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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
外章 赤き獅子の編-Ⅰ-
148/367

カリヤ外伝 赤き獅子の帰還 駆除―Extermination―

!!Caution!!


このお話はお休み明け連続投稿の4話目です!

「邪魔するぞ!」


 一声かけて扉を押し開く。新市街にあるギルドには昼過ぎだというのに多くの冒険者がいた。まだ若い者から老いてなお一線を引く気のない者まで大勢だ。この暑い中、酒を飲んでいる者より依頼を物色する者の方が多いのは土地柄と言えよう。今は夕方から夜にかけて、比較的動きやすい温度になる時間帯の依頼を吟味する者が集う頃合いなのだ。


「あれは!」


「カリヤ様だ……」


「戻ってこられたとは聞いていたが」


 ひそひそと話し声が聞こえる中、ずんずんとカウンターに向かって歩いて行く。その背後を所在なさげにカグモがチョロチョロと付いて来るがナズナとアネスの姿はない。二人とは素麺だか冷麦だかの店を出てすぐに分かれている。あれで彼女たちも忙しい身の上だからな。


「冒険者カードの読み込みを頼みたいのだが」


 少なくない人数が並ぶカウンターの一つに己は並ぶことなく向かう。事務官は慌てて処理していたカードを魔道具より取り外し、別の機材を取り出して繋ぎ始める。先頭にいた冒険者も心得たもので一歩横に避けてくれた。


「すまんな」


「い、いえ!」


 緊張の面持ちで頷くエルフ男の肩を軽く叩く。別に名声や威光を笠に着て優先させているわけではなく、これは本来エクセララの上級戦士が優先的に使える窓口なのだ。一般の冒険者はそこを間借りさせてもらっている形になる。極稀にそれを知らず突っかかってくる馬鹿者がいるためにカグモはオドオド振る舞うのだ。争い事が嫌いであるがゆえに。

 窓口の分類も知らないような駆け出しに負けるカグモではない。シャキっとして欲しいものだ。


「三か月ギルドのある街に寄っていなかった。相当な討伐量になっているはずだ」


 今回の乾行はほぼ街に寄らずに行った。精々が大砂漠に古より住まう砂塵の民の交易拠点くらいのもの。当然ギルドカードの記録更新などできはしない。となると問題になってくるのは、その間に討伐した魔物の応報量が極めて膨大になっていくことだ。特に己等は魔物と戦って腕を磨いている。半月も更新しなければ情報を端末とやりとりするだけで結構な時間が必要となるのは必然だった。


「ここしばらく魔物の数が増加傾向にありますから、三か月ともなると……ええ、凄い量ですね。お時間を半日頂けますか」


 事務官の男は口元を引き攣らせて言う。質問の形式を取ってはいるが実際はただの確認だ。情報を全て取り込み、討伐報酬をカード側に記録しなおす工程で夜までかかると断言していた。


「おう、わかった。最近の魔物の分布情報をまとめた書類を一式、あと師匠連に届いている討伐依頼で一番のデカブツを出してくれ」


「一式でよろしいのですか?」


「ああ、報告書はカグモが読む。己は面倒だから読まない」


「あ、あはは……承知いたしました」


 事務官の目配せで奥にいた年若い同僚が二階へ走り去る。すぐに本来は有料である詳細な分布図と最新情報を印刷して持って来てくれるだろう。阿呆に見えて実は速読ができるカグモにかかれば分厚い報告書もすぐ解読できるはずだ。


「あとはデカブツですね。お調べいたします」


 端末の画面をのぞき込んでカタカタと何事か入力する事務官。漆黒の石材をベースにした魔道具の表面には大量の情報が現れては消える。エクセララの最高戦力が所属する師匠連宛てに登録された依頼、すなわち一般の冒険者に振り分けるには厄介すぎる依頼が集計されているのだ。


