誇示する観光地の側面が強いでしょう。実際に半分ほどのエリアは一般に公開しており、貴族でなくとも入城料を納めれば見て回ることが可能です。
そんな見た目に似合わず風変わりな城の一般開放されていない部分、伯爵家が領政をとりしきり時には住まうエリアの奥深く。最奥の間と呼ばれる場所へ繋がる扉を音もなく開きました。
「御苦労」
「いいえ、伯爵様」
片手で労うその人物に深々とお辞儀をし、彼が扉を潜ったことを確認してから後に続きます。
「遅くなりました、申し訳ない」
厳かな声と丁寧な口調。静かな音程に反して溢れんばかりに込められた迫力。眼光は鋭く、後ろへ撫でつけた黒髪からは薄っすらと林檎の香りが漂っています。気品と気迫が混じり合った本物の貴族の風格。それが彼には備わっているのです。
さすが我々の主、トライラント伯その人でいらっしゃる。
伯爵様は背後に控えている私にもその才気を感じさせるほどの傑物でした。それでもこの城でたった一人の天才というわけではありません。もちろん天才に相違はありませんが。
「カカッ!構わぬ、構わぬ。そうであるな、メリッサ?」
鷹揚に応じるのは安楽椅子に腰かけた老人。髪はすっかり禿げ上がり目尻に深い皺を刻んで、一見すると柔和な豪商のご隠居に見えます。そんな彼こそいまだに貴族界を裏から威圧する……と言われている先代のトライラント伯爵。いったいどれほどの人間が好々爺然としたこの雰囲気に騙されて秘密を吐いてきたことでしょう。
「でも早く始めないと。もうすぐあの子も到着してしまうわ」
鷹揚すぎる先代伯爵に釘を刺す声は女性のもの。現トライラント伯爵である主の妻にして先代の一人娘、メリッサ様。一児の母とは思えないほど美しく整った体形を持つ美女で、なおかつ新旧の伯爵に負けず劣らずの知識と聡明さを持つ女傑。
「そのとおりだ。エヴィン、義父上と妻に資料を」
「はい」
主の命に従って私は資料を御三方に配ります。準備と会議中の給仕を仰せつかっているだけの私に資料はありません。この最奥の間と呼ばれる、見た目だけならただの談話室に見える部屋。ここで行われるのはトライラント家の最高意思決定会議なのだから当然でしょう。
「カカカ……それでは臨時の会議を始める。よいな?」
伯爵が質素な木の椅子、先代様が特注の安楽椅子、メリッサ様が広々としたソファにそれぞれ掛けたところで矍鑠とした声が宣言されます。そう、今回は普段の予定にない臨時の会議でした。
「議題は1つ、新しく我が領を訪問するアベルの学友の査定。それに尽きる」
「レイルくん、マリアちゃん、ティゼルくん、アティネちゃん。この4人は昔からのお付き合いがあるし、今更査定はいらないわね」
「そうとも言えない。資料によればアロッサス子爵家の双子は些か鬱屈した思いを抱えているようではないか」
「あら、それくらい思春期の子供ですもの。当然ではなくて?私としてはアベルの物分かりの良さの方が心配なくらいだわ」
始まるのは夫妻による全く違う視点からの議論。先代様はゆったりと腰を落ち着けて聞いているだけです。
「思春期だからこそだ。実力のある貴族子女が道を誤ったときの影響は大きい。3年ほど前にも勘違いをした伯爵家の息子が隣村で問題を起こしたと報告があったと思うが?」
「あれは親が親だったと私は思いますけれど?アロッサス家に限ってあんなことはないわ」
「……どう思われます、義父上」
これ以上は既出の情報を言葉だけ変えてぶつけ合う無駄な時間が始まるだけ。常人には踏み込まなければ分からないその領域を嗅ぎ分けて手前で止まり、伯爵様は安楽椅子の老伯に話題を向けました。
「これはメリッサに同意だのう。アロッサス家は教え導くことに関して一家言持ちであるし、なによりあの双子には学友も多い。アベルの知恵とレイル坊の真っ直ぐさ、マリア嬢の直観があればそうそう間違えぬだろうよ。ジョエルの心配も分からぬ事ではないがのう、カカカッ」
「なるほど……ではこの件は2対1で問題なしといたしましょう」
