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七章 第2話 鎖と下着

「よっしゃあ!!」


 いよいよ夏間近といった日差しがギラギラと降り注ぐ昼下がり。練習場に響き渡るほどの声でレイルが勝鬨を上げていた。力で拮抗しているはずのマレシスを跳ねのけることに成功し、そのまま一本取ったのだ。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ……く!」


 尻もちをついたまま乱れた息を整えるマレシス。悔しさを一杯に込めて彼は勢いよく立ち上がる。


「おーい、アクセラ!」


 お互いに礼をした後、早速レイルがこちらに走り寄ってくる。マレシスもその後ろについてきた。俺は殿下との鍔迫り合いを解いてそれを迎え入れる。


「見たか?魔力強化、できるようになったぜ!」


「……早い」


 見てはいた。正直信じられない思いが強い。確かに先週の試合が終わってから一通りの理論と修業方法はクラス全員に教えたさ。まさか一週間でこぎつける奴がいるとは思っても居なかっただけで。レイルが戦闘に関して素晴らしいセンスを持っているのは知っていたのだが……。


「急に力が増加したと思ったら、そういうことだったのか」


「おう!」


 全身から喜びの気配を溢れさせて力強く頷く姿は、なんというか少し犬っぽかった。


「どこを強化したの?」


「足だぜ」


「……さすが」


 覚えたての人間は普通腕を強化する。対人の試合では陥りがちなミスだ。腕力の強化は確かに剣の勢いを増すが、それで上がるのは攻撃力や打撃力。魔物にダメージを与える上では役に立つし、打ち合いにも勝ちやすくなる。だが木剣では鍔迫り合いの押し合いになることが多い。レイルとマレシス、騎士系戦士同士の戦いなら余計に。そんな時に一番有効なのが足腰の強化による推進力の向上だ。


「本当にさすがとしか言えないな」


 苦笑混じりにネンスが言う。


「く、フォートリン、もう一度やるぞ!あと俺にもコツを教えろ!殿下、失礼します」


 マレシスが嫉妬もあらわにレイルの首根っこを掴んでどかどかと返っていく。そのせっかちで上からな、しかし今までとは明らかに違う態度に俺の方が驚いた。


「……びっくりした」


「ああ、マレシスだろう」


 笑いを堪えられないとでも言いたげな顔でネンスが言う。先週の一件で過去最高の戦いを披露したにもかかわらず、俺に手も足も出ずに負けてしまった彼はどうにも吹っ切れたらしい。冒険者やオルクス家への嫌悪感は消えていないが、俺個人に対して抱いていた敵愾心のほとんどが霧散してしまったとか。


「それほど彼にとってショックだったのだろうな、魔獣討伐という話は」


「ああ、なるほど」


 魔獣は悪神の生み出した対人類兵器とでもいうべき存在。つまり地上に生きる全ての人間にとって最悪の天敵だ。それを討伐するということは単純に力を示す以上の意味を持つ。人類を守るという崇高な使命に寄与した、とも捉えられるのだ。


 そこまで重く受け止める奴はそういないし、なにより8級だからなぁ。


 Bランクパーティーなら狩れるのが8級だ。もしかするとランクを言っていないせいで過大に勘違いされているのかもしれない。


「魔獣は昨今、出現数自体が少ない。王国の保有する全ての騎士団を見回しても、そんな経験をしている者は一握りだ」


 その一握りは騎士団内でも英雄扱いだと殿下は補足する。


「マレシスは視野こそ狭いが根は気持ちのいい騎士道を抱く男だ。騎士団の英雄たちと同じ偉業を成したお前に暴言を吐くことなどできなかったのだろう」


 分かるような、分からないような。やっぱり騎士の物の見方は少し俺たちとは違うのだと思わされる。剣士と一口に言っても何を重んじるかは意外と差があるのだ。


「それになんだかんだ言って、あいつも男だ。あれだけ徹底的に負ければ素直に力の差を受け入れるさ」


 俺に対する先入観が彼の目を曇らせていた。その先入観など吹き飛ぶほど綺麗に負けてしまえば、あとは前を向く以外に生き方を知らない。違うと思い知った直後に言うのもどうかと思うけど、不器用な剣士に変わりはないのか。


