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七章 第10話 ハリスクの地下墓所

 夏休みまであと3週間となった週末、俺とエレナはカレムに呼ばれてギルドの出張所まで出向いた。ユニコーン討伐の依頼を受けたのと同じ部屋に通された俺たちに、彼女は手短な挨拶を済ませていくつかの書類を見せる。


「まず先日の地下墳墓の件です」


 そう言って1枚目の書類が俺たちの前に置かれる。それはギルド内での通達を記した内部書類であり、わざわざ見せたのは言うよりも読む方が速いと思ったからだろう。内容は簡潔に例の地下墳墓、ハリスクの女塚の扱いについて。


「Cランク暫定ダンジョン「ハリスクの地下墓所」として認定し、中層までを冒険者ギルドの管轄として開放。思ってたより慎重ですね」


 エレナの感想にカレムは苦笑いを漏らす。それは逆向きとはいえ踏破してしまったから言えることだと。ちなみに名前が地下墓所となったのは、女塚という名前が来歴を考慮すると生々しすぎるからだそうだ。エレナほどじゃなくても冒険者だって人の子、あまりアンデッドに同情して避けられると困る。


「暫定ダンジョン?」


 名前よりも俺はそっちの方が気になる。聞いたことのない言葉だ。


「色々な事情であとから冒険者への解放を取りやめるかもしれない場所、だったと思うよ」


 俺の疑問にエレナがすらすらと答える。


「よ、よく知ってますね……」


 カレムの補足曰く、今回の暫定扱いは中身がアンデッドのみという特殊性からのこと。最奥には不死神の祭壇があり、不死神に帰依するネクロリッチが存在していた。それは教会からダンジョンとして開放することを問題視されるに十分な理由でもある。


「ある程度攻略が進んだ段階で教会の神殿騎士たちが入って危険性を査定するんです。もし周囲への呪いの影響が酷い場合や、悪神の拠点になり得る場合にはその段階でガイラテイン聖王国から戦力が派遣されることでしょう」


 創世教会総本山からアンデッドの殲滅と土地の浄化を担当する部隊がそれぞれ送られて来る。ただ、それがいわゆる神の軍隊だとしても他国の軍隊だ、ユーレントハイム上層部としては楽しい気分ではないだろう。


「それにダンジョンとしての安定性もまだ未定ですから」


 たとえば「災いの果樹園」にはシュリルソーン系の魔物を中心とした生態系が成り立っていた。そして上位魔物を一定数狩ってもまたそのうち再生してきた。これはダンジョンとしての魔力循環や食物連鎖といったリソースが異常なりに滞りなく巡っていたからこそである。「ハリスクの地下墓所」で言えば素体になる遺骨と魔力、呪いがリソースにあたる。

 一応触れておくと、眠っている骨が尽きてしまった場合はそのまま魔物が居ないダンジョンになる可能性以外に2つのパターンがある。一つ目が魔力を元手に別の魔物が生まれる、あるいは住み着くことでアンデッド系でない魔物のダンジョンになる可能性。二つ目が魔力を使って呪いが宿るための肉体、つまりスケルトンを新しく生成し永遠に続く可能性。

 後者はどれだけの呪いがあのダンジョンに溜まっているかにもよる。もちろん全く別の可能性としてそのまま魔力が霧散してただの穴、一般に言う所の「枯れた」ダンジョンになることも考えられる。


「ただ、おそらく骨が尽きて以降は枯れるか別のダンジョンになると思われます」


 カレムは俺たちに2つ目の書類を見せる。それは数ページにわたる報告書であり、俺たちの聴取内容についても書かれていた。ネクロリッチと残留思念による不定形アンデッドの討伐。これにより内部で渦巻いていた大量の呪いは拠り所を失って消滅した目算が高いとのことだった。当然その呪いがダンジョンのどこかで渦巻いていることも考えられるので、そこは神殿による調査で判断されるらしい。


