カリヤ外伝 赤き獅子の帰還 休息―Breather―
!!Caution!!
このお話はお休み明け連続投稿の3話目です!
会議室を出た己とナズナは直弟子2人、カグモとアネスに合流して工房へ向かった。今朝のことをまだ引きずっているのか、カグモは己と視線を合わせようとしない。それどころかエルフらしい潔癖さを持つアネスも目を合わせようとはしなかった。さすがに恋人同士のことに目くじらをたてるのは筋違いと思っているからか、直接なにか突っかかってくるようなこともないのだが。
「店はあまり変わっていないのだな」
「多少入れ替わったりはしましたよ。ほら、あそこの食堂はピザ専門の店になりましたし、あっちの雑貨屋は酒屋になりました」
街角をナズナが指さす。馬車道と歩道が分けられた一般的な道路の両側に並ぶ店々。よく見れば彼女の言う通りその店構えは少しだけ変わっていた。
「こうしてときどき戻ってくると、故郷が変わっていく寂しさというのがよくわかるな」
「そうですか?」
「ああ」
己は本当の故郷は薄っすらとしか覚えていない。ナズナに至っては欠片も覚えていないだろう。それくらいの幼さで己たちは奴隷になり、親父や大師匠が助けてくれてからも旅の根無し草だった。今はどこが故郷かと問われればこのエクセララだと言えるが、やはり物心ついてからできた場所だけあって懐かしさはそこまでない。
そう思っていたのだがな。
妹と一緒に親父が連れて行ってくれた食堂などがなくなると、なんとも切ない気分になる。その切なさ自体がどこか嬉しい気がして、自分でもよくわからない心持に陥ったりもするものだ。
そんなことを思っていると己たちは目的地に着いてしまった。屋敷も工房も広いエクセララの狭い中央区に存在している。景色を見ながらぶらりと歩いてもすぐなのだ。
「邪魔するぞ」
工房、公立鍛冶工房の暖簾をくぐって声をかける。目の痛くなるようなオレンジの壁で囲まれたそこには所狭しと武器防具が並べられ、職人も年寄りから若者まで種族に関係なく走り回っている。奥には炉を備えた作業場があるため売り場側まで熱気が届いていた。
「あ、ナズナ様、カリヤ様!お待ちしておりました、どうぞこちらへ!」
巨大な鎧を担いで移動していたドワーフの少年が己たちに気づく。そして鎧を隣の弟弟子に押し付け案内をしてくれる。通されたのは2階の応接室で、すぐにミデリアともう1人の男がやってきた。
「おー、カリヤ!久しいじゃねえの」
「おうイワン、世話になるぞ」
男はドワーフ族の中年で名をイワン=ロッソという。第2回の奉納打ちを勝ち取った刀鍛冶で第一世代のモトロフ=ロッソを父に持ち、現在はこの工房を取りまとめる親方に就任している。己の古い友人でもあった。
「お前はフルメンテと魔鉄化だよな?ミディから聞いてるぜ」
己たちの向かい側にどっかりと腰を下ろしたイワンはテーブルを指の背でこんこんと叩いて見せる。はやく刀を見せろという催促だ。この男は重度の波紋オタクであり、こちらとしても早く見せないと話が進まなくて困る。
「文句は言うなよ?」
「文句を言われるようなことしやがったのか!」
腰に差した掻雲丸綱兼を引き抜いてテーブルに横たえる。紫の鉄鞘に収まったそれを見てイワンはまず一言。
「汚え!」
鞘は紫の被覆が剥げて地金の見えている部分が7か所、強大な力で殴られたと分かるへこみが3か所。下げ緒はほつれたり切れた部分をむりやり結び直してあるため歪にこんがらがっている。そして柄巻きは同じくほつれ、手垢と汗でどす黒く染まっている。
「仕方ないだろう。刀は使ってこそだ」
「別に責めやしねえさ。汚いと怒りはするがな」
「変わらないだろうが、それ」
「違うわ。で、この程度が前置きの理由なわけはねえよな。いつものことだ……おい、お前まさか刀身をへし折ったりしてないだろうな?」
最悪の可能性に気がついたのか、イワンは器用にも顔を赤と青の二色に染めて睨み付けてくる。その眼光はたとえ古い友人でも頭をかち割るぞという威圧感が込められていた。