トライラント家の会議はいつも議論をした上での多数決。感情と直接会った感覚を大切にするメリッサ様、事前情報と過去の類似例に重きを置く伯爵、そして2人の主張を聞いてどちらの肩を持つか決める先代様。一見すると先代様が決定権を持っているようにも見えるシステムです。ただ当代の伯爵が断固拒否を示せばそのまま押し通すことも可能で、巷で言われるように先代様が黒幕としていつまでも実権を握っているわけではありません。
「本題はこちらではありませんので」
そう付け加えられた言葉に出席者は大きく頷かれます。それは裏を返せばここからが本題という意味でした。
「アクセラ=ラナ=オルクス、ならびにエレナ=ラナ=マクミレッツの脅威査定を始める」
これが本題だった。
「今一つ判断のしにくい子供たちですね」
「断片的な情報が多すぎるのう」
書類をめくる音がしばらく続きます。過去にこの子供たちが議題に上ったことは一度だけありました。アベル坊ちゃんが彼女たちと知り合った、今から5年ほど前のこと。坊ちゃんには内緒で会議が行われたのでした。その時の結論は判断保留だったと記憶しています。
9歳で冒険者になる者は少なくありません。貴族となればレアケースでも、一般的にはよくある話。かくいう私も幼い頃は冒険者でした。その経験と比して、オルクス領の逼迫した財政を思えばありえないと言い切れない微妙な線でしょうか。
特筆すべきはむしろその後の活躍。ただそれも、かの有名なマザー・ドウェイラの子飼いが見守っているとなれば疑問の余地のない戦果と言えました。
「ではエヴィン、適宜説明を」
指名された私は一歩前へ出て口を開きます。自らが作った資料の中身です、手元になくとも記憶しています。
「追加情報を集めた結果、例の薬物事件に関する対象の活躍は非常に限定的と判断いたしました。検挙の原因となった人物からたまたま依頼を受け、その依頼に不備があったためギルドが介入した結果とのことです」
魔法薬物、通称を湖楽。神経に異常な負荷を与えて感覚を麻痺させ、筋力や魔力のリミッターを外すと同時に恐怖心を失わせる戦闘特化の薬物でした。高揚感目的や副作用としての興奮状態、スタミナの異常な上昇から性的な目的での使用も始まり、薬物汚染の萌芽として当時は重大視され始めていたのです。それがあの一件で大打撃を喰らってぱたりと消えてしまったわけで……国やトライラント家としても関心の高い事件でした。
「次に魔獣討伐の件ですが、追加調査でもあまり情報はでてきませんでした。かなり厳重に情報が管理されているようです」
「エヴィンが見つけられないとなると相当ね。マザー・ドウェイラ直々といったところかしら」
「であろうな。しかしいかに「鉄骨」のドウェイラ・バインケルトと言えど、急ぎの情報操作になれば些か粗が目立つ」
誘拐された先で魔獣に遭遇し、これをCランクパーティと協力して撃破。
魔獣という恐るべき存在と少女が交戦し倒したという衝撃的な情報。そこに付け加えられるCランクパーティという納得可能な要素。その取り合わせに情報の不透明性が混じりほとんどの人間は疑問を抱かなかったようですが、こうして並べて見ると矛盾が見えてきます。
「誘拐された先で偶然遭遇したというのに、なぜ協力できるパーティがいたのか……」
「考えられるパターンはいくつかありますね」
まず誘拐が偽りであるパターン。Cランクと行動中に魔獣と遭遇し撃破した。
次に魔獣と遭遇などしてないパターン。誘拐されただけで戦闘は行っていない。
最後はCランクパーティなどいなかったパターン。魔獣は少女たちだけで討伐した。
結局5年前は判断できず追加の情報収集という曖昧な方針に決まったわけです。それが未だに保留案件のまま。トライラント家では珍事の部類でした。
「ですがいくつか間接的に考慮する材料が見つかっています」
「その後の冒険者としての活動かのう」
「はい、先代様。ご明察です」
冒険者としての討伐記録は外部の人間でも参照できます。依頼をするのに実績を確認したいと言えばそれで見せてくれますから。
「目覚ましい活躍でした」
添付してある依頼の達成履歴に3人が目を通す。全体的に達成率自体が非常に高く、討伐関係はほぼ完璧。対象もBランクを含む多種多様な魔物と危険生物です。
「特にエレナ=ラナ=マクミレッツの魔法技能は常軌を逸していると思われます。確認できただけで4属性を上級で運用しており、他属性についても使用できない確証はないそうで……5属性を超える可能性も捨てきれません」