「よほど強い呪いがないと魔力からアンデッドは生まれないんだっけ?」


「ん」


「そうですね。不死神の呪いは死者への邪悪な加護と言われてますから、死者が居ないのに作用することはなかなかないんでしょう」


 カレムの説明は俺やエレナから見ても的を射た推測に思えた。


「ダンジョンについてはこのくらいですね」


「上ギルドや教会に出頭する必要は?」


 今回の最大懸念事項、討伐者である俺とエレナに対する追加聴取がどうなったのか彼女に聞いてみる。するとなんとも言えない表情でカレムは肩をすくめた。


「最初は行う予定だったんです。特に教会が詳しく話を聞きたいという態度を示していたんですが……」


 上級アンデッドは本来冒険者よりも教会の領分だ。それを偶然遭遇してそのまま2人で討伐したなど信じられないのだろう。そのこと自体は特に不思議でもない。相性の都合がなければ俺でもあのランクの魔物は手こずるはずなのだ。


「それがどうして?」


「どうも教会の上の方からストップがかかったみたいなんですよ」


 結果、このようなメッセージが出されて終わったらしい。

 

 我々は冒険者に広く対アンデッドの装備や知識を広めている。今回はそれが浸透していると確認できただけのことだ。また冒険者は我々にとって信頼すべき戦友である。過度に詮索をするのは教会と言えどマナー違反だ。


 ああ、これはエベレア司教が手を回してくれたな。

 老齢にもかかわらず耳の早い、そのうえ手まで早い司教様。俺たちの事を大切に想ってくれているからこそだろうが、驚くべき影響力だ。


「ギルドとしてはありがたいですけどね」


 カレムはそう言ってもう一度肩をすくめた。


「今日はそれだけ?」


「あ、いえまだ1つ」


 俺の質問に3つ目の書類が取り出される。それは2部あり、俺とエレナの前にそれぞれ置かれた。


「おめでとうございます、Bランクへの昇格試験資格が認められました!」


 カレムは満面の笑みで祝福してくれる。あと3回ほどの必要依頼達成数は今回の戦闘でクリアになったらしい。俺はレイルの教導でどのみち済んでいるわけだけど。


「されますよね?」


「保留」


「保留でお願いします」


 ニコニコとしたまま繰り出される質問に俺たちは口を揃えてそう答えた。


「……やっぱりですか」


 意外なことにカレムは驚愕することもなく、少しだけがっかりした様子で書類を下げる。


「そうじゃないかなとは思ってたんです」


「どうして?」


「だって……」


 カレムが言うには、俺たちの活動は彼女にとってかなり分かりやすい物だったそうだ。ケイサルに生まれた彼女はオルクス家のことも知っている。王都での噂や当主の在り方と領地での在り方に決定的な違いがあることも、元領民でありギルドという情報の渦の中に居ればすぐに気づくこと。加えて領地ではマザー・ドウェイラの後ろ盾もあって派手に活動していた俺たちが、こちらに来てからはあまり派手に動いていない。


「ユニコーンの群れは派手だったと思うんですけど……」


「ケイサルにいらっしゃった頃と比べてですよ」


 たしかに屋敷にいたころは依頼内容もこなし方、こなした後のギルドでの振る舞い方も派手だった。小さい頃は街中で高い身体能力を活かした鬼ごっこをしたこともあるし、成長してからは冒険者仲間と祝勝会で騒いだこともある。それに比べれば秘匿性の高い学院内でこっそり受けてこっそり遂行するスタイルはたしかに地味だ。


「それにユニコーンの依頼は内密なんですよ」


 ユニコーン討伐は男性経験のない強い女性冒険者に依頼される。誰が受けたか分かってしまうと、暗にそのパーティーは清らかな乙女ですと宣伝するようなものだ。大昔に一度これをやらかして、羞恥に耐えられなくなったパーティーが拠点を変えるという事態に発展したとか。しかもその町は運悪く別の群れに襲われ、貴重な強い女性パーティーがいなかったために滅びの道をたどる……。笑いごとでは済まないということで、ギルドの規定がそのように整備されたのだった。

