七章 第12話 歪みの始まり
平日最後の晩のこと。私は執務に励むから鍛錬に行っていいと嘘をついてマレシスを送り出し、誰にも見られないようこっそりとアクセラとの待ち合わせに向かった。
「今日はそれを使ってもらう」
彼女が指さすのは私の腰に吊られた剣、我が王家に伝わる白陽剣ミスラ・マリナのレプリカだ。白い革と金の装飾に彩られた比較的シンプルなソレは、物心ついたときから父に託されていただけに思い入れの強い品だ。しかし同時にその真価に対してあまり畏まった念を感じられない代物でもある。
「構わないが……」
「破損はさせない。紅兎は鞘に納めたまま」
「いや、そんな心配はしていないぞ」
材質が何かまでは知らないが、並大抵の金属でないことは見れば分かる。見るだけで体の奥底から熱が溢れてくる純白の剣身は地上の素材とは思えない。これが折れるとしたらそれこそ竜や神の類と戦った時くらいだろう。
「それよりちょっと見せて」
「構わないが、どうした?」
初めて出会った日から変わらず読みづらい無表情で急かすような言葉を言うアクセラ。期待を込めたようなその声音に首を傾げつつ、私は鞘から音も高らかに剣を抜き放つ。馬上で扱うロングソードほどではないがショートソードよりやや長い刃が外気に触れてわずかな燐光を振りまく。象牙よりも透明感のある白い腹には2本の溝が切られ、鞘に隠れていたガードすぐそばの石2つへ繋がる。そこからさらにガードの中心に嵌った大きめの石にも溝が切られていた。
「大きい……!」
本当に珍しいことに、アクセラが目を見張った。声もいつもより大きい。視線は鞘に隠されていた石に注がれている。
「そ、そうなのか?」
「ん、意外」
何がそんなに意外なのか。そこの所を理解できていない私に彼女は説明を始めた。白陽剣ミスラ・マリナの本来の姿はガードの石を含めて5つのサンストーンを持つそうだ。それは白陽剣の持ち主である創世神ロゴミアスの神格でもあり、太陽そのものでもある。サンストーンから溢れるエネルギーはミスラ・マリナ1つでそこらの眷属神よりも強力なほど。そんな神器のレプリカだが、当然そこまで規格外の力はない。
「古の錬金術で生み出されたサンストーンは多くない」
長石の一種として産出する日長石にリソースを惜しみなく注ぎ込み、今では習得者がいないとされる錬金術系の最高位スキルで作られるのが霊石サンストーン。それは数以上に大きさが重要なモノであり、ユーレントハイム王国のレプリカに使用されているサイズは飛び切り大きいとされる。
「そうなのか」
「ピンと来てない?」
「……すまない。ややスケールが大きい話なものでな」
肩をすくめればアクセラもすくめ返す。そして補足説明をしてくれた。
「一般的にはここの1つの半分」
3つの石の中で若干小さい1つを指さすアクセラ。
「レプリカ神器の動力だから質か数が必要なのは当たり前。でもガードのそれ1個で足りる」
十字の交点になるガードの真ん中に填め込まれた一際大きいサンストーンを指すアクセラ。これ1つで神器のレプリカとして作動するということは、さらに2つ搭載されているこの剣は埒外に出力が高いことになる。
「相性にもよるけど、儀式レベルの魔法を連発できる魔力量」
「…………多くないか?」
「設計した人は頭がおかしい」
魔法については学院で学ぶつもりであまり予習をしていない。だが儀式や巨大な陣を必要とする魔法がとんでもない規模と威力を誇ることはさすがに分かる。都市を覆う結界魔法がいい例だ。
「今日はサンストーンを使って魔力強化をしてもらう。できる?」
「あ、ああ」
儀式魔法が何発も撃てる霊石が腰に下げられているのかと思うと若干恐ろしい気もするが、使いこなせればいい話だ。そもそも暴発するような物を王族が代々身に着けるわけもない。それに小さい頃、これを預けられた時に契約を結んでいる私なら十分扱えるはずだ。
「まず魔力を少しずつ取り出す。そこから魔力強化に回す。馴染んだらそのまま打ち込み稽古。この3つを同時にこなせるところを目指そう」
「ああ!」
力を込めて頷き、私は握った剣に意識を集中させた。
~★~
最近夢見が悪い。それも尋常ではなく。
内容は大まかに3パターンだ。俺が最大の尊敬を捧げていた兄が冒険者の女と出奔してしまった日という、絶望に染まった過去の夢。和解する以前に抱いていた勝手なイメージの通りに振る舞うアクセラという、現実には存在しない今の夢。武技も思考力もたらずに騎士の誓いを捧げた殿下を目の前で誰かに殺されるという、魂を神々に捧げてでも回避すべき未来の夢。毎日寝る度にこのどれかがランダムに現れる。