「スキル以外の力を受け入れる気になったようだし、あの敗北はあいつにとっていい薬に……いや、それ以上の宝になったはずさ」


 長い付き合いの友人が成長したことに頬を緩ませながら、ネンスはもう一度木剣を構えて俺に向けた。


「さて、うかうかしていられない。魔力操作ならマレシスより上だ、魔力強化を私も覚えさせてもらうぞ」


 彼は彼でただ守られる王族になるつもりはないらしい。そんな覚悟が目に見える。


「ん、良い心構え」


 才能に劣るネンスが覚悟を貫くには工夫が必要だ。


「後半戦、頑張ってね」


 実質の死刑宣告をしてから俺は大きく踏み込んだ


 ~★~


「……」


「……」


「……」


「……ああ、もう!」


 わたしがぼんやりと教科書を眺めてると、隣で苛立ったような声が上がる。その声は続いてわたしの名前を鋭く呼んだ。


「エレナさん!?」


 そっちに目をやると特徴的な苺と金の髪色の少女がいた。目を三角にしてこっちを睨み付けてる。


「ア、アレニカさん?」


「アレニカさん?じゃありませんわよ!」


 器用にわたしの声を真似しながら、なおも声を荒げる。


「さっきからなんなんですのよ!隣に座ってずーっとため息ばかり吐いて、こっちの気が滅入ってきますわ!」


「あれ、そんなにため息ついてた?」


「10秒に1回!」


 か、数えてたんだ……。


 天文学の授業がもうすぐ始まる頃、教室の最前列でわたしはアレニカさんに叱られてる。移動中のことがあんまり記憶にないくらいぼんやりしていて、気がついたら隣に座ってたらしい。


「そもそも貴女、今まで一番後ろで受けてましたわよね?今日は教科書をお持ちのようですし、なんで隣に座るんですのよ」


「あ、ごめん。無意識だったかも」


「無意識なら定位置に行ってくださる!?」


 言われてみればなんでわたしはここに座ったんだろう。


「まあでも、後ろはお話する相手もいないし」


 同じAクラスなのは彼女だけで、後ろの方はこの授業が簡単と聞いて取っただけの不真面目な生徒ばっかり。今までも結構うるさかったりして席を移動しようかとも思ってたし丁度いい。


「授業中に私語は禁止ですわよ」


「授業まででいいよ?」


「ため息ばっかり吐いていた人の台詞じゃありませんわよ……というかなんで自然に私がお話の相手みたいになってるんですのよ!?」


「ほら、黙ってるとまたため息製造機になっちゃいそうだし」


「……」


 半分脅迫のようなわたしの言にアレニカさんはとても嫌そうな顔をしたあと、一つ自分もため息をついて諦めた。


「それで?」


 話し相手をしろと言うなら話題を出せ。そんな意思が込められた3文字。


「アレニカさんてお母さまみたいなサロンの女主人になるのが夢なんだよね?」


「……なんで知っていますのよ」


「廊下で話してたのが聞こえたんだ。立ち聞きするつもりはなかったんだけど」


「……まあ、それは仕方ないですわね」


 初めて直接お話した授業へ向かう途中、同じクラスのカーラさんに言ってた。それを今日みたいにぼんやり聞いただけだけど、記憶力はかなりいい方だから。


「なにか、こう……覚悟みたいなものってあるの?」


「覚悟、ですの?」


 言われた意味が分からないと言いたげに眉を寄せるアレニカさん。顔立ちが綺麗だからそんな表情も可憐に見える。

 でもそうか、いきなり覚悟って言われても困るよね。


「ちょっと今悩んでて」


「悩み事の相談なんて他の家の人間にするもんじゃないですわよ?」


「どうして?」


「どうしてって……貴族はどれだけ親しくしていても、そう言う部分があるのは当然ですわ」


 裏を掻き、隙があれば上に立つ。それは貴族の本能だといつか父さまが言ってくれたことがある。そういう意味だろうか。


「わたし貴族じゃないよ?」


「あら?でも姓が……」


「あ、うん。マクミレッツ家は子爵だったけど、父さまが爵位継がなかったからもうないんだ」


「しゃ、爵位を返した……?」


 アレニカさんは今までで一番ありえないことを聞いたという顔で固まってしまった。爵位なんて邪魔になるなら捨ててしまえばいいって、貴族の彼女は割り切れないんだろうな。生まれたときから貴族らしくない人たちに囲まれて暮らしてきたから、わたしにそこら辺の感覚は分からない。


