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七章 第4話 一歩の幅

 カラン……。

 涼し気な音を立ててグラスの中の氷が崩れる。いつも入る所とは違うカフェでわたしはぼんやりとそれを眺めた。アクセラちゃんがレイル君と出かけて丸一日。テーブルの上に書置きがあることに気づかなかったわたしは、すっかり約束してたダンジョンの引率をすっぽかしてしまった。

 やっちゃった……。

 きっとアクセラちゃんはわたしが意図的に無視したと思ってるはず。本当は一杯一杯で忘れてただけだ。帰ってきたら謝らないといけない。でもまだ踏ん切りはつかず、いまだに彼女と同じ部屋で顔を合わせない日々を送ってる。


「お客さん、大丈夫ですか?」


「え、あ、ごめんなさい!」


 紅茶一杯で2時間もいたからか、それともテーブルにつっぷしてぼんやりしてたからか、とにかく店員さんに声を掛けられてしまった。お詫びも込めて持ち帰りのクッキーを買ってそそくさと出る。


「はあ」


 考えすぎて頭がぼんやりする。いつものわたしならもっと順序立てて考えるのに。

 ああ、でも。

 昔から悩むのは苦手だった。すぐにぐるぐるしてくる。答えのある問題ならすぐに処理できるのに、答えがないとループに落ちて戻れない。


「エレナさん」


 商店街を抜けて寮の方へ足を向けたところでまた後ろから声を掛けられる。ただ今度は聞き覚えのある声だ。振り返るとそこにいたのはファティエナ先輩と執事のガレンさん。決闘以来ときどき放課後に見かける組み合わせだった。


「あ、お久しぶりです」


「ええ、お久しぶり。これ、落としましたわ」


 そう言って先輩が差し出したのは銅色のカード、わたしの冒険者カードだった。


「あ、あれ!?」


 慌てて財布を見ると確かにない。何かの拍子にポケットから落ちたみたいだ。


「ありがとうございます」


「気を付けた方がいいと思いますわよ」


 少し非難するような口調で言うファティエナ先輩。冒険者としてありえない落とし物だ、仕方ない。

 冒険者の証……Cランクの証……。


「どうかしましたの?」


「い、いえ!その、先輩はお買い物ですか?」


 燕尾服に実を包んだ老紳士の荷物を見て訊ねる。


「ええ、ポーションの追加を」


「明日の決闘用でございます」


 ガレンさんの補足に苦笑が浮かぶ。「決闘姫」とも呼ばれるこの人、あれから既に3回決闘騒ぎを起こしてるらしい。勝敗までは聞き及んでない。でもきっと先輩の勝ちだ。この人に勝てる学生はなかなかいないから。

 そうだ、ファティエナ先輩にも……聞いてみたいな。


「先輩、少しいいですか?」


「歩きながらでよければ」


 アクセラちゃんも好んで選ぶ人の少ない道へ足を向けながら、そっけない声で先輩は頷く。事務的な態度の目立つ人ではあるけど、邪魔にさえならなければ面倒見は悪くない。それがしばらく薄い関係を続けてわたしが抱いた印象。逆にガレンさんはご主人様の不利益にならない限りおせっかい焼きでお人よしだ。


「実は……」


 わたしは事情を話した。アレニカちゃんにしたような経緯の説明じゃない。冒険者もしている先輩なら察してくれることも多いので、アクセラちゃんから冒険者として「殺す覚悟」を持ってほしいと言われたことを中心にして。わたしが決めかねていること。決め方が分からないこと。アクセラちゃんを怖く思ってしまったこと。年上の相手だからか、言わなくてもいいのに怖く思ってしまったことがショックで一週間近くまともに会話できてないことまで。

 それを全て歩きながら聞いた先輩の反応は、とても冷淡だった。


「貴女、そんな覚悟すらしていなかったんですの?」


「!」


 立ち止まってそう言った彼女は顔をしかめて、苛立ちと蔑みの色を浮かべた。射貫くようなその目に身がすくむ。決闘のときには見せなかった、闘気とは違う気迫が籠ってる。アクセラちゃんが最初にこの話をしたときと、ある意味種類は同じ凄味だ。


「Cランクまでよくそれで上がれたものね……本当に」


「あぅ」


 普通はCランクに上がるまでに終えてしまう覚悟だと先輩は言いきった。盗賊の討伐であったり警備依頼の際にであったり、大体はDランク中に何かしらの原因で手を汚すことになると。斯く言う先輩はEランクからDランクに上がった直後、盗賊団討伐の大規模依頼に参加して4人殺したそうだ。