「カ、カカッ……5属性の魔法使いとはまた、とんでもない才能が出てきたものだ」
老伯の笑い声が詰まった気がしました。たしかに5属性の魔法使いなんて聞いたこともありません。でも聞いたことのないものが存在しないなら、この世界はどれだけ単純で分かりやすいことか。
「アクセラ=ラナ=オルクスも優れた剣士と思われます。買い取り素材などの報告書を内通者にリークさせましたが、おおよそ獲物を半々に担当しているようでした」
「天才魔法使いと同じ数を狩る剣士か。だがそれは魔法使い側で火力を温存しあえて分けているのではないか?」
伯爵様から疑義が提示されました。私は大いに頷くほかありません。
「あり得る話だと私も個人的には思います、伯爵様。どちらにせよ確定させる情報は足りていないので何とも言えませんが」
そこで口を開いたのはメリッサ様。
「つい先日王都で発生した悪神の契約者に関する事件、使徒絡みということだったけれど。そことは繋がらないかしら?」
王都を騒がせているという大事件。知らせが教会から王城へ届けられ、双方の戦力が対応を始めた頃にはもう収束していたという、記録に残る一瞬の出来事だったそうです。
「流石にそれは飛躍しすぎだと思うが」
「でも使徒なら幼くして魔獣を狩れてもおかしくないわ」
「それはそうだが、スキルに恵まれた才能ある子供でも不可能ではない。事実4属性以上の魔法使いという桁違いの天才がいるのだ。火力で圧倒するのは難しくとも、状況と相性によっては低ランクの魔獣なら討ち取れよう」
「あるいは本当に5属性使いだとしたら、その子が使徒である可能性も捨てきれないでしょう?」
可能性の比較になり始めたところで先代様が介入されます。このパターンはいつも通りでした。
「これについてはジョエルに賛成だのう。結びつけやすい場所を安易に結び付けていては真実の姿が見えてなくなってしまう」
「それも……そうね」
あえて抵抗する場面でもないと判断されたのか、メリッサ様はすぐに矛を収めて下がられました。こうやってみると絶対の権限こそなくとも、やはり噂通り取り仕切っているのは先代様になるのかもしれません。
「それ以外は……王都で新しく暫定ダンジョンに認定された地下墓所も彼女らの発見か」
「冒険の話題ばかりね。思想や思考、背景についてはないのかしら?」
重大な発見についての記述ではありますが、メリッサ様はそこに時間をこれ以上割かれたくないご様子。視点を切り替えたいとの要請には誰も反意を示されませんでした。
「3ページ後に用意してございます、奥様」
「あら、流石ねエヴィン」
ぱらりぱらりとページをめくる音。
「西方の技術思想を強く信奉している、か。レグムント侯爵にかなり感化されているようだ」
「カカッ、それは仕方あるまい。元よりオルクス家はかの侯爵の傘下。それも最古参の武闘派であったことを思えば違和感はないのう。特に今も領地を運営しているのは古くから仕えてきた家臣ばかり、実質は先代伯爵の味方であろうよ」
「現伯爵とは真逆ですな、義父上」
不穏な空気が血の繋がらない天才2人の間で生まれ始めました。
「これはいずれ御家騒動になるやもしれんのう」
「そうなればこちらとしても動きやすくなるのですが」
きな臭くなったところで私はメリッサ様の目配せをうけ、僭越ながら横から声を上げさせていただきます。
「それ以外ですが、やはり情報が圧倒的に足りませんでした。裏が取れないコトが多すぎます」
裏取りのできていない情報であっても必要ならお伝えするのが私の仕事です。しかしなんでも伝えていてはただの伝書鳩と同じ。チェックはきちんとしなくてはいけません。
「ケイサルは領都といえど寂れた田舎、どうしても聞き込みとなると怪しまれてしまうので……あとはあのお屋敷ですが、結束が異常です」
「5年前にも言っておったな」
「ほとんどが長く続いた直臣か孤児院の出身者だそうで身内意識が強いようです。加えて賃金や待遇がいいのか餌で釣るのも難航しています」
