七章 第9話 エレノア
覚悟を知るために色々な人と話してみる。そう決めたわたしはあれから色々な人にお話を聞きに行った。担任のヴィア先生や他の魔法の先生たち、天文学のキング先生、そしてギルド出張所のカレムさんに。魔法の先生たちはそれぞれ教師としての責任や魔法使いとしての力を自覚することを、キング先生は天文学に日中の光すら捧げる決意をした日のことを、カレムさんは故郷のケイサルを出て王都に嫁いだ時の想いと悩みをそれぞれ快く教えてくれた。その中でヴィア先生が一人の相談相手を勧めてくれたので、今日はその人に会うため図書館まできたのだ。
「君がエレナさん?」
大きな大きな図書館の個室で待ってると、若い男の人が入ってきて尋ねた。
「あ、はい」
「そっか。部屋違いじゃなくてよかった」
男の人の名前はドーニゲットさん。ヴィア先生の学院時代の同級生で今はここの司書をしてる。司書の制服に包まれた体は横に広く柔らかそうで、およそ戦闘とはかけ離れた場所にいるのが分かる。
「今日はよろしくお願いします」
「そんなに畏まらないで大丈夫だよ。ヴィアちゃんの生徒さんなんでしょ?じゃあ僕にとっても大事な生徒だ」
そこまで行ってからバツが悪そうに笑うドーニゲットさん。
「司書なんだし、ヴィアちゃんの生徒さんじゃなくてもちゃんと生徒だよね。いけないいけない」
少し抜けてるけど優しそうで気のいい人。それが彼の印象だ。
「えっと、今日は……」
「うん、聞いてるよ。悩んでるんだってね」
テーブルの向かい側に座った彼は微笑みを浮かべる。
「一応、君から悩みの内容は聞くようにって言われてるんだけど」
「あ、わかりました」
先生もどこまで言っていいのか悩んだのかもしれない。そう思ってわたしは大まかな流れを説明する。冒険者をしてて、殺す覚悟を問われてるのだと。それを一通り聞き終わったドーニゲットさんは目を瞑ってしばらく頷いて見せた。
「なるほどね……」
司書としての覚悟の在り方を知ることがどこまで参考になるかはわからない。でもわたしも本は好きだし、魔法使いや教員と同じくらい魅力的な仕事だと思う。だからもしかしたら、わたしが見つけるべき道がそこから見えてくるかもしれない。そんな風に考えてると、ドーニゲットさんは浮かべた笑顔を苦笑に変えてこう言った。
「ヴィアちゃんも生徒さんのためとはいえ、酷なことをするなあ」
「酷なことですか?」
「うん。あ、そうか。僕が君のことを聞かされていなかったように、君もなにも説明されてないんだね」
穏やかな調子で語られるのは彼をヴィア先生が勧めた理由だった。
「率直に教えてくれたから、そのお礼に僕も率直な説明にするよ。僕は今でこそ司書だけど、昔は騎士を目指してたんだ」
領地の騎士ではなく国に仕える下級騎士を目標にしてたらしい。下級騎士なら平民からでもなれるし、彼の家はもともと騎士爵家だったのでハードル自体はそこまでじゃなかったとか。
「信じてもらえるかはわからないけど、昔はもっと鍛えてたんだよ?」
そう言って彼は自嘲気味にお腹を撫でる。騎士を志したとはにわかに信じられないほど突き出たお腹を。
「そんな僕がどうして今は司書をしているのか……それはずばり、僕が殺す覚悟を持てなかったからさ」
「!」
言った通り、真っ直ぐに核心へ話題を持って行くドーニゲットさん。それを聞いたとき、わたしはヴィア先生にあとで感謝しなくてはと思った。わたしと同じ問題に突き当たって、その末に剣を置いた人。彼以上に意味のある話をしてくれる人はきっといない。
「詳しく教えてください!」
「もちろん」
ドーニゲットさんはそれから自分の生い立ちを簡潔に説明してくれた。騎士爵の家に生まれ、一代限りの爵位には責任がないかわり権利もなく、学院で身を立てる以外に手段が思いつかなかったと。
「最初は父と同じ国の騎士か、貴族の私有騎士になろうと思ってたんだ」
そのために戦闘学では必死に剣や盾のスキルを習得しようと練習し、その甲斐あってそこそこ以上のものを得ることができたという。
「もともと本が好きだったこともあって筆記の成績も悪くなかったんだよ。だからずっとヴィアちゃんと同じAクラスに在籍できていた」
ちなみにその頃の担任が現在司書長を務めるベサニア女史。
「でね、今の君のように問題に直面したのさ。あれは3年生の夏だった」