「大型の魔物、それもタフな物でよろしいでしょうか?」


「おう」


「はい、検索が終わりました。この周辺で五件ほどあるようです」


 さらさらと討伐対象を書きだしてカウンターへおいてくれる事務官。己とカグモはその手元を覗き込んだ。


「まずワイバーン討伐。こちらは、失礼しました。目撃情報が不完全なので場所が特定できません」


 画面でさらに詳細を確認して事務官はすぐにワイバーンの名前を斜線した。


「そうだな、あまり時間をかける気はない。できればカードの処理が終わった頃に帰ってこれる程度の物がいい」


「なるほど、承知いたしました。そうなるとこれとこれも駄目ですね……アイボリーデスワームの討伐、ソーサラーエレファントの討伐の二つが選択肢としては残ります。如何なさいますか?」


「場所は?」


「アイボリーデスワームは南門から真っ直ぐに行った枯れ森の手前です。ソーサラーエレファントは南門から枯れ森までの道を半分ほど下って西に折れ、同じくらい行った場所と目されます」


「街道から遠い場所でBランク魔物。誰も行きたがらないわけだな」


 Bは師匠連にとっては弱すぎる。修業の糧にならず緊急度も高くない魔物の相手をするほどあの連中は慈善家ではない。しかし炎天下の砂地で地中を動くアイボリーデスワームやタフで魔法を使うソーサラーエレファントを相手取るのはBランク冒険者でも難しい。

 すっぽり隙間に落ち込んで放置されている魔物というわけだ。


「どちらも引き受ける」


「両方ですと半日では戻れないと思いますが」


 怪訝な顔をする事務官に俺はにぃっと笑って見せる。途中までは同じ方向なのだ、どうにでも手はあるというもの。


「方法がある。簡単な方法がな」


「あのぉ、まさかとは思いますがぁ」


 黙ったまま事の成り行きを見守っていたカグモが心底嫌そうな顔で訪ねてくる。さすがは己の一番弟子だけあってよくよく師のことを理解している様子。そうした慣れと観察眼は評価に値する。


「行くぞ」


「もうヤですぅ、この師匠ぉ……」


 嘆くカグモを見て事務官は同情したような、哀れな物を見るような目で苦笑を浮かべるのだった。


 ~★~


 夕暮れ前の空の下、砂の大地は轟音を立てて揺れていた。地震ではない。本当に局所的に、己とカグモの走る大地だけが揺れているのだ。振動に従って下へ下へと沈みゆく砂に足を取られないようせっせと走る己たちは、今まさに魔物を誘導している最中だった。


「カグモ、見えてきたぞ!」


「よ、ようやく、ですぅ!」


 ゆらゆらと揺らめく陽炎の向こうにはっきりと巨体が見える。漆黒の外皮に覆われた像らしきシルエット。魔法を操ることで卓越した肉体性能以上の防御力と意外な攻撃力を誇るBランクの勇だ。


「あとは……」


 指示を出そうとした瞬間、己たちの背後で地面が破裂した。


「ひゃぁああああああ!」


 無力な小娘のように叫びを上げて速度を上げるカグモ。その背を追いかける己と、それをさらに追いかけるもう一体の魔物。一見すると象牙色の滑らかな肌に黒々とした棘を生やす、直径二メートル以上の円柱だ。その円柱が空を目指して伸びあがり、頂点へと至った瞬間に反転して落下を始める。


「ギィギギギギィ!!」


 耳障りな金切声を上げうねり来る円柱。その先端は四つに開き、内側には特大の顎がこれまた四つに噛み合わさっている。顎が開かれ叫び声が放たれれば同時に緑の粘液がまき散らされ、巨体に押しのけられる風にのってひどい悪臭が散った。


「く、臭いですぅ!」


「どうせアレ塗れになるぞ、諦めろ」


 嘆く弟子に発破をかけながら走る事五分ほど、遠くに見えていた黒い象は目の前まで迫っていた。派手に砂を巻き上げ追いすがるアイボリーワームは嫌でもソーサラーエレファントの気を引いたようだ。


