八章 第3話 友情と情報 ★
エレナにとっての地獄の船旅はティート子爵領の港町スプリートを過ぎて残るところ1日となった。
スプリートはユーレントハイム南部が誇る二大河川が合流して大陸有数の大河フラメルとなるその結節点。そんな売り文句のわりに地味な街だった。遡ってきた方から見れば見慣れた川が二股に分かれているだけの、長寛な眺めの場所。
まあ、港町として栄えているんだから激流なわけないか。
とはいえ王都の十分に穏やかな流れでもダメなエレナは、船酔いの合間に砂糖漬けを食べて生きながらえているかのような状態だ。
俺はというと今日も彼女に聖魔法を重ね掛けしてから、プレイルームの一角で密談をしている。相手はアベルとアティネ。いつものように『完全隠蔽』を行使して、カモフラージュのカードをくりつつ。
「で、わざわざこんなスキルまで使ってどうしたのよ?」
微妙に顔色の悪いアティネ。昨日あたりから月のモノだそうだ。同性ならではの明け透けな会話は15年近く女として生きてなお居心地悪かったけど、男の身だと察せずに踏むような地雷を避けられることは素直にありがたい。
「ちょっと確認したいことと、状況によっては相談がある」
「僕とアティネさんにですか?」
「なによ、アタシに答えられることなら自分で足りるって言いたいわけ?」
「え、いえ、そういう意図はありませんよ!?」
腹痛に貧血が重なって、そこへ普段なら酔わない波にも若干やられぎみなのだろう。アティネは据わった目でアベルに絡む。長い付き合いでも予想できなかった曲解なのか、彼は本気で驚いた様子だ。
「アティネ」
「……悪かったわね」
イライラしていることを自覚しているのは流石だ。武闘派の貴族らしい、レイルにも通じる潔さで彼女は頭を下げた。そうして話題が元の軌道に戻ったところで俺から質問を続ける。
「2人とも、あの事件より後で何か大きな噂は聞いた?」
正確性を欠いた質問の仕方に2人の表情は険しくなる。あやふやな質問というのは多くの場合、知りたいが知られたくないという一種不誠実なスタンスの現れだ。
「嫌な予感がしますね、アクセラさん。わざわざ僕たちだけを集めて聞くあたり、良くない噂についてなんですね?」
楽しい噂話ならレイルたちも混ぜるだろう。その指摘に俺は頷く。
「アベルにはまだ届いてない?」
やはり情報通のアベルといえど、女子生徒の間でひそかに広がっている噂は拾うのが遅れるのか。
「えっとね」
元から話すつもりでいたのもあって、俺は事情を掻い摘んで説明した。手の中で切ったカードを配りながら、情報を持ちこんだ人間や事件の真相については隠したまま。
「なんですかそれは!」
珍しく声を荒げたアベル。立ち上がりこそしなかった彼だが、その表情は周囲に手札が悪かったなどと言い訳して隠せないほど。
それでも言いたくなる気持ちはよく分かる。
「ん、落ち着いてアベル。手札に視線を戻して、ゆっくり息を吸って」
「す、すみません」
「大丈夫、今は3人しか外野いないから」
プレイルームには護衛の冒険者が2人と備え付けのバーに立つバーテンダーが1人。角度的にアベルが見えるのはバーテンダーだけだ。客船側の人間である彼ならアベルの表情一つで何事かと会話に割ってくることはないだろう。
「それで、アティネは知っている?」
「噂は知ってるわよ……でも聞いてどうするつもり?」
「とりあえずは噂の出どころを探す」
「マレシスって騎士、アンタたちのクラスメートよね。英雄的な最後を迎えたっていう」
「ええ、そうです。僕はあまり話す間柄ではありませんでしたが、アクセラさんは……」
「戦い方を教えていた。一緒にダンジョンにも行った」
「そう……それはご愁傷さまね」
言葉に込められた同情は本物。アティネの何かを警戒するような物の言い方には引っかかりを覚えるが。
「それで、噂の出どころを見つけてどうするつもり?」
「ネンスに報告する。マレシスとアレニカのために、噂を根絶したい」
「アティネさん、そこまで慎重に聞き返すってことは何か知っているんですね?」