「なにがあったんですか」
「父が盗賊の討伐任務で重傷を負ってしまって、引退するしかなくなったんだ」
騎士爵であることに変わりはないが、手当は今までより大きく減ってしまう。学院卒業と同時に働くことが運命づけられたドーニゲットさんは、父の最後の仕事だった盗賊討伐について考えることになる。
「人と斬り合いをする度胸があるかって考えたとき、僕がなによりも怖かったのは自分が傷つくことよりも誰かを殺すことだった」
「……」
殺されるくらいなら殺す。それは当然の論理に思える。でもいざ目の前にしたら足がすくんでしまう。戦士の覚悟を持ってない人や、とっさにソレを乗り越えられる人じゃないと。この前のわたしと同じ状況だった。
「最初はそんなことないって自分に言い聞かせたよ。ギルドに登録して盗賊狩りの依頼を受けて……でもダメだった」
彼は盗賊を目の前にして、必死にレベルを上げてきた『剣術』を一度も発動することなく終わった。膝から崩れ落ちて不甲斐なさに涙した彼を、同行していたベテラン冒険者は笑うことなく諭したそうだ。
「お前は戦う人間じゃなかった、それだけのことだ。俺たちは戦うしかできない人間だけど、お前は別の事をできる人間なんだろう。そう言ってくれてね」
戦う人間とそうじゃない人間。
「それで司書に?」
「ちょうど当時の司書長が高齢を理由に辞めてしまったところで、ベサニア先生が後任に決まってたんだ。相談したら手が欲しかった、司書になってほしいって言われて」
元々本が好きだったドーニゲットさん。卒業まで悩み抜いた末に恩師の誘いを受けた。
「その、ご家族は……?」
「父は激怒したよ。祖父が騎士爵を得て、自分が名誉の負傷と引き換えに高めた家名をなんとするか!って。剣の才能はあった方だから、僕の代で男爵にしてほしかったんだと思う」
家名を高め引き継いでいくことが貴族の誉れであり責任。父さまの教育もあって私には備わってない感覚だった。
「これが男爵なら文官として爵位を継ぐこともできたんだけど、騎士だからね」
騎士爵は騎士にのみ与えられる爵位なのだ。だから騎士爵家の子供が文官として宮仕えをしても、騎士爵は名乗れない。無銘、平民の文官として扱われる。騎士になるなら爵位を継げなくとも騎士爵スタートであり、実質引き継いだとみなされる。
「結局勘当されて、今は姓のないただのドーニゲットさ」
彼はわずかに悲しそうな表情を浮かべて肩をすくめた。勘当されてもドーニゲットさんはお父さんを憎んでない。それどころか家族として大切に思ってる。そう感じさせる顔だった。
「後悔は、してますか?」
「司書になったことは後悔してない。騎士になってもすぐに死んでただろうし。でもお察しの通り、家族と二度と会えないのは少し寂しいね」
「そうですか……」
「もし騎士になってたら家族といれた。父に認めてもらうこともできた。短い一生になるかもしれないけど、子供の頃に憧れた父の姿を追って生きれた。そう思えば少し未練はあるけど」
自嘲気味に笑う彼の顔は、今の選択で満足しているように見えた。後悔はなく、しかし未練はある。それがどんな心境なのか、今のわたしには分かるようで分からない。だからこそだろうか、わたしは一つのありえない仮定で質問をしてみようと思った。
「もし司書に殺す覚悟が必要だったら、司書になってましたか?」
「司書に殺す覚悟……?」
「騎士みたいに頻繁な危険じゃなくていいんです。でも覚悟として持っておかなければいけないとしたら」
そんなことはまず起こりえない。それでも仮定の上で、本を愛し、殺し殺される騎士の道を捨てた彼はどう選ぶのか。それが知りたかった。
「そうだなあ」
顎に手を当ててしばらく考え込むドーニゲットさん。少しして彼は曖昧な笑みを浮かべた。
「具体的に想像ができないから、なったかならなかったかは答えられないかな」
そう前置いた上で言葉は続く。
「たとえば図書館にいきなり盗賊がやってきて……みたいなことなら応戦はできるかもね。でも殺せはしないと思う。なんとか応戦して時間を稼いで、戦闘学や魔法学の先生が来るのを待つのが精一杯だよ」