「ふぅ……っ」
寝不足からか頭の奥に生まれた小さな痛みに顔をしかめる。振るう剣にキレがないのは睡眠の質が落ちているせいだろう。
今日はこのくらいにするか。
殿下の執務中に練習場の一角を借りて行っている日課の剣術練習、体調が悪いときに無理をして日中の護衛や授業に支障がでては本末転倒だ。アクセラに教わった技術をモノにするため、また確実に力をつけている殿下の騎士として恥ずかしくない強さを保つためには寝る間を惜しんで励むべきなのだろうが。
「いや、やはり本来の役目を疎かにしてはだめだな」
迷いを振り切って木剣をしまう。スキルで武器の頑強さを強化しているものの、そろそろ傷みが目に見えて出てきた。今度教師に新品との交換を進言してみた方がいいかもしれない。
「今日はどの悪夢だろうな……」
汗を拭いて荷物を纏め、帰り支度を整えてからふとそんなことを思う。見上げる空には当然答えなどなく、それどころか厚い雲に隠されて月すらなかった。
一番辛いのはやはり殿下を守れない夢だ。兄を失って拠り所を見つけられなかった俺に殿下は手を差し伸べてくれた。あの方は優しく、気高く、賢く、懐の深い、王になるべくして生まれた方だ。持ち上げすぎだと笑う同僚もいたが、俺はそうは思わない。長くお傍で歩んできたからこそ、殿下の良い所も悪い所もよく分かる。彼の人は悪い所を改善するという点にかけて王侯貴族とは思えないほどに素直だ。王に相応しい方だと思うのは当然だろう。
そして、そんな殿下だからこそ命を賭してでもお守りしたいのだ。おめおめ生きながら殿下が血の海に沈む姿を見るのは、いくらそれが夢であると分かっていても息ができなくなる。心臓を生きたまま八つ裂きにされるような苦痛が身を蝕む。
次にしんどくなるのは兄が出て行った夢だ。俺たち兄弟に広い見識を持ってほしいと父が連れてきた上級冒険者の女が全ての発端だった。それまで見てきた貴族令嬢たちが備えているお淑やかさや上品さなど皆無の荒々しい女。美人だが顔に大きな傷のある、大雑把でものぐさで不真面目な女。それでいてどこか愛嬌とヒリつくような魅力を、何より少年の心を熱くさせる数々の冒険譚を持つ女。変わることのない確かな将来を約束された兄が、彼女に魅了されたのは当然だったのかもしれない。俺だって惹かれていたと……今なら言える。
だからきっと俺が一番ショックだったのは、心から敬愛し可愛がってくれた兄と、弟のように扱ってくれていたあの女が何も言わずに出て行った疎外感そのもの。そう頭で理解するに至っても、夢で生々しいあの日の絶望をまざまざと見せつけられることは耐えられない。
一番マシなのは想像上のアクセラが出てくる夢だ。細かい内容は多岐にわたる。殿下に取り入った彼女がその権力で好き勝手に振る舞ったり、オルクスの名の持つイメージ通りに裏切りの刃を俺の背に突き立てたり、邪悪な笑みを浮かべて無残な痣や傷を浮かべた奴隷を見せびらかしたり……正直あまり現実感がないのだ。まずアクセラの低いコミュニケーション能力で殿下を邪道に落とすことができるとは思えない。裏切りにしても正面からあっさり制圧できる俺を背後から刺す必要性が理解できない。最後の一つは俺があまり奴隷を見慣れていないこともあるが、鉄面皮なあの女が夢の中で浮かべる邪悪な笑顔に違和感がありすぎる。
「そう考えるとアクセラの夢を見るのが一番マシなのか……」
聞きようによっては酷く失礼な感想が口から飛び出す。慌てて周りを見回すが誰が見ているわけでもなかった。もうかなり遅い時間だ。当然といえば当然のことにほっと胸を撫で下ろす。
「まああと2晩耐えればシーアと夕食の約束だ。少しは気が晴れるだろう」
最近一層愛おしく想うようになった少女のことを思い浮かべる。学院に入るまではカゼン男爵の領地が遠いこともあってあまり直接会えなかったが、今はその気になれば毎日でも会える。教室移動のときにたまたま廊下で会ったりもする。それが今はすこぶる嬉しいのだ。
「さすがに疲れたな」
「ん」
「!」
我ながらややだらしない表情になりながら寮への道を歩いていると、もうすぐ着くといった辺りで小さいながらも聞き覚えのある声が聞こえてきた。俺は生来耳がいい。それこそ教室の端でヒソヒソ話に興じている女子たちの陰口が聞こえて不快になってしまうくらいには。その優れた聴覚が今の声は殿下とアクセラの物だと告げていた。
こんな時間に、こんな林の奥で何を……?