アベルの視線がわずかに強まる。
「……知ってるわよ」
空気が張り詰める。
「何を?」
圧を掛け過ぎないように、できるだけトーンを和らげて訊ねる。
「誰が噂を流しているのか、よ」
「「!」」
アティネの言葉は想像以上の衝撃を俺たちに与えた。
意外だな、何もかも。
見かけこそ俺たちのなかで一番華やかでありながら、中身はレイルに勝るとも劣らぬ熱血漢な彼女だ。まともに貴族令嬢としての付き合いがあったことも驚きだが、なによりもそうした噂話を知っていて冷静にこうして話している事実が驚愕だ。
「ア、アティネさん……」
「アティネ……」
彼女がこんな態度を取る理由。俺たちに思いつく可能性はたった一つだった。
「体調大丈夫ですか!?」
「体調大丈夫?」
「アンタらアタシをなんだと思ってるのよ!あとアクセラ、分かってて言ってるなら後ではっ倒すからね!?」
そうだった、体調は悪いんだった。
「アタシが噂に噛んでることを疑うとか、なんかあるわよね普通!はぁ……話してもいいけど、色々と条件を付けさせてもらうわよ」
「条件?」
「そう。私が情報をあげる代わりに、大事にしないと約束してほしいのよ」
やはり何かの事情があるようだ。
「それは……ネンスくんがなんと言うかによってしまうのでは」
「大丈夫だと思う」
アベルの懸念はたしかにあるが、大事にして噂が広まってほしくないのはネンスも同じだ。どれだけ証拠と法と絶対者の命令を用意しても知ってしまった噂を人々の脳から消すことはできない。そして一度偏見で歪んだ認識は容易には戻せない。貴族社会では建前と本音の境界は明確で、しかしどちらが優先されるかは曖昧極まりないのだ。
「アクセラさん、それでも噂を広めた張本人については処罰されるかもしれませんよ。故意に他者の名誉を、それも国が讃える死者を貶めたとあっては内々の処断がされる可能性はあります」
「ん、たしかに」
言われれば確かに、どこの国でも一罰百戒は統治の基本だ。しかしそんな一抹の不安は条件を出したアティネ本人によって否定される。
「安心しなさい。アタシが庇ってるのは張本人じゃないわ。でもその子を経由して誰が流してるかは分かる」
「つまりアティネさんが庇う必要のある相手が相当近い距離間で絡んでいる人物が黒幕なわけですね。となると……」
手元にある情報だけで彼女の手札を見透かそうとする眼鏡。まるで本当にカードをプレイしているような読み合いを始める彼に慌てたのはアティネだ。
「ちょ、ちょっと!出したヒントだけで犯人探しは止めなさいよ、マナー違反だわ!」
「あ、すみません。その通りですね」
情報量も洞察力も勝るアベルが本気になればアティネが秘密を守れるかはかなり疑わしくなってくる。ただそうした特技をみだりに用いるのはよくないことだ。少なくとも相手とフェアなやり取りをしたい場合と、友情を壊したくない場合には。
「本人じゃないならなんとでもできる。私が確約する」
「いいんですか、そんなことして」
「いい。ネンスは説得する」
いまだ慎重論を唱えるアベルを得意の鉄面皮で押さえてアティネに続きを促す。
「信用するわよ、恥かかせないでちょうだいよね?」
肩の力をようやく抜いた少女。その精一杯の予防線を首肯一つで受け入れ先を促す。彼女はそっと手札を全て机に置いた。
「私が庇ってたのはB1クラスのフレニーカ=アダン、アダン商会の一人娘よ」
アダン商会か、全く知らないな。
「アダン商会はアロッサス家に出入りのある商会です。後ろ暗いところのない中規模商会で主に服と靴を扱っています」
アティネたちの実家と懇意にしている商人の娘か。
「ありがと、アベル」
手札を全て回収して今度はアティネがシャッフルを始める。
「フレニーカは貴族子女とのつながりを学院にいるうちに作ろうと躍起になってるわ。その一環で参加してる1年の大きなサロンモドキがあって、そこが噂の出どころよ。もっと言うとその中核になってるサロンモドキだけど」
「モドキって」