 俺たちは貴族出身者だから、デメリットはないんだけどな。


「今回、「雪花兎」というパーティー名だけは公開されます。お2人の身分とパーティー所属を明かしていない点を考慮しての判断です。必要になればこれらの功績による名声を、一応引き継げるようにしてあります」


 貴族が乙女と分かっても困らない。そして今は雌伏しているが今後名声が必要になるかもしれない。全てを勘案した結論は俺たちを登録から今日まで、間数年空きつつも見てきた彼女だからこその判断だ。


「とまあ、話は逸れましたが今回はCランクのまま続行していただけます。下ギルドのギルマスが手を回してくれたそうなので安心してください」


 下ギルドマスター、フィネス=ウェッジホーンからの誠意ということだろうか。しかし逆に言うと、次なにか大きな成果を上げればBランクに上げないわけにいかなくなるということでもある。あまり功績に対してランクを上げないとギルドの信用に関わるから。


「ん、心しておく」


「是非そうしてください」


 温かみのある苦笑を浮かべてカレムは頷いた。

 こうしてみると、気心の知れた彼女が学院出張所を担当していたことは幸いだったな。


 ~★~


「ナインズ商会が新しく出した香水が」


「母の実家が送ってくれたドレスが」


「以前お会いした男爵様が色々と贈ってくださって」


「パーセルス子爵領の翡翠でできたネックレスを」


 放課後の私を襲うのは濁流のような情報の海。私と懇意にしてくれているクラスの友人4、5名と交わす会話はいつも通り。最新のオシャレから装飾品、家柄、男女の縁まで幅広い話題が飛び出す。目新しい情報が沢山。けど一歩下がって俯瞰すると呆れるほど同じ話ばっかり。貴族令嬢の世界とは基本的にそういうもの。そう思っていても気を張っていなければ過ぎ去った話題をつい忘れてしまいそうになる。ただそんな話題ほど後から必要になったりするから、気は抜けない。


「アレニカさんはどちらの色がいいと思われます?」


 我がルロワ家の派閥に属する男爵家の令嬢、リンナさんが2つのブローチを手に尋ねてくる。片方は色味の暗いサファイア、もう片方は鮮やかなエメラルドだ。


「お兄様の叙任祝いでしたわね、おめでとうございます」


「覚えていてくださったんですか!」


 大げさに喜んで見せるリンナさん。これでも多少脚色しているだけで、本当に喜んでくれているのだから微笑ましい。

 と、いけないわ。まるで他の人が演技だけみたいな感想。

 思っていることはふとした瞬間の言葉や態度に現れる。お母様みたいなサロンの女主人になるためには、心に浮かぶ言葉すら気を付けないといけない。そういう部分のツメの甘さが命取りなのだから。


「冬の夜会までは制服の方がいいかと思いまして」


 学院は冬に大々的な夜会を催す。その日まで私たち1年生は慎ましやかに過ごすのが一般的だ。ドレスの代わりに正装扱いである制服を着るなどして。本来は夜会への参加自体を自粛するものだけど、兄が役職についたお祝いの夜会に妹が参加しないのはよくない。


「そうですわね……この2つなら青の方がいいのではなくて?リンナさんの瞳の色によく合っているわ」


 瞳の色とアクセサリーを合わせるのは定番中の定番と言えるくらいの定石。でも、定石になるだけあって、ちゃんと美しく見える組み合わせだ。

 本当はエメラルドって言ってほしいんでしょうね……でもサファイアの方が絶対合う。


「でも制服に合わせるなら緑の方が映えませんか?」


 案の定リンナさんは食い下がる。自分より慣れている人に自分の着たい組み合わせをオススメしてもらって、自信たっぷりに纏いたいのだ。それは分かるけれど、私も私で下手なことを言えない。特にアクセサリーの取り合わせなんて上級貴族の娘には基本中の基本で、下手に定石を外したアドバイスなんて。