実は始まりの二振りの扱いについて刀鍛冶と紫伝は対立している。歴史的価値と資料的価値が計り知れないこの二振りを実戦に使用するのはナンセンスであるというのが彼らの主張。どちらも名工の作とはいえ普通の鉄で作られたものなので、多少拙い技術であっても魔鉄から作られた刀よりの方が頑丈。それにもし失われたら二度と手に入ることはないのだ。言いたいことは分かる。
「安心しろ、それはない」
「ふう、それを聞いてちっと落ち着けるぜ」
ほっとした顔で彼は刀を引き抜く。僅かに反りのある美しい刀身が現れた。
「年単位で実戦使用したわりには欠けが少ねえな。灼けも曇りもねえし、歪みなんて欠片も見当たらねえ」
どんな刀剣オタクも多少の刃毀れは大目に見てくれる。実戦で使う以上武器はあくまで消耗品だ。
「魔鉄化、請け負ってくれるか」
「気はあんまり進まねえけどな。お前はこの刀以外使わねえだろ?」
「おう」
「魔鉄化を拒んでお前が討ち死にでもしたらその方が大事だ」
自分で言って照れたのか、彼は視線を波紋に固定してなんでもないことであると殊更示してくる。残念なことに中年を過ぎたドワーフが顔を赤らめても気持ち悪いだけだ。
「ありがとうな」
「う、うっせえよ。で、結局何が……ほぁあああ!?」
抜き身と鞘を丁寧に見ていたイワンの声が普段の声からは想像できないほど高くなる。
見つかったか。いや、見つかるのは当たり前か。
「お、おま、おま!おま!!」
「お、落ち着けイワン。どうしたんだ?」
それまで黙って見ていたミデリアが肩を叩いて正気に戻そうとする。しかしイワンは口をぱくぱくさせたまま鞘をぐいっとミデリアに見せる。眉根を寄せてそれを見ていたミデリアだが、ややあって目を丸くした。
「カ、カリヤ先生……あんた、もしかして!」
「こいつ、小柄を失くしやがった!!」
「なにしてんだあんた!?」
もとから声の大きいドワーフが2人で叫ぶと大きなテーブルを挟んでいても耳がおかしくなりそうだ。そんなふうに思っていると、今度は横から少しだけマシな声量で叱責が飛んできた。
「兄さん、どういうことですか!?」
ドワーフ親父2人に睨まれるのと、額に青筋を立てたナズナに睨み付けられるのは同じくらいの圧力があった。ただ前者は小柄がなくなっていること自体に対する怒りであるのに対し、後者は何故事前に言わないのかという怒りだ。たしかにナズナには言っておくべきだったかもしれない。
ちなみに小柄というのは刀の鯉口付近に備え付けられた小さな刃物のことだ。日常生活でナイフとして使ったり咄嗟の武器として使ったりする。
「あ、あのぉ……それはカグモのせいなんで、お師さまを責めないでくださいぃ!」
睨まれて困っていると、隣に座っていたカグモが勢いよく頭を下げた。そしてテーブルで額を打ちすえてしばらく黙った。
「お、おい大丈夫か、カグモちゃん」
「だ、大丈夫ですぅ」
「カグモのせいとはどういうことですか?」
心配そうにのぞき込むイワンとは真逆に、ナズナは顔色一つ変えずに本題を尋ねる。こういうところは荒事慣れしている師範らしい。とはいえ聞かれたカグモの方もナズナ基準の人間なので、特に不満げな顔をすることもなく説明を始めた。
「旅の途中でカグモがトリプルアシッドスライムに遅れをとってしまいましてぇ……」
「大体察しました」
飛び散ったトリプルアシッドスライムの体液で靴の紐が溶け、あと少しのところで不覚を取りそうになったカグモ。そこで仕方なく小柄を投擲したのだ。
「スライムの核は撃ち抜けたが小柄は溶けてしまった」
「………………それはもう仕方ないな」
「………………ああ、しかたねえ」
いくら鍛冶馬鹿のドワーフも小柄を惜しんで年若い娘が骨まで溶かされるのは許容できないらしい。それまでの剣幕も鳴りを潜め、潔く矛を収めてくれた。いささか逡巡の時間が長すぎるきもするが。
「す、すみません!」