「だってそうでしょ?冬の夜会まで社交界なんてないし、それ以降も学院にいる間は稀にしか参加できないのよ。それをコソコソお茶飲みながら噂話に興じて何がサロンだか。オママゴトも大概にしてほしいわね」
「まあ、それはそうですけど」
相変わらず辛辣な物言いの娘だこと。
「ん、それで?」
「中核になってるサロンごっこの主は噂の張本人、アレニカって子よ。もちろんその子も自分でそんな馬鹿な噂は流してないわ」
「つまり?」
「乗っ取りよ。この噂を使ってサロンごっこからアレニカって子を追いだして、自分が主導権を握ったヤツがいるってこと」
ここまでくると本当にアティネの「オママゴト」も大概にしてほしいという言葉がその通りだと思えてくる。たしかに演習としては役に立つのかもしれないが、そこまですることじゃないはずだ。
「カーラって子、分かるわよね」
「もちろん分かりますよ」
「誰?」
「「……」」
気まずい沈黙が流れる。話の流れからしてカーラなる少女は黒幕のようだが。
「いや、クラスメートよね!?」
「あんまり覚えてない」
「あーっと、アレニカさんとよく一緒にいる女子生徒の1人で、その、少々口が悪い人です」
「ごめん、アレニカの取り巻きは群体としか……」
「ぐ、群体……」
個人を特定できるほど交流がないし、特定する必要性に今まで駆られなかった。
「はぁ、貴族令嬢としては致命的だけど……まあアンタはそういう生き方しないみたいだしいいんでしょうね」
ため息交じりのアティネの言葉にはどこかヤケのような気配が混じっていた。
「棘がない?」
「生やしてんのよ」
彼女本人の気性はやはり貴族女性の社会に合っていない。それを無理やり合わせて生きていくのだ。やはり双子というべきか、彼女もティゼルと似たような悩みを抱えているのだろう。己の適正と今目の前にある定めのズレという悩みを。
「私は今のままのアティネが好きだよ」
「嫌味にも聞こえるわよ」
「違う。真っ直ぐなアティネが本当に好き」
「う……っ」
シャッフルしていた手が滑ってカードが飛び散る。そのかわり眉間によっていた皺が解れた。
「ホント、よくそいうことサラっと言うわよ……」
「ありがと」
「褒めてないわよ!アベル、アンタは隠居した爺さんみたいに微笑んでないでカーラって子の情報吐きなさいよ!どうせ知ってるんでしょう!?」
「ちょ、当たらないでくださいよ。知ってますけど」
集め直したカードから手札を叩きつけられたアベルが悲鳴を上げるが、それも苦笑を浮かべたままなので説得力がない。
「アベル」
「あ、はい。カーラさんについてはその筋ではいくつか情報が出てましたから、耳ざとい貴族なら結構知っていると思いますよ。学生で知っている人はまずいないと思いますけど」
「聞かせて」
「フルネームはカーラ=ヴィーニェ=サランド。サランド子爵の一人娘です」
サランド子爵は大きな派閥に所属していない貴族で、その理由は単純に子爵家がなんの力も持っていないからだそうだ。領地はあるが随分と北の小領。三代前に主家と仰ぐ伯爵家が絶え、縁も武も財もない木っ端貴族となってしまった。実質の影響力は男爵位より下とも言われているらしい。
「そんなサランド子爵の情報が流れたのは、カーラさんを養子にする数年前からです」
「養子?」
「はい。実は……」
サランド子爵には地元の豪商から娶った妻がいた。金を求めた子爵と位を求めた豪商の利害一致が招いた政略結婚だ。というより、結婚は取引の体裁を整えるために上から巻き付けた包装紙のようなものだったと、アベルは自分の感想を交えて話す。当然愛などあるはずもなかったが、仮にも貴族家としては跡取りが必要。しかしコトはそう簡単に運ばず、豪商から娶った妻はなかなか妊娠しなかった。
「痺れを切らしたサランド子爵は使用人や娼婦、奴隷まで手当たり次第に寝室へ連れ込んだそうです」
「うぇ……」
「その時の子供がカーラじゃない、よね」
もしカーラがそうして生まれた娘なら養子という言い方はおかしい。いくら倫理的にも品性的にも問題がある行動でも、サランド子爵の子供に違いはないのだから。
「違います」
首を横に振るアベルはなにやら苦り切った顔をしていた。