 4人も……。


「そ、その、覚悟って……やっぱり必要、でしょうか……」


 アレニカさんと話してて、胸の中でこんがらがってた思いの一欠けらが見えた気がした。それがこの疑問。冒険者と一口に言っても色々ある。本当にその覚悟ができないことは、辞めないといけないほどのことだろうか。そんな覚悟を要求されない冒険者だってあるんじゃないのか。

 それを聞いた先輩は一考することもなく口を開いた。


「当然ですわよ」


 その言葉に込められた苛立ちはさっきよりはるかに重い。


「でも例えば」


「例えば、そうね……ふっ」


 ファティエナ先輩がどこからともなくナイフを抜いた。それは淀みない動きでわたしの首に向けて振るわれる。ぎりぎり目で追える速度だ。とっさに魔法を放とうとした自分がいて、すぐにブレーキをかける。


「きゃ!?」


 結局ナイフは首の10cm前で止まった。わたしができたのは情けない悲鳴を上げるくらいのこと。


「今ブレーキを掛けましたわね?それで反応できなかった。それが覚悟のなさ。わかりました?」


「お嬢様」


 短くガレンさんが注意すると先輩はナイフをポケットにしまう。


「考え疲れているから、府抜けているから、そういう理由もあるでしょうけど。でも貴女はあの速度に反撃できない。なぜなら咄嗟の攻撃に手加減する自信がないから。違います?」


 思わず自制をかけたとき、わたしはこの前の決闘を思い出してた。咄嗟の魔法にコントロールを利かせるのが不得意だと、あの時わたしは学んでたから。


「貴女は才能豊かですから、そのうち急な魔法行使にも加減ができるようになりますわ」


「……」


「でもそれまでは相手の命を散らす覚悟でないと反撃できない。そしてその覚悟がなければ、今の一撃で貴女は死んでいましたわよ?」


 状況はある意味事の発端であるネクロリッチ戦と同じだ。あれだって命の危険が大きい依頼じゃなかった。それでも不測の事態からあんなことになって……。


「冒険者は命を張って戦力を売る仕事ですのよ。そこに命の危険がない場面など、あるわけがないでしょう」


 冒険者でいる以上どういう内容で依頼を受けようが危険が身近にありつづけるのは回避できない。


「覚悟はしたくない。冒険者ではいたい。それは我儘、現実を見ていない子供の言葉。今までは何とかなったのは中途半端に強いから中途半端なあり方で押し通せてしまっただけですわ」


 中途半端な子供の我儘。

 その言葉はわたしの胸にナイフなんかよりも深く刺さる。怒鳴られているわけじゃないのに、うずくまって耳をふさいでしまいたくなる。でも自分から訊ねておいてそんなこと、本当に子供っぽくてできるわけもない。


「今のナイフ、アクセラさんなら反応できましたわよ」


「そ、それは技量の……」


 覚悟は関係ない。そう言おうとした言葉は目の前のお嬢様に遮られる。それ以上聞くに堪えないとでも言うかのように。


「たしかにそうでしょう。でも非殺傷の選択肢も多い魔法と違って剣でそうする技量、どうやって身に付けたと思っているのかしら」


「……」


「ガレンと戦って終始優勢でいられる技量。血を吐くような練習、欠かさない努力、それだけでアレが出来上がるならスキルなんていりませんのよ」


 アクセラちゃんの、エクセルさまの力は技術。そして技術を鍛え上げるのは必要性。エクセルさまの技を鍛え上げた必要性は生き残ること。そのためにブランクの身でスキルと伍すること。技だけが明日を生き延びる手段だった。だからあれほど強い。


「1人も殺さず、殺すことを受け入れられず、あの高みには辿り着けませんわ」


 そんな生易しい場所にいる人ではないのだと、先輩の言葉はわたしの胸に突き立っていく。考えれば考えるほど逃れられなくて苦しいのに、アクセラちゃんへの恐怖心ばかりがまざまざと提示される。アクセラちゃんに抱く恐れ自体も、恐れるわたしも、なにもかもが嫌なのに。


