七章 第22話 強者たちの悦楽
長い地下道を抜けた先は学院の外だった。攫われる前に空を覆っていた雲は忽然と消えて純白の満月が代わりに輝き、たっぷりとフラメル川の水を含んだ重い風が吹き渡る。
「先生」
「なんだ」
肩から降ろされたわたしはメルケ先生の横をついて歩いてる。逃げようと画策もしなければ、不意を突いて攻撃を入れようともせず。生贄にすると言う割に、彼もわたしを害そうとする気配はなかった。
「先生の事、教えてくれませんか」
「ルロワの心配で一杯かと思っていたが、そうでもないようだな」
「ニカちゃんは大丈夫です。アクセラちゃんが来てくれますから」
「本当に信頼が厚いことだ。いっそ信奉と言ってもいいほどに」
わたしはエクセル神の加護持ちだから、ある意味それも間違いじゃない。
「だがシーメンスはダメだろうな。あれはもう助からない」
「!」
淡白な口調でそう言った彼に、わたしの足は止まる。
「オレは悪魔の専門家じゃないが、あれは人間にどうこうできる領域を超えていた」
感情の抜け落ちた感想についカッとなって叫ぶ。
「先生の生徒でしょう!?」
「そうだな。そしてオレの監督不行き届きでもある。目の前で苦しんでいたシーメンスが悪魔に侵されていたと気づかなかった……いや、気づいたところで何ができたとも思えないが」
「……」
依然として感情のない声。どこまでも冷たい物言い。でも先生の意図に反して、そこに込められた悔しさがこぼれてしまっている。本当に悪魔の件と彼は無関係で、マレシスくんがターゲットにされたことは知らなかったのだ。
でもそうすると、先生以外に悪神と通じてる人が学内にいる?
「オレの話だったな」
強引に話題が戻される。
「オレがユーレントハイムの魔導騎士団に所属していたのは知っているか?」
「はい。噂で」
「だろうな」
先生の噂は色々な方向から入ってくる。でも具体的なことまでは誰も知らない。
「話がどういう内容に今なっているのかはしらない。ただ俺は当時、副団長にあと一歩というところまで来ていた。魔法はあまり得意ではなかったが、剣の腕だけならあの団で随一という自負があった」
それはそうだろう。アクセラちゃんが強いと断言するような人だもの。
「ある日、副団長が騎士団を辞めることになった。作戦司令部への栄転だったかな。オレと他数人がその席を巡って試合をすることに決まった」
メルケ先生は若くしてラルクナー子爵家の当主となり、騎士団でも名の知れた剛剣士として人望もあったらしい。ただ他の候補も名だたる家の出身。特に彼に次ぐ腕を持つと言われた騎士はどこかの侯爵家に連なる古い伯爵家の次男だったとか。
「少し考えればわかることだ。あいつに仕組まれたのさ。だがあの頃のオレは肩肘張った生き方しかできない愚直な馬鹿だった」
「不正をしたことにされたんですね」
「ああ。それもまあ、よくあれだけ山盛りの罪状を用意できたと思う程のをな」
いっそ清々しいとばかりに先生は語る。
副団長決定試合に向けて行われた団員の買収行為、従わない騎士への恫喝や暴行、権力を用いた平民への逸脱行為、商人たちとの黒い付き合い……全て相手のやってきた事だったが、それらがまとめて先生の罪状として提出された。
「大馬鹿なオレは相手のことを少々女癖が悪い程度の、普通の騎士仲間だと本気で思っていた。金や暴力に屈した同僚や酒場の女たちに訴えられるまでは」
騎士団に居場所を失ったメルケ先生は全ての疑惑を多額の示談金と不名誉除隊を受け入れることで処理。その上で爵位も返上した。真実か否かを争うだけの気力もなければ、その意味も理解できなかったという。
「学院に再就職できたのは偶然だな。結局除隊をした途端、目的を達成した新副団長が早々に追撃を止めたことも大きかったのだろう」
「これは復讐ですか」
薄っすらと答えの分かっている質問。
「いいや。学院で教えるのは楽しかったし、これはこれで充実した人生だったよ」
「じゃあどうして……」
「どこまで強くなれるのか試したくなったんだ」
純粋な、少年染みた声で彼は言う。抑えきれない期待が込められていた。戦いへの期待が。アクセラちゃんと彼はある意味で同じなのだ。そういう生き方を選んだのか、そういう風に生まれついてしまったのか、戦士と呼ばれる生き物なのだ。
死なせたく、ないな。
悪い人じゃない。アクセラちゃんの信じた通り。そんな人と彼女が戦って殺し合う所なんて見たくなかった。そういった思いを知らぬまま、メルケ先生は続きを口にする。