「と、とにかく!それでもオルクス家に身を寄せてはいるんでしょう?それならそちらの……」


 強かった語気がしぼんでいく。これ以上オルクス家の名声にどう傷がつくというのか。心に浮かんだその疑問に押しつぶされるように。


「学院の中で起きたことは外に言わない、でしょ?」


「そう、ですわね」


 不文律を出して助け船にする。彼女はそれに乗って話題を戻した。


「それでもアクセラさんに聞けばいいじゃありませんの」


「むぅ、今回はできないんだよね」


 そう、できるはずもない。


 先一昨日の夜、アクセラちゃんに向けてしまった感情を思い出す。あの時はただでさえ頭の中がぐちゃぐちゃだったのに、アクセラちゃんから噛んで含めるように殺す覚悟を示されて……限界を超えてしまったんだと思う。まるでアクセラちゃんがわたしの知らない人みたいで、エクセルさまのこととかを教えてもらった時には感じなかった恐怖が噴き出した。

 殺す覚悟を決めるか、冒険者を辞めるか。その二択は2晩経った今でも重く心にのしかかってるけど、それよりも今はアクセラちゃんに恐怖した自分にショックで全身が鉛のように感じる。

 ううん、どっちもやっぱり同じくらい重いや。

 人を殺すなんてこと、真剣に考えたことがなかった。殺さないといけない状況もある。それは知識として知っているだけの、ただの情報だったから。


「冒険者として生きていくなら、殺す覚悟をしなさいって言われて……」


「ころ!?」


 その言葉に隣の少女の肩が跳ねる。

 うん、これが普通の、戦いが遠くにある子の反応だ。


「その、どういうことですの?」


 ただならぬ単語の登場にアレニカさんが声を潜めて訊ねてくれる。なんだかんだ言いながらきちんと対応してくれる彼女の性格がとっても嬉しくて、わたしも小声で事情を話した。もちろんまだ公表できなさそうな部分は伏せて。


「それで、なるほど……」


 人に順序立てて説明するとわたしの認識も変わってくる。あそこで取り乱したのはどう考えても悪手だ。アクセラちゃんが振り切れた対アンデッド戦の能力を持っていなければ、パートナーすら危険にさらす行為だった。実際にわたしを背負って1人でダンジョンを脱出したのだから。

 でも、どうしても……言葉にできない深い部分で拒否反応が起きるんだよね。

 アクセラちゃんや、レメナ先生や、トニーさんや、マザー・ドウェイラや、「夜明けの風」の皆や……大好きな人たちの多くが胸に秘めて剣を、弓を、杖を取ってる。それは分かるし、強くてかっこいいことだとも思う。でも同時に怖く思えてしまう。大好きな人なのにそれを意識すると手が震える。もし必要だと判断したら、皆も人を殺すんだと思うと。殺すということを、人の命を自分の手で奪うという行為を「判断」してしまえると思うと。


「その、それって……遊びでするような覚悟では、ないのではなくって?」


 また考え事に沈みそうになったわたしを、考えながらアレニカさんが紡いでくれる言葉が引き上げる。


「遊びで……?」


「遊びは語弊があるかもしれませんけど、でも生きる糧を得るためにしているのではないですわよね?」


「たしかに、そうだね」


 冒険者にならなくても、きっとわたしは生きていける。冒険が好きで、魔法が好きで、そしてずっとしてきたことだから冒険者でいる。それが動機。


「で、でも、何をするにしても、その道の覚悟があるでしょ?」


「そう、かもしれませんわね……でも冒険者の道に必要なのがその、こ、殺す覚悟で、他の道には殺す覚悟以外の覚悟が要求されるんでしたら……そんな覚悟をしてまですることですの?」


 アレニカさんの問いかけにわたしは答えられなかった。

 色々な覚悟がそれぞれの道にはあって、わたしが選ぶべきなのはわたしができる覚悟の道……?