「そろそろマレシスが戻ってきてしまう」
「急がないとね」
「ああ、さすがにシャワーくらいは浴びておかないと気づかれるからな」
何か俺に隠し事をしている。そのことしか分からない状況にもやもやとした気持ちが胸に沸き起こった。方向と距離はおおよそ分かる。アクセラが察知してくるだろう範囲もここしばらくの戦闘学で理解できたつもりだ。
様子見をするだけ……。
覗き見などするべきでないことは理解している。それでも何を2人でこっそりしているのかが気になって、俺はついつい『暗視』『遠見』『隠蔽』を併用して声の方を見てしまう。木々を避けつつ足音を殺して位置取りを調整すれば、思ったより遠くにその姿を発見できた。耳がいいと言ってもスキル補正なしでよく聞こえたものだと呆れるほどの距離だ。
「……?」
一見すると2人が何をしているのかは分からなかった。殿下は額に珠の汗を浮かべ、それをタオルで拭っている。アクセラは制服の上着を着ておらず、汗こそかいていないが髪が僅かに乱れ頬は赤味を持っていた。他には楽しそうに談笑している以外何もない。
散歩で鉢合わせでもしたのか?
「でも意外だった」
「何がだ?」
「想像よりはるかに大きくて」
「まだ言ってるのか……」
「量も十分だった」
「そうだろうか?」
「ん。足腰の持久力が惜しい」
「あれ以上したら立てなくなるぞ……」
漏れ聞こえる会話からいかがわしさを感じる。こんな夜更けに男女が茂みに隠れて話しているだけでも十分間違いを疑われる状況だが、こと殿下とアクセラに限ってそんなことは……。
……ないと言えるだろうか。
ふと脳裏を過ったのは2、3日前のクラスメート、カーラ嬢の言葉。聞いていてムカムカしてくるほどアクセラの悪口を言い立てていた。俺も似たようなことを言った覚えはあるが、改めたこともあって本人の耳に入るような場所でヒソヒソと行われる陰口を放置する気になれず声をかけてしまった。その悪口で2度もカーラ嬢はアクセラが節操なく男に粉をかけていると言っていた気がする。
いや、確かに言っていた。
耳がいいのも考え物だと思った覚えがある。アクセラの考え方や振る舞いはどちらかといえば俺たち男に近く思えるが、女から見ればそうなるのか。そんな風にも思った。
あるいは同性から見た方が裏に隠された意図まで見透かせるのかもしれない……。
いやいや、何を馬鹿なことを。
泊りがけでダンジョンに向かった夜に交わした言葉は本物だった。少なくとも俺はそう信じている。信じた心を確証もなく反故にするのは騎士道にもとる行為だ。
そうだ、俺は信じることにしたんだ。
もういっそ偶然のような顔をして姿を現そうかという思いが沸き起こる。殿下は執務と言いつつ散歩に出ていたことで気まずい思いをするかもしれないが、学院内に限ればそんなことを咎めるほど今の俺は頭が固くない。アクセラについても同様で、せいぜい上着を着るように指摘するくらいか。
そうしよう。それがいい。
変に勘繰るよりそうした方がスッキリする。決断をして一歩踏み出そうとした瞬間、ズキりと頭に激痛が走った。それと同時にアクセラの目がこちらに向く。
「!」
くっ、痛みにうめき声で漏らしてしまったか!?