「ヴァォオオオオオオオオン!!」


「ギュイイイイイイイイイイ!!」


 巨大な蟲の化け物に咆哮を浴びせた漆黒の魔物は、長く太い鼻の両脇から生えた勇壮な黒牙を振り立ててこちらへ走ってくる。砂漠でなければ二種類の振動で立つことすら困難だったろう。しかしここは己たちのホームグラウンド、大砂漠のど真ん中だ。デスワームはまだしも重量級のエレファントに負けるわけがない。

 四つに分かれた頭を閉じ、槍のように硬質な外殻を地面へ突き立てるワーム。それだけで地面を深々と穿った体は黒い棘を器用に操って瞬く間に姿を消してしまう。頑丈で鋭い頭部と無数の突起を使って砂中を高速で移動する彼の魔物は、いまのところエレファントより己たちを優先しているようだった。


「まずはお前からだ」


 腕に魔力を迸らせる。皮膚の下に忍び込ませた回路が赤く光った。


「ふんっ」


 踵を食いこませて砂地に速度を逃がす。カグモが己の脇をすり抜けて走り去った。この身が完全に停止したのは手を伸ばせば触れられる距離まで黒い巨体が迫った頃。故に、手を伸ばす。


「ハァッ!!」


 裂帛に気合いと共に繰り出すのは正拳。空気が硬く感じられるほどの抵抗を貫いて、まさに牙を振るおうと下げた頭に直撃する。隕石と正面衝突したような衝撃を大砂漠へ渡し、温めておいた魔力を一気に解き放った。


「ヴァォオオォ!!??」


 拳を伝ってソーサラーエレファントの額で炸裂する魔術。わずかに後退した頭からは一筋の煙が立ち上り、巨体三つ分ほど後方へ着地した己の拳からも血が漏れ出る。

 想像より柔いが、表面から奥に魔術が届かんな……腐ってもソーサラーか。

 魔法使いの名を冠する通り、ソーサラーエレファントの魔法防御は非常に高い。今も受けた攻撃に反応して火魔法のようなものを纏っている。もう火弾の類は効かないとみて間違いない。


「カグモ、準備をしろ!」


 エレファントを挟んで向こう側に立つ弟子に指示を出す。ここまで来ればもう覚悟を決めて戦うしかない。カグモはそれを分かっていてまだ嫌そうな顔をしている。だが己は良く知っているのだ。あんな風を装いつつ、いざ戦いになればきちんと戦える娘だと。

 思えば不思議なものだな。

 戦いを好む己の弟子が戦いから逃げたがるカグモで、戦いを嫌うナズナの弟子が戦いを望むアネスで……不思議なこともあるものだ。そのような感慨を抱いて敵を見なおす。

 そろそろか、と。

 丁度ソーサラーエレファントが警戒から攻撃に転じようと足を持ち上げる所だった。火属性に対抗するため同属性の魔法を纏った巨大な獣。その足下の砂が怯えるように震え、拳一つ分も沈み込んだ。次の瞬間、地を穿って現れた白の魔物。花が開くように広げた四つの咢でエレファントの前足にかぶりつく。


「ヴァオォオオオオオオン!!??」


 管楽器じみた伸びのある悲鳴を上げてエレファントの上体が跳ね上がる。それでも離さないワームに押し上げられ、体勢を崩したところから魔法に依る反撃が始まった。全身を覆っていた火の魔法が一気に火力を増して防御形態から攻撃形態へ変じたのだ。閉じようとする四葉の咢の隙間から火と煙が断続的に噴き出す。


「行くぞ!」


 合図を出しながら己は両手で道着の袷を掴み、勢いよく肌蹴させる。ベルトで止められた異界の伝統服は腰から棚引き、上体を包む頑丈なインナーがむき出しになる。向こうを見ればカグモもしぶしぶ同じ格好になり、豊満な胸元と腹のみを覆うダークブラウンのインナー姿をさらしていた。