「悪神だろうがなんだろうが、あらゆる力を取り込んで。清も濁も関係なく身に付ければオレはどこまで強くなれるのか」
いつの間にか風は止んでいた。少し後ろに誰かが立つ気配。星と月が見守る平原で、先生という立場を捨てた戦士は振り向く。
「オレはそれが知りたいんだ、アクセラ」
彼女が、そこにいた。
~★~
脱出路を抜けて平原を走っていくと、ほどなく俺は彼らに追いついた。エレナは自分で歩いていて、その横で大柄な男が語っている。内容は聞こえない。だがその人物を見て俺は驚きよりも納得を感じた。
「先生」
「早かったな、アクセラ」
彼の視線が返り血と涙の痕に彩られる俺の頬へ向けられた。
「マレシスの最後に立ち会ってきたから」
「……そうか」
目を伏せるメルケ。その小さな動作一つでおおよその事態は分かった。それだけの理解が、成熟した戦士の機微が俺たちにはある。
ああ、どうしてこうなるかな。
悪魔が絡むといつだってそうだ。必要以上の悲しみが生まれ、実態以上に複雑な問題が生じる。
「ルロワは?」
「助けた」
「なら次はお前の大切な妹だな」
彼はそっとエレナの肩に手を置いた。そして彼女に「少し離れていろ」と言って押しのける。人質を取ったと豪語するには優しい振る舞いだった。確かな気遣いが込められていた。
「メルケ先生は、ほんとは……」
「黙っていろ、マクミレッツ。アクセラも、もう言葉などいらないだろう?」
正直に言えば彼の口からちゃんとした説明をしてもらいたかった。俺の理解が間違っていないか、後々の為にも逐一確認したかった。だがそれは無理なのだ。そう彼の目は言っている。ここまで来たら、もう何も関係ない。真相も、マレシスの死も、互いの行く末も。
「エレナ、離れていて」
「アクセラちゃん!だって!」
「離れていなさい」
彼女の言いたいことも分かる。分かるが、それはこの場にそぐわないモノだ。
愚か愚かと思いつつ、俺たち戦士はそこから離れられないんだよ。
これはエレナにしてほしい覚悟とは違うが、知ってはおいてほしい覚悟の形だ。俺自身の覚悟であり欲望であり、なにより命の形なのだ。あるいは病気か。こんな悲しい夜、冷たい月明かりの下でさえ壊れた心臓が歓喜の音を奏でる。そういう病気だ。
「強欲神の契約者、堕ちた騎士メルケ=ハル=ラルクナー。お相手願おう」
背中のツーハンデッドソードとカイトシールドを装備した男は名乗りを上げる。フルプレート同様に青味を帯びた鋼色の装備は全て質のいい魔鉄製だ。盾の中心には紋章を無理やり削ったような傷痕があった。ラルクナー家の紋章があったのだろう。
「技術神の使徒、紫伝一刀流アクセラ=ラナ=オルクス。承る」
腰を落として紅兎の柄に手をかける。悪魔戦の傷は全て治した。後はこの戦いを全うするまで。そんな思いを込めて見つめる先で俺の名乗りにメルケが片眉を上げた。使徒と名乗ったことが驚きだったのだろう。それでも彼は何も言わなかった。ただニヤリと笑うだけだ。
ぶつかり合う視線。それだけで夜の空に聞こえていた虫の声が止んだ。草原そのものが呼吸を潜めて様子を窺っているような静寂。それに当てられたか、唇を噛み締めたままエレナが下がった。彼女の移動がまるで始まりの鐘だったかのように、俺とメルケは同時に足を踏み出す。
「やぁああああ!!」
「はぁああああ!!」
真上に抜刀した紅兎で斬り降ろす。急な弧を描いて降る刃に、メルケは殴り上げるような軌道で剣を合わせてくる。両手大剣を片手で操る膂力は凄まじく、根元で組み合った互いの得物は位置エネルギーの差を無視して拮抗した。俺は『仰紫流刀技術』刀剣強化を、彼は3色のスキル光を纏って。
「ふっ」
紅兎を跳ね上げて左に倒し斬り付ける。メルケの手中で剣がくるりと回転、横殴りに俺の一撃を受け止めた。硬質な感触に引いた腕を大きく回して右から斬りかかる。今度は赤く輝くカイトシールドががっちりと刃を受けきった。
さすがに堅実だな。
そう思った直後、もう半回転して順手に戻った両手大剣が横腹に飛んできた。魔力強化した肘と膝で白刃取りにし、それを力点に右足で蹴りをかます。当然盾で受け止められる。それでも気にせず跳び下がる。
「ふん!!」
一切の遅滞なくメルケが追い来る。カイトシールドを構えたままツーハンデッドソードによる斬り降ろし。右半身に躱す。数センチのところを魔鉄の剣身が通過したかと思うと、待っていたとばかりに大盾が眼前に迫る。剣はフェイント。赤い光はスキルの証。
シールドバッシュ系か!
