七章 第23話 戦士たちの業
俺とメルケは鍔迫り合いを維持したまま、次の一手をより優位に奪うため妙技と力を手元で競っていた。金属と金属がこすれ合う音がぎじぎじと囁く。彼は盾を失い、鎧にいくつもの傷を負っていた。俺も大きな傷こそ回復しているものの、衣服はところどころ破れ鎧も歪みが目立っている。寸刻前の着地でベルトに装備したポーション類は全て割れた。
「愉しいな」
「ん、愉しい」
俺たちは互いに狂気じみた笑みを浮かべる。久々の命を懸けた戦い。腹の奥から全身へぐらぐらと熱が巡る。血が沸騰したようだ。その間も鍔迫り合いは白熱する。
「小手先の技こそ技術の華、だな?」
「何……ち!」
突然の言葉に気を取られる。そのせいで気が付くのが遅れた。メルケの左手には柄ごと細い棒が握られていたのだ。盾のグリップにでも隠していたのか、それは黒塗りの騎士団用室内杖だった。
「解けよ!!」
短縮詠唱……ヴィア先生かっ。
本当に貪欲に彼が己を鍛えていたのだと、知るための対価は大きかった。真下に向けられた杖から魔法が迸り俺の右足に命中する。数本のベルトで頑丈に固定されたブーツが自らその緊を解いた。紐解きの生活魔法だ。鍔迫り合いの重い反動を地面に押し付けていた足の安定が失われる。そこへそれまで以上の押し込みが加えられた。
「っ」
最大の弱点である重量を上手く利用され、草地へと押し倒されそうになる。抗っても無駄だ。そう思った瞬間に後ろへ自ら倒れ、両足揃えて鎧の腹に蹴りを入れる。
「ごは!」
片腕の筋力でジャンプし、背後の草地へと無事着地。右のブーツはその最中、どこかへ飛んでいった。反撃を警戒してか同じく下がるメルケを無視して左のブーツも脱ぎ、邪魔にならない遠くの方へと投げる。
「?」
怪訝そうに男は首を傾げる。その視線の先、瑞々しい草を踏みしめる俺の足に薄紅の光が灯った。
『討伐:灰狼君』内包スキル『獣歩』
三次元的で人間離れした挙動を可能とするスキルだ。俺が前世で密かに憧れていた獣人の脚力を再現して見せる、実は一番お気に入りのスキルでもある。まさに獣のように強化された脚で俺は走りだす。メルケとの距離を見ながら草地を踏み分け、彼を中心に弧を描くように。彼も油断なく俺を見据えて大剣を構える。下段脇に下げられた剣がいつでも来いと誘っているようだ。
誘いには乗らないとなあっ。
十分に助走がついたところで爪先に力を込めて方向転換。冷えた葉の大地を駆け抜けて騎士へと肉迫。最後の数歩を一際力強く踏んで斬りかかる。下から掬い上げるような剣が俺を迎え撃つ。
ガギン!
接触した途端に反発するがごとく弾かれた刃は数合、また数合と激突を繰り返す。スキルとスキル、魔力と魔力が美しい光を散らして俺たちを照らし出した。
「がぁ!!」
気合いと『獣歩』でブーストした足腰が筋力差、体格差を覆して連撃を重くしていく。弾ける光が一つ増えるごとにメルケの足鎧がわずかに下がる。負けるものかと彼も柄と刃のない部分、リカッソを上手く持ち変えて多彩な斬撃を放ってくる。
ガッガッガガガッ!!!!