 獣化


 己の奥底に息衝く獣の力を意識する。人の姿の中で確かな存在感を放ってきたその力は、俺たち獣人が人間より強靭な肉体と鋭敏な感覚を生まれながらに持っている理由であり、人間至上主義者に家畜と呼ばれる原因でもある。


 骨格が、筋肉が、メキメキと音を立てて変容する。より頑丈で軽量な骨に、より力強くしなやかな肉に。己もカグモも背が僅かに伸びて手足も膨らみはじめる。血管が、膨大な酸素を消費する肉体に対応すべく拡張され浮き出る。


 全ての獣人の奥に眠る力の源泉。しかし全ての獣人がそこからさらなる力を引き出せるわけではない。獣人は獣の力を宿していても人なのだ。人の枷を振りほどくなどというイメージでいると、人ではなく獣に堕ちてしまう。


 手足の形状がすっかり変わるころ、日に焼けた肌は硬く立派な体毛で覆われていた。己の全身は火よりもなお赤い紅蓮の毛並みへ。カグモは夕日を受けて眩く光る黄金の毛並みへ。どちらも体に沿うようにしっとりと生え揃っているが、俺の首回りだけは陽炎の如くうねり逆巻いて広がっていた。


 獣化できる獣人はほんの一握りだ。生まれながらにして自己の獣にアクセスする道を持っているかどうか。その先天的かつまったく偶発的な特異性がなければ何をしても獣化へは至れない。鋭すぎる爪も、大きすぎる牙も、他者の温もりを鈍らせる体毛も、戦うという一点において天性のギフトだ。


 伸縮性のあるインナーを内側から押し上げる筋肉は見かけの数倍も力を持っている。長く伸びた爪は下手な刀剣を凌駕する切れ味を持つ。獣と見紛う顔に開いた大きな口から覗く牙は、一噛みで敵の喉を折るだろう。だが人間というより猫科動物に近い己の今の手では刀を握れない。


「ナズナやカグモは恵まれている」


 つい口からくぐもった妬みの声が漏れる。もちろん本気で嫉妬して……はいるが、そのことを恨みに思ったりはしない。単純に子供が手に入らない玩具を見るような、憧れと口惜しさを少しだけ含んだものだ。

 ナズナも獣化できる希少な獣人だが、彼女とカグモは獣化後の手が人間に近い。だから獣化して底上げした高い身体能力で鍛え上げた紫伝流の技を使える。魔力量はぐっと下がるので仰紫流ではなく紫伝流だけだ。それでも刀を振れる。対して俺は鋭い爪を使って体術を駆使するほかない。


「猫の手でも握れる刀を誰ぞ打ってくれないものか……鉄爪あたりを宛がわれそうだな」


「い、行きますよぉ!」


 ぼやいていると獣化が終わったカグモがピョンピョンと跳びながら、こちらも若干くぐもった低めの声で叫んでいる。軽くジャンプしたつもりで優に二メートルは上がっていた。

 金色砂豹の獣人だけあって脚力はバケモノだな。

 大砂漠の奥深くに住まう、魔物も含めた生態系の頂点に君臨する肉食獣。金色砂豹。名前の通り美しい黄金の毛並みと高い魔力耐性、完成されたフィジカルの強さ、策を弄する知性を揃えた獣だ。カグモはその金色砂豹をモデルとした獣人であり、当然それが獣化すると比類ない戦闘力を発揮する。

 己のモデルである赤獅子も幻獣、あるいは神獣と呼ばれるほど希少で強力な肉食獣だ。金色砂豹が総合力に優れた完成度の高い生物ならこちらは特化した力を持つ究極形になる。高すぎる魔法抵抗力は爪の一振りで鉄板も魔法も等しく切り裂くほど。纏った火の魔力は触れる敵を焼き払う。それでいて猫科の生物らしく敏捷性も瞬発力も極めて高い。