「わ、わたし、は……」


 途切れた言葉に帰ってきたのは舌打ちだった。


「貴女を買い被っていたようね」


「……」


「覚悟もできず、力に怯え、親友に怯え、己の命すら守れない。安全で怖い物など何もないお遊びがしたいのなら、家の中でお人形でも抱いていればいいのです」


 固まってしまったわたしを一瞥して先輩は歩きだす。わたしの足は動かない。


「私は強い貴女にしか興味がありませんわ」


 今のわたしは弱いから話し相手をする気すらない、と。


「こんな……こんなママゴト遊びの子供に辛酸を舐めさせられたかと思うと、自分の胸に斧を叩きつけたくなる!」


 それまで声を荒げなかったファティエナ先輩だが、最後の言葉には抑えられない激情が込められていた。

 そうか、それはそうだよね。

 あの日、あの試合のあとで先輩が浮かべていた表情。追いつめられてた頃のアクセラちゃんに似てた。そんな表情を浮かべてまで決闘を続けるには何か理由があって、覚悟を決めるとか決めないとかいう次元で悩んでいられるはずもなく。先輩に煮え切らない思いを伝えれば、苛立たせて当然かもしれない。

 でもわたしだって……わたしだって!

 曲がり角に消える豪奢な夕日色の髪を見送ってから、わたしの胸には怒りのような気持ちが湧いてきた。相談しておいてそんな風に思うのはお門違いだろうけど。それでもわたしだって努力してこれだけの力を得たんだ。先輩を苦戦させるだけの力、才能や加護だけで手に入れたわけじゃない。殺す覚悟はなくても、わたしなりに覚悟と誇りを持って魔法使いになったんだ。それに殺す覚悟を決めて当然の先輩の境遇は大変かもしれないけど、わたしは違うじゃない。

 どうしてそんな覚悟を決めなきゃいけないの!


 …………違う、そうじゃないでしょう?


 脳裏で叫ぶわたしに別のわたしが冷や水を浴びせる。魔法使いになったのはただ魔法が好きだから。冒険者になったのは冒険に憧れたから。今の力に誇りはあるけど、そこに覚悟なんて欠片もない。

 今のはただ反駁(はんばく)したいから湧き出した虚勢だ。覚悟を迫られてるのだって、わたしがそういう道を選ぼうとしてるからでしかない。先輩がどうこうじゃなくて、わたしが中途半端だから怒られたんだ。

 ほんとにわたし、何も考えてないただの子供じゃない。

 理不尽な怒りがあっけなく自壊して、ただ虚しい気持ちだけが残っていく。


「う、うぅ……」


 自分の中にこんなに子供っぽい考え方があるなんて知らなかった。

 天才だなんて言われて、加護までもらって、努力した気になって。

 アクセラちゃんの隣で一緒に歩いてるつもりになってた。

 自分もすごいんだって、思いこんでただけだった。

 本当は覚悟も、思いも、立場も何もかもが中途半端な子供なのに。

 アレニカさんに言われた通り、わたしは遊びで冒険者をしてただけ。

 わたし、なにやってんだろ……。

 そう思ってしまうと涙が溢れて止まらなくなる。否定したいのに否定が思いつかない。その気力すら失われていって、ただただ惨めな気持ちだけが沸いて胸を押しつぶす。


「どうぞ」


 歪んで見える足元の景色を遮って白いハンカチが差し出される。顔を上げるとガレンさんの微笑みがあった。


「お嬢様が申し訳ありません。少々お言葉の強すぎるきらいがある方でして」


「い、いえっ、わ、わたし、だい、ぐっ、だいじょうぶです、から」


「そこのベンチで一休みいたしましょう」


 優しい語気の割に有無を言わせない足取りでわたしをベンチへ誘導するガレンさん。


「さあ、こちらを向いてください」


 慣れた手つきでわたしを自分に向き直らせた彼は、ハンカチでそっと涙を拭ってくれた。柔らかく涙を奪ってくガーゼハンカチの感触にまた胸が詰まって泣けてくる。小さい頃に母さまやアクセラちゃんがコケて泣くわたしにそうしてくれたのを思い出して。ガレンさんはそれを見ても微笑みを浮かべるだけで、何度でも拭ってくれた。



「……その、すみません」


「いいえ。大丈夫ですよ」


 わたしの涙が止まったのはかれこれ30分もしてから。ガレンさんは湿って重くなったハンカチをそっとポケットにしまって隠してしまう。洗わせてくれる気はなさそうだ。


「どうか、ファティエナお嬢様を嫌いにならないでくださいませ」


 別のポケットから小さなガラス瓶を取り出しながら彼は言葉を紡ぐ。


「ここだけのお話ですよ。あの方には冒険者として強くなる以外に、もう生きていく道が残されていないのです」


 気品と気概を兼ね備えた先輩は見るからに格式高い武家のお嬢様といった雰囲気だ。それなのに冒険者として身を立てる以外に術がないというガレンさん。でもその言葉はなんとなくしっくりきた。そうでもないとあんな表情はできない。