「いや、カグモちゃんが無事でよかったぜ。ただもう少し早く魔鉄化ができてればと悔やむ気持ちはある……」
魔鉄は酸にも強い。もし魔鉄化が先になっていれば、あの小柄も溶けてなくなったりはしなかったはずだ。俺も大師匠の愛刀だった掻雲丸が欠けてしまうのは寂しいものがある。
「さて、じゃあ研ぎと魔鉄化に小柄を見繕う作業だな。小柄は大きさだけ測ってやるから自分で探せ。さて、次だ」
掻雲丸を鞘に納めて脇に置いたイワンはナズナに目を向ける。彼女の界切の次はカグモの詩作刀第四異聞丸、アネスの八魚薙ぎときて4人全員の刀が回収された。特に八魚薙ぎはイワンの父モトロフが作であったため随分と懐かしまれていた。
~★~
「はぁ、お話長かったですねぇ」
「イワンはともかくミデリアさんは語りだしたら止まりませんからね」
四振りの刀を回収したイワンがさっさとはけた後、ミデリアは会議室で少し触れた魔鉄化技術について語り始めてしまった。現在は鉄を魔鉄にするだけだが、今後応用として他の金属を変質させられるかもしれないとか。あるいは魔法金属同士を混ぜてより高位の合金にすることも可能になるとか。研究職や鍛冶師には熱い話題なのかもしれない。剣士にはよくわからない話でしかないのだが。
「昼食はどうします?」
「屋敷に戻ったところで食べるものがあるのか?」
「まあ、作れば」
朝夕の食事を作ってくれるセリアも昼は自分のために当てている。具体的には近くの道場で弓を教わったり趣味の習い事をしたりしているのだ。そのため道場での昼は基本的に交代制で門人が作ることになっている。紫伝の門人は大師匠の言いつけで一通り料理ができるからだ。
「旅の間はほぼ自炊だったからな。今日は買い食いにしよう」
宿に泊まるときは別として、武者修行の間は野宿と自炊が基本だ。カグモなどは剣の腕も料理の腕も弟子の中で一つ頭抜けている。そのため特に自炊に駆り出されることが多い。エクセララにいる時くらいはその任から解き放たれてもいいだろう。
「やったぁ!」
案の定カグモは大いに喜んだ。
「なにを食べますか?」
問いかけに首を捻る。さて、今日は何が食いたいだろうかと。とりあえず甘い物ではない。熱い物も長く砂漠を突っ切ってきた後ではそこまで。かといってサンドイッチはもう飽きた。
「なにか冷たい物がいい」
「エクセララっぽいものが食べたいですぅ」
具体的に考えることを放棄した己たち師弟の要望にアネスは少しだけ首を傾げ、それならと切り出した。涼しげな顔をして昔からこのエルフの娘は食べ歩きが趣味であり、隠れた名店をいくつも知っているのだ。
「冷麦などどうでしょう」
冷麦か。
「ああ、あの店ですね。美味しいですよ」
ナズナも行ったことがあるようだ。丸投げしておいて食いでがないと断るのも気が引けていたのだが、己と同じくらいによく食べる妹が気に入ったのであれば憂慮することはない。
「それでいこう」
行き先が決まるとアネスが率先して先導してくれる。あまり喋らない娘だが即断即決の心意気は実にこの都市の民らしい。
さて、行先だがどうやら表通りから何本も裏に回った所であるようで、ひたすら狭い路地を進んでいく。中心地区と言っても溜まり場のようなものはあるわけで、2度ほど柄の悪そうな男たちの集団を見かける。といってもエクセララに紫伝の門下を襲うような馬鹿はおらず、俺とナズナの顔を見て青ざめながら走り去った。
「ここです」
到着したのはやはり薄暗い路地裏の一角。とても客足のある場所には見えないが、確かに一件の店が暖簾を出している。ソーメンと大書された暖簾だ。
「……冷麦とは一体」
「素麺と書いてますが冷麦です」
そもそも冷麦と素麺の違いがなんであるかを己はよく知らないが、よく間違えられるということは逆に似て非なる物なのだろう。それが店と客の主張が真っ向からぶつかることなどあるのか。釈然としないものを感じながら己達は店に入る。
意外と小奇麗だな。
年季こそかなり入っているが、路地裏の片隅とは思えないほどに整った店内の様子。特に3つしかないテーブルは光沢が出るほどに磨かれている。