「武家の出じゃありませんから、私には分からない部分もあるでしょうけど」


 もともとオルクス家は武家だっけ。きっとマクミレッツの家も何かあれば剣を取る家だったはずだ。そしてその家の呪縛は、もう父さまが断ち切っている。


「そういう覚悟は、必要な人だけがするものだと思いますわ」


 わたしは殺す覚悟をする必要のない人?

 提示された答えはわたしの心を解してはくれなかった。ただ重い鎖のように一層絡みついて、自分でも分からない胸の奥の大事な部分を深い場所へとまた引きずり込んでいく。今の私には「殺す覚悟」がどんなものなのか分からない。どう決めればいいのかも、決めていいのかも、他にどんな道があるのかも。何もわからないことが余計に鎖を解けなくしていく。


「皆さん、こんにちは。今日も太陽ばかりが出しゃばっていますね」


 いつもの奇妙な挨拶をしながらキング先生が入ってくる。わたしたちのお話は約束通りそこで終わって、否応なく授業に意識を切り替える。それでも最後にアレニカさんがちょっとだけ心配そうな視線を寄越してくれたことが、なんだか無性に嬉しかった。

 まずは知ること……することはいつもと同じのはずだ。同じはずなんだ。


 ~★~


 戦闘学の授業が終わった。息も絶え絶えの男子3人から木剣を回収して倉庫に入れておく。自分の得物、木兎はエレナお手製の袋に収納済みだ。ちなみに彼女とは今日も会話がなかった。


「片付けを、頼んで、すまないな」


「そ、その、なんだ、俺からも、礼を、言う」


「ありがとな、アク、セラ……てか、足、痛ってぇ!」


 ネンスとマレシス、レイルは揃って体操着が汚れるのも構わずに練習場の地面に倒れ込んでいた。他の生徒はそれを見て微笑みながら、足早に更衣室へ去っていく。

 あれから必死に練習した殿下と近衛は、不完全ながら魔力強化を発動させることに成功した。ただしそれは筋肉内で魔力を循環させる正しいスタイルと違い、強化に使った魔力をそのまま垂れ流しにしてしまうというもの。風呂桶に溜めたお湯に浸かるのとかけ流し温泉に漬かる違いとでも言おうか。この有様はその結果、つまり魔力切れだ。王族特有の夥しい魔力量がなければセンスで劣るネンスが今日中にマレシスと並ぶのは無理だったろう。なお、レイルの方はマレシスに教えるため何度も何度も魔力強化を使って筋肉痛に陥っている。筋肉の疲労を抑えながら強化するのは習熟を要するのだ。


「しかし、変な気分だな……意外と簡単に、習得できたのに、スキルが得られないのは」


 徐々に息が整ってきたマレシスが言う。条件を満たしてもスキルが得られないことは珍しくない。そういうのは適性がなかったと表現されることが多い。ただ適性のない事柄はそもそも会得に恐ろしく時間がかかったりする。才能と努力の具現化がスキルである以上、ある意味当然の特性だ。


「技術って、全部こんな感じ、なのか」


 レイルの質問は技術に触れたばかりの3人に共通しているようで6つの目がこちらに集中する。


「ものによる」


 紫伝一刀流や仰紫流のような流派はいつの間にかアビリティ枠でスキルシステムに取り込まれていた。スキルとして発動してもアシストが技の理念に噛みあっていないので実用性皆無だが、習得はできる。これが我が盟友アーディオン=シュトラウスのシュトラウス流格闘術なら、スキルと技術をその違いに基づいて適宜切り替えて運用できる。エクセララの青い炎など一部の魔法系技術も会得すると『火魔法』の目録に追加されてスキル発動が可能になる。微調整が必要ないときはスキルから発動してもいいわけだ。