ある意味アクセラちゃんの抱く強者の優越に似た答えだ。圧倒的に強いからこそ相手を殺すか殺さないかを自分で選べるという、彼女の持つ権利に。ドーニゲットさんの腕前でその権利を行使できる相手なら成立する。でもそれを超えて相手が強ければ、彼は時間を稼いで死ぬだろう。最後のところで相手を殺すアクセラちゃんと殺されるドーニゲットさん。わたしはどっちの人間なのか……。
「参考にならなかったかな?」
考え込んでいると、心配そうにドーニゲットさんが尋ねてきた。
「あ、すみません、ちょっと考えてました」
一言謝ってからお礼を。
「ありがとうございます。たぶん、今までで一番参考になるお話でした!」
ドーニゲットさんは泣きそうな優しい笑みを浮かべて「それならよかった」と何度も繰り返した。まるで自分に言い聞かせるように、噛み締めるように、何度も何度も。
~★~
俺とエレナが揃って寮の食堂から戻ってくると、部屋のメールボックスに小包が入っていた。何かと首を傾げながらリビングでいつも通りお茶の用意をして、ギルドの判子が押された包み紙を破ってみる。すると中から3通の手紙が出てくる。
「ウチの紋章?」
「差出人は……父さまとトレイスくん、それからアンナさんだよ」
家宰であるビクター、弟のトレイスはわかる。でもなぜ侍女のアンナから?
我が家は使用人との距離が近く、本物の家族のような付き合いをしている。といっても手紙は安くない。特にギルド経由で王都までとなると、高給取りである伯爵家の侍女であっても用事なしに出せるものじゃない。
「あ、もしかして」
エレナが何か気づいた様子でアンナの手紙を俺から奪い取る。
「読ませて!」
「ん」
どうせ2人とも全部読むのだ。順番は気にしない。そう思ってトレイスの手紙を、スカートの中から取り出したナイフで開ける。薄っすらと黄色がかった上質な紙の封筒に同色の便せんで、どことなく少女っぽさを感じる手紙だ。
トレイスにはもう少し男らしくなってほしいものだが……まあいいか。
貴族の少年はやはり強さを重視する傾向がある。来年から学院に通う弟がそんな風潮のなかでいじめられやしないか少し心配だったが、その時は相手の生徒を俺とエレナで徹底教育してやればいい。
「……ん」
物騒なことを考えながら読み進めると、トレイスがこの半年弱を頑張って過ごしてきたことが手に取るようにわかった。
最初に日々の勉強のことが綴られていた。ラナやビクターから色々な教養に加え政治経済のことも教わっているらしい。実質唯一の跡継ぎであるトレイスの覚えることは沢山ある。それらをレメナ爺さんの残した俺たち用の教材も使いながらみっちり学んでいるのだ。
続いて勉強の合間に侍女や執事たちが教えてくれる世の中の事、連れて行ってもらった店やピクニックのことが書かれていた。数は少ないものの、俺やエレナと行った記憶とあいまってとても楽しい。けど少し寂しい。そんな少年の心情が綴られている。
最後にとっておきのビッグニュースとして、アンナのお産に立ち会ったと教えてくれた。俺たちが領地を離れる直前にかなりお腹の大きくなっていた彼女は、少し前に無事元気な女の子を産んだそうな。覚えたての魔法で産婆やラナたちの補助をしたのだという。目の前で命が生まれる瞬間を見た彼は、その時の感動や言葉にできない心をなんとか言葉にして書き連ねていた。
そうか、お産に立ち会ったのか。それはいい経験をしたな。
文才のあるトレイスにしては無軌道な文の羅列は、それだけ大きな影響を彼の心に与えたのだと理解させるに十分な証拠だ。母親の想像を絶する苦悶の叫びと赤子の産声が、どれだけ魂を揺さぶる音色であるかは聞いた者にしか分からない。きっとトレイスにとって大切な財産となる経験だ。
「読み終わった」
「うん、わたしも。アクセラちゃん、びっくりするよ!」
やたらと目を輝かせたエレナとお互いの手紙を交換する。アンナからの手紙はやはり娘が生まれたことへの報告だった。母親と同じ髪色の赤子は産婆曰く平均的な体重の元気な女児。産婆曰くエレナのときより随分と軽いお産だったとのこと。
「!」
読み進めていくと、たしかに驚きの報告が書いてあった。
―アクセラお嬢様のおかげでしょうか、娘は生まれたときから技術神エクセル様の加護をその身に宿していました。トレイス様を救って下さったお方に見守られて、この子はきっと素敵な人生を送れるのだと夫ともども感激しています―
ユーレントハイム王国で俺が把握している限り3人目の加護持ち。それがなんの偶然かアンナの娘になったのだ。「見守られて」いると感激した彼女には悪いが、一番俺が驚いた。