 ああ、でもフォローしないと。


「もちろんエメラルドのブローチも素敵ですわ。白い制服に緑が入って、リンナさんの爽やかで清楚な雰囲気を際立たせますもの」


「そ、そんな、清楚だなんて……」


 初心な男爵令嬢はこれだけの褒め言葉で頬を染める。扱いやすくて助かる。

 ……じゃなかった。はあ、まだまだ修行不足ね。


「でも学院の制服って上から下までほとんど白一色でしょう?」


「確かに、そうです」


「だからこそ、ここは定石に従って青ですのよ。そのサファイアはリンナさんの瞳より濃い色だから、お顔を明るく目立たせてくれると思いますわ」


「ああ!そういうことだったんですね」


 合点が言ったようで彼女は手を合わせて笑顔を浮かべる。


「ありがとうございます、アレニカさん。青い方にしますね!」


「さすがは伯爵家の令嬢ですわ」


「相談してよかったわね、リンナさん」


「ええ、本当に」


 それまで黙って聞いていた他のお嬢さんたちがこぞって讃えてくれる。それに嫌味と思われない程度の謙遜を返しながら、会話に隙間を作るまいと流れ込んでくる次の話題を聞く。私たちが一番嫌うのは沈黙で、その次が話題に置いて行かれること。かといって同じ人がずっと話すのも煙たがられる。話終わった今の私の役割はこのグループのリーダーとして話題に聞き入り、合いの手を入れるタイミングを見逃さないことだ。


「そういえば聞きました?」


「どうしたんですの?」


「聖王国から使者の方がいらっしゃるそうですよ」


「聖王国から?」


 姦しくやりとりされる情報は、私が既に知っている内容だった。これでもルロワの、政務長官の娘。そういった政治向きの話題は詳しい方だと思う。でもさっき散々喋った手前、今は私のターンじゃない。それにサロンに政治向きの話は馴染まない。

 これはしばらく様子見ね。

 そう思った矢先、視界の端に特徴的な色が映る。まるでミルクのような優しい白の髪はこの国を支える偉大な4つの血筋の1つ、レグムント侯爵家の系譜にしか現れない特徴。私たちの代でその色を持つのはこのクラスメイトとその弟だけだ。

 アクセラ=ラナ=オルクス……。

 我知らず、口の中で小さくその名前を紡いでみる。もちろん音にはしない。だから誰も気づかない。彼女もまた気づかないまま、いつもの友人たちと話している。

 不思議な少女。それが一度話してみた感想だった。直接言葉を交わしたのは1度だけ、たまたま日課の散歩をしていたら出くわした時だ。制服の上着を羽織って前も留めず、腰に剣を下げて鍛錬帰りだとか言っていた。

 彼女は自分の言動に同じ貴族とは思えないほど無頓着だった。私がどれだけ誇張した不快感や怒りを見せても、ただ落ち着いた調子で誤解を解こうとしてきた。誰かの機嫌を窺うことなど知らず、嫌われることに恐怖を感じず。けれど他人を見下すわけでもなければ、悪戯に対立を好むわけでもない。己を己として、あるがままに振る舞う。まるで老境の王のような少女だ。


 ―周りに人がいないと嫌なタイプだと思ってた―


 そんな彼女に言われたからだろう、あれ以来アクセラさんの顔を見るとその言葉が蘇る。ずっと私が大勢の人に囲まれているからそう思っただけと、彼女は弁解して見せたけど……。

 嫌とか嫌じゃないとか、そういう次元じゃないのよ。

 これが貴族の娘に、いずれはサロンという狭い世界で生きていく私に唯一ある居場所なだけ。彼女が剣の腕を磨いてどう将来を切り開くのかは分からない。もしかすると騎士団に入るのかもしれない。数は少ないけど、女性騎士として身を立てる貴族の娘はいる。あるいは強い血を求める武門に嫁ぐのかも。魔法も得意らしいし、なにより冒険者として大きな魔物を倒したことがあるそうだから、その可能性は大いにある。

 なんにせよ、私には考えられない道だ。剣なんて護身用の短剣以外持ったことがないし、魔法も……使えない。

 私にはない道。たぶん、ない道。

 探したことなどないのだから、本当はあるかないかも分からない。探す時間も自由も権限もない。探してみてなかったらとんでもない時間と労力の無駄になる。

 でも、もしあるのだとしたら、今よりは楽しいのかしら?