「ああ、行こう」


 応じて踏み込む。それだけで視界はぐっと狭まり、景色が後ろへ矢の如く流れて行く。取っ組み合う魔物のうち黒い方へ跳びかかる己と白い方へ跳びかかるカグモが宙で交錯する。互いに目と目が合う間もなく、振り抜いた爪は得物に食らいついた。


「ヴァオッ」


 分厚く硬い皮膚を貫通して四つの爪が肉へ達する。反射的に打ち出された魔法は全て炎の色の体毛で弾けて消える。残り火の焦げた香りだけが己の鼻腔を刺激する。しかしすぐに香りは鉄に染められるのだ。体を撃ち出した踏み込みの勢いがそのまま、突き立てた爪を真っ直ぐに押すのだから。


「ヴァォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 腹の底に響く悲鳴。噴き出した血が己の後ろへ降り注ぎ、クリーム色の砂地を赤茶色に着色する。獅子の筋肉を持つ俺の足は砂をしっかりと捉えて着地し、勢いを使って軽やかに反転まで済ませる。

 おお、さすがはカグモ、早いな。

 見れば鉄壁の防御を軽く破られた痛みに悶える魔物の向こうに、既に三か所も爪で切り裂かれたもう一体が見えた。獣人としての戦闘力は圧倒的に彼女の方が高い。それを思い出してどうにも笑みが止まらない。弟子が誇らしくて堪らない。鍛えたくて堪らない。

 勢いをつけて地面へ潜ろうとするワーム。その真下で屈んだカグモは直上へと霞むような速度で飛び上がる。迫りくる巨大な槍じみた生物をギリギリで身を捻って躱し、固く閉じた甲殻の付け根付近でさらにもう一回転。太陽の光がギラリと輝き、四枚の甲殻のうち一枚が悪臭と汚泥色の血液を引きながらどこかへ飛んでいった。


「ギギィッ」


 激痛に鳴き声を発した魔物は地面を穿つ切っ先を欠けさせられたことで潜行に失敗。砂地へと激突して長い全身をたわませた。


「ヤッ」


 黒い突起を足場にもう一撃放つカグモの足からは金の刃が。陽光は再び煌めき象牙色の柔肌を深々と切り裂く。さらに一回転、もう一回転、とどめに一回転。ズバズバと裂かれた蟲の体から血液が噴出して辺りを汚す。

 まるで足から一歩の剣が突然生えたような、太陽の光がそこに妖刀のごとく現れたような、そんな特徴的で幻想的な爪。それは金色砂豹の持つ最強の武器、脚剣といい厳密には骨の一種だ。完成された高いポテンシャルを活かして縦横無尽に駆け回る金色砂豹の必殺武器は、獣化形態のカグモにとって刀に代わる得物となる。


「ヴァオン、ヴォオオオオオン」


 濁った気炎を聞いて己は意識をカグモより敵へと戻す。纏った炎の魔力で傷口を焼いたらしく、ソーサラーエレファントの横っ腹からは異臭と煙が上がっていた。さすがはBランクと判定された魔物だけあってすでに傷口の再生と再硬化が始まっている。


「弟子ばかりいい格好をさせるわけにいかんからな」


 最初の一歩は手を地面について行う。一瞬だけ四足となった己の脚力は本物の赤獅子を超える。獣の筋力と人の技を持つが故の、己にしかできない歩法。


 速さは重さだ。重さは強さだ。つまり速い奴は強いんだよ。


 大師匠が残した無数の教えの中でも極めてシンプルなその理論。速さを鋭さの補助とするカグモとは違い、己の速さは教えの通り重さとなる。


「ヴァオオオン!」


「ふんんんっ!!」


 牙と鼻を振り回して吶喊する象の化け物と正面から激突する。まるで隕石が激突したような衝撃が、己と敵の触れ合う刹那に発生した。砂は押しのけられ、足場は形を変え、風が天へと吹きあがる。