魔鉄の剣から火花が散る。刀の軌跡が男の頬や腕を捉える。彼の剣もまた俺の体を捉え、二人からは同じ色の血が溢れる。かすり傷といえばかすり傷。だが体力をジワジワと奪う危険な傷だ。互いに命の危機を、つま先から刻まれていくような焦燥感を感じていた。それが堪らなく愉しい。奮い起つ。
「はぁっ!!」
先に大技を繰り出したのはメルケ。リカッソを利用して繰り出されたスキルの突きを、俺は刀の先で弾いて空へと舞う。ネックガードを掴んで倒立の要領で頭上へ上がり、真下に切っ先を向けてダイブ。
「捉えたっ!」
「猿かお前は!?」
堪えきれないとばかりに叫びつつ、メルケはバックステップで回避を試みる。しかし間に合わない。紅兎の先端が鎧の胸に入り、そのまま真っ直ぐに最も切れ味の良い物打ちで縦に斬り裂く。フルプレートの下の騎士服が垣間見えた。地面に手が付くと体を翻し、もう一度同じ軌道で飛び上がって斬り付ける。
「喰らうかっ」
「しまっ!?」
紅兎が鎧の断裂部分から入り腹を傷つけたとほぼ同時、抱擁するようにしてメルケの腕に捕まる。片腕でも十分俺を抱え込める彼は、そのまま万力のように締めあげ始める。骨格がぎしぎしと軋みだす。
「ぐ、ぐぅ……!」
なんとか拘束を抜けようともがく。ようやくの思いで引き抜いたのは刀を持たない右腕だけ。
「らぁ!!」
「んぐぁ!?」
額から眉間にかけて激痛が走り、鼻から脳へ不快な感触が伝わる。頭突きを喰らったらしい。熱いものが鼻からだらだら溢れる。
「こんのっ!!」
右肘で同じく顔面を横殴りに殴打する。ぐしゃりと硬質な何かが砕ける感触。メルケも鼻血を流し始める。わずかに拘束が緩んだところで2発膝を入れて距離を取る。ぐらぐらと揺れる視界は軽い脳震盪のせいか。
「神よ」
自分の頭に回復魔法をかけ、大きくひしゃげた胸鎧を外す。メルケの騎士甲冑は胸の中心が張り出した鋭角的なデザインだったため、これがなければろっ骨がそのまま潰されていたところだった。今の装備は籠手とグローブ、脛当てとベルトくらいだ。それからべっとりと幾重もの血液で汚れたシャツ、ズボン、スカート。酷い有様だが、それでも戦いで火照った体に夜風が心地いい。
「再生がお前の専売特許とは思うなよ」
激闘の中生まれた間隙に涼んでいると、メルケは口の端を吊り上げてそう言った。
「……あは、先生も大概人間辞めてるね」
彼は折れた鼻を掴んで無理やり骨を合わせる。周りでは空より暗い闇が蠢き、全身の傷に流れ込んでいる。これまでに俺がつけた全ての傷が見る見るうちに再生する。鎧までは無理なのか体だけだが、それでも一切のダメージが視界から消えるというのは攻め手からすると精神的にきつい。ただ傷は治っても闇を体に取り込む負担は大きいらしく、メルケは苦痛に顔をしかめていた。
「……」
「……」
俺たちは訪れた一拍の静寂の中、ただ見合った。傷は俺が軽傷、彼が無傷。一見すると仕切り直し。それでも疲労は同じくらいのはずだ。俺は悪魔からの連戦で魔力が大きく失われ、出血と初めての『獣歩』実戦投入による集中力低下が著しい。メルケも出血量でいえばかなりのハズ。彼の場合再生という行為に不慣れな分、俺なら放置するような怪我まで修復するなど非効率な運用をしている。それが逆に体力と気力を奪っているのだ。この愉しい時間もやがては終わる。
決着は近い。
同じ思いがあったのだろう。俺が走りだすのと彼が走りだすのはまったく同時だった。一瞬で消費される距離という資源。闇がメルケの剣を覆う。間合いの外で前進しながら、男は大振りな一撃を放った。
「!」
背筋を撫でた嫌な気配に俺は飛び上がって体を捻る。ツーハンデッドソードから光を喰い殺す斬撃が刃渡りを無視して放たれる。延長線上の地面を消滅させながら闇の刃は切断する。俺の体からほんの数ミリ下の空間を。頭のおかしな角度でハードルを跳んだようなかたちの俺は、着地からさらに姿勢を落とす。
仰紫流刀技術・火巫装の変化「烈火装」
魔法の炎が紅兎を包む。轟々と燃え盛る刀を引き連れ、闇刃の二撃目三撃目をかいくぐってスライディング。すれ違いざまに鎧ごと右ひざを半ば断ち斬る。体が停止するが早いか立ち上がりざまに背中へ一太刀。込めた魔力を一気に燃焼させて爆発させる。
「ぐぅおあ!!」
爆炎の中、それでもメルケは動きを止めなかった。闇が膝と背中に吸い込まれて行く。紅蓮と漆黒の渦の中、剛剣が振られる。燕のように宙を走った刃は俺の右目を掠めた。
「あぁっ!?」
余波だけで目が焼ける。右半分の視界が暗転。大きく減じた色ある世界を睨みながら紅兎を納刀。腰を落として柄に右手の甲を添える。ここしかない。そう本能が叫んでいた。体を極端に低くし、捻り、バネというバネに力を蓄える構え。『獣歩』の力で本物の野獣の如く、牙を研ぐ。
紫伝一刀流・連技の一「虎猫の構え」
「おぉおおおおおおおお!!」
大地を揺るがし天を震わせる雄叫び。メルケも愛剣を大上段に掲げ、ありったけのスキルと闇を練り込んでいる。勝負時だと彼も踏んだのだ。強大な圧が互いを潰さんと膨れ上がる。
「あははっ!」
コレだ、コレだ、コレだァ!!