 これらに対して魔力強化などスキル化されない技も多くある。スキルではできない部分を補うように発達した技がその典型。魔力強化もステータス強化系スキルの代替産物だ。


「スキル化する方も条件が複雑。偶然入手はまずできない」


『紫伝一刀流刀技術』というアビリティを会得するには流派を知る人間に教わる以外ない。


「ん」


 答えながら俺は屈んでマレシスに手を差し出す。


「あ、ああ……………………わるい」


 彼は躊躇いがちにそれを掴んで体を起こす。魔力枯渇は体がだるくなり頭が痛くなる。今回は魔法を過剰行使したわけじゃないから頭痛はそこまででもないだろう。


「今日は早く寝た方がいい」


「ああ、それは……て、おまっげほげほっ」


 空いた手で髪の土を払おうとしたマレシスが、首から音がしそうな勢いで真横を向いて咳込んだ。その横顔は真っ赤だ。

 今日は熱かったし、熱中症かな?

 こんな状態でも咳込む前に人のいない方を向くのは、さすが育ちのいい近衛騎士というところか。


「水もしっかり飲んで」


「い、いや、そうではなく!き、貴様、その!」


「はい、ネンス」


 なにかしどろもどろになっているマレシスは置いておいて、ネンスにも手を貸す。さっさと殿下を助け起こさないとまた食ってかかられては敵わない。もう、そこまで危惧しなくてもいいんだろうけど。


「ああ、すまんな」


 彼の手はここ最近の練習でマメができていた。


「マメには低級ポーションを3倍に薄めて塗るといい」


「何でも知っているのだな。戻ったら……!!」


「ネンス?」


 苦笑を浮かべたかと思ったら、ネンスも固まってしまった。やはり真っ赤になって。


「腰?」


 起き上がるときに変な角度にでもなって傷めたのかと心配してみる。


「アクセラ!お前、その!」


「ででで殿下、お待ちください!その、今言うのは、は、恥が、いや、恥に!!」


 横から慌てて割って入ってきたマレシス。珍しくネンスを止めにかかっている。


「腰じゃないならよかった」


 じゃれ合う2人を放置して、実は一番重症のレイルに手を貸す。過労で筋肉痛になっているのは足だけでも、腰や腕は強化された足の出力に耐えて酷使されている。まだ自覚がないだけで、きっと晩には全身筋肉痛コースだ。


「レイルは今晩、下級ポーション飲んで寝て」


「いてて……湿布も買い足さなきゃな」


 マメが何度も潰れて硬くなった戦士の掌を握りしめて引っ張り起こす。座るだけでも痛かろう。

 頑張れ少年。


「!」


「……」


 なんでお前まで固まるんだよ。


「ア、アクセラ!お前もうちょっと気を付けろ!」


「?」


 真っ赤になってから目をぎゅっと閉じたレイルが叫ぶ。


「何が?」


「だ、だから、その」


「「止せ!フォートリン!」」


「し、下着が見えてるんだよっ」


 2人の静止と被り気味にレイルが叫ぶ。自分で胸元を見れば確かに体操着の襟元は重力に引かれて、首との隙間から白い鎖骨と薄い青の下着が。肌色の胸骨と布の間には確かに柔らかい肉も窺えた。

 ああ、下着で赤面してたのね。

 思わずネンスとレイルを見る。


「違う!いや、違うことはない!違うことはないんだが、違う!」


「わ、私は見ていないぞ!」


「殿下!?お、俺は、俺は……!」


 嘘がつけない男マレシスと偽りに慣れた王子ネンス。その差が見事に出ていた。ただし好感が持てるのは前者だ。この状況で見てないが通じる女子は、まずいない。

 まあ、俺は中身が男だから気にはしないんだけどな。


「な、なんでもいいから立ち上がってくれってば!」


 一番純粋なレイルの訴えで俺は体を起こした。屈んでいなければ見えない。

 しかし、俺の体でも赤面するもんか。

 襟を指で引っ張ってもう一度覗き込む。胸は大きい方じゃない。平らというほどでもない。俺の掌にぎりぎり収まる程度だ。下着も体操服の下に着けるだけあってデザイン性の薄いやつ。