「これをどうぞ。わずかですが回復効果のある目薬です」


「え、そんな!?」


 ポーションを混ぜた目薬なんて珍しいもの高いに違いない。そう思って断るわたしの手に彼は目薬を握らせて、それ以上その話はしないとばかりに続きを口にする。


「お認めにはならないでしょうが、きっとわずかばかりの嫉妬もされているのです」


「嫉妬……?」


「ええ」


 寂し気な眼差し。

 先輩のことを語るガレンさんを見てそう感じる。


「それにこれはわたくしの私見なのですが、子供が覚悟を知らないということは悪いことでしょうか」


「?」


 急な話の切り替わりに頭が追い付かない。泣いたせいなのか回転自体が恐ろしく遅くなってる気がする。とりあえず話を聞きながらありがたく目薬を使わせてもらった。


「大人がしっかりと務めを果たしていればこそ、覚悟を子供の内から背負わなくてもいい。そう考えれば、その方が正しい世界に思えませんでしょうか」


 ひりひりとした熱を目の縁が訴える。何度か瞬きしてからわたしは目薬を返した。


「そういうことはこれから学べばよろしいのですよ。学ぶための学院です。社会に出てから学ぶことだってたくさんあります。重たい覚悟がそういう物の一つであって、どうして悪いことがあるでしょうか」


「それは……」


 それでいいのだろうか。

 だって成人は15歳だ。貴族なら10歳から他家の目に曝される。14はもう大人として扱われることが多い年齢なのに。


「でも、冒険者を、わたし、遊びのつもりじゃなくて……ちゃんと」


「本物の冒険者でいたかった?」


「……」


 纏まらない言葉を纏めてくれた執事さんに頷く。


「よいではありませんか。気軽に冒険者を名乗っても」


 ファティエナ先輩とは真逆の答えに思わず目を見張る。そこには柔和な笑顔があった。


「貴族の中には本職の狩人より狩りがお上手な方も大勢いらっしゃいます。狩りをしなくとも生活には困らない方々です。教養と戯れの狩りですが、それでも上手いことに変わりはございませんよ」


 続けて彼はこう言う。心をどこに置くかは別として、ギルドはCランクにふさわしいと判断したからその階級へ上げた。それだけの実力を認められた。「本職でなくとも上手」な冒険者になってもいいのではないか。


「で、でも先輩は」


「ファティエナお嬢様の仰ることも間違いではありません。咄嗟の時に覚悟がないと大変な事になってしまうのも、残念ながらよくある話です」


「じゃあやっぱり……」


「でもそれは冒険者でなくとも同じではありませんでしょうか。リスクに大小はあるかもしれません。ただどれくらいのリスクを受け入れるかは人それぞれ」


 たしかに覚悟がいらない仕事でも命の危機は突然襲ってくる。覚悟をしててもどうにもならないことだって。


「それに多くの戦士はあらかじめ覚悟をしているのではなく、「咄嗟の判断」で覚悟を乗り越えてしまいます。その時になってどう転ぶかは誰にも分かりません」


「そうなんですか?」


「大抵は」


 そんなものなんだろうか。


「初めに申し上げましたように、お嬢様は強くなるためにあらゆる犠牲を払っているお方です。アクセラ様の強さにしましても犠牲なく身に付くものではありえません」


 それは分かる。アクセラちゃんがエクセルさまとして支払ってきた犠牲は、きっとどれだけ話を聞いてもわたしには想像すらできないもの。それは真実の告白をうけたあの日にも幼心に思った。言い訳をするつもりはないけど、アクセラちゃんの殺人者という側面からわたしが無意識のうちに目を逸らしてきた理由の一つはきっとそこにある。稀代の英雄が一生かけて払った犠牲を簡単に理解できるわけもない。そういう、理由と言うよりは言い訳だろうか。


「しかしそれは同時に、お2人が払った犠牲の中にはもう決して経験することのない思いや悩みもあるということです。まだ何も犠牲にしていないエレナ様には悩むという財産があることは覚えておいてくださいませ」