タガが外れたような興奮が爪先から駆け上って脳を巡る。痛みも疲労も空に瞬く星と同様に世界から消える。反対にあらゆる感覚が大きく広がったような全能感が訪れ、風の流れや草の一つ一つが網羅的に理解できる。
「ぜぁあああああああああああああああああああ!!!!」
轟雷の雄叫び。メルケの右足が大地を踏み砕く。力の限りを込めた上半身がうなりを上げる。丸太のような腕が箒星みたく壊れた鎧の欠片を零しながら振り下ろされる。漆黒に無数の色を混ぜたような光が夜天を焦がす。両手剣の見本のように完成された振り下ろし。悍ましくも美しく輝く両手剣は竜の咢のようだ。
「ぃやぁああああああああああああああああああ!!!!」
雷を声で押し返す。限界まで蓄えられた力が爆発する。魔法で射出したように脚が、腰が、背が、腕が前へと加速する。掌が反転の動作で柄を弾く。鞘を引く。鮮紅色の魔兎が解き放たれる。それは誰にも、俺にさえも見えない抜刀。二人の間に魔性の半月を描いて、黒の竜を迎え撃つ。
紫伝一刀流・連技の二「地ノ一閃」
音は不思議としなかった。
剛剣が切断される。半ばから先を失った両手剣が草原を殴打し破裂させる。天高く剣身が舞う。メルケが目を見開いた。彼の視線の先で俺の左手が柄を握る。振り抜いた形から手首を反転、斬り付ける。
紫伝一刀流・連技の三「天ノ追太刀」
容易く右頸動脈を食い破る紅兎。夥しい血液が噴出して草原を赤に染める。闇がそれを塞ごうとするがもう遅い。メルケの腕がぴくりと動いた。剣が地面から上がる前にもう一度手首を閃かせる。左から袈裟に斬り降ろし、鎧を真っ二つにして厚い胸板をも裂く。一歩引いて耳の横で真っ直ぐに構え、全ての守りを失ったその場所へ最後の一太刀。
紫伝一刀流・連技の四「人ノ留打」
鍛え抜かれた肉体を貫いて俺はメルケの心臓へ紅兎を突き立てた。
「……がふ」
メルケの手が柄から離れる。足から力が失われ頽れる。赤く赤く染まった草原に伏した男は信じられないほどの血液を吐いた。それでもなお恍惚とした表情をしている。
「は、はは……負けだ……俺の、完敗だ」
死へとひた走りながらメルケはそれが人生最良の日だとばかりに笑う。
「愉し、かった」
「ん、私も」
「オレ、は、つよか……か」
彼は回らなくなる舌で訪ねる。
「強かった」
「そ、か……あり、が、と……」
微笑みを浮かべてから彼は動かなくなる。強さに憑りつかれた悲しい男は死んでいた。
『悪神の契約者討伐を確認。『使徒』が一段階覚醒しました』
久しく聞いていない最高神の戦乙女と同じ声が脳内に響く。無味乾燥としたアナウンスにメルケを悪と断じるような気配を感じて、俺は嫌な気分になった。
~★~
決着がついた。それを見たわたしは目から溢れ出る熱い雫を抑えられなかった。それは見る者に恐怖を覚えさせる壮絶な戦いだったけど、同時に美しい戦いだった。戦士の業。アクセラちゃんが時々口にするその言葉。その意味をまざまざと見せつけられた。
「……」
メルケ先生の死という終わりに言葉が出ない。直接の面識はほとんどない人だったけれど、彼がどんな人だったのかはもう理解できてたから。先生はわたしもアレニカちゃんも、本当ならマレシスくんでさえも傷つけるつもりはなかったんだ。だから悪魔にアクセラちゃんを倒せなんて無理難題を押し付けて、悪神の生贄にすると言いながらわたしを拘束すらせずにおいた。
「なんで……」
悪神の契約者だけど、悪人じゃない。むしろ世の中では善良と分類される人だった。アクセラちゃんの言う通り生徒思いで情に熱い人だった。それでも彼は死んでしまった。こうして誰よりもお互いを認め合ったアクセラちゃんと死闘を繰り広げて。そのことが何よりも悲しい。
「なんで……!」
言わずにいられないほど、この結末は理不尽に思えた。それでも頭では分かってる。最初から彼が考えていたのはアクセラちゃんと戦うことだけだったのだ。
命すら手段でしかないんだ、2人には。