「続き読んでみて!」
横から覗き込んだエレナに促されるまま、手紙を最後まで読み進める。話題は新しく生まれた俺の信徒の名前についてだった。
「エレノア=アンナ」
「そう!偽名だけど、わたしからとってくれたの!」
使徒アクセラから加護を貰えたのだと喜んだアンナたち夫婦は、名前はエレナからと彼女がリオリー魔法店向けに使っている偽名をつけたのだ。俺とエレナと娘の3人に最大限の愛情を示したかったのだろう。
「トレイスが立ち会って、私の加護を得て、エレナから名前を貰った子」
それは複雑ながら強く結びついた俺たち3人姉弟にとって、何か果てしなく大切な意味を持った存在だった。アンナたちともより一つの家族として繋がれたような気持ちになれる。
「あと後見人はシャルさんだって」
今は屋敷を離れてケイサルで孤児院を営むシャルール。彼女もまた俺たちにとっては家族であり、アンナにとっても同じ孤児院出身の妹のような存在だ。姉妹のように育ってきたステラじゃないことには驚かされたが、いつでも傍にいる彼女より外に出たシャルと繋がりを持ちたかったのかもしれない。
「おめでたい」
「ほんとにね!」
地下墳墓の一件以来空気が重くなりがちだったこの部屋にどこまでも陽性の声が響き渡る。子供が生まれたという話題はこれだけ離れた場所をも暖かくするのだ。人が子供に未来を託し、最大の幸福を願うのはその身に有り余る希望が宿っているから。我が師匠はそう言っていたが、きっとその通りだ。そして俺の加護はそんな希望から何を選ぶか、子供の選択肢を増やせるものだと自負している。アンナが喜んでくれたように、俺の加護が小さなエレノアの道行きを照らす光になってくれれば嬉しい。
「最後の父さまの手紙は?」
「ん、まだ見てない」
いつまでも幸せの余韻に浸っているわけにはいかない。そう意識的に頭を切り替えないと2人ともずっと頬のゆるみが戻りそうになかった。
「ん……状況報告がほとんど」
実際ビクターからの手紙はそう喜ばしいことばかりではなかった。トレイスの頑張りやアンナと生まれたばかりのエレノアの話も書かれているが、メインは諸々の報告だ。
一番多いのは例の反逆について。レメナ爺さんからの音沙汰は相変わらずなく、予定している計画には取り込むべくもなさそうだということ。貴族間の根回しはビクターの次兄が嫁いだカールトン子爵を経由して着々と行っていること。隣領との関係も貿易での譲歩や合同の盗賊討伐などで改善を図っていること。誰に見られるか分からない以上、かなり気を遣って反逆を気取られないように書いているが、内容はそういうことだ。
そして最後に隠すつもりもなく付記されている情報。俺が王都に来て、オルクス邸の画廊で初めて目にした女性、セシリア=ナタリ=オルクス。トライラント伯爵領にて療養中らしいという情報以外なにも見当たらなかった今生の実母について。ツテを使ってみても、依然として情報が得られないとのことだ。病状や病名はおろか、本当にトライラント領にいるのかすら判明していない。
「残念だったね……」
「そうでもない。もとからただの興味本位」
本当はもっと真剣に探した方がいいのかもしれない。なにせ会ったこともないとはいえ俺を生んでくれた人だ。アンナの出産であれだけ感動したトレイスの心に共感を示しつつ、一方で今生の母にこれだけ冷たいのはいいことじゃないだろう。そうは思っていても、やはり魂は真新しい子供じゃないのが俺だ。
「私にとって母親はラナだから」
エクセルとして母を知らず、アクセラとしてラナを母と慕っている。そんな俺が今更探してみたところで、お互いにどうすればいいのかすら分からないだろう。あるいは15の誕生日まであと半年という日まで手紙の一つすら寄越さないセシリアという女に、心のどこかで拗ねたような感情を抱いているのかもしれない。同じように微笑むことも腕に抱くこともしてくれずに消えてしまった前世の母と重ねて、一層冷たく封じ込めてしまっているのかも。そう思うとやや申し訳ない気もするがやはり自覚のようなものはない。今の俺にはラナが母だという思いしか、本当にないのだから。
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