「……またお嬢ちゃんか」
奥から顔を出したのはがりがりに痩せた老人。目の下には色濃いクマがあり、目つきの悪さと溢れる警戒心は犯罪者のごとしだ。身なりだけは古く質素でありながらきちんとした生地の服で、店の内外と同じく迫力のあるギャップを生んでいる。
「どうも。今日は師を連れてきました」
「……誰でもいいさ、金さえ払ってくれればな」
「エクセララで最も有名な2人ですよ」
「……ここをあまり知られたくないんだがな」
「冷麦の気分だったので」
「……冷麦じゃない、素麺だ。同じコナだと思って一緒にするな」
おい、本当にここは食事処だろうな。
さきほどから会話の内容が薬物の売人か違法賭博所のそれだ。聞いていると冷麦やら素麺やらが何かの隠語に思えてくる。土台、場所からして妖しさしか感じない。
「とりあえず大盛4人で」
「……キノコとクサもか」
「はい」
……もう何も言うまい。出てきた物をただ食べるだけだ。
「兄さんも思いましたか」
「お前もか」
「あれで無自覚なんですよね、あの子」
見ればカグモも首を傾げており、特に変に感じている様子はない。エクセララの治安が良すぎるのも一種の問題だと思わされる。戦争や戦いについては生々しいセンスを持つくせに、妙なところで純粋な視点を残している。あの親父が作った都市らしいと言えばらしいのだが、やはり師としてはやや心配になる部分がな。
師と言えば。
「加護のこと、どう思う」
「藪から棒ですね、いつも通り」
己、ナズナ、カグモにアネス……親父の直弟子やその高弟たちは全員加護を得ていた。おそらく別の流派であってもかなりの人数が加護を得ていることだろう。技術神の聖地であるからという以上に、思想の点で授かりやすい風土が形成されているのではなかろうか。
「効果のことを言っているのではありませんよね」
「ああ。手放しで喜べはしないが、利用しない手はない。それくらいに有用な加護だ」
あらゆる物を利用するのが己たちの流儀。それがたとえ親父からの加護であっても、使えるなら強くなるために使うのだ。特に努力を結果へと反映させる加護とあっては、エクセララで心から拒否できる者などいない。
おそらく特化具合が他の神の加護より弱いのだろうがな。
筋力強化や戦闘スキルへの目覚めやすさは戦神の加護の方が上で、射手にとっては戦幸神テナスや長弓神キガロの加護の方が必要になる。一芸に特化したい者にとってはエクセルの加護に勝るものはいくらでも存在している。
だからこそ親父らしい加護だ。
この加護が真価を発揮するのは2パターン。
1つは俺たちエクセララに住む戦士のように、目的のために力を欲している者が得た場合。一芸を究めんと欲しつつ同時に何を使ってでも成し遂げたいことを胸に秘めている者は、獲り得る手段を増やし深められるこの加護をありがたがる。
そしてもう1つはまだ自分を何者とも決めきれていない者が得た場合。これから切り拓く未来を多様にし、適さない道に進んでからも別の選択がしやすくなる。あらゆる可能性をあらゆる者に与える、門戸を広げるための加護。特にスキルを得られないブランクにとっては大きな支えとなるはずだ。
「では、何を?」
「本格的に親父の神としての仕事が始まった。そういうことだろう」
「でしょうね。思えばこれまで何をしていたのか……まあ、きっと別事に躍起になっていたのでしょうけど」
大いにあり得る。ではなくてだな。
「己が言いたいのは、使徒が生まれる可能性だ」
「!」
ナズナの藍色の耳がピンと立った。驚いたり警戒するといまだに出てしまう妹のクセに苦笑しつつ、己は旅の間につらつらと思っていたことを述べる。
「使徒は神々の意思を具現化するために遣わされるらしい。その意思とやらが推し量れないことも多々あるそうだが」
分かる範囲で確認されている事例としては来たる災害を祓う、悪神との勢力争いに勝つ、魔王の再誕に対処する、信徒に対する迫害を消し去るなど。そして最も多い事例が……