「つまりどういうことよ」
「カーラさんは5年ほど前、サランド子爵が使用人から買った子供なんです」
「か、買った!?」
金銭的に困窮していた使用人を半ば脅すようにして娘を買い取ったと、そうアベルは言う。
「夫人の実家から得た資金で、ですけど」
「最低最悪……」
5年前なら彼女は10歳前後。十分記憶に残っていることだろう。
「ええ、本当に反吐が出るわ」
「でもこういうことは、今でも普通にあること」
人身売買は合法だ。その手段や状況にもよるが、今回は一応違法性なしとされたのだろう。あるいは確かな情報として上に上がっていないのか。
「普通かどうかは分かりませんが、たしかに目を瞠るほど稀な出来事という程ではないですね」
アベルも同意する。
「でもカーラがなんで噂を流したのかは、今一つ理解できない」
「そうね。サロンモドキを手に入れて権力を味わいたかったとかかしら?」
「あるいは生まれながらに地位も資産もある人間を貶めたかったとかでしょうか?」
「さあ」
2人はすぐに思いつく理由を上げる。いずれにしても議論したところで答えが出そうにない話だ。重要なのは誰が噂の出どころか把握できたこと。そして今の情報を踏まえた上でリンナ嬢からの密告を思い出すと、一つ納得のいく部分が見つかる。
悪魔は疚しいことのある人間を襲う。
庶民の間で昔から口にされる、子供を脅かして躾けるためのフレーズ。知識と教養を過度なほど尊ぶ貴族には不似合いなこの噂のディテール、10歳前後まで庶民として育ったなら知っていてもおかしくない。
これはネンスに手紙を送った方がいいな。
「くれぐれもフレニーカの事をお願いよ」
「もちろん」
念押しするアティネに頷く。それから俺も思い出して2人に念押しをした。
「このこと、誰にも口外しないでね」
「当たり前ですよ、ネンスくんに睨まれるのはごめんです。それにマレシスくんやアレニカさんはクラスメートですから」
「アタシも口外はしないわ。でも驚いた、アベルがそんなに素直に口を噤むなんて」
トライラント伯爵家が情報屋とも言われることを加味すれば、確かに少し甘い判断なのかもしれない。その指摘を聞いたアベルはしかし、ちょっと照れたように鼻の頭を掻いてこう答えた。
「卒業までは家業より学生でいることを優先したいんです。友達のことを」
「……ふん、カッコいいじゃない」
そうだな。そう言い切れることはかっこいい事だ。
「そ、そんなことないですよ」
「そうね、そんなことなかったかも」
謙遜した瞬間に梯子を外しにかかるアティネ。
「え、酷くないですか?」
2人の頬には同じ笑みが見え隠れしていた。きっとそれを見守る俺の頬にも。
それからしばらく本題とは関係のない、本当のカードと雑談を楽しんだ。賭けもなしの完全なる遊び。それは3人という読みやすい人数と相まって子供らしい喜びに溢れた時間だった。元の話題が再び顔を出したのはひとしきり笑い転げ終わった後のことだ。
「あー、久しぶりにこんなに笑ったわ。そうだ、話してもいい相手は一応確認させてほしいんだけど」
「ん。私たち3人、ネンス、それから一応ティゼルも。彼は慎重派だから」
それ以外はたとえ親友であろうが家族であろうが当事者であろうが等しく口外禁止である。
「レイルくんが駄目なのは分かりますし、マリアさんを巻き込む必要がないもの分かります。でもエレナさんも外すんですか?」
「ん。エレナはアレニカと友達。もし今知れば色々難しいことになる」
既に俺たちはマレシスとメルケ先生を喪い、シーアという心を痛めるべき友人を抱えた状態だ。そこにアレニカの心の安否まで加わればエレナはこの夏を休めなくなる。自分の心を上手くコントロールできるようになるまでは、休めるときに休めるよう仕向けるのも師としての務めだ。
「よろしくね」
「任せてください。追加の情報もできるだけ探しておきますよ」
「アタシも何か流れて来たら言うわ」
「ん、ありがと」
俺たちはカードを片付け、最後に軽く拳を打ち合わせてから船室へと引き上げた。