「財産、ですか?」


 悩むことが財産。どこかアクセラちゃんの言うことに似てる。技術は考えることが始まり、だったっけ。悩むことと考えることはわたしにとって違うことだけど、見方によっては近いところもある。


「お嬢様には覚悟のために悩む余裕がございませんでした。あるいはアクセラ様も同じかもしれません。申しましたように戦士とは往々にしてそういうものですから。その点エレナ様は覚悟を選ぶために悩む権利がおありです。それは手放せば二度と手に入らない、今だけの特権です」


「……でも、悩んでいてアクセラちゃんと同じ答えにたどり着けるんでしょうか」


 ガレンさんの微笑みが優しいそれから慈しむようなより柔らかいものに変わる。


「同じ答えでなくともいいとわたくしは思いますが……もしたどり着くべき答えが同じであるなら、自ずとそうなるのかもしれません。要は過程なのでございます。どう悩みその結論に至ったのか、その部分が人生の宝になるのですから」


「人生の宝……」


「そうでございますよ。本当に意味のないことなど人生には1つもないのです。意外と見落としてしまうモノこそ宝石のようにその方を輝かせるのです」


 分からない。今のわたしには、まだ分からない。

 眉をひそめて首を傾げるわたしに彼はもう一度表情を変える。微笑みではなく困ったような、弱ったような表情だ。


「ただですね、エレナ様。どう悩むのであっても、アクセラ様と仲直りはなさってください」


「……」


 結局問題の半分ほどはそこだ。わたしが覚悟について心乱れてるのと同じくらい、アクセラちゃんに拒絶を示してしまったことが胸に居座ってる。


「何度か学院内でお見かけする機会がありましたが、いつでもアクセラ様はエレナ様にそれはそれは優しい眼差しを注いでらっしゃいました」


「そう、ですね」


 もちろん理解してる。わたしが物心ついた頃からずっとそうだ。楽しいことがあれば一緒に笑って、悲しいことがあれば慰めてくれて、困ったことがあれば相談に乗ってくれて、挫けそうになったら支えてくれて、悪戯も冒険も勉強も遊びも全部一緒にしてきた。必ずそこにいてくれた。見守ってくれた。


「ええ、そうですとも。きっとアクセラ様の覚悟にはエレナ様のための覚悟も含まれているのですから。仲直りはしなくてはなりません」


 アクセラちゃんは誘拐されたとき、2人で生き残るために相手を殺そうとした。その覚悟は確かにわたしのためのモノでもあったのだ。


「……わかりました。その、アクセラちゃんが帰ってきたらちゃんと、ちゃんと謝ります」


 本当にちゃんと謝れるかは分からない。でも今までみたいにずっとすれ違いを利用して逃げてちゃダメだ。自分でも見えてたその答えが、ガレンさんに指摘されたことではっきりと認識できた気がする。

 謝ってその先を考える時間を貰おう。今のわたしと未来のわたしを考えるために。


「お聞き届けいただけて幸いです。さあ、それでは寮までお送りいたしましょう」


 すっかり泣き止んだわたしに立ち上がった彼は手を差し出してくれる。白い手袋に包まれた手は思いのほか大きく、顔に似合わない力強さがあった。


「ふふ、ありがとうございます。ガレンさんはいい人ですね」


「そう言っていただけますと、わたくしも紳士冥利に尽きるというものです」


 大仰に礼をしてみせる執事さん。不思議とそれまで重かった心は随分軽くなっていた。そしてブルーアイリス寮への道中、彼はこんなことを教えてくれた。

 子供から見ると自分の一歩はとても大きく見える。自分のスケールでしか見えないから。目一杯に足を開いて意気揚々と大股の一歩を刻む。しかし歩いた距離を振り返って見るとあまり進んでいなくてがっかりする。それを繰り返すうちにいつまでたっても進んでいる気がしなくなって焦るようになる。

 だがそれを大人から見るとどうだろうか。どれだけ大股で歩いて見せても大人からすれば子供の一歩はとても小さく見える。でも一歩一歩と重ねるうちに驚くほど前に進んでいるのが分かるのだ。気がつくと追い越されてしまいそうになるほどに。


「まだ14年しか生きておられないのです。焦らなくていいのですよ」


 今年で57になるというガレンさんは朗らかに笑った。


久々の登場です、ファティエナ先輩とガレンさん。

この2人はもう少ししないと本格的に絡んでこないんでしょうねぇ(ヒトゴト感)


~予告~

リニアが語る心の天秤。

エレナの出した結論は……。

次回、天秤と評決

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