 彼女のように飾らず、真っ直ぐでひたむきに、ただあるがままに生きるのは……。


「アクセラさんてカンジ悪いですよね」


「!」


 まるで狙いすましたように投げ込まれたその言葉が、一際大きく私の鼓膜を打つ。肩が跳ねそうになったのは見られなかっただろうか。驚いて視線を向けたことを怪訝に思われはしなかっただろうか。そんな心配を私がしている間にも彼女、カーラさんの口は動き続ける。


「まるでなんでも知ってますみたいな顔をして、殿方にも馴れ馴れしくして」


 形ばかりの丁寧な言葉が内側に込められた刺々しい空気を余計に強くする。子爵令嬢であるカーラさんは3年生に従姉妹がいて学院内の情報に耳聡い。グループの中でも一風変わった話題をよく持ち込んでくれるので、内心では退屈している私たち全員にはありがたい存在だ。少し下世話なゴシップや皮肉の効いた物が多いのもまた、箱入りのお嬢さんたちには刺激的で面白いらしい。


「婚約者のいるレイル様やマレシス様、果ては殿下にまで」


 殿下……シネンシス殿下。そう言えばあの日、私も似たようなことを言って彼女に詰め寄った。ほんの少し前のことなのになぜか意識からこぼれていたそのことを思い出す。アクセラさんはきっぱりと殿下に特別な思いはないと言っていたけれど、どこまで信じていいのか分からない。

 分からないのに……なぜかあんまりモヤモヤしなくなったわね?

 思い返してから自分で驚く。直接会話をするまでは殿下から話しかけていただいていることも、お茶会に呼ばれたことも、部屋に上げていただいたことも、授業とはいえ週に1時間以上も二人っきりになっていることも、とにかく全てが気に食わなくて心がささくれ立っていた。それなのに少し喋って以来、お茶に誘われて教室を去るアクセラさんを見ても羨ましい以上の感情が沸かなくなっていた。


「そもそもオルクスの直系で、よく学院に来れるものです」


 私が内心で首を傾げている間にもカーラさんの舌鋒は止まるところを知らない。普段から刺激の強い物言いをする彼女は、よっぽどアクセラさんが嫌いなのか常ならぬ勢いで瑕疵を上げる。無表情で何を考えているのか分からない、剣を振り回してお淑やかさの欠片もない、貴族の身分で冒険者ごっこに熱を上げている、節操もなく殿方に媚を売っているなどなど。よくまあそこまで出てくると、少しだけ呆れるほどだ。もちろん表現は汚くならないように注意している様子だけど、それが言葉に込められた嫌悪感を際立たせている

 そろそろ止めないと不味いかしら……。

 カーラさんが振りまく多少の陰口はサロンのスパイスだ。しかしそれも過ぎればよくない。人を悪し様に言う人をどうコントロールするかも女主人の腕の見せ所。


「カ……」


「おい」


「!」


 私が口を開こうとしたとき、低く咎めるような声が聞こえて全員が固まった。慌てて視線をそちらに向けると、そこに居たのは殿下の近衛騎士であるマレシス様。眉間に普段より深い皺を刻んで不快そうにねめつけてくる。


「マ、マレシス様……」


 シネンシス殿下の側近でもある騎士様からの眼差しに私たちは凍り付いて何も言えなくなる。本人に威圧しているつもりはないのだ、きっと。女性を武威で圧倒するような事はしない人だから。ただ視線だけで動けなくなってしまうくらい、彼は力も立場も強い。それに目の下にできた小さなクマが迫力を後押ししている。