デバフ効果を持つ場合が多い盾攻撃。さらに外へと脚を運んで壁の接近をやり過ごす。振り抜かれた盾の風圧に髪が躍った。しかしそれでお仕舞ではなかった。盾の後ろから青銀の鎗が一条放たれたのだ。
「っ」
左手を突きだして水盾を多重展開する。3層を穿たれたところで刀を絡ませ抑え込む。槍かと思ったそれはガードより先、リカッソと呼ばれる剣身に設けられた刃のない部分を握って取り回しを上げたツーハンデッドだ。
スキルチェーン!?
短く持っている現在、メルケの異常な筋力はよ先端まで届く。その利点を上手く使って抑え込んだ刀をぐるりと掬い上げ、自分が上を取ろうとするメルケ。俺も負けじと切っ先を再度絡ませて下へ抑える。スキルと魔力の火花を散らしながら数度互いを制すべく上下が入れ替わる。
なんて筋力だ……!
巧みな技に凶悪な筋力が加わり、俺は両手で柄を握るよう強要される。スキル強化以外に完璧な魔力強化と魔法バフ、そして得体の知れない強化方法を取り入れていることは明らかだ。
彼の剣が俺の刀を下に置いた瞬間を狙い、刀をさらに下へ向ける。小競り合いを制したメルケの剣が地面すれすれからV字に跳ねて俺の首に飛ぶ。
「もらったぁ!」
かかった。
俺は手首を反す。下から半月を描いて分厚い剣腹を殴りつけ、紅兎は水平までツーハンデッドを叩き伏せた。そのまま押さえつければ彼はわずかな硬直を強制される。そこへ上の取り合いの間に準備した魔術を発動させる。
鋼鉄魔術・地剣
「!?」
天性の勘か、反射神経か。足を食い千切らんと牙を生やした地面から間一髪でメルケは跳び退った。俺は逆に地剣を足場として躍りかかる。地にいては狙えないその額へと紅の一閃を走らせる。だがやはりこの男は上手い。不自然な体勢からもなんとか盾を構えて見せたのだ。ザッという荒々しい音を立ててシールドを傷付け、紅兎を振り抜いた俺。滞空したところへ盾の一撃が襲う。もう一度それを足場にした俺は間合いから逃れて着地に成功するが、既に彼は距離を詰めていた。
「ははっ!」
なんという反応速度。なんという威勢の良さ。転生以来最高に愉しい相手だ。
袈裟掛けに飛来する剛剣。紅兎で真正面から受けとめた俺は、体重の軽さから容易く吹き飛ばされる。まるで翼が生えたように宙を突っ切る体。予想以上の勢いに着地を失敗すると察し、捻挫して機動力喪失という最悪の展開を回避するためわざと姿勢を崩す。下生に覆われたといえど頑丈な大地に背中から激突。
「っふぅ!!」
肺から最低限の息を捨てて衝撃を堪え、バウンドを利用して立て直す。そして土に指を突き立てて減速し、今度こそ足から着地。ブレーキにした指の皮がずるりと剥けた。それでも一息つく暇はない。再三の急接近から鋭い刺突が。上半身を大きく捻るも、先端がディムプレイトの肩ベルトを掠って食い千切った。そのままシャツと下着の肩紐も破れるが肌には辿り着かない。
よし!