「ぐ、ぉ」


 左側に聳える漆黒の牙を全身で受け止める。全ての速さを重さへ変換し、一点に集約されるように掌を打ちつけたのだ。それでも拮抗を長く続けていられるわけはない。変換などするまでもなく相手の方が圧倒的に重いのだから。

 だが、それがなんだというのだ。

 押し返される寸前、右半身を軽く引く。右手は牙を離れ、全身はバネと構造でもって左手を支える。そのとき右手は完全な自由を得る。力を、速さを掴む自由を。


 シュトラウス流格闘術ダイナミックパンチ


 体を正対へ戻す。右から内へ巻き込む力が生まれる。胸筋と遠心力が生み出す速度は拳に集約される。赤獅子の、力の象徴とされる伝説の獣の拳へ。


「ハァッ」


 気合一声。突き込んだ拳は牙の歪曲が始まる付け根側へ。


 メキッ


 渇いた砂漠へ響く、乾いた音。

 牙の破片が己の頬を掠めて飛散する。

 ゴポッと赤褐色の血が湧いて落ちる。


「ヴ、ヴァ、ヴ、ヴヴ、ヴォ……!!」


 完全に停止して雑音めいた声を漏らすのは、この押し合を制すべく奮起していた魔物の方だった。深々とした亀裂が牙へ刻まれた途端これだ。己はその様子を見てニヤリと笑う。


「痛いか?痛いだろうな」


 全身を鎧う鉄壁の肌と魔法による自動迎撃を持つこの魔物。当然牙の高度も生半可なものではなく、下手をすれば魔法合金の多くよりは頑丈かもしれない。だがそれゆえに総じて痛みに慣れておらず、特に鋭敏な神経が這いまわる牙は傷つけることができれば致命打足りえるのだ。

 牙といえばそれは歯。生まれてこの方痛みを知らずに生きてきて、ある日突然前歯を真っ二つに圧し折られれば……想像するだにゾッとする。

 と昔の己は思っていたのだが、どうもこいつらは骨より頑丈な牙を過信して中枢神経の一部をその中へ格納しているらしい。ようは脊椎や脳と同じ極めて重要なシロモノでもあるのだ、この武器は。


「悪いが、これでお仕舞だ」


 激痛と中枢神経へのダメージでろくに動けないソーサラーエレファント。まだ無事な右の牙へ右膝を掛け、右腕を下からくぐらせる。左腕で右腕を捕まえ、腿を外へ押し出した。赤獅子の筋力がテコの原理を借りるとどうなるか。


 ボキッ


 金属より頑丈な牙がいとも簡単に折れた。ついでに姿勢を立て直しがてら左の牙も蹴り砕く。既に入っていた罅からあっさりと落ちたそれは自重で半分まできめ細かな砂へと沈んだ。ガクガクと異様な痙攣を始めるソーサラーエレファントはもう鳴き声すら出さなくなっていた。


「一撃入れれば勝ったも同然。これでは師匠連も食指が動くまい」


 エクセララで師範の地位を得る者は誰でもこの程度は簡単にしてしまう。そうなれば急所を振り立てて走ってくる巨大な魔物など、流れ作業で始末できる雑魚でしかない。肉体の防御力など無意味なのだ。


「あのぉ、終わりましたぁ?」


 重々しい音を立ててあっさりと事切れた象が砂にくずおれる。それに続いて耳に届いた間延びした声に顔を向ければ、少し離れた場所で二足歩行する黄金の豹が所在なく立ち呆けていた。腰で揺れる色あせた道着は修練の激しさがうかがえるものだ。彼女の努力を知っている物だ。

 でもそろそろ新調してやらないとな。さすがにもう少し彩のある物を着せてやるべきだろう。いい加減年頃の娘なことだし。


「どうした」


 カグモの努力に対して思い浮かんだことはおくびにも出さず問い返す。


「ちょっと見ていただきたい物がありましてぇ、できればこっちに来ていただけませんかぁ」


 見ればアイボリーデスワームは既に惨殺されており、周囲は吐き気を催す臭いが立ち込めている。己は獣化を解除し、人の姿に戻ってから嫌々ながらそちらへ足を向けた。とてもではないが鋭敏な獣の鼻で近寄りたくはない。