「ここは教室、公共の場だ」


 陰口を叩くなら他所でやれ。そう言外に言われる。たしかにサロンのような閉鎖された環境でもないのに長々とよくない話題を続けてしまった非は、言い逃れのしようもなくこちらにあった。


「し、失礼しますわ」


「ご機嫌よう」


 挨拶もそこそこに、私たちはまさに蜘蛛の子を散らすように教室から出て行くしかない。間違っても彼の耳に声が届かないよう、教室棟を出るまでは誰もなにも言わなかった。


「こ、怖かった……」


 いつものように商店街へ向かう道まで来て、最初にそう言ったのはリンナさんだった。それに続いて異口同音の言葉が漏れる。


「やっぱり近衛騎士に列せられる人は迫力が違いますわね」


「父と兄も騎士ですが、なかなかああは……」


「近衛ですもの、違って当然よ」


 アクセラさんの噂といえば、あのマレシス様を投げ飛ばしたという眉唾なものがあった気もする。


「でもちょっと失礼ですよね」


「……」


「……」


 またも繰り出されるカーラさんの台詞にわずかばかりの非難と同意が混じった視線が集まる。場所を選ばず話していた私たちが悪いのは事実だ。でも女性が集まっての会話に男性が割って入るのもマナー違反。特にあんなぶっきら棒な言葉と視線でというのは、下手をすると嫌な噂の1つ2つ流されたりするくらい不躾な行為にあたる。


「そもそもご自分だってアクセラさんの悪口をおっしゃってるじゃない」


「カーラさん、そのくらいで」


「そうですわよ。それにマレシス様は言うにしても本人に面と向かって言っておいでですもの」


「騎士らしいといえば騎士らしいスタンスですわよね」


 私が止めにかかったとたん、全員がマレシス様をやや擁護するように動きだす。そうすることで場の空気が中和され、話題を変えやすくなるから。今日のスパイスはもうお腹いっぱいだ。

 よし、だいぶリズムが掴めているわね。今日の私は……


「マレシス様なら殿下に報告されることもないでしょうし」


「!!」


 ふと耳に入ったその言葉が誰のものだったかは分からない。ただ、すっかり失念していたことを思い出させられた私は硬直する。そうだ、マレシス様から咎められるということは、すなわち王子殿下に伝わるかもしれないということ。

 他人の耳目のある場所で、私が率いるグループの中で、殿下が親しくしているアクセラさんのことを、マナーを超える勢いで批判していた。

 噛んで含めるがごとく脳裏に浮かぶ言葉の羅列に、血の気が一瞬で引いて寒気がしだす。


「ア、アレニカさん?」


「……」


 急に立ち止まったせいだろう。心配そうに声を掛けてくれるリンナさんにも、私は言葉を返すことができず。

 ど、どうすれば……!

 このままでは殿下に嫌われるかもしれない。その危惧で頭が一杯になる。


「私、用事を思い出しましたわ」


「え?」


「急ぎ戻らないといけませんので、これにて失礼させていただきますわね!」


「え、あの、アレニカさん!?」


 困惑する皆を置き去りに、私は可能な限りの早歩きで寮に向かう。静かな個室でどうすれば殿下の勘違いを解けるか考えなくては。誤解されていないかもしれないけれど、されていたら致命的だ。もし殿下に性悪女なんて思われたら……。

 ああ、生きていけない!!


 その時、私は自分の背中に突き刺さる粘度の高い一対の視線に気づくことはなかった。


なななんと!!

技神聖典の幼少期、覚醒編までを範囲に含めたプロモーションビデオが完成しました!

製作はTwitterにてPV企画を募集してくださっていました星天様です。

動画をなろうに載せられないのが悔して悔しくてなりません><

Twitterの固定ツイにしておりますので是非ご視聴と拡散をお願いいたします。

そして感想欄でのコメント、お待ちしております!


~予告~

穏やかで、賑やかで、楽しくて。

一生の宝となるその時は……。

次回、陽だまりの日々

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