 あ、凝った下着なんて持ってないか。

 その分胸の大きさが露骨に分かるとも言える。ただあの一瞬でそんなところまで想像した猛者はこの中にはいないと思う。


「か、確認するな!貴様には羞恥心がないのか!?」


 レイルと同じくらい顔を真っ赤にして叫ぶマレシスに、ちょっとイタズラしてやりたいような気持が沸きだす。とはいえさすがに一応は異性、しかも貴族である以上まずい。意地悪な童心を押さえてとりあえず肩だけすくめておいた。

 ところが俺と違って悪戯心を抑えなかった男がいた。


「マレシスとフォートリンには婚約者がいるだろう」


 見慣れているのではないか。そんなからかいが聞こえてきそうな声音だ。犯人はほとんど顔色を元に戻したネンス。自分も真っ赤になっておいてこの言い草である。


「俺とシーアはそのような関係ではありません!」


「シーアの婚約者ってマレシスだったのか!?」


 過去最高に赤くなりつつ、レイルはそっちに反応した。


「私は別にどのような関係とも言ってないが?」


「な!?違っ、そ、それは……先に戻ってお茶の用意をしています!!」


 今まであれほど挫けず突っかかってきた男はあっさり逃亡した。首まで赤く染めて、寮の方向へ。


「おいマレシス、更衣室はそっちじゃないぞ!」


 さすがにやりすぎたと思ったのか、慌ててネンスがその後を追いかけた。


「はは、あいつら仲いいな」


 とうとうレイルも王子をあいつ呼ばわりするようになった。それだけ溶け込めているというのは、とてもいいことだろう。


「レイル」


「な、なんだ?」


 立ち上がるのもつらそうな彼に肩を貸してやる。背が高く筋肉も多いから結構重い。


「婚約者って言われて赤くなった」


「うぇ!?」


 殿下に婚約者がいるだろうと揶揄されたとき、マレシスが先に吼えたので一瞬だったが、顔を爆発しそうなほどに赤くしていた。


「妄想したの?ムッツリ」


「ち、ちげえよ!」


 違うのか。


「……見たこと、あるの?」


「あ」


「あ?」


 逃げ遅れた筋肉痛男を少しだけ弄るつもりだったのに、勝手に墓穴を掘っていく。


「……ほどほどにね?」


「ほどほど?」


「マリア、小柄だから」


「そういう意味か!って違うわ!」


 拗ねずにツッコミをぽんぽん返してくる少年を楽しみながら、男子更衣室への道を歩く。


「あー……アクセラなら言ってもいいか」


 照れくさそうに頬を掻いた少年は経緯を説明しだす。ほんとうに疚しいことはないと証明したくて。


「5歳の夏、まだ婚約者じゃなかったころにさ、一緒に遊んでてマリアのワンピースの肩紐が枝にひっかかったんだよ」


「……」


「外してやろうとしたら紐が切れて、その……」


 5歳とはいえ子爵家令嬢の肌を見てしまったのだ。レイルに過失があったかといえばノーだろうが、フォートリン伯爵は「嫁入り前のお嬢さんに」と子爵に平謝り。ロンセル子爵も事情には理解を示しつつ、事故だしいいよと言うわけにはいかない立場。たとえ10歳のお披露目以前であっても、仲のいい家同士であっても、他派閥の令嬢の肌という「情報」は貴族社会において強烈な爆弾になる。


「落としどころとして婚約?」


「まあ、そういうことだ」


 意外な理由からの婚約だったんだな。


「ん?」


「どした?」


 5歳の頃自分がワンピースを着るときどういう恰好をしていたか。


「それ、下着どころか全部……」


「うわー!うわー!やめろ、馬鹿!」


 思い出したのかまた爆発間近の色になって叫ぶレイルだった。


あやうく更新忘れるところでした★


~予告~

レイルの冒険は始まった。

アクセラが彼を導いた先は……。

次回、狂宴の廃城

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