 ちなみに何故カグモが獣化を解かず悪臭に耐えているかというと、まだ使いこなせていない彼女は解いた途端に疲労で動けなくなってしまうから。一度使えば道場に戻るまで、あるいはせめてエクセララへ辿り着くまで元に戻れない。


「どれどれ」


「これですぅ、この、ここらへんの肉の中にですねぇ……」


 脚の爪で触らないようにそっと肉塊を指すカグモ。行儀の悪い動作だがそうしたくなる気持ちもよく分かる。


「これは、胃袋か?中身は……おい、これは」


「そうなんですよぉ」


 己たちが覗き込む胃袋の中身。それは十数人分の溶けかけた遺体。いずれも揃いの装備に身を固めた、明らかに正規軍と思しき出で立ちだ。剣と王冠に対の竜という特徴的な紋章は世界中に広く知られたロンドハイム帝国のもの。ワーム系の行動範囲が広いとはいえ、これは付近にそれなりの規模のロンドハイム帝国軍が居た証拠だった。


「……またぁ、戦争が始まるんでしょうか」


「奴らがそれを望むならな。いや、望むのは分かっている。雪辱の為、誇りの為、そして何より連中が掲げる世界の為という大義の為」


「……」


 また戦争が始まる。

 またロンドハイムが来る。

 かつて自分を縛りつけた人間が来る。

 その想像だけでカグモは怯えた猫のように身を竦ませる。あっというまにBランク魔物を刻んで見せた金色砂豹の威風はどこにもない。ただただ消え切らない悍ましい記憶に震えあがる一人の少女だ。


「安心しろ、お前は強い」


 己たちが与えてやれるたった一つの抗い方。それを言葉に込めて口にする。


「親父がそうだったように、己とナズナがそうだったように、エクセララの民の多くがそうだったように、かつて奴隷だった痩せっぽちの子供は今や超越者へ秒読みの戦士だ」


 世の中、力でしか救えないものもある。同じくらい力では救えないものもある。それならとりあえず半分だけ、力で救えるものを救うために己等は力を教えるのだ。伝え、育み、より強靭にして次の代へと継がせていく。


「そう、ですよねぇ」


 まっすぐに見つめ合った瞳から自分の力を思い出したのか、カグモは腕を掴んでいた手を離して軽く握り込む。


「そうですよね」


 もう一度唱えるカグモ。彼女は今確かめている。その手に宿った、力で救えないものを救う方法を。力で守りつづけたことで、手に入れたものを。彼女だけの、魂に宿る何かを。


「おう、そうだ」


 己はただ頷いてやる。目の前の弟子がそう遠くない未来、超越者の仲間入りを果たして己の隣に立つことを信じて。


 エクセララには超越者が必要なのだ。それも五人以上は確実に、いつの時代も。

 民を勇気づけるための英雄としての超越者が。

 敵を恐れさせるための戦士としての超越者が。

 後人に追われるための先達としての超越者が。

 理念を貫き通すための象徴としての超越者が。

 そしてなによりも、道を拓き続ける超越者が。


 カグモはいずれ辿り着く。

 あるいは己すら乗り越えて。

来週から本編が再開いたします!

これまで火曜日0時更新でしたが、今後は土曜日0時になりますのでお気をつけあれ^^


~予告~

時は進み、ユーレントハイムの夏。

苦味を帯びた青春の一時が始まる。

次回、夏休み前日

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― 新着の感想 ―
[良い点]  速さはパワーだぁぁぁああああああああああ!!!! [気になる点]  獣化、浪漫があってこういうの大好物なんですけど……背景のせいで少し悲しい雰囲気が出ますね。 [一言]  武力はもっとも…
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