「ビクター=ララ=マクミレッツか。主家のために自らの家を断絶させた豪の者だったな。たしか調査では学院での成績は中の上だったが、家宰に就任すると共に辣腕を振るうようになったと……典型的な鉄火場で鍛えられた実務者と言ったところか」
あげく学院内の情報を仕入れるのはトライラント家にとっても至難の業。貴族同士の不文律が馬鹿にできないほど頑丈な壁として機能しています。
「さて、話を戻しましょう。結局5年前からあまり情報の追加はないということね?」
「恥いるばかりです、奥様」
「こればかりはどうしようもない。気にするでないぞ、エヴィン」
先代様から寛大なお言葉を頂いた直後、伯爵様がパンと一度手を叩かれました。そしてまったく話題を切り替えるような口調で続けられた言葉に、私は大きく動揺してしまいました。
「ここまでは5年前の件、その追加調査としての報告だったわけだが……まったく別の方面からこの2人、いや、アクセラ=ラナ=オルクスについて考えねばならないテーマがあることを私から伝えたい」
「は、伯爵様……?」
慌てる私に伯爵は微笑みを向けてくださいます。
「これはエヴィンが調査できなくとも仕方のないコトだ」
「貴方?」
「すまないな、メリッサ。こうして相談する機会もなく決定せざるを得なくなった事柄だったのだ」
それから伯爵が報告された内容は、私どころか他のお2人を唖然とさせるに十分なモノでした。なんと王家から直々に情報戦を展開するようお達しがあったというのです。しかも餌はシネンシス王子殿下その人。情報の内容は今議題に上っている少女、アクセラが殿下の護衛に付くというものでした。さらに問題なのはその裏に国の暗部たる薄暮騎士団が配されているという事実。
「薄暮騎士団は諜報能力に置いて我々より下だが、防諜能力と戦闘力、そして権限において圧倒的に上手。下手に手を出せばこちらが張るのを手伝った罠に自らがかかるか、あるいは最悪罠を踏み壊して王家の勘気を被るのう……」
「調べることすらできないのではないかしら?」
メリッサ様のごもっともな指摘に伯爵は首を振られます。
「知り得た情報を王家に売ること、また他に売らないことを条件に承認を得られた」
「トライラントは王家と親しくしておるが、別に王家の暗部ではないのだがのう」
老伯様が苛立たし気に呟かれる気持ちもよく分かりますが、ここは飲んでおいた方が上策という伯爵の選択を誰もが支持しています。小競り合いなどしたところで双方にメリットがないのですから。
「しかしこれで一つ分かりましたな、義父上。アクセラ=ラナ=オルクスはオルクス伯爵と明らかに違う意思の下で動いています」
「だがそれが伯爵を介さずザムロ公爵の意思が働いているのか、レグムント侯爵の意思なのか、はたまた全く別の者が裏にいるのか……肝心な部分がどうにも不透明になっておる」
「誰の意図であっても王家に隔意がある家をあぶりだそうと言う目的だけは同じでなくて?そうならこの件、下手に突きまわるより成り行きを見ながら即応の準備をするのが最善に思えるわ」
ゴーン……ゴーン……ゴーン……。
御三方がそれぞれの意見を述べられた直後、重々しい音で時計がなり始めました。これはタイムリミットに到達してしまったという合図です。
「では評定に移りましょうぞ」
「と言っても情報が足りないわ、あまりにも」
「そうよのう……」
3人の賢人が頭を悩ませます。それほどまでに現実とは一事が万事、複雑なのです。
「情報収集に捻りを加えて見るしかないでしょうな」
顎髭をそっと撫でていた伯爵様がしばらくして沈黙を破られました。
「何か案が?」
「ええ、それはですね……」
先代様に促されて伯爵様が語られた計画。それを聞いて私は額を押さえたくなった自分を必死に押さえました。というのも、案自体はいいと思うのですが、あまりにも坊ちゃまのリスクが高い方策だったのです。
「ふむ、それはいいかもしれんのう」
しかし先代様は気にいられた様子。
「アベルには嫌がられそうでけど」
「そこは抗うもよし、利用するもよし、本人の才覚だのう」
メリッサ様の苦言もなんのその。ある意味ではこの御家らしい実力主義の判断でした。
「それでは、解散だのう」
~予告~
高貴なる情報屋の一族。
全ては彼らが見据える未来のために。
次回、見定める暗躍者