刺突を半ばまで過ごした俺はメルケの体のすぐ傍にいる。振り抜く場所はないと判断して切っ先を天に向け、右腕だけで顎を狙って突きあげる。
「ちぃ!」
胸を反らし頭を傾けるメルケ。ネックガードの端を削った愛刀は彼の精悍な下顎から頬に野趣あふれる傷をつけた。彼の奥歯が軋む音さえ聞こえそうな距離で、次に俺を襲ったのは鋭角な鎧に包まれた膝蹴り。咄嗟に腹を守った左腕が魔鉄と自前のミスリル合金の鎧に挟まれて異音を上げる。
「ぐぅっ」
突きあげた刀を振り下ろして相手を遠ざけ、数歩跳んで距離を空け直す。さすがに連続攻防のあとだからか彼も深追いはしてこなかった。ちらっと見れば左腕は外側の肉が潰れて白いものまで覗いている。しかし既にそこに刻まれた幾何学模様が青い光を放っていた。
「再生している……?」
戦闘が始まって初めてまともな言葉を口にしたメルケ。彼の顔は驚きよりも享楽に染まっていた。だが面白いと思う一方で回復させては不利になるという判断も下したらしい。先に相手をした悪魔など話にならないほどの加速で巨体が再接近を試みる。
「残念、もう遅い」
見た目には重症ながら動かすに足る回復を終えた左腕に刀を持ち変えて迎撃の突き技を放つ。柄尻を握る左の突きは両手よりリーチが長く、しかし見た目には変化が分かりづらい。拳2つほどの差は達人ですら読み間違うのだ。例え自らが間合いを変えて戦うタイプであっても。
ツーハンデッドが俺の横を切り裂く。
紫伝一刀流・受突
相手の力を使って鎧の平面に刃を突き立てる技。それが腹の真ん中に入って行くほんの一拍前、超人的な筋力と反応でまたも盾が捻じ込まれる。それでも貫通力は変わらない。カイトシールドと鎧の面は同じ角度だった。
「ぬっ!」
メルケが呻く。紅の刃は大盾の中心を貫いていた。胴体には届かず。それでも刀身を赤い雫が伝っていく。盾を支える左腕を紅兎は捉えていた。
まだ。
盾を蹴り飛ばして刀を抜く。そのまま正眼に構え、彼が反応するよりも速く振り下ろす。
紫伝一刀流・雫
俺が生涯かけて極めた一刀は今度こそ、がら空きの胴を斬り捨てるかと思われた。
「!」
メルケの全身が赤く光る。目で追うのがやっとの挙動で盾を構え直す。危機に際して半自動で発動し無理やり体を守る、カバリング系スキルだ。人類を長い間守り続けてきた力は見事に間に合い、雫を受け止める。
「なに!?」
驚愕の叫びを上げたのは、だがメルケだった。紅兎はスキルの光ごとシールドを両断して見せた。彼は取っ手の下で半分になった愛盾を投げ捨てる。その状況判断は秒にも満たない。空になった手がツーハンデッドソードの柄にまわった。
「はあ!!」
「やあ!!」
裂帛の気合で両手剣と刀がぶつかる。今度は鍔元で噛み合った二振り。そのまま鍔迫り合いが始まる。メルケの瞳は諦めではなく興奮を宿して輝き、唇は裂けたようにつり上がっている。愛娘を想起させる藍色の双眸には俺も映り込んでいた。血塗れのくせに頬を上気させ、白い犬歯を剥きだしにした少女の顔が。俺たちは互いに笑っていた。
当然だろう?
技の限りを、力の限りを、命の限りを尽くして戦うことのなんと愉しいことか。全身を駆け巡る血が、躍動する筋肉が、手足のように舞う相棒が俺という生命を主張している。
ここに俺はいるぞ。生きているぞ。
声なく叫ぶ俺たちは鍔迫り合いの絶妙なバランスの中でどちらが上かを比べあう。上から押そうとすれば押し返され、下に引こうとすれば下から掬い上げられ。この硬直から抜け出した者が初撃を手にするのだ。
~予告~
不条理の舞台で舞う二人の強者。
命の叫びと死の享楽が夜を満たす。
次回、戦士たちの業