「布教を進めるため、ですか」
「ああ」
技術神の教えはこの50年で周辺諸国にある程度認知されている。それでも少し離れた国には伝わっておらず、また周辺国でも全面的に認められているわけではない。特に奴隷解放やブランクの地位向上といった政治的要素を持っている点で嫌われることは多い。
「もし使徒が生まれるにしても、それはこのエクセララから遠く離れた土地になるでしょうね」
ナズナが口にした結論は己のそれと全く同じ。使徒が布教を目的に現れるならば、このエクセララから遠い場所である可能性が大きい。その方が高い効果を発揮する。だがそれは同時に使徒の身の危険にも成り得ることだ。まったく知らない教義を主張する子供など、いくら使徒でも差別の対象になりかねない。
あまり惨いことはしない、と思いたいがな。
親父ならしないという確証がある。だが神として必要ならやりかねないという不安もあるのだ。60点の選択肢と50点の選択肢を突きつけられ、100点に拘るあまり選べず0点……そんな愚かな真似をする男ではない。どちらかの選択肢をできるだけ100点に近づける努力は最後までするが、ギリギリまで粘ってよりよい方を見極め選ぶ。
「なんにせよ当分会えることはないでしょう。少し残念ではありますが」
「遅かれ早かれ一度は来るだろうさ。あまり勝手な布教をして技術教会と対立するわけにもいかないからな」
ややこしいが、教会の教えと神の意思と使徒の行動は全て別物だ。
教会は神の本質と名、つまりは教義を多くの民に知らしめることが目的の組織。スタンスは基本一貫しており、判断基準はあくまで経典やそれまでの逸話となる。政治的意図も解し、教えと信徒が現世に馴染む形で広まるのを是とする。
神の意思は教義とは別に一人格として存在する。教義はあくまで信念、実際にどうしてほしいとかどうなってほしいという展望が神々にもあるのだ。それらは直接人に伝えられず、時に教会や一個人が推察して行動に移す。天上の世界から神々もやきもきしつつ見ていることだろう。
使徒はある意味教会と真逆の立場で神と現世を繋ぐ存在だ。神の意思を直接聞き、その願いや思惑を現世に体現する。教義と一見反することでも行い、政治や権勢に配慮することがない。
とまあ、役割の大きく違う教会と使徒であるが、真っ向から対立したいとは両者思っていないはず。そんなわけで軋轢が生まれないよう、どこかの時点で顔を出すだろうと己は踏んでいる。親父本人ならそこまで考えが回らないかもしれないが、常識的な人間ならそうする。
「問題は己たちの探し物を気づかれないかだ」
己たち兄妹はこの50年、ひそかに探している場所がある。乾行と称して街道から外れているのも半分はその探索のためだ。しかしそのことを使徒に、ひいては親父に知られるのはいかにもばつが悪い。そう思っていたのだが、ナズナの意見はそうでもないらしい。
「そんなことですか。意外と兄さんも肝が小さいですね」
柳眉を逆立てて毅然と言い放った。妹はこの件だけ、父に対して腹に据えかねている。それも当然といえば当然だ。己だって納得できているわけではない。だからこそ探しているのだ。
「……ほらよ、ブツだ」
会話が途切れた瞬間、狙っていたかのように店主が皿を持ってきた。器用に4人分を全て1つの盆に乗せている。ガラスの器にたっぷりと盛った冷麦だか素麺だか、氷の浮かぶ濃い色の汁、さらに山盛りになった具。甘辛く煮込んだキノコや山菜、たっぷりの大根おろし、錦糸卵、花削り。冷麦にしても素麺にしても結構な具の量だ。
「おいしそうな冷麦……素麺?ま、まあ、おいしそうですぅ」
「……ふん、ゆっくり食べていけ。それと素麺だ」
「いただきます。それと冷麦ですよ」
「い、いただきます」
それまでの不穏なワードからは推測できないほど美味そうな食事に己も箸を取る。
姉であり母であったかもしれない人の墓という、忌まわしい探索物のことを思考から追いやって。