俺は覗き見を見つかったのかと思って咄嗟に身を隠してしまった。この暗さでかなり距離もあるから誰かまではばれなかったはずだ。しかしあのアクセラがたまたまこちらを向いただけと考えるのは、彼女の非常識さを知らない人間にのみ許された愚行。十中八九、人がいたことはバレている。そうすると今出て行くのは覗き見をしていたと告白するようなもの。
「……」
逡巡の末、俺は黙ってその場を離れることにした。最後にこちらへ向かってきていないかだけ屈んだ茂みの葉の隙間から見れば、彼女はこちらこそ向いているものの俺を補足しているわけではなさそうだ。
ん?あれは……。
アクセラと殿下の位置が変わったせいで新しい物が視界に入る。それは2人が帯びている剣だ。つまり殿下が汗だくだったのもアクセラの髪が乱れていたのも、全ては剣の練習をしていたから。気づいた瞬間、下衆の勘繰りをしてしまった恥ずかしさで顔が燃え上がる。
「まったく、俺というやつは……!」
羞恥に悶えながらできるだけ音を立てないようにそこから離れる。血が昇って余計に痛むようになった頭を押さえて。とりあえずはどこかで休んで、殿下より後に寮に戻るようにしなければ。
~★~
「どうした?」
「……ん、なんでもない」
怪訝な顔をして尋ねるネンスに首を振る。鍛錬を終えて立ち話をしている途中、離れた茂みの向こうから不穏な気配を感じた気がしたのだが。それもかなり妙な気配だった。魔獣が放つような獰猛な殺意や純粋な悪意じゃない。かつて相対した誘拐犯のようなどろどろと粘つく、あるいは過度にドライな感触とも違う。もっと密やかな何かだ。一瞬感じたような気がしたそれはもう影も形もない。
本当に気のせいか?
「ネンス、寄り道せずに帰ってね」
「寄り道もなにも、私の住まいはすぐそこなんだから」
苦笑する彼が指さす方向には薄っすらと建物の影が見える。『完全隠蔽』は俺たちを見えなくしてくれるわけじゃないので多少距離はあけているが、練習場所はブルーバード寮の目と鼻の先だ。
「それよりもアクセラの方が心配だ。ブルーアイリス寮まではそこそこ距離があるだろう。私でよければ送っていこうか?」
紳士らしくそんなことを言うネンスの鼻を、彼が捉えきれない速度で手を差し向けて指で軽く弾く。
「……痛いじゃないか」
「そういうことは私の1割くらい強くなってから言うべき」
今のところ戦闘学で組むトリオが揃い踏みしても俺に悠々とあしらわれているのだ。最低でも連携すればコンスタントにクリーンヒットを獲れる程度になってもらわないと、お気持ちだけ微笑ましく受け取りますと言うほかない。
「い、1割……今の私は一体何パーセントくらいなんだ?」
さて、何パーセントかな。
一定以上の強さを持つ者にとって、一定以下の相手は基本的に一律ゼロだ。例外は見渡す限りにひしめく軍勢といった圧倒的物量か外的要因による極めて大きいハンデの存在くらい。そういう意味ではネンスの持つ白陽剣のレプリカは小さくない要素になる。
でも使いこなせてないしな。
全部込みで計算するならおそらく……。
「ふふ、内緒」
「……いつか1割と言わず、追いつきたいものだな」
あえかな微笑みで誤魔化した結論を察してしまったらしい。彼は脱力したような笑みを浮かべて見せた。
「がんばって」
「ああ、頑張るさ。では、気を付けて」
「ん、おやすみ」
「おやすみ」
別れの挨拶だけ交わして俺たちは互いに背を向ける。寮の方へ確かに去っていくその気配を感じながら、本当に気のせいだったのか周囲へ探査の魔法を展開。ブルーアイリス寮の扉を潜るまでそれを維持しておいた。結果は空振り、どうやら本当に気のせいだったらしい。それでも過去の経験があるので、頭の片隅には気配の感触を残しておく。
もう油断で危険な目に合うのも、誰かを危険に曝すのも御免だからな。
空からはぱらぱらと雨粒が落ち始めていた。
~予告~
シーアの打ち明ける悩み。
それは何かの兆しなのか……。
次回、レモンと鹿肉と恋心