戦士としての一念を貫くためにつぎ込める手持ちのカード。それがメルケ先生にとっての命で、きっとアクセラちゃんにとっても。彼女だって必要があればそのカードを切るだろう。戦士の業のため、使徒の使命のため、あるいは守りたい誰かのために。
守りたい誰か……。
わたしにとってその誰かこそがアクセラちゃんだ。でも今は私が純粋に守られる側。彼女はわたしを守るためなら危険を顧みずに戦ってしまう。魔獣との戦闘もそれが原因で死にかけた。今回だって絶対に来てくれるとわたしは信じて疑わなかったし、あと何回同じことが起きてもそれは変わらないと信じられる。信じられるから、逆に怖い。いつか取り返しのつかないことになって、彼女が命と言うカードを切ってしまうのではないかと。
守られる側じゃ駄目だ。
少なくともお互いを守り合える場所までいかないといけない。そう思ったときだった、ここ数週間の間わたしを悩ませたあの問題が想起される。戦う覚悟、人を殺す覚悟、冒険者の覚悟。その答えを探すために色々な人の覚悟を聞いた。魔法が好きなら他にいくつも選択肢があることを知った。アクセラちゃんの役に立てる道だっていくつも思いつけた。でもそうじゃない。わたしの覚悟は、一念はそこじゃない。
わたしは、アクセラちゃんと一緒にいたいから冒険者になったんだ。
その結論は胸にストンと収まった。それもそのはず、見失ってただけでもとから胸の奥に填まってたピースなのだ。侍女になったときもそうだったじゃないか。わたしの生涯はアクセラちゃんと共にあることを中心に据えて今を進んでる。これからもそうだと思うし、なによりわたしがそうであってほしいと思ってる。それが軸だったのだ。
「エレナ」
血だらけになって、綺麗な白い髪を赤黒く染めて、酷く疲れた顔でアクセラちゃんはわたしの下へ歩いてきた。戦っている間の享楽に支配された笑顔はどこにもない。
アクセラちゃんは戦いが好きだけど、殺しは嫌いなんだね。
当然といえば当然の事実を胸中で呟く。そしてネクロリッチの一件で彼女がしてくれた話を思い出す。色々な形で命を奪ってきたという話を。あの時、少しだけ彼女が怖いと思ってしまった。それはアクセラちゃんが人を殺すところを見たことがなかったからなんだと、今では分かる気がする。命を奪うことにまで戦闘を楽しむのと似た感覚を味わってるのだとしたら。そういう恐れがどこかに、わたしの心の隙に生まれたんだ。
「アクセラちゃん」
わたしが応えると彼女は一筋の涙を流した。
メルケ先生との戦いを見たからもう分かる。彼女が殺すときは、きっとそれが避けられないときだ。それが例えわたしのような人間からすれば避けられる戦いでも。メルケ先生とのことだって、わたしは教会と神様たちで上手く命を奪わない方法を見つけられたんじゃないかと思う。
でもメルケ先生が道を間違えてまでこだわった戦士の業を思えば、アクセラちゃんがしたように戦いの中で死なせてあげるのが正しかったのかもしれない。エゴのような気もする。ただ絶対的な正解は神様にも分からない。そんな中でアクセラちゃんは覚悟をもって回答を選んでるんだ。それをエゴだと断じれる人は、たぶん自分では何も選べない人でしかない。
「エレナ……!」
草地に座るわたしの前で彼女は膝から崩れる。そしてそのまま勢いよく抱きしめられた。酷い鉄臭と汗の臭い。でも不思議と嫌とは思わない。灼けるほど熱いその体に力強く抱かれるだけでそれまで張り詰めていた心が解れてく。
「大丈夫だよ」
気が付くとそんな言葉が口をついて出た。
「大丈夫」
そう言ってから強く抱き返す。今は彼女と共に戦えないわたしだけど、受け止めて「おかえり」をいうことくらいはできる。隣に立てるようになるまではそれがわたしの役目だ。
「大丈夫だよ」
「……ん」
彼女は小さく、肩越しに頷いた。
~予告~
遂に終わりを迎えた壮絶なる決闘。
しかし波乱はまだ終わらず……。
次回、強欲神




